1.ニューヨーク 75年〜79年
私は自分ではロックの世代からは少し遅れて生まれたと思ってきました。若いコに話すと不思議な
顔をされるけれど、たとえ4歳でモンキーズを聴こうと、エルヴィスやビートルズを耳にしようと、彼らはもう同時代ではなかったし、Deep Purple
もLed Zeppelinもプログレッシヴロックも一番面白い時代は過ぎていました。同級生がそろそろロックのアルバムを貸し借りし始める頃、雑誌のあ
まり目立たないあたりにNYからのレポートが載るようになりました。クイーンやKISS、エアロスミスなどが大人気の一方で、その[NYアンダーグラウン
ド]の動きは、なんとなくクールでかっこ良く思えたし、次第にラジオで紹介される音を聴けば、ヴェルヴェットアンダーグラウンドやドアーズの流れをもった
ダークさと、醒めているようでいて狂気を感じさせるヴォーカルスタイルと、それまでのハードロックがつくりあげてしまった型をまるでぶち壊しにしたギター
ワークが、とても新鮮で・・。そんなミュージシャンたちの活動拠点がCBGBというライブハウスで、どうやらそこでは新しいバンドが次々に生まれているら
しかったのです。
『CBGB
伝説−New York Punk History』(1990年 CBSソニー出版)という本があります。(現在入手不可)
1973年秋のこと。ニューヨーク・シティの
尖端的地域であるウェスト・ヴィレッジの住人たちは退屈していた。・・・
という文章でこの本は始まります。
70年代初頭には、60年代半ばのヴェルヴェッ
ト・アンダーグラウンドやアンディ・ウォーホールのエクスプローディング・プラスチック・イネヴィタブルから派生した、ニューヨークを中心とするアンダー
グラウンド・シーンもあったのだ。70年代の初めまでに、ヴェルヴェッツはすでになく、ルー・リードは活動休止状態にあったが、それでもなお、郊外のバッ
ド・ボーイであり女装のマッチョ集団、ファンキーながらシックなニューヨーク・ドールズがいた。(p37)
ロック界の大物は巨大なスタジアムに大観衆を集めたライブを行なうようになっていましたが、
NYっ子たちは毎晩ギグを見られる場所を求めていました。ドールズを始め、NYには新鮮で過激なバンドが生まれ出していて、彼らを引き受けたのがCBGB
だったのです。
そのCBGBでのライブを写したフォトは本当に記憶に残っています。膝をぼろぼろに破いたジー
ンズと革ジャンでマイクスタンドにしがみついていたRamonesのジョーイ・ラモーン。金
髪を綺麗に短く刈りそろえて、長い長い体をすこし猫背気味にしてフェンダームスタングを弾いているTelevision
のトム・ヴァーレイン。フランスの詩人ヴェルレーヌの名を英語読みにしたこのヴァーレインが当時のパティ・スミスの恋人で、これは水上はる
こさんのレポートだったと思いますが、手元に残っていないので正確ではないけれど、「時々きっと上を見据えてランボーの詩を暗記しながらパティが楽屋を歩
き回り、3分に1度、トムと抱き合ってはキスを交わしていた」(*註)・・そんな文章がNY
のライブハウスの匂いを子供の私に生き生きと伝えてくれました。
水上はるこさんが「ミュージック・ライフ」や「jam」という雑誌に書
いていたPUNKシーンのレポートは今でも『さ
よなら ホテル・カリフォルニア』(シンコーミュージック発行)という本で読むことができます。パティ以外にも、シド・ヴィシャスや、ブルース・スプリングスティーンの
当時の貴重なインタビューが収められています。水上さんは74年にNYで暮らしていたそうですが、その時パティ・スミスと同じアパートにいたことがある、
と書かれています。
朝起きると、トム・ヴァーラインが、長くて白
い足をベッドから30センチくらいはみ出して、パティの肩を抱いて眠っているのが見えた。パティは歌を歌いながら台所の床を掃除して、それから泡をいっぱ
いたてて風呂に入った。
トムとパティが出かけたあと、ふたりの部屋をのぞきに
いった。(中略)ベッドのスプリングがこわれてまん中に大きな穴があいていた。人間らしい生活の匂いがまるでない粗末な部屋だ。・・・(略) (「さよ
うなら パティ」より)
NYのかけだしのアーティストがどんな暮らしをしているのか、それを垣間見せてくれた水上さん
のレポートは、ティーンエイジど真ん中の子供をどれだけ刺激したことでしょう。私の人生は今もなおこの頃かかった熱病に冒されたままのような気がしま
す・・。
自分でもロックバンドを始めたこの当時、しのびこんだ大学のライブ会場で髪の長い学生に声を掛けられ
て、缶ビールを片手に、煙草を私にすすめた彼は、私を見おろして聞きました。
「誰が好きなの?」
「パティ・スミスとテレヴィション」
「へえぇ、パティ・スミスはいいよね。ニガニガニガニガ、ロックンロールニガー、だ。・・・で、バンド
組んでるって? ギタリストなの? かっこいいね、パティもやるの?」
私はうなずいた・・・けど、嘘でした。私のクラスには誰もパティを聴く人なんていなかったし、バンド
でやっていたのはエアロスミスとKISSとBlack SabbathのParanoidだったから。もちろん私も楽しんでそれをやっていたのだけれど、
病弱で痩せっぽちの女の子がやがてNYで詩人になり、多くの男たちに愛されロックスターになる・・下手っぴながらも私も、自分の詩を送っては雑誌に何度か
載せてもらっていました。パティは私の永遠の憧れになりつつあったのです。
ところが・・・
スターダムに駆け上がったパティは、ステージから転落して頚椎を折る大怪我さえ克服して再度ステージ
に立ったというのに、アルバムデビューからたった4年間で人々の前から姿を消します。愛する男性と人生を始めるために・・そういろんな記事には書かれてい
ました。
*註:折よく用事で故郷へ戻り、
Televisionの1stアルバム「Marquee
Moon」(マーキームーン)(77年)のライナーを見ていたら大きな間違いに気づきました。確かにNYパンクの名所となったのはCBGBだった
ようですが、この楽屋風景は同じNYでも、ヴェルヴェットアンダ−グラウンド等が出演したマクジス・カンサス・シティだったそうです。以下、水上さんのラ
イナーより・・
リチャード・ヘルが頭にオレンジ・ジュースを
ふりかけている。ビリ−・フィッカが口にスティックをくわえて廊下でさかだちをしている。パティ・スミスとトム・ヴァ−ラインが抱き合って1分に1回、キ
スをしている。リチャード・ヘルがファンからもらったTシャツに、ジョキッとはさみをいれて切りきざんでいる。・・・
1分に1回だったのね(笑)、パティ。(4/21訂正)