2019年の映画・演劇 評論

 男はつらいよ 50 ~お帰り 寅さん~

あらすじ:サラリーマンを辞めて、本格的に小説家を目指している諏訪満男(吉岡秀隆)は、数年前に妻を亡くし、今は中学生の娘:ユリ(桜田ひより)と小さなマンションで暮らしていた。亡くなった妻の七回忌が、前は草団子屋で今は甘みカフェに改造された、母親のさくら(倍賞千恵子)と父親の博(前田吟)が住む葛飾・柴又の実家で行われるので訪れる。柴又の家の茶の間は、テキ屋をやっていた満男のおじさん:車寅次郎(渥美清)が賑やかに笑わせてくれた頃の想い出と満男の初恋の相手:泉(後藤久美子)の面影も蘇らせてくれた。その泉は、今はフランスで結婚し、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の職員として、日本へ来ていた。満男の本のサイン会で偶然に出会った二人は、寅次郎と奄美大島で暮らしたこともあるリリー(浅丘ルリ子)の店に寄り、みんな寅次郎の話で盛り上がった。フランスへ戻る前に、入院している父(橋爪功)を見舞う泉に付き添う満男の気持ちが揺れる。。。


笑いながら、まなじりには、涙が浮かぶ!

 いうまでも無い、今は亡き渥美清が主演の、日本の人情喜劇の最高峰「フーテンの寅」シリーズの総集編となる位置付の映画だ。
 
 監督は、第1作目からの山田洋次。

 この「フーテンの寅」はテレビで好評だったことを受け、1969年の夏に第1作が公開され、以降、主演の渥美清が亡くなったため、1995年の第49作目(特別編だったが)で終わりをつげた。

 「フーテンの寅」は、私も大好きで、若い頃から、当初は、正月と夏休みの年2回公開されたこのシリーズは、いつも超満員の映画館で欠かさず観ていた。いつの頃からかはっきりしないが、年1回の正月だけの公開となっても、観ているし、またテレビでの放送で、全作品を繰り返し観ては、何度も笑った。

 お決まりとなって、いつも繰り返される「マドンナ」に恋しては、振られる寅。でも、相手から、言い寄られると、逃げる、恋に臆病な寅。そんな口先だけは達者な寅をいつも暖かく迎える妹さくらやおじちゃんとおばちゃん。
 喧嘩をする程仲のいいタコ社長。場を絞める御前様。

 もう話の展開は、数作目からいつも同じと、わかっていても、どうしても、また観てしまう渥美清のセリフと演技の上手さ。
「見上げたもんだよ、屋根屋の褌」とか、「結構毛だらけ、猫灰だらけ」や、「それを言っちゃあおしまいよ」は、私も真似して使っている。

 でも、シリーズの後半では、渥美清の体調が良くなくて、今回の話でメインとなっている満男と泉の恋愛がかなりの時間をとるようなシリーズが続き、寅ちゃんが出てこないのでガッカリしたことを思い出した。

 そんな、数々の思い出をもつ「フーテンの寅」が帰ってくるというので、それは、今、NHKが亡き美空ひばりをAIを使って歌声と映像を蘇らせたような手法やCGを多用した渥美清を創造してくるのかと、心配と少し期待をしたが、山田監督は、渥美清が出る映像は、元のフイルムを挿入、使用することで完成させた。

 この元のファイルの使用は、成功している。
そこには、その映画に実際に出ていた時の実像の渥美清が存在し、それにより、私もその映画を観ていたその時代に戻される。

 さくらを演じる倍賞千恵子にしても、ミニスカートをはいていた若い頃の自分と、年齢を経た今の自分がすぐに分かるやり方では、嫌かもしれないが、綺麗に歳を重ねたと感じる。

 おでこが輝く若さに溢れた後藤久美子も、うまく歳をとっている。彼女に、難民を扱う国連難民高等弁務官事務所勤務とさせたのは、いかにも山田監督らしい設定だ。

 この映画を観てもう一度最高に笑えた、寅にメロンが残されていなかった「メロン騒動」では、大声で笑っていながら、こんなに素晴らしい役者:渥美清に、もう二度と会えない気持ちが高鳴り、涙も出ていた。

 渥美清だけでなく、亡くなった森川信や村松達雄のおじちゃん達、おばちゃんとして存在感があった三崎千恵子、御前様の笠智衆。他の方々に対しても、心からご冥福をお祈りいたします。

 また、寅をとりまく光本幸子、佐藤オリエ、新珠三千代 、栗原小巻、長山藍子、若尾文子 、吉永小百合・・・など列挙できないほど凄いマドンナの女優陣。
映画を通じて、マドンナたちも長く光り輝いている。

 冒頭での桑田佳祐が歌う主題歌も、彼の渥美清に対する感謝の気持ちが溢れている。

 回想のシーンを上手くつなぎ合わせた山田監督の手腕には、恐れ入った。

 いつまでも笑わせ、また泣かせる渥美清の存在の偉大さを示す作品だった。
合掌。

 同じく、長期にわたった下の「スター・ウォーズ」シリーズには、終わりについて、何の惜しみの気持ちがないが、「フーテンの寅」には、もっと、もっと続けて欲しかった気持ちで一杯だ。

退屈だった、倍賞千恵子の; 「初恋 ~お父さん、チビがいなくなりました~」 (2019年)
吉岡秀隆も出ていた; 「海賊とよばれた男」 (2016年) 

 スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け

あらすじ:銀河系統一を目指す暗黒集団:シスが牛耳る帝国軍に反対するレジスタンス軍の一員となったレイ(デイジー・リドリー)は、戦闘に備えて体を鍛え、見えない力「フォース」も少し制御できるようになってきた。一方、帝国軍のカイロ・レン(アダム・ドライバー)も、「フォース」の力を利用してファースト・オーダーの最高指揮官になっていたが、死んだと思われていたシスの最高指導者:パルパティーンから、レイを捕まえて、「ジェダイ」を滅ぼすように命じられる。レジスタンス軍もパルパティーンを倒す行動を起こし、レイたちはパルパティーンの最後の居場所を示す短剣を解読し、荒れる海に落ちているパルパティーンの宇宙船に向かうが、そこには、カイロ・レンがいた。レイとレンは壮絶な戦いの末、どうにかレイの勝利となった。今は亡きレイア将軍のライトセーバーを加え、2本のライトセーバーを携えたレイが、単身パルパティーンの元に向かったことを知ったレジスタンスも応援するが、多勢に無勢だ。。。


よくも、まあ、40年以上に渡り、ここまで引っ張て来られたものだ!

 1977年に「スター・ウォーズ」シリーズのもとになった第1作目の「新たなる希望」が、ジョージ・ルーカス監督の手によって作られ、公開されてから、今回の2019年12月公開の「スカイウォーカーの夜明け」でこのシリーズが完結した。

 この42年の間に、9つの「スター・ウォーズ」が作られたという訳だ。
1作目の「スター・ウォーズ」は、公開当初から、アメリカだけでなく日本でも評判となり、このシリーズは、その後毎回話題を呼び、私も、なんだ、かんだといいながら、観ている。

 しかし、この間、当初の「スター・ウォーズ」が持っていた広大な宇宙を舞台にして、大小の宇宙船が星々を飛びまわり、人間だけでなく、奇妙な姿をした宇宙人も登場するという、次に何が起きるのかという「期待感」、「ワクワク感」が、徐々に無くなり、また、息子が親になったりと、時間の経過が逆転したり、さらに話そのものがマンネリ化して退屈で、面白くなくなり、観るたびに、飽きてはきていた。

 でも、一応映画好きな私としては、ここまで引っ張て来た「スター・ウォーズ・シリーズ」の終わり方を、どのように、もっていくのか、気になり、観ておこうと映画館に足を運んだ。

 終わりとなる「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け(エピソード9) 」の監督は、2015年に公開されたこのシリーズ7作目の、「スター・ウォーズ/フォースの覚醒(エピソード7) 」も監督したJ・J・エイブラムスが起用されている。
脚本は、監督のJ・J・エイブラムスとクリス・テリオ。

 まず、ダメな映画は、いつも指摘するが「あらすじ」が書きにくい。
この解説の冒頭にある、あらすじは、当然のことながら、映画をみた後でまとめて書いている訳だが、「スカイウォーカーの夜明け」は、どうして、次にこうなったのか、映画を観終わって、文章にするのに時間がかかる。
 観終わった今の記憶に残る話としては、レジスタンス軍に属するレイは、正義の「フォース」の力を手に入れ、宿敵のダークサイド軍を打ち破りました。そして、これまで、レイには苗字(姓)が無かったのですが、今後、スカイウォーカー家の一員であることを宣言しましたとさ、めでたし、めでたし、だけで、冒頭の「あらすじ」まで話を広げるには、これまた、大変なことだった。

 今回も音楽を担当しているジョン・ウイリアムズの出だしのテーマ曲は、この映画「スター・ウォーズ」をここまで有名にしたことに大いに貢献している。
観客は、この曲を聴くだけで、条件反射的に胸がときめくほど、効果がある。

 だけど、話の展開が拙い。
今回で完結しなくてはならないということで、昔の出演者のハリソン・フォードや、撮影中なくなったレイア姫の時代から活躍したキャリー・フィッシャーなども出さなければいけないと思ったことは、まあ許せるとしても、昔を出すということで、話が懐かしさの方に重心が移り、「スター・ウォーズ」の基本である、弱い人間がいけないと思ってはいても、どうしても魅かれてしまう「暗黒の精神=ダークサイド」と対峙する時の心の葛藤が弱くなった。

 ダークサイドからの誘惑は、レイに対して働きかけられるが、レイ役のデイジー・リドリーは、闘うことに精一杯で、この難役はこなせなかった。
また、得体の知れない「フォース」に、死んだ人間を復活させる力を持たせたり、敵の宇宙船隊をコントロールできるなどの他の映画によくある「超能力」を与えてはいけなかった。

 ここまでの「力」が「フォース」にあるなら、最初から、闘う前に使えばいいわけで、脚本家としての安易な発想は、許せない。

 ライトセーバーを使った闘いは、まさに日本のチャンバラ映画の置き換えで、それが二刀流になっても、目新しさが無さすぎる。
編集も入れ替わりが激しくて、良くない。
さらに、全般に画面が暗い。特に、パルパティーンがでてくるシーンは、何がなにか、分からないほど暗すぎた。

 監督として、J・J・エイブラムスがこの映画で何を言いたかったのか。
この内容では、ディズニー社からチョットした報酬を貰って、締切に間に合わせましたという、本当に残念な出来栄えで、完結した、

 前作: 「スター・ウォーズ/最後のジェダイ(エピソード8)」 (2017年)、 
     「スター・ウォーズ ~フォースの覚醒~」 (2015年)
     「スター・ウォーズ;エピソード 3;シスの復讐」 (2005年)
     「スター・ウォーズ;エピソード 2;クローンの攻撃」 (2002年)

 天使にラブ・ソングを ~シスター・アクト~ ミュージカル (東急シアターオーブ)

あらすじ:余り売れていない黒人クラブ歌手のデロリス(森 公美子)は、堅苦しいことが大嫌い。恋人でもありクラブのオーナーでまたギャングのボス:カーティス(今 拓哉、こん たくや)が、他のクラブでも歌わせてやるという言葉を信じて、今日も励んでいた。しかし、そのカーティスが密告者を射殺する現場に出くわし、怖くなって、警察に駈込むと、そこには幼なじみで今は警官となっている汗かきエディ(石井一孝)がいた。カーティスの殺人事件の裁判の証人として出廷するまで、どこかに身を潜める場所として、選ばれたのは、さびれた修道院だった。修道院では、院長(鳳蘭)以外には、身元を隠し、名前も変えて禁欲の生活をするデロリスだったが、聖歌隊の歌の下手さには、歌手として我慢ができず、口を出して、聖歌だけでなく、ゴスペル、ソウルまたロックまで歌わせるようになった。歌が上手くなった聖歌隊は、地元でも評判になり、テレビでも放映されるが、それを偶然観ていたカーティスが、修道院に、デロリスを殺しに来る。拳銃に追われるデロリスを、仲間の修道尼たちが。。。


女:まさに、森 公美子のための、コメディ・ミュージカルになっているわね!

男:元になっているのは、ウーピー・ゴールドバーグが出ていた1992年製作の映画「天使にラブ・ソングを」がある。
  それを、アメリカでミュージカルに変えて舞台化し、日本でも、2014年、2016年と公演があった。
女:日本版の演出は、山田和也で、翻訳・訳詞は、飯島早苗とあるわね。
男:日本版の「天使にラブ・ソングを」は、前に帝国劇場で2回観ているが、この主役のデロリスは、ダブル・キャストで、最初は、瀬奈じゅんで、次は、蘭寿とむ の日で、今回の森公美子の舞台は、初めてだ。
女:主な配役で、前と同じなのは、修道院の院長役の鳳蘭や汗っかきエディ役の石井一孝ぐらいかしら。
男:新しい配役では、かなり重要な役どころの、見習いシスター役の屋比久知奈(やびく ともな)は、まだ、舞台経験が少ないようだけど、この抜擢は、効果があった。
女:役どころの、まだ本当のシスターとして、神に生涯を尽くすまでには達観していなくて、俗世間との狭間に悩むという設定には、実際の人生でも「新鮮さ」がある方が、良いのね。
男:抜擢する方としては、それが裏目にでる危険も覚悟しなければならないけど、「初々しさ」は、そう簡単には演じられない。
女:で、主役の森公美子は、どう。
男:体と歌の両面で、迫力満点だ。
女:本当に、出だしの歌のシーンでは、後方のダンサーの2人分の横幅が、巨大な胸と一緒に揺れていたわ。
男:過酷な舞台が続けば、かなり体重も落ちるのが普通かと思うが、その法則は森公美子には当てはまらないようだ。
女:黒人の歌手としての、ソウルやR&B感の歌い方は、もうこのミュージカルは、彼女のために書かれたといっても十分ね。
男:基本的に「天使にラブ・ソングを」は、ミュージカル・コメディと謳っているように、森公美子には、歌唱力だけでなく、笑いを誘う演技力も求められている。
女:笑いについても、森公美子は、「レ・ミゼラブル」などでかなり舞台経験は積んでいるから、もう慣れたものなのね。
男:このデロリスを演じるのに、何も悩まず、自分の感じたままで舞台を努められるのは、彼女にとっても幸せな時だろうね。
女:俗世間のま只中に生きている黒人のデロリスに対比している修道院の院長役の鳳蘭の存在は、大きいわよ。
男:作品の出来の良し悪しは、いつも言っているように、主人公の活躍だけでは、決して決まらない。
  鳳蘭のような上品な存在感があって初めて、森公美子が活きる。
女:それで、どうしても鳳蘭は、外れることなく、ずーとこの役で出ているのね。
男:もっと、前に出てくるまでに成長した今 拓哉や石井一孝も、強引な目立ち方もなく演じているのも、好感がもてる。
女:舞台構成も、大がかりなものだったわ。
男:修道院の中二階や綺麗なステンドグラスは、前から変わっていないようだ。
女:あなたにとっては、ディスコが全盛の頃の「ジョン・トラボルタ」についても、一言あるんじゃないの。
男:そりゃ、赤坂、六本木で手を上に突き上げたトラボルタ・スタイルで 踊り明かした頃もあったけど・・・
女:もう、その頃の記憶がはっきりしなくなったのね!
男:そういうわけじゃないけど、ディスコがあった場所は、どこだか・・・
女:もう、分かったわ。
  今日は、無理しないで、もう、寝なさい。

男:まだ、寝るのには、早いけど・・・
女:ごちゃごちゃ、いわないのッ。

今回のダブル・キャストは、デロリス:朝夏まなと、カーティス:大澄賢也。
なお、カーテン・コールで、1階の観客も、舞台と一緒に踊らさせられるので、ペン・ライトも用意してください。

前回の; 「天使にラブ・ソングを」 (2016年) 、 (2014年)
森公美子が出ていた; 「レ・ミゼラブル」 (2017年)

 アナと雪の女王 2

あらすじ: 北の方にあるアレンデール王国では、何でも凍らせることのできる魔力を持った女王:エルサとその妹:アナが領民たちと穏やかに暮らしていた。ある日、エルサは、自分だけにしか聞こえない「声」を聴き、アナやアナに気があるクリストフ、雪ダルマのオラフそしてトナカイのスヴェンらと共に、声に導かれた旅に出る。そこには、深い霧に閉じこめられた森があり、エルサのおじいさんが森の住民を裏切ったことに怒った精霊たちがいた。エルサに魔力が与えられたのは、その魔力で、精霊たちの怒りを鎮め、森を開放するためだったのだ。火の精霊、風の精霊、水の精霊などが、エルサの前に立ち塞がる。。。


複雑な話では、大人も分からない、子供はなおさらだ!

 前作となる「アナと雪の女王」は、今から、5年前の2014年に日本でも公開され、大評判となり、ついに、私も、2D版だけでは物足りず、3D版も観たという面白いアニメだった。

 監督は前作と同じ、クリス・バックとジェニファー・リー。

 で、今度の「アナと雪の女王 2」は?

 話が、実に難しい。
エルサのおじいさんが、森の住民を裏切ったことに怒った精霊たちが、森を住民と共に深い霧の中に閉じこめたので、エルサは彼女に特別に与えられた魔法を使って、精霊たちをなだめ、森を開放するということだけど、これに、アナとエルサの両親が、海で難破した話とか、風の精霊、火の精霊、大地の巨人、氷の白馬などが絡んできて、展開がよく分からない。
基本となるアナたちのおじいさんが中途半端な悪人で、森の住人に対する裏切りもどの程度かはっきり描かれていないのが、脚本の甘さだ。

 さらに、アナを好きな青年:クリストフが何度もプロポーズに失敗する話は、笑いをとりたかったようだけど、滑っている。
また、雪ダルマのオラフが解ける話も入れ込んでいるが、これもいつのまにか復活したりで、いろいろと話の流れが、取りとめも無く交じり合い、大人の私も、どうなっているのか、掴めないほどだ。

 確かに、CG技術の発展で、前作でも感心した主人公の肌の感じや、毛の先までは綺麗に表現がなされているが、最近では、この程度のCGの出来栄えには、別に驚ない。

 また、ミュージカル・アニメとして、前作では「Let It Go」が流行ったが、今度は、ただ曲が多いと感じる、いや、多すぎて、かえって話の邪魔になると感じる程、曲と展開が合致していない。

 出てくるキャラクターもどこかで既に見たような、ベイビー・カメレオンでは、張り合いがない。
「オチ」となるダムを壊すというのは、最近、巨大台風で水害に見舞われている日本では、それは、ないだろうと思う。
胸がドキドキするような、ファンタジーになっていないし、目新しさにも欠ける。

 やっぱり、2作目は、前作には到底及ばないという見本となった。

前作: 「アナと雪の女王」 (2014年)

 ビッグ・フィッシュ ~ミュージカル~ (シアタークリエ)

あらすじ: アメリカの川沿いにある、とある田舎町で育ったウィル青年(浦井健治)は、幼い頃には、忙しく働いている父親:エドワード・ブルーム(川平慈英 かびらじえい)が良く話してくれる奇抜な話にいつも興奮して寝つかれなかった。それは、近くを流れる川で大きな、大きな魚を釣ったとか、おさな馴染みのドン・プライス(藤井隆)達と暗闇の森に棲む魔女(JKim)を訪ね未来を占ってもらったとか、人見知りで穴山に閉じこもっていた3mもある巨人:カール(深水元基)を勇気づけ、共にエーモス団長(ROLLY)のサーカスで働き、そこで、運命の女性:サンドラ(霧矢大夢 きりやひろむ)と出会い、サンドラに一目ぼれしたエドワードは、サンドラの婚約者と闘い、どうにか結婚できたことなどだった。しかし、大きくなったウィルは、さすがに父親の話はかなり父親の自慢を入れた「ほら話」と分かり、父親とも距離を置き、故郷を離れて生活していたが、今度、ジョセフィーン(夢咲ねね)との結婚式を開くので、久し振りに帰って来た。その結婚式で、エドワードは、ウィルが注意したのにも関わらず、相変わらず自分の自慢話をするので、怒ったウィルは、早々に、故郷を後にした。それからのある日、母のサンドラから、父親が重病になったとの電話があり、故郷に戻ったウィルは、父親の書類の中に、ジェニー・ヒル(鈴木蘭々)と共有名義の登記簿を見つける。聞いたこともない名前を不思議に思い、ジェニーを訪ねると、そこでは。。。


進化し手慣れた内容になった「ビッグ・フィッシュ」!

 オリジナルは、ファンタジーの世界では有名なティム・バートンが2003年に監督した映画があり、これを元に、アメリカでミュージカル化され、日本では、2017年に白井晃の演出で、舞台化されたものだ。

 この2017年に日生劇場で上演されたのは、私も観ている。
その「ビッグ・フィッシュ」を、今回は、日生劇場よりも小さいシアタークリエで再上演するに際し、演出の白井晃は、出演者は、2017年と同じだが、メインの12名にし、話も前作から抽出し、当然、演出も変えている。

 2幕構成で、1幕目は、「ビッグ・フィッシュ」が別に意味する「ビッグ・マウス 大ほら話」の連続で、ティム・バートン監督の特徴のファンタジー感が満載。
魔女、巨人、人魚、サーカス、舞台いっぱいの水仙の花・・・

 休憩を挟んでの2幕目は、1幕とは違い、深刻な展開になる。死を目前にした父親の隠された「ほら話」でない大きな、大きな「愛」に繋がる。

 前回の日生劇場では、主役の川平慈英のセリフに張りがなくまた歌も実に退屈で、それに加えて藤井隆がこれまた棒読み的なセリフと演技で、酷い内容の舞台だと記憶している。

 それが、このシアタークリエ版では、まったく違った内容に仕上がっている。
みんなが、与えられた仕事を立派に果たしているのだ。

 扱っているメインのテーマである「父親と息子の対立」は、こんなもので、若い頃の息子は、父親とは常に対立し、また歳をとり自分が父親となった時に、初めて昔の父親が何を思い、何を若い息子に伝えたかったのか知りたがるものだ。
反抗心を持たない男の子なんて、まったくつまらないし、動物としての本能に反している。

 ティム・バートンから引き継いだファンタジーも、日生劇場での演出からかなり変わったようで、セリフや歌詞の訳も、もう日生劇場での細かな点まで憶えていないが、日本語劇として上手く繋がっている。

 川平慈英にしては、日生劇場での拙さと比べると、正に「月とスッポン」の出来栄えで、落ち着きと、歌も流れていてここまでできる役者とは思っていなかった。

 息子役の浦井健治も、その後のミュージカル舞台を積んで成長の跡が、明確にある。

 また、前回は芋役者だった藤井隆も、ちゃんと自分の立場を考えた演技ができている。
それは、ROLLYや鈴木蘭々にも当てはまり、目立つところでは、ちゃんと芝居をし、脇としての存在では、それに徹するという当然の流れをうまく汲んでいていい。

 巨人の役でいつも竹馬(?)に乗っている深水元基や、サーカスでズート天井の輪っかにいる小林由佳は、アクロバットを得意としているようだが、大変な役だ。だけど、ここらでしっかりと仕事をすれば、将来に繋がる。

 演出の白井晃もこの演出なら、かなりの人を呼べる。良い出来だった。

前回の; 「ビッグ・フィッシュ」 (2017年)
浦井健治の; 「笑う男」 (2019年)
夢咲ねねの; 「1789 バスティーユの恋人たち」 (2018年)
霧矢大夢の; 「マイ・フェア・レディ」 (2013年)

 

 Yesterday イエスタディ

あらすじ: イギリスの小さな海辺の町に住むインド系の青年:ジャック・マリック(ヒメーシュ・パテル)は、自分の歌がいつか売れる日を夢見てバイトをしながら、小さな店などで演奏活動をしていた。そのジャックを応援し、マネージャーとしてまた運転手として世話をしてくれているのは、数学の先生をしている、幼馴染のエリー・アップルトン(リリー・ジェームズ )だった。しかし、いつまでたっても、売れないため、ジャックが夢をあきらめようとした時、全世界で同時に、12秒間の停電が起き、そのため、ジャックは、車にはねられ意識を失う。幸い、前歯が折れる程度の怪我ですみ、快気祝いに集まったエリーなど友人たちの前で、ジャックが歌ったビートルズの「イエスタディ」は、みんなを感激させるが、誰も、その曲が、ビートルズの曲とは知らなかった。不思議に思ったジャックは、早速、ネットで「BEATLES」を検索するが、該当するのは「Beetle(カブトムシ)」だけだった。しかし、ローリング・ストーンズやデヴィッド・ボウイは、存在していた。また、コカ・コーラもないがペプシ・コーラはあった。どうやら、ジャックが怪我をした時に、世界中からビートルズなど一部の存在が消えてしまったようだ。ビートルズの曲を思い出しながら歌うジャックは、有名な歌手:エド・シーラン(本人)の前座として出たモスクワ公演で、アメリカの敏腕エージェント:デブラ・ハマー(ケイト・マッキノン )の眼に留まり、世界に向けたCDデビューを果たす。しかし、エリーとの仲もまずくなり、また、ビートルズの曲を自分のオリジナルと偽る生活に耐えられなくなり。。。


ビートルズ・ファンには、たまらない贈り物だ!

 監督は、「スラムドッグ$ミリオネア」のダニー・ボイルで、脚本は、リチャード・カーテェスとある。

 発想が、いい。
単に、世界的にも超有名なロック・グループ「ビートルズ」を、追想する方法なら、今まで多くの映画で使われてきた伝記物のように退屈な内容になるところを、ある一人(本当は、あと2人、いや3人いる?)しか、ビートルズの楽曲を知らないという設定は、素晴らしい思いつきだ。
これには、脱帽する。

 確かに、私の若い頃、1960年代にビートルズが「抱きしめたい」や「She Loves You」で日本のヒット・チャートのトップに踊りだしてきた時に、私も彼らのとりこになりレコードを買ってビートルズのスペル「BEATLES」を、当時は、Googleの検索がなかったので、英語の辞書で調べた記憶が蘇った。

 当然、その頃の英語の辞書では、「BEATLES」は載っておらず、この映画のように「Beetle(カブトムシ)」しかなかった。この、「BEATLES」は、彼らの造語で「Beat(拍子) + all (全て)」をかけて、作ったと何かにあったのを憶えている。

 これほどに有名でその多くの楽曲がヒットして、みんなが知っているビートルズとなると、どの曲をどのシーンに合わせて持ってくるかでセンスが問われる。

  ビートルズの曲が初めて使われる「イエスタディ」は、いいタイミングだ。
「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」が使われるモスクワ公演は、かなり強引な持ち込みかただけど、この曲を使うならこうなるかとも思う。

 ジャックが家族の前で披露する「Let It Be」は、家族に無視されるのが面白い。

 だけど、「Hey Jude」が「Hey Dude (よう、相棒=よびかけ)」に変えられるのは、かなり高度なテクニックで、これは、日本人には、訳として、難しかった。

 「エリナー・リグビー」などで、ビートルズの故郷:リバプールをジャックが訪れる話の持って行き方も納得できる。

 音楽だけでなく、ビートルズが出演した映画を思い出させるシーンも多い。

 ホテルの屋上で歌わせるなら、「Get Back」かと思いきや、「Help」とは、恐れ入った。

 最後に、ジョン・レノンをこんな形で登場させるとは、そっくりさんと分かるまで、これは驚きだった。
事実では、暗殺されたジョン・レノンを生きている形にするための、歴史の塗り替えが必要で、それが「全世界の停電」だったのだ。

 話の展開に使われている、ジャックとエリーの恋の、ついた、離れたはまったく、練られていなくて退屈でどうでもいいが、ここまでビートルズを思い出させてくれれば、観てよかった。

 話の流れで、サザン・オール・スターズの「いとしのエリー」が、どこかで歌われるかと期待したのは、日本人の私だけか。

 音楽映画なら; 「ボヘミアン・ラプソディー」 (2018年)
 ダニー・ボイル監督の; 「スラムドッグ$ミリオネア」 (2009年) 

 ロシアのモスクワをもっと知りたいなら; 「ロシアの旅」 もあります。

 マチネの終わりに

あらすじ: 評判の良いクラシック・ギターリストの蒔野聡史(まきの さとし、福山雅治)は、彼の演奏会に来ていたフランスの通信社に勤務する記者の小峰洋子(石田ゆり子)を一目見て好きになった。洋子の父親は、フランス人で映画監督であったが、両親は離婚しており、また洋子には、婚約者:リチャード新藤(伊勢谷友介)がいたが、そんなことにはお構いも無く、聡史は、師匠の祖父江誠一(古谷一行)がスペインで演奏会を開くのに同行し、途中、パリに住む洋子を訪れ口説く。強引な聡史に負けた洋子は、聡史と結婚を決意するが、聡史に想いを寄せるマネジャーの三谷早苗(桜井ユキ)は、洋子にうそのメールを送り、聡史と洋子の仲は終わった。それから、4年後、聡史がデビューしたニュー・ヨークで開かれた演奏会で二人は、再び会うが。。。


女:話が、胸に響かないのよね!

男:原作は、平野啓一郎で、脚本は、井上由美子。これを、福山雅治と仲がいいフジテレビの西谷弘が監督した。
女:タイトルの「マチネ」って、昼の公演のことなのね。
男:チラシでは、「揺れ動く二人の愛の行方とは」なんて高尚に謳っているけど、映画を観る限り、ナンパの上手いギターリストが本気になったら、マネジャーの裏切りで、恋は成就しませんでしたってことだね。
女:でも、冒頭の福山君の「洋子さんの存在が、僕の人生を貫通してしまった。いや貫通しないで、埋め込まれた」なんて、眼を見詰めて言われたら、石田ゆり子でなくても、フラッと傾いてしまうわね。
男:他にも「地球のどこかで、洋子さんが死んだって聞いたら、俺も死ぬよ」なんて、本当に、プレイ・ボーイの巧みな手練さだ。
女:映画としては、ここらまでの福山雅治はぴったりだったんだけど。
男:だけど・・・
女:大体、普通のミュージシャンの福山雅治に、かなり異なった世界のクラシック・ギターの演奏をさせることに、無理があったのよ。
男:そうだね。監督の傾向として、評判が良くなったりすると、どこかに能などの古典芸能とかクラシック音楽とかに、妙に手を出してしまう。
女:自分には、一般大衆が持たない、こんな高尚な趣味があるんだよって気持ちを作品に出したがるのよね。
  監督として世間に受けているのは、多くの人が納得する範囲での、監督の主張であって、それから先の面倒くさい話はいらないのにね。

男:残念だけど、多くの映画をとってくると、自分がデビューした時に持っていた、お金を払って観に来てくれている観客の気持ちから、ドンドン遠ざかってしまうんだ。
女:ミス・キャストという意味では、石田ゆり子が、バリバリのジャーナリストという設定もあまりにも甘いんじゃないの。
男:フランス語を話させ、英語も話させることは、練習でできても、世界で活躍するジャーナリストの緊迫感の演技がついてこない。
女:それに、テロリストに襲われて怪我をした同僚の女性が洋子のアパートに身を寄せるところなど、訳の分からない無駄なシーンも多いのよ。
男:もともと、この作品では重要な話になっていると思われる洋子の父親で、映画監督の作品がピンとこない扱い方が悪いのかな。
女:演奏されるギターの選曲も、下手ね。
  私なら、スペイン絡みのシーンでは「アランフエス協奏曲」は絶対弾かせるけど。

男:この映画では、福山雅治のマネージャー役をした桜井ユキがいい。
女:色気のないマネージャーから結婚した後の変化の出し方は、素晴らしいわ。

  それにしても、よく映画で取り上げられるけど、秋冬のニュー・ヨークのセントラル・パークは、絵になるわね。

男:おっと、その次には、アメリカへ旅行したいと言い出すのだろうけど、それは、マチネ(待ちね)ー。
女:あなたも大分、私の気持ちがわかってくるようになったわね。
男:それには、乗れない。危ない、危ない・・・

福山雅治が出ていた; 「三度目の殺人」 (2017年) 、「SCOOP!」 (2016年)、「そして父になる」 (2013年)

スペインとフランスをもっと知りたいなら; 「スペイン・ポルトガルの旅」 、 「駆け足で回ったヨーロッパ」 もあります。

 ジョーカー

あらすじ: 今は、やや認知症となった母:ペニー・フェレック(フランセス・コンロイ)の、「いつでも笑顔で人々を楽しませなさい」の教えから、アーサー(ホアキン・フェニックス)は、軽い精神病はあるが、コメディアンを目指していた。しかし、気の優しい彼は、街の悪ガキたちに、バイト先の看板を壊されても、仕返しができない。そんな彼を見かねた同僚が護身用に銃を貸してくれる。銃の扱い方など知らないアーサーだったが、仕事でピエロの扮装をしての帰り、乗っていた地下鉄内でエリート証券マンたちが女性に絡んでいるのを見て、発作的に、その証券マンたちを射殺して逃げる。この事件は、その頃の社会に不満を抱いていた貧困層からは受けが良く、正体不明のピエロとしてもてはやされていた。信じていた母親の話が、母親の妄想だと知ったアーサーは、母親も殺すが、それは、病死と判定された。今までの苦労が報われ、ついに、コメディアンを扱う有名テレビ番組の司会者:マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)から、出演依頼がきて、アーサーは、自分を「ジョーカー」の名前で紹介させるが。。。


演技も凄いし、撮影も上手く、音楽も良く出来ているが、話が気に入らない!

 日米で同時に劇場公開ということで、チラシにしても、予告編にしても、良く内容が分からないまま観た。
監督と脚本には、トッド・フィリップスが就いている。

 「ジョーカー」の予告編を観た時には、同時に、「IT、それを見たら終わり」の続編の予告編もあって、共にピエロの恰好をしていて、この「ジョーカー」も気持ちの悪いホラー映画かと思っただけだった。

 で、観た感想としては。

 主演のホアキン・フェニックスの演技が素晴らしい。
笑いを取るピエロの顔の裏側に隠れている、どうにもならない貧しさからもたらされる哀しさと、我慢を超えた先にある狂気への解放感。
痩せた体にしぼったほどの、彼の役に対する熱情は、随所に感じられる。 

 カメラ・ワークもうまく、陰影、顔のアップの撮り方も上手い。

 使用されている曲も、「スマイル」、「That’s Life」、クリームの「ホワイト・ルーム」など、実にシーンにあった曲が丁寧に選ばれている。

 ゴミが溢れる街、良い職が得られない経済状況、口先だけの政治家。
銃が簡単に手に入り、また簡単に人殺しができる国:アメリカ。
多くの人が精神的に病んでいる国:アメリカ。

 それだからといって、正気の人間を、簡単に人殺しを許す方向に持って行くのは、許されない。
罪のない友人も母親さえも殺す行為を、社会のせいにして、正当性を与えては、いけない。

 人を殺すという行為が「罪」であるということは、たとえ娯楽映画であっても表現しなければいけない。
人殺しは「狂人」であっても、罰せられる行為であり、崇める描写は、慎むべきだ。

 映画としての出来がいいだけに、殺人を許す方向にもっていくのが、評価できない。

 ホアキン・フェニックスの; 「ゴールデン・リバー」 (2019年)、 「ザ・マスター」 (2013年)
 ロバート・デ・ニーロの; 「マイ・インターン」 (2015年)

 

 ラ・マンチャの男 ~ミュージカル~ (帝国劇場)

あらすじ: 時は、16世紀のスペインはセビリアの牢獄。税を徴収する役目だったセルバンテス(松本白鸚)が従僕のサンチョ(駒田一)と共に投げ込まれた。罪名は、正義感に燃えたセルバンテスが税を払わなかった教会を差し押さえ、逆に教会侮辱罪となったのだ。牢屋では、他の囚人たちによる新人のセルバンテスへのいじめが始まったが、セルバンテスがその場で劇をやることで牢名主(上條恒彦)が賛成し、物語は、今は消えてしまった悪を滅ぼす「騎士道」を求めて諸国を旅するドン・キホーテの活躍に移る。年老いて狂気じみたドン・キホーテには、風車が敵の騎士に見え、お粗末な旅籠も立派な城に代わる。あばずれな女:アルドンザ(瀬奈じゅん)さえも高潔な麗しの姫:ドルシネアになる。囚人たちも参加した牢屋での劇が、「見果てぬ夢」を追ってさらに続く。。。


これって、本当は、喜劇を目指した演出ではないのか?

 原作は、セルバンテスの小説「ドン・キホーテ」があり、これを、1965年にブロードウェイで、デール・ワッサーマンが脚本を書き、音楽は、ミッチ・リーで初演されている。
日本語への訳は、森 岩雄と高田蓉子、訳詞は、福井 峻。振付・演出は、日本初でエディ・ロールとあるが、松本白鸚も演出となっている。

 「ラ・マンチャの男」での主題歌「見果てぬ夢 Impossible Dream」は、ヒット・チャートでもかなり上位に入ったこともある。

 「ラ・マンチャの男」とくれば、チラシにあるように、今は、二代目松本白鸚の名をついでいるが、1969年、当時、歌舞伎界の貴公子と呼ばれ自作・自演の歌「野バラ咲く路」で音楽界でも活躍していた市川染五郎が、26歳の時に歌舞伎界にありながら、日本の古典と伝統の歌舞伎とはまったく別の世界、ヨーロッパ生まれのミュージカル「ラ・マンチャの男」に挑戦するということで随分と話題をよんだ。

 市川染五郎が演じた「ラ・マンチャの男」は日本でも好評を博し、その波を受けて、彼はアメリカのブロードウェイにも呼ばれ、英語で主役を演じている。その後、市川染五郎から九代目松本幸四郎を襲名しても、彼は「ラ・マンチャの男」の舞台公演を続け、二代目松本白鸚となり、何と77歳(喜寿)となった、今年(2019年)で、初演から50年目、そして、上演回数1、300回を超えることになったという訳だ。

 私も「ラ・マンチャの男」は松本幸四郎の時代に観ていて、彼の娘:松たか子が、今回瀬奈じゅんが演じたアルドンザ役だった時の記憶はある。

 舞台構成は、記憶が定かではないが、当初から変わっていないようだ。
中二階から、地下の牢屋へと下がってくる階段があり、牢屋での主な演目が終われば、出演者は、舞台下に入るという仕組みで、これは、ちょっとばかり凝った舞台だったと記憶している。

 人生の大半を占める50年間という長い年月において、変わることなく主役を務めることができる舞台の演目を持てるということは、実に偉大な業績だと感嘆する。
その舞台での内容も、2時間以上、途中での休憩を挟むことなく、若い頃のスタイルのまま演じ、また歌うというエネルギーを持っていることにも驚嘆する凄い77歳だ。

 演技としては、丁度、騎士:ドン・キホーテも高齢である設定から、時々みせる弱々しさが、上手く出ている。
また、歌もしっかりとしていて声がでているのは、さすがに生まれながらの役者は、年齢を感じさせない。

 従僕のサンチョを演じている駒田一との慣れた掛け合いもいいし、牢名主を演じる上條恒彦も、年齢がもつ落ち着きがでているのでこれもいい。

 新しくアルドンサの役を得た瀬奈じゅんも、体を張った動きをしていて、元気を感じる。

 だけど、だけどだ。
だいたい、この「ラ・マンチャの男」は、舞台が暗くて、また屁理屈が多くてウンザリする展開だ。

 叶わない夢をどうするとか、真実と狂気がどうしたとか、鏡の中に自分の本当の姿が写されているとか、本当に人生に悩んでいる人なら使えない「上辺だけの言葉」がセリフとして連続するだけで、それから先をどうするかを提示していないつまらなさに行き着く。

 今回の観客席でも、私の周りのおばさんたちの多くは、寝ていて、いびきさえも聞こえてくるほどの単調さだ。

 起きるのは、アラビア風の泥棒がでてきた時ぐらいである。
セリフにしても、基本は、ドン・キホーテが風車を敵の騎士と間違えて闘うことから始まるように、汚い旅籠を城と置き換えたり、あばずれな女を憧れの姫にしているように、これは、通常ならあり得ない、主人公の思い違いが観ている方に笑いをもたらす「喜劇」にする方が、よっぽど面白い。

 もっと、心の底から笑える内容にしてくれれば、あと、10年は続くと思うが。

 かなり前の; 「ラ・マンチャの男」 (2002年)
 瀬奈じゅんの; 「シスター・アクト」 (2014年) 、 「エニシング・ゴーズ」 (2013年) 

 スペインをもっと、知りたいなら; 「スペイン・ポルトガルの旅」 もあります。

 ジョン・ウィック :パラベラム

あらすじ: 以前は、世界的に裏の社会を支配している「主席連合」組織に属し、敵対する殺し屋を殺害するために働いていた腕のいい殺し屋のジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)だったが、愛犬を殺したロシアン・マフィアやイタリアン・マフィアも壊滅させたため、「主席連合」から、14億円の懸賞金が掛けられて、世界中の殺し屋から狙われる羽目になっていた。幸い、ニューヨークにある殺害が禁止されている裏社会の聖域のコンチネンタル・ホテルの支配人:ウィンストン(イアン・マクシェーン)との友情もあって、アフリカに渡り、主席連合のボスの一人から懸賞金をといてもらうが、主席連合は許さず、裁定人(エイジア・ケイト・ディロン)は、寿司屋職人で殺し屋のゼロ(マーク・ダカスコス)を、ジョンのもとに差し向ける。聖域であったコンチネンタル・ホテルで、ジョンとゼロの壮絶な闘いが続く。。。


ただ、もう人殺しだけのアクション映画だけど、ここまで徹底すると、観る人もいる?

 愛する妻を殺され復讐するのなら分かるが、愛犬を殺されたというだけで、2作目も作り、特に筋らしい筋も無く巨大な裏の組織に挑む孤独な殺し屋をキアヌ・リーブスが演じている、この、ジョン・ウイックも、本作で何と3作目である。

 そこで、英語のタイトルは「John Wick: Chapter 3 - Parabellum」となっている。
「Parabellum パラベラム」とは、日本語に訳すと「戦闘を用意しろ」とかになるのか。

 監督は、前の2作と同じチャド・スタエルスキで、この監督は、スタントマンあがりのようで、「マトリックス」では、キアヌ・リーブスのスタントマンだったとのこと。なお、キアヌ・リーブスは、もう、55歳だけど、この映画では、殆どのシーンをスタントマンを使わず本人が演じたらしい。

 2作目の2017年に公開された「ジョン・ウィック:チャプター2」を観た時には、もう、いかに多くの人間を短時間に殺すのかだけの映画だといったけど、今回も映画作りでは監督のその信念は変わっていない。

 しかし、殺しの場所と殺しの方法においては、従来の拳銃だけでなく、様々な方法がとられているのは、少しばかり評価できる。
 例えば、図書館での本を使った方法、馬とオートバイの闘い、2匹の犬も仲間にしたやり方、武器庫でのナイフなどの扱い方である。
(ロシアのバレー団との絡みは、理解ができなかったけど)

 そして、女性のハル・ベリーも戦闘に参加させて、彩をそえる。
(ここの、血の誓印は、前作を観てないと分からないけど)

 また、チャド・スタエルスキ監督はかなりの日本びいきのようで、寿司職人がキアヌに対抗する強い殺し屋になるのを筆頭に、日本の刀は出てくるし、戦国時代の鎧・兜もガラス・ケースに収められている。
(日本語をゼロに喋らせているが、この発音が酷すぎるのは、問題だけど。さらに、裁定人のエイジア・ケイト・ディロンが、毒のある生のフグを食べるのが、訳が分からなかったけど)

 そして、日本のヤクザが問題があった時に落とし前として小指を詰めるようにキアヌの中指を詰めさせている。
(ここは、どうして、アフリカ砂漠まで行くのか、筋としては、まったく意味不明であったけど)

 ある暇な人が、キアヌがこの映画で何人殺したかを数えたら、細かな人数は不明だけど、拳銃や刀・ナイフ、格闘などで170人は殺しているようだ。
その殺し方が丁寧?なのも、この映画を特徴づける。
それは、必ず頭をぶっ飛ばしたり、ヘルメットを着けていれば、首の後ろを撃ってとどめを刺していることだ。

 殺人もここまで徹底すれば、好きなひとがいるということだ。
もう、次の4作目の映画化も決まっているとは・・・

 ジョン・ウィックの前作; 「ジョン・ウィック:チャプター2」 (2017年)
 キアヌ・リーブスが良かった; 「イルマーレ」 2006年)

 任侠学園

あらすじ:暴力団ではなく、義理と人情に厚く地元貢献を目指すヤクザの阿岐本組(アキモトグミ)は、組長の阿岐本(西田敏行)を含めて6人しかいない小さな組だった。その阿岐本組に仲のいい永神組組長(中尾彬)から、経営不振になっている仁徳京和学園高校の再建を押し付けられる。組のNo.2の日村誠司(西島秀俊)は、学校は大嫌いだったが、組長には逆らえない。早速、学園に理事として乗り込むと、そこには、ことなかれで物事に対応している校長の綾小路(生瀬勝久)がいた。綾小路の説明では、学園は、ほぼ問題がないとのことだったが、綾小路は、多くの窓ガラスが割られる事件を隠していた。そこで、日村は、子分の二之宮稔(伊藤淳史)や三橋健一(池田鉄洋)らを引き連れて、犯人探しをする。しかし、彼らが徹夜をして、捕まえた犯人たちの裏側には。。。


女:まあまあ、気楽に笑える仕上がりね!

男:原作は、今野敏の小説があり、酒井雅秋が脚本を書き、それを木村ひさしが監督した。
女:学校とは無縁と思われるヤクザが、崩壊している高校の建て直しをするという意外性を狙ったコメディなのよね。
男:ヤクザと暴力団の違いは、余り分からないけど。
女:それは、阿岐本組の掟3カ条に表されているわよ。
男: 1つ、カタギに手を出さない
   2つ、勝負は正々堂々
   3つ、出されたものは残さず食べる か。
女:3番目の、「出されたものは残さず食べる」は、笑いを取るためのものだけど。
男:窓ガラスを壊した犯人と思われていた、ちひろ(葵わかな)は、本当は犯人でないとか、父母会の代表:小日向泰造(光石研)の後ろには、強力な暴力団が付いているとか、まあ、良くある設定だったけど、笑える纏め方だ。
女:ここでは、どうしても西田敏行の演技の幅の広さに触れないといけないでしょう。
男:そうだね。
  西田敏行は、「釣りバカ日誌」シリーズの「浜ちゃん」のような、喜劇役者としての面と、この映画で組長として見せている強面の使い方は、見事だね。
女:こんな組長がいたら、さすがに対抗する暴力団も手を引く迫力は凄いものよ。
男:それに比べて、No.2の西島秀俊の方は、セリフではたびたび「怖い顔」をしていると言わせているけど、全然、怖くないのは、まだまだの俳優ってことか。
  状況に応じて、もっと、凄味が欲しいけどね。
女:話としては、カタギには、絶対手を出さないってことで、窓ガラスを割った高校生を殴らず、手下の佐野和真を代わりに殴るという設定は、活きていたわ。

男:今の家庭環境では得られない家族の感情が「組」の世界ではあるということも、少しは、監督が言いたいことなんだろうね。
女:エンド・ロールで西田敏行が、尾崎紀世彦で昔、はやった「また逢う日まで」を歌っているのは、明らかにこの映画の続編を作りますってことの前宣伝よね。
男:映画製作陣としては、続編が作れれば、興業的に楽だ。
女:セリフでも、次は温泉旅館とか聞こえたわ。
男:続編ができるかどうかは、この作品の興行収入如何にかかっている訳だけど、どんな結果になるかな。
  また、西田敏行も歳で、時々、体調が悪いようだし。
女:歳だとか、体の調子が悪いというと、あなたも同じよ。
  無理をしないで、このホームページを続けることね

男:あれっ、今日のきみは、随分と優しいことを言うね。
女:わたしは、いつも、やさしいでしょっ!
男:でも、それだと、なにか、気持ちが、わるい・・・
女:何か、言ったっ!
男:いや、何も・・・

西島秀俊が出ていた; 「空母いぶき」 (2019年)、「散り椿」 (2018年)
伊藤淳史が出ていた; 「ビリギャル」 (2015年)

 ハミングバード・プロジェクト  ~0.001秒の男たち~

あらすじ:時は、2011年のアメリカ。大手通信会社に勤めどうすれば通信時間を短縮できるかを研究していたヴィンセント・ザレスキ(ジェシー・アイゼンバーグ)は、シカゴの金融取引データ・センターがあるアメリカ中西部の都市:カンザス市から約1,600Km離れたニューヨーク証券取引所間を、最先端技術と光回線の使用により、現行の通信速度より0.001秒短縮できるアイデアを思い付き、これが上手くいけば、株の取引会社など多くの企業から多額の使用料が入る。そこで、出資者を募り、従兄の通信回路の研究者:アントン・ザレスキ(アレクサンダー・スカルスガルド)と共に、独立し、カンザスからニューヨークまで、一直線の光ケーブル用のトンネル敷設に取り組む。しかし、途中には、一万件以上の地主がおり、また、現代の文明機器の使用を強固に拒む保守的な宗教集団:アーミッシュの土地があったり、岩盤の固いアパラチア山脈もあり、予定の資金は不足する。さらに、元の会社の社長:エヴァ(サルマ・ハエック)は、アントンの技術は、企業機密で、これが他に流出するのは犯罪だと訴える。2年近く続く苦労が、いつの間にか、ヴィンセントの身を蝕み、また、無線通信を使った技術の進歩で、光回線は後れをとる。。。


壮大な夢も、実現までに時間がかかると、お金儲けには、繋がらない!

 脚本と監督は、キム・グエンとある。

 タイトルの「ハミングバード」は、ハチドリのことで、ハチドリは、ハチのように小さく、高速で羽ばたいて、花の蜜を吸う。

 0.001秒の短縮なんて意味ないと、馬鹿にはできない。
コンピューターと連動した通信速度の向上は、特に金融関係では重要な要素で、例えば株の売買なら、他の会社よりも数ミリ秒速くある株の情報が得られれば、売り買いで、莫大な利益がでるようになる。
 また映画「ステイング」の競馬情報のように、僅かな時間差を利用した騙しのテクニックもある。

 この映画「ハミングバード・プロジェクト」は、通信速度の短縮を実現するための話で、かなり実話を取り入れているようではある。

 しかし、監督:キム・グエンの主張は、どうも、ケーブル敷設や通信速度向上のプログラム開発の苦労話よりも、近代科学の進歩は、人間としての「幸福」には、繋がらないってことの方にあるようだ。

 というのは、最初は、ケーブル敷設に反対するだけのアーミッシュかと思っていたら、彼らが近代の製品や様式を受け入れないという生活態度の方が、精神が落ち着くとヴィンセントに言わせているからだ。

 だけど、私は、このアーミッシュについて余り知らなく、理解もないために、かなり分かり難い部分の精神論になった。

 最初は、金儲けをだけを目指していた青年が、死期が近いことを知って、お金や最新技術がすべてではないと悟るなんて話は、よくあることで、この程度の描き方では、安易な脚本だ。

 私としては、病魔に侵される事態よりも、沼を抜け、川底を走り、山脈を貫くケーブル用のトンネルをどのように掘って行ったのか、この方が壮大で、もっと詳細に描いてくれると、楽しめた。

 確かに、次のデータ転送は、ニュートリノを使ったものになるのかな。

 アーミッシュを扱った映画で思い出したのは、ハリソン・フォードが出ていた 「刑事ジョン・ブック 目撃者」。

 ジェシー・アイゼンバーグが出ていた; 「ソーシャル・ネットワーク」 (2011年)

 アド・アストラ

あらすじ:人類が宇宙のかなり遠くまで、行けるようになった時代。ロイ・マクブライト(ブラッド・ピット)は、優秀な宇宙飛行士として活躍していた。ロイが宇宙飛行士を目指したのは、16年前に地球外生命体を探しに行き、その後消息をたっている父親:H・クリフォード・マクブライト(トミー・リー・ジョーンズ)の影響だった。そんな時、時折宇宙から降り注ぐ強力な電流が様々な障害を起こし、発生源は、太陽系の彼方と突き止められ、その近辺には、ロイの父親が生きている可能性があった。さっそく、ロイの一隊は、発生現場に向かう。多くの困難を乗り越えて、やっと父親に会えたロイを待ち受けていたのは。。。


よくも、こんな、出来の悪い映画を、公開できたものだ!

監督は、ジェームズ・ブレイクで彼の監督作品の「エヴァの告白」は、観たことがある。脚本にもジェームズ・ブレイクは、イーサン・グロスと共に関わっている。

タイトルの「アド・アストラ」とは、ラテン語とかで日本語に訳すと「星を探して」とでもなり、かなりロマンチックな趣も含むが、この内容では、日本語にしなくて正解だ。

 チラシの父親を、「必ず、見つけ出す」に踊らされて、宇宙でどんな親子の愛情が描かれるのかと期待して観てしまったが、宇宙の果てにいる父親を見つけてそれが、どうしたのっていう、実に退屈な映画だった。

 出ている俳優がブラッド・ピットとあの顔の皺が自慢の(?)トミー・リー・ジョーンということもあり、つい映画館に足を運んだが、宇宙物という割には、現代では子供でも納得できないような重力や空気はどうなっているのかと科学的にもおかしな箇所ばかりで、映画人としての基本さえ、抑えていない知識の無さにも、驚く。

 例えば、月面での盗賊団とのカーチェイスが、地球上と同じとか、どこかの星では湖があって、泳いでいけるとか、宇宙船内でも拳銃をぶっ放すのかよとか、発射されている宇宙船に、なんでこんなに簡単に潜り込むことができるんだよかとか、何十年も宇宙船で一人で生きのびることのできる食料や燃料はどうなっているんだとか、その長い期間、髭の伸び方は、この程度なのかとか、とか、とか。全編に矛盾したシーンが、時々、眠気覚まし的に挿入されるが、ここまでひどい描き方では、また、眠気を誘う。

 そして、火星の地球人が暮らすセットも、どういう訳か、金の掛かっていない安物の長い壁では、観ていられない。

 退屈な中、父親探しのロイの無駄で長く続くセリフは、フランシス・フォード・コッポラの大失敗作の「地獄の黙示録」の特に眠たくなる後半のマーロン・ブランドが扮するカーツ大佐をマーティン・シーンがダラダラと追っていく映像と重なる。
あとで、この「アド・アストラ」関係の情報を読んだら、この監督には、「地獄の黙示録」の影響があるとのことだが、それなら、「地獄の黙示録」で評判が悪い、後半のカーツ大佐追跡部分でなく、前半の戦争に関する部分でいい影響を受けて欲しかった。

 それにしても、折角見つけた父親を、宇宙のごみにしてしまうとは、息子と父親の関係が薄すぎる。まったく、脚本は、どうなっているのか。

 あれや、これやと出来の悪い映画は、欠点が多く指摘できる。
本当に、無駄な時間を過ごしてしまった。

ジェームズ・ブレイク監督の; 「エヴァの告白」 (2014年)
近頃冴えないブラッド・ピットは、下の; 「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」 (2019年) 

 Once Upon A Time In Hollywood  ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

あらすじ:時は、1969年ごろのアメリカは、映画の都:ハリウッド。リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)は、テレビ番組の悪役で稼いでいるが、何とか映画にでて有名になりたかった。しかし、プロデューサー(アル・パチーノ)からは、もうアメリカでは映画には出られそうもないのでイタリアに行ってマカロニ・ウエスタンに出ろと持ちかけられ、すっかり落ち込んでいた。そんな弱気のリックを支えているのは、ずっと、リック専属のスタントマンをしてきた親友のクリフ・ブース(ブラッド・ピット)だった。クリフはベトナム戦争も経験していて、スタジオで大口をたたいていたブルース・リー(マイク・モー)も負かす程の腕前だった。そのリックの家の隣に、今最高に売り出し中の映画監督:ロマン・ポランスキー(ラファル・ザビエルチャ)と妻の女優:シャロン・テート(マーゴット・ロビー)が引っ越してきた。収入が減って来たリックは、イタリアに行きマカロニ・ウエスタンにでるが、もう、クリフを専属のスタントマンとして面倒をみることは難しかった。そんな二人が別れを惜しんでいる夜陰に、怪しげなヒッピー達が紛れ込み。。。


女:シャロン・テート事件を、こう扱うのねっ!

男:監督は、暴力シーンなどで、何かと話題の多いクエンティン・タランティーノで、彼の第9作目の映画ということだ。
女:実在していて、1969年8月におかしなカルト集団に殺害されたシャロン・テート事件を扱っているのね。
男:実際に殺されたシャロン・テートは、当時身ごもっていて、「お腹の赤ちゃんだけは、殺さないで」と懇願したが、カルト集団は、かえってナイフで何十回もシャロン・テートを刺したという残酷な事件だったことは、憶えている。
女:この映画でマーゴット・ロビーが演じているシャロン・テートも白いブーツに白いミニスカートとなかなか魅力的ね。
男:あの有名なシャロン・テート事件を映画の最後に持ってきて、その前に、レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットの共演があるという展開だ。
女:タイトルの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」というのは、日本流にいえば、「昔、昔、ハリウッドで、こんなことがありました・・・」ということね。
男:まだ、1969年の事件なら、昔のおとぎ話には、ならないと思うけど、映画界に生きているタランティーノ監督としては、ここらで記録に残したい題材だったようだ。
女:タランティーノ監督としては、この1969年代の再現には、街並みのセットから背景に流れる音楽、また日常的に放映されているテレビ番組も当時のものを多く映画に取り込んでいるわね。
男:私が知っている音楽としても、ポール・リヴィア & ザ・レイダーズ の「グッド・シング」、サイモン & ガーファンクルの「 ミセス・ロビンソン」、ホセ・フェリシアーノ の「夢のカリフォルニア」など、などで、本当にここまで沢山のものを使うとは、さすがに、タランティーノ監督だ。
女:音楽だけでなく、ブルース・リーなどのそっくりさんも多く集めたわね。
男:映画スターを目指すリックのライバルが、スティーブ・マックイーンで、スティーブ・マックイーンが男性雑誌の「プレイボーイ」で財を成したヒュー・ヘフナーの豪華マンションのパーティに出てくるのは、面白い。
女:そして、映画の「大脱走」では、スティーブ・マックイーンの場面をレオナルド・ディカプリオに入れ替えているほどの凝りようね。
男:当時の文化としては、「ヒッピー」の存在は欠かせない。
女:それら、1969年を取りまく環境は良く分かったけど、映画の出来としては、どうなの。
男:残念ながら、レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットという俳優が活きていないな。
  映画人のタランティーノとしては、俳優の裏方のスタントマンにも、スポット・ライトを当てて、俳優とスタントマンの絆も描きかったようだけど、その描写が長すぎる。
女:余分で退屈なものがかなり入っているということね。
男:そう、ヒッピーの村の盲目の老人やシャロン・テートが映画館でブーツを脱いでくつろいでいるシーンなどは、カットしていい。
女:上映時間が161分というのは、確かに、もっと纏めてもいい内容ね。
男:子役の女の子が役者魂を持っているというシーンは、タランティーノの映画俳優に対する思い入れだけど、良くある話で、子役を使ってまで主張するほどの事ではない。
女:実際に起きたシャロン・テート事件を上手く変えたのは、評価できるけど、これが、顔面がめり込んだり、全身まる焦げにするというのは、やりすぎね。
男:暴力シーンで売っているタランティーノとしては、どうしても、これは、入れたかったのだろうね。

  ベトナム戦争、ヒッピー、フラワー・チルドレン、そしてウッドストックの野外コンサート・・・か。アメリカだけでなく、日本にいる若者だった私も、何かをしなければいけないと思った時代だ。
女:そんな、紅顔の青年だったあなたも、今は、何も出来なかった、昔し、むかしを懐かしむだけの、平凡な白髪の老人になったってことね。
男:それは、きみにも言えることでしょうが。
女:いいえ、残念ながら、わたしは、永遠に歳をとりませんから。
男:えっ? もう、わけがわからないよ!

タランティーノ監督の; 「ヘイトフル・エイト」 (2016年) 、 「イングロリアス・バスターズ」  (2009年)
レオナルド・ディカプリオの; 「レヴェナント」 (2016年) 、 「ウルフ・オブ・ウォールストリート」 (2014年)
ブラッド・ピッットの; 「マネーボール」 (2011年)

 Dance With Me  ダンス・ウィズ・ミー

あらすじ:今は一流企業に勤め、都心のタワー・マンションに住んでいる鈴木静香(三吉彩花)だったが、小学生の頃、学芸会で伝統のあるミュージカルの主役に抜擢されたが、緊張のあまり一つも演技ができなかったことを未だに引きづっていた。今度、姪っ子が静香と同じようにミュージカルの主役になり、どうしたら緊張しなくなるかの相談を受け、安易な気持ちで遊園地にいた怪しい催眠術師:マーチン上田(宝田明)の術を姪に進め、自分は姪の側で見ていた。その翌日から、静香の体は、テレビから流れる曲、携帯電話の着信メロディーまたレストランのバンドが奏でる曲など、音楽が聞こえると体の動きを抑え切れず、所かまわず、自然と歌い踊りだすようになっていた。マーチン上田の催眠術にかかってしまったのだ。このままでは、仕事も、会社のイケメン:村上涼介(三浦貴大)との仲も上手くいかない。そこで、マーチン上田から催眠術を解いてもらうために、インチキ催眠術のサクラになっていてバイト料が未払の斉藤千絵(やしろ優)と共に、マーチン上田の居所調査を探偵の渡辺(ムロツヨシ)に依頼したら、マーチン上田は新潟にいることが分かった。早速、新潟に向かう静香と千絵だったが、すでにマーチン上田は、青森へ移動していた。もうお金がない二人は。。。


まったく、他愛のない、ミュージカルではない展開だ!

 監督と原作・脚本は、昔は評判の良かった「ウォーターボーイズ」、「スウィングガールズ」また「ハッピーフライト」の矢口史靖(やぐち しのぶ)だ。

 確かに、ミュージカルというのは、芸人のタモリも言い続けるように、普通の会話から、急に歌いだしたり、また、踊りだすという、日常から離れた不自然さがある分野ではある。

 だけど、日常の会話に音楽を入れるという舞台構成は、日本の歌舞伎の世界でも取り入れられている手法だし、セリフがメロディに乗れば、観客に与える印象も強くなる。

 ミュージカルとして肝心なのは、セリフの持つ感情、喜怒哀楽、愛の喜び・哀しさなどが適切なメロディに上手く乗っているかどうか、そして、感情表現が踊りとして体現されているかどうかということなのだ。

 それを、矢口史靖は分かっていない展開にした。
映画の大半を「旅」でのエピソードが占め、話の芯になるのが、愛情か人生の生き方かもかなり不明確なものだった。
また、単純に、お笑いとしてとらえるには、設定が出鱈目で酷すぎるのも残念。

 例えば、鈴木静香がいくら一流の会社のOLであっても、あの年齢では、普通、都内の湾岸にあるタワー・マンションの上階に住めるほどの給料はもらっていないはずだし、新潟、青森、函館そして札幌へと旅費を稼ぐのに、三吉彩花、やしろ優またCHAYの三人で歌うキャンディーズの「年下の男の子」がこの程度の歌唱力では、私なら、お金を投げ入れられない。

 「狙いうち」や「夢の中へ」、「ウェディング・ベル」など有名な曲の方が先にあって、その歌詞に合わせて、場面を作りましたでは、お粗末すぎる。

 ダンス・シーンに関しては、冒頭での、会社のプレゼンテーションで裁断された紙屑の使い方、レストランでのシャンデリアへのぶら下がり、テーブル・クロス引き、宙返りとこれはかなり魅せてくれるかと期待したが、あとは、まったく話にならないダンスばかり。
ミュージカルといえば「ウエスト・サイド・ストーリー」でのジェット団とシャーク団の有名な乱闘シーンがあり、この「ダンス・ウィズ・ミー」でも、田舎の不良団で、それを思わせるような展開があるが、取ってつけたような仲良しダンスでは、迫力がない。

 もう矢口史靖一人で、脚本から監督まですべてをまかなうことには、限界があるのではないか。
前作でも指摘したが、少しは、お金を使ってもいい監督になったようだから、異なったアイデアをもった人材と交流してはどうだ。

 それにしても、この映画で初めて三吉彩花なる女優を見たけど、この清々しさ、スタイルの良さ、物おじしない演技には、称賛の言葉を贈りたい。いままで、どこに埋もれていたのか。これからの活躍を大いに期待する。

 ミュージカルと言えば; 「レ・ミゼラブル」 、 「1789 ~バスティーユの恋人たち」 、 「屋根の上のヴァイオリン弾き」
 矢口史靖監督の; 「サバイバルファミリー」 (2017年)、 「Wood Job ~神去なあなあ日常」(かむさりなあなあにちじょう)」 (2014年) 
 

 

 アルキメデスの大戦

あらすじ:時は日本が、列強各国を相手に第二次世界大戦へ入って行こうとする頃。海軍内部では、これからの戦争は戦闘機が中心になると考えて航空母艦を建造すべきと主張する山本五十六海軍少将(舘ひろし)と、今までの戦闘で活躍している戦艦の能力をより高めた巨大な戦艦を建造すべきと主張する嶋田繁太郎海軍少将(橋爪功)が、次期予算獲得を巡って争っていた。互いに見積り書を出し合うが、嶋田海軍少将が押す巨大戦艦の見積りが、使用している鉄材の多さや装備にも関わらず、山本海軍少将の考える空母よりも低かった。この巨大戦艦建造の見積りにはどこかに誤りがあると気付いた山本は、数学の天才と呼ばれている22歳の元東京帝国大学数学科の櫂 直(かい ただし、菅田将暉)を急遽、少佐に任官して、2週間後の決定会議までに、巨大戦艦見積書の不備を調査させることにした。しかし、その戦艦の設計図や仕様の明細は国家機密として入手できない。そこで、櫂は、部下となった田中正二郎海軍少尉(柄本佑)と共に実際の戦艦を計測し推定値を得たが、人件費や建造日数までは分からなかった。しかし、決定会議は迫ってくる。。。


女:正しく、俳優:菅田将暉君のための映画ね!

男:監督と脚本は、「ALWAYS 三丁目の夕日」や「永遠の0(ゼロ)」の山崎貴(やまざき たかし)だ。
  原作は、三田紀房(みた のりふさ)の漫画があるようだ。
女:日本が第二次世界大戦で負けた8月に因んで、例年夏には戦争物が映画館でも上映されるのよね。
男:その多くの戦争映画では、戦争がもたらす悲惨さや残酷さ、命の尊さが取り上げられるけど、この「アルキメデスの大戦」では、戦闘のシーンは、冒頭の戦艦大和がアメリカ軍の猛攻を受けて沈没する約5分程度だけだ。
女:この冒頭の大和が沈没するまでの映像の迫力は物凄い出来栄えね。
男:攻撃を受けた大和の砲台がバランスを崩して、乗員が海中に落とされるシーンは、「タイタニック」以上の細かさで感心したよ。
女:海中に入って、もがく兵隊たちの手足の動きもまったく不自然さがなくて、流石に、VFXとCGのテクニックをここまで使いこなせる山崎貴監督は素晴らしいわね。
男:この大和沈没で、米軍側には撃ち落された自国のパイロットを救出するための水上飛行隊がいたとは、国力の違いと人道上の観点からもいい演出だ。
女:でも、特殊効果が目立つのは冒頭の大和沈没だけで、あとは、櫂たちが横須賀の港あたりから戦艦に乗り込むシーンにしても、どこかの浜辺という背景で、軍港の雰囲気が全然出ていないのは、手抜きね。
男:チラシにある「数学で戦争を止めようとした男の物語」に魅かれたけど、結局大和を造ることに賛成するという展開はいただけないな。
女:主人公の櫂が、数学はできても、政治や社会的なことにはまったく疎い子供だったという設定が、やっぱり漫画なのね。
男:若者としての櫂が、税金の無駄遣いを糾弾したり、軍隊は嫌いだなんて高尚なことを言っていながら、老練な田中泯が扮する造船中将に説得させられることが監督:山崎貴の主張ならもっと脚本を練るべきだな。
女:海軍上層部の対立での橋爪功や國村隼のセリフも、良くある設定から脱していないのも残念ね。
男:海軍大臣に小林克也を持ってきたのは、ミス・キャストだ。
女:映画での女性陣としては、浜辺美波がチョコっと出ているけど、この娘は、痩せすぎで元気が無いわね。
男:以前の写真を見ると浜辺美波は、もっとふっくらとしていたようだけど、この映画では、若さがない。
女:でもこの映画では、菅田将暉(すだ まさき)君の演技力は褒められる内容よ。
男:あまり真剣に菅田将暉を見たことがないけど、テレビの「3年A組 -今から皆さんは、人質です-」をちょっと見た時に、この俳優のセリフの上手さと演技に対する熱の入れ方には、かなり心が動かされた。
女:あの名優:田中泯さんと堂々と張り合えていたのはもう一流の俳優というお墨付きを与えるわよ。
男:菅田将暉の熱演もあるけど、脇役としての柄本佑(えもと たすく)の存在も触れたいね。
女:父親の柄本明と亡くなった母親:角替和枝、そして弟の柄本時生、妻は女優の安藤サクラという完全俳優の家族がもたらす影響力は、柄本佑の演技にも及んでいるのかしら。
男:田中泯や柄本佑などのいい脇役がいるから、主役の菅田将暉も活躍できるということだ。
  映画は、一人の主役だけでは完成できないという見本だね。
  
  それにしても、あの歳で、芸者遊びができたという設定にはあこがれるなぁ。
女;それは、あなたが言うように、漫画の世界だからよ。
  現実の世界では、若者は、芸者遊びなんてことに興味がないでしょう!

男:また、寝ている浜辺美波ちゃんの顔の寸法も測ってみたいなぁ。
女:もう、本当に8月の暑さのせいで、頭がおかしくなったようね。
  早く、水風呂に入って、頭を冷やしてきなさいっ!

山崎貴監督の; 「海賊と呼ばれた男」 (2016年)、 「寄生獣」 (2015年)、 「永遠の0」 (2013年)、 

 マーウェン

あらすじ:ニューヨーク州の田舎町に住むマーク・ホーガンキャンプ(スティーヴ・カレル)は、バーで飲んでいた時に女装の趣味がばれ、周りにいた5人の若者たちから暴行を受け、瀕死の状態となった。9日後、彼は意識を回復したが、脳には障害があり自分の過去をすっかり忘れ、リハビリを受けても、手先に痺れが残り、また暴行のトラウマに悩まされていた。そんな、マークの楽しみは、自宅の裏庭に教会やバーなどが細部にいたるまで丁寧に作り上げられたミニチュアの村「マーウェン」で、自分を第二次世界大戦下で活躍するホーギー大尉に扮させ、部下の5人の美女兵士と共にドイツのナチスと闘う小さな人形を作り、それを写真に撮ることだった。マークが撮った人形の表情や服装が良く出来ていて、背景も本物のようで、また物語性もあったので、彼の写真は徐々に近所の評判となり、写真展が開かれることになった。そんな時に、道を隔てた家にニコル(レスリー・マン )が引っ越してきた。優しい彼女に夢中になったマークは。。。


大人の人間が子供の頃遊んだ人形になっても、感心しない!

 監督は、ロバート・ゼメキスで、彼の代表作「バック・トゥ・ザ・フューチャー」をしのんで、タイム・トラベル自動車「デロリアン」も出てくる。

 この映画も真実の話があるようだ。

 まったく、この7月は学校の夏休みもあり、映画館も子供向けのアニメが中心で観たいと思わせる映画がない。
この「マーウェン」にしても、予告編を観た時から、人形が話したり動いたりで、お子様向け方と思ったが、家にいると暑くて冷房代がかさむので、避暑を兼ねて映画館に足を運ぶ。

 暴行を受けて過去を忘れ、また精神的にも障害がある”大人”が、”子供”の頃遊んだGIジョーなどの兵隊人形と、可愛いバービー人形を使ったおもちゃの世界で空想の物語を作り上げ遊ぶ心をどうとらえるか。

 子供の気持ちがそのままで”童話”の世界を描いたというなら、血のでかた、杭への刺され方などナチスの軍人の殺し方の残虐さは、もうこれは、ロバート・ゼメキス監督の個人的なナチスに対する”大人”として持っている執念の気持ちが強く出すぎていて感心できない。

 また、主人公:マークが女性のハイヒールを偏執的に愛しているのも、確かに気持ちが悪い。
女性の本質を理解するためという理屈は”大人”の男の病的な発想で、子供心を表わしていない。
(礼儀と法律を重んじる私としては、この映画のように主人公を殴るまでの行為はとらないが、殴られてもいい気持ちにはなるかも。)

 大人としての失恋を、作り上げたおもちゃの魔女人形のせいにするなんて、もう詰め方が甘すぎる。

 映画館の効き過ぎた冷房以上に、寒々しい気持ちで、映画館を後にした。

 でも、人形を演じている人間から顔の表情をここまで取り去ることのできるCGの技術は素晴らしい。
これなら、俳優はいらなくなる?

 最近活躍しているスティーヴ・カレルの; 「ビューティフル・ボーイ」 (2019年)、 「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」 (2018年)
 魔女役のダイアン・クルーガーの; 「イングロリアス・バスターズ」 (2009年)

 Diner ダイナー

あらすじ:今は亡きボスの命令で、得意の料理の腕を活かし殺し屋たちが集う要塞のような食堂「ダイナー」のシェフを任されているボンベロ(藤原竜也)も元は凄腕の殺し屋だった。「ダイナー」では、お客が気に入らなければ、すぐにウエイトレスを殺すので人手が足りず、そこへ自分を見失い、メキシコへ旅したい大場カナコ(玉城ティナ)が、馬鹿な話に騙され身売りされてきた。「ダイナー」に来る客は、筋肉自慢のブロ(武田真治)とか、子供風のキッド(本郷奏多)とか一癖も二癖もある暴力的な殺し屋ばかりだったが、顔だけでなく体中に傷跡があるスキン(窪田正孝)だけは、カナコに対しても紳士的であった。そんな「ダイナー」で、亡きボスの跡を決めるために、コフィ(奥田瑛二)、マリア(土屋アンナ)、無礼図(真矢みき)が集まり相談が始まったが、話はこじれて、互いに壮絶な殺し合いとなる。どうにか、勝ち残った無礼図は、事情を知っているボンベロもカナコも殺そうとするが。。。


監督:蜷川実花と藤原竜也を合わせるとこうなるのか!

 監督は、写真家から出発し、映画も「さくらん」や「ヘルタースケルター」も手掛けている蜷川実花(にながわ みか)で、蜷川実花の父親は、舞台演出家の蜷川幸雄。
その蜷川幸雄が見つけた逸材が今回主役の藤原竜也という構図を知っていれば、この映画鑑賞に少しは、役立つか。

 原作は、平山夢明の小説「DINER ダイナー」があり、これを元に、後藤ひろひと、杉山嘉一、そして、蜷川実花が脚本を書いた。

 予告編を観ても、筋らしい筋は無いことは分かっていたが、蜷川実花が得意とする赤い色と桜の花びらの使い方、そして藤原竜也がどうセリフをいうのかが気になり観た。

 で、その感想は?
正しく、蜷川実花ワールドが桜の花びらのように満開だ。

 まずは、冒頭の人混みでカナコを取りまく通行人が行き来する表現のユニークさ。
カナコの子供時代の過去が学芸会風で演じられるという面白さ。

 亡くなったボスは、蜷川幸雄でその肖像画が「DINER」に常に飾られ、シェフ役の藤原竜也を見守っているという発想も大いにうける。

 蜷川実花監督がその演出で基調とする「赤」を中心に据えた花々、かなり独創的で本当に食べても美味そうなスフレなどの料理メニュー、重要な役割を果たすデーバ・ウォッカのボトルのデザインの立派さ。
これらだけでなく、多くのものが、細部まで全て統一された流れのなかにあるのは、蜷川実花監督ならではである。

 過去に殺された数人のウエイトレス達が、額縁内で生きていて、動き回るというのも斬新さがある。

 「Diner」内での殺し合いのシーンでは、拳銃あり、剣もあり、またロケット砲まであるというはじけようは、原作がどうなっているのかは知らないが、もう監督が思うままを、これまでかというほどの熱量と丁寧さで描写したということは分かる。

 そして、今更、空中戦の殺し合いで、ワイヤー・アクションやスローモーションを多用すのかよっという突っ込みも入れられる。

 また、音楽としてドボルジャークの「新世界より」と「家路(遠き山に日は落ちて}」を選んだことも妥当で、違和感は無い。

 などなど、蜷川実花を堪能することはできたが、オオバカナコがメキシコに逃げ伸びて、また、ボンベロと再会できましたの終わり方は、今までのハチャメチャ感から逸脱したもので、これでは、もう一度、最初からこの映画を観ようという気持ちにはならなかった。

 なお、「DINER」の壁などの絵は横尾忠則が描いている。

蜷川実花監督の; 「ヘルタースケルター」 (2012年)
藤原竜也の; 「22年目の告白」 (2017年)

口が裂けたスキンの容貌で思い出したミュージカルの; 「笑う男」 (2019年)

 ゴールデン・リバー

あらすじ:時は、1850年頃の、ゴールド・ラッシュに湧くアメリカ。暴力をふるう父親のもとで育ったシスターズ家の兄弟の兄:イーライ(ジョン・C・ライリー)と弟のチャーリー(ホアキン・フェニックス)は、腕利きの殺し屋として、地元の有力者に雇われていた。その兄弟に、雇い主を裏切り、金を簡単に見つけられる化学式を発見し逃げているハーマン・カーミット・ウォーム(リズ・アーメッド)を追跡し、化学式を聞き出し、そして殺せという命令がきた。ウォームの情報は、先行して彼に接触している連絡係のジョン・モリス(ジェイク・ギレンホール)から、兄弟に届けられ、どうにか、二人はサンフランシスコに到着する。しかし、連絡係のジョンは、金で得た資金で理想郷を創るというウォームの話に感化されており、また、イーライとチャーリーも金があれば、雇われ殺し屋稼業から抜け出せることに気付いた。そこで、4人は仲間となり、砂金を目指し、ウォームが開発した化学薬品を使って川ざらいをするが、それは、劇薬で彼らの皮膚を侵し、ついに。。。


家族の絆は、簡単には切れない!?

 監督は、フランス人のジャック・オーディアールで、カナダ人のパトリック・デウィットの原作に基づいて、ジャックも、脚本に加わっている。
日本でのタイトルは「ゴールデン・リバー (黄金の川)」だけど、原題は、「The Sisters Brothers」 で訳すと「姉妹家の兄弟」となり、こちらのタイトルの方が面白い。

 フランス人の監督が、ハリウッドの俳優を使って作ったウェスタン(西部劇)ということで、話題性もあるようだけど、その描き方は・・・、ということだ。

 一応、西部劇ということで、拳銃を使ったシーンもあるが、基本は、兄のイーライと弟のチャーリーの関係が中心である。
そろそろ殺し屋稼業から脱して平凡な生活をしたい兄。
一方、裏の世界に残り、世間を牛耳りたい弟。
兄は、弟が望む世界では生きて行くことが難しいことを知っていて、忠告するが、弟は聞く耳を持たない。

 しかし、兄には、本来なら年上の自分が殺さなければならなかった暴力をふるう父親を、幼い弟が自分の代わりに殺したことに対する後悔があり、強くは言えない辛さ。

 この兄弟の関係が、映画を観ていると段々と分かってくる展開になっている。

 でも、映画としては、その前に、最初から画面が暗くて、誰が兄弟で誰が連絡係か俳優の区別がつかないという下手さがある。
物語の中心をなす俳優の区別は、最初から分かり易くしないと理解できない。

 物事の表現方法として、直接映像にして観客に示す方法と、さりげなく扱ってあとは、観客の想像力に任せるという方法もある。
そこで、この頃はまだ珍しかったらしい歯磨きのシーンは、度々見せるほどの効果もなく、一方、兄のイーライが時折取り出しているスカーフの存在は、多分、昔のイーライの恋人からの贈り物だと想像はできるが、どこかで、はっきりと映像として見せてもよかった。

 また、途中で出てくる女性のメイフィールドが仕切っている町での話は、意味がない。

 観客としては、例え、アメリカを扱った西部劇の監督がフランス人でも、またイタリア製のマカロニ・ウエスタンでも、訴える物や斬新さがあれば、いいわけで、片手を失った代わりに、強い家族の愛を得ましたとさ、めでたし、めでたし、の展開では、かなり主張の甘い映画だった。

ホアキン・フェニックスが出ていた; 「エヴァの告白」 (2014年) 、 「ザ・マスター」 (2013年)

 今日も嫌がらせ弁当

あらすじ:東京は、八丈島に住む持丸かおり(篠原涼子)は、数年前に夫を交通事故で亡くし、それ以来、菓子を作る小さなお店で働き、女手一つで、長女の若葉(松井玲奈)と次女の双葉(芳根京子)を苦労して育ててきた。若葉は、独立して家をでたが、高校生になった双葉は、凄い反抗期で、家にいても口も開かず、スマホでしか親子のやりとりがない状態だった。そんな双葉の態度に、かおりは嫌がらせとして、スギちゃんや小島よしおなどお笑いタレントをあしらったキャラクター弁当(キャラ弁)を持たせて、教室の話題をとらせていた。過労から、かおりの右手にマヒが起きても、双葉が卒業するまでの3年間、嫌がらせ弁当は続き、東京で就職が決まった双葉も母の愛情に気付き。。。


女:よくある話から、全然脱出していない演出をしたわね!

男:その監督は、塚本連平で、彼が、ブログにアップされた「嫌がらせのための弁当」をまとめた本からアイディアを得て、脚本も書いている。
女:塚本連平監督は、テレビ・ドラマは多く手掛けているようだけど、この脚本では、まったく、表面だけの内容ね。
男:基本的に、笑いに持って行きたいのか、母娘の愛情に焦点をあてるのか、はっきりとしなかった。
女:娘の部屋のふすまを壊して燃やしてしまい、焼き芋をつくるなんてところは、本当に笑えるけど、娘が弁当を投げつけたり、監督初心者が良く使いたがる雨のシーン、そして、病気ってもう、いままで他の映画に数多く採用されたやり方ばかりだったわ。
男:雨のシーンにしても、必然性があれば、それなりの効果はあるけど、この演出では、最初からどこかで無理やり雨を使うことが決まっていた感じで、全体と馴染まず、見ていると気色ばむね。
女:それにしても、折角、八丈島を舞台にしていながら、島の生活感が全然でていないというのは、呆れた発想よ。
男:八丈島の名産の「サブレ」や着物の「黄八丈」だけでない、島を取り巻く自然と暮らしの追及がなされていない。
女:篠原涼子が夜働いている、島の飲み屋での他の女友達とのおしゃべりには、セリフとしてもっと島が持っている古くからの付き合いとか、都会への憧れ感が欲しいわね。
男:また、島に留まっている長女が、どうして、アパートを借りてまで、母親と別に暮らしているのか、それも疑問だった。
女:キャラ弁の出来栄えは確かに凄くて、海苔の切り方にしても、作るのは大変で、ファンも付くというのは、分かるけどただそれだけでは、映画としては、残念な作品だわ。
男:途中で、2回も、もう終わりというテロップがあるけど、これも、不要だった。

  でも、久し振りにこの映画でもでてくる「タコ・ウインナー」は、食べたくなるね。
女:そんな、面倒な物はもう作る気はありませんから、食べたいなら、自分でどうぞ。
男:昔は、嫌がらせもあったのに、今は、もう、ああ・・・
女:何か言ったっ!
男:いいえ、何も・・・

 この映画では、平凡な扱いだった芳根京子が良かった;「累 (かさね)」 (2018年)
篠原涼子が出ていた; 「アンフェア the end」 (2015年)

 パピヨン

あらすじ:1931年のフランスは、パリ。暴力団のボスの命令で、金庫破りをしている、胸に蝶の入れ墨をしているので「パピヨン」と呼ばれている男(チャーリー・ハナム)は、ボスから頼まれて盗んだ宝石をくすねたために、ボスが仕組んだ殺人の罪をきせられて終身刑となり、南米はフランス領ギアナにある過酷さで知られる刑務所に送られる。当初から、脱獄を計画していたパピヨンは、同じ服役囚で国債偽造で捕まり、金を持っているドガ(ラミ・マレック)の身を守ることを条件に彼から逃亡資金を調達し船の手配などを考えていた。最初のパピヨンだけによる脱獄は、途中で失敗し、パピヨンは、2年間、声を出してはいけない独房に入れられるが、どうにか凌いだ。次の脱走計画には、パピヨンの他にドガなども加わり4人で小型の船を手に入れ、ドガは足を折ったものの、脱獄は成功する。しかし、逃亡先でシスターの密告により、捕まり、今度は、5年間の独房生活後、絶対脱獄ができない断崖絶壁に囲まれた「悪魔島」にパピヨンとドガは送られる。ここでも、脱獄に全てをかけるパビヨンだったが、足が不自由になったドガはもうパピヨンと一緒の逃亡は。。。


女:細かい点では、納得が出来ないけど、まあまあの緊迫感はあるわね!

男:元の映画は、1973年に、スティーブ・マックイーンがパピヨンを、ダスティン・ホフマンがドガを演じたのがあり、私も観ている。
  当時と同じ、「ローマの休日」で知られているダルトン・トランボの脚本を使っているそうだ。監督は、マイケル・ノアーだ。
女:もう45年以上も前にもなる昔の映画となると細かなことは、憶えていないけど、スティーブ・マックイーンがおくる独房での汚い生活は、なんとなく記憶にあるわ。
男:今回の映画のチラシでは、昨年(2018年)日本でも大当りした「ボヘミアン・ラプソディ」で、フレディ・マーキュリーを見事に演じたラミ・マレックがチャーリー・ハナムと共に使われていて、この映画のチラシを最初に見た時は、チャーリー・ハナムは、まるでスティーブ・マックイーンにそっくりで、CGを使って、今は亡くなったスティーブ・マックイーンとラミ・マレックが共演しているのかと思ったよ。
女:本当に、チャーリー・ハナムの顔立ちと肉体は、スティーブ・マックイーンによく似てるわね。
男:このリメイク版の映画は、ラミ・マレックとしては、「ボヘミアン・ラプソディ」よりも前に撮ったもので、配給会社は、「ボヘミアン・ラプソディ」の好評を受けて、公開したのかな。
女:脱獄にかける執念に男の友情を加えているけど、ラミ・マレックが出ていると、どうしても、「ボヘミアン・ラプソディ」でのゲイの傾向がチャーリー・ハナムとの間であるのかと思ったけど、それはないのね。
男:男しかいない刑務所では、昔から男同士の関係はあるのだけど、チャーリー・ハナムには、そんな趣味はなかったということか。
女:脱獄をするには、お金が必要ということは分かるけど、いつまで、お尻に入れておくことができるのかとか、ラミ・マレックが掛けている眼鏡が、何度も殴られても、壊れずにいるとか、もっと説明が欲しいわね。
男:上映時間の関係かも知れないけど、パピオンが過ごす2年間の独房生活の汚さと過酷さ、また肉体の衰えの表現が足りないね。
女:それ以上に、2回目の脱獄失敗では、今度は5年間の独房生活をおくることになったけど、その部分がカットされているのは、かなりの手抜きよ。
男:僅かな撮影期間では、筋肉モリモリのチャーリー・ハナムの肉体を衰えさすまでは、できなかったのだね。
女:本当に囚人生活を13年間もおくったアンリ・シャリエールが書いた自伝が基本になっているなら、もっと劇的に脚色をして、また、時間も133分という長い時間をかけない纏めかたもできたと思うわ。
男:だいたい、名作のリメイクしかできないという映画界の現状が寂しいね。

  でも、2年間、何もしゃべらずにいるという拷問には、きみは耐えられないね。
女:え、何か言ったッ!
男:いいえ、何も言っていません。
  おお、こわ・・・

ラミ・マレックが出ていた; 「ボヘミアン・ラプソディ」 (2018年)

 空母いぶき

あらすじ:日本が領土と主張している南の島「初島」が、東亜連邦によって占領され、海上保安庁の隊員が拘束された。総理大臣の垂水(佐藤浩市)は、航空機搭載護衛艦:いぶきやイージス艦も加えた艦隊を派遣する。いぶきの艦長の秋津竜太(西島秀俊)は、航空自衛隊出身のため、防衛大学の同期だが、海上自衛隊出身で副長の新波(にいなみ)歳也(佐々木蔵之介)とは、時々意見がぶつかることもあった。初島を目指すいぶきの艦隊に東亜連邦は、潜水艦や多くの戦闘機で戦闘を挑んでくる。日本がこれに応じれば、戦闘は国家間の戦争になる。犠牲者を出しながらも、国連に訴え「専守防衛」の枠内で解決策を探る日本は、どうなるか。。。


ボケ―と生きていると、チコちゃんに叱られるよ!

 原作は、かわぐち かいじ のコミックがあり、それを、伊藤和典と長谷川康夫が脚本し、監督は、テレビで活躍し、映画も「沈まぬ太陽」の若松節朗(わかまつ せつろう)だ。

 原作者のかわぐち かいじは、この映画の監修も務めている。
なお、タイトルでは、「空母いぶき」となっているが、「空母」では、他国への侵略攻撃が可能となるとの批判もあり、日本の政府は、空母と言わず、「航空機搭載型護衛艦」といっている。
しかし、世界では、いぶきは空母扱いされている。

 日本をとりまく現実の領土問題と憲法の自衛権を巡り「専守防衛」は、どうあるべきかが、総理大臣の考えと、実際に行動する自衛隊員を介して、描かれ、平和に浮かれている日本国民として、どう対応するかが問われる。

 現実に、今日(2019年5月31日)においても、尖閣諸島は中国領だと考えている中国政府により、尖閣諸島には、多くの中国籍の漁船が押し寄せ、中国の海警局の船がウロチョロし、日本にとっては領海侵犯にもなっている。

 相手がミサイル発射や戦闘機を使って本格的に攻撃を仕掛ける行動をしてきても、日本側としては、ギリギリまでそれらの攻撃をかわし、いかに戦争状態になるのかを避けることとなるが、自衛隊員には、多少の犠牲者はでるし、相手も被害を受ける。

 と、話が進み、でも、間一髪で戦争に突入することはさけることができました、めでたし、めでたし、ということです。

 話の展開が下手だ。
政府内での強硬派の大臣と慎重派の総理の対立。
いぶきでのパイロット上がりの艦長と海上自衛隊生え抜きの副長の確執。
一触即発までは行くが、回避される戦争。
戦争が目前に迫っているのに、クリスマスの売上を伸ばすことに熱心なコンビニの店長。

 これらって、みんな過去から多くの映画などで扱われたそのままの置き換えで、観ていても退屈です。
政府内での対立にしても、最後には、互いに戦争回避に力を尽くし合うし、いぶきでの艦長と副長の対立も最後には、互いに心は一つになりましたでは、よくあるパターンを踏襲しているだけだ。
偶然にいぶきに乗りあわせたことになっている記者の本田翼と小倉久寛の設定にしては、まったく、不要な付け足し。
新しいことは、日本の軍隊:自衛隊が現在所有している、実質空母やイージス艦の防御(攻撃?)能力がどの程度なのかが、映画の範囲ではあるが、分かる事です。
でも、多くの戦闘は、レーダー上でケリがつき、あまり金をかけていません。

 大体、他国の侵略に備えるだけの自衛力を持つという考え方は、相手が戦闘能力を高めれば、それに対応して、また自衛力も高める必要性があり、いつまでたっても終わりのない考え方です。
過去の幾度かの戦争によって亡くなった多くの命、破壊された文化財や再興にかけたエネルギー。
これらを真剣に考えると、戦争の悲惨さ、無駄さに人類は気が付いている筈です。
実際の戦争を経て学んだ、これらの教訓を生かし、二度と第二次世界大戦のような争いが起きないように、日本国民は進むべき道を見つけたはずです。
それが、憲法での「戦争の放棄」です。
求められているのは、軍事装備に力を注ぐのではなく、互いに国境を越えた見地に立って、行動をすることです。

 国家間の戦争がなくなることを祈っている、私としては、「専守防衛」とか、「自衛権」をいう前に、人類は、人種や国境を越えて、世界は一つで共存していく方向で、進んで欲しいと心から願います。

西島秀俊が出ている; 「散り椿」 (2018年)
佐々木蔵之介が出ている; 「空飛ぶタイヤ」 (2018年)
佐藤浩市と本田翼の; 「起終点駅~ターミナル」 (2015年)

 コンフィデンスマン JP 「ロマンス編」 (劇場版)

あらすじ:よく練られた話をでっちあげて、億円単位で人を騙しているダー子(長澤まさみ)は、香港からのニュースで、あまり人前にもでなくて人相も分からないが、大金持ちで暴力団とも繋がり、冷酷で「氷姫」と呼ばれるラン・リュウ(竹内結子)が持っていると言われている巨大で高額なパープル・ダイヤモンドを奪うことを次のターゲットにした。早速、仲間のリチャード(小日向文世)とボクちゃん(東出昌大)に声をかけ、新しくモナコ(織田梨沙)を加えて、一行は香港へ飛ぶ。しかし、そのパープル・ダイヤモンドを狙っていたのは、ダー子たちだけでなく、ダー子が以前付き合っていた同じ詐欺師のジェシー(三浦春馬)も、ダー子に騙されて怒っている日本のヤクザの赤星(江口洋介)からの命令で動いていた。ダー子たちは、どうにか、ラン・リュウに取り入ることができたが、ラン・リュウは、気難しくて、ダー子が持ちかける金儲けの作戦には乗ってこなかった。謎の多いラン・リュウの過去の、あるロマンスが鍵のようだ。。。


二転三転だけでなく、ここまで、ドンデン話が転がると、人間不信になる!?

 元は、2018年4月からフジ・テレビで、長澤まさみを中心に、小日向文世と東出昌大で、この映画版とおなじ大がかりな詐欺の話として連続して放映していたものを、映画化したものだ。

 テレビと同じように、脚本は、古沢良太で、監督は、田中 亮。
ちなみに、タイトルの「コンフィデンスマン Confidence Man 」とは、普通の詐欺師よりも、信頼(Confidence)を得ている詐欺師ということらしいが、私には、詐欺師の区別はつかない。
また、「JP」となっているのは、「Japan版」を意味し、このドラマは、他にも 「CN = China 中国版」、「KR =韓国版」もあるらしい。

 私も、テレビでは、第一話から観ていて、よく練られた映像に気持ちよく誤魔かされた一人だった。

 フジ・テレビは、「踊る大捜査線 The Movie」のように、放送で好評だと、映画にして、また儲けるという、ビジネス・モデルを作っていて、この作戦は、うなずける。

 しかし、私はこのテレビ版を気にかけてる女優の一人である長澤まさみが出ているので、毎週見ていたが、視聴率的には、最高でも、 9.5% というあまり好評とは言えない数字だった。でも、ハッチャケた長澤まさみの演技は評価している。

 そこで、この映画版の出来はだ。

 「ロマンス編」とあるように、謎の氷姫の恋愛と絡めて、長澤まさみのダー子が前に組んでいた三浦春馬との恋も絡めて、映像として見せられる話がどこまでが「真実」なのか、最後まではっきりしないのが、脚本:古沢良太の腕の見せ所で、これに騙される。

 香港での撮影ということで、今は亡きブルース・リーを偲んで、彼が着ていた黄色のジャンプ・スーツではしゃぐシーンや、ダー子と三浦春馬の思い出のニューヨークでは、「ゴースト~ニューヨークの幻」から取って来た「ろくろ回し」のシーンなど、小物も活きていて、クスッと笑えるのも憎い。

 途中、病院のシーンで、怪我の内容をあまり確認していない竹内結子には、かなり疑問を感じていたが、最後には、そうだったのかと、まあ、納得できる。

 騙しの映画では「スティング」があるけど、「スティング」と同様に、時間をかけて種を仕掛けられ、また、多くの人も使われると、さすがに、どんなに用心深い人でも、この映画のように騙される。

 確かに、人を騙し、金や財産を奪うことは、犯罪だけど、奪う相手がヤクザや悪人だと観ている方としては、一種の爽快感がある。
この感覚を、話の基本として貫いている脚本はいい。

 はじける長澤まさみと真剣な演技の長澤まさみは、今後、このシリーズの続編が作られても、持続していける。
冷たい美貌の竹内結子を配したのも、今回は成功している。

 ヤクザの江口洋介と長澤まさみと竹内結子の三つ巴で、拳銃を向け合うシーンでの撃ち合わない無駄さや、パープル・ダイヤモンド内にダー子のサインが入っていれば、早く気づけよ、といったり、無理やり桟橋の旗にダー子から江口洋介への手紙が結び付けられている不自然さなどは、あるが、面白く観られた映画だ。

 ちなみに、ジャッキー・チェンもどこかに出ていますし、エンド・ロールの後でも、長澤まさみが(この齢で?)アイドルに扮して、また次のターゲット(生瀬勝久?)を狙っているようです。

 長澤まさみの; 「マスカレード・ホテル」 (2019年)、 「海街diary」 (2015年)
 東出昌大の; 「聖(さとし)の青春」 (2016年)

 初恋~お父さん、チビがいなくなりました

あらすじ:東京の郊外の一軒家に住んで結婚50年を迎えた武井勝(藤竜也)と有喜子(倍賞千恵子)夫婦は、3人の子供たちを育て上げ、今は、捨て猫だった「チビ」と共に暮らしている。亭主関白を絵にかいたような勝は、時折、以前勤めていた会社へ、顧問として外出したり、趣味の将棋道場で時間を潰しているが、勝の食事や身の回りの世話をする有喜子の話にはまったく乗ってこず、いつも有喜子の話し相手は、猫のチビだけだった。夫婦で暮らしていても、互いの存在感がない寂しい生活に気が付いた有喜子は、時々家に戻る末娘の菜穂子(市川実日子)に勝と別れようと思っていることを話す。そんな時、飼っていたチビがいなくなり、ペットの探偵(佐藤流司)を雇ってまで探そうとする有喜子に勝は、チビはもう歳で死に場所を求めて出て行ったので、帰ってこないと、冷たく言う。ますます、互いの心が離れていく勝と有喜子。チビは戻ってくるのか。。。


女:観たからといって、それから先の話がない映画ね!

男:原作は、西 炯子(にし けいこ)の漫画があり、小林聖太郎(こばやし しょうたろう)が監督した。
女:まったく、とりとめのない、退屈な映画だったわね。
男:年齢が70歳前後と思われる男と連れ添った妻が、子供たちが巣立ったあとの、老後を夫婦としてどう生きるのかが描かれているかを期待したけど、まったく、平凡な話だった。
女:仕事に生きて、家庭のことは一切しない男性を、いまさら取り上げられても、そういうことが当たり前の時代を生きてきた、私たちには、別に特別な話でもないのよね。
男:また、取り上げた内容が、山田洋次監督の「家族はつらいよ」ににた熟年離婚いや老年離婚や思い違いによる誤解では、まったく、この監督としての「思い」と「勉強」の無さだけが、虚しく残る。
女:また、あなたがいつも言うように、脚本の段階での煮詰め、絞り込みもかなり甘いのよ。
男:そうだね。
  主点が、娘(市川実日子)から見た、高齢の両親の生活なのか、妻(倍賞千恵子)が感じる寂しさなのか、もっと絞ったものにしないから、観ていても意味が分からなくなる。
女:倍賞千恵子の恋敵的な存在だった星由里子が、歳をとっても、藤竜也と時々喫茶店で出会っているのも、どうして、会っているのか、この二人の間に未だに恋愛感情があるのかも不明でしょう。
  下手な、演出ね。

男:映画の雰囲気としては、最後に流れる笠置シヅ子の歌にあるように、戦後の駅のミルク・スタンドの混雑や見合い結婚なども取り上げているけど、そんな時代だったなぁというだけだね。
女:言葉には出さないけど、共に「初恋」で強い愛情がありましたでは、平凡すぎるわね。
男:日本の文化として、あまり強く愛情表現をしないというのは、当たり前だからね。
  それを、淡々と描きましたといえば聞こえがいいけど、何の才能もなく、描いたという方が正解だ。
女:でも、確かに、何もしない、あなたとこれから一緒に暮らす意味があるのかと、時々思うことはあるわね。
男:えっ、わたしは、口には出さないけど、きみだけを、心から愛しているよっ。
  これからは、家事もするから見捨てないで。
女:本当に、約束よっ。
男:まったく、変な映画を観たばかりに、おかしなことになってしまった。
女:何か、言った!
男:いや、なにも・・・・

似たような、山田洋次監督の; 「家族はつらいよ2」 (2017年) 、 「家族はつらいよ」 (2016年) 、「東京家族」 (2013年) 

 ビューティフル・ボーイ

あらすじ:フリーで音楽関係の記事を書いているデヴィッド・シェフ(スティーヴ・カレル)は、先妻:カレン(モーラ・ティアニー)との間にできた息子:ニック(ティモシー・シャラメ)が、自慢の種だった。青年のニックは、スポーツもでき、また成績も優秀で、二番目の妻:ヴィッキー(エイミー・ライアン)との間にできた義理の弟と妹にとっても良き兄で、家庭も父息子の関係も理想的だった。そんな、美しくて、可愛かったニックが軽い気持ちで始めたドラッグに溺れるとは、まったくデヴィッドには信じられないことだった。命に危険なドラッグを断ち切るというニックの言葉を信じてデヴィッドは何度も更正の手を差し伸べるが、ニックはより”ハイ”になるドラッグにはまり込んでいく。もうデヴィッドは父親として、息子を救うことができないのか。。。


薬物依存になると怖い、が退屈な映画!

 監督は、ベルギーのフェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲで、これが、アメリカ進出第1号の作品とか。

 話の基本は、あらすじにあるような流れだけど、息子のニックが幼くて可愛かった頃とか、青年時代の話とか、薬に溺れる現在の状況とかが、何度も行き来していて、実に面倒な編集方法。
また、先妻も時々絡んで登場するわで、このあたりの繋ぎ方が下手で、意味も不明となり、分かり難いのがまず指摘できる。

 どんなに出来の悪い子供でも、親にとっては、美しい(ビューティフル)もので、無邪気で、可愛いものである。
そうでなければ、誰も子供を育てようとしない。
そのように人間にも動物の本能としての遺伝子が作られているのを、今更映像化させられても、それは当たり前のことで、そうですねって感想で終わる。

 それにしても、父親がカウンセラーを受けたり、薬物依存者やその家族も集まって話し合うというアメリカ社会の特異性があったりというところの演出も、今ひとつ馴染めない。

 また、監督初心者が良く使う「雨」を、これまた無意味に入れるという定番から脱していない演出法の幼稚さ。

 反抗期を迎えるまでの子供は、みんなビューティフルなんだ。
それから先の成長してドラッグに手を出したりすることに対しては、親としてはもう見守ることしかできないということを言いたいのか、一度「薬」や「アルコール」に依存すると、更正するのは大変だと言いたいのか、焦点がぼやけ過ぎの、退屈な映画だった。

 でも、使用している音楽は、タイトルとなったジョン・レノンの「Beautiful Boy」や、ニール・ヤングの「Heart Of Gold」などと多いのは、驚き。
そして、 「屋根の上のヴァイオリン弾き」  からの「Sun Rise,Sun Set」は、場面にあっていたのは、褒めます。

 笑う男  (永遠の愛 The Eternal Love) ~ミュージカル~ (日生劇場)

あらすじ:17世紀のイングランド。見世物として、笑っている表情を出すために大きく口を切り裂かれた少年:グウィンプレン(浦井健治)と盲目の赤ん坊:デア(衛藤美彩)は、興行主のウルシュス(山口祐一郎)に拾われて、他の奇形な芸人たちと共に各地を巡り、成長していく。興行の評判を聞きつけた気紛れなジョシアナ女公爵(朝夏まなと)は、醜いが魅惑的なグウィンプレンを誘惑する。が、グウィンプレンの心の中には、幼い頃から側で暮らしてきたデアがいた。そんなグウィンプレンだったが、本当は貴族の跡取りであることが分かり、華麗な宮廷での生活が始まる。一方、ウルシュス達は、グウィンプレンが、牢獄で死んだという噂を聴き、心臓の弱いデアは、危篤状態になる。貴族の生活に馴染めないグウィンプレンが、見世物小屋に戻ってくるが。。。


斬新な演出は、面白い!

 原作は、「レ・ミゼラブル」のヴィクトル・ユゴーの「笑う男」があり、これを「マリー・アントワネット」も演出したロバート・ヨハンソンが脚本を書き、音楽:フランク・ワイルドホーンで、歌詞:ジャック・マーフィー、 日本版の翻訳・訳詞・演出は上田一豪という顔ぶれ。

 元は、韓国で舞台化されているミュージカルだ。

 原作となったヴィクトル・ユゴーの本は読んでいないが、ただ見世物にさせられるために口を切り裂かれた男とは、今なら絶対にあり得ない話で奇怪であり、またその子が誘拐された貴族の嫡男とは、さすがにヴィクトル・ユゴーの作品と感じる、実に奇想天外ですごい想定だ。

 冒頭の、嵐の中、船が出現するシーンから、演出が上手いと感心させられる。
舞台の小物のランタンの炎にしても本当の蝋燭のように点滅しているし、噴水からは絶え間なく水が流れるし、水面はうごめくなど、細かな点でも手を抜いていないので、観ていても安心できる。

 過去を話す時に、首のまわりに白い布を持ってきたのは、秀逸な出来栄えだ。

 舞台のかなり後方からでは、主演の浦井の口が裂けているのは、はっきりと見えないが、そんなことは気にしなくても話は伝わってくる。
ロックやマンボなども取り入れたメロディも、また日本語に乗っている歌詞も分かり易くて、一応ミュージカルとしては合格している。

 まだ、浦井健治一人の舞台としては、場が持てないほどの大がかりな展開だけど、これをもうベテラン中のベテランである、山口祐一郎や石川禅がしっかりと押さえていた。
いつまでも変わらない山口祐一郎の声量には、彼の日頃の精進さえ感じる。

 ジョシアナ公爵を演じた朝夏まなと もやや淫らな役どころを得て、伸び伸びとやっている。
太っているアン女王を演じた内田智子も照れずに特徴を活かしてよく演じた。

 デア役は、今回観た元乃木坂46の衛藤美彩と夢咲ねね のダブル・キャストだ。
衛藤美彩は、舞台の動きもまだまだぎこちなさがあり、(そこで、盲目の役を得たのか知れないが)歌い方も、これからの存在だった。

 丸くした議会など舞台構成の面白さもあるが、この「笑う男」では、特に衣裳の素晴らしさを特筆したい。
前田文子が担当とあるが、王族が纏う服の超豪華さと、デアが着ている清楚な白い服との取り合わせがいい。

 永遠の愛=Eternal Love は、どちらか一方が死なないと完遂しないとは残念だけど、これからの成長が期待できるミュージカルだ。

浦井健治が出ていた; 「ビッグ・フィッシュ」 (2017年)、「王家の紋章」 (2016年)
朝夏まなと が出ていた;「オン・ユアー・フィート!」 (2018年)、 「マイ・フェア・レディ」 (2018年)
山口祐一郎の; 「三銃士」 (2011年)、「レベッカ」 (2010年)
ロバート・ヨハンソンの演出なら; 「マリー・アントワネット」 (2018年)

 

 ライムライト ~音楽劇~ (シアタークリエ)

あらすじ:時は、1914年のイギリスは、ロンドン。かっては売れっ子のコメディアンだったカルヴェロ(石丸幹二)だったが、今は、人気もなく、歳をとり、酒に溺れ、大家のオルソップ夫人(保坂知寿)からは、毎日溜まった家賃の支払催促を受けていた。そんな、カルヴェロがいつものように酔ってアパートに戻ると、隣りの部屋でガス自殺をはかっていたテリー(実咲凜音)を見つけ、助けることになる。バレリーナを目指すテリーの自殺の理由は、彼女を舞台に立たせるために金銭の支援してくれている姉が街娼であることを知り、その精神的なショックで右足が動かなくなったことを悲観したものだった。しかし、カルヴェロの献身的な介護と彼が話す人生経験訓は、テリーの心と足を治し、また踊れるようになったテリーは、大きな劇場の舞台に立つことができた。成功を得たテリーは、カルヴェロに結婚を申し込むが、身の程をわきまえたカルヴェロは、テリーのもとから去っていく。それから、数年後、ロンドン中を探していたテリーは、やっとカルヴェロと再会でき、テリーの働きで、カルヴェロの再起を期した舞台公演が開かれる。しかし、もうカルヴェロには。。。


女:初老の男性にとっては、最高の贈り物ね!

男:原作となっているのは、喜劇王と言われるチャールズ・チャップリンが、1952年に製作し、日本でも公開された「ライムライト」という同名の映画がある。
女:舞台での物語の展開は、殆ど映画と同じようね。
男:私も、チャールズ・チャップリンのこの映画は、何となく観ていて、かなり曖昧だけど、あらすじは憶えている。
  それよりもこの映画で使われた、チャップリンが作曲した「テリーのテーマ(エタナリー)」は、良い曲で、フランク・チャックスフィールドなどイージー・リスニングの代表曲として、いろいろな楽団でも演奏されている。
女:今回の舞台も、2015年に石丸幹二が同じ役で演じたのを、すこし手直ししたとのことよ。
男:以前観た映画の「ライムライト」では、チャップリンのパントマイムの印象が強くて、また昔の白黒映画だったせいか、「無声映画」と記憶していた。
  でも、当時流行った主題曲があったということは、ちゃんとした「トーキー映画」だったんだと、おかしな記憶だよ。
女:ということは、あまり映画の出来としては、記憶に残るほどの作品ではなかったということね。
男:今回の舞台では、台本は大野裕之、演出は、荻田浩一、そして、編曲と音楽は荻野清子とある。
女:その音楽では、まず、シアタークリエの音響設備の悪いのが、一番の問題ね。
男:高音が割れていて、聴きづらかったな。
女:特に、ヴァイオリンの高音が割れるのは、演出家が劇場内にいて気が付かないとは、ひどいわよ。
男:ヴァイオリンやピアノなど4人編成のバンドが、舞台の奥の方にいる構成だったね。
女:狭い舞台を部屋にしたり、街灯で通りや楽屋にしたりする演出は、良かったわ。
男:自殺未遂をしたテリーの足が回復するまでが第一幕目で、休憩を挟んで、二幕目は、テリーの成功と別れたカルヴェロとの再会、また、若い音楽家:ネヴィル(矢崎広)とのもつれがあるけど、本当に一幕目は、退屈過ぎた。
女:映画の方は知らないけど、舞台版では、元コメディアンの石丸幹二と気の置けないアパートの家主の保坂知寿との会話のやり取りで、観客を引っ張ていくつもりだったようだけど、これが、完全に冷めたものになったわね。
男:チャップリンなら、当然に彼を有名にしたパントマイムがある訳だけど、この演出では、まったく面白くないし、また二人の会話も弾まず笑いにはなっていない。
女:でも、第二幕では、バレーもあるし、テリーのカルヴェロに対する愛、それを理解しながらも、カルヴェロが自分の年齢、二人の歳の差などから身を引く気持ちも上手く演じられていたわ。
男:テリーを演じた実咲凜音(みさき りおん)は、バレーの素養もあるようで、綺麗なダンスを見せている。
女:一幕目をもっと、コミカルな演出にしたら、これから石丸幹二が齢をとっても彼の代表作として演じられる作品になりそうね。
男:そうだね。もっと第一幕目ではしんみり感からはみ出した面を強調すべきだった。

  でも、若い娘に、真から惚れられる初老の男か!
  いいね! 生きる力が湧いてくるよ。
女:どうして、現実と作り物を混同しているのよ。
  歳をとったチャップリンが、男性の願望を映画にしただけでしょう。
  もっと、自分の境遇を素直に見れば、あり得ないことが分かるでしょうに。
  懲りないひとね!

男:でも、世の中には、一人ぐらい、若い娘が私の事を・・・
女:そんな、奇特な女性はいません!
男:そこまで、いうの・・・

石丸幹二が出ていた; 「GOLD-カミーユとロダン」 (2011年) 、 「エリザベート」 (2010年)
実咲凜音が出ていた; 「屋根の上のヴァイオリン弾き」 (2017年)

 運び屋

あらすじ:咲いているのが1日だけという珍しい百合:デイリリー(別名:ヘメロカリス)を育てるために、アメリカの各地を訪れ、得た知識を基に品種改良をし、デイリリー・コンテストで賞を獲ることだけが生きがいの、アール・ストーン(クリント・イーストウッド)は、コンテスト中心の生活で、娘(アリソン・イーストウッド)の結婚式にも出席しなかったので、90歳になった今では妻(ダイアン・ウィースト)や家族から縁を切られた状態だった。一時は好調だった花の栽培もネット販売に押されて、園芸農園は、差押えを受け閉めることになった、金のない彼に、「ある物」をメキシコ国境からアメリカの各地へ運ぶだけで、大金が入るという美味い話が飛び込んでくる。デイリリー研究でアメリカの道をよく知っているアールにしてみれば、物を運ぶことはたやすいことで、危ない物だとは知っていたが、貰う金額には勝てず、運ぶ回を重ねるうちに、最初は小型の物が段々と大きくなり、受け取る報酬も200万ドル以上にもなり、さすがにアールも運んでいる物は「麻薬」と分かった。一方、アメリカ麻薬取締局のコリン・ベイツ捜査官(ブラッドリー・クーパー)は必死に麻薬の搬送ルートを追っていて、一時は、アールと接触するが、まさかこんな高齢の老人が麻薬の運送人とは見破れなかった。しかし、決められたコースを外れ、マイペースで麻薬を運ぶアールを理解していたメキシコの麻薬王が殺され新しい監視役の眼がきびしくなり。。。


失ったものは、もう取り返さなくてもいい!

 監督と主演は、あの88歳になったという、クリント・イーストウッドで、確かに、年齢に相応しく、背中は、もう曲がっているし、歩き方もよぼよぼだ。

 しかし、この年齢でありながら映画製作にかける情熱は、スクリーンを介して、熱く伝わってくる。

 映画の元になっているのは、実話があるようで、麻薬捜査官たちもまさかかなり高齢の老人が、違法な麻薬を運んでいるとは見抜けずにいたとのことだ。

 話の作り方として、どうして、主人公の老人が、危険な麻薬とは知りながら、その運送に手を染めて行くことになったかの過程が上手くできている。

 自分が生活する金に困ったことは、その一因だけど、仲間の退役軍人たちのために何とかしたいとか、孫娘の教育資金を援助したいとか、自分の生活資金だけでなく、お金が持つ多くの誘惑が彼をいつまでも危険な「運び屋」にさせていたのが、よく分かる。

 その運び屋としての資質も、若い頃から百合の栽培の為に全米を旅していて、よく道を知っているとか、乱暴な麻薬団に接しても退役軍人であったので、恐れないとか、また、高齢者であることで経験してきた警官からの捜査からバレずに逃れる方法とか、の説明もあって納得できる。

 だけど、死んでいく妻に長時間寄り添ったり、仲違いをしていた娘と理解し合うという持って行き方は、ハッピー・エンドと家族愛でアメリカの一般観客受けを狙い過ぎた展開で面白くない。

 ここは、自分が大好きだった百合の栽培にのめり込み、そのために家族とも別れたが、危険な運び屋稼業がもたらす高揚感で歳をとっても、充実した人生だったと持って行く方が、いい。

 多くの高齢者が家族を失うことは、当然のことで、それは一時的には、寂しいが、その寂しさをいつまでも引きづっていては生きてはいない訳で、世の中には他に楽しいことが一杯あり、それを選んで生きている。

 クリント・イーストウッドなら、当たり前のことから脱した展開が欲しかった。

 クリント・イーストウッドのつまらなかった; 「15時17分、パリ行き」 (2018年)、
   まあ、まあの; 「ハドソン川の奇跡」 (2016年)、 「アメリカン・スナイパー」  (2015年)、「人生の特等席」 (2012年)、 「グラン・トリノ」 (2008年)
 この映画では活躍していない、ブラッドリー・クーパーの; 「アメリカン・ハッスル」 (2014年) 、 「世界にひとつのプレイブック」 (2013年)

 グリーンブック

あらすじ:時は、1962年のアメリカ。ニューヨークのギャングが経営しているナイトクラブの用心棒をしている腕っぷしが強いイタリヤ系移民のトニー・バレロンガ(ヴィゴ・モーテンセン)だったが、クラブが改装となり、仕事を失う。危ない仕事の紹介はあるが、家族を考えるとそれらには、のれない。ぶらぶらしているトニーに、ホワイト・ハウスでも演奏をしたことのある有名なアフリカ系黒人ピアニストのドクター・ドナルド・シャーリー(マハーシャラ・アリ)が、トリオを組み、まだまだ黒人差別が色濃く残るアメリカの中西部と南部を巡るコンサート・ツアーでの運転手募集の話があり、報酬もよかったので、トニーは、クリスマス・イブまでドナルド・シャーリーの運転手を引き受けた。苦労してピアノを学び、教養もあり上流階級の人たちとも接しているドナルドと無学で口先だけで生きてきたトニーでは、運転席と後部座席で度々口論となるが、トニーは、お構いなしだった。しかし、ドナルドが持つ優れたピアノの才能は、トニーにもすぐに分かった。上流の白人階級を対象にした南部のツアーは、いつも評判が良かったが、ピアノから離れたドナルドには、トイレの使用やレストランの入場禁止など厳しい黒人差別の現実があった。友人や家族関係から距離をおいた生活をしてきたドナルドだったが、黒人差別をする警官達からドナルドを守ってくれるトニーに対して、信頼感が生まれる。しかし、ツアーも終わりとなるアラバマ州バーミンガムで、ついに。。。


観終わっても、ほのぼの感がいつまでも残る!

 監督は、ピーター・ファレリーで、「メリーに首ったけ」がある。

 タイトルとなっている「グリーン・ブック」とは、黒人差別が酷い南部を旅する黒人のために、黒人でも泊まれるホテルなどが記載された「ガイド・ブック」のことで、黒人ミュージシャンであるドナルドの為に、彼のレコード会社が、トニーに渡した本のこと。

 今年の第91回アカデミー賞の「作品賞」を獲り、出演のマハーシャラ・アリは、「助演男優賞」を獲った映画だ。
また、脚本の、ニック・バレロンガ、ブライアン・ヘインズ・クリー、ピーター・ファレリーも賞を獲っている。

 映画の出来は、ほぼ脚本で、決まるという見本となる作品だ。

 通常なら、白人に仕える黒人運転手、教養のある白人と粗野な黒人という設定を逆にして笑いをとり、そこに、未だにアメリカ社会に残っている黒人差別批判をもってきたのが、上手い。

 最初は、教養や身分で余りにもギャップがあり、年中喧嘩をしている二人が、一緒に旅を続けている内に仲良くなるなんて話は、もう古典的な展開だ。

 しかし、その良くある話を、ちゃんと布石もよく配し、終わりには、きちんと回収する巧さがある。
例えば、用心棒のトニーが本当に拳銃をもっていたのかとか、警察に捕まって、ロバート・ケネディの名前を出したり、トニーの妻に書かれた手紙は、実はドナルドが添削していたことがばれているなどだ。

 そして、あらゆる白人が黒人差別をしているのではないことも、この映画ではフォローしている。
白人運転手のトニーもそうだが、最後の雪の道でパンクした車での警官の描き方も、しっかりとなされているのも立派。

 黒人でありながら、当時の有名な黒人歌手のチャック・ベリーやアレサ・フランクリンなどを知らないというのは、大いに笑えるし、ケンタッキー・フライド・チキンでの本物のカーネル・サンダースの味を堪能するくだりは、声をだして笑える。

 アメリカだけでなく、日本でも人気のあった黒人歌手:ナット・キング・コールがいくら有名になっても黒人として差別を受けたことが、ドナルドの南部ツアーの弾きがねになっていて、時が過ぎても、人種差別は解決されていないという寂しい現実だが、ユーモア溢れる出来栄えが、悲しい題材を観終わっても、ああ、気分の良い映画だと感じさせた。

 マハーシャラ・アリの; 「ムーン・ライト」 (2017年)
 どこか似ている; 「最強のふたり」 (フランス映画) (2012年)

 女王陛下のお気に入り

あらすじ:時は、18世紀初頭。イングランドは統一され、フランス・スペインと戦争をしていたが、女王となったアン(オリヴィア・コールマン)は、持病の痛風に悩まされ肥満で健康もすぐれず、政治は、アンの幼馴染みで、彼女のお気に入りの女官長:レディ・サラ(レイチェル・ワイズ)が仕切っていた。そんな宮廷に、貴族だった父親が賭けに負けて、身を落としたアビゲイル(エマ・ストーン)が、親戚関係にあるサラを頼り、召使として雇われることになった。アビゲイルには、落ちた身分を引き上げる野望があり、そのためには、アン女王のお気に入りになることが必要で、サラに隠れてアン女王の体に効く野草を獲ってきたり、女王に甘い言葉をささやき、召使から女王の侍女へと、その地位は上がり、サラと女王との間にあった寝室での性関係も、アビゲイルが取って代わるようになった。しかし、アビゲイルは、依然として宮廷で力をもつサラの存在が疎ましく、紅茶に毒を盛り、サラを殺そうとするが、その作戦は失敗する。次にアビゲイルが仕組んだサラ追放の企ては。。。


女:かなり、変わった感覚の映画だけど、感銘はしないわね!

男:アン女王を演じたオリヴィア・コールマンは、この映画で今年のアカデミーの主演女優賞をとったね。
女:女王であっても、普段の生活態度は、そこらのおばさんと変わりがないという点での演技が評価されたってことのようね。
男:アカデミーでの評価は、この映画の主人公は、オリヴィア・コールマンってことのようだけど、他に出ているサラ役のレイチェル・ワイズとアビゲイル役のエマ・ストーンもほぼ主役だった。
女:監督は、ギリシャからロンドンへきた、ヨルゴス・ランティモスとあるけど、この監督の「ロブスター」などは観てないわね。
男:アン女王には17人の子供がいたが、全員成年まで育たなかったとか、幼馴染のサラとは親しくしていたとか、かなり史実に基づいている部分があるけど、レスビアンのシーンや馬車での男の自慰行為など、ここまで描写が必要とは思えないね。
女:特に、宮廷での、ミカンだかを素っ裸の男性に投げてみんながふざけているシーンは、意味不明ね。
男:議会の野党の人間の関わり方や、娼館での貴族と娼婦とのありかたも、もう少しばかり説明が欲しいな。
女:でも、銃を撃つレイチェル・ワイズの男装は、かっこいいし、実に綺麗だったわ。
男:男装だけでなく、他の宮廷での衣裳などは、本当に良く出来ている。
女:それと、広角レンズを使った撮影方法も斬新よね。
  大きな画面の映画館では、特に曲がり角は強調されていたわ。

男:この映画でのエマ・ストーンは、「ラ・ラ・ランド」から随分と成長した演技だった。
女:監督:ヨルゴス・ランティモスの成果か、振り付け師の働きかは、分からないけど、宮廷での舞踏シーンは、今までの舞踏会とは違ったオリジナリティに溢れたものよ。

男:オリジナリティがあることは、この映画の最大の評価だね。
  最後に出てくる製作陣のアルファベットの並べ方も、枠などの表現で、芸術的だった。
女:でも、あのエンド・ロールは、読みにくかったわ。
男:侍女に足をもませるような待遇かぁ。
  羨ましいね。
女:あなたにとっては、それが、特に若い娘だったら、もう最高なんでしょう!
男:いっ、いや、いや、そんな贅沢は言いません。
  私は、筋肉痛なら、もう市販の湿布薬で十分です。
女:うそばっかり!!

エマ・ストーンが出ていた; 「ラ・ラ・ランド」 (2017年)、 「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」 (2015年)、 「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」 (2018年)
レイチェル・ワイズの; 「光をくれた人」 (2017年)

 七つの会議

あらすじ:大手メーカー:ゼノックスの子会社ながら、中堅のメーカーに育った東京建電では、今日も営業部恒例の朝礼が北川誠部長(香川照之)のもと進められていた。ノルマの達成ができず北川からいつも厳しく叱責され精神的に参っている営業二課長の原島(及川光博)に比べて営業一課長の坂戸(片岡愛之助)は、ノルマを達成し、北川部長の覚えも良かった。そんな、坂戸にも、先輩ながら碌に仕事をしない部下:八角(やすみ)民夫(野村萬斎)がおり、彼の扱いには手を焼いていて、ついに厳しく怒鳴りつけてしまう。この坂戸の行動を、八角はパワー・ハラスメントだと会社に訴える。多くの社員は、ダメなセールスマンである八角の訴えなんて取り上げられないと予想したが、なんと、坂戸は、パワハラで左遷され、華の営業一課の課長には、二課長だった原島に辞令が下りた。八角を部下にした原島だったが、相変わらずのんべんだらりと会社で過ごすことのできる八角には、何か秘密があると感じ、事務員の浜本優衣(朝倉あき)と共に八角の行動を隠れて探るとそこには、会社の大きな隠蔽が。。。


表面だけの、大げさな、漫画的な出来栄えだ!

 原作は、銀行員を描いた「半沢直樹」シリーズや「陸王」、「下町ロケット」など最近のテレビ・ドラマでも好評な池井戸潤。
これらを、TBSテレビで演出した福澤克雄が監督した。

 出だしの営業部の朝礼から、今の時代に、こんなに営業部長が怒鳴り散らすことが許される軍隊みたいな会社が存在しているのかよって気持ちになる。
そして、以前は優秀だったが、今はぐうたらなセールスマンとは、これまた、多くの作品で扱われる典型的な人物設定とは、まったく呆れる。

 私は原作を読んでいないので分からないが、池井戸潤って作家が、会社の実態を勉強していないのか、それとも、福澤克雄監督の趣向で表面だけを誇張する手法を採用したせいなのか、感想としては、実に大げさな映画だ。

 まあ、俳優として狂言の野村萬斎と役作りに熱心な香川照之が対決するとなれば、観る前からこれは、セリフも演技も只者ではないことは予想できたが、ここまで現実離れになるとは、思わなかった。

 香川照之の顔芸を含めてテンションの強さは、いつも以上だし、ぐーたらなセールスマンには到底なりきれない野村萬斎のセリフと演技では、戸惑うばかりだ。

 それに輪をかける「御前会議」などの物々しく大きなセットの非現実感は、一体この監督:福澤克雄は何を言いたくて、この映画を作ったのか、多くの疑問符ばかりが、脳に浮かぶ。

 映画の最後で、野村萬斎に日本人の会社に注ぐ忠誠心や良心そして正義感を延々と述べさせているが、結局リコールが隠されてしまっては、白々しくて、これまでの物語の展開に似合わない。

 最近の映画界では、下で評論している 「マスカレード・ホテル」 のように、有名な俳優を揃えるのが流行っているようで、この映画でも、他に北大路欣也、橋爪功、鹿賀丈史など、また女優では、土屋太鳳、吉田羊などが、ちょこっとばかり出ているが、こんな程度で出演するならまったく、不要だ。

 どこに「七つの会議」があったかも分からず、もう一度、浜本優衣役を演じた朝倉あきを探偵にして物語を再構築した方が、楽しめる。

池井戸潤が原作の; 「空飛ぶタイヤ」 (2018年)

 メリー・ポピンズ リターンズ

あらすじ:世界中が不況となった1930年頃のロンドンに住むマイケル・バンクス(ベン・ウィショー)は、銀行の臨時雇であったが、1年前に妻に先立たれ、3人の子供を抱えた生活は厳しく、さらに融資の返済期限が迫っていた。そんな折、子供が上げた凧に乗って、マイケルがまだ子供の頃の教育係で魔法を使えるメリー・ポピンズ(エミリー・ブラント)が歳をとらずに、バンクス家に戻って来た。お金のことを心配する子供たちに、メリー・ポピンズは、魔法を使って、海中遊泳やメリー・ゴーランドの世界を楽しませるが、マイケルが保有している銀行株の証明書が無いと、家が担保に取られる金曜日の24時が迫って来た。どうしても、バンクスの家が欲しいミスター・ウィルキンズ(コリン・ファース)との闘いの結末は。。。


女:どう頑張っても、2作目は、オリジナルには叶わないのね!

男:「メリー・ポピンズ」か。
  懐かしい響きをもった映画だね。私も若い頃に、ジュリー・アンドリュースが扮したメリー・ポピンズの映画を観ている。
  ジュリー・アンドリュースが、大きな傘を広げて、空から舞い降りてくるシーンが、今でも眼に浮かぶよ。
女:そうでしょうね。それは、もう、50年以上も昔の、あなたも若かった、昭和40年の1965年だったのよ。
男:その名作が、時代設定とジュリー・アンドリュースからエミリー・ブラントへと主役を代えて、戻って来たということか。
女:監督は、「パイレーツ・オブ・カリビアン 生命(いのち)の泉」や「シカゴ」のロブ・マーシャルね。
男:メリー・ポピンズが以前、躾を教えていた子供のマイケルが今は3人の子供をもつ父親として成長し、借金の返済と子育ての苦労をしているのを見かねて、また、メリー・ポピンズが登場ってところだ。
女:製作のディズニーとしては、以前この「メリー・ポピンズ」を観た大人たちに対して、大人となっても子供の時に抱いた夢やワクワク感を忘れずに、また、この映画を観て欲しいって気持ちなのよね。
男:しかし、前の「メリー・ポピンズ」は、歌の上手いジュリー・アンドリュースが歌って流行った「チム・チム・チェリー」や長い不思議な魔法の言葉「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」もあり、印象が強い。
女:舌を噛みそうに長い「スーパーカリフラジリス・・・」を未だに憶えているとは、あなたの記憶力もまだまだ、衰えていないわね。
男:他にも、ハトに餌を与えるときの歌「2ペンスを鳩に」では、英語の「2ペンス」が、「タペンス Tuppence」ということも勉強した。
女:ジュリー・アンドリュースの相棒で大道芸人を演じた、ディック・ヴァン・ダイクは、この映画でも銀行の頭取役で最後に出てきたわ。
男:以前の大道芸人を今度はガス灯係に変更して、リン=マヌエル・ミランダが演じている。
女:当然、ミュージカル映画と謳っているからには、歌と踊りが売り物にならなければいけないけど、歌も踊りもまったくインパクトが無いのよね。
男:今度の歌は、マーク・シェイマンとスコット・ウィットマンが担当したが、印象に残らない平凡な出来だ。
女:話の方も、50年前だと受けたかも知れない、バスタブからの海中遊泳や壊れた容器に入る程度では、今の子供でもあまり気分ウキウキと楽しめないわね。
男:メリル・ストリープが出てきた時の上下が逆になるシーンは、大型画面だと、酔いそうだったけど、このシーンは、よく分からない。
女:50年前の「メリー・ポピンズ」は、アニメと実写を合体させた上に、歌の出来と困難に向かって頑張る話が、世間でも受けたのよ。
男:そうだね。
  新しい「メリー・ポピンズ」では、基本となる「時間を遅らす」という話が練られていないのが、残念だ。
  不可能のない魔法を使えるメリー・ポピンズなら、時計台の針を5分遅らすなんて、無理に時計台によじ登ることはしなくても、チョチョイトで、できるよね。
女:前作とほぼ同じ設定では、もう大人になった人たちからは、この程度では、満足されないということね。
男:大人になるということは、多くの映画を観てきた訳だから、少々の出来上がりでは納得しない。
女:そうよね。
  でも、大人になるってどうゆうことかしら・・・

男:それは、ウーン・・・

エミリー・ブラントとメリル・ストリープの; 「プラダを着た悪魔」 (2006年)

 マスカレード・ホテル

あらすじ:都内で3件の殺人事件が発生した。その現場には、いずれも、連続した不可解な数字の羅列が残されていた。そこで、警視庁は同一犯による殺人事件として捜査を始めた。苦労して、事件現場に残された数字は次の殺人場所を示す緯度と経度であることをつきとめ、次の殺人事件は、ホテル・コルテシア東京でおきる可能性から、推理は鋭いが身勝手な行動をとる新田浩介(木村拓哉)を始めとした刑事たちはホテルの従業員に扮装して事件に備えた。フロント担当となった新田だったが、同じくフロントに立ち、ホテルを心底から愛している山岸尚美(長澤まさみ)とは、言葉使いや、お辞儀の仕方などで度々衝突をする。難癖をつけて部屋替えを迫る客、恐喝まがいの客、愛人との逢引きに利用する客、霊感が鋭い眼の不自由な客など、疑えばみんな犯人になりそうな人物ばかりだった。果たして、仮面(マスカレード)を被ったお客様の素顔を見つけられるのか。。。


長澤の笑顔満開だけでは、長くは観てられない!

 原作は、東野圭吾で、これを、「HERO」などで木村拓哉との関係も深い鈴木雅之が監督をし、脚本は、岡田道尚だ。

 それにしても、単純な話ばかりである。
まず、真犯人を見つけるミステリー仕立てが、原作にはあるようだけど、この映画では、謎解きの部分に観客は頭を使う必要はまったくない。
肝心の殺人予告としてヒントになる数字の羅列は、映画を観れば、もう既に解読されているし、最後まで、松たか子が、自分勝手な逆恨みで、どうしてこんな複雑な殺人を計画したのかは、特に分からなくてもいいと、監督:鈴木雅之は、見事に、雑な演出をしてくれた。

 観終われば、濱田岳や高嶋政宏、笹野高史、生瀬勝久など、有名な俳優に1つ1つのエピソードを演じさせているだけで、また、その内容も、クレーム、逢引き、傲慢、恨みと、どこか、別の映画でも取り上げられたもので、目新しい扱いがなくて退屈だ。

 いつも上から目線で人間に接している刑事が、客商売の最前線であり、知的さも要求されるサービスが売り物のホテルのフロントマンになったら、どうなりますかという、意外性も狙っているけど、木村拓哉では、落差もなくて笑いがこない。

 それにしても、一流ホテルにしては、ロビーが騒然とし過ぎで、これは、狭い舞台なら止むを得ない装置かも知れないが、映画なら、もっと空間をとったりして、贅沢感も欲しいが、そこまで監督:鈴木雅之は気が回らなかったようだ。
 また、ホテルの備品の文鎮が小細工として、重要な物になるのだけど、どうして木村が気付いたのか演出が下手でパスされている。

 さらに、小日向文世が、木村の捜査の以前の仲間役で出ているが、スケジュールの関係からか、変な絡みしかないのは、残念。

 可愛い愛人役の橋本マナミとちょっとだけのシーンでも凄い存在感を示す菜々緒が、観れたのは、良かった?

 エンド・ロールで分かったが、明石家さんまも、どこかに出ているらしいが全然分からなかった。

 木村拓哉の; 「検察側の罪人」 (2018年)、 「HERO」 (2015年) 、 「武士の一分」 (2006年)
 長澤まさみの; 「アイ アム ア ヒーロー 」 (2016年)
 松たか子の; 「来る」 (2018年)、  「小さいおうち」 (2013年)、 「告白」 (2010年)、 「隠し剣 鬼の爪」 (2004年)

 ホテルが舞台の; 「マリーゴールド・ホテル」 (2016年)、 「グランド・ブダペスト・ホテル」 (2014年)
              「The 有頂天ホテル」 (2006年)

 蜘蛛の巣を払う女

あらすじ:スウェーデンのストックホルムに、背中にドラゴンの入れ墨をし、優れたハッカーの才能を使い、男性有名人から虐げられた女性を人知れず救っているリスベット・サランデル(クレア・フォイ)がいた。彼女の過去には、忌まわしい性癖を持つ父親から逃れ、その際に双子の妹を残してきたという悲しい記憶がいつもあった。そんなリスベットの才能を見込んで、アメリカ国家安全保障局で開発した核攻撃プログラムを盗み取る依頼がきた。苦労はしたが、どうにかその核攻撃プログラムを手に入れたリスベットだったが、そのプログラムを横取りしようと蜘蛛の入れ墨をした謎の組織に狙われる。なんと、その謎の組織は、16年前に生き別れた双子の妹:カミラ(シルヴィア・フークス)が率いていたのだ。双子でありながら、悲しい定めによって、綺麗な雪の中で争う二人は。。。


女:雑な出来ね!

女:それにしても、あなたがこの「映画・演劇 評論」のサイトを更新していないので、心配してるって連絡があったわよ。
男:そうか。
  更新が少ないのは、例年のことになるけど、私が運営している別のサイト 「目指せ!マンション管理士・管理業務主任者」 で、年末に、国家資格のマンション管理士と管理業務主任者の試験があり、その2つの試験問題を載せたり、また、試験問題を1問、1問と全50問、合わせて合計100問の根拠となる法律の条文などを明らかにして丁寧に解説しているんだ。その作業に、年末・年始の殆どの時間をとられているからだよ。
女:そこまでしても、全然お金にならないのに、よくやるわね。
男:そのサイトを利用して、合格しました、ありがとうございます、という便りが、励みになるけどね。

 それは、おいといて、この映画の原作は、スウェーデンで、「ドラゴン・タトゥーの女」などを書いたスティーグ・ラーソンのあとを受けて、ダヴィド・ ラーゲルクランツが書いた本だね。
  それを、フェデ・アルバレスが監督した。
女:ダニエル・クレイグが出ていた「ドラゴン・タトゥーの女」は、前に観たわよ。
男:この「蜘蛛の巣を払う女」での、主人公:リスベットの設定も、背中のドラゴン(竜)やコンピューター世界でのハッカーの才能、またバイクに良く乗るなど、以前と同じだ。
女:どうして、タイトルが「蜘蛛の巣」になっているかと思ったら蜘蛛の巣は、英語でいえば、「WEB」 でこれは、ネット・ワークの「WEB」の元になった言葉なのよね。
男:鋭い指摘だな。
  英語のタイトルは、「The Girl in the Spider's Web」とあるから、訳すと「蜘蛛の巣の中の娘」とでもなるか。
女:殆ど蜘蛛が出てこないのに、「蜘蛛の巣」をタイトルにしたのは、もう私たちの生活は、インターネットでの情報網のWEBにすっかり閉じ込められて、そこから、出られなくなったということなのかしら。
男:この映画だけでなく、GPSを使った位置の確認、顔認識ソフトや個人検索など、コンピューターのAI(人工知能)とネットワークの利用はもう多くの映画つくりでも、欠かせない手法だ。
女:だからと言って、面倒な話となると、コンピューターを持ってきてすぐに、解決するというのは、手を抜き過ぎよ。
男:そのためには、脚本の段階で、ちゃんと辻褄のあうように仕上げていなければならないのに、この映画では、それができなかった。
女:始めの方に出てくる性癖が淫らな父親からリスベットが逃げるシーンから、納得のいかないものを感じたのよ。
男:そうだね。
  幼い子が雪の中を逃げるのを、追いかけもしない父親の不自然さだね。大人なら雪の上についた足跡をたどれば、すぐに子供に追いつく。
女:リスベットが住んでいた倉庫でも、頑丈な部屋が不自然に、そして突然に、現れるし、男の子と隠れた壊れかけたドームの建物も、いつの間にか、厳重な監視装置があるとか、適当な場面が多いのよ。
男:また、登場人物の設定も充分でなかった。
  雑誌の編集者とその愛人との関係は、いらない。
女:アメリカからきたコンピューター・オタクが、これまた、凄い狙撃手で、壁を通しても、100発100中で敵を殺せるとは、もう意外性を超えて、アングリね。
男:他にも説明が必要な箇所としては、爆破されてバス・タブに逃れるシーンや、敵に薬を注射されて、意識が朦朧とした時、別の薬を飲むシーンなど、作りの粗さは、枚挙にいとまないな。
女:リスベットと妹が最後に向き合う崖の上での退屈なセリフから、争いの原因は、妹の姉に対する恨みと分かるけど、これが主題なら、もっと前もってそれなりの話の展開が必要よね。
男:リスベットが妹の追跡から逃れた、橋の中央部が上にあがるシーンは、脇の塔にある梯子を使えばまだ追っていけるのに、見ているだけとは、もう単なる観光映画だった。
女:そう、この映画の良い点は、美しい雪世界の、冬のスウェーデンを知るには、良かったことよ。
  そうだ、次の海外旅行は、スウェーデンや北欧に行きましょうよ。

男:そういう話になると、きみは、急に元気になるね。
  でも、北欧は、遠いし、お金もかかるし・・・
女:お金は、墓場には持って行けないのよ。
  生きている内に使わなければ、意味がないでしょう!

男:でもすぐに死ぬわけでもないし・・・
女:何か、言った!
男:いや、何も・・・

前作: 「ドラゴン・タトゥーの女」 (2012年)











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