2013年の映画・演劇 評論




    キャプテン・フィリップス   

あらすじ:リチャード・フィリップス(トム・ハンクス)を船長とする大型コンテナ船が、援助物資などを積んでインド洋からケニアへ向かう途中、ソマリア沖で銃で武装した海賊に襲われる。一度はどうにか彼らの追跡をかわしたものの、遂に海賊に乗り込まれてしまう。他の乗組員達を船底に隠したが、フィリップスは人質として海賊に捕らえられ、小さな救難船に乗せられて彼らと共に陸地へ向かう。緊急事態を察知したアメリカ軍は、救難船に追いつきフィリップス船長の解放を求めるが、海賊は法外な身代金を要求して譲らない。ついにアメリカ海軍の特殊部隊が行動にでる。。。


女:狭いボートの中で、よく緊迫感を出したわね!

男:監督はポール・グリーングラスだ。
女:実際にソマリア沖で海賊に襲われた船長の話を元にして映画にしたようね。
男:そうだね。
  ソマリアの海域は、よく銃で武装した海賊が出ていてスピードの遅い貨物船や漁船は襲われていて、度々新聞にも載る。
女:最近の映画の作り方は、訳の分らない兵器や奇想天外な空を舞ったりするアクションが多くて見飽きたところだったけどこの映画は地道なつくりで楽しめたわ。
男:原作を書いた船長がいるというので、最終的には、船長は海賊には殺されないで無事に帰還できるとはわかってはいるけど、そこまでに持っていく展開が上手いね。
女:海賊を演じている人たちのものすごく痩せた体型が、もう充分にアフリカの貧しさって感じが出ていて真に迫るのね。
男:海賊といってもディズニー映画が描くようなお洒落な帽子もかぶっていないし、髑髏の旗もないし、ましてユーモアもない現実の海賊だね。
  彼らの中の一人のあだ名も「骸骨」なんて言われているけど、長い間の貧困と搾取によって行き場を失ったソマリアの人が、追い詰められるともう自暴自棄になり、何が起こるか分らないという状態がうまく出ていた。
女:一応、アメリカ映画だから、英語でのセリフが中心となるけど、現地の海賊の人は、英語は分らない訳でしょう。
 そこで、人質の船長を解放すれば命を助けてくれるとアメリカの軍隊がいっても、もうフィリップス船長を殺して、アメリカ軍と徹底的に戦うじゃないのかというハラハラ感が後半では常にでているのよ。

男:海賊にしてみれば、アメリカ海軍の船は3艘も来るし、完全に最新兵器で武装した圧倒的な軍隊がここまで大勢でやってくれば、おとなしく降伏する手もあったのではと思わせるのが普通だけど、ここに至るまでの、海賊同士間での争いを布石としていて、降伏を選ばせないのもうまい。
女:主役はトム・ハンクスということになっているけど、現地の俳優の方といってもいいんじゃないの。
男:うん。
  でも現地の俳優たちの名前を調べるのが大変だ。
  海賊のナジェを演じていたのがファイサル・アメッドで、ビラルの役はバーカッド・アブディラマンというらしい。
  他の海賊役は、分らない。
女:陸の上なら車でのカー・チェイスだけど、海の上では、ボート・チェイスも見所になるのね。
  大型の画面で、海に浮かぶ狭い船の内部でよく揺れる画面を観ていて、乗り物に弱いあなたは、気分は大丈夫だったの。

男:心配してくれて有難う。
  どうやら、席がうしろの方だったので、船酔いはしなかった。
  それにしても、今日は、いつもと違って、私の体を気遣ってくれるとは、随分と優しいね。
女:忙しい年末・年始を控えて、もしあなたが倒れても手が回らないので心配しているだけよ。
男:それだけかよッ。
女:それ以外に何を期待しているの!
男:・・・



    悪の法則 The Counselor  

あらすじ:アメリカの南部でメキシコからの不法入国者などを主に弁護士として引き受けているので通称をカウンセラーと呼ばれている弁護士(マイケル・ファスベンダー)は、今まで麻薬の密売人ライナー(ハビエル・バルデム)からの裏社会への執拗な誘いを断ってきたが、恋人ローラ(ペネロペ・クルス)との結婚を控えて、ついに悪の世界に入る決心をし、南米からの大量の麻薬密輸入の計画に乗ってしまう。しかし、この密輸入計画が、他の組織にばれて、麻薬を積んだ汚水処理車が奪われる。組織内での裏切りを許さない麻薬カルテルのボスは、今回の計画に関係したライナーや売人のウエズトリー(ブラッド・ピット)を始として、カウンセラーたちを容赦なく殺しにかかる。必死に逃げていたカウンセラーだったが、恋人のローラも捕まり、ついに。。。


殺人を簡単に行う悪人から人生の哲学じみた話をダラダラとされても、うんざりだ!

 何気なく、出演者の豪華さに惹かれて観たが、人生訓のような面倒な会話が無駄に多くて実に退屈だった。

 監督はリドリー・スコット。タイトルの「The Counselor」は、相談人の他に、アメリカでは、弁護士がいない犯罪人に付けられる日本なら国選弁護士も意味するようだ。

 出ている俳優はあらすじに出ている他にも、キャメロン・ディアスもチーターをペットにしているという訳の分らない黒幕のような形で出ている。
だけど、俳優たちには有名な者を揃えたが、余りにも内容が無い出来だ。

 冒頭のペネロペ・クルスとマイケル・ファスベンダーのセックスの絡みから、ここまで濃厚に描く必要があるのかと思えた心配が的中した。
続くマイケル・ファスベンダーが宝石を買いに、オランダにまで行くのも、宝石界の裏話を話すだけで、わざわざロケした意味がない。

 意味不明なのは、ブラッド・ピットとキャメロン・ディアスの役割についても言える。
この二人は、一体映画の中で、どのような立場を演じさせたかったのか、演出と編集者に聞いてみたい。

 カー・セックスなら聞いたこともあるだろうが、実際の車を大股開きで相手にしてキャメロン・ディアスにセックスをさせるとはなんとも馬鹿げたセンスのない話。

 悪の世界に入り込んだら、もう裏切りは理由が無くても許さないとはよくある話で、それにしても登場人物の描き方がよくわからないな脚本だ。
そして押しつけがましい会話がこれまた下手に多すぎる。

 この映画では、監督:リドリー・スコットは、いかに人間の首を上手く切るのかの方法を見つける喜びが先にたったようだ。

 所詮、悪人は悪人。人生の岐路における選択で、監督が自分勝手に思っている適当な知識を自慢したくてそれを悪人の口から言わせても、まったく似合わない。

リドリー・スコット監督でマイケル・ファスベンダーも出ていたこれまた退屈だった; 「プロメテウス」 (2012年)
最近は面白くないハビエル・バルデムの; 「007/スカイフォール」 (2012年)

    清須会議  

あらすじ:群雄が割拠していた戦国時代も織田信長により統一されようとしていたが、その信長が本能寺で明智光秀に殺され、急遽戻った羽柴秀吉(大泉洋)により光秀も討ち取られる。そこで、当主を失った織田家の跡取りを誰にするのか、秀吉の他、織田家の筆頭家老:柴田勝家(役所広司)や丹羽長秀(小日向文世)、池田恒興(佐藤浩市)の4人が清須城に集まって会議を開き決めることになった。柴田勝家と丹羽長秀は、信長の三男:信孝(坂東巳之助)を押すが、秀吉は、自分の言いなりになる、かなりうつけ者の次男:信雄(のぶかつ)(妻夫木聡)を跡取りにしたかった。跡取りが誰になるかによって後見人としての力が左右される。子供を秀吉に殺され秀吉を許さない、信長の妹:お市の方(鈴木京香)の援護を受けた勝家側は有利かと思われたが、いつまでも態度を明らかにしない池田恒興に秀吉は、領地を与える約束で味方になるよう工作を仕掛ける。妻:寧(中谷美紀)の助けもあって、城内の人気を得てきた秀吉だったが、果たして誰が跡を継ぐのか。。。


女:かなり真面目に歴史を取り上げたわね!

男:映画の出来としてはあまり面白くなかった「The 有頂天ホテル」や「ステキな金縛り」を監督した三谷幸喜が、自分がかなり前に本にしたのを映画用に脚本し、また監督している。
女:この三谷幸喜監督の小笑いのセンスは、今回もいただけないけど、秀吉の天下を獲る野望は充分に感じられたわ。
男:そうだね。
  笑いに関しては、砂浜での旗とり競争での退屈な笑いの取りかたや、妻夫木が廊下で転んだりとか、最後に秀吉と寧が土下座して顔に泥をつけるシーンなど本当に、三谷幸喜監督は自分のファンだけを相手にした笑いしかとれないね。
 舞台というもう最初から三谷贔屓の人たちが集まる場では受けるかも知れない小芝居的なものしか無いね。
 でも、今回、秀吉に大泉洋を配した演出は、上手く出来ている。
女:そう?
  配役についていうなら、いつものように無駄に有名人を出し過ぎじゃないの。

男:本当にこの三谷監督は有名な俳優をチョコと出すのが好きだ。
  あらすじで出てきた役所広司などの他に、西田敏行や伊勢谷友介、松山ケンイチだけでなく、天海祐希まで出ているとは、話が面倒になっている。
女:「ステキな金縛り」に繋がる落ち武者の西田敏行や、女忍者の天海祐希なんかは、この流れとしてはまったく必要のない話が挿入されていて、ひどいわ。
男:こんなに多くの有名な俳優が自分の作品に出たがっていると、三谷幸喜の人望を見せビラかしたいのだろうが、それらの俳優を強引に使って1つのシーンにして映画にするまでの使い方ではないから、本当に無駄な出演だ。
女:そんな無駄な部分もあるけど、今回は大泉洋の熱演が全体をカバーしたということね。
男:前から役所広司の演技は評価していないけど、この「清須会議」での大泉は、伸び伸びと、だけど、計算して役所広司や佐藤浩市をうわまった軽妙さを出している。
女:禿げ頭にされたのは、本人はあまり納得していないようよ。
男:映画化にあたって時間をかけて準備がなされているのも感じられる。
女:衣裳でも秀吉や勝家の色つかいを統一していただけでなく、他の人まで確かに細部にわたって丁寧な仕上げをしているのが、大型スクリーンに出ているわ。
男:城の中はかなり狭い設定だけど、襖の絵や調度品にもこだわっているのが表れている。
女:それに、織田家の人たちは、みんなやたら鼻を高くしていたり、秀吉の家系は耳を大きくして、血筋にも特徴をだすこだわりね。
  最近の映画では、武士の妻役の女優に遠慮して「お歯黒」をしないけど、この三谷監督はキチンとそこは歴史にもこだわって、「お歯黒」をさせたのは良い点ね。

男:しかし、女優が眉毛を剃って、お歯黒をするとまったく誰か分からなくなるね。
  松姫役が剛力彩芽とは、全然分からなかったよ。
女:女性は化粧ですごく変わるから。
男:確かに!
  私も、今でも素顔で寝ているきみを見てると、誰だか分からなくなるからね。
女:それは、どうゆうこと
男:いぃや、別に、深い意味は、ない・・・けど

退屈な三谷作品; 「ステキな金縛り」 (2011年)、 「ザ・マジックアワー」 (2008年)、 「The 有頂天ホテル」 (2006年)
役所広司の; 「終の信託」 (2012年)



    地獄でなぜ悪い  

あらすじ:子供の頃から映画が好きで、仲間を集めて自主作品を撮っている平田(長谷川博己)だったが、予算も少なくてなかなかいい題材にめぐり会えなかった。一方、ヤクザの武藤組を率いる武藤(國村隼)の妻で、敵対する池上組が殴りこみをしてきた時に、池上組の組員をやっつけ、今は獄中にいるしずえ(友近)は、娘:ミツコ(二階堂ふみ)が女優としてデビューすることを楽しみにしていた。そこでミツコを主演とする映画の撮影も進んでいたが、突然ミツコは、男と駆け落ちをしその映画ではもう代役が抜擢され製作が続けられていた。武藤はどうにか、ミツコを見つけ出したが、妻の出所までに映画をつくるために、自費を投じ、偶然出会った平田を演出家にしてミツコを主役にした映画を撮ることにした。しかし、敵対する池上組の組長(堤真一)との抗争が激しくなる。この本物のヤクザ同士の迫力のある乱闘場面を映画にしようとする平田のアイデァで、2つの組の修羅場が撮影されるが。。。


本気で地獄が描かれていないから、悪いのだ!

 監督と脚本は、園 子温(その しおん)。
園が監督した多くの作品は、その内容が刺激的なため観客の制限がかかるせいか、メジャーの配給会社にはどこか歓迎されていず、なかなか観る機会が少ないが、やたら長い、満島ひかりのパンツ丸見えの「愛のむきだし」や、すごい肉さばきをみせる「冷たい熱帯魚」、震災後を題材にした、二階堂ふみも出ている、「ヒミズ」などは観ていて、かなり印象には残っている。

 今回観た「地獄でなぜ悪い」も、多くの映画館では予告編も上映されていないが、私が良く見ているテレビのTOKYO MXの金曜日夜で、司会者の水道橋博士や怪奇物が好きだけど映画通の高橋ヨシキが、園監督の仲間のようで話題にしていたので、ついつい映画館を探して観た。

 この作品は、園 子温監督の若い頃からの映画に対する強い思い入れから作られていることは、良くわかる。
しかし、狙い通りにはなっていない。

 あらすじを書いていても、最後のヤクザの殴り込みとどうしてこの場面で映画の撮影をするのかの結び付きが弱すぎると感じる。
偶然にヤクザ間の抗争の場に巻き込まれる訳だけど、この設定では、出鱈目に、そして強引に、引っ張っている。

 アイドル好きなヤクザの組長の堤真一や、包丁で人殺しをする國村隼の妻役の友近などの設定は、かなりコメディ・タッチだけど、これらが娘:ミツコのビール瓶の破片での、リアルティ満載の死のキッスとにうまく繋がらない。

 作品を全体として眺めると纏まりが無さすぎる。
多くの挿話のバラバラ感がいがめない。

 ヤクザの組員が映画のカメラマンや照明担当、録音係などヤクザには似つかない仕事を短い期間でこなすことにするなら、ここらは、モット、モット、笑いをとれるような展開も欲しい。
もう、映画では時代劇ではお馴染みの古典的な刀での切り合いから、拳銃の撃ち合いに変わり、ついにマシンガンまで登場させるなんでもありの状況と、切られた首が飛んだり、頭蓋骨が半分でもなお生きているというハチャメチャな場面を見せるなら、コメディに徹した方が良かった。

 単に若い頃から映画が好きだというだけで、自伝と影響を受けた多くのシーンを題材にして映画を作っても、好印象の映画にはならないということだ。

 でも、園監督の出演者に有名な俳優を使用せずに脚本で勝負をするという、最初から興行収入は考えない攻撃的な映画つくりの情熱は、支持します。

映画好きが捧げた映画でも、面白くなかった; 「ヒューゴの不思議な発明」 (2012年)
堤真一がまったく冴えない; 「俺はまだ本気出してないだけ」 (2013年)

満島ひかりの魅力に気が付いた; 「悪人」 (2010年)

    トランス  

あらすじ:ロンドンの有名な絵画のオークション会社に勤めるサイモン(ジェームズ・マカヴォイ)はギャンブルでの借金がかさみ、ギャングのリーダーのフランク(ヴァンサンカン・カッセル)の誘いに乗ってゴヤの高価な「魔女たちの飛翔」をオークション会場から盗み出し、絵の入った袋をフランクに渡すが袋の中にはゴヤの絵はなかった。実は仕事が終わればフランクに殺されることを恐れたサイモンが絵を別の場所に隠したのだった。絵の隠し場所を聞き出そうとフランクはサイモンを捕らえて拷問にかけるが、絵を盗み出した時に頭を強打されたサイモンからは隠した時の記憶が消えていた。そこで、フランクは催眠療法士のエリザベス(ロザリオ・ドーソン)を使ってなんとか消えた記憶を蘇らえそうとするが、サイモンの記憶の中には、エリザベスが。。。


作った監督だけが理解している一人よがりの夢物語では退屈!

 タイトルの「トランス(Trance)」とは睡眠状態にあること。
監督は、インドを舞台にした「スラムドッグ$ミリオネア」でアカデミー賞をとったダニー・ボイル。

 頭を強打されたために、盗んだ時の記憶を一時的に無くしてしまい、その記憶をどう回復していくのかという巧妙な予告編に騙されてつい観たが、作りが悪い。

 サイモンの記憶の中に入って行くためには、現実の世界と彼が持っている幻想か本当の記憶か区別のつかないものを観客は交互に映像として見せられる訳だが、この描き方がかなり分かり難い。

 監督が整理がつかないのに、時間の関係で適当に省略したような繋がりの悪い部分も感じられる。

 それに監督としては、サイモンを中心にしたいのか、それともギャングのリーダーとなっているフランクの方を結局は憎みきれない悪い奴にしたいのかの設定もはっきりしない。
 それは、キーとなっている女:エリザベスの気持ちがまだサイモンにあるのか、フランクの方に移ってしまったのかの描写が明確でなくなっていることが原因だけど。
フランクは手下を使ってサイモンの爪を剥がさせたりして、余り感情に動かされることがない極悪な悪人のようでもあるが、この描き方では、どこかに優しさとインテリジェンスを感じさせて、こわもてのギャングではない。

 催眠状態にされたサイモンが二重に催眠術をかけられていたという話の展開は意外性があって評価できるが、最後のくだりまでに持っていくには伏線をもっと巧妙に張っていないと、そんな馬鹿なという感想になる。

 ギャングの手下が催眠術にかけられて「ストロベリー」というキーワードをふられる話が、全然後に結びついていないのはかなり寂しい。

 おかしな設定は、殺された女性が車のトランクの中に腐るまで放置されているのに、長い間誰も臭いにおいに気がつかないとは、脚本としてあり得ない雑さだ。
また、最後のフランクがガソリンをあれだけかけられていて火が燃え盛っていても、無事に車から脱出できたとは、もう映像と話が一致しない。

 そして、日本での映倫の規制がこの映画でエリザベスの陰部のヘアのシーンをぼかしたために、なお話を面白くなくさせている。
ここは、サイモンの過去の記憶に絡んで重要なシーンであるだけに、このボカシのために肝心な話が読めなくなった。

 監督の頭の中だけで理解できても駄目だ。
映画として公開するなら、チャンと多くの観客にも納得できるように整理して欲しかった。

ダニー・ボイル監督の; 「スラムドッグ$ミリオネア」 (2009年)

    エニシング・ゴーズ  -ミュージカル- 帝国劇場

あらすじ: ニューヨークのウォール街で働いているビリー(田代万里生)は、女性に持てるタイプで、ナイト・クラブの歌手リノ(瀬奈じゅん)もビリーに惚れていたが、ビリーは、一度しかあったことのない、社交界の花形:ホープ(すみれ)のことが忘れられないでいた。そんな時、ビリーの上司のホイットニー(大澄賢也)が豪華客船でロンドンへ行くことになり、ビリーも見送りに来たが、その船には憧れのホープも母親(保坂知寿)と一緒に乗船し、ホープは航海中に、婚約者のイギリス人オークリー卿(吉野圭吾)と挙式するとの話を聞く。ビリーはその挙式を阻止すべく、指名手配中のギャングの名を借りて船に潜り込むが、その船には、リノや神父に変装している凶暴なムーンフェイス(鹿賀丈史)、そしておかしな中国人達も乗っており、事件が。。。


懐かしい音楽とダンスの振り付けは楽しいが?

 元は、1934年にミュージカルの世界では超有名なあの、コール・ポーターが作詞・作曲をしヒットしたブロードウェイのミュージカルだ。
私も、ビング・クロスビーが出ていた映画版は、観たような気がする作品だ。

 日本でも、何度も舞台で公演されているが、今回のは、2011年にトニー賞を獲った版を基にしているようだ。
日本での台本・演出は山田和也。舞台監督は、廣田進。

 タイトルの「エニシング・ゴーズ Anything Goes」とは、「何でもあり」のこと。

 そのタイトルのとおりで、話は盛りだくさんだ。

 剣を持った古い伝統を引き継いだイギリスの貴族、神父に化けているマシンガンをはなさないギャング、いかさまカード賭博をする中国人、ホープと結婚したがっているナイト・クラブの歌手、セレブの客ならギャングでもいいと思っている船長などが、3組の恋の駆け引きも加えて、もう、はちゃめちゃな話(Anything)が、狭い船内を舞台にドンドン進む(Goes)。

 音楽は、私にとっては、すぐに膝と手を交差させる「チャールストン」でも踊りたくなる軽快な曲のオン・パレード。
ダンスの振り付けも、懐かしい手の伸ばし方や回転の仕方。

 途中での休憩を挟んで、2幕構成となっている。
その1幕目の終わりで、ほぼ全員で広い舞台で繰り広げられるタップ・ダンスは、まさに善き時代のアメリカン・ミュージカルを彷彿とさせる、圧倒的な迫力もあり素晴らしい。
ああ、これが、典型的なアメリカのミュージカルだったと思わせる。

 異文化として、ジプシーも出るし、中国娘も出るしで、笑いも随所にちりばめられている。

 余り時間が無いにもかかわらず、衣裳の変化も、赤、青、白など女性の綺麗なロング・ドレスが着替えられているし、また、ミニもありで、これも観ていて楽しめる。
ビリーを演じている田代万里生の豊かな音域による歌の方は当然ながらいいし、演技も彼の幅の広さを十分に出していて申し分ない。

 開始から終わりまで上演時間中、出演している全員が手を抜かずに、それでいて肩肘を張らずに、おもいおもいに演技ができている。
これは、中心となる瀬奈じゅんの統率力によるものと感じられる。
舞台全体が、和やかさで満ち溢れていて、気楽に観られた。

 でも、アメリカでもクラッシックなコールー・ポーターの戦前のミュージカルを今、この日本の舞台で再現することに意味があるのかの疑問が残った。

 日本人が持っていたミュージカルの認識を画期的に変えた「ウエスト・サイド・ストーリー」を体験した今、今更、古いスタイルでのミュージカルを再演しても、もう一度観たいとは思わない。

 瀬名じゅんが活躍している; 「ニューヨークに行きたい」 (2011年)、 「三銃士」 (2011年)
 主役にはまだ、まだの すみれ の; 「二都物語」 (2013年)
 保坂知寿の; 「パイレート・クイーン」 (2009年)

    謝罪の王様

あらすじ: 司法書士を目指している帰国女子の倉持典子(井上真央)は、自分の運転ミスで車を暴力団の親分の車にぶつけてしまうが、外国では先に謝ると責任が重くなるので、そのままにしていたら、法外な示談金を払うだけでなく風俗業へ勤めることになってしまった。そこで、謝罪を商売にしてる黒島譲(阿部サダヲ)に依頼して、彼の誠意のある謝罪でどうにか穏便にすますことができた。それを機に、倉持典子は黒島のアシスタントになった。黒島の謝罪の仕事は他人の喫茶店を事務所代わりにしている程度であったが、下着メーカーの女性社員;宇部美咲(尾野真千子)にセクハラをして裁判沙汰になっている沼田卓也(岡田将生)から、仕事の依頼がくる。手ごわい国際弁護士;箕輪正臣(竹野内豊)が絡んでいたが、黒島と倉持は芝居もしてどうにか、宇部美咲に訴訟を取り下げさせた。また、有名な俳優:南部哲郎(高橋克実)と別れた妻:壇乃はる香(松雪泰子)の子供が傷害事件を起こし、二人が開いたひどい謝罪会見の後始末も黒島の力でどうにかこなした。映画撮影で、エキストラででていたマンタン王国の王子の肖像権から、プロデューサーの謝罪のやり方がまずくて問題が発展し日本とマンタン王国との国際問題となっていくが、黒島は、土下座を超える謝り方を。。。


女:薄っぺらな演出と安易なセットでは、笑えないわね!

男:監督は、主演の阿部サダヲとは、面白かった「舞子Haaaan!」や退屈な「なくもんか」で一緒だった水田伸生だ。
女:それに、脚本も、「舞子Haaaan!」の宮藤官九郎ということよ。
男:話の構成としては、井上真央の自動車事故、岡田将生のセクハラ、有名俳優夫婦の息子の障害事件、竹野内豊の子供を殴ったこと、マンタン王国と日本との国際問題、、そして最後は、阿部サダヲのラーメン屋で熱いつゆをかけられた話と6つのケースが登場する。
女:でもこれらで出てくる人は、竹野内豊が演じる弁護士のように、先のケースでの脇役的な人も後の話にも繋がっているのよ。
男:映画の前の方で出てくる謝罪の仕方として、井上真央と暴力団や次のセクハラのケースは、まあまあ笑える。
女:でも、国際弁護士になるため勉強をしている竹野内豊のアメリカでの子供が「わき毛ボウボウ、自由の女神」という話はないわ。
  わき毛ボウボウとくれば、ここは、「体操の内村選手」でしょう。
男:わき毛はおいといて、前半の話を後半に続けるなら演出面での用意周到な布石が必要だけど、それが無いんだね。
女:大げさな仕草で誠意をみせ、自分の過ちを許してもらうという発想はいいのよね。
男:だけど、それが...
女:笑いの世界だけをテーマにして、もっと笑いをとる方向で進めばいいものを、笑いのアイディアが途中で無くなってしまい、父親と娘との愛情や、山奥の変な王国も絡めてしまったのが、段々と笑えなくしたのね。
男:このすぐにブータン王国と分かるマンタン王国の設定は、もうひど過ぎるね。
  元々立派な成人した王子が納得して映画にエキストラとして出ているのに、後で王族の肖像権で問題にするとは、強引な話だ。
女:このマンタン王国の宮殿が山奥にあるんだけど、ここのセットも貧弱で酷かったわよ。
  凸凹の舗装もされていない道が王宮の側まで続いているとは、余りにもこの王国が貧しいようで、馬鹿にした扱いね。
男:その後の日本の大臣がマンタンで酔って好き勝手なことをするのは、悪ふざけだけで、笑いの捻りもない。
  この描き方では、本当にマンタン王国から、日本の映画会社に謝罪の要求がくるよ。
女:国家の危機なんてところにまでおおげさに話を盛り上げようとする程に脚本が練られていないということね。
男:架空の話なら、架空での話を追及すればいいのに、どこかで、人情だとか、現実性を取り入れようとするのが、この映画を中途半端にさせているんだね。
女:それに、エンデイングでの、女性グループが歌っているシーンは長すぎない?
男:まるで、インド映画のように、最後で訳もなく踊りと、音楽がだらだらと入っている。
  これでは、この部分だけで独立したミュージック・ビデオとなる。
女:こんな完全に余分な物を加えているから、映画全体の評価も落ちるのよ。
  謝ってよっ!

男:えっ、どうして、俺が謝らなければいけないの?
  謝るのは、こんな駄作を製作して高い料金をとる映画会社でしょう。
女:あなたが、この映画を観ようと誘ったから、無駄な時間を過ごすことになったんだから、貴方にも責任があるのよっ!
男:そんな、ばかなー。

かなり面白かった; 「舞子Haaaan!」 (2007年)、 
阿部サダヲのこれも出来の悪い; 「奇跡のリンゴ」 (2013年)
井上真央がまあまあな; 「八日目の蝉」 (2011年)
宮藤官九郎の監督は、 「中学生円山」 (2013年)


    そして父になる

あらすじ: 一流の大学を卒業し、大手の建築会社に勤め仕事一途で、社内でも重要なプロジェクトを任されている野々宮良多(福山雅治)と妻:みどり(尾野真千子)にはおとなしい6歳になる一人息子:慶多(二宮慶多)がおり、慶多を私立の小学校に入れる準備をしていた。そのような時期に、6年前に利用した産院から連絡があり、それは、当時産院に勤務していた看護師が精神不安定からまったく自分に関係のない野々宮の赤ん坊を、同時期に産院にいた電気屋を営む斎木夫婦(リリー・フランキー、真木よう子)の赤ん坊と取り換えたというものだった。厳密な血液検査をしても、慶多は斎木夫婦の子供であり、斎木家の琉晴(りゅうせい:黄升炫)は野々宮の息子だった。病院の勧めもあり、子供の交換を前提にして、野々宮家と斎木家との家族での付き合いが始まるが、お互いの両親にとっても子供たちにも今まで過ごしてきた6年間が意味する深さには、なかなか埋められない感情が横たわっていた。しかし、子供たちは交換される。。。


久し振りに丁寧に作られた映画を観た!

 監督と脚本と編集を是枝裕和がしている。
 原案となっているのは、私も覚えているが、現実にあった赤ちゃん取り違えの事件だ。
 この事件が新聞に載った時に、私も血のつながりと、自分の子供としてよその子に愛情を注ぎ育てた時間とをどう当事者は折り合いを付けるのかと思った。

 一般的に男としては、相手の女性から「あなたの子供よ」と言われれば、一抹の疑問は抱いても、まあ、自分の子として育てることにはなる。
でも、母親にしてみれば、自分の体から産まれた子供は絶対的に、父親がだれであろうと、自分の子には間違いがない。
それが、産院のミスで、他人の子供を育ててしまったことに気が付かなかったことに対する悔恨の念は、父親以上である。

 是枝監督は、この作品を、今まで家族という関係を意識的に絶ってきた挫折を知らないクールな男を中心にした物語にしているが、それは単に「父親になる」という男の成長だけなく、女性も含めて多くの観客に対して人間としての生き方が多様であることも示唆している。

 子供に厳しく躾をして、エリートである自分の跡を着いて来て欲しいと願うのも父親の愛だし、子供はほっておいても両親の背中をみてちゃんと育って行くというのも親の愛だ。
人生には多くのやり方や選択の道があり、学校のテストと違って1つだけが正解なんていえるものではない。

 血のつながりよりも、産まれてきた子供をいとおしみ、愛してやることが一番大切でまた大事なことだ。

 産まれてきた子供に親は選べないし、「産みの親より育ての親」という真実もある。

 是枝監督は、クールなエリート役に最適な福山雅治と、これまたどこまでが演技か自然かが分からない天才的なリリー・フランキーという人物を配しているが、この選定は成功した。

 高層マンションでの生活と田舎の家での生活の違いなど、仏壇や家具だけでなくピアノの音まで漏れる細やかなセットと行き届いた演出はよくできている。
みどりの母親役の樹木希林のセリフの切れの悪さや、良多の義母役の風吹ジュンの設定には不満だけど、全体としては、感動をもたらす作品だった。

 この映画の製作にはフジテレビも絡んでいるけど、フジテレビも自社の退屈なテレビのおまけみたいな映画の製作だけでなくこれからもこのような作品にも出資をドンドンして欲しいものだ。

福山雅治の退屈な; 「真夏の方程式」 (2013年)

    ネクスト・トゥ・ノーマル next to normal -ミュージカル- シアター・クリエ  

あらすじ: アメリカのある家庭の朝。母親のダイアナ(安蘭:あらん:けい)は夫:ダン(岸祐二)や息子:ゲイブ(辛源:しんげん)そして高校生の娘:ナタリー(村川絵梨)のために、弁当用のサンドイッチを作っているが、いつの間にか、パンを床に広げていた。ダイアナはあることから、徐々に精神を病んでいたのだ。そんな病状のダイアナを優しく見守るダンの勧めもあり、精神病院に通い薬を飲むが、傷ついた精神は回復しなかった。そこで、強力な電気ショック療法を受けることになるが、電気ショックは今までの記憶までも失わせる恐れがあった。病気からの回復を選んでショック療法を受けることを選んだダイアナだったが、以前の記憶の一部が喪失してしまった。。。


女:重い内容を斬新な手法で上手く描いたわね!

男:アメリカのブロードウェイでも評判になったミュージカルのようだ。
女:原題の「ネクスト・トゥ・ノーマル Next To Normal」は、「異常な生活にはもう耐えられない。通常の、平凡な生活でなくてもいいから、せめて、通常に近い生活を送りたい」という意味合いになるの?
男:劇を観た感じでは、精神を侵された母親と何十年も付き合わされてきた娘のイライラした気持ちを代弁するタイトルだね。
女:シアター・クリエのようなあまり大きくない舞台では、物語の進行に合わせて、舞台のセットをどう作り、どう変化させて観客の気持ちに入って行けるようにするのかすごく重要な要素だけど、この3階建ての舞台構成は成功したわよ。
男:小さくて狭い舞台を効率よく話の進行に合わせて、素早く、また簡単に広く観せるために、多くの舞台では、2階建の構成はとっているけど、この「ネクスト・トゥ・ノーマル」では、ついにその2階の上の3階の部分まで使用して話を進めるとはよく決断した。
女:観客席の中段から後ろの人たちには、舞台の全体が観えているから、俳優たちの動きも掴めるでしょうけど、舞台に近い席の人たちは、あちらこちらと首が疲れそうね。
男:話の内容としては、赤ちゃんの時に死んでしまった息子の幻影と暮らしてきた母親をとりまく家族と精神病医という設定だね。
  ダイアナの心の病気が回復するということは、彼女にとっては長いこと一緒に暮らしてきた息子との悲しい訣別を意味する。
女:でも当初は、息子が現実の存在として舞台に登場するので、死んだことは分からないのよ。
男:この幻想と現実の提示の仕方が巧みに練られている。
  現実の世界での母親が自殺を試みて手首を切ったあと夫が血を拭くシーンなど、現実が手を抜かないでリアルに演出されているから、幻想の方のシーンも対比として、納得ができるようになっている。
女:幻影が幻影として存在するには、本当の生活をナマナマしくもってきたのがよかったのね。
男:息子だけでなく、どこかに夫も幻影かと思わせるような進行でこれも緊張感を与えた。
女:英語の訳がこなれていたわよ。
男:ミュージカルとうたう以上、音楽の付け方も中心になるけど、ロック的ではあっても騒々しくなくてこの点でも好評価できる。
女:電気ショックの場面に見られるような、ノーマルな世界とアブノーマルな状況を区分けして使用される電飾の効果もすごく印象的よ。
男:舞台の2階に描かれる大きな眼で見つめられると、観客も不安な感じになる。
  アメリカでの演出は、「レント Rent」も演出したマイケル・グライフで、日本版では、ローラ・ピエトロピントが来てリステージしているとあるね。
女:ダイアナの役は今日観た安蘭けいと他にシルビア・グラブがダブル・キャストね。
男:息子役のゲイブも今日の辛源と小西遼生がダブルで出ている。
女:このゲイブの辛源は歌も演技も上手ね。
  外見はハーフというより、外人だけど、ルックスも良くてこれからの注目株ね。

男:彼はアメリカにもいって、真剣にミュージカルの勉強をしたようで、いい役者になりそうだ。
女:ダイアナとダンの若い頃を二重写しにした娘のナタリーと恋人:ヘンリーとの関係も好印象ね。
  舞台にでているのは、6人と少ない人たちだけど、みんなセリフも歌もちゃんとこなしていたわ。

男:この「ネクスト・トゥ・ノーマル」だけでなく幻影を見たり、幻影と共に暮らすというと、アメリカでは「気違い」と扱われて、精神科に送られるけど、日本では幽霊との生活では特に「気違い」にはならないという面白いことに気が付いたよ。
女:映画や舞台にもなった「異人たちとの夏」なんかののことね。
  アメリカでは精神病を恐れ過ぎよ。
  私からみたらアメリカの精神病に対する過剰すぎる反応は、結局解決ができないのに無駄に難しい病名をつけて精神科医を儲けさせているだけのような気がするわ。

男:基本にあるのは、どうしても精神の要であるキリスト教でも説明ができない心の動きを悪魔のせいにしたり、魔女狩りに求めた宗教を背景にした精神の弱さがあるのだろうね。
女:それは、それとして、あなたは舞台での片づけや掃除の方にも感心していたわね。
男:そうなんだよ。
  最初のダイアナが散らかしたパンくずを実際に塵取りできれいにするシーンから始まり、この演出家は、物の後片付けが上手い!
  脱ぎ棄てたコート、舞台のそでに置かれたバック・パック、多くの錠剤など本当に無駄なく舞台からきれいになくなるのは、見ていて気持ちがいい。
女:綺麗好きなあなたでなければ、身落とすこだわりの演出ね。
男:さりげなく、きれいに掃除をしたり後片付けをするのは、家でもきみにもみならって欲しいところだよ。
女:二人で、きれいにするほどの広さの家ではないでしょう。
男:なんか、いった?
女:いいえ、何にも。

日本の幻影「幽霊」との生活を描いた感動の; 「異人たちとの夏」 (2009年) シアター・クリエ



    少年 H  

あらすじ: 時代は昭和の初めの神戸。その頃の神戸には多くの西洋人が住んでいて、小さな洋服の仕立て屋を営む「妹尾洋服店」の息子で小学生の妹尾肇(せのおはじめ)(吉岡竜輝:よしおかたつき)は、時代に流されずに柔軟な考え方を教えてくれる父親の盛夫(水谷豊)と穏やかに家族を見守るクリスチャンの母親:敏子(伊藤蘭)そして2つ年下の妹の好子(花田優里音:はなだゆりね)に囲まれて伸び伸びと暮らしていた。肇は母親が編んでくれた頭文字「H」が入ったセーターを良く着ていたので、友達や近所では「エッチ=H」とよばれていた。時は段々と戦争に向かって動き出し「H」少年の周りでも、洒落たレコードを聞かせてくれるうどん屋の兄ちゃん(小栗旬)が共産党員として逮捕されたり、元女形のオトコ姉ちゃん(早乙女太一)に召集令状がきたり、Hの父親もアメリカ人との親交を疑われて拷問を受ける状況になっていた。中学生になったHだったが授業は軍事教練ばかりで、田森教官(原田泰造)には苛められるが、久門(ひさかど)教官(佐々木蔵之介)の助けで射撃部に入れた。神戸でも西洋人がいなくなり、盛夫も洋服店をやめ消防員になり、クリスチャンとして偏見を持たれている敏子も町内会の婦人部の班長として活躍していたが、戦況は日本にとってますます不利となり、ついに神戸も米軍の大空襲を受けて廃墟となった。幸い妹尾家の4人は無事であったが、目標を失った父親の盛夫は、Hに対してもう生き方を教えることができなかった。自殺まで考えたHに。。。


戦争に敗けた大人たちへの見事な批判だ!

 監督は、降旗康男(ふるはたやすお)で脚本は、古沢良太(こざわりょうた)が、1997年に発表された、テレビの舞台美術と緻密なイラストで有名であった妹尾河童(せのお かっぱ)の少年時代の自伝小説の原作をもとに書いた。

 「少年 H」はテレビ化されて放映もされている。
妹尾河童はもともと妹尾肇の名前であったが、あだ名の河童が有名になったので、今は改名しているようだ。

 久し振りに見る良質な仕上がりをしている映画だった。

 前半の仕立て屋の父とHが一緒行く客先訪問、キリスト教の日本における状況やまた在郷軍人がいる近所の紹介部では、他の映画でも見られるようなかなり平凡な演出でこれでは面白くないと思って見ていたが、後半になってきて流石に降旗康男監督は見せ場を用意してくれている。

 戦争となり軍事国家の巨大な恐怖の力で、弱い国民たちは無謀な国策に否応なく取り込まれ、多くの命が奪われ、そして敗戦。
自由に発言できた時代から、自分の意思が曲げられてしまう恐ろしい時期があり、一応信じていた神国:日本の思いがけない敗北。
敗戦となり変貌する元軍事教官や大人たち。
生活の術だけでなく、生きる考え方も失ってしまった大人たちに対峙するまだ指導者を必要とする少年Hの主張の描き方は鋭く胸に響く。

 今までは少年の疑問に対して問題なく答えを与えてくれた父親が頼りにならないと感じる時は、敗戦がなくてもきっと来るが、それは多くの場合徐々に訪れるので、子供の親離れも悲惨ではない。
しかし、敗戦により急激に大人への成長を強いられた少年Hの動揺し自立する気持ちが見事に描かれている。

 「終戦のエンペラー」に見られるようなアメリカ的な甘ちょろい家族の関係や男女の愛ばかりの演出とは、一味もふた味も違ったいい演出だ。

 この映画では実生活でも夫婦である水谷豊と伊藤蘭が夫婦を演じているのが話題になっているが、ちゃんとした映画での夫婦になっていてこれは上手いキャスティングだった。
それにしても、この映画では少年Hを演じた吉岡竜輝が本当に子供から少年に成長しまた、青年として育つ過程を見事に演じている。映画の中でも男の子が親離れし充分に成長しているのが分かる。

 戦後しか知らない私であるが、戦争を子供の時代に体験した兄が遠くの空爆をみて「花火」のようだったという言葉がHのセリフと重なる。

 信じていた大人たちの変わりようは子供心には理解できずつらい現実だったが、自由な発言が抑えられ、信教の自由がなかった時代には絶対に戻らせないようにしましょう!

アメリカ的な敗戦を描いた; 「終戦のエンペラー」 (2013年)
降旗監督の退屈だった; 「あなたへ」 (2012年)

  
    終戦のエンペラー  

あらすじ: 1945年(昭和20年)8月、日本は第二次世界大戦に負け、連合国軍最高司令長官としてアメリカのマッカーサー元帥(トミー・リー・ジョーンズ)が任命され、連合国による日本の占領が始まった。マッカーサーの使命は敗戦処理であったが、その中でも、誰が今度の戦争の最高責任者であるかを追及して裁くことは重要な任務であった。そこで、マッカーサーは日本にもいたことのあるフェラーズ准将(マシュー・フォックス)に特命で戦争の責任者追及をさせる。一番の責任者として考えられるのは天皇であったが、真珠湾攻撃から始まる状況においても、政治家や軍人などが天皇を取り巻き、また明確な文章類が存在しないため、近衛文磨元首相(中村雅俊)や元陸軍大将:鹿島(西田敏行)に聞いても、天皇を戦争責任者と断定できる確固たる証拠は得られなかった。しかし、フェラーズは周囲の状況から、天皇が戦争の最高責任者と判断する報告書をタイプし始めるが。。。


女:どうして、日本女性との恋愛が絡む必要があるのっ!

男:終戦記念日がある8月頃には、恒例となっている戦争映画の公開だね。
女:日本を舞台にしていて、日本での話が中心だけど、製作はハリウッド資本で監督はピーター・ウェーバーなのね。
  原作は日本人の本があるようだけど、脚本も外人なのね。

男:キャスティングでは、「SAYURI」にも関係した日本の奈良橋陽子も関係している。
女:戦争では、負けた国だけが厳しく裁かれてしまうのね。
男:太平洋戦争に勝ったアメリカだって、昭和20年に広島と長崎に原爆を落として、それから68年たったいまでも、広島と長崎では原爆の後遺症で苦しんでいる人は大勢いる。
  また、東京を始めとする日本の各都市への大空襲で、戦争に関係のない多くの民間人や子供達の命も奪われたのに、それらに対する戦勝国の責任は追及されない。
女:平常な世界なら、アメリカや日本でも、たった1人の殺人や暴力行為であっても、加害者は裁かれるのに、戦争では勝った国の大量殺人は問題にされずに、負けた国の責任者は誰かといわれるのね。
  本当に戦争というのは、異常な理論で成り立っているのね。

男:そんな異常な世界に疑問を持たない軍人が、天皇を戦争犯罪人にできないかと調べたという映画だ。
女:私たちは、日本の戦後の処理として、東條英機や板垣征四郎などが戦争犯罪人として処刑されたけど、天皇は裁判でも起訴もされなかった事は知っているわよ。
男:一般的な考え方としては、明治以来天皇は日本の君主として、また神として存在していたのだから、戦争での最高責任は、彼にあると誰もが考えるよね。
女:そうよ。
  それが、政治的な判断で、天皇に戦争責任を追及しなかったのは、別に秘められた事でもない公然の事実でしょう。

男:天皇の行動や考え方を映画として面白く描いてくれれば、少しは観られたかもしれないけど、やっぱりハリウッドにとっては、日本の出来事は、世界的なマーケットからみれば小さな事柄にすぎないのだね。
女:そこで、これでは金儲けができないので、すこしは世界に通用する恋愛を取り込んで世界に売り込みたいという魂胆ね。
男:愛し合う二人が戦争で引き裂かれ、敵同士になってしまう男女の悲しいラブ・ストリーとはよくある話だし、アメリカに留学してたとか、日本で再会しましたというこの描き方では、まったく後から強引にくっ付けた感じで不必要な挿入だった。
女:どことなくおかしな感じは、焼け野原となった東京の風景や民衆でも漂っているのよ。
男:きみもそう感じたんだ。
  戦後の東京を再現したという焼けた建物が見慣れた木造の家のものではないし、活気のない人々もどこか日本人でないのはすぐ分かる。
女:ここまでお金をかけて昔を再現する現場を作るなら、もっと日本でロケをして、セットも日本で作って、エキストラの人たちも日本人を採用すればいいのにね。
男:折角、このようなハリウッド映画に多くの日本人が参加しながら、妥協をしていてはいい結果を生まない。
  もっと映画つくりで日本人としての主張をして、おかしなところはなおさせるようにして欲しいね。
女:でも、俳優としてのトミー・リー・ジョーンズは、マッカーサー元帥の貫録が出ているし、西田敏行の英語の流暢さは褒めるべき点ね。
男:本当にこの二人の演技は上手かった。
  トミー・リー・ジョーンズは、「リンカーン」でも注目されていたが、コーヒーを缶から飲むだけでなく、コーン・パイプもちゃんと咥えられる役者だね。
女:洒落た言い方ね。

男:終戦記念日のある8月だけでなく、あの忌まわしい戦争によって貴重な多くの命が奪われた事実を心に刻んで、平和な日本が今後とも続くように努力するよ。
女:今回は、真面目な終わりなの?
男:そうさ!

戦後の戦争犯罪の裁判なら; 「明日への遺言」 (2008年)
悲惨な戦争を繰り返した中欧の現状は; 「中欧の旅行記」 
 

    風立ちぬ  ―アニメ―

あらすじ: 時は昭和の初め。田舎で育った堀越二郎(声:庵野秀明)は、イタリアのジャンニ・カブローニが作った美しい飛行機に憧れ、彼のように美しく自由に大空を飛び回る飛行機を作ることだった。東京の大学を卒業して名古屋の大手軍需産業に就職が決まり、好きな飛行機の設計に携われることになったが、時代は戦争へと向かっていた。ある夏のこと、前の大地震の時に乗りあわせた汽車が縁で知り合った里美菜穂子(声:瀧本美織)と偶然にも避暑地で再会し、二人は恋に落ちるが、菜穂子は結核を患っていた。療養所生活を送る菜穂子と名古屋で新しい戦闘機の開発に精をだす二郎。二人の恋愛感情は更に深くなっていったが、菜穂子の体は良くならなかった。また、二郎が作った優れた性能をもった戦闘機は海軍に採用され「ゼロ戦」として活躍するが、多くの若者の命を奪うことにもなった。生きるということは。。。


けばけばしい主張を排除した宮崎監督の画像が、心を打つ!

 原作と脚本と監督は、今や日本のアニメ界を代表する存在と多くの人がいうあの宮崎駿。
その宮崎監督が、堀辰雄がポール・ヴァレリーの詩で「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳した文章から借りてタイトルを「風立ちぬ」にしたとのことだ。
また、第2次世界大戦で活躍したゼロ戦の設計者:堀越二郎と堀辰雄の生活からも、影響を受けた作品とある。

 私にとって、過去の宮崎監督の作品である「もののけ姫」や「ハウルの動く城」、「崖の上のポニョ」などは、子供を対象にしたおとぎ話の延長にあって、かなり退屈で評価もできない作品が続き、今回も余り期待しないで観た。

 しかし、今度の「風立ちぬ」の出来はいい。

 子供の頃から抱いた、飛行機製作の夢の実現とそれがもたらした悲しい戦争兵器としての利用。
ややベタではあるが、幸せ薄い少女との短い恋。
言いたい事も言えない時代が周りを取り囲む怖さ。

 しかし、夢の中でのイタリアのジャンニ・カブローニと堀越二郎は、正しく大空を華麗にまた自由に、そして勝手気ままに飛び交うことができる。

 物すごく壮大で大きな抒情詩が、これまた宮崎監督の細部に亘るまでの異常なまでの丁寧な仕上がりで作られていて、地震のうねり、青い空を舞う飛行機の群れのように、現実と頭の中の世界が連続して大きな感動をもたらしてくれる。

 川の水はちゃんと上から下へと清らかに流れ、風は時には、向きを変えて吹くし、少女のスカートとその下にある襞もいつものように、華麗に漂う。
堀越二郎の声を素人の庵野秀明にやらせるとは、これも成功の一因だ。

 人間は愛する人を一人でも失えば深い悲しみに陥るのに、どうして多くの人の命を奪う戦争をいつまでも続けるのか。
宮崎監督の人生観に大いに賛成します。

 いやはや、歳を重ねても、いつまでも元気にまた活気に溢れ熱意を衰えさせない宮崎監督のアニメに対する情熱には、今度ばかりは感服し、恐れ入りました。

宮崎駿監督の; 「ハウルの動く城」 (2004年)

    二都物語  -ミュージカル- 帝国劇場

あらすじ: フランス革命が始まる少し前のイギリスはロンドンに住むルーシー・マネット(すみれ)の元に、パリのバスティーユ牢獄にたいした罪状もなく17年間も入れられていた父:アレクサンドル・マネット医師(今井清隆)が体も弱って記憶もはっきりしない状態ではあるが、酒場をやっているドファルジュ夫妻(橋本さとし、濱田めぐみ)に保護されているとの知らせが入り、早速、ルーシーはパリに向かい父を伴いロンドンへ戻る船に乗る。一方、パリでは、サン・テヴモンド侯爵(岡幸二郎)が暴政を行い民衆を弾圧していたのでこれを嫌った甥のチャールズ・ダーニー(湧井健二)は貴族の立場を捨てて、ロンドンに亡命するためにルーシー達と同じ船に乗り合わせ、チャールズとルーシーは顔なじみとなった。しかし、ロンドンへ戻ると、チャールズにはサン・テヴモンド侯爵の策略でスパイの容疑がかけられ裁判になった。この窮地を救ったのは、飲んだくれだけど腕のいい、チャールズによく似た弁護士シドニー・カートン(井上芳雄)の働きだった。これを機に、ルーシーとチャールズの仲が進み、二人は結婚し子供もできる。またシドニーもほのかにルーシーに対して恋心を抱いていたが、表に出すことはなかった。そして、1789年。パリでは民衆が蜂起し、貴族の身分を捨てたチャールズではあったが彼の元に、古くからチャールズの家族に仕えてきた執事の命が危険なので、なんとかパリに戻って助けてくれとの手紙が来る。彼の命を助けるためにパリに渡ったチャールズは貴族であったために、民衆から死刑を宣告される。そこで、ルーシーを愛していたシドニーがとった悲しい決断は。。。


前半の単調さが、残念な出来となった!

 フランスのパリとイギリスのロンドンの2つの都を題材とした、原作はチャールズ・ディケンズの「ニ都物語」を2007年にアメリカでミュージカル化し、2012年には韓国でも上演され、今度は、日本での初上演だ。
翻訳と演出は、鵜山 仁 である。

 2幕構成となっていて、1幕目は、チャールズがロンドンからパリに戻る場面で終わり、2幕目は、フランス革命での騒動となっている。

 この前半での話の展開が面白くない。
だいたい、「すみれ」という女性をヒロインに抜擢したが、これが大きなミスに繋がっている。
すみれは、アメリカ育ちのようで、どうも日本語の調子が外の出演者と馴染んでいない。セリフが滑らかでなく聞いていて違和感がある。
また、舞台での立ち位置も慣れていない様子があちらこちらに出ていて演技も拙い。この「ニ都物語」で要求されるしっかりしたお嬢様の役ができていない。
これは、演出家:鵜山仁の責任でもある。
演出といえば、前半では、折角、結婚式や子供の誕生という際立った設定もあるのに、これらがあっという間に流れていくのでは、惜しい。

 また、冒頭でルーシーとチャールズが船の中で出会うことになっている重要なシーンが会話だけで簡単に済まされていたり、飲んだくれである自分を知っていてルーシーに対する切ない恋心を表に出せないシドニーの感情を、演技で見せないで説明的な話で終わらせてしまったのは、良くない。

 それにしても、この演出では、売り出したいのは、井上芳雄や湧井健二の若手ではなく、パリの飲み屋のマダム:濱田めぐみやその夫の橋本さとしとうつる。

 後半のパリでの革命騒動になると、かなり活気にあふれて来て、話も緊迫感が出ていて面白くなる。これは、濱田めぐみなど脇役の熱演があるからだ。

 まだまだ、演出家:鵜山仁の腕では、貴族の生活を描くより、庶民の暮らしを表現する方が長けているようだ。
また、シドニーが自分の命を捧げても、恋する人の幸せを願う、自己犠牲をここまで昇華させる気持ちが、これでは観客に伝わってこなかった。

 舞台の大道具として、大きな板がセットとなって、革命や断頭台での赤色などライテングと共に多用されるが、空間を区切りすぎていて変化がないのも物足りない。
衣装はかなり凝っているが、小物よりもまず舞台を引き立てる方が先だ

 ミュージカルとしては肝心な音楽の旋律も含めて、まだまだ未熟な出来だった。

井上芳雄の舞台: 「三銃士」 (2011年)

    ワイルド・スピード ユーロ・ミッション  

あらすじ: 車の運転が上手く、同じ車好きの仲間を集めて大きな犯罪を重ね、国際手配されているドミニク・トレット(ヴィン・ディーゼル)だったが、ブラジルの麻薬王からくすねた大金で今はドミニクの仲間になっている元FBI捜査官ブライアン・オコナー(ポール・ウォーカー)達とひっそりと暮らしていた。そこへ、宿敵のFBI特別捜査官ルーク・ホブス(ドウェイン・ジョンソン)が訪れ、ヨーロッパを拠点とする謎の国際犯罪組織が軍事機密を盗んでいるのでその組織の壊滅を図るためにドミニク達の協力を求めてきた。ルークが置いていった犯罪組織の資料には死んだと思っていたドミニクの元の恋人レティ・オーティス(ミシェル・ロドリゲス)が入っていた。レティの身に何が起きたのか。ドミニク達が犯した今までの犯罪の恩赦との引き換えに国際犯罪組織の壊滅に協力することにしたドミニクは再び運転やメカニカル技術の高い仲間を集めて、ロンドンに向かうが、国際犯罪組織は機密情報を手に入れ次の目的のスペインの軍事基地に侵入する。快速戦車までを用意している国際犯罪組織にドミニク達も苦戦する。恋人レティはどうして国際犯罪組織に入っていたのか。謎が。。。


筋は無いけど、車をふんだんに使ったアクションは、観れる!

  2001年に作られた第1作目のアメリカの一般道路を改造車で走るレースで金を稼ぐ映画の評判がよかったので、その後、日本も舞台にするなどで興行成績をあげている「ワイルド・スピード」シリーズの第6作目とのことです。

 映画を観て上のあらすじを纏めていますが、この映画では、この纏めの作業が実に難しい。
それは、あらすじを書いていて、登場している謎の国際犯罪組織なるものの首謀者もはっきり覚えていないし、どうして、ロンドンからスペインの軍事基地に移動するかも定かでない程度の本当に粗い、粗い筋なためです。

 それに、死んだ筈のドミニクの元の恋人が実は生きていたが、彼女は事故で記憶を失い敵方についていて、でも最後には記憶を取り戻すとは、もうこの展開なら最初から100%観客にも分っているほどの捻りが1つもないベタ、ベタな内容です。

 女性同士の派手な殴り合い。
腕の筋肉が隆々とした男たちのありふれたケンカのシーン。

 しかし、これらの詰まらない筋書きに関係なく、製作者たちが努力しているのは、様々な車を使ったアクションがどこまでできるかということでその点においては、観客は納得する出来です。

 日本の自動車としては、日産が世界に誇るスポーツ・カーであるスカイ・ラインGT-Rはこのシリーズでも度々出てきますし、フェラーリ、BMWなどの高級スポーツ・カーを使用したこの映画の売り物のカー・チェイスとその破壊の方法においては、実に苦労した成果がでている映画です。

 当然、高速道路に架かる橋の爆破などでは、現実にできませんからCGも駆使しているようですが、多くの場面は優秀なカー・ドライバーが実際にスピンや高速での車の間をぬっていく走行を行っているので、その生の撮影が素晴らしい迫力を生んでいます。

 今回の映画では、改造されたF1カーのような車が市街地をドミニク達の車と抜きつ、抜かれる突っ走るシーンが印象に残ります。
また、戦車がこんなに早く走れるという設定も、それは、かなり無茶だと思う反面、破壊においての爽快感は充分にあります。

 大型輸送機に車ごと飛び乗るシーンは、テンポが速くて何がなんだか分らず終わりますが、そんなことは気にしないでいいでしょう。

 最後に、日本を舞台にした話に続くことになっていますが、これは、シリーズでは2006年に作られた第3作目「TOKYO DRIFT」に戻ることのようです。

前作 5作目の; 「ワイルド・スピード メガ・マックス」 (2011年)

    真夏の方程式  

あらすじ: 玻璃ヶ浦(はりがうら)というきれいな海岸がある田舎町。その海岸の沖合いに海底資源が眠っているようなので調査団の一員として帝都大学の物理学准教授:湯川学(福山雅治)もやってきた。町は海洋開発に期待する住民と美しい海を守りたいグループの対立がはじまっていた。湯川が滞在している旅館:緑岩荘の一人娘:川畑成実(杏)は、海を守るグループのリーダーとして活躍していたが、その行動には、両親(前田吟、風吹ジュン)を含めてどこか秘密があるようだった。その旅館に東京から今は退職した刑事の塚原正次(塩見三省)が16年前に東京で起きたホステス殺人で犯人も捕まり解決したと思われる事件に納得がいかず、再調査にやってきた。しかし、翌朝、塚原は、堤防から何者かに落とされて殺された。事件の裏側に何かあると感じた警視庁の刑事:岸谷美砂(吉高由里子)は、以前から数々の難事件を解決してくれている湯川に今回も捜査の協力を依頼する。子供が嫌いな湯川であったが、叔母さんが経営している緑岩荘で夏休みを過ごしている柄崎恭平(山崎光)に科学の面白さも教えながら、事件の真相に迫ると、そこには。。。


女:解いてはいけない方程式もあるってことね!

男:この映画で福山雅治が演じている湯川学という科学者が難事件を解く話は、フジテレビの「ガリレオ」という連続ドラマがあるね。
女:また、新しくテレビ・シリーズとして、刑事役を柴咲コウから吉高由里子にして、彼女が度々、福山教授の研究室を訪れて捜査依頼を厚かましくするという以前と同じ設定でやっているわよ。
男:映画にした「真夏の方程式」の原作は東野圭吾とのことだ。
女:映画の設定がテレビと大きく違っているのは、事件の場所が研究室を遠く離れていることと、湯川が嫌いなはずの子供と一緒の行動をとる点かしら。
男:でも、ミステリーにしては、話の作りが雑過ぎないかい。
女:そうね。
  話の構成の前に、真夏にしては、出ている人たちの服装は、春か秋の感じだし、真夏の暑さがまったく画面からにじんでこないわね。

男:以前から言っているように、季節に合わせたロケ地での撮影と出演者のスケジュールを充分に押さえたものが映画を作る側の体制としてできていない結果だね。
女:最低でも映画を作る際には、出演者のスケジュールだけは充分に押さえてから、撮影に入って欲しいわね。
  いつも黒い服装をしている吉高由里子が、真夏の車のボンネットに触ることができるなんて、監督は西谷弘ってことだけど、この人は夏の汗をかいたり、夏の車の屋根は70度近くて人が触ることができないっていうことの経験がないのよね。

男:本当に監督という名称でありながら、会社の上司から与えられた内容でしか映画が作れない情けないサラリーマンと同じだね。
女:映画館の公開日に合わせて、やっつけ仕事をするのね。
  もともと、湯川が演じる科学者が面白いのは、本来、子供嫌いの変人という設定でしょう。
  それが、子供と遊んだりするのは、もう話の材料がないということで、これでは、ファンとしたらがっかりなことよ。

男:ミステリーというなら、海洋開発の調査団の湯川が最初から、反対派の宿に泊まるのも安易だし、足の悪い前田吟が子供を使って、煙突に蓋をさせるのももっと伏線を敷かないと、ああ、そうですかって程度で終わる。
女:原作が東野圭吾ってことだけど、こんなのが原作なら、ありふれた本ね。
  塚原刑事が中毒死になる経過も強引だし、だいたい小学生の子供に殺人を助けた重い思いを持たせるなんて発想は、筆が走りすぎた大人の押し付けよね。

男:本なら、それなりに想像力をかきたててくれるのかも知れないけど、美しい自然しかない町はいつものように海洋開発に賛成・反対でもめています。
  そして、娘を庇うことしかできない真の父親と、もの分りのいい育ての父に囲まれて育ってきました。
  しかし、殺人を反省している本当は心根の優しい娘でしたでは、もううんざりする程のありふれた内容だ。
女:多くの映画ファンの気持ちに、映画製作者が充分に応えてくれていないよのね。
  最近の映画興行としても、お子様相手の単純な漫画の原作から作ったものやアニメしか観客が入っていないようね。
  貴方がいつも言っている大人の鑑賞に堪えられる映画が本当に作られていないのね。

男:えっ、じぇ、じぇ。(東北弁です)
  ここは、主演の杏の水着の肉体美が貧弱で私の映画の評価が悪いのかと責められると思っていたのに、真面目にきたんだ。
女:やっぱり、貴方の映画の見方は、女優の露出度次第なのね。
男:うっ、そ、そんな訳では...

西谷弘の監督した退屈だった; 「アマルフィ 女神の報酬」 (2009年)



    俺はまだ本気出してないだけ  

あらすじ: サラリーマンの大黒シズオ(堤真一)は、離婚して、高校生の娘:鈴子(橋本愛)と父親:志郎(石橋蓮司)の3人で暮らしていたが、42歳にして「本当の自分探し」を口実に、次の目標もなく突然会社を辞めた。しかし、何もやることがなくテレビ・ゲームで時間を潰し、父親とのケンカが絶えない日々を過ごしていた。そんな時、本屋で漫画本を立ち読みし、漫画家になる決心をする。どうにか、書き上げた原稿を出版社に持っていき、編集者:村上(濱田岳)からは、あと1つの出来だとおだてられて、次々とホラーやスポーツ根性ものなどジャンルの異なった漫画を描くが、採用はされなかった。バイト先のファストフード店では、ミスが多く若い店員からも軽く扱われていたが、飲み仲間で律儀に会社員を続けている宮田(生瀬勝久)には、本気を出せば、売れる漫画家になれると熱く語っていた。しかし、娘が性風俗店に勤めていることを知り。。。


脚本の出来を他の人が確認してから映画にして!

 元々は、月刊の漫画雑誌に載っている青野春秋のものがあり、それを福田雄一が脚本・監督した。

 原作の漫画の狙いは、見かけはぐーたらな中年であっても、ハートには夢があり、自分の力を試すことがいつかできるということを描いているようだけど、この映画では、それらを上手く描けず、上滑りしている。

 漫画という元の画像があるなら、それを映像化するのは、監督業の初心者でもできるたやすいことだ。
デビューしたての映画監督に望まれるのは、実の生活には無関係に元の漫画をそれ以上に面白くすればいいだけだ。

 しかし、この福田雄一監督の脳裏には、余分な雑念が入ってしまったようで、漫画の誇張もできず笑いがとれない。
また、ケンカが強い山田孝之がキャバレーの店長を殴る義侠心の表現や、面白味のない生瀬と別れた妻がまた生瀬に戻る話といい、普通の感覚での「善い人」を、平凡なよくある程度で描いては、これも退屈だ。

 40歳を過ぎて、妻子がいればそう簡単には、会社勤めを辞めるわけにはいかないという事実を超えた行為を描く以上、その実生活の裏側にあるものも理解し、現実と虚構とを対比しないとだめだ。
適当な内容でも許される漫画で終わらせないもっと破天荒な味付けが望まれる。

 お金をとって観させる映画である以上、福田雄一監督だけでなく映画製作に携わっている他の人もいるのだから、初心者である福田雄一の脚本ができた段階で、内容を再確認し、もっと充実した内容に変更してから映画にしないと、金を返せと言われる結果となった。

 この映画では、ほめ殺しのうまい濱田岳が得な役でした。

堤真一が出ている; 「SP 野望編」 (2010年)

    奇跡のリンゴ  

あらすじ: 青森県は弘前の農家の次男坊として生まれた三上秋則(阿部サダヲ)は、子供の頃から時計を解体したり、バイクの改造などが好きで、いろいろなことに対して探究心の強い性格であった。そんな秋則も地元の高校を卒業し東京の企業に勤めてコストの削減を担当していたが、高校時代の同級生であったリンゴ農家の一人娘:木村美栄子(菅野美穂)の婿養子となり、青森に戻り リンゴの栽培に精をだすが、リンゴの育成には、年間10回以上の害虫駆除などの農薬散布が必要で、そのたびに妻:美栄子は吐き気や肌に湿疹ができて体調を壊していた。そこで、何とか農薬や化学肥料を使わないでリンゴの栽培ができないかと考えた秋則は、農薬の代わりに酢やニンニク、牛乳など様々な方法やリンゴ園の規模を拡大して試してみるが、毎年リンゴは実らなかった。年々増える借金と地元での冷たい視線にも耐え、土地を改良しどうにか、小さいながらも無農薬のリンゴが実ったのは、開始から11年が過ぎていた。。。

感動を稚拙に造り上げても、観客は感動しない!

 この映画には、本当に青森で無農薬のリンゴ栽培に苦労した石川拓治さんの原作があるようだ。
その実話を、中村義洋(なかむら よしひろ)が脚本し、監督している。

 原作が本当に感動をもたらしているかは、余り定かではないが、チラシでは、感動の実話をもとに映画化したと言っている。
それなら感動の実話をここまで画面から遠ざけて、感動させない作品にした出来上がりに驚く。

 11年の苦労の経過があることになっているが、11年という長さがまるで、1日のように扱われている編集のまずさ。
だいたい、11年かかったというなら、せめて撮影の期間も十分に取っていて欲しいが、それが無いことがすぐに分かる。
よくある、地元とタイアップした行事、この青森なら当然に「ねぶた祭り」をどこかに入れようと、能力のない人が単純に考えるありふれた脚本となるわけだが、そのシーンも本筋に意味なく、妻が一人で行方不明の夫を探すという入れ方では、阿部サダヲと菅野美穂の一緒のスケジュールが取れなかった結果このような扱いになったと、簡単に推察できる。

 そして、秋則がリンゴに適した土を見つけるという設定の無茶苦茶さは、もう理解できない。
自殺まで考えて、暗い森に入って行くのは、まあ、許そう。
だけど、真っ暗なはずの夜の森の中で、1本の木が輝き、その木の周りの土が探し求めていたリンゴに適していて、なおそれを口に入れるか?
農家の人が土を口に含むのは、良くあることだけど、ここまで、劇的に造り上げるとは、もう筋に関係の無い唐突さでも構わない漫画の発想で、実話を大きく変更し過ぎている。

 東京に出稼ぎにきて、暴漢たちに金を奪われるシーンや、滞納していた電気代を友人が秋則の代わりに支払ったりするのも、平凡な手法で、これでは、監督が原作から一部分だけを適当にピック・アップし、全体の流れに乗らない、頭で考えただけの感動で、観ている方は強引さだけが目に付く。

 また、子供に「成功するまで続けないと、今までの貧乏はなんだったの」なんて言わせるとは、明らかに実話を後から盛り上げるための大人の入れ知恵で、泣きを過大に意識した見え見のセリフだ。
子供は、自分が貧乏なんてことは、大人が言わない限り、思っていませんから。

 さらに、最後のリンゴの花が咲いているシーンも造りすぎだ。
リンゴ園はかなり広くて、こんなに花が咲き誇っていれば、あちらこちらから見れば、すぐに花が咲いていることは、分かるのに、リンゴ園のすぐそばの物置まで行かないと、花が咲いているかどうか分からないとは、もう中村義洋監督の実経験のなさと思慮の浅さを露呈していて、ここまで適当に感動を造り上げる発想には着いていけない。 

 感動は、ちゃんとした調査もしないで書き上げた薄っぺらな脚本からは生まれまないという、いい見本でした。

 それにしても、リンゴの花は、農薬をやらなくても咲くことは咲くのでは? ただ、虫がついて実が実らないのではないのかな?

本当は、阿部サダヲには、コメディをやらせたいけど、前作の;「夢売るふたり」 (2012年) 、 「舞子はーーん」 (2007年)


    オブリビオン  

あらすじ:時は、2077年。地球は、スカヴと呼ばれるエイリアンによって攻撃されたが、人類は核爆弾も使用し、どうにかスカヴを撃退したものの、月も半分に壊され、また放射能汚染により荒廃した地球には住めなくなり、残った人々は宇宙船を使って土星近辺に移住していた。そんな地球であったが、スカヴの再度の攻撃に備えて、またいつの日にか戻れる日のために、ジャック・ハーパー(トム・クルーズ)は、過去の記憶を消されて地球の監視と攻撃用機の点検を、同僚のヴィクトリア・オルセン(アンドレア・ライズブロー)と共に、空中の基地から行っていた。ジャックがいつものようにパトロール飛行をしていると、どこからか宇宙船が飛来し、地上に落下した。落下の現場に到着したジャックが見つけたのは、低温装置に入っている4人の地球人であったが、その内3人は、敵とみなされて地球監視機により殺されるが、ジュリア・ルサコヴァ(オルガ・キュリレンコ)だけは生きており、ジャック達と生活をすることになる。ジュリアとの会話から、ジャックは若い頃に、恋人と過ごしたニューヨークのエンパイア・ステート・ビルを思い出していた。しかし、パトルール中にジャックは、汚染地区に潜んでいた謎の集団に捉えられ、彼らから自分の正体はスカヴにより記憶を消されたクローン人間だと伝えられる。そして、ジュリアが、ジャックの恋人だったのだ。しかし、それがスカヴにばれて。。。

女:筋を考えて観てはいけない映画なのね!

男:原作と監督は、「トロン:レガシー」のジョセフ・コシンスキーとのことだね。
女:だいたい、タイトルの「オブリビオン」って、聞いたことの無い英語だけど、どういう意味なの。
男:「オブリビオン Oblivion」は、「忘れること。忘却」の意味だそうだ。
女:その程度の言葉なら、分かり難いカタカナの「オブリビオン」なんてタイトルでなくて、日本語のタイトルを付けることができたんじゃないの。
男:最近の映画の配給会社の社員も役員も、昔の仕事に対する情熱を持っていた時代の人たちと違って、もう頭を使うことを止めた単なる映画輸入の会社員だから、日本語に上手く訳すという高邁な考え方は、もっていないようだね。
女:今からおおよそ60年後という近未来の設定は、本当に中途半端そのものね。
男:極端に遠い未来では、乗り物や科学の進歩も、もうどうなっているかの想像がつかないので、ある程度は想像できる余り遠くない未来にしたようだけど出来が悪い。
女:筋らしい筋がなく、本当に、製作者サイドに都合がいいよう、その場その場に会わせて作ってみましたでは、途中で飽きるわね。
男:どうして、監視基地に洒落た透明のプールがあるのか、厳しい戦闘が世界中であったのに、地上には全然破壊されていず、また汚染もされていない川が流れるような場所があるなら、他の星に行かなくてもいいだろうなど、おかしいと思いだしたら切がない、出たら目な作りだね。
女:筋が上手く繋がらないので、これでは、客を呼べないので、強引にトム・クルーズとアンドレア・ライズブローの裸も入れましたという程度の発想では、駄目ね。
男:それじゃ、トム・クルーズのファンだけに向けた映画ととらえて、彼に二役をやらせたのは、評価できるのかな。
女:鼻に赤い線を入れてクローンと本物を区別するアイデアも苦肉の策で、攻撃の弾は全部避けてくれるトムだけに都合のいい話のオンパレードでこれでは、いくらトムのファンでも、がっかりでしょう。
男:以前のアクション物の定番であった地上のカー・チェイスを、最近は進化して空中戦に置き換えているけど、またまた、良くあるスピード感だけで他の映画の真似をしても、そうかというだけだね。
女:他の映像にも独創性が無いのね。
  エンパイアヤ・ステート・ビルの残骸の風景は、「猿の惑星」での「自由の女神」の描き方そのままだし、他でも近未来に対する製作者のオルジナリティが無いわけね。

男:地球軍の残党になっているグループもまったく冴えない描き方だ。
女:ズッート地球のどこかに身を潜めていたのにしては、武器や防御服だけでなく、人数も適当な設定よ。
男:時々、こんな出たら目な筋でも、製作者は自分は、インテリだということをいいたがるのも、ウンザリだ。
女:「二都物語」の1節などを取り入れた部分ね。
  また好きな音楽が1960年代に流行ったプロコル・ハルムの「青い影」というのは、もうクローンにされたトム・クルーズは、60歳代でさらわれたことにならないの

男:そもそも、高度な英知をもっているエイリアンの地球侵略の意図とその後の戦略がはっきりしていないから、ひどい出来となった。
女:ただ、流れていく画面を観ているだけいい映画で、これなら、セリフも字幕もいらなかったわ。
男:それを言ったら、お終いだけど、アンドレア・ライズブローの美しい顔は、印象に残ったよ。
女:あなたは、どんなに詰まらない映画でも、女優さんにはいいところを見つけるから、大した映画ファンよね。
男:ウッ、それは、褒め言葉と受け取っていいのかな?
女:映画だけでなく、ただ女性が好きだと言ってるだけよっ。
男:私は、人間全体が好きなだけだけど...
女:気取っても、だ・め・よ!

 トム・クルーズの: 「ミッション・インポッシブル:ゴースト・プロトコル」 (2011年)
 オルガ・キュリレンコが出ていた: 「007:慰めの報酬」 (2009年



    マイ・フェア・レディ  -ミュージカル- 日生劇場

あらすじ: まだ、貴族の生活と平民とでは言葉使いなどの違いがはっきりと残っていた頃のイギリスはロンドンの下町。貧しいながらも向上心のある花売り娘:イライザ(霧矢大夢:きりや ひろむ)は、将来は品のいい奥様達をお客にした「花屋」を開く夢を持っていたが、言語学者のヘンリー・ヒギンズ教授(寺脇康文)に粗野な下町言葉を指摘される。そこで、奮起したイライザは、ヒギンズ教授から上品な言葉使いだけでなく発音やイントネーションをも教えてもらうことにする。また、ヒギンズは、知り合いのピッカリング大佐(田山涼成)と賭けをして、イライザを6ヶ月の間に、貴婦人に仕立て上げ、社交界にデビューさせることになる。今まで浸み込んだ下町言葉を、上流階級の言葉にするだけでなく、行儀作法も含めて、イライザとヒギンズの厳しい日々が続き、どうにか、イライザは貴婦人らしくなってアスコット競馬場に臨むが、まだ下町育ちは隠せなかった。それからの猛列な特訓で、ついに、イライザは社交界にデビューできるが、その成功はイライザとヒギンズのお別れでもあった。。。

基本を活かした新しい演出が、面白くしている!

 このミュージカル「マイ・フェア・レディ」のオリジナルは、1956年のニューヨークで、ジュリー・アンドリュースが花売り娘のイライザを演じたブロードウェイ・ミュージカルがあり、そのヒットを受けて、1964年には、オードリー・ヘップバーンがイライザを演じた映画版もある。
映画版の「マイ・フェア・レディ」は、私も度々観ていて、言葉使いを勉強したイライザが競馬場でデビューする際に着ている白黒のロング・ドレスと大きな帽子は余りも華麗で、また大胆で衝撃的なデザインであったので、未だに忘れられない。

 そして、日本における舞台公演としてのミュージカル「マイ・フェア・レディ」は、1963年に日本人が、日本語で演じた初めてのブロード・ウェイ・ミュージカルだったとのことだ。
 最初のイライザは江利チエミが演じ、相手役のヒギンズ教授は高島忠夫だった。
日本での舞台公演も好評で、その後も、度々、公演され、主役は江利チエミの後を受けて、1990年頃からは、大地真央がメインとなってイライザを演じていた。私もこの大地真央のイライザ役は、3回ほど観ている。

 その日本での初演から、50年が過ぎた今年2013年に、新しく”G2”を抜擢し彼が翻訳・訳詞・演出を担当して、今回の公演となった。

 この「マイ・フェア・レディ」の根本にあるのは、イギリスでのイライザが使う下品な下町言葉をどのようにして、上品な言葉に修正するかであるが、以前の台本では、英語を日本語に訳しても、直訳にちかいままにしていたために、訳の分らない箇所がかなりあった。

 例えば、日本語で歌われる「スペインの雨」がいい例だ。これは、英語では、「The Rain In Spain」であり、英語での発音で「Rain,Spain」そして、この後に続く、「Plain」と韻を踏んでいて、この差が明確に発音できないとイライザの素性がバレるので苦労することになっている訳だが、今までは、「スペインでは、雨は、広野に降る」と直訳のまま歌われていて、日本語としては何の妙味もない箇所であった。

 それら、英語からの日本語への訳のおかしな部分を含めて、新しくG2が翻訳から演出まで担当したのは、成功だ。
「The Rain In Spain スペインの雨」は、メロディは同じだけど、下町の感じを出すために、江戸弁にして「ひまわりのひなげし」というタイトルにして、「ひ」と「し」の違いで、英語の発音の差に近づけたのは、多いに評価する。
 
 また、舞台の構成も、通常なら、オーケストラは、舞台下のオーケストラ・ボックスにいて、演奏をするが、これが舞台の中二階に、演奏者が左右に分かれて配置されている。
これでは、指揮者がいない右側の演奏者達は、左側にいる指揮者の動きが分らず、音のズレでもでるかと心配したが、そんなことは杞憂だった。
演奏も上手く、そして、音響もよく出来ていた。

 さすがに、日本での公演が50年目ということで、部屋の感じや街頭などと舞台装置の転換も、今までのような床を移動させる際の雑音も無く、実にスムーズに静かに切り替わっていて、このあたりの演出も上手い。

 ストーリーの展開にも、今までと異なった点がある。
以前の台本では、イライザのヒギンズに対する気持ちよりも、舞台での見栄えがする方向に重点があったようだけど、G2の演出では、セリフもかなり変えていてイライザの独善的なヒギンズに対する切ない恋心もかなり伺える内容になっていた。

イライザが投げるスリッパのシーンも少なくなっている。

 今回観たイライザの、霧矢大夢は昨年までは、宝塚の男役としてやっていたとのことで、大股開きも別に躊躇なくできていて、役に似合っている。
「踊り明かそう (I Could Have Danced All Night)」の歌も、上手く発音ができるようになった興奮感がよくでている。
階段を使った場面で、白いドレスと、キラキラする宝石が見栄えもよく、立ち姿が上手いわけが宝塚出身とのことで、よく分かった。
まだ、過去にイライザを演じてきた大地真央が魅せたほどの貫録は、当然ながら、ないが、これから身に着けていくことだろう。
今公演では、イライザは、真飛聖(まとぶ せい)とのダブル・キャストでもある。

 配役に関しても、ミュージカルとは無関係だと思われる田山涼成にビッカリング大佐をさせたり、イライザの父親役に松尾貴史を配したりと新しい演出の意欲が感じられる。
今までとは違った配役と少し違った演出で、日本のミュージカル世界の財産である「マイ・フェア・レディ」が、これからも引き継がれていくことは嬉しい。

 G2の舞台演出なら; 「スーザンを探して」 (2009年)
 前回の; 「マイ・フェア・レディ」 (2009年) 



    中学生円山   

あらすじ:都内の大きな団地に住んでいる中学2年生の円山(まるやま)克也(平岡拓真)には、生真面目でフルーツの好きな父親(仲村トオル)と韓流ドラマにはまっている母親(坂井真紀)、そしてまだ克也と同じ部屋に寝ている小学校5年生(鍋本凪々美)の妹がいた。克也は小さい頃から妄想癖があり、家族が本当は宇宙人ではないか、なんてことを思っていた。その克也も年ごろとなり、ある目的を達するために柔軟な体にする「自主トレ」をしていると突然妄想のスイッチが入り、今度新しく上の階に越してきた仕事もしていない正義感の強い子連れの下井辰夫(草なぎ剛)が、本当は凄腕の殺し屋ではないかと思うようになった。そんな時、団地の近くで殺人事件が起き、団地の活動にもうるさい下井から克也は気に入られ、克也は下井だけに、団地の住民をヒーローにした妄想話をするのだった。しかし、殺人事件を追っている警察が、下井の動きを探っており、ついに。。。


真実性とナンセンスが見事に融合した面白い作品だ!

 監督と脚本は、時々は俳優でもある宮藤官九郎(くどうかんくろう)だ。
宮藤官九郎の以前の脚本としては、「木更津キャッツアイ」が記憶にあるが、これは、単に悪ふざけとしか感じなかったが、今NHKで放映されている朝の連続ドアラマ「あまちゃん」を見ていると、これが以外に面白いので、この「あまちゃん」を脚本している宮藤官九郎ならば、どう中学生を描くのかという気持ちで映画館に足を運ぶ。

 基本にあるのは、「妄想」だけど、その設定が実に上手い。
まず、巨大な団地であること。
団地では、本当に隣に住んでいても、その人の職業も知らないし、まして、引っ越してくるまでの過去までは、まったく知らないから、その人に対して「妄想」が好き勝手にできる。

 そして、性に目覚め始める中学生男子であること。
この頃の自分を思い出すと、本当に他愛のない「欲望」や異性に対する「妄想」が、頭の中を渦巻いていた。

 いわゆる「大人」になると、年齢を経て、得てしまった知識や経験から、徐々に自分が独自に描く「妄想」が少なくなってしまうけど、これは、言い換えると宮藤官九郎が指摘するように「考えること」を放棄していることでもある。

 子供の時には、いつも一緒に住んでいる家族であっても、また、周りの大人たちが、自分の知らない場所や知らない時間にどのような事をしているのか知りたいという興味で一杯だったはず。
そして、知るとこれまた、そんな事をしていたんだと、驚きの日々だった。

 まだいろいろな事を知らないために、小説を読んで頭の中に描かれる状況や、漫画や映画で観たという限定された世界の中で、自分の「考え」を創造していくが、限定された経験や知識とはいいながら、頭の中ではあり得ない物も自由に加わることができるから不思議だ。
それは、既存の概念に囚われない物を生みだすこともできる。

 中学生の円山が、新しく引っ越してきた子連れの下井辰夫を殺し屋に仕立て、それが小池一夫原作で小島剛夕画の時代劇漫画の「子連れ狼」にどうしてなるのかという、中学生が勝手にする「妄想」には、どうしてといった理由付けはないわけではあるが、これが意外に、大人には分かる。

 今は街中を徘徊している半分ぼけた老人にしても、妄想すれば、パンクなミュージシャンにもなれるし、小学生であっても老人を好きになってもいいわけだ。
また、日常の生活で退屈な主婦はテレビに出ている韓流男優と現実に付き合うことも「妄想」は可能にしてくれる。

 監督が意味のない「妄想」だけを描くと、観ている側にしてみると「なんだこれは!」という気持ちになり、退屈だけど、この「中学生円山」では、「妄想」が、実の生活とも微妙な線で繋がり、また布石を持って表現されているので飽きない。

 例えば、下井の子供が水鉄砲が好きだったので、最後の悲しい結末になるシーンも、少しばかりの強引さは感じるが、よく練られた話だ。

 「アダルト」のタイトルがついていながら、内容は団地のマナー違反を写したDVDとは、大人の気持ちが分かっている。
乳母車からショット・ガンへの変身も、それなりに工夫がなされているので納得する。

 円山がある目的を達するために行う必死な「柔軟」は、笑えるけど、決してバカバカしい話ではないから面白い。

 宮藤官九郎監督のアイデイアに溢れた遊び心とその裏側にある切ない気持ちの世界が十分に堪能できた。

 この映画で円山を演じている平岡拓真君は、こんなに下半身を画面に出して、学校でいじめにあわないかな? と心配です。

追記:宮藤官九郎の脚本では; 「舞妓Haaaan!!!‎」 (2007年) があった。

    県庁おもてなし課   

あらすじ: 大学を卒業し、高知県庁の職員として新規に採用された掛水史貴(かけみずふみたか:錦戸亮)は、観光促進を目指し新しく設立された「おもてなし課」に配属されたが、課長の下元(甲本雅裕)や同じ課の近森(松尾諭)にしても、何から始めればいいのか分らなかった。そんな時、地元出身の若手作家:吉門(よしかど)喬介(高良健吾)から、民間の旅行好きな若い女性の意見を取り入れたらいいとのアドバイスを受け、明神(みょうじん)多紀(堀北真希)をアルバイトとして雇う。また、以前、高知県庁に勤めていて観光促進策として、パンダの飼育を提案したが上層部と意見が合わず、県庁を辞職し今は、観光コンサルタントをしている清遠(きよとう)和政(船越英一郎)の意見も取り入れて、自然以外何も無い高知県への観光客を集める策が徐々に煮詰まって行く。掛水と明神との距離も仕事を通じて近くなるが、県の予算が足りない。。。


現場のリサーチが充分になされていない表面だけの軽い作品だ!

 原作は、高知県出身の女性作家:有川浩(ありかわ ひろ)の同名の本があり、監督は、以前同じく有川浩の原作「阪急電車 片道15分の奇跡」を映画化した三宅喜重が、これまた映画化した。

 観光立県を目指すことになった高知県の若手職員が、何もない状況から奮闘・活躍することになっているが、公務員としての描き方や、お役所仕事の扱い方が、まったく表面的で、良くあるパターンの踏襲から脱却しておらず面白くない。

 掛水と明神との男女の関係においては、清遠の娘を軽く恋のライバル相手として登場させ、二人が車に乗っていて口論し、明神が車を降りて電車で帰るシーンや相手の気持ちを推し量るなど、細やかな表現は若い女性が男女付き合いにおくてな男に抱く気持ちとして、実に良く描かれている。
さすが、女性作家:有川浩ならではという内容だ。

 しかし、舞台の設定を高知県の県職員の話としたために、またよくある見せ場として観光用のパラグライダーや漁港、カヌー漕ぎなどの映像を上映時間を稼ぐだけで撮りたい為に、県の協賛を得ていて映画を作っていては、その高知県を悪く扱うわけにはいかず、深い部分に突っ込んでいない映画作りでの妥協が物足りない作品としている。 

 例えば、清遠の場合。
気概があって県庁の上司と争って、公務員を辞め、それからは、連れ子をもつ女性と再婚し、その女性が男をつくったので連れ子は自分がひきとり育てたという、これまた、簡単には済ますことのできない、今日までものすごく厳しく、また苦労をした生活をおくって来ていれば、高知県に対しては恨みもつらみもあるのが普通だけど、その気持ちを娘だけに出させているなんて、明らかに援助をしている高知県に対する遠慮と妥協で作り過ぎだ。
これだけ苦労しても、なお高知県を愛しているいい奴でしたで終わっては、自分の仕事に対する信念はどこへいったのかと思わせる、かなり不自然な描き方だ。
また、清遠から出てきた観光で盛り上げるというアイデアが、結局は、誰もが考える自然を活かしたレジャーランドという、実態も明確でない言葉だけの大構想では、民間の企業の活用ではない。

 そして、清遠がiPADを使用しているシーンやパソコンに向かっているシーンにしても、明らかに使い慣れていない演技でこれなら意味も無いし、県の予算が付かないので、掛水がテレビを使って知事や高知県民に訴えるなんてこれはもう完全に、製作が関西テレビであるために、未だにテレビは影響力がありますから広告媒体として利用してくださいと挿入したのが見え見えで、錦戸亮のつたないセリフも一因だけど、白々しくて、訴えてこない。

 映画を作る際に、スポンサーや協賛会社に対しておもねりの気持ちがあっては、良い作品が生まれない。
映画監督としての主張を通さないと観客は納得しない。(監督にその気概があればの話ですが。)

 また、民間からの発想を取り入れるために採用される優秀な若い女性となっているような明神にしても、せいぜい言えるアイデアとしては、山中でも女性用に綺麗なトイレが必要なんてだけで、この程度の発想は凡人であっても持っている。
明神のこの描き方では、公務員という安定した収入が得られる男性を結婚の相手として探しに、県庁にきましたというだけだ。

 それにしても、公務員が予算がなくて仕事ができないので「仕事をしたい!」と叫ぶのは、違和感があり過ぎだ。
通常、給与は、その席に何もせずに座っていて貰えるものではない。
いつも、行動をしているから、その対価として給料がある。
真面目に観光で集客策を考えているなら、予算が付かなくてもできる案から始めればいい。

 現場が抱えている深い問題までは調べずに、高知県での軽い恋愛話で終わった。

 三宅喜重監督の冴えない; 「阪急電車 片道15分の奇跡」 (2011年
 香川県の県庁を題材にした; 「県庁の星」 (2006年)


    藁の盾   

あらすじ: 政財界の大物:蜷川隆興(山崎努)の可愛い孫娘が、以前にも幼女に対する性犯罪でつかまり刑務所をでたばかりの清丸国秀(藤原竜也)に惨めな状態で殺され、犯人の清丸は逃走し、全国に指名手配されるが行方は掴めなかった。そこで、蜷川は金にまかせて多くの全国紙の編集者を買収し、「清丸を殺したら、謝礼金として10億円を差し上げる」という法外な広告を出させる。清丸を殺すことは当然殺人罪となるが、その殺人者の家族や親族の面倒もみるという条件と、警官などが公務として、清丸を殺しても、10億円を出すということで、日本中が清丸の行方を追い出し、身の危険を感じた清丸はついに潜伏先の福岡の警察署に出頭した。そこで、取り調べを東京の警視庁で行うため、警視庁は、要人の警護を担当するSPとして有能な銘苅一基(めかり かずき:大沢たかお)と女性ではあるが射撃が上手で出世欲が強い白岩篤子(松嶋菜々子)と、捜査担当の奥村武警部補(岸谷五朗)、神箸正貴巡査部長(永山絢斗)の4名を護送係として送り、福岡県警からは、関谷賢示巡査部長(伊武雅刀)が東京まで同行することとなった。しかし、清丸を殺し巨額の謝礼金を手に入れようとする多くの人々が現れ、最初考えた飛行機での移送も航空会社の従業員が墜落を目論んだためにできず、高速道路を使った車での移送も、護送している機動隊員が清丸を殺そうとするため阻まれ、止むを得ず新幹線を使用するが、いつの間にか清丸の現在場所がネットで明らかにされ、警護の関谷巡査も清丸を殺そうとする暴力団の犠牲者になる。幼女を惨殺してもまったく後悔の一かけらもないゴミのような清丸を身を挺して警護する白岩や銘苅にも、警護に対する疑問が。。。


女:説明をするなら、全部の裏側をちゃんと説明できないとだめよね!

男:監督は、「悪の教典」や「十三人の刺客」の三池崇史が、木内一裕原作の本を映画化した。
女:映画でいいたいのは、罪を犯してもまったく反省しない「わら」でゴミのような清丸を、職務とはいえ命をかけてまで「たて」となって警護する意味があるかということね。
男:でも、それは、もう法治国家である日本では、悪法も法であり、改正されるまでは、その法を守る義務があることは、民主主義として当然だよね。
女:また、いくら残酷な殺人者を憎んでも、その犯罪者を被害者の家族や個人で罰すると、間違いや感情で冷静な判断ができず、行き過ぎもあるから、裁判所という国家の機関に任せますとしたのも、多くの人々が過去の歴史から学んだ仕組みよ。
男:江戸時代にみられたように「敵討ち」的な発想では、いつまでたっても終わりがないといういうことも分かるが、凶悪な殺人なんかでの被害者の親族にしてみれば、いくら任せたとしても裁判所が下した量刑が軽いと思うことは、現実に多く語られているよ。
女:でも、この映画のように大金持ちで政治や官僚も動かせる立場の人なら、殺人依頼も公然とできるというでたらめな発想はまずおかしいという、批判の精神が映画をつくる側に欲しいわね。
男:残念だけどこの監督:三池崇史には、そこまで考える頭脳はないようだ。
女:最初の設定の殺人の報酬額が「10億円」でこんなに多くの日本人が、罪を犯してまで殺そうとするかどうかはおいといても、映画の作り方が雑ね。
男:どのあたりで、そう感じたの。
女:要人の身辺を警護するので給料をもらっている公務員でもあるSPなら、いくら藁のような存在であっても、自分の命をかけてもその要人の身を守ることはもう当然のことでしょう。
男:そうなんだね。
  この映画の設定でのもう一つの大きな甘さがそこにあるんだよ。
女:日本では軍人がいないことになっているけど、例えば軍隊に入るということは、もう前提として、戦争があれば、その際には自分の命を懸けても、国民の生命と財産を守ることを約束していて、他の公務員より高い給料や手当をもらうのよね。
 その心構えは、警官として応募する際にも同じで、そのために危険手当を受け取っているのに、この映画のように、殺人で高額な謝礼金がでるから、警官として警護することに疑問を感じたり、個人的な生活事情から犯人を憎むなんてことを持ち出すのは、当初の考え方として無理があるわけね。

男:それだけでなく、折角、福岡から東京へ犯人を移送するという長い距離、長い線を持ち出しているのに、新幹線から外れてしまうと、どこか訳の分からない場所になっていて、殺された幼女の父親がナイフだけしか持たずに、清丸を殺しにくるのも、もっと捻りがないとつまらないし、不自然だね。
女:個人タクシーを利用して検問を通り抜けるのも、唐突な扱いで、なんでこんなに簡単に検問がパスできるのって感じたわよ。
男:田舎のどこかで白岩篤子が清丸に殺されていながら、その白岩篤子の死体の処理がどうなったかも説明されず、最後に、銘苅と清丸は無事に車で東京は警視庁の前に到着ではもう筋を考えて観ている人には、驚きの展開だ。
女:どこからどこへという地域を移動したという線が有る筈だけど、その説明はなくて、急に点の話になるのは、まったく考えの浅い監督ね。
男:いろいろと無理が目立つのは、設定を現代の日本にしているからだね。
  観客は日本の地理や法律、社会を知っているから不都合さが気になるんだよ。
  もう、この内容で映画にするなら、時代を変えて、昔の時代劇に置き換えるとか、日本でない国籍不明としたら、少しは観られたかな。
女:でも、犯人を取り調べるなら、東京に移送しないで、福岡に検事が行けばこんな苦労はいらないんじゃないの。
男:おっ、そ、それをいったら、原作も成り立たないことに...

この映画での見どころは、犯人役の藤原竜也の熱演です。

過激で筋が粗いだけの三池崇史監督の; 「悪の教典」 (2012年)、 「十三人の刺客」 (2010年)
大沢たかお; 「終の信託」 (2012年)
松嶋奈々子; 「ゴースト」 (2010年)
岸谷五郎; 「つやのよる」 (2013年)



    舟を編む   

あらすじ: 大学院で言語学を学んでいた馬締光也(まじめ みつや:松田龍平)は、玄武書房という出版会社の営業部に勤めていたが、性格が暗く営業のタイプではなかった。その出版社では、新しく「大渡海(だいとかい)」という辞書の発売を計画しており、監修者には、日本語学者の松本朋佑(加藤剛)を迎えて、語彙や、使い方等を採取し出版の準備をしていたが、担当のベテラン:荒木公平(小林薫)が定年退職となり、補充として馬締がその辞書部に配転された。あまり仕事に乗り気でない先輩の西岡正志(オダギリジョー)と契約社員の佐々木薫(伊佐山ひろ子)の3人しかいない会社内でも地味な存在の職場ではあったが、馬締には向いていて、日夜、語彙の採集に精を出していた。その馬締が学生時代から下宿しているアパートに大家(渡辺美佐子)の孫娘:林香具矢(はやし かぐや:宮崎あおい)が板前を目指して上京し、共に住むことになった。今まで女性と付き合ったことのなかった馬締は香具矢に一目ぼれし、その気持ちをなかなか伝えることができなかったが、どうにか二人は結婚をする。「大渡海」出版の企画から15年がたち、途中、出版中止の危機などを乗り越え、見出しも24万語近く集めた「大渡海」が完成し発売パーティが開かれるが、そこには、監修者の松本は遺影で参加していた。。。


よくある話を、よくある映画以下に作り上げた!

 チラシによると、最近本が売れないので、何とか本屋さんが集まって「賞」を設け、その宣伝効果で本の販売を狙っている2012年の「本屋大賞」を受賞した三浦しをん原作の「舟を編む」を、石井裕也が監督したとのことだ。

 新しくできる予定の辞書名が「大渡海」で、そこには、多くの言葉が集まり、言葉たちは、時には嵐のようにうねり、時には波風のない穏やかな表情を示す、まるで辞書は広大な「海原」を閉じ込めた世界ということだ。
そこで、1つ1つの言葉を集めていく地味な編集の作業を「舟を編む」
にしたとは、なんと文学的な美しい響きに繋がるタイトルだろうか。

 辞書を作る前段階として、言葉を集める作業は、本当に大変な労力を使うことは、良くわかる。
古語もあれば、小娘たちが使う新語もあるし、コンピューター関係で外来語から造られる語もあるし、狭いといいながら、日本でも地方・地方で独自に使用されている言葉もある。

 でも、この監督とこの編集のまずさでは、そんな辞書編纂までの苦労がまったく観ていても伝わってこない。
ここと思われるところに、映像がないのは、いくらなんでも、監督のへたさが露見する。

 例えば、馬締と香具矢が初めて出会うシーンで、大家さんが寝ている部屋を馬締が通っていくのだけど、ここには、大家さんはいびきだけでしか登場していないし、監修を担当する日本語学者の松本が入院しても、その病院には本人は検査中で画面にでてこないのは、余りにも撮影で手を抜いていておかしい。

 その割には、馬締と先輩の西岡が大学の前で出会うシーンがどうしてここなのかの不自然さとか、松本の家を訪問するのに無駄にタクシーがでている場面とか、また、新入社員の歓迎会でかなり横に長いカウンターを利用する構図は、歓迎会を知っている人なら話が端と端では伝わらないのであり得ない設定など、多くの場所・場面で石井裕也監督の練られていない構成の未熟さと短期の撮影で出演者のスケジュールが取れず、強引にその場しのぎに作った感じが出ている。

 そんな中で最大の苦労話としてでてくる、締日近くになって、1見出しが抜けていたために、人海作戦と昼夜を問わず作業するが、この盛り上げ方も、多くの映画で取り上げられる程度の内容で終わり、山場になっていない。

 人物の描き方が常套から脱していないのも、脚本段階でのミスだ。
ちゃらんぽらんな筈の先輩の西岡も本当は仕事が大好きでした。
新しく参加した若い娘も最初は辞書部へ転属なんて嫌がっていましたが、いつの間にか、仕事が大好きとなりましたでは、例によって結局良い人たちばかりが登場していて、こんな原作本なら、余り本を読んだことのない本屋の店員には受けて話題性を提供する「賞」を与えるかも知れないが、その話題性だけで、単純に映画化してもそれは出来としては、ひどい作品にしかならない。

 映画にするなら、そこには、映画としての元の本の内容からの取捨選択があり、また映画としての「ひねり」と「主張」を加えないと観客の気持ちには訴えてこない。

 それにしても、宮崎あおいを板前の見習いとしているが、この女優に職人気質のある板前を演じさせるのはかなり無理すぎた。
宮崎あおいには、なんの取柄もない平凡な妻の役しか与えてはいけなかった。

 そもそも、メインの題材とした紙を使う「辞書」の存在がもうネットで多くの情報を入手できる現在では、適していないということが分かっていない人たちが集まってしまったために、ピントが大きく外れたできとなったようだ。

 宮崎あおいと松田龍平も出ていた; 「北のカナリアたち」 (2012年) 
 宮崎あおいの; 「剱岳 点の記」 (2009年)

     ザ・マスター   

あらすじ: 第2次世界大戦が終わり、アメリカに帰還した元海軍兵のフレディ・クエル(ホアキン・フェニックス)は、写真屋や農園に勤めるが、酒癖が悪くていつも問題を起こし仕事は長続きしなかった。ある晩も酔っぱらってしまい意識不明で乗り込んだ船で、結婚式を取り仕切っているランカスター・ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)に出会う。ランカスター・ドッドは、催眠を用いて過去のトラウマを取り除く新興宗教団体「ザ・コーズ」の教祖で信者たちからは「マスター」と呼ばれていた。ランカスターの高邁な考え方に共感したフレディは、教団の一員となり、徐々に教団内でも信頼を得るようになったが、ランカスターの妻:ベギー(エイミー・アダムス)は、どこかに夫と似た雰囲気を持つフレディを好きになれなかった。そして、ついに、フレディとランカスターが。。。


俳優たちは熱演しているが、監督に精神分析が必要だ!

 監督・脚本は、過去には「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」を撮ったポール・トーマス・アンダーソンだ。
予告編から、どことなく、一癖あるフィリップ・シーモア・ホフマンとこれまた狂気を演じさせたら眼光鋭い感じのホアキン・フェニックスが出ているので観た。


 最初の戦争中の軍隊で、酒を造る材料が無くても、どこからか酒用の材料を集めて、不思議な酒を造ったりする時点から、適当な状況設定でこれはあまり練られていない、脚本だとは分る。

 でも、何となく展開が偉大なる新興宗教の教祖か、単なる催眠術を使ったペテン師かの正体を明らかにする話になるのかという興味もあって観るが、ドンドン話が変な方向に進み面白くない。

 納得できないシーンが多すぎる。
例えば、教団の集会で、どうして女性たちだけが、急に完全に裸姿になっているのか。
そして、マスターが執筆した2冊目の本の原稿が、山中に埋められていることも、意味が不明だし、そこに行くのに、どうして腰に拳銃をさしてまで掘り出しにいくのか、などあちらこちらのシーンの必然性がまったく分らない。


 フレディがマスターたちの前で、壁と窓を何度も行き来する場面も本当に、こんなに繰り返すのは無駄で、さらに病的な感じがするほどしつこくうつる。

 また、催眠を使って過去に受けた性のトラウマや家族などとの軋轢を告白させるだけで、偉大な教祖としてあがめられることになっているのだが、こんな面倒な手法で教祖になれるとは、お粗末だ。

 フレディと分かれた彼女の名前が、有名な女優のドリス・デイと同じになったとは、一体なんでここで笑いをとる必要があるのだろうか。

 フレディがバイクで飛ばしている内に、いつの間にか、教祖から脱しているらしい話とか、映画館で映画を観ている一人の観客なのに個人用に、映画館の従業員から電話機を持ってこられるとか、肝心の後半の方で、状況の説明が足りず強引に終わらせるこのやり方では、一度、ポール・トーマス・アンダーソ監督は、監督個人のセックス経験も含めて精神カウンセラーを受けることを勧めたくなる。

 監督の編集と纏め方には、大いに疑問を感じるが、いつも猫背で内面に問題を抱えている役をホアキン・フェニックスは見事に熱演していることは認める。

 ポール・トーマス・アンダーソ監督の;「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」 (2008年)

     ヒッチコック   

あらすじ: アメリカの映画界で「レベッカ」や「めまい」など評判のサスペンス物を撮ってきたアルフレッド・ヒッチコック(アンソニー・ホプキンス)監督であったが、もう60歳となり1959年製作の「北北西に進路をとれ」では、引退かと言われるようになっていた。そのヒッチコックが次の作品に選んだのは、マザー・コンプレックスで殺人を犯した実在の犯罪をもとにした本「サイコ」の映画化であった。しかし、「サイコ」は内容が酷いため映画会社も出資を渋った。そこで、自宅を抵当に入れて、製作費を捻出したが、それには、30年間連れ添ってきた妻であり、脚本家であり、また優れた映画編集者でもあるアルマ(ヘレン・ミレン)の理解があった。しかし、主演女優を好きになるアルフレッドの性格や、アルマが別の脚本を共同で執筆する多忙さなどから、「サイコ」の製作も順調に進まなかった。苦労しながらも、どうにか完成した「サイコ」であったが、それは余りにも不出来で、アルマの再編集が必要だった。。。


女:ヒッチコックのサスペンスを生んだ優れた技法が全然見えてこないわね!

男:サスペンス映画で、今でも最高の評判を得ているアルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」ができるまでの裏側を、サーシャ・ガヴァシが監督し、描いている。
女:本当にこの「サイコ」は、ダジャレではないけど「サイコー」に怖かった映画よね。
男:そうだね。
  出演している女優がシャワーを浴びていて、ナイフで刺殺されるシーンは、いまだに記憶から離れずにあるよ。
女:私も、今でもこの恐ろしいシーンが蘇るので、洋式のホテルでシャワーを浴びるときは、シャワー・カーテンを全部引けないわ。 
男:そんな世界中で評判になった「サイコ」が出来た裏側には、陰で夫を支えた妻の力があったのですということだね。
女:その描き方が、バットしないのよね。
男:名作映画ができるまでの裏側を描いたというけど、これでは、いつもブロンド女優が好きになる浮気症な監督と、それに耐えて陰で夫を支えてきた妻が、今度はちょっとばかり惹かれていた共同脚本家の良い男と浮気をしようとしましたが、二人とも、30年前の映画製作にかけていた情熱を思い出して、仲直りをしましたってだけだね。
女:そうよ、よくある長年連れ添った夫婦の筋書きを有名な映画監督の家庭に置き換えただけの域を出ていないのよね。
男:この映画に描かれるまでもなく、夫婦が長いこと生活をしていれば、そこには、仕事の成功や失敗。また、浮気やお金にからむ問題があるのは、当然だから、その当然の部分を出されても、退屈だ。
女:私たちが知りたいのは、ヒッチコックが生みだしたカメラ・アングルや音楽の付け方なんかの、彼の特徴的なサスペンスのつくり方だけど、サーシャ・ガヴァシ監督では、そこまで到達できないので、単に家庭生活を描くだけで終わたってところね。
男:当時のアメリカの映倫の規定では上映が許されない殺人の方法やトイレを映すなども、ヒッチコック独自のやり方として生みだし苦労したとなっているけど、ここの扱い方が軽いね。
女:それと、髭剃りでミスがあって血が出ているシーンとか、ところどころに、余分な訳の分からない男が出てくるのも意味が不明でおかしいわね。
男:アルマが共同執筆している男の海辺の家で遊んでいた時についた砂が、自宅の風呂場に一杯残っている場面なんかで出る男のことだね。
女:実際の事件を起こした犯人を幻影として見せたかったようだけど、これではかなり説明不足ね。
  もっと素直なやり方がよかったんじゃないの。

男:ヒッチコックが有名にしたかった女優との昔話なんかも不要だったかな。
女:太ったヒッチコックに似せて特殊メイクをしているアンソニー・ホプキンスもこんなに太っていては、充分な演技ができないわね。
男:でも、ヒッチコックがいつまでも、引退したあの気品に満ちたグレース・ケリーを忘れられなかったとは、男としては、すごーく分かる。
女:どうして、グレース・ケリーを出して、私の顔を、そんなに見ながら、しみじみというのよっ!
男:いやーっ、特に、深い意味は、な、ないよ...

ヘレン・ミレンの;「クイーン」 (2006年)



     アンナ・カレーニナ   

あらすじ: 19世紀末の帝政ロシア。サンクトペテルグの政府高官:カレーニン(ジュード・ロウ)の妻:アンナ(キーラ・ナイトレイ)は、18歳で結婚し、息子もいるが、堅物の夫にはどこかで物足りなさを感じていた。そんな時、モスクワで出会った青年将校のヴロンスキー(アーロン・テイラー=ジョンソン)から愛を告白され、アンナも不倫とは分かっていながら、ヴロンスキーとの生活を始める。しかし、離婚もできない二人の関係は、ロシアの社交界には受け入れられず、冷たい視線が注がれ、徐々にアンナの精神を侵していく。。。


舞台劇で演じられる変わった構成は良いが、余りにも抽象的で現実感を薄くした!

 監督は前にも、「つぐない」で、キーラ・ナイトレイを使った、ジョー・ライト。

 原作は、ロシアの文豪:トルストイの長編作がある。

 まず、映画を観て驚くのは、設定が劇場でありながら、その舞台の裏側では、多くのロープに囲まれて天井の方に普通に人が住んでいたり、舞台の扉を開ければ、そこは、本物のカレーニンの邸宅になったり、また時には大きな舞踏会場へと変わり、さらに実物の馬が走る競馬場とも劇場が繋がっているという、通常の映画とは変わった構成だ。

 撮影はしっかりしている。
アンナが身にまとうドレスは優雅で綺麗だし、彼女の首筋を際立たせる真珠のネックレスの輝きは、映画であっても本物の光となって妖しくきらめく。

 また、雪のシーンや、緑の草原に敷かれたアンナとヴロンスキーのための白いシーツなど、背景も美しいし、手の動きが独創性にあふれた舞踏会での振り付けも官能的で印象に残る。

 しかし、この劇場が大きな汽車も停まる駅に変わったり、部屋数も多い自宅になる手法は、最初は斬新な驚きであり、面白いと感じるが、途中で物足り無さとなる。

 それは、本筋である筈のアンナの不倫の恋よりも、農民との生活をする地道な地主の恋愛の話や、元売春婦を妻にしている男の話など、長編の本が、ただ無駄にページ数をかせぐために入れているサイド・ストーリーも盛りだくさんに本編に取り込んでしまったためだ。

 特に、ヴロンスキーに振られた若い娘:キティ(アリシア・ヴィキャンデル)の生活も、主役であるアンナの行動と同じように丁寧に描いてしまったために、話がこみいってしまい、分かり難くした。
さらに、閉鎖的なロシアの社交界のルールや、夫:カレーニンの政治の話も象徴的に、また断片的に持って来ているために、時の流れや場所が今どこにいるのか不明にする。

 長編の原作と同じではなく、初めて味わう「恋のとりこ」となるアンナの揺れ動く気持ちだけに焦点を当てて作ると、かなり面白い作品になったと思われる残念な仕上がりだ。

 この作品では、キーラ・ナイトレイも熱演していますが、青年将校を演じた端正な顔立ちのアーロン・テイラー=ジョンソンと、キティを演じている魅力的なアリシア・ヴィキャンデルの今後の活躍が期待されます。

 ジョー・ライト監督で、キーラ・ナイトレイが出ていた; 「つぐない」 (2008年)
 キーラ・ナイトレイの; 「わたしを離さないで」 (2011年)
 このところ、冴えない役ばかりのジュード・ロウの; 「ヒューゴの不思議な発明」 (2011年)


     屋根の上のヴァイオリン弾き  -ミュージカル 日生劇場-  

あらすじ: 1900年初頭の帝政ロシアの田舎の村:アナテフカで生まれ育ちほそぼそと酪農をやっている信仰深いユダヤ人のテヴィエ(市村正親)には、25年も連れ添ったしっかり者の妻:ゴールデ(鳳蘭)と5人の娘がいた。一家は貧しいながら、ロシア人ともうまく付き合い、ユダヤ教を信じ、古い「しきたり」とのバランスを取って幸せに暮らしていた。長女のツァイテル(水夏希)は、適齢期で村の仲人のツァイテル婆さん(高塚いおり)は、金持ちだけど、父親のテヴィエと歳の変わらない肉屋のラザール(鶴田忍)の後妻の話を持ってきた。歳の差の問題はあるが、相手が金持ちならツァイテルも幸せに暮らせるだろうと思ったテヴィエとゴールデだったが、ツァイテルは、幼馴染の貧しい仕立て屋のモーテル(植本潤)が好きで互いに結婚の約束をしていたのだ。二人の行動は結婚は両親が決めるという「しきたり」から外れた自由恋愛であったが、娘の一途な思いには勝てず、テヴィエもツァイテルとモーテルの結婚を認める。田舎のアナテフカ村にも、自由・平等の新しい考え方が徐々に伝わって来ており、他の娘よりは進歩的な考えを持っている次女のホーデル(大塚千弘)は、村に来ていた学生のパーチク(入野自由)の考えに共感し、革命に身を投じ、シベリアに流された彼を追って村を出る。また、本が好きな三女のチャヴァ(吉川友)は、その本が取り持つ縁で、異教を信じるロシア人の若者:フョートカ(上口耕平)と結婚するが、流石に、生きる基本としてきたユダヤ教という「しきたり」から大きく外れたチャヴァの結婚は、テヴィエでも許すことが出来なかった。そんな時に、ロシア政府からユダヤ人のロシア領土からの強制立退きの命令が来る。それも3日以内という短い日数だった。。。


主張の明確なミュージカルは、何年たっても色褪せない!

 元々は、アメリカのジェローム・ロビンスの演出と振り付けで創られたミュージカルで、日本では、1967年の初演以来、度々上演され、もう45年が過ぎる作品だ。
今回の演出は、寺崎秀臣。

 私も、トポルが出ている1971年製作の映画版も観ているし、日本での舞台版もテヴィエ役は、森繁久弥、西田敏行、そして、市村正親も観て来た。

 故郷への愛着、宗教の対立、人種間の争い、両親が子供に注ぐ愛の深さ。
 いまさらながら、この「屋根の上のヴァイオリン弾き」が持っている、テーマの奥深さには、またまた、気分も新しく感激する。

 いくら、「しきたり(伝統)」を守れと頑張ってみても、時は流れ、新しい事柄に置き換わるのは、世の定め。
過去の「仕組み」を守って変わらないようにしたいのは、今までの仕組みを利用している治世者や金持ちだけだ。
それら体制派の人たちに都合のいい様に扱われて、いつも苦しむのは、抵抗できない民衆たち。

 世の中が変わっても、自分の欲と保身のために精を出し、他人の犠牲をまったく顧みない権力者がいる。

 キリスト教とイスラム教の対立だけでなく、ユダヤ教も含めた争いが、多くの民族を巻き込んでいまだに世界各地で起きている。
人類の頭脳が全然進化していないことを示している。

 どうして、人類は、争い・血を流すことの無駄・無意味さを反省しないのか。
両親が子供に注ぐ愛情をどうして、他の人々に対しても向けられないのか。

 宗教や民族の垣根を取り払って行くと口では言っていながら、誰かに利用されている世界。

 本当に、今回の「屋根の上のヴァイオリン弾き」を観て、この作品が持っている多くの普遍性に共感できた。

 住み慣れた故郷を訳もなく追われるユダヤの人々は、日本での福島の原子力発電所の原爆事故で故郷から出て行かなければならなかった方々の思いととも重なり、胸が痛むシーンだった。

 ツァイテルとモーテルの結婚式で歌われる名曲「サンライズ、サンセット」も、そのあとで待っているやユダヤの民の虐げられた運命を知っているだけに、哀愁を帯びているし、故郷「アナテフカ」を去るラストの曲なども、涙を誘う。

 役としては、テヴィエの市村正親は、以前演じていた森繁久弥と比べるのは、まだ早いが、彼がテヴィエを演じている興行も長いようで、いつもの大げさなセリフ回しも無く、落ち着いていて実にいい。

 3人の姉妹たちも問題はないが、妻役の鳳蘭の声が、幾分しゃがれているのが気になった。

 森繁の時代には、司祭役を益田キートンが演じていて、彼の間の取り方が、絶妙なタイミングで、多いに観客に受けていたが、もう益田キートンの演技を、今の俳優に求めることは、無理な注文かな?

前回の; 「屋根の上のヴァイオリン弾き」 (2006年)
市村正親が出ていたミュージカル; 「ミス・サイゴン」 (2012年)


     フライト   

あらすじ: アメリカのローカル航空会社のパイロット:ウィップ・ウィトカー(デンゼル・ワシントン)は、操縦の腕はいいが、アルコール依存症で、時にはコカインも吸うので妻から離婚されていた。今日も前日から飲んだアルコールが切れない状態と、睡眠不足の体で、フロリダからアトランタ行きの102名を乗せた飛行機の機長として操縦桿を握ったが、機内でもウオッカの小瓶を2本も隠し飲んでいた。ウィップが操縦する機は離陸そうそう大きな乱気流に遭遇したが、これは、何とか乗り切り、高度3万フィートで安定したので飛行を副操縦士(ブライアン・ジェラティ)に任せて仮眠をとっていたら、急に機が降下を始め目が覚める。なんと機体の整備不良で、操縦が出来なくなっていたのだ。慌てる副操縦士を落ち着かせウィップは冷静に車輪を出したり、燃料を捨てたりして速度を下げようとするが、全然効果がない。そこでウィップは、機体を上下に反転させた背面飛行を決断し、それによりどうにか機の速度はさがったが、機体は草原に不時着し、そのショックで、ウィップは怪我をし気を失う。病院で目覚めたウィップを待っていたのは、壮絶な事故でありながら102名の乗員の内死者が6名で済んだという奇跡をもたらしたパイロットとしての評判だった。しかし、ウィップの血液検査で、アルコールが検出され、これでは、6名の過失致死罪となり終身刑が待っている。何とか、機体の整備不良が原因としたい弁護士:ラング(ドン・チードル)のもみ消し工作も進むが、公聴会で。。。


小悪人は、小悪人のままでないと、面白くない!

 監督は、今はかなり昔の思い出となってしまった、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」やトム・ハンクス主演の「フォレスト・ガンプ/一期一会」で名を挙げたロバート・ゼメキス。

 最後にきて盛り上がるが、これではほとんどの話が無駄に感じる出来上がりだ。

 冒頭の同僚のキャビン・アテンダントと共にホテルで朝を迎えたシーンでその女性が完全ヌードで画面を行き来するシーン。
病院で不治のがんに侵されている患者とタバコを吸いながらの人生論のシーン。
今は亡くなった父親と過ごした田舎の家でのビデオの再生、など。

 例を揚げたらもう、この映画の80%ぐらいの話が、常套の描き方でいらない内容だ。
そう、取り上げた主人公は、元々から、酒付きで、いくら酒をやめようと思っても意思が弱く、さらに、時にはコカインも吸うという罪の意識がありながら、なんとか罪から逃れたいという、よくある、自分に都合のいい小悪人で来ていたのに、最期でつまらない”正義”を出すとは、流れが纏まらない。

 これでは、俳優:デンゼル・ワシントンが持っている「善人」や「良い役をやる役者」のイメージを壊すのが怖くて、力量のない監督がよくやってしまう俳優に遠慮をし過ぎているパターンそのままでがっかりする。

 また、キャビン・アテンダントが死んだのは、席から落ちた子供を助けるためだったとか、若い副操縦士が、極端に「神」を信じていて、ウィップが酒を飲んでいてもそれを許すとか、これでは話を盛り上げる積りだろうが、作意が見え見えに誇張されていて、逆に引いてしまう。

 そして、最期の公聴会を控えてウィップが泊った隣の部屋がたまたま開いていて、そこには、大量のアルコールがあったとは、偶然性もここまでくると、悪ふざけとしか受け取れない。

 神に誓ったので嘘はつけないとか、子供のためとか、この映画は、ハリウッドという狭い映画興行界が、キリスト教と家族愛が中心のアメリカ社会でただ平均的な興行収入をあげるために作った中途半端な作品だとつくづく思う出来だった。

デンゼル・ワシントンの退屈だった; 「アンストッパブル」 (2011年)

     ムーンライズ・キングダム   

あらすじ: 1960年頃のアメリカは、東海岸にある島に住んでいる12歳のスージー(カーラ・ヘイワード)は、読書と双眼鏡で覗くことが好きな、かなり変わった女の子で家庭内でも学校でも浮いていた。その島に、ボーイ・スカウト団の一員としてキャンプに来たサム(ジャレッド・ギルマン)も両親をなくしていて、仲間からは、疎外された男の子だった。そんな寂しい幼い二人だったが、スージーの学芸会で出会った二人は、恋に落ち、その後文通を重ね、翌年、サムが再び島でキャンプをしに訪れた時に、二人は島のはずれにあるひっそりとした入り江に駆け落ちをする。その場所を「ムーンライズ・キングダム」と名付けて、サムとスージーは泳いだり、絵をかいたり、ダンスなどをして二人だけの世界を楽しんでいた。しかし、二人を探す地元の保安官(ブルース・ウイリス)やスージーの両親(ビル・マーレイ、フランシス・マクードマンド)、そして、ボーイ・スカウトのリーダー(エドワード・ノートン)たちに見つけられ、サムは社会福祉局に引き取られることになる。そんな島を嵐が襲う。。。


対象にしている観客が分からない!

 監督と共同脚本は、離れ離れになった3兄弟がインドで心をかよい合わせる「ダージリン急行」のウェス・アンダーソンだ。

 公開が2月8日だけど、3月に入ってもまだ上映されているので、面白いのかと思って足を運ぶ。

 あらすじからは、幼い男女のファースト・ラブを描いた「小さな恋のメロディ」にどこか似ていることに気が付くでしょう。
でも、この描き方では、幼い二人の行動を懐かしがる、今は恋愛経験が豊富になっている大人の笑いをとるつもりなのか、また、もうあり得ない絵本の中のファンタジーとして描きかったのか、狙いが実に不十分で、退屈だ。

 この内容では子供を連れて映画館には入れない。
それは、逃げる二人を追いかける犬を矢で殺すような残酷な話もあるからだ。これでは、子供に観せることもできず、それなら、観客は当然大人を特定した映画にしたかと思われるが、それにしては、意味のない雑な話の連続である。

 例えば、保安官とスージーの母親が不倫をしていることになっているが、ただ灯台の付近で立ち話をしているだけでは、大人たちは不倫と呼ばない。
また、スージーの家庭内でも、小型メガフォンを使って呼び合うけど、この描き方では、全然家の広さもビンとこない。

 他にも言い出したらきりがないけど、いつもスージーに青過ぎるアイ・ライン入れさせていたり、どこか間の抜けた扱いのボーイ・スカウトのリーダーとその団長との掛け合いのシーンの無駄さ、ボーイ・スカウトでの結婚式など、他愛のない挿入話で、飽きる。

 また、語り手の赤いマントのおじいちゃんとか、福祉局のおばちゃんなど、存在の意味づけが浅い登場人物が多すぎる。

 監督:ウェス・アンダーソンが個人的に持っている過ぎ去った1960年代の子供時代の記憶を、ただ単に流されても、それは、観ていても別に甘酸っぱくもない感傷だ。

監督:ウェス・アンダーソンの滑っている; 「ダージリン急行」 (2008年)

     世界にひとつのプレイブック   

あらすじ: フィラデルフィアで高校の教師をしていたパット(ブラッドリー・クーパー)は、たまたま授業が早く終わったので、自宅に帰ると、バスルームで妻のニッキーが、同僚の教師と浮気をしている現場に出くわし、激昂して相手の男をボコボコに殴った罪で、精神病院に入れられていたが、母親のおかげで、保護観察の条件付きで、両親と暮すことができるようになった。浮気をした妻ではあったが、まだパットは彼女を強く愛していて、復縁を望んでいた。そんなパットの気晴らしを図るために、友人は、警官だった夫を亡くして自暴自棄になっているティファニー(ジェニファー・ローレンス)を紹介する。警察から接近禁止が命じられているニッキーに近づくために、パットはティファニーを通じて手紙を届けようとするが、ティファニーからもダンス大会に一緒に出場する条件が付けられる。賭け事の好きな、パットの父親(ロバート・デ・ニーロ)も絡んで、パットとティファニーの関係が。。。


女:結局、恋愛も精神病の1つってことね!

男:裏に隠されたユーモアが、型破りの想定とマッチしていて面白いね。
女:監督は、ボクサーを描いた「ザ・ファイター」の、デビッド・O・ラッセルよ。
男:日本でのタイトルが、「世界にひとつのプレイブック」では、良くわからないよ。
女:そこで、暇なあなたは調べたのでしょう。
  それで.
..

男:英語のタイトルは、「Silver Linings Playbook」ってことで、単純に日本語に訳すと、「銀で裏打ちされた脚本」となるね。
女:何よ、それでは、なおさらよく分からないわよ。
男:そう。
  「Silver Linings」には、もともと、英語のことわざ「Every Cloud Has A Silver Lining」があって、これは、「今、暗く地上を覆う空の雲でも、太陽からみればみんな銀のように光輝く裏側もあるので、悲観をせず、明日への希望を捨ててはいけない」ということのようだ。
女:で、「Playbook」の方はどうなの?
男:映画なんかの「脚本」というよりは、映画の中でも取り上げられていて重要なカギとなるアメリカン・フットボールでの「戦術本、作戦の教科書」と考えた方がよさそうだね。
女:そういう英語の意味があるなら、なお、この映画の展開も分かるわ。
男:話としては、互いに精神的に大きな傷を負って参っている二人が、本当にその痛さを知っているからこそ上辺だけでなく惹かれるという設定だ。
女:二人は初対面からずばずばと相手の傷口に触れて反発していながら、精神安定剤などの話では、大いに盛り上がるのは、聞いていて、本当に面白かった。
男:ティファニーとパットが、外で夕食をするシーンで、どうして、朝食べるシリアルを注文するのか最初は分からなかったけど、これは、まだデートではないというこだわりだと分かった時には、笑ったよ。
女:この監督:デビッド・O・ラッセルは、あちらこちらで、皮肉やユーモアを入れているわね。
男:あの文豪と呼ばれるヘミングウエイの本も、つまらないと窓から捨てられるし、ニューヨーク州のモットーが、パットが好きな「より高く(Excelsior)」とは、うまい伏線だった。
女:ニューヨーク州とパットが住んでいるフィラデルフィアのあるペンシルベニア州では、地元で贔屓にしているアメリカン・フットボールのチームやバスケット・ボールのファンでは、お互いが敵対していたのね。
男:そのペンシルベニアのチームがいつも、僅かな差やミスで、ニューヨークの方に負けているので、パットの父親が、縁起を担いでも勝ちたいと登場したわけだ。
女:パットの父親をあのロバート・デ・ニーロにやらせるとは、デビッド・O・ラッセル監督は、大物ね。
男:大物というなら、ティファニーを演じたジェニファー・ローレンスもだね。
女:ジェニファー・ローレンスは、どこかで観た顔だと思ったら、若い子たちが殺し合う「ハンガー・ゲーム」に出ていたのよ。
男:まだ、若いのに、この作品で、今年のアカデミー主演女優賞をとったのだから、たいしたものだ。
女:「ゼロ・ダーク・サーティ」 に出ていたジェシカ・チャステインらを抑えての受賞だから、アメリカでは、まさに期待の星ね。
男:この「世界にひとつのプレイブック」では、浮気をされてもまた”より”を戻したい男の気持ちも、愛する夫に死なれて多くの男と関係を持つ女の気持ちが、観客に素直に受け入れらている。
女:ティファニーがダンス大会にパットと一緒にでるのが、「恋の作戦」という訳で、「プレイブック」だったけど、コンテストに出て、優勝しなくても、みんなで万歳とできるのは、こった筋よね。
男:また、ニッキーからパットへ来た手紙が、自筆ではなくてタイプされたものだったことに気が付くと、ラストの感動も分かり易いよ。
女:アメリカでは、チョット行き過ぎた行動をとると、すぐに精神鑑定だとか、セラピストが出てくるけど、そんなことを言い出したら、恋愛感情はもっと異常な精神病よね。
男:そうだね。 恋人同士の周りを気にしなくなる態度と感情は、狂人とも映る。
女:デビッド・O・ラッセル監督は、アメリカの精神病に対する行き過ぎた対応も皮肉っているのよ。
男:精神の病が薬では治せないってこともだね。
女:パットが結婚式で使ったスティーヴィー・ワンダーの「マイ・シェリー・アモール」に対して持っているこだわりだって、もう「オタク」の感情で、これなら、あなたが古いレコードをいつまでも持っていて、大きなスピーカーで聞くのも、一種の狂人よね。
男:「マイ・シェリー・アモール」をすぐに、スティーヴィー・ワンダーの曲というとは、きみも、もう狂人の仲間かも。
女:それは、おいといて、この映画は、他にもいいことをいっているのよ。
男:どんな?
女:ティファニーに誘惑されても、まだ離婚していないとパットが結婚指輪をみせて断るシーンは、夫としての誠実なこだわりを感じたわ。
男:私だって、そんな誘惑にはのらないよッ!
女:本当に、誓える?!
男:も、もちろん...
女:どうして、そこで、声が小さくなるのッ!

デビッド・O・ラッセル監督の; 「ザ・ファイター」 (2011年)


     ゼロ・ダーク・サーティ   

あらすじ: 2001年9月11日、アメリカは、ニューヨークの世界貿易センター・ビルへの航空機突入を始めとする同時多発テロの攻撃をうけ、多くの犠牲者を出した。そこで、CIAではテロの首謀者とみなされたオサマ・ビンラディンを追跡・捜査し、可能性の高い彼の潜伏先とされるパキスタンのCIA支局に情報分析官のマヤ(ジェシカ・チャステイン)を派遣した。しかし、テロ組織「アルカイダ」の固い守りは破れず、依然としてオサマ・ビンラディンの情報が得られない間にも、テロたちは、ロンドンやマドリッド、そして、ニューヨークのタイムズ・スクエアでも爆破事件を起こしていた。パキスタンにおけるマヤも身元がばれて、テロ組織から銃撃を受け、止む無く、アメリカに戻ったが、パキスタンでは、仲の良かったCIAの同僚7人が、偽情報でテロの自爆にあい、悲しい犠牲者になった。その後も、オサマ・ビンラディンの消息はなかなか掴めなかったが、ついに、2011年、パキスタンの首都のイスラマバードの近郊に、隠れ家とみられる建物を突き止めた。しかし、その建物にビンラディンが潜んでいるという確証はなかったが、マヤの執念が、批判を恐れる政府を動かし、ついに5月の深夜に、アメリカ海軍の特殊部隊を乗せた2機のヘリコプターが、その建物に向かう。。。


女性CIA局員の退屈な活躍話かと思って観たら、大違いだった!

 監督は、緊迫した爆弾処理兵を描いてアカデミー作品賞をとった「ハート・ロッカー」の女性監督のキャスリン・ヒグローだ。

 予告編を観る限り、この映画がどうして、今年のアカデミー作品賞や主演女優賞などにノミネートされているのかが分からなかった。
しかし、この長い上映時間:158分を過ぎると、確かに、この映画の出来のすごさが分かる。

 タイトルの「ゼロ・ダーク・サーティ」とは、軍隊用語で、作戦開始が、深夜 0時30分であることからきている。

 過酷と思われるCIA局員の主人公を女性にしているので、他の映画のように、甘い恋の話の展開にでもなるのかと思っていたら、まったく、アクションこそないが男女の差が無い扱いだ。

 脚本が、実に綿密に練られている。
現実に、パキスタンでビンラディン(らしき人物?)を殺害したというアメリカ側の報道は私も知っているが、9.11テロの後、どのようにして、ビンラディンを追跡し、彼の隠れ家を突き止めたのかは、CIAや軍の秘密であり、この点は、脚本を書いたマーク・ポールが多くの関係者に会ってデータをまとめた苦労が実を結んでいる。

 ともすれば、CIAや軍に関する部分は、不明なので、脚本も監督も多くは勝手な想像に任せた、おざなりな描き方になるが、この映画では、さもありなんと、かなりの部分で真実性を持たせてくれる。

 テロを拷問するシーンにも、マヤを付き合わせるし、パキスタンなどのCIAの秘密基地や、軍事施設にしても手を抜かずに詳細に描いていて違和感がない。

 そして、編集も上手い。
テロに狙われるCIAの職員も、また、テロ・グループのタリバン側においても、互いに死と隣り合わせた緊迫感が、ズート途切れずに続く。

 通常の映画なら、ビンラディンを殺害すればそれで「The End」となり終わるが、この映画ではビンラディンを殺したあとでも、彼の家にあるパソコンのディスクや書類をチャンと回収して、きれいに整理するとは、もう、凄いフォローだった。
ここまで描くとは、すごい。

 そして、ビンラディン追跡に全てをかけ、目的が達成された、マヤの抜け殻になったラストの映像も、衝撃的に印象に残る。

 久しぶりに、いい映画を観た。

追記:でも、アメリカ市民が殺されたから、殺した相手を殺すの発想では、まったくいつまでたっても、「負の連鎖」は解決しないのだけど。

キャスリン・ヒグロー監督の; 「ハート・ロッカー」 (2010年)
スペインはマドリッドの駅の爆破は、; 「スペイン・ポルトガル編」 にあります。
ジェシカ・チャステインの; 「ツリー・オブ・ライフ」 (2011年)



     マリーゴールド・ホテルで会いましょう   

あらすじ: 場所はイギリス。長年連れ添った夫を心臓発作で亡くしたイヴリン(ジュディ・デンチ)は、夫が生前莫大な借金をしていたことも知らずに過ごしてきた他人任せの人生を反省し、一緒に暮らそうという子供たちの誘いを断り、英語も通じるインドでの再出発を考えていた。そこで、ネットに載っていたジャイプールにある高級リゾート・ホテル「マリーゴールド・ホテル」を予約してインドへ向かう。マリーゴールド・ホテルには、イヴリンの他に以前インドで暮らしたことのある独身の元判事:グレアム(トム・ウイルキンソン)や、早く股関節の手術を受けるために嫌だがインドに行く必要がある元家政婦のミュリエル(マギー・スミス)、異国で人生最後の出会いを求めている老人:ノーマン(ロナルド・ピックアップ)、いつまでもお金持ちの男を探しているマッジ(セリア・イムリー)、そして退職金を娘の事業に出資して家を買う金が無くなった元公務員の夫婦:ダグラス(ビル・ナイ)とジーン(ペネロープ・ウィルトン)などのイギリス人たちも到着した。しかし、ネットでは豪華・高級なはずのマリーゴールド・ホテルは、着いてみると、ぼろぼろで、扉のない部屋があったり、電話も通じない状態であった。じつは、経営に失敗して亡くなった父親の遺志を継いだ希望だけがある若い青年:ソニー(デヴ・パテル)が再建を試みている途中だったのだ。だが、他のホテルには行けない事情を抱えたイギリス人たちは、マリーゴールド・ホテルに泊る。ジャイプールの街にあふれる人々の喧噪や彩りを暑さと共に経験している内に、異国で暮らすイギリス人たちの生活にも変化が生まれるが、ソニーの母親は、儲からないホテルを閉鎖しようとしていた。。。


女:高齢者でも安心して観ていられる映画ね!

男:監督は、「恋に落ちたシェイクスピア」のジョン・マッデンだ。
女:それにしても、イギリスの高齢なすごい俳優たちをよく集めたものね。
男:007シリーズでスパイたちの元締めの「M」という威厳のある役をやっていた、ジュディ・デンチが、ここでは、完全に小太りした「おばァちゃん」役だし、パイレーツ・オブ・カリビアンで出ているビル・ナイツとか、ミッション・インポッシブルのトム・ウイルキンソンも出ている。
女:現地、インドの青年は、どこかで見た顔だと思ったら、あの「スラムドッグ$ミリオネア」でクイズに答えていたデヴ・パテルなのよ。
男:その若いデヴ・パテルと眼の大きなインド美人との恋愛騒動も少しは絡んでくるけど、基本的には、老人たちが伴侶を亡くしても、またお金が無くても新しく人生を始めるし、これからの月日もきっと輝いているという終わりかたが、いいね。
女:互いの感情を内に秘めていた元公務員夫婦の間が破綻したり、しっかり者で人種偏見を持っている元家政婦が、インド人に触れて変心するなんてところの描き方は、よくある話ね。
 でも、慣れているイギリスの生活からまったく異なったインドという宗教も気候も完全に違う場所にある文化に接すると、それまで持っていた考え方が大きく変わる例としては、問題なく扱われていたわ。

男:欧米の映画がインドを含めてアジアを映画化すると、よく、習慣や宗教を笑いの種にしがちだけど、そこは抑えている。
女:だけど、いまだに、身分制度のカースト制度が根強く残っているというのは、ありかしら?
男:足の不自由なミュリエルの食事や掃除を担当する女性のことだね。
  インドの現状を知らないので、カースト制度が今も強く残っているかどうかは断定は出来ないけど、食事担当の彼女の家を訪問する場面は、ミュリエルが人種偏見から変心する強い要因になったとするには、かなり不満な描き方だね。
女:インドの宗教観を強調するために、火葬と遺骨を川に撒くシーンも入れているけど、これは効果があったわ。
男:私も田舎育ちで、火葬は知っているが、映画だと臭いがないので救われる。
女:現在のインドが世界のコール・センターになっているのは知ってた?
男:勿論、知っていたよ。
  インド人は英語ができるから、世界中から利用されるんだ。
女:老人たちが恋愛をしたりすると、どうしても喜劇になるけど、この脚本では、真面目に扱っているので、観客席にいる多くの高齢者も共感していたわ。
男:そのあたりの扱い方が、ハリウッド製作とは大きく違う点だね。
女:長年連れ添った夫婦が別れたり、昔別れたゲイの男性との再会後の悲しい話もあるけど、現地での新しい出会いが成功したりで、歳をとっても、環境が大きく変わっても、老人と呼ばれる人たちにも、まだまだ輝ける人生が残っていることを示してくれたわね。
男:そうだね。
  顔の皺は、無駄に増えてはいないということだ。

  でも、私は、顔については、どちらかというと、眼の大きなインド美人の顔の方が好きだけどね...
女:どうしても、そこになるのね。
  貴方は、毎日自分の顔の皺を鏡で見ていないんじゃないの!
  自分の歳を、本気で自覚しなさいっ!

男:映画では、いつまでも、若い気で頑張れって言っていたけど...
女:それは、映画の話よ。
   映画だけの「は・な・しっ!」

男:・・・

ジュディ・デンチの違った演技が見られる; 「007 スカイフォール」 (2012年)
ビル・ナイの; 「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」 (2007年)
デヴ・パテル(デーヴ・バテル)の: 「スラムドッグ$ミリオネア」 (2008年




     つやのよる   ある愛に関わった、女たちの物語

あらすじ: 東京に妻(大竹しのぶ)と幼い娘(忽那汐里)を残して、艶(つや)と共に伊豆大島に駆け落ちをしてきた松生春二(阿部寛)だったが、大島でも恋愛に奔放な艶の行動には悩まされていた。しかし、その艶も病に侵され、松生の懸命な看病にも拘わらず昏睡状態が続き、もう長くはない状態であった。そこで、松生は、自分だけの愛に生きてきた艶と関係があった男達に連絡をとり、彼らの艶に対する思いがどの程度であったのかを試す。12歳の艶を強引に犯した従兄で作家の石田行彦(羽場裕一)、艶の最初の夫で地主の太田(岸谷五朗)、艶とは愛人関係があったような橋川仁史はもう他界していたのでその妻(風吹ジュン)と連絡がついた。また、大島には艶が一方的に追い回していたスナックのオーナー茅原優(永山絢斗)もいる。しかし、艶が関係していた男たちの周りには、また別の女たちの人生もあった。。。


結論のでない男と女の関係の描き方がうまい!

 監督と伊藤ちひろとの共同脚本は、「今度は愛妻家」の行定勲。原作は、井上荒野(いのうえあれの)の「つやのよる」があるようだが、私は読んでいない。

 タイトルのひらがなでの「つやのよる」とチラシでは、小泉今日子、野波麻帆、風吹ジュン、真木よう子や大竹しのぶなど多くの女優が出ているので、余り内容を検討せずに、これは、主人公の阿部寛が死んで「お通夜の夜」に、女たちの一波乱がある物語かと思って観た。

 しかし、映画の展開はまったく、私の予想に反した方向へドンドン進んでいった。

 この映画では、監督:行定勲が自分の好き勝手に俳優達を動かして、また、自分の思いのままに物語を進めている強引な力をものすごく感じる。
しかし、そこに観客も取り込まれる魅力があるから、怖い。

 いくら突き詰めようとしても得体が知れず、結論の出ない男女の仲。
愛や性行為には理想の形などないのに、1つの形を求める世間に対する強烈な批判は、成功している。

 その監督:行定勲の仕事に共鳴し、阿部寛が造り上げた憔悴した顔つきと肉体は、よくここまで、艶に引き回される状況を具現化したものだと感心する。

 話の展開は、私が「あらすじ」で書いたのが骨子だけど、これら艶と関係があった男たちに、艶との関係が無くなった後に絡む女たちの物語でもある。

 艶を最初に犯した作家の妻(小泉今日子)の立場や、不動産屋に勤める女(野波麻帆)が社長と浮気しているだけでなく艶の元の夫の岸谷五朗とできたり、大島では、スナックのオーナーの元に、昔付き合っていた女が子供を連れてきたり、また、松生が東京へ置いてきた娘が大学の教授(奥田瑛二)に遊ばれたりなどもサイド・ストーリーとして描かれる。

 これらは、一見脈絡が無いように扱われているが、男女の仲の曖昧で不可解な部分を出すには、必要な構成だと理解できる。
最後まで、顔の分からない艶の描き方も、これでいい。

 阿部寛にとっても、この行定勲の作品で得たものは大きいと思う。肉体を苛めた成果はある。

 それにしても、大竹しのぶが大学生の娘の母役を見事にこなすまでに成長していたのは、これまた大きな驚きだった。
忽那汐里が大竹しのぶの肩に顎をおいて甘える仕草は、この映画のシンボル・シーンとして記憶されるだろう。

 音楽の使い方は、私の趣味ではないが、良い映画に出会えてよかった。

行定勲監督の; 「今度は愛妻家」 (2010年)
阿部寛の; 「テルマエ・ロマエ」 (2012年) 、 「麒麟の翼」 (2012年)
 


     東京家族   

あらすじ: 広島県に属する瀬戸内海の小島で教師をしていた平山周吉(橋爪功)と妻のとみこ(吉行和子)は、東京に住んでいる3人の子供たちに会いに来た。郊外で個人病院を開業している長男:幸一(西村雅彦)の家に、小さな美容院をやっている長女:滋子(中嶋朋子)と舞台の大道具などを時々やっている定職のない次男:昌次(妻夫木聡)が久し振りに集まる。最初のうちは、東京見物や横浜のホテルに泊めて、子供たちも両親の面倒を見ていたが、東京で暮らす子供たちにはもう、都会の生活があり、いつまでも、田舎の両親とはかかわっていられなかった。また、周吉も東京にいる古い友人(小林稔侍)が子供たちから疎遠にされている状況をきいて、もう田舎に帰ろうと思った矢先に、とみこが倒れ、あっけなくとみこは亡くなってしまう。遺骨を抱いて、島に戻り葬儀をするが、それが終わると、都会での生活が待っている幸一と滋子は早々と東京に戻り、島に残ったのは、昌次と彼のガールフレンドの間宮紀子(蒼井優)だった。とみこも亡くなる前に紀子にあっていて、気に入っていたことを聞いた周吉は、とみこの腕時計を紀子に形見分けして、新しい出発を喜ぶ。。。  


さすが! 山田洋次監督。観ているうちに、自分も家族の一員になる!

 監督と共同脚本は、山田洋次。彼が監督としてデビューしてから、50年になるそうで、監督50周年記念作品とある。
また、山田洋次監督が、松竹に入社したときの偉大なる先輩:小津安二郎監督が1953年(昭和28年)に撮った、超有名な作品「東京物語」に対して捧げられた映画ともある。

 私も、以前(かなり、かなり昔の、若い頃です)「東京物語」は、観たことがあるが、白黒の映画でただ老夫婦が、たんたんとした会話を続けるだけの、退屈な内容だったとしか記憶になく、細かな情景までは覚えていない。

 まず、映画を観る前に、配役としてどことなく自己主張が強い印象の役を演じてきた橋爪功が、小津安二郎監督のもとで笠智衆が演じた枯れた感じで昭和という時代の寡黙で頑固な老人役をやれるのかという心配の気持ちが強くあり、橋爪功を主役にしては、これは、山田洋次監督もミス・キャストをしたと思った。

 確かに、私が感じたような気持ちのままで、冒頭の東京で子供たちにあうシーンあたりでは、なんとなく映画の中に入って行けなかった。
しかし、本当に母親を思わせる包容力のある吉行和子と橋爪功のやり取りや、美容院をきりもりしている、てきぱきとした中嶋朋子の登場で、どんどんと映画の中に引き込まれてしまう。

 最初は、この配役でいいのか思って観たが、観終わると、吉行和子、橋爪功、中嶋朋子、夏川結衣など、この配役でなければこの映画はできなかった思わせるからすごい。

 品川で新幹線を降りる両親を、東京駅に迎えに行ってしまう、たよりない昌次や、亭主には頼らずに苦労しながら美容院をやっているという滋子の役の性格付けにしても、山田洋次監督は、僅かなカットでどのような人物かを端的に観客に分からせてくれる。
 また、話の流れも、無駄なシーンは飛ばして重要なシーンに続けていて、このあたりの手を抜かない巧みな演出の細かさが、これまた、細部の物々にこだわっておかれている背景のセットと、さらにカメラワークと共に、全ての画面が自然と観ている人の感情にじわじわと浸み込んでくるから、本当にたいしたものだ。

 また、私事で恐縮ですが、この映画の登場人物のように、私も、広島県ではないのですが、瀬戸内海の島育ちで、今は東京に住んでいるし、兄姉の構成も、良くできた兄と元美容師の姉がおり、末っ子の私は定職にも付かず、両親だけでなく、兄や姉にも気を使わせるという人生を送っているという点で、この映画の中で妻夫木が演じている昌次に非常に似ており、まるで、私の家族が日頃話している事々を、誰かがどこかを見聞きしていて、それが脚本にされたような気持ちになり、映画の世界が他人事でなく、身近な出来事として感じられる。

 「とうとう、宿無しになってしもうたか。」というセリフには、まだ、島の方言を忘れずにいる自分がいた。

 小津安二郎監督に捧ぐという意味では、この「東京家族」での老夫婦の会話で、「東京物語」と同じようなセリフがあるようだけど、私は山田監督が作った「フーテンの寅」シリーズで長くお世話になったと思われる柴又の川千家でうなぎを食べるシーンや、横浜のホテルから眺める観覧車から、「第三の男」のウイーンの観覧車に繋がる話も興味深かった。

 それにしても、冒頭では電話でしか出ていない、留守にしてきた島で飼っている犬の面倒を見てくれている隣に住んでいる気立ての良い娘を、また最後には実物として登場させ結び付けるやり方の素晴らしさはもう完全に山田洋次監督ならではという布石の上手さだった。

 音楽担当の久石譲も一緒になってスクリーンに醸し出される「家族感」は、146分という時間を十分に堪能させてくれた。

 2011年3月11日に起きた、大地震と大津波の影響を受け、山田洋次監督も元の脚本からだいぶ内容を変更したようだが、世の中は必ず変化するものだ。
その変化が、老人にとって、住みやすい環境であって欲しいと思ってもその通りにはならないのも仕方のないこと。
これからの日本をどう変えていくか、やれるのは若い者たちの力であることは、疑いのない事実だ。


 自分は戦場にいかないで領土を守れという年老いた政治家や、ゴミとなった核燃料の処理方法を見つけられないまま原子力発電を継続しようとする金持ちの社長らの発言には惑わされない力でやって行こう!

山田洋次監督作品の; 「おとうと」 (2009年) 、 「母べえ」 (2007年)
妻夫木聡なら; 「悪人」 (2010年)
第三の男の舞台のウィーンもっと知りたいなら; 「中欧 5ヵ国の旅」 ウィーン編


     マリー・アントワネットに別れをつげて   

あらすじ: フランス革命が今にも起きようとしていた1789年のパリから少し離れたところにあるベルサイル宮殿。王妃:マリー・アントワネット(ダイアン・クルーガー)に本を読む係のシドニー・ラボルド(レア・セドゥ)は、すっかり王妃に魅せられ、他の女従たちが適当に男たちと遊ぶ中、王妃に献身的に尽くしていた。しかし、宮廷ではマリー・アントワネットとポリニャック夫人(ヴィルジニー・ルドワイヤン)との同性愛は公然の仲であった。パリで段々と大きくなる市民たちの騒動を気にはしていながらも、ベルサイル宮殿ではまだ優雅な生活をしていたが、ついに革命が進み、市民たちは、ギロチンにかける貴族たちのリストを作り、そこには、マリー・アントワネットとポリニャック夫人の名も載っていた。ポリニャック夫人の命だけは助けようと思ったマリー・アントワネットは、シドニーにポリニャック夫人の扮装をさせて、ベルサイル宮殿から逃げさせようとするが、市民の追跡が厳しく迫る。。。

女:本当に、それがどうしたの という出来ね!

男:正月映画の「007」や「レ・ミゼラブル」などめぼしい作品はもう観たので、わざわざ、日比谷のシャンテまで足を運んだけど、実に退屈な出来だったね。
女:毎年、年末・年始の貴方は、年末に実施される国家資格の「マンション管理士」や「管理業務主任者」の試験問題の解説で、休みも返上しているという、超多忙ななかで、観に行ったのに残念な作品だったわね。
男:この映画を観たわけは、昨年末に、パリに旅行した友人が、ベルサイル宮殿やルーブル美術館の話をしていて、それなら、私も、行ったことのあるベルサイル宮殿の内部をどう描いているのかとの興味もあって、時間を都合して観たんだ。
女:監督は、ブノワ・ジャコビーと言うフランス人だけど、最近はやりのハンディ・カメラを使い過ぎじゃない。
男:そうだね。
  ハンディ・カメラも性能が良くなり、狭いところにまで入れてきれいに撮れるから近頃の映画界ではよく使うけど、どうしても、手持ちで写すから、安定していない。
  これが、大型スクリーンで見せられると気分が悪くなるね。
女:特に、乗り物に弱くて、すぐ酔ってしまうあなたは、細かな揺れも感じるのよね。
男:それにしても、話の展開が面白くない。
女:ベルサイル宮殿の王妃:マリー・アントワネットを中心にしているというので、絢爛・豪華な宮殿の内部が再現されているかと期待したけど、それらはチョットだけしか出てこないのも、物足りなかったわ。
男:ベルサイル宮殿内で、貴族たちが泊っている部屋も、召使たちの住んでいる一角と同じような場所とは、いくらなんでも省略した描き方だろうね。
女:確かにベルサイル宮殿の裏庭にある広大な池でロケをしたようだけど、このロケを目立たたせるために、たかが朗読係の娘が若いハンサムな船頭さんを付けて、一人で優雅にゴンドラに乗れるっていうのも、すごく身分不相応で不自然に感じたわ。
男:基本的に、王妃に献身的に尽くすというシドニー・ラボルドの性格付けが充分に描けていないんだ。
  男性との色恋よりも、王妃の要求の方を優先するというのなら、若い船頭の存在には、最初から目もくれない設定でないとダメだね。
女:まだ新人のレア・セドゥが主役を張るには、難しい役だったってことね。
男:そうだね、同性でありながら、ダイアン・クルーガーの美貌に、もっと、もっと惹かれてしまった姿が欲しいけど、それは無理だった。
女:最後の、ポリニャック夫人の衣装を着て身代りになって逃げるシーンは、話の展開として、なんだって気持ちにならなかった。
男:きみにも意外な印象になったんだ。
  ここは、完全に身代りになったポリニャック夫人として捕まって、断頭台の露と消えるになると、先を読んでいたけど、上手く市民たちの追跡から逃げられました、よかったですね、で終わっては、チラシで言っているような「世界でいちばん残酷な片想い」の完結としては、納得できないね。
女:でも、貴方が「いちばん」目が覚めていたシーンが2回あったわね。
男:エッ、そんなシーンは無かったはずだけど...
女:ベッドの上で意識なく寝ているポリニャック夫人のヌード姿と、レア・セドゥが着替える時の場面よ!
男:それは、話の流れで観てただけで、特に、眼を開いたという訳では無いと思うけど...
女:ほうらね。
  そこだけは、きっちりと、記憶しているんだから。

男:そッ、そんな気持ちでは...

ダイアン・クルーガーが良かった; 「イングロリアス・バスターズ」 (2009年)、 「敬愛なるベートーヴェン」 (2006年)
フランスをもっと知りたいなら; 「駆け足で回ったヨーロッパ」 の 「フランス編」 もあります。




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