2015年の映画・演劇 評論

 スター・ウォーズ/フォースの覚醒

あらすじ:銀河宇宙の支配を企む「ファースト・オーダー」は、正義の騎士集団「ジェダイ」が持つ「フォース」の力を恐れ、今は行方不明となっている最後のジェダイ:ルーク・スカイウォーカーが潜んでいる場所の情報を持っているドロイド:BB-8を必死に探していた。ひょんなことから、BB-8を手に入れた宇宙船のパーツ売りのレイ(デイジー・リドリー)は、生まれ故郷の村が焼かれるのを見てファースト・オーダーから逃亡しているフィン(ジョン・ボイエガ)と共にファースト・オーダーの追跡を逃れようとしていると、ハン・ソロ(ハリソン・フォード)と出会い、レイア・オーガナ将軍(キャリー・フィッシャー)が率いるレジスタンスに合流する。元はジェダイとして訓練を受けながら、今はダークサイドの誘惑に負けてファースト・オーダーの一員となっているハン・ソロとレイア将軍の息子:ベン(アダム・ドライバー)は、父親の説得を聞かず、レジスタンスを壊滅させようとする最高指導者の命令に従って父親さえも。。。


旧作をなぞっているだけで、面白くも、ハラハラもドキドキもまったく無い!

 公開前からそのネーム・ヴァリューだけで世界中の評判を呼んでいる「スター・ウォーズ」の7作目で、これからまた3作のシリーズが予定されていてこの「フォースの覚醒」はその第一章となる。監督は、私はまったく観ていない「スター・トレック」も監督しているJ.J.エイブラムスで、今まで「スター・ウォーズ」を作ってきた監督:ジョージ・ルーカスは、彼の製作会社「ルーカス・フィルム」がウォルト・ディズニー社に買収されて、どこか、銀河系の(?)遠く、遠くに行ったようだ。

 当初からジョージ・ルーカスは、この「スター・ウォーズ」を9つのシリーズとして映画化する計画がありながら、彼が希望するSF技術が未発達だったため、第4作目のアイデアにあたる部分から製作し「スター・ウォーズ/エピソード4:新たなる希望」として1977年に公開し、その後このシリーズの映画の公開は「エピソード4」の続編であったり、また、「エピソード1:ファントム・メナス」に戻ったりと公開の年は新しくても扱う時代は「エピソード4」よりも前の時代であるという、公開された時代と共に「スター・ウォーズ」シリーズを最初から観てきた私でも、主人公とされるアナキン・スカイウォーカーは今どの時代にいるのか、かなり整理が必要なシリーズです。
そして、オリジナルの監督:ジョージ・ルーカスは、当初9部作と考えていた「スター・ウォーズ」シリーズですが、前作の6作目をもって、終わりにしていたようです。

 というような歴史と思い出をもっている懐かしの「スター・ウォーズ」の最新作ということで観にいきましたが、映像も筋書きもまったく、見栄えのしない出来です。

 大体映画の出来不出来は、私が映画を観て、 独自に書いている上の「あらすじ」を悩まないでスラスラと書けるかどうかで決まります。
今回の「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」においては、このあらすじを分かりやすく纏めあげて書くだけでも、随分と時間がかかっています。
時間がかかるということは、映画としての筋書きがそれほど、乱雑だということです。

 冒頭のファースト・オーダーの基地からの脱出方法、レイとハン・ソロとの強引な出会い方。
ファルコン号での借金取りと絡むくだりなどなんたる無駄な演出でしょうか。

 今までは、男性がヒーローとして活躍していたのを、「ハンガー・ゲーム」などの要素を取り入れ、レイという若い女性に置き換えただけでは、脚本としては推敲がかなり足りていません。

 それに、背景となっている宇宙の広大さがまったく表現されていないのは、J.J.エイブラムス監督の才能のなさのせいでしょう。
雪のシーン、緑に囲まれた林でのチャンバラなどこれでは、スターの闘いではなく、最初から地球での闘いとしたほうがいいでしょう。
余談ですが雪国のシーンは、下で紹介しています、「007 スペクター」と同じ様なよくあるロケ地選定ですね。

 ハン・ソロを演じたハリソン・フォード、レイア姫役のキャリー・フィッシャー、そして、チューバッカ、R2-D2など「エピソード4」でお馴染みのキャラクターにも活躍の場を与えています。
懐かしさはありますが、まったく、スター・ウォーズとしての目新しさがありません。

 映画で善い人を際立たせるには、悪役の方も上手に描く必要があります。
しかし、ダーク・サイドの最高指導者の巨大さも、「フォース」があるなら、別に物理的に大きさは必要とされない訳で、悪人としての描き方が弱いですね。

 折角手に入れた、「ルーカス・フィルム」の看板映画「スター・ウォーズ」ですが、この出来では、ウォルト・ディズニー社は、今後の2作目、3作目までどう観客を引っ張っていくのでしょうか。

 戦闘の描き方や、ロケ地の画像にしても、今までジョージ・ルーカスが創りだした世界をただ、主人公を女性にしてなぞっているだけの出来でした。

前作、 「スター・ウォーズ;エピソード 3;シスの復習」 (2005年)
     「スター・ウォーズ;エピソード 2;クローンの攻撃」 (2002年)

 007 SPECTRE スペクター

あらすじ:イギリスの諜報機関:MIー6に属するジェームス・ボンド(ダニエル・クレイグ)だったが、自分の少年時代を知りたくて単独行動をとりメキシコに向かい、謎の悪の世界組織「スペクター」の存在を知った。「スペクター」について情報を持っているマドレーヌ・スワン (レア・セドゥ)の協力で、モロッコにある「スペクター」の本拠地を突き止め、ボス:オーベルハウザー(クリストフ・ヴァルツ)を追い詰めるが、そこで、明かされるボンドの少年時代の真実。また、新しい時代に適合しなくなったMIー6の解体。ジェームス・ボンドは、これからどこに行くのか。。。


女:007ってこんなに雑な映画だったの!

男:007シリーズで、ジェームス・ボンドを演じる男優はショーン・コネリーから始まって、途中、ロジャー・ムーア、ピアース・ブロスナンなどが演じて、今回のダニエル・クレイグは6代目だね。
女:思えば、この007シリーズはもう50年以上昔に公開された第一作の「ドクター・ノー」から観ているのよ。
  そういえば、第一作はいつのまにか「ドクター・ノー」に改題されたけど、日本で公開された時の当初のタイトルは「007は殺しの番号」だったのも憶えているわよ。

男:ダニエル・クレイグも007は、これで4作目で、前作の「スカイフォール」も観たね。
  今度の「スペクター」も監督は、前作の「スカイフォール」と同じ、サム・メンデスだ。
女:それで、ボンドの少年時代を探るってことで「スカイフォール」からの話も引きづっているわけね。
男:チラシでのうたい文句では、絶対最強の宿敵「スペクター」ってことになっているけど、これでは謎の組織「スペクター」の最強感がまったく出てこないよ。
女:メキシコの死人の祭り、ローマでのカー・チェイス、オーストリアの雪のプロペラ機、そしてモロッコと世界各地を豪華にロケしているけど、みんなひっくるめて、こんなものなのってだけの出来栄えで終わっているわね。
男:この程度の映像では、他の「ミッション・インポッシブル」などと同じで、観ていても特に凄いって印象も残らない。
女:メキシコでのヘリコプターの中での闘いは余りにも目まぐるしく上下に動きが激しくてよく分からないうちにボンドだけが生き延びていたわ。
男:メキシコのシーンだけでなく、オーストリアの雪のプロペラ機での追跡、また、昔の007で見たような、列車内での乱闘のシーンにしても、もう新鮮味が無くて無駄に長さを感じる。
   どんなことがあっても、超ヒーローのボンドは無事ですでは、粗い作りの映画となった。
女:ローマ市内を貸し切っての高価なスポーツ・カーの追いかけっこも、ああ、そうですかってというだけ。
  また、女性の私からみても、二人のボンド・ガールが魅力的でないのは、配役の失敗よね。

男:今回のボンド・ガールとしては、ボンドが殺した殺人者の未亡人の妻のモニカ・ベルッチと、同じ様な設定でボンドに追い詰められて自殺した男の娘役としてレア・セドゥがいたのだけど、この二人との関係の説明がこれまた、雑というか、適当にくっ付けましたという描き方だね。
女:時間をかけて女を口説く必要がない程、格好の良いボンドが女性と寝るのには無駄な説明がいらないのに、レア・セドゥとボンドの二人が一部屋で寝るシーンでは余分な時間があり過ぎね。
  これは何って感じで観ていたわ。

男:それにしても、「スペクター」のボスが、ボンドと同じ家庭で育てられていたとは、これが、最強の敵という設定が弱くなった原因だ。
女:007シリーズが好評だったのは、本当の世界で共産主義の旧ソ連と資本主義のイギリスやアメリカとの戦い、東西冷戦時代があったからでしょう。
  ベルリンの壁が崩壊して東西の冷戦がなくなった今では、もうスパイの存在も活動場所も無くなったのが、映画をつまらなくしているのよ。

男:そのあたりの状況は、今度の「スペクター」にしても製作者としても分かっていて、MI-6の解体の話も入れているが、どうしても、007の活躍として昔のイメージも残しているために、全体としてのまとまりが無くなった。
女:私は、どう見ても、ダニエル・クレイグがもうこの役に飽きているとしか、映らないのよね。
男:きみにもそう見えたんだ。
  ダニエル・クレイグの眼の色や表情から、いくらアクションをしても、作品に対する熱意、情熱が画面から伝わってこない。
女:シリーズ物は作ればある程度の収入が期待できるから、映画の製作者も作るけど、もう007は限界のようね。
男:そうだね、興業としても見極めが肝心だ。
  残念な話だけど、今のインターネットを中心とした情報化が進んだ時代には、旧態依然の肉体派のスパイの話ではもう時代について行けなくて無理なんだろうね。
女:どうして、急にそんなにシンミリするのよ!
男:時代の変化について行けないのかと思うと、つい自分の体力や年齢も考えたんだ。
女:あなたは、まだ、まだ大丈夫。
  好きなだけ映画を観て、このホーム・ページもしっかりと更新をしているじゃないの。

男:有難う。そういってくれるのは、きみだけで・・・
女:フっ、本当に年寄りの面倒をみるのは大変。
男:何か言った?
女:いいえ、何も言っていませんっ。

007の前作; 「スカイフォール」 (2012年)、
ダニエル・クレイグが良かった; 「ドラゴン・タトゥの女」 (2011年)
クルストフ・ヴァルツなら; 「イングロリアス・バスターズ」 (2009年)

 ミケランジェロ・プロジェクト 

あらすじ:第2次世界大戦も終わりの頃。ナチス・ドイツのヒトラー総統は、占領していたフランス、ベルギーなどヨーロッパ各国の著名な絵画や彫刻などを集めた美術館を作る構想を抱き、ダ・ビンチの「最後の晩餐」、ミケランジェロの「聖母子像」やピカソの絵など多くの美術品をドイツに送らせていた。これに気付いたアメリカの美術館の館長:フランク・ストークス(ジョージ・クルーニー)は、ルーズベルト大統領を説得し、ジェ-ムス・グレンジャー学芸員(マット・デイモン)や建築家のリチャード・キャンベル(ビル・マーレイ)など7人の芸術専門家からなる部隊:モニュメンツ・メンを結成しヨーロッパ戦線に向かった。しかし、ノルマンディやバルジなど大きな戦の後の戦場では、美術品の価値は人命より低く、モニュメンツ・メンも動きが制約されていた。また、ドイツ軍の劣勢を悟ったヒトラーは、集めた美術品を焼き払うよう指示を出した。一方、北の方では、ソ連軍も美術品に興味を持っていた。果たして、戦争の素人集団:モニュメンツ・メンは、どこまで活躍できるのか。。。


話が全然盛り上がらない!

 チラシによると、よくある「実話」を基に、主演もしているジョージ・クルーニーが監督、製作で、脚本まですると言うほどの熱の入れ方の映画だ。

 だけど、まったく面白くない。
映画製作において基本となる脚本の段階での煮詰め方と、撮影をした後での編集が良くないせいだ。

 ヒトラーが美術品の収集に力を入れるのは分かるが、戦争で負けそうになると、苦労して集めた美術品の数々を燃やしたり壊したりまでするとは思えないのが、まずある。
美術品の価値を知っている人なら、例えヒトラーでも、そこまではしない。普通のアメリカ人が抱いているヒトラー憎しの感情を、安易に利用しすぎだ。

 平凡な「事実に基づいたと言う話」を映画として作り上げ、纏めあげることのできない展開のまずさ。
マット・デイモンやビル・マーレイなどモニュメンツ・メンという戦争に素人な集団が、一体どのような人たちで構成されているのか、彼らの背景の説明も下手ではっきりしない内に戦場に行き、ある人は死に、ある人はフランス女と出来そうになり、焦点となっていた「聖母子像」は、どうにかなんとか無事に取り戻せましたという全体の流れが適当な作りであるからだ。

 戦争物としては、兵隊でもないモニュメンツ・メンが全員犠牲者を出さずに、頼りない戦闘訓練を受けただけで無事生き延びましたでは、感動を与えないので、7名いたメンバーの内2名は犠牲者にしたけど、この戦闘のシーンは、まったくふざけているとしか言いようのない出来だった。
特に、一人のドイツ兵と暗闇ででくわしてものんびりと分かれるシーンは、何を言いたかったのか、疑問符を大きくする。
また、男ばかりの戦争で、美術品を護ると言うアクションの無い地味な話だけでは、観客を呼べないので、強引にフランス女のケイト・ブランシェットを入れて、マット・デイモンとの関係で色を付けようとしているが、これも中途半端な話で終わり、どうしてこうなるのかよく分からない。

 さらに、緊迫感を出したい手法として、マット・デイモンが地雷を踏んだり、ソ連軍と美術品の争奪戦も入れているが、これもまた、見事につまらない描き方であった。
いくら戦闘をしないモニュメンツ・メンの部隊であっても、軍隊なら近くに地雷処理班はいるだろうし、ソ連軍がすぐ側に来ているなら、へたな小細工をしなくても、当事者で話し合うことも出来たと思える。

 事実としてはそんなに盛り上がってはいない話に飛びついて、なんとか強引に無い知恵を振り絞って脚本を書いたようだけど、まだまだジョージ・クルーニーの頭では、美術品に対するモニュメンツ・メンの強い愛着心と自然な盛り上げ方が出せていない作品だった。

 ビル・マーレイの; 「ヴィンセントが教えてくれたこと」 (2015年)
 ケイト・ブランシェットの; 「エリザベス:ゴールデン・エイジ」 (2007年)

 美術品が隠されていた、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城なら; 「ヨーロッパ旅行記」 にあります。

 起終点駅  ターミナル 

あらすじ:北海道は旭川の裁判所で判事を務める鷲田完治(佐藤浩市)は、東京に妻と4歳の息子を残して単身赴任をしていた。そこへ、鷲田が学生時代に恋人だった結城冴子(尾野真千子)が被告として現れ、執行猶予の刑となった冴子と鷲田は昔の仲に戻った。東京への赴任を機に鷲田は離婚して、冴子と新しい生活を始めようとしたが、旭川の駅で突然、冴子は列車に身を投げて亡くなった。それから、25年後、妻子とも別れて釧路の町で一人、国選弁護人を引き受け、誰とも係わらず慎ましい生活をしている鷲田の家に、覚醒剤事件で弁護をした椎名敦子(本田翼)が訪れ、覚醒剤を持って逃げている男を捜して欲しいと頼まれるが、他人との関係を拒んでいる鷲田はきっぱりと断る。しかし、体調を崩している敦子の面倒を見なければならなくなった鷲田は、敦子の家族関係に巻き込まれて行く。。。


まったく各人物の深みが、描かれていない内容だ!

 監督は、篠原哲雄で、原作は、桜木紫乃の短編があり、この短編に少し話を加えているようだ。

 映画館での予告編をみた印象では、父親の愛を知らない若い娘の本田翼が、渋い中年男の佐藤浩市に恋をして、タイトルにあるように、二人が起点駅から新しい生活を始める映画かと思って観たら、そのようなシーンは少しはあるものの、人物の描き方が実に乏しい映画だった。

 まず、主役の裁判官である佐藤浩市の設定の甘さについてみてみよう。
確かに、裁判官といえども、男であるから、単身赴任先の寂しい冬の北海道で、肌を温めてくれる女性を求める気持ちは分かるが、自分の見ている前で愛人の冴子が列車に飛び込み自殺しているのに、その自殺現場から逃げ出すのは、裁判官としての良心からも、これはあってはいけない話だろう。
そして、愛人の自殺に心から責任を感じているなら、もう過去の法曹界とは縁を切り、まったく新しい職業を選び、人生をやり直すのが本来描かれる筋である。
また、離婚しても、息子にお金を送っているのは、父親としての責任感の表れと言いたい様だけど、それなら、冴子との再婚を考える前にしっかりと、離婚したら子供はどうなるのか考えるべきだと言いたい。
さらに、その息子の結婚式に、息子が好きだったイクラの瓶を持って出席するとは、余りにも、安易に話として作り上げた展開であり、筋に弱い観客なら泣かせることが出来るだろうが、世慣れた観客には、不自然さだけが残る。

 次に、貧しい漁師町から逃げ出してきたことになっている本田翼だが、風俗関係にも足を踏み込んだという割には、生活の乱れ感がまったく出ていないのは、監督の彼女に対する演技指導力が足りないせいだ。
女性の色香に惑わされ易い、堅物の裁判官を落とすなら、病気なんて、清純ぶった手を使わず、もっと直接的な方法がある。その手を使う方が分かり易い。

 彼女が生まれた海沿いの家に戻るシーンは、両親と兄の子の死亡日が同じで、これから何かが起こると、かなり期待したが、ここはサラーツと流されてしまい、ここでも監督:篠原哲雄は、観客の心が分かっていないというミスをおかした。

 そして、元ヤクザで今は、企業化した組長を演じている中村獅童が度々佐藤浩市の家を訪れて、会社の顧問になれというシーンだが、何でここまで佐藤浩市に固執するかが描かれていないし、また、これらのシーンは、ロケ代を節約するために、纏めて撮影したのがバレバレだ。
こんなに簡単に観客に見抜かれるやり方は、止めて欲しい。

 他にも息子と同級生だった新任裁判官が軽薄であることにしたいのに、その説明の足りなさ、佐藤浩市の隣家に住むボケ老人の話は必要なのか、などなど。

 基本的に内容が上滑りしている最大の訳は、愛人であった尾野真千子の自殺に対して、佐藤浩市が強く罪の意識を感じて、どうして追い詰められてしまったのか。
この掘り下げができなかったことだ。

 でも、鶏を旨く揚げる「ザンギ」料理の方法は、よく分かる?!

本当に最近の映画界では、香川照之と並んでよく出ている佐藤浩市の; 「アンフェア the end」 (2015年)、 「HERO」 (2015年)

 マイ・インターン 

あらすじ:ニュー・ヨーク。わずか数人の仲間たちとネットでアパレル会社を立ち上げ、18ヶ月後には、社員数が300人を超える会社にまで急成長させた繊細な感覚を持つ社長のジュールス(アン・ハサウェイ)は、一人の幼い娘と今は、彼女に代わって家庭を切り盛りしてくれる優しい夫に支えられて毎日多忙な仕事に邁進していた。特に社長室の区切りもなく、パソコンと若者言葉が飛び交う会社だったが、福祉の面から高齢者や落ちこぼれ的な人間を試しに「研修生(インターン)」として採用することにした。そこで、元電話帳を作っていた会社の管理職を経験しているが、今は妻に先立たれ、何もすることがなかった70歳のベン(ロバート・デ・ニーロ)が、ジュールス付きとして働くことになった。何でも気を張り詰めて自分でやるタイプのジュールスにとって、いつもキリッとネクタイをしめスーツを着て会社に来るベンは、煙たい存在であったが、ベンは運転手としてしてもそつなくこなし、会社の若者たちへも人生の先輩としての助言が適切で社内で存在感を示してきていた。ジュールスは、余りにも多くなった仕事の量に疲れている自分を反省し、新しく経営責任者をヘッド・ハンテイングしたらどうかと言う意見を取り入れ候補者と面談をし、経営を代わることにしたが、まだ、まだ仕事に対する愛着は捨てられなかった。。。


女:高齢者でもまだまだ働けるチャンスはあるってことね!

男:監督のナンシー・マイヤーズの作品には、「恋するベーカリー」や「ホリデイ」、「恋愛適齢期」などがあって、彼女の映画はよく観ている。
女:仕事にバリバリ精を出して働く女性としては、この映画のチラシにあるようにアン・ハサウェイが出ていた「プラダを着た悪魔」がすぐに浮かぶわね。
男:「プラダを着た悪魔」では、悪魔のような存在で仕事をこなすメリル・ストリープ編集長に反発していたアン・ハサウェイだったけど、その続きとして、結局、この映画「マイ・インターン」ではファッション界と縁のあるアパレル事業で成功を収めていると考える観客は多いだろうね。
女:映画のチラシにある真赤なワンピースを着たアン・ハサウェイの姿は、かなり「プラダを着た悪魔」を利用した宣伝ね。
男:確かに、アン・ハサウェイという出演者やバリバリ働く女性の悩みなど多くの面で、「プラダを着た悪魔」との関連はあるけど、そこに高齢者であるロバート・デ・ニーロを配したという点でこの映画「マイ・インターン」は、よく出来ている。
女:男の人は定年で会社を辞めても、本当は給料が安くても、また会社勤めをしたいってことなのね。
男:まだまだ、元気な活力のはけ口としては公園で気功をやっているだけでは物足りないからね。
  それに、今まで会社勤めで得てきた「技能」と人生で蓄えた「経験」は、絶対に若い人には無い物だから、先輩としてこれらを伝えておきたいという気持ちは強い。
女:そこに眼をつけ、脚本も書いた監督のナンシー・マイヤーズは、うまく描ききったということね。
男:専業主夫になった旦那の浮気や最初は嫌な存在であったベンが会社内でも好評を得たりする手法は、よくある描き方だけど、それらが、アン・ハサウェイとロバート・デ・ニーロの演技によって、観ていても嫌味がなく受け入れられる。
女:二人の関係が緊密になると、年齢差があっても恋愛の方に流れていくところを、マッサージの女性を入れることによって、年齢相応のラブにしたのもいい選択ね。
男:基本的に話が高齢者をヴィンテージとして敬ってくれているのが、年配者に好評な理由だ。
女:男性がいつも持っているハンカチは、女性が涙を拭くときに貸すものというのも、うけるセリフね。
男:アン・ハサウェイが自動車の中で、すごいいびきをかくのも笑えるし、その娘も遺伝的にいびきをかくのも面白い。
女:でも、アン・ハサウェイが母親の悪口のメールを間違えて、母親宛に送ってしまって、パソコンを探しに行く話しは、少しばかり強引な挿話だったわ。
男:それにしても、70歳近くになった私でもこの映画のようにまだ、まだ充分に働けるということだね。
女:それは、豊富な人生経験がある人の話よ。
  貴方には、当てはまらないわよ。

男:何か言った?
女:いいえ、何も言っていません!

アン・ハサウェイの作品なら;「レ・ミゼラブル」 (2012年)、 「プラダを着た悪魔」 (2006年)
ロバート・デ・ニーロの;「アメリカン・ハッスル」 (2013年)
ナンシー・マイヤーズ監督の; 「恋するベーカリー」 (2009年)、 「ホリデイ」 (2006年)、 「恋愛適齢期」 (2003年)

 アメリカン・ドリーマー ~理想の代償~ 

あらすじ:1981年のアメリカはニュー・ヨーク。この頃のアメリカでは、犯罪と暴力事件が多発し、多くの人々が銃を持っていた。しかし、移民のアベル・モラレス(オスカー・アイザック)は、ギャングの娘だけど今は会社の経理を任せている妻:アナ(ジェシカ・チャステイン)とまともな灯油配達会社を起こし、誠実さと苦労の甲斐が実り従業員も多く抱えるまでの成功を収め、二人の幼い娘たちと豪華な家に住むまでになっていた。また次の飛躍を考えて新しく石油ターミナル基地を購入するため全財産をはたいて巨額の手付け金を払った。購入の残金は30日後に支払うことになっていたが、銀行から融資の話がついていた。しかし、彼の成功を妬む同業者から灯油輸送の車ごと強奪される事件が相次ぎ、労働組合からは、運転手に自衛用に銃を持たせろと要求されるが、あくまでも暴力を使わない主義のアベルは、運転手が銃を持つことは許さなかった。だが、不法滞在を隠していて採用したある運手が、勝手に銃を所持し、道路で彼の灯油配達車を襲ってきた暴漢に対して発砲し、その運転手は逃亡したために、アベルも窮地に陥る。また、検事が、アベルの会社の脱税を調査して告発したために、銀行の融資も断られる。このままでは、手付け金は戻らず、アベルが手にしたアメリアン・ドリームは、実現されないのか。。。


女:理想を実現するには、結局、どこかで悪との妥協が必要ということね!

男:監督は、J・Cチャンダーで、彼がニュー・ヨークでは洋服の運送車が車ごと強奪されるニュースをみて、脚本を書き、製作したようだ。
女:それにしても、最近のあなたは、この「映画・演劇 評論」のホーム・ページの更新が少ないと言われているわよ。
男:それは、一緒に働いていた仲間が心臓発作で急死し、仕事が忙しくて映画を観る時間もなく、また観たいと思う映画が無いことも理由だね。
女:高齢になると、同年齢の人の死は、身近なだけにこたえるのよね。

  それは、それとして、映画の話に戻りましょうよ。

男:そうだね。
  この映画の日本語のタイトルは「アメリカン・ドリーマー」だけど、英語の原題は「A Most Violent Year」 で、訳すと「アメリカで、一番暴力が横行した一年」となるね。
女:確かに、その時代のニュー・ヨークは、犯罪や暴力が多くて、一般人でも自衛用に銃を持たないと夜街を歩くのも危険だったようね
男:そんな、暴力が蔓延している時代に、汚い手を使わず、精錬潔白に誠実さと真面目な商売方法だけで、成功したと思っている亭主の甘さを、実は脱税や裏の世界を知っているギャングの娘の妻が支えているということだ。
女:アベルの会社の灯油輸送車が、暴漢に襲われても、警察は犯人を捕まえようともしないという描き方が、私には、ビンとこないのね。
男:日本の警察なら、運転手が殴られれば、一応捜査はするだろうね。
  また、アベルの家に強盗が入る事件も曖昧になっていたりして、そのあたりが、アメリカでは昨年に多くの賞にノミネートされていても、日本での公開が遅かった理由だろうね。
女:1981年頃に実際に、ニュー・ヨークやその付近で生活をしていたアメリカ人には、説明が不要だけど、日本では、この内容ではあまり受けない映画と配給会社が判断した訳だけど、それは、正しい判断ね。
男:日本での「内助の功」とは、スケールと方法が余りにも異なった内容だ。
女:銃を発砲した不法移民が逃げ惑うのは、少しは分かるけど、自殺まで思い込むことも無い訳よ。
男:仕事と従業員思いのアベルなら、最後のシーンでは、石油タンクから漏れる石油の穴を塞がず、垂れ流しにして、自殺者を介護して欲しい。
女:凶暴なヴァイオレンスと対比したクリーンな態度をとって成功したという割には、ヴァイオレンスの方の描き方も足りないのよね。
男:逆説を説くなら、一方のほうももっとはっきりさせろということだね。
女:それにしても、妻役のジェシカ・チャステインは、いつも良い服を着ていたわね。
男:そこに眼がいったんだ。
  ジョルジオ・アルマーニの作品のようだ。
女:私も、アルマーニの服を着てみたいわ。
男:そりゃ、美人で胸が豊かなら、直ぐにでも買ってあげるけど…
女:何か言った
男:いや、何も

 キングスマン 

あらすじ:様々な国の要人や科学者たちが行方不明になる事件が多発し、ロンドンに本部を置く、どこの国にも属さない資金力のある秘密諜報組織「キングスマン」も調査に乗り出し、敏腕のエージェントを送るが、彼は殺されてしまう。そこで、組織の指導者のアーサー(マイケル・ケイン)は、新しくエージェントを養成することにし、部下のハリー(コリン・ファース)たちに命じて候補生を集めた。集められた若者の多くは、高学歴で裕福な家庭に育ったエリートの子弟だったが、ハリーは、殺されたエージェントの息子で貧しい生活をしているが身体能力に優れたエグジー(タロン・エガートン)を選び、過酷な訓練を受けさせる。射撃や格闘技は勿論のこと、スカイ・ダイビングや感情までも殺すタフな訓練で一人、二人と落ちこぼれていく中、エグジーは残っていたが、最後の一人にはなれず、組織から外される。が、ITで成功した大富豪のヴァレンタイン(サミュエル・L・ジャクソン)の人類滅亡計画に気付いたハリーの推薦でエグジーも正式の「キングスマン」の一員となれた。そのハリーがヴァレンタインの手で殺される。エグジーは、果たしてヴァレンタインの計画を止めることができるのか。。。


007を思い出させ、ここまで、ハチャメチャにやれるとは、実に気分がスカットする気持ちの良い出来だ!

 監督は、アクションが大好きなマシュー・ヴォーン。

 予告編を観たときには、いっちゃぁなんだが、かなり高齢のコリン・ファースが典型的な英国紳士の上品なスーツを着てスパイ・アクションに挑むって感じで、これはもう、コメディとしても無理、無理と思っていたが、本編を観てみると、そんな杞憂はまったく要りませんという面白い仕上がりになっている。

 英国出身の監督:マシュー・ヴォーンとしては、当然にスパイ映画としては、英国が誇る先輩格の、特に、ショーン・コネリーが出ていた頃の初期の「007シリーズ」には深い、深い思い入れがあるようで、高齢者の映画ファンにとっては、懐かしさを充分に感じさせてくれる小物が一杯出てくる。
紳士服店のアイデアはテレビの「ナポレオン・ソロ」からのようだ。

 爪先からナイフが出てくる靴、ライター爆弾、感電リング、体内で毒を発生させる万年筆など、など。
昔の007で使用したそのまんまの靴もあり、また多くが007シリーズからの小物武器にヒントを得ているが、そこは、現代に活躍するエージェントで、英国紳士が愛用する傘は、広げると防弾の機能があるだけでなく、自分の方からは、相手が透き通って見え、傘の芯は機関銃だけでなく、スタン・ガンにもなっていたり、仕立ての良いオーダー・メイドのスーツは防弾機能も備えて身を守れるとは、よく考えていてかなり楽しめる。

 またセリフも、アクション映画が客を大勢呼び込むには、主役のヒーローがカッコ良いだけでなく、相手となる悪役が重要だなんて、かなり007を意識していてこちらも、ウエットがあり笑える。

 そこで、悪役となるサミュエル・L・ジャクソンだが、彼はおいといて、彼のボディ・ガード役のガゼルを演じるソフィア・ブテラのアクションと義足がすごい!
彼女:ソフィア・ブテラは、アルジェリア生まれのダンサーとのことで、高い身体能力が要求される宙返りの演技を立派にこなした訳は分かった。
その美女の両足は、切れ味の鋭い刀を潜ませていて凶器ともなる特殊な義足になっているとは、CG処理とはいえ、この設定は、見ごたえがある。

 後ろ向きでのカーチェイス、今は懐かしい感が強いワイヤー・アクションも多用し、天地が逆転しての銃撃などは特に新しくないが、それなりに画面転換をうまく処理している。

 寝ている間に水が一杯になったり、スカイ・ダイビングでの緊迫感、また子犬から育てた犬を殺させるなど、エージェントになるための訓練場面も盛りだくさんで飽きさせない。

 と書いてくると、題材が皆な古だけかと思われるだろうが、新しいことは携帯電話に入っているSIMカードを使って、人類をコントロールするのだ。
教会でコリン・ファースが、いろんな方法で、しかも一人で、何十人もの人々を殺したり、チップを埋め込まれた人々の頭が、まるで花火のように、世界中でぶっ飛ぶなんてところは、ハチャメチャ過ぎてあまりお勧めできないが、ここまでやると、まあこれもありかと許せる作りだ。

 監督:マシュー・ヴォーンが狙っている身分差別の存在、宗教への批判やエコと言っている金持ちの矛盾などがさりげなく散りばめられているのも良い。

 基本的に生まれが紳士を創るのではでは、マナーを学ぶことによって紳士になれるとは、階級の差がまだある英国においての皮肉で、同感だ。
例え生まれは貧しくても、努力をすることによって、品格が形成されるのだ。

 面白い映画だった。

 コリン・ファースの評判が良かった: 「英国王のスピーチ」 (2011年)

 アンフェア  the end  

あらすじ:刑事だった父親の死に疑問を抱き、その真相をつきとめるために刑事になった雪平夏見(篠原涼子)は、バツイチで娘がいて、無駄に美人だったが、独自の捜査方法を行い犯人の検挙率は高かった。父親殺しを探っていると警察上部の不正を追求していて殺された元の夫(香川照之)から、機密データが入っているUSBメモリーを託され、警察だけでなく国家的な闇組織の存在がわかってきた。そんな時、雪平が信頼していた村上検事が殺され、容疑者としてシステム・エンジニアの津島直紀(永山絢斗)が逮捕されたが、津島は、一連の事件は警察だけでなく検察や裁判所などを牛耳る闇の組織の陰謀で自分も彼らに関する重要なデータを持っていると雪平に打明ける。津島を信じ、彼を警察から逃がした雪平に、死んだ筈の雪平の元の上司で恋人でもあった一条道孝(佐藤浩市)が表われ、三人は協力して、闇組織を追及するが、USBメモリーを取り返そうとする闇組織は容赦なく迫る。。。


アンフェア(不公平)というよりは、都合の良すぎる、筋の荒い映画だ!

 この映画「アンフェア」の元になっているのは、テレビ・ドラマがあり、映画化もされて、これが3作目で、「The End」というサブ・タイトルからみると、これで終わりにするということらしい。

 私は、テレビでの放映も映画化されたものも観ていないが、どうゆうわけか「無駄に美人」という言葉は気になっていた。

 監督と脚本は、テレビと同じ佐藤嗣麻子で、テレビでの原作はあったようだが、そのネタは放送番組で使い果たしていて、佐藤嗣麻子のかなりオリジナリティの入った作品らしい。

 連続物ということが悪い影響をしている。
死んだ筈の一条という元の恋人がどうして生き返っているのか。
「アンフェアなのは誰か?」という、初めて観る人にはまったく意味をなさない本のシオリの存在。
検察内部のまったく分からない複雑な人間関係などが、多分、前の話を引きずっているようで説明もなく、実に話が分かり難いのが、まずこの作品の欠点だ。

脚本を書く段階から、佐藤嗣麻子にはもう、今度の映画化において題材とするアイデアが無かったのがよく分かる粗くて、本当に時間をかけた推敲がなされていないことを露呈した話になっている。

 いつも、黒いコートをはおり、黒いスーツを着て、多分下着も黒を愛用しているのだろうが、アクションをする篠原涼子は一見カッコがいいが、変に愛情に絡んだ話を入れてしまい、かなり話の流れで、不自然なことが目立つ結果になっている。

 病院から容疑者の津島が逃げ出せるシーン。またその後、いつの間にか、隠れ家が用意されていること。
別荘で似たような設備がいつの間にか2組容易されている強引さ。
普通の私は、寝ていてもキッスをされれば、眼が覚める。
亡命をしようとするどこかの大使館がビルの上層階にあるのに、折角応援にきた警察の仲間が、雪平の側で援護しないで、離れていってしまうこと。
などなど。

 一番間延びがしたのが、その亡命をしようとする大使館の入口での、時間をかけてにらめっこをする雪平と一条と津島の長いシーンだ。
ちゃんとした脚本家なら、最後にこんなに時間をかけないように「布石」を充分に打っていくが、佐藤嗣麻子にそのような発想も枯渇していたようだ。

 今まで説明できなかったことを、一気に最後で片付けようとするこの展開では、まったく素人の作品だ。
テレビでは評判が良かったような佐藤嗣麻子には今後の発奮を期待する。

 また、話の雑さの他に、配役でもミスっている。
阿部サダヲが警察で雪平の上司になっているけど、このセリフ回しでは組織の管理職役ができていない。
阿部サダヲは役柄としては、他に挑戦しないで喜劇に専念して欲しい役者だ。

 そして、訳の分からない検察庁の検察官になっているAKIRAとかいう俳優もどうして、この複雑な役柄を彼に任せたのか、随分と無理な配役だった。

 「眼には、眼を、出来の悪い映画には、終わりを」。
この映画のシリーズが「The End」となって良かった。

最近、面白くない阿部サダヲの:「謝罪の王様」 (2013年)

 ヴィンセントが教えてくれたこと    

あらすじ:猫と寂しく暮らしているヴィンセント(ビル・マーレイ)は、競馬と酒が大好きで近所でも偏屈者として評判。時々妊娠しているロシア系のストリッパー:ダカ(ナオミ・ワッツ)とも遊んでいた。その彼の家の隣に、離婚を考えている病院でCTスキャン技師をしているマギー(メリッサ・マッカーシー)が息子で12歳になるオリバー(ジェイデン・リーベラー)を連れて引っ越してきた。そのオリバーが転校そうそう学校でいじめられて家の鍵をとられ家に入れないので、金に困っているヴィンセントはベビー・シッターとして11ドルの時給をとってオリバーの面倒を見ることになった。それを機に、マギーに急な仕事が入った時や残業のたびにヴィンセントはオリバーの面倒をみることになったが、ヴィンセントはマギーには内緒でオリバーを競馬場に連れて行き、オッズの計算や馬の賭け方を教えたり、夜にはバーに連れて行き、大人の考え方を教えていた。また、学校のいじめっ子をやっつける方法も教えた。そんなヴィンセントだったが、ヴェトナム戦争では武勲を立て、また、長い間認知症で入院している妻との面会を続けている優しい一面もあったのだ。それを知っているオリバーが学校の「聖人」についての発表会で選んだのは。。。


女:単純で面白く出来ているわね!

男:監督は、これが長編映画としては初めての、セオドア・メルフィで彼が脚本を書き、製作もしている。
女:原題は「ST.Vincent (聖人:ヴィンセント)」で、この”聖人”という言葉に該当する人が、宗教の世界以外にもいるということを、監督:セオドア・メルフィは言いたかったのね。
男:転校してきたオリバーの担任の先生が、学校で信教は自由だといいながら、神様やカトリック教にこだわっているのも、クスリと笑える。
女:本当の父親なら、まだ12歳の男の子を競馬場に連れて行くことはあっても、夜のバーやストリップ場には連れて行かないわよね。
男:でも、それがこの生活をしている隣のオヤジさんなら、まあ、あるかなって展開がうまいね。
女:隣に引っ越してきたお母さんも、けっして、ヴィンセントに自分の子供を預けることが良くないとは思っていても、止むをえない状況にあるという設定も観客に分かるようにしてあるのよ。
男:そのお母さん役のマギーは、太目のメリッサ・マッカーシーが演じているけど、彼女はよくいる母親タイプを上手に演じているね。
女:この映画が面白いのは、その配役での妙じゃないの。
男:確かにそうだね。
  独特の笑いの雰囲気を持っていて、徐々に人情に溢れた役柄を演じられるビル・マーレイを持ってきたのは、監督として成功している。
  ビル・マーレイは何の制約も感じられないで、伸び伸びと役をこなしている。
女:それ以上に貴方が感心したのは、ナオミ・ワッツの役どころでしょう。
男:あの、ナオミ・ワッツに腹ぼてで、片言の英語しか話せないハスッパなロシアのストリッパーをやらせるとは、思い切った配役ってことだね。
女:映画の製作費はあまりかかっていないようだけど、それだけ脚本の段階で練られたセリフも多くてあちら、こちらで笑えたわ。
男:「夜の淑女」なんて言い方だね。
  ユーモアのセンスもある。
女:いじめられている男の子に、けんかに勝つ方法を教えたり、認知症の妻の面倒を隠れて見ているなんてところは、泣かせる場面で、他の映画でもよくある展開だけど気楽に観てられる映画になっていたわよ。
男:古いモデルのオープン・カーに乗って、これまた昔のジューク・ボックスやカセット・テープから流れる古い音楽を聞いて日々を過ごすか。
女:男の老人はどうしても時の流れに追いつけないのよね。
男:新しい技術を採用した車やiPodなどのオーディオ機器は、確かに性能は優れているけど、長い間使っていると、性能以外の愛着が生まれるから、なかなか手放せなくなるんだ。
女:それは、単に記憶力が薄れてきて、新しい取扱説明書に対応できないだけじゃないの。
男:それを言っちゃお終いだよ。
女:何か、都合が悪くなると、フーテンの寅さんのセリフでごまかすのよね。
男:記憶力が弱くなったのは、きみだって...
女:何かいったっ!
男:いや、なにも...

ビル・マーレイが少しだけ出ている: 「グランド・ブダペスト・ホテル」 (2014年)
ナオミ・ワッツの: 「J・エドガー」 (2012年)

参考までに、頑固な隣りの老人を描いた: 「グラン・トリノ」 (2009年)

 ジュラシック・ワールド     

あらすじ:中央アメリカはコスタリカの沖にある孤島は、以前太古の恐竜を蘇らせた「ジュラッシック・パーク」として人気があったが、恐竜の暴走があり、閉鎖になっていた。しかし、新しく、遺伝子操作で蘇った海中に棲む爬虫類や、羽毛を持つ恐竜など古代生物のテーマ・パークとしてその名を「ジュラッシク・ワールド」に改め、1日に2万人が訪れる観光施設になっていた。そのジュラッシック・ワールドの全体責任者のクレア・ディアリング(ブライス・ダラス・ハワード)は、訪ねてきた甥のザックとグレイの面倒を見るように姉から頼まれていたが、株主の対応や、新しく遺伝子操作で生まれた赤外線に反応せず、擬態もする凶暴な複合恐竜:インドミナスの成長状況を確認するなど多忙だった。クレアは、彼女の元の彼氏で小型恐竜:ラプトルを手なづけようとしているオーエン・グラディ(クリス・ブラット)と共にインドミナスが棲んでいる建物の安全性を確かめに行くと、そこでは、壁に爪跡が残されインドミナスの生体反応がなく、インドミナスは逃亡したようだった。しかし、知能にも優れたインドミナスは、ひっそりと建物内のジャングルの中に潜んでいて、扉が開くのを待っていたのだ。檻の外に脱出したインドミナスは、次ぎ次と人を捕食し、緊急避難のアナウンスを無視しているザックとグレイも襲われるが、二人は滝壷に飛び込んで難を逃れた。施設にいる警備部隊はインドミナスを捕えようとするが、インドミナスは自分の体内に埋め込まれたGPSさえ喰いちぎって、位置を惑わすほどの知能を持ち、部隊は全滅する。島の北部を封鎖して、観光客を非難させようとするが、壊れたドームからは飛び出した多くの飛竜が観光客を空から襲う。インドミナスも封鎖壁を壊して、ついに。。。


お子様向けのようだが、お子様にはみせられない残酷で怖い映画だ!

 あらすじでも説明したように、マイケル・クライトンの遺伝子操作で恐竜を蘇らせた原作をスティーヴン・スピルバーグ監督が、1993年に映画化して、世界中でヒットし、今では、テーマ・パークのユニバーサル・スタジオのアトラクションの1つともなっている「ジュラッシク・パーク」のシリーズとしては4作目ということだけど、私は、最初の作品の出来が余りにもレベルが低くかったので、2作目は以降は観ていないと思う。

 第一作が出来た頃は、まだCGの技術も幼くて、恐竜と訪れた観客が共に逃げるシーン程度しかCG化は出来なかったようだけど、今はCG(VFX)も進歩し、もう、何でも作り上げることができる時代となり、想像上のテーマ・パークも迫力を増したという宣伝文句がある。

 しかし、単に恐竜好きの男の子に見せるだけなら筋は荒くても良いだろうが、テーマ・パーク運営で利益だけを追求する大人たちや、洒落た白い服装をしてハイ・ヒールを履いて逃げる女性責任者や、この緊急事態に間延びした退屈な恋愛も入れられているなど大人の観客も意識した作品にしている以上、もっと、丁寧な展開にしないといけない。
いや、いくら恐竜好きの男の子でも、暗い中で動きまわる恐竜では、大きさや格好があまりはっきりしないこの描き方では、満足しない出来だ。

 知能に優れたことになっているインドミナスがオーエンが隠れている車のすぐ側まできても、その存在に気が付かず、オーエンはなんとか逃れることができたり、女の娘にしか関心のない高校生が、昔使っていた自動車を修理して動かすことができるという適当すぎる設定では、余りにも都合が良すぎないかい。
また、どこからか魔法のように取り出すことのできるスマートホンやトランシバー。
周りの人は、恐竜や飛竜に襲われ食べられているのにいつも間一髪で逃れることのできる主人公たちでは、緊迫感がまったくでていない。

 そして、子供たちが滝壷へ飛び込んだあと、いつの間にか、安全圏に戻っているなど、1つのエピソードが終わると、いつも、いつの間にか完全に別の展開にしているという杜撰な進行も、大人は納得しない。

 島にいた筈の2万人もの観客は、パニックにも陥らないでどのようにして、島から脱出できたのかなあ。
壊れたドームから出た飛竜は、空を飛んで島以外の他の地域で人を食べているんじゃないの。

 などなど、、他にも不自然な点が多く、これでは、いくら何でも、高評価にはならない。

 またまた、最初の作品で出てきたTレックスが島を支配するとは、次のシリーズへ強引に持っていく積もりのようだ。

 ミッション:インポッシブル ~ローグ・ネイション~     

あらすじ:アメリカのCIAの特殊組織である IMFの一員として数多くの難しい任務をこなしてきたイーサン・ハント(トム・クルーズ)だったが、ロンドンで残虐な犯行を行っている正体不明の組織「シンジケート」に捉えられてしまう。しかし、シンジケートに属しながら、不可解な行動をとる女性:イルサ・ファースト(レベッカ・ファーガソン)の助けで、どうにかイーサンは、敵から逃れることができた。シンジケートの正体を探っていくと、そこには、多くの国で行方不明になっている諜報部員がいた。シンジケートは、ソロモン・レーン(ショーン・ハリス)が各国のスパイたちを集めたならず者の組織だったのだ。IMFの解体を主張するCIA長官(アレック・ボールドウィン)の追求を受けながら、古くからの仲間:ベンジー・ダン(サイモン・ベッグ)と共にシンジケートの極秘ファイルがあるモロッコの水中施設に潜りこむが。。。


女:もう、与えられたミッションは全然、インポッシブルではないのね!

男:テレビで評判だった「スパイ大作戦」が、「ミッション・インポッシブル」として映画化されたのが、1996年で、これがトム・クルーズの主演作として大当たりとなり、シリーズ物となり、ついに第5作目として、この「ローグ・ネイション」になったわけだ。
女:一応、この「ミッション・インポッシブル」シリーズは、前の第4作目の「ゴースト・プロトコル」を含めて、全部観ているわよ。
男:副題の「Rogue Nation =ローグ・ネイション」は、CIAやロシア、イギリスなんかから「ならず者を集めた組織」とでも訳せばいいのかな。
女:でも、どうして、こんなに登場人物が入り組んだ話にするのかしら。
男:謎の組織「シンジケート」にいる女性スパイ:イルサの設定だね。
女:組織にいながら、一度ならず、二度もトム・クルーズを助けて、なお、非情なボスから裏切り者として殺されないのは余りにも、お粗末な脚本よね。
男:前作の「ゴースト・プロトコル」でもそうだったけど、この映画は、基本となるストーリーが適当に作られているなあ。
女:最初の「ミッション・インポッシブル」にあった不可能な命令を、知恵と仲間の助け合いでやり遂げるというところから、もう、筋には関係なく、単なるアクションを見せる映画になったということね。
男:そのアクションの最大の呼び物が、予告編では、トムがスタント・マンを使わずに、時速400Kmで飛んでいる軍用機に飛び乗り、飛行機の中に入るシークエンスということだけど、この展開は映画の冒頭にあって短くて、あっという間に次の話にいくので、あまり記憶に残らないよ。
女:他のアクション映画でも多用されているカー・チェイスやバイク・チェイスも、定番で、ひっくりかえったり、対向車が迫っても、これでは、全然手に汗握るって程の内容でも無かったし。
男:ウイーンのオペラを上演している舞台裏での騒動は、どこかで見たのと同じで、これも、緊迫感もなく、実に下手な演出だった。
女:いくらなんでも、これだけの闘いをやっていれば、舞台の人や観客もは気がつくでしょうってことね。
男:地下の給水施設の中に、IDカードがあって、限られた時間内に偽のデータと交換しなければならない場面は、一体何を意図していたのかな。
女:水中で息が続かないなら、小型のボンベを使うという手が他の映画ではあったわ。
   ここでも、トムは、いつの間にか、助けられているというのは、杜撰なもって行きかたよね。

男:不可能なミッションを頭脳とチーム・ワークで片付けるという基本がなくなっている。
女:それよりも貴方にとって面白くないのは、女スパイのレベッカ・ファーガソンが水着をきても全然色っぽくないことでしょう?
男:そうなんだ。
   ジェームス・ボンドの「007シリーズ」のように、アクション映画に女性をもってくるなら、それは、もっと露出を期待して・・・
   いや、そんなことは無いよ。
   危ない、危ない。つい本音がでるところだった。
女:今なんていったの?
男:いやっ、何も言っていません。

前作:「ミッション・インポッシブル ゴースト・プロトコル」 (2011年)
トム・クルーズの不作の: 「オブリビオン」 (2013年)

ウイーンにあるオペラ座をもっと知りたいなら: 「中欧の旅」  もあります。

  HERO  (日本映画)    

あらすじ: ある建物の裏通りから急に出てきたパーティー・コンパニオンを轢いた運転手の交通事件を扱うことになった東京地検城西支部の久利生公平検事(木村拓哉)は、事務官の麻木千佳(北川景子)と共に現場検証に出かけると、その建物はネウストリア公国大使館であった。轢かれた女性は、関西の暴力団のパーティにも呼ばれていて、かっては久利生の事務官を務めていた雨宮舞子(松たか子)が、今は大阪の検事として追求している暴力団に関する証人だった。久利生と雨宮は協力して捜査を進め、ネウストリア大使館の要人と暴力団が禁止薬物の密売で繋がっている疑いを持ち、大使館員に話を聞こうとするが、大使館は日本の法が及ばない世界であった。それでも、執拗に大使館内に潜り込む二人に、外務省の松葉圭介(佐藤浩市)からも国際問題になるので捜査を止めろと言われ、久利生は何者かに命を狙われる。しかし、正義感に燃える久利生の気持ちは、同僚の検事たちを動かし。。。


押し付けでない、正義感がよく出ている!

 検事といえば、スーツのエリに検事のバッチを光らせ、裁判所でも犯人を追い詰める硬いイメージであるが、この「HERO」での久利生検事の特徴は、中学校卒だけの学歴でありながら司法試験に受かり、取調室でもスーツを着ないで、ラフにダウンを着てジーパンをはいて取調べをするという設定にある。
正義感の強い、行動力のある型破りの検事を木村拓哉が演じ、その女房役の事務官を松たか子が演じたTVドラマは好評で、2007年には劇場版も作られている。

 今回の監督は、鈴木雅之で、脚本、福田 靖。このコンビは、TVでも2007年の劇場版の前作でも同じだ。

 一応、法律を学んだことのある人なら、大使館の敷地内は、日本の法が及ばない「治外法権」で、また大使などには、外交特権があり身柄の拘束ができないなどは知っている。

 この大使館という特殊な題材をテーマにしていて、交通事故という単純な事件でも、真相を追究していけば、これが当然に外交問題となり、いくら、正義感に燃えている久利生検事でも、これだけは解決できないだろうという、多くの布石を打っている。
でも、組織や権威に負けない久利生なら何とかやれるという、設定は、基本のとおりだ。

 一部、新任の大使がばれずにレストランに来ているなど、甘い感じの展開はあるが、全体としては素直に観られる映画になっていた。

 トレンディ・ドラマでただルックスだけで主役を張っていた木村拓哉も年相応の落ち着きのある演技を見せるようになってきている。若い事務官の北川景子に「ライバル意識を持たずに、自分に自信を持って、自分の良いところを伸ばせばいい」なんてセリフを言っても、不自然でない管理職の世代に、充分に入って来ている。

 歌舞伎界の娘で和服の専門家の松たか子に、旅館の仲居さんのような和服の着こなしをさせるとは、大いに笑える。
緊張感と適度な笑いは、映画を進めていく上で、必要なエキスだ。

 この物語の最初からの設定である検事とそのサポートをする事務官という関係、会社であれば上司と秘書のような親密な仕事の関係から生まれる恋愛感情。
互いに恋愛感情を持ちながら、その気持ちを伝えられないといういらだたしさ、観客にしてみれば、もっと行動して、何とかしろよというイライラ感を抱かせるのが、この映画のうまさだ。
仕事をバリバリやるが、女心に疎い役割を良い男の代表である木村拓哉にやらせ、これまた、奥ゆかしさを雰囲気としてもっている日本的な女性としての松たか子にしている配役の妙で成功している。
アメリカ映画のように男女の出会いが直ぐに、肉体関係にならない日本的な映画の表現が今までも好評な理由の1つにあげられる。

 木村拓哉と松たか子はこの微妙な関係をうまく演じている。

 脚本としても、解決が出来ないと他の案を出さずに、直ぐに、政治力に負けるとか、組織に潰されるという状況にしてしまい、安易な方向を採用する映画作品が多い中で、どうすれば、解決の糸口を見つけられるか、それは、国際的に共通な食べ物か、スポーツかなど、困難に立ち向かう積極的な姿勢は評価を高くさせる。

 久利生がのめり込んでいる通信販売や、ガヤガヤした城西支部の他の検事たちの生活を抑えていることもいい結果になった。

 誰の物でもない自分の人生は、出世や金儲けを考える前に、後悔しないように生きましょう!

前回の: 「HERO」 (2007年)
木村拓哉の成長の基になった: 「武士の一分」 (2006年)
松たか子の: 「小さいおうち」 (2013年)、 「告白」 (2010年)、 「隠し剣 鬼の爪」 (2004年)

  ターミネーター  新起動    

あらすじ: 近未来のアメリカ。人類はコンピューター組織の「スカイネット」と戦いの状況にあった。スカイネットは人類が発展のために作りあげた人口知能であったが独自の進化をし、人類を敵と見なし、滅亡させようとするようになっていたのだ。人類軍は、ジョン・コナー(ジェイソン・クラーク)をリーダーとして、スカイネットのロボットたちと、必死の戦いを続け、もう勝利は目前であった。しかし、スカイネットは最終作戦としてタイム・トラベル・マシンを利用して、リーダーであるジョンの存在を過去から消滅させるために、母親サラ・コナー(エミリア・クラーク)の殺害を企てて最新の変幻自在なT-1000型ロボット(イ・ビョンホン)を送り込んだ。それを知った、人類軍は、ジョンの片腕であるカイル(ジェイ・コートニー)をサラを守るために送り込む。サラと出合うことができたカイルだったが、サラの側には、以前にスカイネットからサラのターミネーター(抹殺者)として送り込まれた旧式のT-800型ロボット(アーノルド・シュワルツェネッガー)が、不思議なことにサラのボディ・ガードとして付いていた。度重なるタイム・トラベルが既に時空を変化させ、状況が変わっていたのだ。そこで、サラとカイル、そしてT-800型ロボットは、人類滅亡の始まりとなる次の時代に飛び、新たに送り込まれたターミネーターと闘うことになるが。。。


繰り返えされる同じアクションの連続では、途中で飽きる!

 1984年に、歴史的に解決できない事実を書きかえるために、過去にタイム・トラベルして、通常なら、その本人を殺すのがよくある話だったが、そこから1つ前の母親から抹殺するというアイデアと、非情で頑丈なロボットを使うことで話題を呼び、その後、「ターミネーター」シリーズとして、2,3,4が作られ、今度は、また「新起動(ジェニシス)」として上映されている。

 過去のシリーズを観ていると、どうして、サラを殺しにきたT-800型ロボット(アーノルド・シュワルツェネッガー)が、サラのボディ・ガードになっているか、少しは分かるが、こう何度もタイム・トラベルをされると、筋書きの荒さに飽きれる。

 また、本来は、人類軍のリーダーであるジョン・コナーまでが、敵に廻るとは、分かり難い話にした。

 これでは、単に時間を越えて、アーノルド・シュワルツェネッガーとT-1000型やジョン・コナーとのアクションを繰り返し、繰り返しで観せられるだけで途中で欠伸がでた。
やっつけても、やっつけても復活する液体金属でできたT-1000型が、また、またかなりの時間をさいて出ているが、このT-1000型を壊す方法は、過去のシリーズで示されている。
ただ、戦闘の場所を、地下にしたり、空中にしたり、橋の上でこれもただ黄色で大型で目立つだけで選んだスクール・バスの横転では、アイデアとしても全然目新しさがなく、退屈だ。

 大体、過去の世界でも、タイム・トラベル・マシンが作れているなら、人類軍としては、スカイネットが成長しないうちに、スカイネットを壊せるのを、無理やり引き伸ばして、上映時間を稼いでいるだけだ。

 リーピート(繰り返し)の方をターミネイト(終了)したくなった作品だ。

前前作: 「ターミネーター3」 (2003年)

  予告犯         

あらすじ: あるIT企業で派遣として働いてきた奥田宏明(生田斗真)は、3年経てば正社員として採用されるという言葉を信じて真面目に勤めていたが、その3年目を前に社長たちの嫌がらせを受け解雇となった。そこで、日雇い労働者となり、通称:カンサイ(鈴木亮平)、ノビタ(濱田岳)、メタボ(荒川良々)そして、フィリッピンから父親を探しに来ているヒョロ(福山康平)たちと親しくなったが、廃品処理場での過酷な労働がたたりヒョロは亡くなる。しかし、雇い主のヒョロの死体の扱い方が酷かったので、憤慨した宏明たちは雇い主を殺すが、山中で起きた犯行はばれずにいた。その後、ネットの投稿サイトで新聞紙で出来た袋を被った「シンブンシ」と名乗り犯行を予告し大胆な犯罪を続けるのは宏明たちだった。4人組は、犯行を予告し、食中毒を起こしていながら反省していない会社に火を点けたり、ゴキブリを揚げて非難されている店員に無理やりゴキブリを食わしたりしていた。この事件を扱うことになった警視庁のサイバー犯罪担当の吉野絵里香(戸田恵梨香)は、次に殺害を予告されている設楽木議員(小日向文世)を警護し、宏明を追い詰めるが、後一歩で逃げられてしまった。宏明たちの犯行には隠された目的が。。。


女:中途半端な考えしかもっていない監督が主張もなく作った映画ね!

男:またまた、原作は、漫画で筒井哲也の作品があるようだ。
   それを、中村義洋(なかむらよしひろ)が監督した。
女:主役の会社に裏切られた奥田宏明にしろ、音楽バンドが結成できなかったカンサイやニートのノビタにしても、皆んな複雑な過去を持っていてそれが犯罪に繋がったことになるんだけど、この程度の事情で、ここまでやるのかっていう気持ちが強いわね。
男:彼らが、法に代わって、犯罪者にお仕置きをするにしては、動機付けが弱いってことか。
女:それに、お金も無いのに、犯行現場の近くに簡単に空き家を借りていたり、大量の健康飲料のペット・ボトルが爆発する仕掛けをいつの間にかしているなんて、余りにも、話にあわせたご都合主義で作られていておかしさが目立つのよね。
男:自分のためでなく、社会のために裁判所に代わって制裁を加えてやるなら、金銭や情報収集のやりかたなど裏付けとなる設定もしっかりしていないとだめだね。
女:フィリッピンから自分の腎臓を売ってまでして父を探しに日本にきた子供の存在が彼らの犯罪の裏にあるんだけれど、ほんの子供がここまで才覚があるとは思えないでしょう。
  大人の発想なら、こんな子供に演じさせないで、大人に演じさせればいいのにね。
男:彼の日本語のセリフもこれでは、完全にアクセントも日本の子供だから、実に設定が不自然で強引なやり方に映る。
女:また、また彼らに対する警視庁のサイバー犯罪担当の女性の存在も適当過ぎるのよね。
男:映画的には、男ばかりの物語を彩るために女優を加えたがるのは分かるが、彼女が犯人を必死に追いかけて、下水道でのんびりと彼に呼びかける時間があるなら、携帯電話か専用無線で加勢の手配をしろと、画面に叱りつけたくなるね。
  子供を登場させたり、下水道で時間をかけて、多くのセリフを入れるのは、漫画の時間を越えたこまわりならそれも許されるが、動画という現実の時間が経過するとおかしな印象となるからね。
女:東大を出ているけど、子供時代は恵まれていませんでしたと言われても、この描き方では共感できないわね。
男:必死に走る程度の演技しかできない女優なら、もう完全に、男たちだけの映画にすべきだね。
  映画を作る上で最高に必要とされる、観客が観た時に、いかに違和感がなくスクリーンに入っていけるかの布石の置き方、その為のシナリオの練り方、演出の仕方など、まだまだこの監督:中村義洋には、原作を消化して自分のアイデアでやるための勉強が必要だね。
女:あなたは、先日、黒澤明監督の「天国と地獄」のDVDをしっかり観ていたから、特にこの程度の作品では物足りないのね。
男:社会に不満を持って、犯罪を犯すなら、犯罪人にしっかりとした屈折感など動機付けがないとだめだね。
女:本当に、最近の映画館では安易な映画ばかりで、これではお金を払ってまで観たいという気にならないわね。
男:実際、私のこの「映画・演劇評論」でも、取り上げる作品の数が激しく減ってきたね。
女:映画を観なくなったのは、あなたが歳をとって映画を観るエネルギーが衰えて来たせいじゃあないの?
男:確かに、それもある。
女:あれっ! どうしたの?
  いつもは、元気なあなたなのに、今日は神妙ね。本当は、最近の映画では、いい女優が出ていないのが本音でしょ!

男:それを、いっちゃあおしまいだけどね。
女:どうしても、終わりは、フーテンの寅さんにしたいのね。
  困った人ねっ!

濱田岳が出ていた: 「WOOD JOB!」 (2014年)

  海街diary         

あらすじ: 鎌倉の海沿いにある古びた一軒家に暮らしている、三姉妹の長女:幸(綾瀬はるか)、次女:佳乃(長澤まさみ)そして三女:千佳(夏帆)の父親は15年前に愛人をつくって家を出て行き、その後、母(大竹しのぶ)も再婚し7年前に3人の子どもを残したままいなくなり、それ以来、幸は看護師を勤めながら、母親代わりになって妹たちの面倒を見ていた。そんな折、東北の父の愛人から、父親が亡くなったとの知らせが入った。幸としては仕事が忙しいことを理由に、苦労だけをかけた父親の葬儀には出席したくなかったが、そうもいかず、三姉妹は葬儀に列席した。そこで、3人は、亡き父が連れ子としていた、異母妹にあたる中学生のすず(広瀬すず)に出会った。すずは、明るくてしっかりしていたが、義理の母親とはうまくいっていないようなので、三姉妹は、すずを鎌倉の家に引き取り、4人での暮らしが始まった。すずを交えた食卓は今まで以上に賑やかになり、すずが話す三姉妹が知らない父親、すずが知らない鎌倉での父親の話で盛り上がり、すずも鎌倉での生活に馴染み、新しく参加した地元のサッカー・チームでも打ち解けていった。しかし、幸は、態度がはっきりしない不倫相手の医者(堤真一)との仲に限界を感じ、男に尽しているばかりいる佳乃も銀行員としての自覚が目覚めてきていた。季節ごとに美しく移り変わる鎌倉に住む四姉妹のこれからは。。。


人間は、こうやって、女性を中心に人類を残していくのだ! 

 原作には、吉田秋生の同じタイトルの「海街diary」というコミックがあり、これを、是枝裕和が脚本を書き、監督をつとめている。
もう最近ありすぎるほどの絵で見せているコミックが原作で、同じような絵を扱う映画としてのオリジナリティのないパターンに対する非難は、非難としてあるが、それは、それとして、是枝裕和監督作品としては、評判がよかった映画「そして父になる」もある。

 作品としての出来はいい。
クドイ説明を大きく省いた演出は、それでいて流れがよく、また画面をすっきりさせていて、素直に話に入っていける。
しっかり者の長女、男にだらしない次女。マイペースの三女。そして、明るくてまだ幼い四女と、性格の異なる四姉妹を配置する手法は、古くは「細雪」など、これまたよくあるパターンではあるが、ゴチャゴチャした姉妹だが、本質は互いに相手を思い合うという関係を、言葉とは裏腹な日本的な心情でうまく纏めている。

 これはまさしく、海が望める鎌倉の極楽寺付近を背景にした点でも効果があった。波と海岸。行き交う電車は、そのままで簡単に絵になる。
チクワ・カレーは食べる気がしないけど、旬のシラス丼、アジのフライか。とれたてを料理すれば、さぞ旨いことだろうね。
映画を観終わって、私も近所のスーパーでシラス干しを探していた。

 この映画「海街diary」では、四女役を演じている広瀬すずのこの年齢にして、このオーラのありかたについては、どうしても触れなければならない。
彼女:広瀬すずには、わたしたちの世代であれば、まるで吉永小百合の、そしてまだ若くして亡くなった夏目雅子の出現を思い出させるものがある。
監督:是枝裕和としても、実に育てがいのある女優の卵を見つけたものだ。これからの活躍が大いに期待される女性の一人だ。

 それにしても、長女を演じた綾瀬はるかの今までとは完全に異なった、母親代わりのしっかりしたこの映画での演技は素晴らしい。
テレビのインタビューなどで観る素顔の綾瀬はるかは、かなり天然ボケ気味で、ピントがズレテいるが、そんな姿はこの映画では全然当てはまらない。
実に与えられた役柄に溶け込んでいる。大竹しのぶや樹木希林に対しても堂々たる押し出しだ。
家庭を支えながら、不倫関係に悩む姿が素直に、また見事に出ている。
ここまで演じられるとは、女優としての成長振りに、すっかり彼女を見直してしまった。

 人間が生きていくために欠かせない食事。そして、絶対に避けられない死の存在。
食事のシーンの多用。二度も出てくる葬儀のシーン。
生と死の比較においても、是枝裕和監督の演出法は良く分かる。

 このような、姉妹を観ていると どんなことがあっても、人類は、女性によって強く生き延びていけるのだと感じた。
また、以前住んでいたことのある、海沿いでの生活が懐かしくなった。地球の悠久から続く潮の香りと波の音が脳を刺激する。

 でも、この日本的な演出と内容では、カンヌの映画祭に出しても、ヨーロッパ人には受けないのは、当然だとも思う。

是枝裕和監督の: 「そして父になる」 (2013年)
綾瀬はるかの: 「万能鑑定士 Q」 (2014年)
長澤まさみの: 「WOOD JOB!」 (2014年)

  おもろい女   -シアター クリエ-      

あらすじ: 時は昭和の初期。15歳でお笑いの世界に入ることを目指して故郷の鳥取から大阪へ出てきた河本杉子(藤山直美)は、漫才師に弟子入りし、河内家小芳と名乗り相棒もいたが、無声映画館でセロを弾いている玉松一郎(渡辺いっけい)を好きになり、二人は中国の青島(ちんたお)に駆け落ちした。青島で、二人は、新しくミス・ワカナ/一郎のコンビ名で舞台に立っていたが生活は苦しく、病気になった一郎は自殺を決意するが、いつも前向きなワカナの励ましで自殺を思い止まり、新規一転やり直しの覚悟で九州に戻った。九州の小屋主(山本陽子)の励みも受けて、ワカナの立板に水のしゃべりと、いつもボーとワカナの側に立ってアコーディオンを弾くだけの一郎の芸が評判になり、以前から世話になっている漫才作家の秋田實(田山涼成)の取持ちで、再び大阪に戻った二人だったが、現状に満足できないワカナと消極的な一郎の気持ちのずれが大きくなり、舞台では漫才を続けるものの、二人は離婚した。昭和21年、厳しかった長い戦争もどうやら終わり、笑いを求める人たちで満員となった阪急西宮球場の野外演芸会にでた二人は、最高の笑いを取った。しかし、ヒロポンに手を出していたワカナが心臓発作で。。。


笑いあり、人情ありの構成だが、共にちょっと足りない! 

 「おもろい女」とくれば、小野田勇が実在の漫才師ミス・ワカナと一郎のコンビを題材にした話をまとめ、これをワカナの弟子だった森光子が、1965年にテレビで今回ミス・ワカナを演じた藤山直美の父親:藤山寛美との共演で評判を得て、その後、森光子が「放浪記」と並ぶ看板芸として度々演じている。
舞台での相手役の一郎は芦屋雁之助となり演じられてきた。
私も、森光子の舞台は、2004年に、相手役の一郎は段田安則で観ている。

 今回も原作は小野田勇でそれを、田村孝裕が潤色・演出したということで、基本の部分は、森光子版とは、(あまり定かではないが)、変わっていないようだ。

 舞台は2幕構成で、通天閣のある大阪から始まり中国のチンタオ、北九州、また大阪の小屋などに変化していくが、スライドなどを使っていて、それほど凝った背景や大道具の作りではない。

 新たに、藤山直美独自の看板芸を育てずに、既に評価が高い森光子の看板芸を、他の人が演じるという演劇界の「ねた不足」は、映画界と同様に安易にお客を呼ぼうとする発想で、大変に残念ではある。
この問題は、また次の機会に譲ることとして、感想を述べよう。

 関西出身の女性漫才師を演じるとなると、これはもう今なら藤山直美となるのは、当然の配役だろう。
しかし、藤山直美の体形は、本人が舞台でも触れているように、かなり太めで、これでは、中国での生活の苦労感がまったく出ていない。
舞台にかける役者としては、せめて減量はして舞台に立って欲しい。
正しく漫才師として口から先に生まれてきたように、立板に水のセリフはうまく、軽妙さも充分にあるだけに、この太目の外観がすごく気になった。

 相手役の一郎を演じる渡辺いっけいは気の弱さや真面目さの面はあるが、藤山直美や山本陽子と対した時にはまだ、まだ固さが目立つ。
確かに、初めて藤山直美や山本陽子と共演すれば、つい大げさな演技になるのは、さけられない心情かも知れないが、彼にもコメディ役者として突っ込みの期待がかかっていることを自覚して成長して欲しい。

 それにしても、山本陽子の舞台での存在感は、大したものだ。
何度も、舞台で主演を演じてきた芸歴は立派に活きている。

 インテリ漫才作家を演じた田山涼成は、声の通りが悪い。
各出演者がマイクを使い、今回のシアター クリエでの客席は、一番後ろであったが、かなり彼のセリフが聞き辛かった。

 演出として、戦争批判も少し感じられるが、もっと強く「笑いと反戦」を出したいなら、原作から手を入れなければならないだろう。

 森光子を継ぐ「おもろい女」ではなく、藤山直美の「おもろい女」になるには、まだまだだった。 

  駆込み女と駆出し男      

あらすじ: 時は江戸時代の後期。江戸の町では、贅沢禁止令が出され、戯作者の曲亭馬琴(山崎努)らの本も出版制限を受けていたが、日本橋の豪商:堀切家三郎衛門(堤真一)はそんなことには構わず自宅に寿司職人や絵描きを招いて、仲間たちと宴を開いていた。しかし、三郎衛門の妾:お吟(満島ひかり)は、どこか裏がある三郎衛門との生活から逃れるために、鎌倉にある縁切り寺として有名な東慶寺に駆込んだ。また、放蕩三昧で暴力を振るう夫に耐えかねた女鉄職人のじょご(戸田恵梨香)も、同じ時に東慶寺に駆込む。だが、女性の方から正式に離縁状を貰うには、まず、東慶寺の門前にある柏家の主:源兵衛(樹木希林)の聞き取りと調停があった。柏家源兵衛の家では、窮屈な江戸から移ってきたばかりの戯作者見習いでまた医者見習いのおいの中村信次郎(大泉洋)がいて、源兵衛は信次郎にも、聞き取り役をやらせる。余りにも酷い仕打ちを受けていたじょごやお吟の願いは叶えられ、二人には東慶寺での2年間の厳しい禁欲生活が始まる。信次郎は医者の心得があったので、尼寺にも往診を許され、じょごとは顔の火傷を治した縁で心が通じ合う仲にもなった。一方、江戸幕府では東慶寺を潰そうとする鳥居輝蔵(北村有起哉)が密偵を東慶寺に送る。そして、2年後。。。


扱っているテーマは興味深いが、実に纏め方が悪い! 

 元になっているのは、あの作家であり劇作家でもあった井上ひさしの「東慶寺 花だより」があり、これを監督もしている原田眞人が脚本を書いた。
縁切り寺とは、男性側からしか離縁が許されていなかった江戸時代において、唯一、女性側から、離縁の申請ができたお寺のこと。
そこで、正式の妻でもない妾もその対象になっていたとは、知らなかったけど。

 単に草履を山門に投げ込めばそれだけで、直ぐに縁切り寺に入れると思っていたが、寺に入る前に、御用宿と呼ばれる場所で当事者である男女双方の言い分を聞く仕組みや、東慶寺においてもお金が必要で、持参金の額によって寺での待遇が違うなど、興味深い話が多い。

 裏がある豪商の妾のお吟が寺に駆け込む本当の訳のミステリー仕立てや、純情な中村信次郎の気持ちを受け入れたかのように見える鉄職人じょごの揺れ動く気持ちなどの話は、纏まっているが、他の話の纏め方が実に下手で、後味が悪い。

 例えば、途中で寺に入る女剣術士(内山理名)がうまく仇討ができたのかどうか、鳥居輝蔵の密偵として送られた両手首のない女が隠れきりしたんであったことのかなりの省略。
また、寺代の法秀尼も隠れきりたんであることの不明確さ。
など、など、観ていても、簡単に、あっという間に展開されてしまい、未消化のままで終わる。
各々の話の終わり方が決まっていないもどかしさが残る。

 想像妊娠という現象を、当時の見習い医者が知っていたかは兎も角、この話は大いに笑える。
また、舞台となっている寺の使い方もいい。

 だけど、口は達者だけど純情という戯作者見習い役に大泉洋は無理だった。彼の役作りでは、口だけは達者だけど、愛に純情の面は出ていない。
また、大泉以上に分からない使い方が、曲亭馬琴をやらせた山崎努だ。
実際に山崎努は、体が弱っているようで、充分に立って歩けない状況のようで、そこで、この作品でも座っているだけの役だけど、これなら、他の役者に代えた方が良かった。役がこなせない人を起用することはない。

 この題材なら、編集を再度し直せば、”素敵な”作品になりそうだ。

原田眞人監督と堤真一が出ている: 「クライマーズ・ハイ」 (2008年)、 「魍魎の匣」 (2007年)

  セッション      

あらすじ: 音楽学校として名門のシャッファー音楽大学へジャズ・ドラム専攻で入学したアンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)は、ジャズ界において伝説的な名ドラマー、バディ・リッチのようになりたいと思って、日夜、正しく血のにじむようなスティックさばきの練習を重ねていた。そんなニーマンを学内で最高の指揮者のテレンス・フレッチャー(J.K.シモンズ)が目に留め、ニーマンはフレッチャーが主催するスタジオ・バンドにスカウトされた。しかし、フレッチャーの指導法は、完璧さを求めていて、そのため教室では鬼のように厳しく、キーを少し外しただけでその学生は罵声を浴びせられ直ちに練習場から退去させられる。ニーマンも僅かなテンポの違いで何度も何度も繰り返し練習をさせられ涙を流した。だが、フレッチャーのバンドの一員としてコンテストに出場できれば、名が上ることは確実だった。そこで、映画館で知り合ったガール・フレンドのニコル(メリッサ・ブノア)との付き合いも止めて、練習に励んだ。ある日、楽譜を忘れたメイン・ドラマーの代わりに、メインの座を得たニーマンは、フレッチャーの手から血が出ていていても許さない度を越したような早打ちの要求にも堪えたが、明らかにニーマンよりも技術が劣る後輩をメイン・ドラマーにしたフレッチャーに、とうとう反抗し退校となった。しかし、フレッチャーもまた教え子の一人がフレッチャーの精神的な苦痛に耐えられず自殺した責任を問われて、シャッファー音楽大学を追われていた。そんな二人が、あるジャズ・クラブでたまたま出会いフレッチャーからコンテストに一緒に出ようと誘われニーマンもドラムを叩くことになったが、舞台で渡された楽譜は、他のメンバーが持っている曲とは違っていて、ニーマンは演奏ができなかった。ニーマンのせいで学校を追われたフレッチャーが復讐をしたのだ。窮地に立たされたニーマンがついに。。。


圧倒的なドラム・ソロに、耳も頭も完全に打ちのめされた! 

 監督は、若手(28歳?)のデイミアン・チャゼルで、まだ彼のこの「セッション」以外の作品を私は観たことがない。
 原題は「Whiplash」で、「鞭で激しく打つ」とか、「首がむちうち症になる」とかの意味で、またジャズの曲で「Whiplash」もあるとか。

 いやはや、素晴らしい。
次から次へと、すごい展開が詰まっている映画だった。

 まさしく、鬼のような形相で生徒に迫り、怒声と罵声を生徒に浴びせ、椅子を投げつける姿は、今まで役者生活を送ってきたJ.K.シモンズの演技の集大成ともなるだろう。
役になりきった最高な彼の演技力を見せつけられた。
でも、その厳格で完璧さを求める姿勢の裏側には、生徒たちに、どこに出しても恥ずかしくない技術を身につけた超一流のミュージシャンになって欲しいと願う先生の思いがいつも見えるから、さらに凄い演技だ。

 狂気ともとれるジャズに対する真摯な態度についていかなければならない生徒役も辛いが、マイルズ・テラーも若さを出してよくやっている。

 厳しい練習を乗り超えれば、その先には名声がまっているのは、現実の世界だ。
私も、受験生を甘やかして育てることは出来ないし、また向上心がなく、甘えるだけの受験生の面倒は見ない主義で、このフレッチャーの気持は、実に共感が持てる。

 音楽が大好きで、あまりジャンルに捉われないで、ロックから歌謡曲、クラシックまでよく聴いている私だけど、どうもジャズだけは、騒々しくて、音程が急に外れるので、今までレコード(古ッツ)を買ってまでは、聴いていない。
しかし、バディ・リッチやチャーリー・パーカーという名ドラマーの名前は知っているし、すごい早うちのドラム・ソロも聴いたことはある。
ジャズについて言わしてもらえば、マイルス・ディビス、アート・ブレイキー、MJQ、セロニアス・モンク、ジョージ・シアリングなどの名はすぐに挙がるし、カウント・ベーシー楽団などの曲も聞いている。
当然、映画に出てくる「キャラバン」は、ジャズ以外でも有名なので、馴染みの曲だ。

 そこで、監督:デイミアン・チャゼルがかってのジャズ音楽界が持っていた熱情が、今はないことを嘆く気持も十分に伝わる。

 音楽だけでなく、練習に打ち込むために恋人とは別れることができても、父親には取り込まれたままの男の子が、先生に対する反抗心と共に、どうにか父親から独立できる設定も好感度が高い。
自分を超える生徒の出現を先生は待っているし、自分の元をいつか去っていく息子であることを父親は知っている。
当然、その為には、自分に対する自信の素になる技術力と知識は必要だ。
さらに、ジャズのように技術に裏づけされたアドリブ(応用力)も世の中では多く試される。

 ともすれば、いじめ映画となって終わる話を青年の成長にしている点もいい。
特に、最後のコンテストの舞台での二転三転となる話の持って行き方は、強烈に鳴り続けるドラム・ソロに、頭を打ちのめされて驚嘆する素晴らしい出来栄えだ。
体中がゾクゾクし、また気持ちがワクワクして、画面に引き込まれる。
エンド・ロールが終わって、客席が明るくなっても、暫く席を立てなかった。
この練られたシナリオの完成度は高い。

 どうして、この「セッション」が、今年のアカデミー、作品賞をとらなかったのか、不思議だ。作品賞をとった「バードマン」より、数段優れた作品だ。
まったく、アメリカのアカデミー審査員は、レベルが低くて、話にならない。

 家に帰ると直ぐに、バディ・リッチの「キャラバン」を聴きそのドラムさばきにまた改めて感心しました。
そして、映画はかなり個人的な評価が入るので、めったに他人には、観る事を勧めない私ですが、学生時代からの友人で、ジャズが大好きで、大きなJBLのスピーカーと管球アンプでジャズを鳴らしているK君に、ぜひ観て欲しいと思う出来でした。

 この映画「セッション」は、新宿の元コマ劇場跡に、4月中旬に新しくできたTOHOシネマズで観ました。
 いつも見ている市川の映画館も、大型スクリーンといい音響ですが、この新宿のTOHOシネマズの席は、座り心地が、さらに良く、音響設備も流石に最新で、結構でした。
 平日の昼にも関わらず、観客がかなり入っていたのが、意外でした。

  ビリギャル      

あらすじ: 名古屋に住んでいる工藤さやか(有村架純)は、中学・高校・大学と一貫の女子高の2年生で、3人姉弟の長女だ。父親(田中哲司)は、小さな自動車修理工場を経営しているが、野球に熱心で、さやかの弟が甲子園に出場しプロの野球選手になることだけを夢見て、家庭の収入は母(吉田羊)のバイトにかなり負っていた。さやかは勉強もしないで髪の毛を金色に染め、ミニスカートを履いて、仲間たちとタバコを吸う内に校内でも補導されるが、さやかの良き理解者である母親の勧めで、”子”別指導を掲げる進学学習塾に入る気になった。その学習塾の先生:坪田(伊藤淳史)の常に前向きな姿勢が、さやかの第一志望校を慶応義塾大学にさせた。しかし、高校2年生でありながら、テストをすると零点ばかりで、小学4年生程度の学力しかなく、偏差値からみても慶応の合格ラインからは程遠かった。だが、塾の坪田先生と優しい母親の励ましを受けて、さやかの寝る間を惜しむ猛勉強の日々が続き、ついに慶応義塾大学の入学試験の受験日がくる。。。


よくある成功の物語がうまく纏められている! 

 監督は、「麒麟の翼」や「ハナミズキ」の土井裕泰で、原作には、塾の講師の坪田信貴が書いた「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」という本当の話がある。

 映画のチラシからでは、この話は、そこらによくある、チャラチャラした金髪とミニスカートの女子高生が、運がよくて適当に慶応大学に入るのだろうと思って、あまり映画館まで足を運ぶ気はしていなかったが、予告編での「聖徳太子」の話を見て、思わず笑ってしまい、コメディ・タッチが気に入り観にいった。

 家庭環境の描き方としては、以前から映画や物語としてよくある手法のままで、話を盛り上げるために、原作に付け加えて創作したと思われる箇所も多い。
自分が一流の野球選手になれなかった夢を息子に託している父親とそのプレシャーにつぶされる息子。
家計を支えるためにバイトまでしているけなげな母親。また、子供を分け隔てなく優しく包み、未だに夫を理解してる妻。
お馬鹿な高校生ギャルの生活はいつまでも続けられる筈がないと目覚めて、慶応大学への入学を必死に目指す娘。

 さらに、よく言われている、学校での教育方法では、落ちこぼれは救えないと、きれいごとを言って、個(子)別指導をし、その子のやる気を引き出すこれまた良く出来た素晴らしい塾の講師の存在。

 まあ、多くの人物の設定は、実在の話に普通に考えられる盛り上げる環境をかぶせただけだが、現実に存在する受験生の受験勉強のやりかたや受験生を持つ家庭の状況の描き方としては、納得でき、感動する仕上がりになっている。

 私も、長らく国家資格の「マンション管理士・管理業務主任者」の受験サイトを運営していて、多くの受験生から「どうすれば合格できるか」という甘えた質問に接して困惑している。
入学試験にせよ、国家資格試験にせよ、その試験に合格するには、他の人より良い点をとる努力が求められているだけだ。

 そのためには、自分で興味を持って、他人より勉強をするより他に道はない。

 まだ、その勉強の術を知らない高校生に対しては、合格方法を知っているよき担任の先生や両親が教えれば良いわけで、それができない場合には、学習塾に頼るのも手だが、合格のためのテクニックだけをマスターしても、だめだ。

 大学に入るのは、長い人生での4年間にか過ぎず、マンション管理士や管理業務主任者、また宅地建物取引士などの国家資格試験に合格してもそれは、その資格で求められるスタートの条件をクリアーしただけで、実務としては、今後解決しなければならない複雑な状況が待っている。
それらに対応できる知力も必要で、合格の先にある人生の方が長くて大切であるということだ。

 土井裕泰監督の過去の作品においては、肝心の部分を適当に省略していたが、この「ビリギャル」においては、合格後の担任の先生を約束どうりに裸にしていたり、有村架純の風呂場のシーンを入れるなど、かなり観客を意識したサービスもあって、以前より工夫が見られていい。
まだ、雨の使い方が下手で唐突感があるが、随分と監督としての技量が向上している。
有村架純としてもここまで伸び伸びとやらせてくれれば、文句は無い出来だ。

 才能は、誉めて伸ばせというけど、私にはできない?

土井裕泰監督の: 「麒麟の翼」 (2012年)

  寄生獣    -完結編-   

あらすじ: どこからかやってきて、人間に寄生しながら、他の人間を食べる寄生獣に高校生の新一(染谷将太)も危うく乗っ取られるところだったが、新一の寄生獣は新一の脳まで到達できず、新一の右手に寄生し、ミギー(声:阿部サダヲ)という名前がつき、宿主の新一の身に寄生獣からの危機が迫ると助けるという奇妙な共生を始めるようになった。しかし、他の寄生獣は、どんどん人間を乗っ取りついに新一の母も犠牲になる。母を殺された新一は、寄生獣に復讐をするようになる。そこで寄生獣のグループでは、新一を殺そうという意見が出るが、高校の女教師の体を乗っ取っているリーダーの田宮良子(深津絵里)は、自らも人間の子供を産み、なんとか寄生獣と人間との共存の可能性がないものかと模索しており、新一とミギーの関係も実験台として許していた。相次ぐ残酷な殺人事件の発生に警察も動き出し、東福山市の市長:広川(北村一輝)を中心にしたパラサイト・ネットワークを突き止め、寄生獣の壊滅作戦を行うが、5体もの寄生獣が1体となった、強力な寄生獣:後藤(浅野忠信)によって、警察隊は全滅する。その頃、田宮良子に色仕掛で操られていたことを知ったフリーのライター倉森(大森南朋)が、良子の赤ん坊を誘拐し、良子は赤ん坊を守って警察に撃たれて死ぬ。新一の存在を許さない強力な寄生獣:後藤と新一との壮絶な闘いがゴミの焼却場で始まる。どうにか、ミギーの助けを受けて後藤を退治できたが、疲れ果てたミギーは深い眠りに入った。だが、新一の恋人:村野里美(橋本愛)に今度は、人間の変態男の危険が迫る。。。


女:詰めの甘い個所もかなりあるけど、人間だけが繁栄していいのか、というテーマはいいわね! 

男:「寄生獣 -完結編-」の前作は、2014年11月に公開されていて、これも観たね。
  原作は、岩明均のコミックがあり、それを、山崎貴が実写化し、VFXも彼が担当している。
女:貴方が気にいっているのは、人間という種が、牛や豚など多くの動物を食べ、また戦争やテロで同じ人間をたくさん殺しているのに、どうして、人間という一種しか食べない寄生獣が非難されるかというところね。
男:原作者の岩明均にしても、これを映画化した山崎貴監督にしても、傲慢な人間にその生き方を反省して欲しいと思っている。
女:地球という限られた星で、生物界の頂点に立った人間が、余りにも好き勝手にしていることへの警鐘ね。
男:地球にある石油を例にとれば、石油もいつかは、枯渇する資源だから、今生きている人間がどんどん使って良いものかということだね。
  あとの世代や地球を考えて、もっと、もっと丁寧に、また慎重に消費していくべき財産だからね。
女:人間としてその生き方に反省しながら、また、人間にしかない、人を愛する、子供を慈しむ、愛する人を失った悲しみなんかの、感情をもっと大切にしましょうということね。
男:元々の寄生獣には、自分が生きるために人間を食べるという本能しかないという展開だったけど、寄生獣も人間と暮らしている内に、相手のことも考えるという風に変化させている。
女:それが、人間の子供を産んだ田宮良子の存在ね。
男:深津絵里が、いつものように、実にいい演技をしている。
女:まだ言葉も話せない赤ん坊を自分を犠牲にしてまで守ろうとする気持ちは、母親たる人間特有ですものね。
男:映画の展開としてこのあたりまでは、ついて行けたんだけど。
女:それが、どうしたというの?
男:ゴミ焼き場での寄生獣の大ボスの後藤と新一の闘い方の描き方は雑で酷いね。
女:そうね。
  落ちていた鉄棒にいつのまにか放射性物質が付いていて、また死んだと思っていたミギーが後藤の体から戻ってくるのでは、もう、あまりにも子供だまし的なやっつけ方を取ったものよ。

男:だいたい、熱いはずの焼却場でありながら熱気が全然感じられないのは、VFXを担当した山崎監督の手抜きだね。
  ここは、もっと論理的に、額に汗がほとばしるまで練って欲しいところだ。
女:それに、屋上から落ちる村野里美を掴まえるのも、ここまで落ちては、いくらなんでももう助けるのは無理でしょう。
男:愛があれば、なんでも許されるのでは、山崎監督の手法も飽きられる。
女:愛といえば、橋本愛と新一のセックス・シーンについても、あなたとしては、一言あるんじゃないの。
男:そうだよ。
  新一が後藤に追い詰められ、片手を失い、逃げている切羽詰まった状態でも、橋本愛と関係を持ちたいと思うなら、もっと気分が荒れていないとおかしいよね。
女:それが?
男:普通のホテルでのセックス・シーンでいつも描かれるように、橋本愛の胸には布があって隠されているのでは、本当の現場と状況の表現力が足りない演出だ。
女:それは、この映画が対象としているお客さんの年齢も考えてのことじゃないの。
男:どうせ、残酷な人間喰いのシーンもあるのなら、セックス・シーンも、もう完全に「成人向け」にすべき映画だったね。
女:どうしても貴方は、女優の裸にこだわるのね。
男:何か言った?
女:いいえ、なにも言ってません・・・

前作: 「寄生獣」 (2015年)
山崎貴監督の評判が良かった:「永遠の0(ゼロ)」 (2014年)

  レ・ミゼラブル    -帝国劇場-   

あらすじ: 1815年のフランスはツーロンの刑務所。パンを一切れ盗んだ罪と脱獄を試みたために、19年間も過酷な牢獄生活をおくっていたジャン・バルジャン(ヤン・ジュンモ)だったがどうにか、仮出獄の許可が看守のジャベール(川口竜也)から伝えられた。しかし、世間に出ても、犯罪人の刻印を押されたバルジャンの生活は厳しく、優しく彼を迎えたくれた教会から銀の食器を盗んで捕まる。だが心の広い司祭はバルジャンをかばってくれた。司祭の暖かい気持ちに眼が覚めたバルジャンは、仮出獄の身分を隠し、名前も変えて必死に働き、1823年には、モントルイユ・シュール・メールで工場を経営し、市長となっていた。そこの警察には、ツーロンの刑務所の看守だったジャベールが異動してきていたが、まさか市長が以前のバルジャンとは気が付かなかったが、バルジャンとみなされた別の男が法廷で裁かれることになり、ついにバルジャンは身分を明らかにした。しかし、バルジャンには、以前彼の工場で働いていたファンテーヌ(和音美桜)が死の床で、バルジャンに託した幼い彼女の娘:コゼットを養育する約束が残っていた。執拗に追ってくるジャベールの手を逃れて、コゼットを引き取ったバルジャンは、パリの一角で静かに暮らしだした。それから、10年後、時の政治体制に反対する学生たちの集団にいるマリウス(原田優一)は、美しく育ったコゼット(清水彩花)に出会い二人は恋に落ちるが、学生を中心にした革命は失敗し、銃撃戦で多くの犠牲者がで、マリウスも重症を負うが、バルジャンによって助けられた。怪我から回復したマリウスに、バルジャンは自分の過去を告げてコゼットをマリウスに託し、身を隠した。そして、波瀾万丈だったバルジャンの人生にも最期が。。。


進化しても感動は変わらない! 

 過去の私の「レ・ミゼラブル」の評論を読んでおられる方には、重複して申し訳ありませんが、念のため。

 舞台版「レ・ミゼラブル」の原作本としては、ヴィクトル・ユゴーの「ああ、無情」があり、これを基に、アラン・ブーブリルとクロード=ミッシェル・シェーンベルクが脚本を練り、ミュージカルとしてロンドンで1985年に上演され、評判となり、日本でも1987年に今回観た帝国劇場で初演され、これまた、出演者を変えて、度々上演されているのは、ご承知のとおりです。

 また、映画化もされ、映画版の「レ・ミゼラブル」では、ヒュー・ジャックマンやラッセル・クロウ、アン・ハサウェイなどが演じ、この映画版も私は観ています。

 その後、2013年から、演出がローレンス・コナーとジュームズ・パウエルに変わり、音楽と歌詞はそのままですが、舞台の照明や背景、そして、出演者が着る衣裳も変わっています。

 元の演出での舞台は、2011年を最後に、私も数回観ています。
変化した演出版は今回が初めてです。

 元の演出と変わった箇所は、ずいぶんあります。
まず冒頭の囚人のジャン・バルジャンが船を漕がされる所から始まり、大きな点では、マリウスとコゼットが愛を歌いあげる家の門でのやりとり、砦がやや軽量化された造りになっている、さらに、怪我をしたマリウスをバルジャンが担いで逃げる地下道の入り口が舞台の下からではなく、横になったなど、などです。

 さらに、場面転換を大型スクリーンとプロジェクション・テクニックによって雰囲気を出すようにし、映写された背景も舞台の人が動くと共に前や後ろに動画的に動きます。
また、銃撃戦では、銃声が立体的に前から後方に飛んで行きます。
以前の演出から舞台が左右・上下にも大型化し最新の装置を使用したということです。

 舞台装置の変化とともに、ジャン・バルジャンを追跡するジャベールの自殺の方法が橋からの投身になったり、コゼットにもちょっとばかり自己主張が入っています。

 で今回のジャン・バルジャンを演じたヤン・ジュンモだが、彼は、韓国では有名なミュージカル俳優のようだが、私は初めて彼の演技を眼にし、彼の声を聞いた。
今までは、山口祐一郎や橋本さとしなどが演じたジャン・バルジャンの声質と比べてみると、かなり幅広い。また声量もある。
慣れない日本語の発音になるかと思っていたが、歌詞においてもセリフも何の違和感もない。さすがにプロだ。

 バルジャンを執拗に追い続けるジャベール役の川口竜也には、できればもっと凄みも欲しいところだが、それは、今後の期待としよう。
重い展開のなかで、息抜きとなる宿屋のマダム・テナルディエを演じる森公美子と夫役の駒田一のコンビはうまくはまっている。

 マリウスを演じた原田優一は、見栄えがよくて、女性ファンがつきそうだ。
エボニーヌ役を貰った昆夏美は、かなわぬ恋を演じているが、切なさの中にも役に対して活き活きとしていて気持ちがいい。 

 長い「レ・ミゼラブル」の公演の歴史のなかで、オーディションから参加する人、アンサンブルからメインに抜擢される人。
森公美子のように、18年間ズーット同じ役を演じ続けている人。

 メインの俳優だけでなく、出演者の全員が、この歴史あるミュージカル「レ・ミゼラブル」を舞台で演じられることに、喜びを感じていることが、観ていてもヒシヒシと伝わってくる。

 メインの人が歌いあげ、見せ場を作り上げ、バックが盛り立てる。
自己を捨てての献身的な愛、職務を全うすること、若さの暴走、舞台装置は変わっても、よく出来た話は、何度観ても感動をもたらしてくれる。

 演じる俳優も、まさに役者冥利に尽きる舞台だった。
ゴルフのやりすぎで痛めた左の肘がまた痛くなるほど、拍手をしてしまった。

それにしても、森公美子の胸はまたまた巨大化した?

前回の舞台: 「レ・ミゼラブル」 (2011年)
映画版の:「レ・ミゼラブル」 (2012年)



  バードマン    -あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)-   

あらすじ: かってはスーパー・ヒーロー映画の「バードマン」で一躍有名になったリーガン・トムソン(マイケル・キートン)だったが、今は落ち目となりなんとか再起をしようと、今度は、ブロードウェイの舞台で自ら脚本・演出・主演を手掛け、稽古をしていた。女性の共演者には彼の新しい恋人のローラ・オーバーン(アンドレア・ライズボロー)や初めてブロードウェイに出るレスリー・トルーマン(ナオミ・ワッツ)を揃えたが、男性の俳優の演技力が今ひとつ物足りず、彼が怪我をしたのを機に代役として舞台で活躍しているレスリーの恋人:マイク・シャイナー(エドワード・ノートン)を加えどうにかプレビュー公演までこぎつけた。しかし、演技力はあるが自信過剰で自己中心のマイクの態度と、未だに薬物依存から抜けられない娘:サマンサ( エマ・ストーン)との不仲、また、リーガンの耳元でいつもささやく昔演じた「バードマン」の声がリーガンを悩ませていた。レーガンを映画だけの有名人とみていて、彼の演技力をまったく評価しない、ニューヨーク・タイムズの演劇批評家:タビサ・ディッキンソン(リンゼイ・ダンカン)も公演を控えて怖い存在だ。しかし、本番で、レーガンの真に迫った行動が思いがけず。。。


緊張感を強制させられる退屈な内容の映画! 

 監督は、「バベル」のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥだ。
予告編を観ただけでは、レーガンが空を飛んだり、バンツ1つで街の中を歩いているので、これでは、おふざけでたいした内容のない映画ということで、あまり観る気は起きなかったが、なんと、今年のアカデミー賞の作品賞をとったとのことで、一応観ることにした。

 この映画「バードマン」の最大の特徴は、場面ごとの区切りがなくて1つの流れで撮影・編集されていることだ。
それと、気味の悪い響きのドラム音も上げられるか。

 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督としては、最高の狙いで、凝りに凝ったこの2点が、実に神経に障る。
休みなく長く続くシーンは、技術的にはそれなりの評価を得られるかもしれないが、肝心の話の方が面白くなく、また気分転換ができない。
落ち着きのないハンド・カメラでちょろちょろと画面が揺れるのはマイナス評価だ。
そして、場面の背景で鳴るドラム・ソロも気持ちが悪くなる出来だ。

 神経を病んでいる主人公を表現する手段として、この気分が滅入る音楽としてドラムを選んだようだが、これでは、観客の方の感情の落ち込みが大きい。

 だいたい、大きなテーマとしている映画俳優としての人気と、ブロードウェイの舞台人の演技力とを比べることに何の意味があるのか!
映画は映画であり、舞台は舞台と皆な知っている。
舞台の楽屋の汚さを強調するだけでは、映画人の舞台人に対するコンプレックスしか感じられない。

 最後のオチとして、映画の有名人は、舞台での演技力もありました。
しかし、それは、映画の副題としてある、「無知がもたらす予期せぬ奇跡」でしかないと分かっているなら、特に映画として取り上げることもない。

 この「バードマン」がアカデミー賞をとるとは、先日観た、「博士と彼女のセオリー」といい、又もや、もうアメリカというの片田舎の賞でしかないアカデミーが、かっての栄光も失ってきているという実例の映画だった。

 流石に、日本の映画興業界の判断は厳しく、アカデミー賞をとったといいながら、この出来では、日本の眼が肥えたお客は呼べないので上映されている映画館が少ないのは、当然だ。

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の: 「バベル」 (2007年)
エドワード・ノートンが警部補で出ていた: 「グランド・ブダペスト・ホテル」 (2014年)

  妻への家路    -中国映画-   

あらすじ: 文化大革命中の中国。共産党批判で「右派分子」とみなされ、辺地で強制労働をさせられている夫:ルー・イエンシー(チェン・ダオミン)の帰りを待ちわびている妻:フォン・ワンイー(コン・リー)とバレエが好きな一人娘のタンタン(チャン・ホエウェン)だったが、タンタンは、紅衛兵思想に染められていた。そんな時、厳しい警備の隙をつき、ルー・イエンシーは逃げだし、自宅に戻ろうとしたが、自宅も監視されていた。そこで、近くの駅でルー・イエンシーとフォン・ワンイーは会うことにしたが、共産党に従うタンタンの密告で、ルー・イエンシーはまた捕まってしまった。その後、文化大革命も毛沢東の死亡とともに終わり、名誉を回復したルー・イエンシーが20年間留守にした自宅に戻ったが、妻フォン・ワンイーは夫を待ち続けたために起きた軽い脳障害のせいで、ルー・イエンシーを夫と認識できず、一緒に暮らすことを拒んだ。妻の回復を待つ間、ルー・イエンシーは自宅近くの管理人室に住むことができ、フォン・ワンイーの僅かに残っている記憶を呼び戻すために、妻と共に毎月5日には駅に行ったり、彼が、収容中にざら紙に書き留めた何百通もの手紙を読み聞かせたりした。ルー・イエンシーが得意なピアノ曲を弾いた時には、フォン・ワンイーの記憶も回復したかと思ったが、記憶は戻っていなかった。月日が流れ、毎月5日に駅で降りてくる客の中に戻ってこない夫を待つフォン・ワンイーの側には、いつまでも、他人扱いをされるルー・イエンシーが優しく寄り添っていた。。。


女:もっと政治的な批判が欲しいわね! 

男:監督は、チャン・イーモウで、中国においても2008年の北京オリンピック開会式の総監督を務めるなどしているね。
  監督の作品では、その名を有名にした「初恋のきた道」があり、妻を演じたコン・リーとの作品では、「紅いコーリャン」もあり、もう中国でも有名な監督の一人だ。
女:さすがに手慣れた監督で、雨のシーンや雪のシーンなど撮影もうまいわね。
男:この「妻への家路」では原作本があって、その本では、中国の共産党批判の個所もかなりあるとのことだ。
女:でも、ここまでになっても、自分が文化大革命で追放されていた監督にしても、現在の中国政府批判の映画は作れないというのが、中国映画界の実情なのね。
男:日本のような表現の自由だとか、言論の自由は、中国の共産党は認めていないからね。
女:そこで、文化大革命の後の記憶障害で夫を認識できない夫婦が寄り添う晩年が中心になったという寂しい展開にしたのね。
男:作品の流れとしては、紅衛兵思想に染まっている娘の生き方とそうではないと思っている母親の争いが、前半に欲しいな。
女:この娘のタンタンが演じるバレエの踊りは、実にメリハリがきいていて、赤い彩りもきれいね。
男:妻の記憶障害の一因として、党の権威をかりて、彼女を犯そうとした男の存在もあるのだけど、この突っ込み方も、弱いね。
女:ルー・イエンシーが妻を犯そうとした男を”お玉”でなぐりに行ったら、その彼の奥さんから愚痴を聞かされて、引き下がってくるのでは、男として、また夫としての誇りがないんじゃないの。
  でも、撮影場所も、自宅や駅などそんなに多くないけど、夫婦の情感を表すことでは、まあまあの出来ね。

男:ルー・イエンシーがピアノをなおして、昔彼が弾いていた曲で、フォン・ワンイーはもう完全に記憶を戻したかと思っていたら、まだ、まだ先がありましたの展開は、ハリウッド的なハッピー・エンドにならず、これは、評価するよ。
女:ピアノの調律が本を読むだけで簡単にできることは、置いといてね。
  読むといえば、どこかで観た、似たような題材があちら、こちらにあるわね。

男:「君に読む物語」とか、「初恋のきた道」でも出ていた「餃子」だね。
  気がついたよ。
女:無駄に映画を観ていないのね。
男:歳はとっても、まだまだ記憶力は、衰えていないでしょう。
女:でも、その記憶力も、最近はかなり怪しくなっているのも事実だけど。
男:何か言った!
女:いいえ、なにも、言ってません。

チャン・イーモウ監督の: 「Hero(英雄)」 (2003年)
コン・リーの: 「SAYURI」 (2005年)

  博士と彼女のセオリー     

あらすじ: 1963年のイギリス。名門ケンブリッジ大学に通うスティーヴン・ホーキング(エディ・レッドメイン)は、文学の好きなジェーン・ワイルド(フェリシティ・ジョーンズ)と出会い二人は恋に落ちるが、スティーヴンは体の筋肉が縮む難病(筋萎縮性側索硬化症)に侵されて、あと2年の命と宣告される。病気が進行し、物を掴むのが難しくなり、歩行が困難になりながらも大学におけるスティーヴンのブラック・ホールに関する理論は画期的で、教授:デニス・シアマ(デイビッド・シューリス)にも認められる。ジェーンも余命わずかなスティーヴンと分かってはいたが、彼と結婚し、子供もできた。2年ともたない命と宣告されたスティーヴンだったが、脳は衰えることもなく、次々と新しい理論を発表し、大学での地位も保証され、車椅子での生活ではあったが、また子供もでき、5年、10年と生きていた。しかし、この間の妻:ジェーンの心労は激しく、気休めに参加した教会の讃美歌隊の指揮者:ジョナサン・ジョーンズ(チャーリー・コックス)との会話が楽しみとなった。男性の介護を必要とする体になったスティーヴンも認めてジョナサンがスティーヴンたちと一緒に暮らすことになり、健常なジョナサンは子供たちにも慕われていった。不自由な体でありながら無理をしてフランスのボルドーのコンサートに参加したスティーヴンは、会場で肺病を起こし、ついに声帯を失うことになった。それでも、新しいスペル綴り機と音声変換機のおかげで、スティーヴンは、自分の理論を発表できたが、ジョナサンの代わりに新しく雇った介護婦:エレイン(マクシーン・ピーク)を好きになり、ついに、ジェーンとスティーヴンの生活に終りがくる。。。


宇宙理論に神の存在が絡んでいるとは?! 実に退屈な映画となった! 

 原題は「The Theory Of Everything」で、これは、数学や物理学の世界では「統一理論」とか「究極理論」とか呼ばれていてよく実態がわからないが、この映画で言おうとしているのは、そんな難しい理論までは求めていないようだ。
 単純に、「Everything」となると、難しく言えば「森羅万象」、「すべての物=万物」で、それらに共通な理論となると、今はまだ説明できないので、最後には、目に見えない「愛の力」であり、実存していない「神」の存在を認めて理論をごまかそうとしているだけだった。

 まったく、「万物共通の理論」が愛か、それとも神の存在かでは、そんなことはどうでもいいでしょうと思う程度のできの悪い映画だった。

 この映画「博士と彼女のセオリー」で実在の身障者である天才物理学者のスティーヴン・ホーキング博士の車椅子での動きを見事に真似て、口元や眼の動きの演技でアカデミー賞の主演男優賞をとったエディ・レッドメインの苦労と努力は認めるが、それだけの内容でしかない。

 難病に冒されながらも必死に生きる身障者。
その彼を蔭からこれまた必死に支える妻の苦労と息抜きの軽い恋愛ごっこ。
病状の重さを表現するための、健康であった若い頃との比較映像の繰り返し。
実によくあるパターンで描いている。

 確かに、スティーヴン・ホーキング博士のニュースでの映像で、車椅子での姿しか知らない私にとっては、この映画によって、本当の彼は女好きで、また酒好きだったことを知ったということはあるが、そんなことは別に知らなくてもいいことだし、役には立たない知識だ。

 いや、筋肉が委縮して、手足が動かなくなっても、性の方は本能として働き、衰えがないという事実は、実に勉強になった?
人間の体って理論ではできていないのですね。

 本当にアメリカのアカデミー賞は、アメリカという1つの国だけでの賞にしか過ぎないという退屈な見本の映画でした。

エディ・レッドメインが出ていた: 「レ・ミゼラブル」 (2012年)

  アメリカン・スナイパー     

あらすじ: アメリカの田舎でロデオ乗りで生活費を稼いでいたクリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)は、2001年9月11日の同時多発テロでニューヨークの世界貿易センタービルが崩壊していく光景を見て、海軍に入隊を志願し、特殊部隊「シールズ」での過酷な訓練を終えた。タヤ(シエナ・ミラー)との新婚生活を充分に過ごすこともなく、イラクの戦線に送られたクリスは、狙撃兵(スナイパー)として多くの敵を殺し、仲間の兵士達からは「レジェンド(伝説)」と称賛されるが、敵側にも元オリンピック選手だった射撃の名手:ムスタファ(サミー・シーク)が現れ、シールズのメンバーが犠牲になっていた。時折戦線からアメリカ本土に戻ると妻のタヤは優しく迎えてくれ、また生まれた子供たちも伸び伸びと育っていたが、戦場での殺人の緊迫感とアメリカ本土でのゆるい生活とのギャップに、クリスは時々ついていけないことがあった。4回にわたるイラク戦線への派遣後、海軍を除隊したが、戦場で過ごした過酷な日々の気持ちがクリスの中には大きく残っていた。。。


女:日本人でも、もう他人事とは、思えない状況を描いたわね! 

男:監督は、クリント・イーストウッドだね。
女:彼も、もう84歳とのことよ。
男:白黒のテレビで見ていた「ローハイド」でのカーボーイ姿や、マカロニ・ウエスタンで鳴らしていた頃のクリント・イーストウッドが、ここまで監督業でも成功するとは、全然想像ができなかった。
女:本当に年齢をいうと失礼だけど、この歳にしては、実に内容が濃くて、考えさせる作品になっているわね。
男:今までのハリウッドが作った多くの戦争映画は、戦場の英雄とか、アメリカ国万歳とかの視点から作っているから、そこには、どうしても映画と現実との間には隔てるものがある。
  言い換えると、これは映画での話だと、安心して観ていられる気持ちがある。
女:でも、この「アメリカン・スナイパー」の展開だと、明日は、画面上のアメリカの海兵隊と日本の自衛隊とが置き換わり、アメリカ本国の表は平和だけど戦争で心を蝕まれている元兵隊の生活が日本の自衛隊員の家庭でも起きるということを、すぐに想像させるのよね。
男:2月の、イラクとシリアの国境付近を占拠しているイスラム国と勝手に名乗っているテロリストの集団が、日本人の湯川遥菜さんに続き、後藤健二さんを殺した事件にからむよね。
女:安倍首相は、戦闘には自衛隊員を参加させずに、後方支援をするだけだといっているけど、相手側にしてみれば、直接戦闘をしているのか、後方支援だけかなんてことには関係なく、全部まとめて敵となるわけでしょう。
男:戦争では敵か味方かしかないから、敵を応援すれば、それはもう敵となる。
  このあたりの見極め方が、安倍さんにはできていない。
女:基本的に、やられればやり返すという「眼には眼を!、歯には歯を!」という復讐の気持ちの愚かさを、どうしてもっと、もっと反省しないのかしら。
男:そうだね。
  人類の歴史の中で、過去無数に起きてきた民族間の争い、宗教間の争い、国家間の争い。
  特に第二次世界大戦という繰り返してはいけない未曾有の巨大な悲劇を経て、もう戦争がもたらす悲惨さを起こさないように誓ったはずなのに、また日本も戦場に行こうとしている。
女:戦争を放棄するという日本の憲法があればこそ、世界においても有数の経済大国になれるという見本をどうしてもっと宣伝しないのかしら。
男:ありもしない自分の力を誇示したい政治家や、紛争によって金を稼ごうとする欲の深い実業家が、見識のない人々を扇動する。
女:その争いでいつも犠牲になっているのは、戦場に行かされる人々で、戦争を指揮する人は、いつまでものうのうと生きているのよね。
男:誰かを殺せば、その殺された人の家族や親戚。周りの人々の心に、殺した人を恨む気持ちが当然に生まれ、復讐があると、またその復讐が次の復讐を生むという「負の連鎖」といってもいい、終わりのない連続した関係が果てしない続く事態に陥ることはもうみんな知っている筈だ。
女:そこで、武士社会では、「仇討禁止令」が出て、日本のような法治国家では、個人での復讐を止めるために第三者による「裁判制度」があるわけでしょう。
男:現実にテロ集団はそのような秩序を守らないので、アメリカのように武力で従わせようとするけど、戦争であっても殺人は殺人であるということだ。
女:平和なアメリカ本土では許されない殺人行為が、戦場では敵を殺せば殺すほど「伝説」となり英雄視されるのは、おかしいということよね。
男:また、アメリカがヴェトナム戦争に介入して、結局、敗退したように、そして、イラクやアフガニスタンでも未だに紛争を残しているように、武力による解決方法はないという事実を、日本の人も心すべきだね。
女:この「アメリカン・スナイパー」で監督のクリント・イーストウッドが言いたいのも、復讐心をどうしたら終わらせることができるかということだと思うわよ。
男:戦場のシーンと平和なアメリカ本土のシーンとの対比。
  2000m先の敵の狙撃手:ムスタファを撃つのは、かなり作りすぎと思うけど、戦場の緊迫感の出し方は、実に上手い。
女:最後にクリスが、戦争帰りの心を病んだ元兵士に殺されるシーンがないのは、クリスの実存している子供に配慮したのね。
男:いつもうるさい音楽が流れるエンド・ロールが無音なのも気持ちが落ち着くよ。
女:貴方が望む、戦争のない地球が早くくれば良いわね。
男:あれっ、今日の君は実に神妙だね。
女:戦争で大きな心の傷を負うのは、大切な夫や息子を失った女性だということを、忘れて欲しくないのよ。

クリント・イーストウッドの戦争物は:「硫黄島からの手紙」 (2006年)
俳優としての、クリント・イーストウッドなら、「人生の特等席」 (2012年)、
ブラッドリー・クーパーの:「アメリカン・ハッスル」 (2014年)、 「世界にひとつのブレイブック」 (2013年)

  ビッグ・アイズ     

あらすじ: 1960年代のアメリカ。まだ女性が独立した芸術家としては生活ができなかった頃。絵の好きなマーガレット(エイミー・アダムス)は、幼い娘を連れて別居したが、生活力がないため、娘の養育権を夫に取られる状況に追い込まれていた。そんな時に、調子のいい、パリ帰りの画家ウォルター・キーン(クリストフ・ヴァルツ)と出会い、娘を連れて彼と再婚した。ウォルターは商売熱心で自分が描いたパリの風景画と一緒にマーガレットが描いた大きな眼をした子供の絵も並べて展示していたら、大きな瞳でどこか悲しげな表情をした子供の絵の評判が良くて、ドンドン売れ出し、マーガレットが描いているとは言えない内に、大きな眼をした絵はウォルターの作品となってしまった。ウォルターの名前でも、マーガレットの名前でも家庭の収入は同じだというウォルターの説得に負けて、マーガレットも大きな眼をした子供の絵を描き続けたが、娘にだけは嘘をつきたくない気持ちが強くなり、娘と共にハワイへ逃げてついに真実を公表した。大きな眼をした子供の絵はあくまでも自分の作品だと主張するウォルターとマーガレットの争いが法廷に持ち囲まれ、ついに。。。


少しばかり退屈な出来だ! 

 監督は、ティム・バートンで、彼の作品としては、「アリス・イン・ワンダーランド」や「チャーリーとチョコレート工場」など、お子様向けで漫画的なものがある。
この「ビッグ・アイズ」は本当の話をもとに作ったようで、対象としている観客は子供ではない。

 この映画で取り上げられている虚ろな焦点をした大きな瞳で、どこか寂しそうな表情をした子供の絵は、何気なく気持ち悪くて、かなり印象的だ。
こんな絵を家に飾っていたら、悪い夢を見てうなされそうだ。

 ティム・バートンが主張したいのは、時代としての背景に、才能があっても女性は一人で生きてはいけず、仕方なしに、ゴースト・ペインターの生活に甘んじていたが、子供と宗教の助けで、過去の弱かった自分を反省し、自分を解放しましたってところか。

 でも作り方が、かなり上辺だけで、この娘と母との関係では、最後は真実を世間にバラスのだろうなと、途中で終わりが分かる展開であった。

 ゴースト・ペインターであっても、夫の商才でお金を充分に得ていたのなら、死ぬまでゴースト・ペインターとしてやれば良いのではと思わせる気持ちの方が強く残る。
真実を明らかにする決意をさせたのが、娘の存在であったり、ハワイで出合った宗教では、もうお金は充分にあるので、次は世間に通用する名声をくださいという自己のエゴの醜さまで感じてしまった。

 お笑い所としては、スーパーで買い物をしているお母さんや子供たちの眼が異常に大きいのは、笑える。
 また、テレビで評判になった弁護士の「ペリー・メイスン」を布石として、映画の最後の方のハワイでの法廷で、ウォルターが自分で弁護をするシーンがあるが、これは、今の多くの観客にはピンとこなかったようだ。
映画館で、このシーンで笑っていたのは、私だけだった。

 クリストフ・ヴァルツの相変わらず達者な演技は、魅せるが、それだけでは物足りない。

エイミー・アダムスを有名にした: 「サンシャイン・クリーニング」 (2009年)、 
 その後は退屈な役の: 「アメリカン・ハッスル」 (2014年)、 「ザ・マスター」 (2012年) 。
クリストフ・ヴァルツを有名にした: 「イングロリアス・バスターズ」 (2009年)。

  チャーリー・モルデカイ     

あらすじ: 舞台はイギリス。貴族の家系に生まれ、美術品の売買を手掛けているチャーリー・モルデカイ(ジョニー・テップ)だったが、商売もうまくいかず、多額の税金を滞納し、自宅にある美術品を競売に出すような状況になっていた。今日も香港で中国の暴力団のボスに怪しげな壺を売りつけ、命を狙われたがただ一人の使用人兼用心棒のジョック(ポール・ベタニー)に助けられ、ロンドンにどうにか戻ることができた。そんなチャーリーを待っていたのは、美人の妻:ジョアンナ(グウィネス・パルトロウ)だったが、ジョアンナは、チャーリーが新しく生やしているチョビヒゲが嫌で、嫌で我慢ができなかった。そこへ、大学時代からの友人で、今は、英国諜報機関に勤める警部補のマートランド(ユアン・マクレガー)きて、ゴヤの絵を修復中に殺された事件の捜査協力を依頼される。修復中だったゴヤの絵の裏側には、ナチス・ドイツが第二次世界大戦中に奪った金をスイスの銀行に預けた秘密の口座番号が書かれていたのだ。それを知ったロシアのマフィアにチャーリーは襲われるが、またも、用心棒のジョックの働きで難を逃れ、絵が密輸されたアメリカに渡る。しかし、そこに、ロシアのマフィアも中国の暴力団も押し寄せる。果たして、チャーリーの運命は。。。


女:実に軽くて薄いという表現がぴったりの映画ね! 

男:本当に最近は観たいと思わせる映画がないけど、ジョニー・テップがチョビヒゲをつけて、インチキな美術商になっている予告編に誘われて、つい、つい観てしまったというところだ。
女:いい役者を集めたけど、適当な脚本で作られるとこんなに、出来が悪い映画になるってことの例ね。
男:確かに、俳優は、ジョニー・テップだし、相変わらず奇麗なグウィネス・パルトロウだし、また、ユアン・マクレガーまでも出ているのに、どうして、こんな、面白くない作品にしちゃったのかな。
女:それは、主演のジョニー・テップが根本的に下手な役者ってことじゃないの。
  鬚をはやしている演技は、結局「パイレーツ・オブ・カビリアン」のジャック船長のままで、新しいキャラキターとしての魅力がないのよ。

男:そうだね。
  バイクと自動車の追っかけこにしても、いまだにこんな古い時代のカーチェイスをやるのかよって感じで、アクビがでるね。
女:それにしても、オークションをやっている裏の方で、派手に大きな音も出しているチャンバラをやっているなんて、いくらなんでもそれはないでしょうという、ひどい設定だったわよ。
男:髭好きなアメリカ女がでてくるのも、訳が分からない。
女:笑いをとるつもりのゲロを吐くのにしても、ただ観ていて汚いだけの映像で、うんざりね。
男:貴族の出身で博識があることになっているチャーリーに、高等なせりふを言わせても、日本の観客には、的外れな表現だ。
女:だいたい、こんな、展開と結末にするなら、香港、イギリス、モスクワ、アメリカなど世界を舞台にする意味がないわ。
  ひとつのセットで十分ね。

男:基本となっている脚本が行き当たりばったりの作りでこうなったんだね。
  ゴヤの絵をなおしているおばさんが背中から矢のようなもので刺されて即死するのもマンガ的だし、その上に死体から血も出ずゴヤの絵にかからないというような、粗い作り方がどんどん観客を画面から遠ざけるんだ。
女:出ているジョニー・テップも製作に絡んでいるようで、監督のデヴィッド・コープもジョニーの暴走を止められなかったってことね。
男:もう、ジョニー・テップも退屈なお子様映画ばかりに出ないで、もっと真剣に後世に名をなすような映画を選んで出る頃だ。

  でも、髭が嫌いという点では、キミもグウィネス・パルトロウと同じ意見かな。
女:そうね。
  どうして、男の人は、貴方を始めとして、
似合わない鬚を生やしたがるのかしら。

男:外見で、一人前の大人として見せたい気分からかな。
女:ひげなんかなくても、立派な男は大勢いるのに、つまらない見栄ね。
男:ふところは冬のように寒くても、体裁だけはつくろいたいんだよ。
女:明日を生きていくお金の方が、切実なのに、どうするの!
男:それは、きみがなんとかしてよ。
女:もう、限界よ! 限界!
男:でも、この口髭だけは、剃れない!
女:本当に、頑固な人ねっ!

  寄生獣   (前編)  

あらすじ: ある夜の東京湾。宇宙のどこかから飛来した小さな生き物たちが、配送場のトラックなどで日本中に分散していった。彼らは、人間の耳や鼻の穴から脳に寄生し、高い学習能力で進化してその人間を支配していった。彼らは、食料として、まだ、彼らの仲間が寄生していない人間だけを食べていた。その寄生虫の一匹にあまりパットしない高校生の泉新一(染谷将太)も寝ている間に狙われるが、イヤーホンで音楽を聴いていたため寄生虫の侵入が塞がれ、仕方なく右手から脳に行こうとしていた寄生虫だったが、イヤーホンのコードで止められて新一の脳まで行かないうちに成長が始まり、新一は脳の乗っ取りだけは防げたが、寄生虫は新一の右手として進化し、「ミギー(声の出演:阿部サダヲ)」として、新一と奇妙な共同生活をすることになった。日本中に散らばった寄生虫たちが、人間の頭を食べたため、警察官の平間(国村準)たちも捜査を開始するが、真相までには辿りつけなかった。 そんな頃、新一の高校に寄生虫に乗っ取られた田宮良子(深津絵里)が教師として赴任してくる。ミギーの優れた感覚で、新一は良子に寄生虫がいると分かるが、良子は、人間の体を借りている寄生虫では、いつかは自分たちも死を迎えることに気づき新一とミギーを実験台として研究していた。しかし、中途半端なミギーの存在を認めない他の寄生獣は、新一の母親の体を乗っ取り、新一を殺すが、宿主に死なれては、生きていけなくなるミギーの体液の働きにより、新一は生き返った。新しくミギーの強力なエネルギーを得た新一は、今までとは違った戦闘能力も身に着け、母親を乗っ取た相手も殺すまでになった。そんなに変わった新一を見てガールフレンドの村野里美(橋本愛)は不審に思う。人間社会に多くの寄生獣が同化しているように見えたが、政治を利用して寄生獣が住みよくしようとする広川(北村一輝)などが行動を起こし出した。新しく生命を宿した良子。寄生獣との闘いは続く。。。


筋がしっかりしていて面白い! 

 監督は、「永遠の0(ゼロ)」の山崎貴。原作は岩明均の人気コミックがある。
このコミック本「寄生獣」の映画化権は、もとはアメリカの会社が持っていたが、映画にしないうちに権利がなくなり、今回、山崎貴の監督で映画化されたとのこと。

 年末から年始にかかて、最近の映画界は、本当に観たいと思わせる映画がなくてすごく不満だ。
でも何となく映画館の上映プログラムを見ていたら、この「寄生獣」は、昨年11月末の公開ながら、この1月末までかなり長い期間にわたって上演されているのでそれなりの面白さがあるのかという実に軽い気持ちで観た。

 映画館での予告編は観ていたが、手に目玉が付いていたり、人の頭をパックリと食べているシーンでは、特に観たいという気持ちにはならなかった。

 しかし、今回観てみると、実に時間をかけている作品だった。筋立てがしっかりと出来ている。
自己犠牲の愛を子供にかかける母親。弓や剣道を通して、戦闘能力を高めるなど、最初に描かれる伏線が、後半でしっかりと結びついていて、本来ありえない寄生獣でありながら、だんだんと違和感もなくて物語に入っていける。

 人間の頭をパックリと食べたり、胴体が上下に切り裂かれるなど、かなりグロテスクな場面もあちらこちらで出てくるが、血の量にしてもギリギリに抑えた撮り方は残酷さを逃れているので、評価できる。

 地球という限られた資源の中で、森を燃やしエネルギーを勝手に使っている人類。
また、牛や鶏など何でも食べている人間と比べて、人間しか食べない寄生獣の主張も、かなり傲慢な人間に対する批判として笑える。

 人間が持っている愛や自己犠牲など理屈では説明できない感情を、新一に取り付いたクールな寄生獣も新一との共生で徐々に持ち出すのだが、このあたりの取り組み方も、上手い。

 新一の戦闘能力がミギーの助けで高まっても、そのミギーが急に寝てしまうのも、笑える。

 今回は、まだ前編で、完結編が4月末に公開の予定とは知らずに観たが、良子の子供や政治家の出現などがどうなるのか、完結編が期待できる。

山崎貴監督の: 「永遠の0」 (2014年)、 「Always 三丁目の夕日」 (2006年)
染谷将太の : 「Wood Job」 (2014年)

  6才のボクが、大人になるまで。     

あらすじ: 6つになった僕:メイソンJr.(エラー・コルトレーン)とお姉さんのサマンサ(ローレライ・リンクレイター)は、若くして結婚したけど今は離婚したお母さんのオリヴィア(パトリシア・アークエット)と一緒に暮らしています。お父さんのメイソン・シニア(イーサン・ホーク)は時々、僕らに会いに来て、ボーリングなども一緒にするけど、アラスカに行っていたりして、定職もなく、お母さんにまた一緒に暮らそうと迫るけど、お母さんは嫌がっています。そんな、お母さんが、急に勉強をする気になり、おばあちゃんが住んでいるヒューストンに引っ越すと言い出し、僕は仲のいい友達にお別れの挨拶もできない内に、転校させられてしまい怒っています。お母さんはそんなことには構わず、大学の先生を好きになり、結婚しましたが、その先生は酒癖が悪くて、僕たちに物を投げるので別れました。それから、お母さんは、勉強をして先生になりましたが、お母さんと付き合う男たちは、僕やお姉さんを自由にしてくれないので、僕の中学生活は楽しくありませんでした。高校に入った僕が熱中できたのは写真撮りです。高校では可愛い彼女ができ、彼女をモデルにした写真では、賞をとりました。しかし、彼女は都会の男を好きになり、僕が大学に入る頃に振られてしまいました。こんな僕でしたが、最初のお父さんは、いまでも僕たちの気持の支えになってくれています。


まるで今はセピア色になった自分のアルバムをめくっているようで、面白い! 

 監督は、リチャード・リンクレイターで彼が、脚本も書いている。
この映画の最大の特徴は、6歳の僕を演じたエラー・コルトレーンとお姉さん役のローレライ・リンクレイター、さらに母親役パトリシア・アークエットと父親役のイーサン・ホークの4人が、僕が6歳の年齢から、大学に入るまでの18歳に至る丸12年間をそのまま成長の記録として、同じ俳優が演じているということだ。2002年の夏に撮影を開始し、2013年の10月までかかったとある。
つまり、この映画の完成には、実に最低12年間という時間がかかっているということでもある。

 よく映画の宣伝にある、「構想10年、製作期間丸2年」とか仰々しく言うのとは違って、本当に製作期間12年以上がかかっているという事実に重みがある。
可愛いくてあどけない子供から、生意気になり、親に反抗していく頃、異性に目覚める青春時代から、ついに親離れをするまでの12年間が、ある時は無邪気に、ある時は母親や父親の存在が、鬱陶しく感じる男の子の成長の記録だ。

 なんせ、12年間の記録ということで、上映時間が、166分と長いので、事前にトイレには行っておいた方がいい。
4人の主な俳優が、年齢をごまかすメーキャップもすることなく、体型や声変わりにも手を加えなくて歳をとるままに演じているわけで、彼らを取り巻く生活においては、離婚・再婚などはあるものの、大きな事故もなく、まったく平凡といえる普通の家庭でありながら、いつの間にか、観ている自分が、映画の中に入り込んでいる感覚になるこの手法がうまい。

 また、大統領選挙やハリー・ポッター人気、iPodやFace Bookなど、確かその時代にあったことを、特に後から撮影したわけではないので、真実味が強く出ていて、「うん、そうだった。そんな時代だった」とすごく納得できる。
 音楽好きの私には、解散したビートルズのその後のポール・マッカトニーやジョン・レノンなどのソロ・アルバムを「ブラック・アルバム」として編集したCDを父親が息子のために渡すシーンでは大いに受けた。

 また、父親が16歳になったらくれると約束していたかっこいいスポーツ・カーをいつの間にか、売ってしまった話も、私もこれに似たような、父親の空約束があったなあと思い出させる。

 他にも、初セックスの話や恋人に振られて落ち込む話など、多くのポイントで、観客が、大きくうなづくシーンが満載だ。

 若くして2人の子供を持ち、離婚・再婚をしながら、必死に子供を育ててきた母親が、息子が簡単に自分から離れていく時に、これからの、人生の目標を失ってしまって叫ぶシーンでは、多くの人も涙していた。

 この「6才のボクが大人になるまで」も公開が昨年の11月にも係わらず、いまだに観客を惹きつけている理由が映画を観て分かった。
この監督:リチャード・リンクレイターの飾らない、まるでドキュメンタリー映画のようなタッチに、みんな取り込まれて、自分の成長記録を観ているような心地よい気分にさせられるのだ。

 いい映画でした。

 それにしても、製作者も海の物とも山の物とも分からなかった映画のために12年前からお金をだすなんなんて、アメリカの映画界もまだまだヤルナー。

  サンバ     フランス映画

あらすじ: 10年前にアフリカからフランスに来て、レストランで働いているサンバ(オマール・シー)だったが、ビザの更新を忘れ、国外退去を命じられ収容所に拘束されてしまう。そんな失意の彼をボランティアで移民を支援しているグループに新しく入ってきたアリス(シャルロット・ゲンズブール)が担当することになった。アリスは今まで大企業で働いていたが、中年になった今人生の方向を見失っていた。アリスたちの働きで、一時的に収容所から出られたサンバだったが、何とか仕事を見つけて、暮らしていかなければならない。そんな必死さにも係わらず、陽気に笑顔を見せるサンバの生き方に、内向きであったアリスの気持ちも開かれていく。しかし、サンバの国外退去は避けられない。サンバが収容所で知り合った男の恋人探しの問題もある。。。


女:笑う積もりで観たのに、笑えないわね! 

男:主演のオマール・シーと共同脚本・監督のエリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュによる前作は「最強のふたり」だね。
女:「最強のふたり」は、体の不自由な大金持ちと陽気さだけが取柄のスラム育ちの黒人との関係がすごく面白かったのよ。
男:そこで、正月ということで、大いに笑おうと思って、「サンバ」を観にいったのに、これでは、腹の底からは笑えなかったってことか。
女:高層ビルの窓拭きのゴンドラでダンスしたり、屋上に逃げて靴を投げるなんてところは、それなりに面白いシーンだっだけど、その程度しか笑いがないのね。
男:名前がサンバで、アフリカの黒人でも踊りが下手とは、もうちょっと捻って欲しいね。
女:明日の生活もできない不法移民を取り上げるのなら、もう笑いはとらなくてもよかったんじゃないの。
男:どんなことがあっても、お金を稼がなければならないと必死な黒人青年と、人生がつまらない中年女性のもどかしい関係がなかなか進展しないのも、退屈だった。
女:必死な中でも、笑いを取ろうとすると、観ているほうには、どこかズレた感覚になるのよね。
男:深夜のショッピング・モールの警備中にゴルフのマネキンと遊ぶシーンのことかな。
女:それに、サンバの女性に対する感情の設定が、定まっていないのも、おかしな話になるのよ。
男:そうだね。
  友人の恋人とは簡単に肉体関係を持つのに、アリスに対しては、歯がゆいほどに、行動に出ないのは、単に上映時間を稼ぐためだけにうつる。
女:アリスの設定もかなり不満なものね。
  チラシではもとはバリバリ働いていたキャリアー・ウーマンってことだけど、最後にサッカーのユニホームを着て、職場に戻るのでは、苦笑いはしても、余り常識がない女性よね。

男:最後といえば、死んだ友人になり代わって、フランスで暮らすことになっているけど、ここまでは許されないね。
女:フランスにおける移民の実態をもっと深刻に取り上げるか、完全に笑いをとるのか、どちらかに決められなかった脚本のせいよ。
男:監督の話では、「最強のふたり」を撮る前に、こちらの「サンバ」の企画があったようだけど、「最強のふたり」が成功して、オリジナルの脚本がかなり悪い方向に変わったような気がする。
女:前作がヒットすると、他の関係者からも様々なプレッシャーがかかるせいかもね。
男:プレッシャーを感じて生きていないきみには、到底分からない世界だよ。
女:どういう意味!
  私だって、毎日、生活をきりもりしていくのに、プレッシャーを感じているわよ。

男:その割には、体重も増えるばかりで・・・
女:えっ、何か言った
男:いいえ、何も言っていません・・・

オマール・シーと共同脚本・監督のエリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュによる前作: 「最強のふたり」 (2012年)


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