要旨
大先生晩年までの合気道が「岩間神信合気道(岩間スタイル)」であり、大先生はそれを戦後24年間かかって岩間において集大成され「武産合気道」と名付けられた。「合気会合気道(合気会スタイル)」と比較すると「固い稽古」を重視すること、技の種類が豊富であること、そして「武器技」を併用することが大きな特徴である。
第一に「固い稽古」において一つ一つの技の「形」と「順序」の合理性を細かく身につけた上で「気の流れ」に入る。「気の流れ」では受けの自由な攻撃に対して取りが一方的に合わせることで受けを和合させてしまう。
第二に固い稽古の「基本」から多様な「変化・応用」が生み出されるために、全体の技の数はきわめて豊富になる。
第三に大先生が昭和30年代に集大成された「武器技」や「剣・杖・体術の理合」は、齊藤守弘先生が工夫考案された「段階的指導教育法」によって一般人(アマ)にも稽古できるようになり、初心者の段階から稽古されている。その意味では「岩間神信合気道」は大先生によって創り上げられ、齊藤守弘先生によって一般に普及されたと断言してさしつかえない。
岩間神信合気道は最初はややきびしいけれども、良い指導者を得れば女性や高齢者にも適しており、その離れ難い魅力は生き甲斐となるに十分である。
岩間神信合気道(岩間スタイル)の特徴は、一つは「固い稽古」を重視しこれを習得したあとに「気の流れ」に入ること、もう一つは技の種類が豊富であること、そしてさらにもう一つは体術と並行して「武器技(剣・杖)」の稽古をすることによって正しい基本の技の形を会得することである。
それは「技の基本の形の稽古」という意味で「どんなに強くつかまれてもどんなに強く打たれても、強い呼吸力と正しい形、順序で技をかけることによって技がピシッときまる稽古」のことである。
その中で手首や腕・肘などに痛みはあるが、これは関節を曲がるように曲げる痛みであるから元に戻れば全く問題ない。この痛みはどのスタイルも同じであるが、岩間合気道では技そのものがよりきびしく切れ味があるから痛みもより強く感じるということは言える。しかしこの種のきびしさを乗り越えることは「護身」を求める以上当然のことであり、これによって手首や腕は強くなり自分の技が護身に十分使えるようになる。岩間神信合気道の技の形は一つ一つが合理的かつ緻密にできているから、この痛みは「安全な痛み」とでも言うべきもので怪我の危険性はほとんどないことを知るべきである。
固い稽古を省略している合気会スタイルの気の流れの技も合理的にできていることは明白であるが、岩間合気道の合理性のレベルの方が高いこともまた明白である。何故なら固い稽古においては少しでも合理性に反することは力のぶつかり合いとなるので自然と淘汰されてしまい、究極的に合理性の高い洗練された「形」に収斂されてくるからである。
もちろん数多くの技の中には数は少ないが、固い稽古では成立せず、気の流れの中においてのみ成立する技も存在する。その場合には初めはゆっくりと動く稽古から始めて次第にその速度を速めていくことが大切であり、初めのゆっくりと動く稽古(第2章(注7)の「柔体技法」)が通常の固い稽古に相当するものと考えればよろしい。
さて2代道主はこれに対して「武道において形が細かくきまっているというのはおかしい」あるいは「こう来たらこうする方式の考え方は真の武道ではない」という主旨の反論をされている。−「規範合気道(基本編)P17−(合気道を知るためのQ&A) 」参照ー
しかしながら、岩間合気道ではこの「固い稽古」のあと合気会スタイルと同じように相手の動きに合わせて動く「気の流れ」に入るのであるから、この反論は一部分のみをとり上げたご批判であり全体としては問題にはならない。気の流れはその場その場で微妙に変化し、究極ではその人の個性(体型とか体力をも含む)に応じた技に変化していく「武産合気道」(章末の(注)参照)になるのである。
究極の気の流れの稽古では受けは一切の馴れ合いを排して自由に攻撃し、これに対して取りは自分の方から一方的に受けに合わせることで受けを和合させてしまうことが非常に重要になる。これが合気道の「合わせ」の真の意味であり、「合わせ」は合気道の強さをきめる究極的な要素であると言っても過言ではない。
第二に「技の種類の豊富さ」について説明したい。
大先生は昭和17年岩間移住のあとも自己の技の研究に没頭され、それまでの技のうち合理性に問題のない多くの技を残されるとともに、少しでも合理性に欠けると思われるものについては謙虚に試行錯誤を重ねられてそれらを改良されていかれたのである。
(論文補足資料「 具体的な相違点 」(1)—④項、(1)—⑥項 および (4)—②項などを参照されたい。)
従って岩間合気道の技を全体的に眺めると、大先生の戦前の技、戦後に岩間で改良された技、そして戦後岩間で生まれた技の3種類のすべてがが含まれているものと考えられ、その数が豊富になるのは当然というわけである。(第2章「チャート」参照)
この技の種類の豊富さを言い換えてみると、岩間合気道では細かく形のきまった初めの「基本」(固い稽古)をしっかりと実施しているからこそ、その「基本」から多様な「変化・応用」(気の流れ)が導き出されやすいということであり、技の種類が多くなるのは自然の流れというものである。
技の数が多ければ多いほど実戦場面でのいろいろな攻撃に対しても体が自然に動くと考えられるから、「武産合気道」こそ合気道の真の強さを表現する言葉であると言ってよい。その意味で岩間合気道は合気会合気道よりも「武産合気道」に近づきやすい合気道とも言えるのではないだろうか。
さらに岩間神信合気道ではこれに武器技が加わるので全体の技の数は合気会合気道よりはるかに多い数となる。
初めに大先生はその80余年の生涯を通じて終始一貫して体術と武器技の両方を修業されたということを強調いたしたい。
武器技は先ず素振りから始めねばならず、昔から「素振り三年」と言われるくらいその修得は時間がかかるものである。合気道イコール体術という先入観があるとこの素振りの段階で嫌になってしまう人もいるが、この剣・杖の素振りが結果的により強い「呼吸力」をつくり、正しい半身の形や確固たる中心軸をつくり、より強い体術をつくることを知るべきである。
素振りは相手がいなくても一人でできる稽古であり、その点では都合がよいものであって、ある程度以上に上達すれば剣・杖の稽古は楽しいものである。
さらに進んで組太刀・組杖を稽古することによって相手との間合いや合わせ方を知り、強い足腰と腰のひねりをつくって動きに無駄がなくなり、体術の技の切れ味は一層鋭くなるのである。同時に「相手に合わせる」ということは合気道が合気道であるための真髄であり、その「合わせ」の奥義を武器技によって修得することができるのではないだろうか。
もう一つは、最も重要なことであるが、「剣の理を体術に移したのが合気道である」と言われているとおり、武器技をすることによって体術の技がなぜそういう形になっているかを本当に理解できることである。そのように武器技と体術が一体であることを意識できるようになると、剣・杖の稽古をしながら同時に体術の稽古をしていることとなり、その反対もまた真となるのである。
これが「剣・杖・体術の理合(りあい)」と言われるものであり、岩間神信合気道(岩間スタイル)の要諦をなすものである。
もう少し詳しく書くと、この「理合 」は単に一つ一つの技の理合(「四方投げ」がその典型的なものであるが )を示すものではなく、剣・杖を稽古することによって体術においても(1)脱力して呼吸力を出す(2)半身または一重身で安定する(3)自分の中心軸がぶれることなく技がかけられる(4)腰のひねりで瞬間的かつ効果的に技がきまる(5)相手に対して適当な間合いをとり相手の動きに適切に合わせることができるなど、合気道そのものを成立させる根本的な原理についての共通の理合であると言ってよい。
従って、大先生の合気道すなわち岩間合気道においては武器技は不可欠の存在となるのである。
前章にも記述したとおり、大先生がこの武器技およびそれが体術と共通する理合を岩間で具体的な形でまとめられるようになったのは昭和30年代以降のことであることは2代道主も認めておられる。「父は剣をまとまった形では一つも教えていないのです。今岩間でやっているような剣は昭和30年前後から本格的にやり出したことです。その前はほとんど体術です」—合気ニュース第77号(昭和63年4月)2代道主会見記。
しかしながら昭和20年代以降ほとんど東京におられた2代道主は残念ながらこの新しい武器技を教えてもらう機会を得られず、合気会合気道の中に取り入れることができなかった。それは岩間合気道の中にのみ残されているのである。(第2章「年表」参照)
当時大先生は素振りの形も満足にできない者が剣・杖を振り回すことを「生兵法」と言って極端に嫌われ、昭和30年代以降は齊藤守弘先生の日曜稽古以外東京の本部道場では武器技の稽古を一切禁止されたそうであり、岩間にあって大先生とともに生活していた齊藤守弘先生一人がこれを伝授されたのである。
齊藤守弘先生は戦後間もない昭和21年に大先生にお仕えして以来、ご夫人とともに実に23年間の長きにわたって大先生ご夫妻の日常生活の面倒をみられたのであるからそうなるのはきわめて自然なことである。しかもそのあと齊藤守弘先生は10年以上の歳月をかけてその武器技(後に体術も)を一般人(アマ)にも分かりやすく理解できるように教える「段階的指導教育法」(第2章(注6)参照)を工夫されつくり上げられるわけである。
以上、岩間合気道が「固い稽古」と「武器技」を重視して稽古していくということは、正に大先生自身が目ざした「絶対的強さ」(第4章末の(注)参照)を求めていくということに他ならず、それが岩間合気道の目標(理念)でもある。
第一に岩間合気道において初めて「固い稽古」を稽古するときにはどうしてもある程度の力が必要であるが、これはやむを得ない。しかし意識して力を抜くように心がければ次第に「呼吸力」主体の稽古に近づくことができる。
スタイルに関係なく言われることであるが「力が抜けるようになったら一人前」であり、これは非常に大切なことである。そして岩間合気道では技の正しい「形」をしっかり身につけさえすれば、あとは同じ技でもその動きを自分の体の状況に応じて遅くしたり速くしたりしてかけることができるから、これが肉体的衰えをカバーしてくれるのである。
第二に女性や高齢者自身が岩間合気道の「固い稽古」を信頼し、稽古の中で瞬間的な痛みはあっても絶対に怪我はしないものであることを信じることが大切である。この章の初めの方に記述したとおり、岩間合気道の技は高度の合理性をもち緻密かつ安全にできているのである。
また受け身については自分の体の動く状況に応じて無理せず受け身をとればよろしい。最初のくずし(呼び込み)もまた必ずしも大きく動く必要はなく自分の体力に応じて状況をつくって入り身すれば可能である。一方、合気会スタイルの技は「気の流れ」のみであるため技全体が流れるようにクルクルと動き回るから高齢になるとそれに合わせて動き回る稽古は難しくなってくるのではないだろうか。
第三に武器技(剣・杖)の稽古はある程度以上の練度に達すれば「一人稽古」(素振りなど)で鍛錬することができるということである。
もちろんいい加減な形の素振りはいくらやっても役に立たないが、正しい形の素振りの一人稽古は武器技のみならず体術の鍛錬に十分役立つのであり、高齢になればなるほど有効で楽しい稽古法の一つとなるものである。
第四に一度に長時間の稽古をする必要はなく、その代わりに短時間の稽古を定期的に継続して行い、長い期間をかけて上達していくということが大切である。
私の経験によれば、岩間合気道の稽古は「初めはちょっときびしいがやればやるほど楽しくなってくる」というのが事実であり、誰でもがゆっくりと無理をしない稽古ができるのである。
第五に女性や高齢者を指導する「指導者」は相手の体力や技量に合わせた指導をしなければならず、最初は相手が動ける程度にまでそのつかみ方、打ち方を加減することが必要である。
これもスタイルに関係なく、また性別や年令にも関係ないことであるが、稽古中に相手のやる気をなくさせたり、相手を痛めつけたり、あるいは怪我をさせたりする場合ほとんどは指導する側に問題があるものである。人間というものは相手に痛みを与えることによって自分の優越性を示そうとする本能みたいなものがあるが、相手は自分の技を受けてくれているのだということを忘れてはならず指導者は自分自身をきびしく自戒しなければならない。
岩間神信合気道は大先生の合気道のすべてを含んでいるため時にはその内容の多量さに圧倒されることもあるが、何よりもそれが「本物」であるという感じを受ける。何事であれ「本物」には離れ難い魅力が存在する。一度この岩間合気道の魅力にとりつかれるとどんどん引き込まれていき、いつの間にか自分が力強くなっているという自信を感じる。そしてこの力強さと自信(過信してはならないが)の上に立って相手との真の和合への道が見えてくるのである。