『ブレイブ』について書いてからもう3年になります。
とくべつネイティブ・アメリカンに対する意識が強かったわけでも、
AIMの運動などに関心が深かったわけでもないのですが、
心に残った映画や、心惹かれた音楽などを、あとになって振り返って見ると、
ネイディヴ・アメリカンというひとつのまとまりが出来ていた、
自然と彼らの文化への共感が生まれていた、
ということになるのかしら、と今振りかえっています。

私の手元にある、ごくわずかな資料から、
心に残ったものを、ほんのすこし。。。




 『ワンネス』
      トム・ラブランク著
      弥永健一・光代訳 / 人間家族編集室発行(2002年)

 wavesの「声を感じるCD」のコーナーでもご紹介した、ネイティブ・アメリカンの詩人ト ム・ラブランクさんの著書。
 2002年の7月から8月にかけて来日し、日本のミュージシャンらとの共演でポエトリー・リーディングのLIVEが行われ、その際にレコーディングされ たのが『イー グル・トーク』というCD。そしてこの来日と並行して出版されたのがこの『ワンネス』のようです。(私がこの本を知ったのは2004年に なってからでした)

 小説『ブレイブ』の中で、ラファエルが父親に「おれたちってインディアンなの?」と尋ねる 場面があります「つまりさ、おれたちって白人なの? 黒人 の血もまじってるの? なんでみんながおれを“インディアン”て呼ぶんだよ? おれにはそういうこと、なんにもわかんないからさ」
 これと全く同じ事が『ワンネス』にも書かれていたのには少し胸 を突かれました。。
 
 「オレは自分が本当にインディアンなのかど うかも、わからなかった。それでオレは福祉の人に付きまとった。……毎日オレは彼の所へ駆け寄って頼んだ。『お願いだから教えて下さい、オレは何人(なに じん)なんですか?」って。

 ここに米国におけるインディアンの<見られ方>が集約されているように思います。自らのアイデンティティを確信できない、さらに言えばどこか恥と感じな ければならないような、そういう先入観としての<見られ方>が長い長い間、彼らの誇りを奪ってきたという歴史。

 「オレはテレビを見ながら大きくなった。テ レビで見るアメリカという文化的牢獄。そこでは、だれもが同じになりたいと思うように仕向けられる。皆、白になりたい。テレビ映画では、インディアンはい つも負ける。日本人もいつも負ける。」

 ラブランクさんは母親がサウス・ダコタのスー・インディアンで、父親が日系アメリカ人の軍人だったそうです。しかし、正式の婚姻ではなかったために生ま れてすぐに母親から離されて施設へ・・・。その後、母親とは再会することなく105もの施設を転々として育ったことが語られています。
 ベトナム戦争へ従軍した事、東洋系の顔立ちをしていたがゆえに何を言われたか、軍にどのように利用されたか、そして帰還後、AIM(アメリカン・ インディアン運動)と出会った事…、今回、日本へ来たのがちょうどお盆の時期、「スピリットがふる里に戻る時」に日本へ来て、戦争 について、世界中の先住民族について思うこと、、、それらが語られている本です。



 <白人と先住民の戦争の歴史>

 1620年にイギリスのピューリタン<ピルグリム・ファーザーズ>がアメリカマサチューセッツ州プリマスに入植し てから、理想の神の国を建てるために植民地を拡大していく過程で、土地を守ろうとする先住民との大きな戦争がいく度か起こりました。

  ビーコート戦争(1636)
  フィリップ王戦争(1675)

  フレンチ・アンド・インディアン戦争(1754)
  ポンティアック戦争(1763年)


 そして、1890年、合衆国騎兵隊が、抵抗していた最後のスー族を壊滅させ、インディアンの抵抗はついに敗北に終わったとされています。

 これらの戦争では、白人もインディアンも捕虜をとって、捕虜返還の交渉や、身代金の交渉に利用しました。映画などでインディアンが大挙して開拓民の一家 を襲い、子供などをさらっていく、という描かれ方はこのような戦争下での出来事だったのでしょう。インディアンによる一方的な襲撃ではなかったのは勿論で す。
 捕らえられた人質は、長いときでは数十年にわたってインディアンのもとで暮らすことになったわけですが、のちに解放された人々が虜囚生活のことを体験記 として出版します。これが<インディアン捕囚体験記>として、白人社会では1600年代から ずっとずっと読み継がれ、相当な<ベストセラー>になっていたという事実については私は知りませんでした。インディアンは文字を持ちませんでしたから、本 を綴ったのはすべて白人です。入植者にとっては、未知の世界であるインディアンの暮らしを、実際に体験してきた人が書いた(ということになっている)わけ ですから、興味津々で読もうとしたことは想像できます。
 このあたりのことは、週刊朝日百科『世界の文学』シリーズ中の第31号「ヴァ イキングの文学・インディアン捕囚体験記…」にコンパクトにまとめられて紹介されています。(値段も安くておすすめです)
 
 では、その<インディアン捕囚体験記>がどのようなもので、どのように読まれたかをほんの少し・・・

*  『イ ンディアンに囚われた白人女性の物語』
           メアリー・ローランソン
           ジェームズ・E・シーヴァー 著
           白井洋子 訳 / 刀水書房(1996年)


 この本には、ふたつの時代の二人の女性による体験記が収められています。最初は1600年代、上記の戦争の<フィリップ王戦争>の時期にあたる『メアリー・ローランソン夫人の捕囚と救済の物語』
 ローランソン夫人は敬虔なピューリタン入植者でした。当時のピューリタン入植者の暮らしについては、ホーソーンの小説『緋 文字』を映画化した『ス カーレット・レター』と、アーサー・ミラーの戯曲『るつぼ』を映画化した『ク ルーシブル』が参考になると思います。
 ピューリタンは理想の神の国をつくるためにアメリカへ渡ってきた人々ですから、厳格な規律を守り、勤勉で清廉な信仰生活を保つ共同体を守っていこうとし ています(彼らにとって歌やダンスや、信仰とは関係の無い小説を読むというような娯楽は堕落とみなされました)。しかし、入植から半世紀を経て、ピューリ タン社会では信仰の薄れや、生活風紀の乱れが次第に問題になってきていたのです。そのために教会はますます人々への規制を厳しくしていく、その中で発生し たのがいわゆる<魔女狩り>というような異端者告発の連鎖でした。
 ピューリタンの純粋な信徒としての共同体を守るために、その中の異端者、<誰が悪魔であるか>、<誰が悪魔になってどのように自分を苦しめたか>を、み なの前に告発するのです。疑いを掛けられた者は、身の潔白を証明するために<他にもあの人だって>と告白すれば、命が救われるというのです。誰もそのよう な人がいないとしても、黙っていれば自分が処刑されるのですから、告発の連鎖はひろがるばかりです。
 『スカーレット・レター』でも、『クルーシブル』でも、その<魔女裁判>の様子が描かれています。(余談ですが、現代になり、1950年代にも、この <魔女裁判>とよく似た<赤狩り>がアメリカ社会、とくに映画界ハリウッドに起りました。こ れも仲間を告発して罪をまぬがれるという連鎖でした。映画では『真 実の瞬間(とき)』がそれを克明に描いています。また、その<赤狩り>の時代を危惧して書かれた小説にレイ・ブラッドベリの『華 氏四五一度』があり、トリュフォー監督が映画化しました。『華 氏451』

 さて、そのこととインディアン社会とどういう関係があるか、というと、、、インディアンの捕虜となって暮らした人が、<私はいかに異教徒で悪魔である彼らの仕打ちを、神の御心によって耐える事が出来たか>、<神はいかにして敵の手から 私を救いたもうたか>、それを人々に知らしめる教訓の書として体験記がさかんに読まれた、ということなのだそうです。
 ピューリタンは、カトリックのように「懺悔」によって罪が消し去られるということを否定していましたから、自らが神に選ばれた者である(救済される者で ある)という確信は<回心体験>を得ることでした。(この回心体験というものが信徒でない私 にはいまひとつ理解が難しいので、どういうものかについては調べてみて下さい)
 インディアンの虜囚になり、それに耐えて戻った体験記を記すということは、神に与えられた困難を克服し、自らも神の恩寵を受ける者の仲間入りをした、と いう告白になる一方で、インディアン社会を<異教徒>、<野蛮人>と知らしめる事を通じて、ピューリタン社会の信仰心を一層高めるねらいがあったわけで す。


  「吠え立て、歌い、怒鳴り、無礼この上ない地獄の番犬ども の仕業ですが、かれらはまるでわたしたちの心臓までも引き裂かんばかりの勢いでした。それでも全能の主のお力により、わたしたちの多くが死から救われまし た。24人が生きながらにして捕虜として連れて行かれたのです」

 こうして捕虜となってローランソン夫人はインディアンの土地へと辛い道のりを移動させられていくわけですが、ある日、インディアンが彼女に聖書を読みた いか、と言って渡します。彼女はこう感謝するのです「神がわたしにお示しになった信じられないほどのお慈悲 について書きとどめておかねばなりません。わたしに聖書が与えられたのです」
 牧師の妻でもあったローランソン夫人であれば無理もないと思われますが、彼女にとって<異教徒><野蛮人>という存在でしかなかったインディアンに感謝 することなど考えられなかったようです。
 彼女は異教徒の食べ物に対しても、神のお与えになった苦行のように感じたことでしょう。空腹から、馬のレバーを焼く彼らに一切れ下さいと頼み、彼女はそ れを食べて聖書の詩句を思い出すのです。「口の回りは血だらけになりましたが。それでもわたしにはとても美 味しかったのです。『飢えている者には苦い物もみな甘い』(箴言27−7)」
 ・・・やがて身代金との交換でローランソン夫人は夫の元へ返されるわけですが、すべてのことは<主がお与えになった苦難>としながらも、彼女はインディ アンについてほんのわずか、こんな感想も残しました。
 
 「神も人間も悪魔さえも恐れることを知らない吠え立てるライオ ンと野蛮な熊の真っただ中にいて、あらゆるものといっしょに眠りについたのですが、それで も一人として、言葉にしろ行動にしろ、わたしを辱めるように扱ったものはいませんでした」



 そして、『メア リー・ジェミソン夫人の生涯の物語』は、約100年後のフレンチ・アンド・インディアン戦争の時代になります。
 本のまえがきにも書かれていることですが、映画『ダ ンス・ウィズ・ウルヴズ』に出てくる、インディアンに捕らえらて別の種族のインディアンの養子となって暮らした女性、<拳を握って立つ女>と、ジェミソン夫人は本当に境遇が良く似ています。
 家族を殺されながらも、インディアンと生活を共にするうちに彼らに溶け込み、結婚をし、子供をもうけ、ジェミソン夫人は<ホワイト・インディアン>として生涯を終えました。この物語は<聞き書き>ということになっています から、すべてがジェミソン夫人の言葉通りではないにしても、インディアンの語りの文化が垣間見られるような、長老の語り、儀式の語りの場面がいくつも出て きます。その部分を読むと、インディアンの精神の一端が読み取れるような気がします。たとえば、彼らが捕虜をとるのは、戦争で誰か仲間が失われた時に、そ の最も近しい者に捕虜を与えるためなのだそうですが、受け取った者は、悲しみが余りに深い場合は、捕虜を傷つけることで復讐心を満足させるか、そうでなけ れば、失った家族の身代わりとして家族の一員として捕虜を養子にするかどちらかにするのだそうです。
 15歳のジェミソンが養子に迎えられた時、儀式で朗々と語られた言葉も載っています。2ページ以上にわたる語りの最後の部分・・・

 「おお、われらの妹がやって来た。喜んでここに迎えよう。われ らの弟に代わり、かの女はこの部族の一員となるのだ。力を尽くしてかの女を困難から守らねばならない。かの女はその霊がここから離れるまで幸福でいられよ う」

 こうして、まだ少女だったローランソンはインディアンの女性の養女となり、その後、結婚し、子供を育て、のちに白人と和平が結ばれて白人社会へ戻る機会 が訪れても、インディアンの家族と共に暮らすことを望んだのでした。
 しかし、この時代、アメリカ大陸の土地をめぐって、イギリスとフランスが戦争をし、両軍はそれぞれ協力するインディアンの部族を味方につけて争いまし た。白人同士の戦争の背後で、インディアン同士が争わなければならなくなっていたのです。その悲劇は、同じ時代を舞台にした小説『モ ヒカン族の最後』(映画『ラ スト・オブ・モヒカン』)でも描かれています。

 そして白人社会がもたらした銃と、アルコールの弊害が、インディアンの社会にそれまでになかった混乱と悪影響をもたらしたことは、ジェミソン夫人の回想 でももっとも悲しむべきこととして書かれていました。




* 『CONTACT FROM THE UNDERWORLD OF RED BOY
            ロビー・ロバートソン (1998年)

 1960年代〜70年代にかけて活躍したザ・ バンドのフロントマン、ロビー・ロバートソンがネイ ティヴ・アメリカンの血を引いている、ということは当時はまったく知りませんでした。でも、ソロになってからの彼は、ネイティヴ・アメリカンのサウンドを とりあげ、その精神を歌うことに中心を置いています。ロビー・ロバートソンにしろ、ジョニー・デップにしろ、白人社会の成功者としての地位につきながら、 自らの中のネイティブ・アメリカンの血を大事に思い、それを作品化することに力を注ぐ、というのは、それだけ彼らの置かれている現状が困難なものであるこ と、正等に扱われていないことを訴える必要があるのだと気づかせてくれます。
 このアルバムの中に『サクリファイス』という曲があります。
 トム・ラブランクさんの本のところでも出てきたAIM(アメリカン・インディアン運動)の活動家であり、76年から刑務所に囚われているというレオナード・ペルティアの声がフィーチャーされた曲です。解説によればロバートソンが刑 務所内の彼に電話をかけ、それを録音したものだそうです。
 歌詞(訳詞:国田ジンジャー)の一部だけを・・・

   1976年からずっと刑務所にいる
   オグララ・ラコタの事件に巻き込まれた

   我々3人はそのFBI捜査官を殺したと起訴された
   しかし俺以外は自己防衛だったと無罪になった
   だが、俺の判決だけが別に行われ、
   インディアンの陪審員が一人もいない状況で有罪がくだされた

   ・・・・・

   だが、心の底では
   誰かが犠牲になるんだと判ってる
   
   ・・・・・
   
   数百年前に我々の祖先が体験した犠牲とは比較にならない
   ・・・・・
   だから自分の犠牲なんて大したことはないのだ

 
 捜査官が殺されたのがインディアン居留区の中であれば、誰かが結局は収監される、その誰かを救うために自分が犠牲となることを受け入れる、、、もしそう いうことなら、果たしてそれでいいのだろうか、と疑問が残ります。でも、家族と共同体を想って、自分が犠牲になることを選んだ『ブレイブ』のラファエルと同じなのかもしれない、とも思います。
 それでいいのか、それしかあり得ないのか、そこへ追い込んだ根本的な無理解と排除の歴史。白人の社会を守るために犠牲にされ、恐怖の対象としてイメージ を植えつけられ、居留区へ追いやられ・・・、しかし、その根本にあるものが<神に選ばれた者>と して正しいことをしているのだという信仰心なのだとしたら・・・視線はふたたび1600年代 の植民地時代へと戻り、そして現在のアメリカが<自由>の名のもとに行っている戦争への連鎖を考えずにはいられないのです。





少し視点を変えて・・・

 『声の文化と文字の文化』のところでもちょっと触れましたが、
文字をもたない口承文化の担い手は、
現代人には失われてしまった自然の声、神(霊)の声を受け取る能力があったといわれています。
それは日本の『古事記』『万葉集』の頃とも共通します。
神託を受ける能力のある巫女はたいへん大事にされ、
そういう女性を妻にすることが部族を治めたり、国を治める上で重要でした。
額田王の詠んだ歌などは、そういう力をもつ歌として考えられていたようです。 

 トム・ラブランクさんの本の中で、
上空を旋回していた鷲がラブランクさんの肩に留まり、その鷲の声を聴いた、
というようなことが書かれているのも同じことなのかしらと思います。
人間は本当に自然の声を聴く能力が本来はあったのかしら・・・?
 信じる、信じない、はもちろん自由なこと。
けれども誰にもそういう異なる文化のありかたを、<非文明>などと否定することは出来ないはずです。
 
 私も、、、いろんな<声>に助けられた経験があるんですもの、、、
などと言ったら気味悪がられるでしょうか・・・?
 
 ここに書いた事が、いろんなアメリカ映画や、小説を読む上で何らかの参考になれば幸いです。
恐怖の連鎖によって盲目的になるのではなく、
真実の声を自分自身で聴くことの出来る力を、、、

自分自身もそうでありたいと願って。。。



WAVES へ     La  Mareeへ