3.声の文化の特徴と、文字の文化の特徴
こんな私の一方的な解釈だけ書いていたのでは、この本の論旨を歪めてしまいそうな不安もありますから、第3章の「声の文化の心理的力学」の中にある、「声の文
化にもとづく思考と表現のさらなる特徴」という項目を、文字どおり、項目だけ挙げておきます。声は、とどめておくことのできないものです
し、もういちどとりもどすためには、思い出す、というとても不確実な方法しかないものですし、声はただ独りで発していても何にもならないものですから、そ
こには聞き手、さらには聴衆という対象が必要になり、声の発し手と聞き手の関係は、集団とか共同体をつくりだすものです。このようなおおまかな前提をふま
えて、「声の文化にもとづく思考と表現のさらなる特徴」の項目を読んでみて下さい。
(1) 累加的であり、従属的ではない
(2) 累積的であり、分析的ではない
(3) 冗長ないし「多弁的」
(4) 保守的ないし伝統主義的
(5) 人間的な生活世界への密着
(6) 闘技的なトーン
(7) 感情移入的あるいは参加的であり、客観的に距離をとるのではない
(8) 恒常性維持的
(9) 状況依存的であって、抽象的ではない
これらの特徴は「声の文化」を否定的に捉えるものでは決してありません。認識しておかなければならないことは、私
たち現代人は、もう「声の文化」に属していた人々の能力とか思考形態などをすでに失っている、と解かっていなければならないということです。人間が生身の
身体だけで厳しい自然と対峙して、何とか生き続けていかなければならなかった社会状況とも全く異なってきていますし。それなのに、形だけ、イメージだけ
で、声の文化を真似ていることには、いくぶんかの危機的なものを感じてしまいます。
最後に、「文字の文化」における文学(literature)について。
最終章「いくつかの定理[応用]」の中に、次のような文章があります。著者はフランスの哲学者ジャック・デリダの言葉を引いています。
デリダの結論は、文学は、そして言語それ自身もまた、それ自身の外部にあるなにかを「表象[表示]するも
のrepresentational」でも「表現するものexpressive」でもない、ということである。文学は、パイプラインがものを伝えるように
なにかを指示するものではないから、したがって、文学はそもそもなにものも指示しないし、意味しもしないのである。
だからこそ私たちは一生懸命考えるし、考えるために言葉は必要なんだと思いますし、私がいつまでもこの「言葉」と
いうものにかかずらっているのも、このためなんだと思います。グルーヴしてるのは楽しいし、気持ちいい。でも、気持ちいいことは、いつまでも続かない、で
しょ。