要旨

実際に合気会合気道から岩間神信合気道へ転換(入門)しようとすると現状ではいくつかの困難が存在している。

それらは、考え方(価値観)の相違によるもの、個人と組織の関係に起因するもの、道場・指導者・稽古相手などの環境に関するもの、あるいは誤解や無知にもとづくものなどさまざまである。

しかし、結局は本人の決心次第で道は開けるものであると申し上げたい。

ここではある人が岩間神信合気道(岩間スタイル)に対して関心(興味)を持ったとき、実際にそれへ転換(入門)することを妨げるような事項について列挙してみたい。

1. 合気道全体の中心は宗家(植芝家)道主であるから、その道主の技(合気会合気道)に従うべきであるべきであると思うこと。

いかなるスタイルであろうとも大先生を出発点とする限りすべての合気道は大先生の遺産であり、合気道という全体像そのものは植芝家の財産である。従ってその遺産相続者である「宗家道主」は将来ともに合気会という組織の頂点に位置し、その組織の中にあっても外にあっても形の上で歴代の道主に敬意を表しこれを立てていくのは当然のことである。

精神的な面での合気道の究極の「目標」すなわち「理念(哲理)」は唯一つ「和合」なのであるから、その旗じるじの下にそれぞれのスタイルが共存していくことができるはずである。

しかしながら、実技の面では「合気会合気道」は戦後に2代道主が大先生の技の一部分を抜粋されたものであり、そして「岩間神信合気道」は大先生の晩年までの技そのものであるという歴史的事実を否定することはできない。( 第2章および 第6章 参照 ) 

そして、それぞれのスタイルはそれぞれの特徴を持って存在しているのであるから、これからも組織とは関係なくそれぞれの愛好者によって稽古され継承されていくということも自然の流れというものであろう。

2. 今まで一緒に稽古してきた師範・先輩・同僚・後輩などと別れるのはしのびないと思うこと。

日本人は古来義理人情の厚い民族と言われ、特に師弟の関係は強い絆で結ばれ簡単には断ち切れるものではないとされている。これは一面ではすばらしいことではあるが反面では日本人の合理性の発揮を妨げてきた原因の一つともなる。

しかしながら真実こそが求められるべき唯一のものであって、たとえ初心者であろうともそれを求める権利を持っている。合気道の世界も「和合」という理念を基本としつつできる限り合理的な考えの上に築き上げられるべきものであって、組織とか自尊心の問題だけで真実を追究しようとする考えを妨げてはならないと思うものである。

 

確かにいかなる分野においても組織と個人の関係は難しいものではあるが、自分自身の意志で判断してより良いスタイルを求めようと決断したときにはその意志を貫くことが大切である。そしてそのあとも元の師範・先輩・同僚その他と良好な人間関係を保つことができればそれこそ人間として真に勇気ある行動と言えるのではないだろうか。

3. 岩間合気道に転換(入門)したいのだが、体術および武器技と内容が多すぎてどこから手をつけてよいかわからないと思うこと。

体術および武器技は並行して稽古する必要があり、それによって両者の理合が納得できる。

そして技の数が多いということはとっさの場合に応用がきくということであるからそれはより実戦的であるということを意味しており、それだけやり甲斐があるというものであり、春秋に富む若い人達にとっては特にそう言えるのではないだろうか。私のように50代になってから転換した者でも十分修得することができ、やればやるほど楽しみを感じるものである。

4. 合気道はあくまでも体術が主体であって、それができた上で補助的手段として武器技をやるかやらぬかは各人の自由であると思うこと。

現在の合気会本部の基本的考え方である。

実際の護身の場面で使われるのは「体術」が主体になることは事実であり、そういう意味では武器技は補助手段と言うことも可能であろう。しかしながら、大先生が昭和30年代以降岩間において完成された合気道すなわち岩間神信合気道では体術と武器技とが一体となっており、武器技は自由種目ではなく不可欠の必修種目であり補助手段ではない。

武器技の不可欠性については第7章(第三)の剣・杖・体術の理合を参照されたい。

5. 今まで長い間稽古してそれなりのものを持っているのだから、今さら新しいもの特に「武器技」を「素振り」から始めようとして人に頭を下げるのはバカバカしいと思うこと。

合気会合気道の有段者の大部分の方々ががこういう考え方をされておられるが、そういう自尊心を持ち続けたいと思われるのであれば現在のスタイルを精進される方がよいと思う。他のスタイルへ転換することの成否は現有の段級位に対するプライドを一旦はすべて捨て去ってしまい初心者の気持ちになれるかどうかにかかっているからである。「武器技」を経験してみようぐらいの気持ちでは結局中途半端な混合スタイル合気道になるだけである。(第8章 岩間合気道の注意すべき点「第五」参照)

6. 岩間合気道の体術の「固い稽古」は「力を使う古い形の稽古」であると聞いているので無理してやる必要はないと思うこと。

もし仮に自分が転換(入門)した岩間合気道が力を主体とするようなものであったならば、前章にも記述したようにそれは本当の岩間合気道ではないということである。( 第8章 参照 )

真の岩間合気道は初めの「固い稽古」の段階では「きびしさ」を身につけるためにどうしても力が要るものであるが、正しい「形」を身につけたときには次第に力が抜けて「呼吸力」主体で動けるようになるものである。そして「気の流れ」に入ると、受けは自由に攻撃し取りが受けの動きに完全に合わせることで合理的に技がきまる真の「気の流れ」となるのである。

さらに第7章の終りの方に記述したように良い指導者さえ得ることができれば、それは女性や高齢者にも適したスタイルであることは間違いない。

7. 岩間合気道に転換(入門)したいのだが、近くに良い指導者がいないこと。また全国的にみても岩間合気道を稽古する者の数は少ないから稽古相手がいないこと。

茨城県岩間の本部道場(岩間神信合気修練会)へ一週間以上の研修をお願いしてみるのが一番賢明な方法である。また組織とは関係なく全国の岩間合気道指導者や稽古相手についても齊藤仁平先生が一番良く把握されているはずであり、そちらへ質問されるのがよいと思う。(0299-45-3788 — 茨城道場(岩間合気道)/ 0299-45-2224 — 先生自宅)

平成15年11月「茨城道場(岩間合気道)」は「岩間神信合気修練会本部道場(胆練館)」に改編されたが、電話番号は変わっていない。また、現在齊藤仁平先生は紹介状があれば2〜3日の短期研修についてもこれを受け入れられておられる。私自身への問い合わせをいただいた場合にはできる限りの情報をお知らせすることにやぶさかではない。

8. 岩間合気道に転換(入門)したいのだが、稽古の相手や回数が十分にとれず普段は他のスタイルを稽古せざるを得ないため、結局どっちつかずの中途半端になってしまうと思うこと。

岩間での研修、または自分のできるだけ近くの岩間合気道愛好者との稽古はできないであろうか。一度岩間合気道の基本的なものが理解できれば、齊藤守弘先生・仁平先生の著書・ビデオなどを活用して研究することができる。

9. 岩間合気道というものの存在を知らなかったこと。

この論文のよってその概略を知っていただければこの上ない幸せである。

10. 合気道は趣味として楽しくやって健康に役立てればよいのであって、武道として追究する必要はないと思うこと。

そのまま現在のスタイルを続けられるのがよいと思う。ただし将来指導者になられたときには改めて自問自答しなければならないのではないだろうか。