* 『CONTACT
FROM THE UNDERWORLD OF RED BOY』
ロビー・ロバートソン (1998年)
1960年代〜70年代にかけて活躍したザ・
バンドのフロントマン、ロビー・ロバートソンがネイ
ティヴ・アメリカンの血を引いている、ということは当時はまったく知りませんでした。でも、ソロになってからの彼は、ネイティヴ・アメリカンのサウンドを
とりあげ、その精神を歌うことに中心を置いています。ロビー・ロバートソンにしろ、ジョニー・デップにしろ、白人社会の成功者としての地位につきながら、
自らの中のネイティブ・アメリカンの血を大事に思い、それを作品化することに力を注ぐ、というのは、それだけ彼らの置かれている現状が困難なものであるこ
と、正等に扱われていないことを訴える必要があるのだと気づかせてくれます。
このアルバムの中に『サクリファイス』という曲があります。
トム・ラブランクさんの本のところでも出てきたAIM(アメリカン・インディアン運動)の活動家であり、76年から刑務所に囚われているというレオナード・ペルティアの声がフィーチャーされた曲です。解説によればロバートソンが刑
務所内の彼に電話をかけ、それを録音したものだそうです。
歌詞(訳詞:国田ジンジャー)の一部だけを・・・
1976年からずっと刑務所にいる
オグララ・ラコタの事件に巻き込まれた
我々3人はそのFBI捜査官を殺したと起訴された
しかし俺以外は自己防衛だったと無罪になった
だが、俺の判決だけが別に行われ、
インディアンの陪審員が一人もいない状況で有罪がくだされた
・・・・・
だが、心の底では
誰かが犠牲になるんだと判ってる
・・・・・
数百年前に我々の祖先が体験した犠牲とは比較にならない
・・・・・
だから自分の犠牲なんて大したことはないのだ
捜査官が殺されたのがインディアン居留区の中であれば、誰かが結局は収監される、その誰かを救うために自分が犠牲となることを受け入れる、、、もしそう
いうことなら、果たしてそれでいいのだろうか、と疑問が残ります。でも、家族と共同体を想って、自分が犠牲になることを選んだ『ブレイブ』のラファエルと同じなのかもしれない、とも思います。
それでいいのか、それしかあり得ないのか、そこへ追い込んだ根本的な無理解と排除の歴史。白人の社会を守るために犠牲にされ、恐怖の対象としてイメージ
を植えつけられ、居留区へ追いやられ・・・、しかし、その根本にあるものが<神に選ばれた者>と
して正しいことをしているのだという信仰心なのだとしたら・・・視線はふたたび1600年代
の植民地時代へと戻り、そして現在のアメリカが<自由>の名のもとに行っている戦争への連鎖を考えずにはいられないのです。
|
少し視点を変えて・・・
『声の文化と文字の文化』のところでもちょっと触れましたが、
文字をもたない口承文化の担い手は、
現代人には失われてしまった自然の声、神(霊)の声を受け取る能力があったといわれています。
それは日本の『古事記』『万葉集』の頃とも共通します。
神託を受ける能力のある巫女はたいへん大事にされ、
そういう女性を妻にすることが部族を治めたり、国を治める上で重要でした。
額田王の詠んだ歌などは、そういう力をもつ歌として考えられていたようです。
トム・ラブランクさんの本の中で、
上空を旋回していた鷲がラブランクさんの肩に留まり、その鷲の声を聴いた、
というようなことが書かれているのも同じことなのかしらと思います。
人間は本当に自然の声を聴く能力が本来はあったのかしら・・・?
信じる、信じない、はもちろん自由なこと。
けれども誰にもそういう異なる文化のありかたを、<非文明>などと否定することは出来ないはずです。
私も、、、いろんな<声>に助けられた経験があるんですもの、、、
などと言ったら気味悪がられるでしょうか・・・?
ここに書いた事が、いろんなアメリカ映画や、小説を読む上で何らかの参考になれば幸いです。
恐怖の連鎖によって盲目的になるのではなく、
真実の声を自分自身で聴くことの出来る力を、、、
自分自身もそうでありたいと願って。。。
WAVES
へ La
Mareeへ