Patti Smith - 魂に守られ -

Mar. 2002 作成   (文 中のリンクをクリックするとAmazon.co.jpなどのリンク先へとびます)

 ロックアーティストで詩人でもあ るPatti Smithが、これまで活動してきた軌跡をまとめたアルバム「Land (1975-2002) - Greatest Hits」 (ランド1975‐2002グライテストヒッツ)が2002・4・24に発売されま す。現在55歳のパティにとって、27年目にして初めてのベスト盤になります。
 27年という時間を自分に当てはめてみれば、子供だった自分がひとりでものを考えられるだけの思考力 ができてから今までの、全ての時間と重なり合っていて、その間ずっと私は彼女のファンだから今更というかあらためてというか、パティを語ろうなどとは思っ ていませんでした。おそらくいろんな雑誌が彼女のDiscographyやBiographyを語ってくれるでしょう。今回、少し気まぐれで彼女のことを 書いてみようと思い立ったものの、きっと雑誌などを読んだら自分で書くのが恥ずかしくなってしまいそう。だから、先に書いてしまいます(笑)。Patti をめぐる "waves"のひとつとして、今の思いをほんの少し。
 Patti Smithは1946年12月生まれ。本を読むことが好きで、「若草物語」のジョーが大好きだった病弱な少女は、やがて詩に目覚めランボーに憧れるように なります。大学時代、教授と恋におち女の子を産むのですが、健康も生活力も無かった彼女は子供を里子に出して働き始めます。そして詩人を夢見てNYへ出 て、写真家の卵だったロバート・メープルソープや、戯曲を書き現在は俳優でもあるサム・シェパード、やはり詩人でミュージシャンのルー・ リードや、画家のアンディ・ウォーホールなどと交流した後、勧められて自作の 詩を演奏にのせて歌うようになります。これが彼女のアーティスト人生の始まりでした。
 1stアルバムは75年でパティが28歳の時ですからデビューとしては遅い方。そして彼女のロックン ロールと詩のパフォーマンスはNYのライブハウスを中心に話題を集め、79年までに4枚のアルバムを制作し、精力的に全米、ヨーロッパと演奏旅行を続けて いきますが、79年にパティはいっさいの活動を止め、フレッド・D・スミス(元MC5のギタ リスト)との結婚生活に入ります。これが33歳の時。
 再びパティがメディアの前に姿を現したのは、9年後の88年のアルバム「Dream  Of Life」(ドリーム・オブ・ライフ)で、パティは41歳になっていました。・・・このアルバム発表の直前に元恋人のメープルソープがエイズで死亡、翌年にはバンドメンバーのリ チャード・ソルを失い、次回作のアルバム制作を始めようとしていた94年には夫のフレッドと 弟のトッドを相次いで亡くすのです。復帰第2作はこうして多くの魂を見送った鎮魂のアルバム「Gone  Again」ゴーン・アゲイン)(96年)となりました。しかし、このアルバム発表直後からパティは精力的に活動を再開し、翌年には50歳にし て日本での初ライブを行ないます。それから現在までにさらに2枚のアルバムを発表し、昨年01年には夏の野外フェスに出演のため来日し、今年もまた来日が 予定されています。
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1.ニューヨーク 75年〜79年

 私は自分ではロックの世代からは少し遅れて生まれたと思ってきました。若いコに話すと不思議な 顔をされるけれど、たとえ4歳でモンキーズを聴こうと、エルヴィスやビートルズを耳にしようと、彼らはもう同時代ではなかったし、Deep Purple もLed Zeppelinもプログレッシヴロックも一番面白い時代は過ぎていました。同級生がそろそろロックのアルバムを貸し借りし始める頃、雑誌のあ まり目立たないあたりにNYからのレポートが載るようになりました。クイーンやKISS、エアロスミスなどが大人気の一方で、その[NYアンダーグラウン ド]の動きは、なんとなくクールでかっこ良く思えたし、次第にラジオで紹介される音を聴けば、ヴェルヴェットアンダーグラウンドやドアーズの流れをもった ダークさと、醒めているようでいて狂気を感じさせるヴォーカルスタイルと、それまでのハードロックがつくりあげてしまった型をまるでぶち壊しにしたギター ワークが、とても新鮮で・・。そんなミュージシャンたちの活動拠点がCBGBというライブハウスで、どうやらそこでは新しいバンドが次々に生まれているら しかったのです。
『CBGB 伝説−New York Punk History』(1990年 CBSソニー出版)という本があります。(現在入手不可)

  1973年秋のこと。ニューヨーク・シティの 尖端的地域であるウェスト・ヴィレッジの住人たちは退屈していた。・・・
 という文章でこの本は始まります。

 70年代初頭には、60年代半ばのヴェルヴェッ ト・アンダーグラウンドやアンディ・ウォーホールのエクスプローディング・プラスチック・イネヴィタブルから派生した、ニューヨークを中心とするアンダー グラウンド・シーンもあったのだ。70年代の初めまでに、ヴェルヴェッツはすでになく、ルー・リードは活動休止状態にあったが、それでもなお、郊外のバッ ド・ボーイであり女装のマッチョ集団、ファンキーながらシックなニューヨーク・ドールズがいた。(p37)

 ロック界の大物は巨大なスタジアムに大観衆を集めたライブを行なうようになっていましたが、 NYっ子たちは毎晩ギグを見られる場所を求めていました。ドールズを始め、NYには新鮮で過激なバンドが生まれ出していて、彼らを引き受けたのがCBGB だったのです。

 そのCBGBでのライブを写したフォトは本当に記憶に残っています。膝をぼろぼろに破いたジー ンズと革ジャンでマイクスタンドにしがみついていたRamonesのジョーイ・ラモーン。金 髪を綺麗に短く刈りそろえて、長い長い体をすこし猫背気味にしてフェンダームスタングを弾いているTelevision のトム・ヴァーレイン。フランスの詩人ヴェルレーヌの名を英語読みにしたこのヴァーレインが当時のパティ・スミスの恋人で、これは水上はる こさんのレポートだったと思いますが、手元に残っていないので正確ではないけれど、「時々きっと上を見据えてランボーの詩を暗記しながらパティが楽屋を歩 き回り、3分に1度、トムと抱き合ってはキスを交わしていた」(*註)・・そんな文章がNY のライブハウスの匂いを子供の私に生き生きと伝えてくれました。
 水上はるこさんが「ミュージック・ライフ」「jam」という雑誌に書 いていたPUNKシーンのレポートは今でも『さ よなら ホテル・カリフォルニア』(シンコーミュージック発行)という本で読むことができます。パティ以外にも、シド・ヴィシャスや、ブルース・スプリングスティーンの 当時の貴重なインタビューが収められています。水上さんは74年にNYで暮らしていたそうですが、その時パティ・スミスと同じアパートにいたことがある、 と書かれています。

  朝起きると、トム・ヴァーラインが、長くて白 い足をベッドから30センチくらいはみ出して、パティの肩を抱いて眠っているのが見えた。パティは歌を歌いながら台所の床を掃除して、それから泡をいっぱ いたてて風呂に入った。
 トムとパティが出かけたあと、ふたりの部屋をのぞきに いった。(中略)ベッドのスプリングがこわれてまん中に大きな穴があいていた。人間らしい生活の匂いがまるでない粗末な部屋だ。・・・(略)  (「さよ うなら パティ」より)

 NYのかけだしのアーティストがどんな暮らしをしているのか、それを垣間見せてくれた水上さん のレポートは、ティーンエイジど真ん中の子供をどれだけ刺激したことでしょう。私の人生は今もなおこの頃かかった熱病に冒されたままのような気がしま す・・。
 自分でもロックバンドを始めたこの当時、しのびこんだ大学のライブ会場で髪の長い学生に声を掛けられ て、缶ビールを片手に、煙草を私にすすめた彼は、私を見おろして聞きました。
「誰が好きなの?」
「パティ・スミスとテレヴィション」
「へえぇ、パティ・スミスはいいよね。ニガニガニガニガ、ロックンロールニガー、だ。・・・で、バンド 組んでるって? ギタリストなの? かっこいいね、パティもやるの?」
 私はうなずいた・・・けど、嘘でした。私のクラスには誰もパティを聴く人なんていなかったし、バンド でやっていたのはエアロスミスとKISSとBlack SabbathのParanoidだったから。もちろん私も楽しんでそれをやっていたのだけれど、 病弱で痩せっぽちの女の子がやがてNYで詩人になり、多くの男たちに愛されロックスターになる・・下手っぴながらも私も、自分の詩を送っては雑誌に何度か 載せてもらっていました。パティは私の永遠の憧れになりつつあったのです。
 ところが・・・
 スターダムに駆け上がったパティは、ステージから転落して頚椎を折る大怪我さえ克服して再度ステージ に立ったというのに、アルバムデビューからたった4年間で人々の前から姿を消します。愛する男性と人生を始めるために・・そういろんな記事には書かれてい ました。

*註:折よく用事で故郷へ戻り、 Televisionの1stアルバム「Marquee Moon」(マーキームーン)(77年)のライナーを見ていたら大きな間違いに気づきました。確かにNYパンクの名所となったのはCBGBだった ようですが、この楽屋風景は同じNYでも、ヴェルヴェットアンダ−グラウンド等が出演したマクジス・カンサス・シティだったそうです。以下、水上さんのラ イナーより・・

  リチャード・ヘルが頭にオレンジ・ジュースを ふりかけている。ビリ−・フィッカが口にスティックをくわえて廊下でさかだちをしている。パティ・スミスとトム・ヴァ−ラインが抱き合って1分に1回、キ スをしている。リチャード・ヘルがファンからもらったTシャツに、ジョキッとはさみをいれて切りきざんでいる。・・・

 1分に1回だったのね(笑)、パティ。(4/21訂正)

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2.パティが見送った魂とパティを見守る魂。

 パティが8年ぶりにアルバムをつくっている、とかすかな情報がもたらされた頃、私はすでに社会 人になって仕事をし、そのかたわらで小説を書き、タウン誌でバンドの紹介などをしていました。ロックからはそうやってなんとか離れずにいたのです。
 アルバム発売前に1枚だけ雑誌で見たパティの写真は、最先端のアーティストとして名声を得、衝撃的な 問題作を数々発表しつづけていた、旧友メープルソープによるものでした。とても優しい写真。白髪の混じり始めた髪を左右2本ずつの細い三つ編みにして横を 向くパティの顔は、男物の革ジャンを着ていてもまるで少女みたいで。きっと、幸せなのだろう、と私は感じました。タイトルが「Dream Of Life」なのだもの。・・そして、待ちに待った復帰作のシングルナンバーは「People Has The Power」(人々には力がある)という全世界の人間へのエールでし た。
 私ももちろん感激したし、パティを待っていた全ての人が狂喜したはずです。ライナーノーツを書いてい る森脇美貴夫氏、鳥井賀句氏、吉田忠利氏の感極まりようが今読み返すと、くすくす笑ってしまうくらい可愛らしいのですから。みんなパティを愛し続けた男の 人ばかりなのですよね。
 このアルバムにはパティが息子に歌いかける「The  Jackson Song」という曲があります。全世界に向けて人々の自由や権利を叫ぶ時のパティの声は低く、太く、時には怒気を帯びてい ますが、その一方でとても優しい慈愛にみちた歌い方もします。これは母になったパティの声だ、と思いました。
   困難にあった時は 見るだろう
   戦士の翼を 父のことを思い起こせ
   そして もし母親鳥が
   翼をたたむのを見たら 私の事を思い出すだろう  (歌詞カードより)

 でも・・このアルバムを聴いていた人の中で、次回作がレクイエムになることなんて、いったい誰 が想像したでしょう。
 2000年にパティのアルバムの全ての詩と短文をまとめた『Patti  Smith Complete パティ・スミス完全版』(アップリンク発行)という本が翻訳されました(2004現在この本は在庫切れのようで す。US 版は入手できます>>)。そこでは、先の「Dream of Life」のアルバム と、次の「Gone Again」との間に4人の男性の名前と写真が掲載されています。最初 は89年に死亡したメープルソープのセルフポートレイト、その次が90年のリチャード・ソル、そして夫のフレッド・スミス、最後は弟のトッド・スミス。写 真は弟のトッドだけ、肖像のかわりに星条旗が写っています。なぜなら、70年代のパティ・スミス・グループの時から、パティはライブ演奏をするときいつも 旗を会場に掲げていましたが、その旗を掲げる役目は弟のトッドだったといいますから、きっとそんな思い出をこめたのでしょう。
 神様はパティを、まるで死者の魂をなぐさめ死者のために祈りと歌を捧げる尼僧に任命されたかのよう に、この鎮魂の作品となった『Gone Again』(ふたたび去りゆく)には、亡き人への歌ばかりが納められています。「Gone Again」はもち ろん夫のために、「About A Boy」(ある青年について)はニルヴァーナのヴォーカリスト、カート・コバーンへ捧げられ、そして、 「Beneath the Southern Cross」(南十字星の下で)という歌では、この世の肉体がどこでもなく何者でもない存在へと還っていく ことを歌っているように思えますが、その最後に、天空へ向かって歌う天使のような美しいファルセットが少しだけ流れます。それを歌っていたJeff  Buckleyも翌年には亡くなってしまい・・。
 パティの歌は、結婚前には戦いを挑むように激しかったけれど、世界のさまざまな飢えや圧制に目を向け 続けてきた彼女が母親になって戻ってきた後には、その声はむしろ救済やいたわりを感じさせるものになっていました。そういう彼女の姿勢に真っ向から挑むか のように、これでもか、というほどの試練をパティは経験しなければならなかったのです。この『Gone Again』を発表した翌年の1月、私はパティの 初来日ライブを見ました。愛する人を失ったことを知っているこちらの方が、来日の喜びと居たたまれない思いをどうしていいかわからない状態でパティをずっ と緊張しつつ見ていました。時に祈りを捧げるように厳かに歌い、憑かれたように宙空の魂と叫びを交わし、それでもパティは曲の合い間に会場を見おろし、観 客に親しげな言葉をかけ・・・今思えば、複雑な感情そのままのようなステージでした。そしてそこには、パティと共に70年代からずっと彼女を支え見つめて きたギタリストのレニー・ケイや、彼女の新しい恋人、やはり詩人でもありギタリストでもある青年オリバー・レイが、彼女を見守っていたのです。先の完全版 の本はパティ自らが書き下ろしたものですが、この中にはオリバーの写真がたくさん載っています。まるで自分の愛する若者をたくさんの人に紹介したいかのよ うです。CBGBの楽屋で「3分に1度」抱き合ってキスを交わしていた頃とまるで変わっていないパティ。
 この初来日時のレポートはたくさん読んだけれど、手元にとってあるのは『rockin'on』97年3月号です。この中でパティは、活動をいっさいしなかった間、とても質素 に暮らしていたと語り、
 
 『キャリアウーマンになりつつ、子供を幸せに育て、 アーティストにもなろう』なんてだいそれたことは考えないこと、これが大事なの、家族の面倒を見るというのはそれだけで本当に大変なお仕事だし、それに とっても重要な仕事なのよ。(中略)家を見るだけでも、これだけでまぁ。やっぱり本当にしんどい・・・。実際、やめたくなるんだもの(後略)

 と素直に答えています。私事でなんですが、私がパティを本当に好きだというのはどうやら周囲が 私を見るイメージにもなってしまっていたようで、いつか友人に「今日はアイロンがけをして・・」と話したら「パティを聴く人がアイロンがけ?」と笑われた ことがありました。でもね、パティは床磨きだってお洗濯だってちゃんとしたのよ、きっとアイロンだってかけたと思うな・・。パティはこれまでフェミニズム の観点から語られたり主張したりしたことはほとんどなかったように思います。女としての自立などより、人間としての責任にめざめることを先に考え、でも、 苦しい時には家族や友人の力を借り、支えられていることに心から感謝をする・・。
 そんな彼女だったからこそ、多くの男たちが彼女を愛し、ずっとずっと長い間、友人として彼女に手を差 し伸べつづけているのでしょう。
さて、私の話はこんなところで、それでは、パティのアルバムを聴くことにしましょう。そのあとで何か書 くかどうかは、今のところ未定・・・。(4/18)


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3.パティ・スミスの旗

今回の「Land」には収められてはいないけれど、パティの歌でずっと好きだったものがある。
4thアルバム「wave」 (ウェイヴ)のラストから2曲目「Broken Flag」
  裂かれた大地、流される涙、そして、破れた旗・・
  しかし、わたしたちは歩き続けるだろう、
  空には破れた旗がずっとはためきつづけるだろう、
と、そんな内容の歌。

79年頃の雑誌のグラビアで、パティは肩に星条旗をまとい、カメラに向かって敬礼をしている。
パティにとって「旗」はずっとバンドと共にあった。「旗」とは「星条旗」、それをライブ会場に掲げるこ とが70年代当時の彼らの意志だった。
ある土地に生まれた以上、人が必ず属して生きなければならない国。
人は自分の属する「旗」の色のために縛られ、
「旗」の力のもとで簡単に踏み消されてきた多くの歴史。
そして、ある力が結集してひとつの旗が倒された時、再び空に掲げられるものもまた、新しい「旗」。
パティの「星条旗」は、昨年の9/11以降、どんな風を受けて空に翻っているだろう。
去年のフジロックフェスのラストでも、観客に向けて厳かに敬礼をしたパティ。
その右手は今度は、何に向けてかざされることになるのだろう。
今回の「Land」には2002年の元旦に彼女が私達に向けて書いたメッセージが載っている。
そして、ライナーの最後のページには、硬く紐でくくられた「旗」の写真。。。

そんなことを思いつつ、CD屋さんがおまけでくれ たポスターを見ています。
デビューしたばかりの頃のあどけないほどに可愛らしい表 情のパティ。
今年の夏、ふたたびあなたがメンバーと共にやってきて、 入道雲と昆虫たちと、それから背高のっぽのトム・ヴァーラインまでもがあのステージに立つなんて、79年を過ごしたファンの誰が想像できたでしょう。
誰かがドアをノックしている・・まだ何か起こりそうな気 がするね。(4/25)


夢のあとで・・

 パティのことを書いてから4ヶ月、フジロックからもひと月以上が経って、そろそろフジロックの レポートを載せた雑誌が読めるようになってきました。まだ1、2冊をパラパラ眺めただけだし、WOWOWの放映もまだ見ていないけど、きっと時間が経って から見ると、別のものが見えたりするんだろうな・・
 レポでは書かなかったけれど、ずっと心に引っかかっていたことがあったので、少しだけ。。

 パティはステージで私たちに何度も戦争の悲劇と、平和を願い続ける大切さを訴えていました。そ して、ヒロシマ、ナガサキを決して忘れないように、と。・・おそらくパティはここが日本で、オーディエンスのほとんどが戦争を経験した事の無い日本人の若 者だということを考えてそう訴えていたのだろうけれど、パティの声を聞きながら、私は少しちがうことを考えていました。
 ・・たぶん日本人は、(他国の人に較べてだけれど)ヒロシマ、ナガサキを忘れる事はないでしょう。日 本人に必要なのは、ヒロシマ、ナガサキを思い起こすこと以上に、現在の世界の中で起こっていることをもっとよく見ること、、なのではないかしら・・と。フ ジロックのあの場所が本当にピースフルな場所で、3日間ロックだけの非日常的な祭りのために集まった、とても幸せな私たちだからこそ、過去へではなくて、 現実の今の世界をひととき見つめ直すこと、、。
 パティは自分のお父さんのことに触れて、「私の父は第2次大戦に従軍した。けれども彼は罪のない人間 を殺すために戦争にいったのではない。平和を(自由だったかもしれない)求めるために行ったのです」・・と、確かそういう意味のことを話しましたが、(そ れは違うよ)とその時私は思ってました。戦争はいつだって人を殺すためのもの、それが戦争。自国の自由と平和を求める意志は、それがアメリカでも、パレス チナでも、アフガニスタンでも、そこの国の人間はみなそう考えて、でも、そのために罪の無い人間を殺すのがそれが戦争。。。パティのライブを経験した(戦 争を知らない)人たちが、自分のおじさんや、おじいさんが従軍した戦争について、もしも何かしらノスタルジーを感じたとしたら(本当は最近とてもそのこと が気になっているのですが)、それは違うよ、と伝えたい。
 
 パティのことは、もちろんとても好きだし、亡くなった夫フレデリックのことや、お父さんのこと、今の 恋人のこと、いつでもその時、その時の自分を表現してきたパティの正直さにとても惹かれます。そしてパティと共に、本当にロックンロールが好きで好きでた まらないレニー・ケイの事が、前以上に私は大好きになりました。バイクに乗って、書き物をして(レニーはライターでもあるから)それで、夜は小さなライブ ハウスで若いロックバンドを見る。それが一番好きなことみたいで、フジロックでもふら〜っとひとりでマーキーを覗きに来ていたレニー。70年代のNYシー ンを語るヴィデオには必ずと言っていいほどレニーのコメントが入っていて、ジョーイ・ラモーンも亡くなって今や一番の兄貴みたいになってしまいましたが、 物静かでも、とても熱いロックンローラーであるレニーの存在がなかったら、70年代も、今までも、こんなにパティを好きでいなかったかもしれない・・。 『戦争を忘れるな』と叫んだパティに感動した、という声を聞けば聞くほど、ちょっとだけ複雑な思いが私の中にはひろがります。
 レニーだったらきっと、ただ、『ロックンロールを忘れるな』・・と、そう言うのかもしれないね。 (Sep.1,2002)


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*最近のパティ・スミスの活動は ロックの枠を超えて文学、アート、平和運動など多岐に渡っています。
パティ・スミスやTelevision、NYパンクに関するリンクをまとめてみました。


<Patti Smith Net>
Columbia RecordsのPatti Smith オフィシャルサイトです。>>

<Patti Smith News> 
オフィシャルサイトではありませんが、パティ・スミスの活動やメディアの情報がとても詳しいサイトです。 (英文です)>>
Kennedy Center Milennium Stage
2003.1.4に行われたケネディ・センターでのアンプラグドLIVEがみられます。>>
 Sunday Herald掲載のインタビュー記事(英文です)
 70年代パンクロックの生き証人などではない、現在のパティの様子がよく語られている記事だと思います。 ロックの枠組みを超えたアーティストとしてのパティの活動が今後もっと日本でも紹介されていくことになるでしょう。>>
CBGBのオフィシャルサイ ト。The Shrineの中に70年代アーティストの写真が
たくさん載っています。>>
ラモーンズのジョーイ・ラモーン(2001年に癌の ため死去)のNY PUNKへの功績を讃えて、CBGB近くのバワリーとセカンドSt.の角が“JOEY RAMONE PLACE”と名付けられまし た。
2003年11月30日に行われたセレブレーションの模様がCBGBのサイトでストリーミングされています。ラモーンズのメンバーほか、トーキング・ヘッ ズのメンバー、パティ・スミス・グループのレニー・ケイらのスピーチの様子が見られます。
 Joey, Forever!!
JOEY RAMONE PLACE CELEBRATION>>
ジョーイ・ラモーンのサイト JOEY RAMONE COM.
サウンドクリップでジョーイの優しい歌を>>
Patti Smithに関連するCDリストです。(Barnes &Noble.com)>>
  意外な発見があるかもしれません。
Television情報はこちらです。UKの公認サイトです。 (The Wonder)>>
  NewsやPhotoなど。
<Richard Lloyd Com>
Televisionのギタリスト リチャード・ロイドのオフィシャルサイトです。

  TelevisionのツアースケジュールやNewsなどはこちらで>>

リチャード・ロイドのソロアルバム「Cover Doesn't Matter」(2001年)>>

Televisionおよびトム・ヴァーレインのソロワークについては
    「ももの音棚」にまとめました>>

ブログ<星のひとかけ>の中の、TelevisionおよびTom Verlaineに関するカテゴリです。
  最 近のNewsについてはこちらをどうぞ>>

 <LIVE REPORT>
FUJI ROCK FESTIVAL '02 に行きました。レポはこちらです>>    
赤 坂BLITZでPattiを見てきました July.18,2003  レポはこちらです>>



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