グレゴリー・マクドナルド著
 新潮文庫
The Brave ジョニー・デッ プ監督/脚本/
主演




Feb.2001 作成 (文中のリンクをクリックするとAmazon.co.jpなどのリンク先へとびます)     

 アメリカのミステリー作家、グレゴリー・マクドナルドが1991年に発表した小説を、1997年、俳優のジョニー・デップが初の脚本、監督を手がけ、み ずから主演して映画化しました。このふたつの「ブ レイブ」という作品を紹介したいがために、waves Vol.3でご紹介の、難しい「声の文化と文字の文化」という本を一生懸命読んだんです、というのが正直なところ。
「ブレイブ」とは、「勇敢な、勇気のある」という形容詞と、「勇士」とくに「北米インディアンの戦士」と いう名詞の意味があります。描かれているのは、現代社会に取り残されたような、トレーラーハウスの居住地、モーガンタウン。そこに暮らす人々。彼等は文明 社会が吐き出したゴミの山に住み、そこで得られる廃物を売ったりしながら、やはり廃物だったらしい壊れたトレーラーで生活しています。子供たちは学校教育 も満足に受けず、どうやら社会保障も受けていないような、社会からは忘れられてしまったかのような存在です。
 モーガンタウンはいわゆるネイティブアメリカンの居留区として描かれているわけではないようですし、ネイティブアメリカンの実状の確かなところは調べて いないのでわかりませんが、都市化が進み、経済が発展する一方で、先住民族は長い間迫害を受け、かつての暮らしぶりは強制的に奪われ、仕事も持てずに貧し い暮らしを余儀なくされてきたのは確かなことです。昨年のオリンピックでは、オーストラリアの先住民アボリジニの人々のことが世界的な話題になりましたか ら、想像しやすいことと思います。
「ブレイブ」という作品は、そんなネイティブアメリカンの若者が主人公です。



 小説と映画に共通する、冒頭のストーリーだけお話ししましょう。
 ラファエルという天使のような名前をもった彼は、バーで教えられた情報をもとに、あるオフィスを訪ねます。そこでラファエルは、事務所の男にいくつかの 質問をされ、そのあと仕事の(依頼人)のところへ連れて行かれます。その仕事とは‥‥。
 ネイティブアメリカンらしい勇敢な風貌と若者らしい美しい身体を差し出して、死と引き換えに、いくばくか のお金を受け取ること。
 ラファエルはまだ、はたちそこそこというのに、すでに二人の子供がいて、けれども仕事もなく、身体はアルコール浸けになり、収監された経験も。そんな 時、この(仕事)をもちかけられ、自分の家族が今の悲惨な状況から抜け出せることだけを思い描いて、拷問の末に殺されるという究極の仕事を選んだのでし た。
 社会から切り捨てられたネイティブアメリカン。快楽のためだけに拷問し、あげくに死んでいく者を眺めて悦びを得ようとする世紀末的な欲望。そこにからむ 貨幣というものの価値。家族に対する愛情。民族としての共通意識、誇り‥‥。
 そういったものが、小説と映画とでは、大きく描きかたが違うのです。そこには、先にご紹介した「声の文化と文字の文化」という本に通じるような、活字作品(小説)と映像作品(映画)の特徴がみられるようで、とても興味深いのでした。



1.契約という文字社会―― 小 説の「ブレイブ」
 
 ラファエルは、仕事を受けるために契約書を交わします。「おれ、三万欲しいんだけど」
 自分の命の値段を決めるために、ラファエルは2万5千ドルと値段をつける男に執拗に食い下がるのです。すったもんだの末、男は前金として250ドルの小 切手を出そうとラファエルに言います。残りは[仕事]が済んでからだと。
 ラファエルは、自分が死んだ後で家族がちゃんと金を受け取れるという証拠がほしいと訴え、男はそれなら契 約書を交わそうと言います。ラファエルは契約書というものを知りません。けれども紙を差し出され、そこに金額を書き、サインをするのだと教 えられ、決して自分が損をしないように、精一杯頭を働かせて男と交渉します。そして、交わされた契約書、というのが、この小説の(新潮文庫の)最後のペー ジに載っているのです。(これは非常に大きな意味を示しているので中身は書きません)
 ラファエルはこの[契約書]を、遺される家族への保証として大切に持ち帰ります。
 現代社会の中で、人間として扱われるための最低条件として求められる読み書き、これが、こ の小説では徹底してラファエルにつきつけられていくのです。
 男はラファエルに前金として250ドルを渡すことにし、事務所の男に50ドル札5枚を預け てこれで銀行に口座を開いて来い、と指示します。そしてラファエルは、生れて初めて銀行へ行き、初めて自分名義の口座を開く、ということを体験するので す。もうおわかりだと思いますが、窓口でつぎつぎに見せられる手続きのためのたくさんの書類、契約書、名義人の署名、妻との共同名義にするための郵送書 類、それら現代の契約社会を象徴するさまざまなものが、文字を満足に読み書きできないラファエルの尊厳をことごとく潰していくのです。
 サインを求められて、ラファエルはたどたどしくアルファベットを綴ります。RAFEL、 と。 
「名字のほうは? お書きにならないんでしょうか?」
係の女性にいわれてラファエルはまた机にかがみ込みます。名字はブラウン。‥‥BROON
 銀行を出て、ラファエルの手元に残ったお金は200ドル(50ドルは口座の開設に使ったので)。それを持ってラファエルはショッピングセンターで、妻や 子供へのありったけのプレゼントを買おうとします。そこでも値札と所持金と、計算という厄介なもの、そして何よりみすぼらしい身なりのマイノリティに対す る軽蔑の眼差しが、ラファエルのプライドを傷付けていくのです。
 小説ではこのように、ラファエルの無知と、それに対する社会の苛酷な現実と、モーガンタウンの救いのない有り様が、これでもか、と冷徹に描かれていきま す。ラファエルの尊厳を踏み潰していくことで、現代社会の中の「ブレイブ」とは何か、を考えさせられる、重 い重い小説なのです。
 そして、物語を読み終わって、最後のページに載っている、ラファエルが男と取り交わした[契約書]を見る時、わたしたちは再び文字を、文章の意味をつき つけられるのです。
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2.信頼という人間関係―― 映 画の「ブレイブ」

 これが映画になると、描きかたはまったく別のものになります。
 ジョニー・デップは、実の祖母が純血のチェロキー・インディアンだったと解説には書かれています。そのせいもあるのでしょう。デップは、「ブレイブ」の 他にも、95年にジム・ジャームッシュ監督の「デッ ドマン」という映画で、まだネイティブアメリカンが本来の生活を細々と続けていた19世紀末を舞台に、ウィリアム・ブレイクという 名前で(もちろんこれは詩人のブレイクを象徴していますが)、聖霊たちと共に暮らすネイティブアメリカンの世界を旅する男を演じています。
「ブレイブ」の映画の中での、デップの漆黒の大きな瞳と、長い黒髪と、つややかな肌は、とても美しいものです。そしてラファエルという天使のような名前。 「シザーハンズ」からしてそうでしたが、哀しいほどに無垢な魂を持った青年をやらせたらジョニー・デップの右に出る者はいないでしょう。彼の表情と演技が あるがゆえに、「ブレイブ」は小説の苛酷さとは正反対の映画になっているのです。
 小説ではラファエルは、実際に人間が殺されるところを撮影して売るためのスナッフムービーの素材として仕事をすることになっています。狂ったビジネスの ためなのです。ところが映画では、スナッフムービーという言葉はあまり強調されていません。ビジネスのためというよりも、ただ一人の男の純粋な(異常ではあるが)快楽のためだけに命を求められるのです。その男を演じるのがマーロン・ブランド。ブランドは「ドンファン」でもデップと共演し、彼の魅力に完全に惹きつけられ、 「君はシェイクスピアを演じるべきだ」というようなことまでデップに語っています。狂気の男を演じさせたらやはり右に出る者はいないマーロン・ブランド は、苦痛と死への倒錯をラファエルに語ります。
  激痛を伴って死ぬ時、その人の究極的な勇敢さが分かる。
といい、うっとりと涙さえ浮かべながら、
  死がついに我々の肉体に訪れ、最初で最後の訣別をする時、
  我々は勇気があれば死を歓迎できる。
と話しつづけるのです。小説に登場した契約書は、映画ではまったく存在せず、男はラファエルを見て、全額の5万ドル(前金としてその3分の1)をあっさり と手渡すのです。
  君のような精神や文化、正直さを持った者は、金を持って逃げはしない。
 男はラファエルに完全に魅せられ、全く異常な仕事とはいえ、二人の契約は信頼によって結ばれるのです。

 さて、小説でラファエルが手にするのはたったの200ドル。映画では5万ドルの3 分の1が手渡されます。死までの残された時間をラファエルは、家族のために、そして同じように死に瀕しているネイティブアメリカンの社会す べてのために、精一杯つくそうとするのです。それは美しいファンタジーのようでもあるのですが、デップのマイノリティに対する眼差しと、せめてもの希望と が描かれているように思えます。
 詳しいことは省きますが、ラファエルは手にしたお金を惜しげなく使って、モーガンタウンの人々みんなのためにパーティーを開きます。ここで登場する町の ひとびとのユニークで魅力的なこと。ラファエルの父親を演じるのは、映画「ダンス・ウィズ・ウルヴス」でもインディアンの長老を演じたフロイド・[レッドクロウ]・ウェスターマン。自らインディアン運動家でもあり、シンガーとしても有名 な彼は、今度の映画の中でも特別な存在で、パーティーでは歌を披露し、息子のラファエルには民族の教えを伝え、わたしたちにはわからない言葉で精霊たちと 交わります。そして、これは友情出演でしょうが、イギー・ポップが[鳥の脚を食べる男]とい う役で出てきます。本当にただ大きな鳥にかじりついているだけなのですが、ファンにとっては強烈な存在感がたまりません。ジョニー・デップの人間的魅力が マーロン・ブランドを始め、これらの大物を友情出演させてしまう楽しさにつながっているはずです。
 映画には文字を書くシーンはまったくと言っていい位でてきません。小説が「ブレイブ」を打ち砕くことで「ブレイブ」の意味を浮き上がらせたのなら、映画 は、ネイティブアメリカンの社会における、人と人との語り合いから生れる信頼だけで「ブレイブ」を描いているのです。
 そして、最初に信頼だけを担保に大金を与えられたラファエルは、その金をある人に託して死んでいこうとし ます。事前に妻に渡せば、殺されるような場所へ夫を行かせるはずがないからです。命と引き換えの金を手渡し、それを家族とモーガンタウンと いう絶望的な共同体のために間違いなく使ってくれることを信じて信頼を託す相手とは‥‥。そして、殺されることをわかっていながら、この大金を預からなけ ればならない立場におかれた苦悩は‥‥。
 この大切な人のことを書きたいのですが、やはりやめておきます。最後は涙でぼろぼろになってしまいました。

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 小説も、映画も、まったく前知識などなくエンターテイメントとして観られる作品でもあります。映画は、中学生くらいが見ても(私は)べつにいいだろうと 思います。ネイティブ・アメリカンのことをきちんと知りたかったら、もちろん「ダンス・ウィズ・ウルヴス」と か、「ラスト・オブ・モヒカン」の方をお勧めしますが‥‥。
 先に紹介した「声の文化と文字の文化」も、きっととても参考になるでしょう。声の文化が大切にしてきたものと、文字の文化によって失われたもの、そし て、あともどりは決してできないから、文字の文化が支えていかなければならないもの、でも、決して忘れてはならないもの‥‥。
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映画「ブレイブ」の情報はこちらです。
   The Internet Movie Database(英文です)>>
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映画「ダンス・ウィズ・ウルヴス」はこちらです。(同じ)>>
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