2018年の映画・演劇 評論

 オン・ユア・フィート! (ミュージカル) シアタークリエ

あらすじ:家族で革命が起きたキューバからアメリカのマイアミに逃れてきたグロリア(朝夏まなと)は、歌うことが大好きな17歳の娘だった。ベトナム戦争で傷つき体が動かなくなった父親の看護と妹の面倒をみる日々であったが、グロリアをよく理解してくれている祖母:コンスエロ(久野綾希子)の勧めもあり、地元でエミリオ・エステファン(渡辺大輔)がやっているラテン・バンドに加わるが、母親:グロリア・ファハルド(一路真輝)は、ミュージシャンという不安定な生活には、大反対だった。バンドはメジャー・デビューを目指し、レコード会社へ売り込むがなかなか目が出なかった。しかし、1985年に出した「コンガ」が、大ヒットとなり、全米ツアーも成功するが、母親との仲は離れていくばかりだった。そんなある日、グロリアは事故に会い、脊髄を損傷し、もう人前に立つ気持ちを失う。。。


話が実に平凡、アメリカ文化がこなされていない!

 オリジナルはアメリカのブロードウェイでも上演されたミュージカルで、脚本: アレクサンダー・ディネラリスが、実在のミュージシャンのグロリア・エステファンとマイアミ・サウンド・マシーンの半生を描き、舞台で使われている曲は、そのグロリア・エステファン とエミリオ・エステファンが担当している。
 これを、日本では上田一豪(うえだ いっこう)が翻訳・訳詞・演出をし、ダンスの振り付けは、TAKAHIRO ・ 藤林美沙・ 金光進陪とある。

 この舞台についてはまったく事前の知識を持たないが、チラシに載っているグロリア・エステファンの名前を見て、音楽に詳しい(?)私は、あれっグロリア・エステファンってどこかで聞いたことのある名前だと思っており、この舞台上で以前ヒットした懐かしい曲「コンガ」を聴いて明確に思い出した。

 確かに、1990年頃にグロリア・エステファンって女性歌手がいて、キューバン・ラテンのリズムに乗った「コンガ」は日本でもかなり流行っていた。

 それはさておき、舞台に話をもどすと、タイトルとなっている「オン・ユア・フィート On Your Feet」は、日本語なら「さあ、立ち上がれ」とでもなるか。
タイトルにするなら、多分、グロリア・エステファンが歌っていた曲にこれか、これに近いのがあるだろうと思って調べると案の定「Get On Your Feet」という曲があった。この曲を私は知らない。

 特に歌手でなくても人の人生って、私の人生を含めて、高齢になり振り返ると、よくここまで生きてきたものだと感心するほど、みんな「波瀾万丈」だ。
その波瀾万丈の人生から、舞台に取り上げるなら、盛り上がりを作り上げ、また感動を与えそうな内容を取り出すことが、求められる。

 しかし、この仕上がりでは、よくある苦労話と成功、そして病気の克服でなんの変哲もない構成だ。
また、恋人であるグロリアとエミリオの退屈な愛情交換と諍い。グロリアの母親の支配力などの伝え方が下手だ。

 この程度では、今までのミュージシャンの半生を描いた舞台や映画と比べても、見劣りが激しい。

 アメリカでは、このような恋人同士の他愛のない愛情表現と行き違い、母親の行き過ぎた家族愛も受け入れられるかも知れないが、ここは、日本だという翻訳ができていない。
多分、キューバからの難民ということで、英語が堪能でないことによる笑いが、オリジナルの舞台ではあったと思われるが、それが、たどたどしい日本語では、まったく伝わらない。

 ミュージカルと謳っていて、確かに音楽は多いし、踊りもあるが、特に優れたメロディもなく、観終わってみると、やけに音量が大きすぎて、鼓膜が痛いだけで、踊りにしても、どこかのダンス大会で見たような程度の手足の廻し方で、レベルが低い。

 歌と踊りができて、宝塚出身なら、最低でも元のファンをいくらか観客に見込めるので、朝夏まなとを主役に持ってきたようだが、まだまだ、セリフ回しと演技力を身につけないと、大きく羽ばたくのは難しい。

ミュージシャンの半生なら; 「ボヘミアン・ラプソディ」 (2018年)
舞台ならキャロル・キングを上手く取り上げた; 「Beautiful」 (2017年)

 来る

あらすじ:今は、都会のマンション団地に住む、田舎育ちの田原秀樹(妻夫木聡)には、妻:香奈(黒木華)と産まれたばかりの一人娘の知紗がおり、秀樹が更新する「育メン・パパ」のブログは好評で、家族の生活は円満だった。しかし、秀樹の脳裏には時々、幼い頃に、行方不明となった正体不明の女の子が現れ、それが何か分からず悩まされていた。また、秀樹の会社の同僚が秀樹を訪ねてきた不審な者に会ってから、呪われたように亡くなるなど、秀樹の周りで超常現象がおきる。そこで、秀樹は友人で民俗学者の津田(青木崇高)に相談し、ルポライターの野崎(岡田准一)と霊能力師の比嘉真琴(小松菜奈)を紹介してもらう。真琴はその能力で、秀樹の娘の知紗に「邪気」がとりついていることを知り、「邪気」と対決するが、かえって「邪気」を刺激し、被害が広がる。真琴の手に負えなくなった「邪気」退治に、政府高官とも繋がっている真琴の姉の琴子(松たか子)が乗り出すが。。。


中島監督、遊んじゃたなー!

 監督は、「渇き」や「告白」の中島哲也。原作は、澤村伊智のホラー小説「ぼぎわんが、来る」で、中島哲也も脚本に参加している。

 一体何者が「来る」のかと、松たか子や黒木華などの豪華な配役にも期待して観に行ったが、何が、何のために来たのか、はっきりしない、まったく面白くない出来だ。

 この演出は、毎回何かが「くる」とか言っていながら、結局何も来なかった、M・ナイト・ツマラン、おっと間違えたシャマラン監督のやり方と実に似ている退屈さを感じる。

 昔、貧しい村で行われていた、育てることができない赤ん坊を捨てる「間引き」があったことや、現代でも産んでも子供に愛情を注ぐことのできない両親に対して、生まれてきた子供は何も出来ない「恨み」を「邪気」に託して批判しているようだけど、その思いは中途半端に終わっている。

 それに、岡田准一が演じるルポライターと秀樹との接触の描き方、どこかおかしいことになっている民族学者:青木崇高と人妻:黒木華との関係の持って行き方、また、邪気に取りつかれた秀樹の会社の友人の死に方の不十分さなどなど、登場人物が多くあり過ぎで、彼らの説明が巧くなされていない。

 ブログや世間への対応など、他所からみれば、いい父親、優しい母親でも、その実態は子供をまったく顧みていないことは、観ていても特に訴えてこない。

 ここは、もっと中心となる、生まれてきたけど、すぐに殺された赤ん坊たちの「怨念」に強力な焦点をあてて描かないと、ホラーにもならない。

 映画の最後の方で、やってくる「巨大な邪気」を退治するのに、沖縄の巫女や、仏教、そして神道までも巻き込んで、念仏を唱えたりお祓いをさせるとは、もう、この監督:中島哲也は、何を考えているやら、主張が分からない。
 とりあえず、思いつくものは何でも取り込んでみましたの発想では、観客には支離滅裂感で終わる。

 つなぎ方や撮り方は上手いだけに、もっと練った作品が望まれる。

 この映画では、いい妻とイライラした母親を演じた黒木華と霊媒師を演じた柴田理恵が光る。
それにしても、映画ではどうでもいい役と演技しかしていない岡田准一がどうして、チラシなどでトップで記載されているのかな。

中島哲也監督の; 「渇き」 (2014年) 、 「告白」 (2010年)
松たか子の; 「泣き虫しょったんの奇跡」 (2018年) 
妻夫木聡の; 「家族はつらいよ 2」 (2017年)、 「怒り」 (2016年)
岡田准一と黒木華の; 「散り椿」 (2018年) 

 マダムのおかしな晩餐会

あらすじ:アメリカからフランスのパリに引っ越してきた金持ちのボブ(ハーベイ・カイテル)と二度目の妻:アン(トニ・コレット)の屋敷には、スペインに娘を残して来ているメイドのマリア(ロッシ・デ・パルマ)がいて、切り盛りしていた。ある日の晩餐会で予定では12人だったお客が急に、13人と不吉な数になったため、アンは、急遽メイドのマリアの素性を隠し、着飾らして席に着かせた。マリアの隣に座った英国の紳士デヴィッド(マイケル・スマイリー)は、ボブの息子のマイケル(ティム・フェリンガム)が冗談で言った、マリアはスペインの王族関係者との話を信じて、マリアと付合い始める。当初は、身分差からデヴィッドの誘いには乗り気ではなかったマリアだったが、マリアの過去は全部知っているというデヴィッドとの恋に走る。しかし、二人の仲に嫉妬したアンが、ついに、マリアの本当の身分を、デヴィッドに話してしまい。。。


女:チョットだけ笑える大人の恋ね!

男:監督は、フランス人で女性のアマンダ・ステールとある。
女:予告編から、大人向けの大いに笑える映画かと期待したけど、あまり笑いはとれないわね。
男:そうか。
  マリアが酔った勢いで話した、女性のオッパイの3段階と、男性のあそこの3段階は、実に上手い例えで、ここは声を出して笑ったけど。
女:勘違いで笑いをとるのは、良くある設定で、まあ、それはそれでもいいんだけど、これに身分差や嫉妬心と、アンの女としての不安感も加えられると、フランス文化と日本人の感性の違いがでるのよね。
男:アメリカから来たとは言え、金持ち階級に雇われているメイドさんが、この映画で描かれているように、かなり身分が低い扱いというのが、納得できないんだね。
女:いくら金持ちといっても、メイドさんにここまですることはないんじゃないの。
  時代の流れが、古くて、現代的でない違和感が強くするのよ。

男:また、イギリス紳士役のデヴィッドも、マリアがスペインの王族関係者でなく、単なるメイドと知ったら、お茶を運んできた、マリアの顔を一瞥もしないというのは、解せない設定だね。
女:恋は、身分やお金が目当てでするものではないってことも、入れて欲しいのよ。
男:ボブの息子役が書いている小説は、マリアの行動を書いていることになっていて、その結末が、ハッピー・エンドになるような予感があったけど、それが、裏切られたのは、残念だった。
女:それにしても、マリアを演じたロッシ・デ・パルマの印象は、強く残るわね。
男:それは、物凄いワシバナのせいだよ。
女:ワシバナというか、本当に鍵のような形をした鼻は、一目見ただけで、すぐに誰か分かるわ。
男:それは、良かったね。
  最近の君は、似たような外人は、誰が誰だか見分けがつかないようだから。
女:それって、私が、ボケてきたってことをいいたいのっ!
男:いいや、そんなことは、言ってはいない・・・
女:それなら、良いけどッ。
男:ふっ、危ない、危ない・・・

 ボヘミアン・ラプソディ

あらすじ:時は、1970年のイギリスはロンドン。家族でインドからやって来たピアノも弾ける音楽の好きなフレディ(ラミ・マレック)は、その出っ歯や出身にかなり劣等感を抱きながらも、仕事の合間に曲を作り、地元のライブ・ハウスでバンド「スマイル」の演奏を聴いていた。その「スマイル」が仲間の脱退で解散しようとするある日、自分の声に自信があるフレディが、新しく「スマイル」のメンバーに応募し、ヴォーカルを担当することになった。フレディの加入で徐々に人気が出てきた「スマイル」は、大物音楽プロデューサーの目にとまり、4人組のロック・バンド「クイーン」としてレコード・デビューを果たす。当初の曲は売れなかったが、「キラー・クイーン」などがヒット・パレードの上位に顔を出し、アメリカや日本でも彼らのツアーは大成功を収めていった。特に、1975年に発表した6分を超える長い曲「ボヘミアン・ラプソディ」を収録したアルバム「オペラ座の夜」は、世界中で高い売り上げを示した。しかし、ゲイの趣向に目覚めたフレディは、若い頃に結婚したメアリー(ルーシー・ボイントン)との生活に破綻をきたし、またフレディがソロ活動を始めて「クイーン」は解散状態になり、さらに、荒れたフレディをエイズが蝕み。。。


音楽って本当に感動する!

 監督は、「X-MEN」などの、ブライアン・シンガーで、脚本は、アンソニー・マクカーテンとある。

 話は、1970年代から活躍を始めたイギリスのロック・バンド「クイーン」のヴォーカル担当のフレディ・マーキュリーの自伝だ。

 音楽が好きな私としては、一応「クイーン」のヒット曲とフレディ・マーキュリーの名は当然知っているが、それほどのファンではなく、彼が出っ歯だったとか、インドから来たとか、元の名前が大嫌いで名前を変えたなどは、この映画で初めて知ったことだ。
 でも、フレディの歌っている写真での上半身裸やぴったりしたズボン(古ッ!)姿から、彼がゲイであることは、どことなく感じていた。

 また、音楽的には、この映画のタイトルとなっている「ボヘミアン・ラプソディ」に関しては、映画でのレコード会社の偉い人と同じ感想で、ただ、長くて、途中に入っている歌詞、「ママー」とか「ガリレオ」と叫ばれてもピンとこず、オペラ的とは、で、独創的というよりは、まったく独善的で、今でもまったく私の好みの曲ではない。

 話の展開は、音楽好きな他国からきた青年がバンドに入って有名になり、有名になると曲の見解や金銭が原因で仲間割れがあり、個人的にはゲイと無名時代から彼を支えてくれた妻との板挟み、最後にはエイズと診断されて、また「クイーン」として元に戻るというのは、まあ、これまた、良くある平凡な話。

 だけど、この良くある話と、音楽的にはクイーンのファンでもない私だけど、フレディを演じたラミ・マレックの演技と、監督:ブライアン・シンガーの手によって、見事な感動を与えられた。
曲作りの苦労を描く単なる音楽映画から、身体的な劣等感に悩むフレディ、妻との愛かゲイをとるのかに悩むフレディ、エイズに冒されても希望を捨てないフレディが、丁寧に描かれている。

 そして、最後に持ってきた「ライブ・エイド」での観客を巻き込んだ撮影方法と、数々のヒット曲の歌い方は、フレディを正に「伝説のチャンピオン」に仕上げている。
フレディの声がこんなに美しい高音と伸びやかさを持っていたとは、知らなかった。

 映画を観るのに、音響設備のいい映画館で観た方がいいなんて野暮なことは、言いたくないが、このフレディの声の美しさを知るには、高音も低音も出るいいスピーカーのある映画館で観ることをお勧めする。

 家に帰って、また「ボヘミアン・ラプソディ」や「We Will Rock You」、「地獄へ道づれ Another One Bites The Dust」、「Killer Queen」などを聞きなおしたくなった。

 音楽映画は、、マイケル・ジャクソンの; 「This Is It」 (2009年)
 また、キャロル・キングを題材にした; 「Beautiful」 (2017年)

2018年12月 7日 追記:クイーンのレコードでのアルバム「オペラ座の夜」が、本屋で売っていて、早速買って、自慢のレコード・プレイヤーと迫力のあるオーディオ装置で聴きました。
                 で、感想は? やっぱりクイーンの曲は、私好みではありませんでした。

 スマホを落としただけなのに

あらすじ:以前派遣されていた会社の富田誠(田中圭)と恋仲にある、髪の長い稲葉麻美(北川景子)が、いつものように富田のスマホに電話をすると、聞きなれない変な男性の声がかえって来た。その男は富田が落としたスマホを拾っていて、彼が預けた喫茶店の店員から麻美は富田のスマホを無事取り戻した。しかし、その後、富田には使ってもいない高額のクレジットの支払が請求されたり、SNSには、気が付かない内に麻美の大胆なベッド姿の写真が大量にアップされたりと、二人の個人情報が世間に流出していく。一方、丹沢山中で5人の髪の長い女性の死体が発見され、事件を担当することになったITに強い加賀谷学刑事(千葉雄大)は、犯人の足取りを追う。そして、長い髪の麻美にも身の危険が。。。


話を盛り込み過ぎで、ミステリーにもなっていない!

 監督は、ホラーの「リング」で有名になった中田秀夫で、原作は、志駕晃の同名の本があり、これを大石哲也が脚本した。

 特に私が指摘するまでもなく、今日、スマートフォン(スマホ)が持つ機能の発展は目覚ましく、当初の利用目的だった携帯電話・メールは勿論のこと、NETの検索、SNSの利用、音楽の再生、ゲーム、カメラ、GPS、支払などキリがなく、小型パソコンとしてもこれからも発展を続けて行くだろう。

 その豊富な機能のおかげで、スマホには、電話番号だけでなく、世間には知られたくない個人情報や想い出も入っていて、正しく、所有者の分身であり、無くなったら困る「宝物」でもある訳だ。

 この重要なスマホを落としたために、殺人鬼でもあるハッカーに、自分たちの過去や家族に至るまで全ての情報を盗まれると、もう取り返しがつかない事態になるということを描いた内容だ。

 北川景子の綺麗さに魅かれて観たが、監督:中田秀夫は、どうも、彼女の事務所に遠慮した使い方をしている。

 その例は、SNSで公開されているベッドでの写真は、肩から上という、これでは特に炎上もしない平凡な、当たり障りのない描写で、世間でとり上げられる実体なら、せめて、胸ぐらいは露出が必要だ。

 また、殺人鬼に捕まって手を頭上に縛り上げられているシーンは、このシーンの前に、殺人鬼が彼女を裸にしたと思われるが、このあたりも映像としていれないと、観客は、大いに不満だ。

 長い髪をした母親に虐げられた子供時代の腹いせとして、母親と同じ長い髪の女性を殺して、バリカンで毛を刈り取るほどの猟奇的な殺人犯にしては、扱い方が軽い。

 また、麻美を助けにきた富田と犯人がからむメリーゴーランドのシーンは、告白時間も間が抜けて単に長く、警察が来るまでの時間稼ぎとして、都合よく演出しましたという程度で、まったく、意味が不明であった。

 顔を整形して他人に成り済ますってことは、最近の都市生活では、顔を整形しなくても、刑務所から逃亡してもなかなか捕まらなかった例にみるように、可能な気はするが、この話では、別に入れなくてもいい。

 スマホが中心になった行き違いのラブ・コメディでもなく、凶悪な連続殺人犯であっても、この演出では、特に怖くもない。

 まあ、この時代、スマホは落とすと大変だから、落とさないようにしましょうとの警告にはなる程度の出来だった。

 しかし、北川景子の表情はお人形さんのように変化が乏しく、演技も評価する前の話だ。

 北川景子の; 「HERO」 (2015年)

 マリー・アントワネット (ミュージカル) 帝国劇場

あらすじ:時は18世紀のフランス。民は飢えに苦しみ、フランス革命が起きようとしていた頃。フランス国王:ルイ16世(佐藤隆紀)にオーストリアから幼くして嫁いできたマリー・アントワネット(花總まり)が開いた舞踏会には、彼女が慕っているフェルセン伯爵(田代万里生)と、民衆の窮状を訴える貧しい娘:マルグリット・アルノー(ソニン)がいた。マルグリットの話に、全然耳を貸さない貴族に対して怒りを覚えたマルグリットは、仲間たちと革命へと進んでいく。宮廷の財政が苦しいことを知って、マリーは、高価な首飾りを買うことを思いとどまるが、もう革命の嵐を止めることはできず、多くの貴族が断頭台に登らされ、国外逃亡に失敗した国王一家も捕まり、ついにルイ16世も消えた。妻としてまた母親として必死に生きるマリーの姿をみて貴族を憎んで生きてきたマルグリットにマリーが歌う子守唄が。。。


女:手慣れた演出と音楽だけど、もっと盛り上がりが欲しいわね!

男:流石に、「エリザベート」や「モーツアルト!」などミュージカルで名を売っているミヒャエル・クンツェが脚本し、音楽は、ミヒャエル・クンツェと仲がいい、シルヴェスター・リーヴァイが手掛けているだけの出来栄えだ。
女:演出は、ロバート・ヨハンソンとあるけど、この大筋は、前にどこかの舞台で観ていない?
男:そうだね。
  過去の記憶を辿ると、王妃:マリー・アントワネットと同じイニシャル、M・Aのマルグリット・アルノーの話なら、日本の遠藤周作が書いた本を、東宝がミヒャエル・クンツェとシルヴェスター・リーヴァイに依頼してミュージカルにしたことを思い出したよ。
女:それは、2006年のことだったわ。
男:それから、12年を経てまた、帝国劇場で公演したわけか。
   そこで、チラシには、新演出版となっているのがやっとわかった。
女:12年前では、歌や舞台装置などの細かな点は、忘れているけど、舞台中央に陣取る斜めになった装置は、なんとなく思い出したわ。
男:イニシャルが同じ M・A のきらびやかな王妃:マリー・アントワネットと対比して貧しい娘:マルグリット・アルノー を持ってくる設定は、初めてなら面白いと思えるけど、フィランス革命を扱っているのは、「レ・ミゼラブル」的だし、全体の構成が、どことなく、新しさを感じなったのは、以前観たせいだったんだ。
女:再演ということで評価すると、また、違ったものになるわね。
男:幼くして政略結婚をさせられたマリー・アントワネットがフランス革命によって、ギロチンで首を切られるという悲しい話は、もう、この舞台を観る前の予備知識として持っているから、さらに悲劇として盛り上げるためには、マリー・アントワネットが過ごしてきた人生の切なさのシーンを入れないといけないが、これがかなり足りない。
女:歴史的に有名な「パンが無ければ、ケーキを食べなさい」とか、豪華な首飾り事件や恋人としては有名な存在だったフェルセン伯爵などが入っているけど、最後に焦点が当てられる妻として、また母親としてへの持って行き方がこれでは、弱いってことね。
男:セリフや歌詞も日本語として平凡だ。
  これでは、感情に訴えてこない。
女:翻訳と訳詞は、竜 真知子とあるけど、もっと推敲した内容が欲しいってことよね。
男:手慣れた演出、流れの良い舞台装置、絢爛たる王妃の衣装の出来栄えも良く、花總まり、ソニンまた田代万里生の歌も巧いけど、悲劇が引き立つには、時々笑いも必要で、そこは、カツラ屋と衣装屋が出てくるシーンが受け持って、観客がもっと声高く笑えるようにするといい。
女:マリー・アントワネットとマルグリット・アルノーの父親が同一人物だったという設定は、面白いわ。
男:この設定は、活かしていいね。
女:日本発の原作が、さらに進化して、世界中で上演されるミュージカルとして、頑張って欲しいわね。
男:それには、まだ、まだ変更が必要かな?
女:それにしても、2006年の帝国劇場での評論があるこのサイトって、もう歴史ものね。
   よく、10年以上もホームページの更新を続けてきたものよ。

男:それほどでも、無いけどね。
女:そうね、単なる暇人だったというだけなのよね。
男:今、なんていったの!
女:いいえ、何も言っていません。

なお、マリー・アントワネットは、花總まり/笹本玲奈、マルグリット・アルノーは、ソニン/昆 夏美、フェルセン伯爵は、田代万里生/古川雄大、そして、ルイ16世は、佐藤隆紀/原田優一のダブル・キャストです。

前回(2006年)の; 「マリー・アントワネット」 
ミヒャエル・クンツェとシルヴェスター・リーヴァイの; 「レディ・ベス」 (2017年)、「エリザベート」 (2010年)
ソニンの; 「Beautiful」 (2017年)
田代万里生の; 「エニシング・ゴーズ」 (2013年)

フランスをもっと知りたいなら、 「駆け足で回ったヨーロッパ」 フランス編 もあります。

 デス・ウィッシュ

あらすじ:拳銃による犯罪事件が多発しているシカゴに住む、優れた外科医のポール・カージー(ブルース・ウィリス)には、愛する妻:ルーシー(エリザベス・シュー)と大学進学が決まった一人娘のジョーダン(カミラ・モローネ)がいた。ポールが緊急の手術で病院に呼び出された留守宅に3人組の強盗が入り、妻は殺され娘は強打され昏睡状態になる。事件を担当する警察は抱えている殺人事件が多くて、まったく捜査が進まない。この状況に怒ったポールは、自らの手で犯人を探し出す決心をし、危険な街中へ出かける。その過程でポールは、多くの悪人に出会い、慣れない拳銃で、一人、一人と悪人達を殺していく。シカゴの街では悪人を片付けるポールに賛否の声があがるが。。。


個人での復讐が許されるのかを問題にしなければ、まあ、観ていられる!

 このところ、特に映画を観ていない訳ではないが、観ても、まったく退屈な内容でただ眠気を誘うだけの「判決 ふたつの希望」や、内容を知らずにブラット観た「フィフティ・シェイズ・フリード」は、評論もできない露骨なポルノ映画でこの「映画・演劇 評論」には載せられない。

 また、最近の映画界は、子供相手で他愛のない青春物やアニメが多く、観たいと思わせる映画がないのも、残念な傾向だ。
そんな、気分だけど、久し振りにブルース・ウィルスが悪人を処刑するというので、映画館に足を運ぶ。

 タイトルの「デス・ウィツシュ Death Wish」 とは、訳せば「死への願望」で「生きる希望を無くし、もう、死んでもいい」とかになるか。
映画を観た後で、チラシを見ると、この映画は、何と1974年にチャールズ・ブロンソンが出ていた「狼よさらば」のリメイク版とある。
このチャールズ・ブロンソンが出ていた「狼よさらば」は、当時かなり評判だった気がするが、私は観ていない。

 ピストルだけでなく、マシンガンに至るまで、多くの銃が自由に買え、その銃による殺人事件が年々増加しているにも関わらず、まったく銃規制が進まないアメリカ社会を特に風刺している訳でもない。
愛する妻を殺され、可愛い一人娘に暴行を加えた犯人たちを、個人での復讐という形で解決するという方法は、日本でも「仇討ち」や「仕事人」などに見られるように、よく取り上げられる。

 確かに、現在の法治国家の理論では、被害者の家族等による自力での復讐は禁じられているが、頼みの国家が生温い対応しかしない時には、被害者の家族等は「行き場のない気持ち」を、当然に持っていて、個人的な復讐を行うのは、分かる。

 そんな気持ちになった時に、銃を手に入れて、簡単に人を殺せる「快感」を憶えた、本当は人を救う立場にある医者の行動を映画にしたというところだ。
初めて使う銃の取扱い方法や、データが記録されたデスクの壊し方などを「YouTube」で勉強するのは、1974年版では考えられなかった設定だ。

 映画の内容としては、特に深刻さもないし、捜査に熱心でない警察に救われるという適当さも追及しなければ、まあ、こんなものかという出来だった。

ブルース・ウィルスがチョットだけ出ていた; 「ムーンライズ・キングダム」 (2013年)
エリザベス・シューの; 「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」 (2018年) 

 散り椿

あらすじ:かって藩の重役と商人との不正を糾弾した瓜生新兵衛(岡田准一)は、今は、藩を出て浪人となり、病が重く、以前住んでいた家に咲いていた椿を見たがる妻:篠(麻生久美子)と二人質素に暮らしていた。その篠が亡くなる際に残した言葉は、藩に戻り新兵衛の友人で側用人を務めている榊原采女(西島秀俊)の手助けをして欲しいというものだった。若い頃、采女と新兵衛は、通っていた道場では剣を競い合い、また篠を巡っての恋敵であったため、複雑な気持ちながら新兵衛は藩に戻り、篠の妹:坂下里美(黒木華)や篠の弟:坂下藤吾(池松壮亮)の世話になる。藩出入りの商人:田中屋惣兵衛(石橋蓮司)が隠し持つ、藩に不都合な覚書が世に出ることを恐れた城代家老:石田玄蕃 (奥田瑛二)は、惣兵衛を襲うが、新兵衛の剣が惣兵衛を救った。また、事態を知った采女の命を玄蕃は、上意討ちの口実で奪おうとする。。。


女:記憶に残るのが、綺麗な風景と大雨だけとは残念ね!
男:監督は、黒澤明監督のもとでカメラマンをしていた木村大作だ。
女:原作は、葉室麟で、それを、これも黒澤監督と縁のある小泉堯史が脚本したのね。
男:木村大作監督の作品としては、「剣岳~点の記~」を観てる。
女:その時も、やたら、意味のない大雨を降らせる監督という印象があったわ。
男:木村本人も認めているように、黒澤監督からの影響は、随分と大きくある。
女:でも、映画は、大雨だけで成立するものではないのよね。
男:基本となる小泉堯史の脚本の出来が曖昧だったのかな。
女:そうね。
  まず、新兵衛を慕っているらしい黒木華が演じている結婚をしていない坂下里美が、武家の家庭において、どうしてのんびりと暮らしていけてるのか説明が不足ね。

男:そして、良くある藩の重役と出入り商人との癒着も、この程度の設定なら、藩の財政を建て直したものとして、特に糾弾する内容ではない。
女:その配役が、奥田瑛二と石橋蓮司では、脳が無いわね。
  観客が想像できる悪役として、実に単純に、演じさせているだけよ。

男:物語の中心となる「覚書」の存在や采女の義父が殺された事情も、曖昧で分からないね。
女:結局、木村監督は、映像に拘り過ぎて、物語の展開や俳優の演技指導まではまったく手が回っていないってことね。
男:冒頭の大雪のシーンでも、最後の殺陣での突然の大雨は、一体何を演出したいのかな。
女:きっと出演者の演技の下手さを雪や雨を前面にもってきて、ぼかす効果を狙っているのよ。
男:なるほど。
  それなら、実に効果はある。
女:黒澤監督に捧げるなら、もっと現実的に病身の麻生久美子をやつれたメイクにするとか、チャンバラも変な血しぶきの出方で遊ぶのは止めて欲しいわ。
男:でも、竹林、河原、杉並木、夕陽、城などロケ地に拘っているのは、観ていても良く分かる。
女:映画は、物語があって動いているのに、木村監督のこの手法なら、観光目的の静止画でもいいってことなのよね。
男:どうしても、歳をとると、自分の世界に閉じこもり他の人の話を聞かなくなるからね。
女:それは、あなたにも言えることね。
男:そ、そんなことはないでしょう。
  私は、広く、みんなの話を聞いているよッ。
女:そう言うなら、そういうことにしておきましょう。
男:いつも、きいてるでしょうに・・・

それにしても、音楽が「ゴッドファーザー」の「愛のテーマ」に似ているのが気になった。

木村監督の; 「剣岳 点の記」 (2009年)
岡田准一の; 「関ケ原」 (2017年) 、  「追憶」 (2017年)、  「海賊と呼ばれた男」 (2016年)、 「蜩ノ記」 (2014年)
黒木華の; 「永い言い訳」 (2016年)、  「小さいおうち」 (2014年)

 マイ・フェア・レディ (ミュージカル) 東急シアターオーブ

あらすじ:イギリスはロンドン。下町育ちで下品な言葉を使う花売り娘のイライザ(朝夏まなと)だったが、将来は、上流階級を相手にした洒落た花屋を持つ夢があり、街で見かけた言語学者のヘンリー・ヒギンズ教授(寺脇康文)を訪ね、上品な言葉使いを教えてくれと頼む。当初、ヒギンズは乗り気ではなかったが、同席していたピッカリング大佐(相島一之)の、6ヵ月でイライザを一人前の貴婦人(フェア・レディ)として上流社会で通用することができたら、イライザの授業料を全部もつという申し出を受け、ヒギンスはイライザの教育を引き受けた。そこで、ヒギンスはイライザを自宅に住まわせて日夜、酷い訛りをなおし、また躾も教えた。どうにか目途がついたヒギンズは、アスコット競馬場にイライザを連れて行くと、興奮したイライザは、元の粗野な言葉遣いに戻り思惑は大失敗だった。それから6週間、再び鬼のような猛特訓を受けたイライザはある大使が主催する舞踏会にデビューする。今度は、完璧な貴婦人を演じることができたイライザにヒギンスは大喜びだったが、イライザは自分を実験台としてしか見ていないヒギンスに腹を立てて、家を出る。イライザを失って気が付いたヒギンスは。。。


新しい「マイ・フェア・レディ」が、これからも、観客を呼ぶ!?

 もう、日本で1963年に舞台公演が開始されてから55年が過ぎ、映画では1964年にオードリー・ヘプバーンも演じたという、あらすじが不要な「マイ・フェア・レディ」だ。

 私も、大地真央が舞台で演じてきたイライザは度々観てきた。

 今回の演出は、2013年から新しい版として手掛けている G2 だ。
G2がやった大きなことは、オーケストラを舞台の2階に左右に分けて配置し、場面の転換で移動する椅子や建物が、どうなっているか不思議だが、音もなく舞台上で素早く入れ替わるということだ。
 そして、彼の演出の最大の特徴は、翻訳と訳詞も彼が新しく手掛けて、今までの演出では、私が過去に何度も舞台での不備として指摘してきた、英語の直訳で日本語に訳すとまったく意味がない下町訛りの「スペインの雨 The rain in spain stays mainly in the plain。 スペインでは雨は主に広野に降る」を日本的な江戸弁の訛りの「日は東、ひなたのひなげし・・・」として、「しはしがし、しなたのしなげし・・・」と「ひ」と「し」の発音の違いができないイライザとしたことだ。
また、「踊り明かそう I Could Have Danced All Night」も、「じっとしていられない」となるなどの変更があることだ。

 今回観たのは、昨年まで宝塚歌劇にいた朝夏まなと が演じたイライザと ヒギンスは寺脇康文だが、他に神田沙也加と別所哲也のキャスト版もある。

 今回の舞台の感想としては、まず、朝夏まなとの歌と踊りが大地真央版に比べて、実に若いということだ。当然といえば、当然だけど。
朝夏まどかは初めて観たが、宝塚では男性役だったとのことで、下町娘の持つ「がさつさ」と大股開きなどの演技にテレがなくていい。

 歌声では高音の伸びもいいし、踊りのきれも良く、回転してもぶれずにいるのは、立派。手足の長さが踊りを引き立てている。
これなら、大地真央に代わってイライザ役を引き継いでいけそうだ。

 ヒギンスを演じる寺脇康文は、もう3度目だが、まだ、まだG2の演出に付いていけてない面がある。
彼の早口言葉や母親に泣きごとをいう場面は、演出としても、もっと笑いをとるようにしてもいい。
 それに、肝心のヒギンスの母親の家でヒギンスとイライザが互いの気持ちをぶつけ合う場面だが、ここのやり取りは、かなり物足りない。
もっと、二人のセリフと動きに工夫が欲しい。

 新しくピッカリング大佐に抜擢された相島一之は、まだ役をこなしていないが、仕方ないか。

 イライザの父親役の今井清隆は安心して観ていられる。

 ヒギンズの母親役で前田美波里が出ているが、スタイルも昔のまま(?)で舞台上でも冴えている。

 それにしても、いつもチラシに載るアスコット競馬場に登場する時のイライザがまとう大きな帽子と斬新なデザインの衣装の素晴らしさ。
そして、舞踏会に出かける時のドレスの素晴らしさは、まさに、舞台女優としての「美」を誇れる場面で、見るたびに多くの女性ファンがため息をつく。
既に50年も前のファッションとは思えない完成度の高さが、未だに、多くの観客を引き付けるのだろう。

 新しい演出家:G2と、新しい女優を得て、「マイ・フェア・レディ」は、これからも日本の舞台に生きて行く。

劇場の「東急シアターオーブ」は、初めて行ったが、渋谷ヒカリエの11階にあり、新しい建物で音響設備がいい。
また、建物が高いので、ここから渋谷駅の近辺がよく展望できる。
でも、劇が終わると、観客が11階から一斉に帰るので、エレベーターの混雑が激しい難点がある。

前回の; 「マイ・フェア・レディ」 (2016年)、 (2013年)
ロンドンを知りたければ; 「駆け足で回ったヨーロッパ」 イギリス編 もあります。
 

 泣き虫しょったんの奇跡

あらすじ:小学生の頃将棋を憶え、隣に住んでいる鈴木悠野(成人後:野田洋次郎)と共に町の将棋道場に通い、めきめきと腕をあげた、「しょったん」こと瀬川晶司(成人後:松田龍平)は、プロの将棋指しの存在を知り、中学を卒業後、棋士の養成場である奨励会に入りプロ棋士を目指す。しかし、日本将棋連盟が定める26歳の誕生日までに四段になれず、しょったんの夢は閉ざされた。会社勤めはしたものの、昔のライバルであった鈴木悠野がアマ名人になっているのをみて、再び将棋に目覚めたしょったんは、アマとして活躍し、時には、プロ棋士を負かすこともあり、35歳になったしょったんだったが、有力者:藤田(小林薫)や新聞記者の後押しを得て、異例のプロ棋士への編入試験を受けることができた。しかし、その条件は、6番指して、3勝することだった。対戦相手は、久保八段など強豪だ。はたして、しょったんは、うれし泣きができるのか。。。


落ちた哀しさ、プロになれた喜びがまったく伝わってこない、下手な演技だ!

 監督と脚本は、チラシによると、自分も奨励会に入っていて、プロになれなかった豊田利晃で、オリジナルは、どうにかプロ棋士に編入できた瀬川晶司の自伝だ。

 毎週NHKテレビでの「将棋フォーカス」や「将棋トーナメント」を録画して将棋を勉強している私としては、一応、どうような内容かは観ておく気持ちだ。

 しかし、この内容では、淡々とした描き方と言えば聞こえがいいが、まったくメリハリがなく、退屈なできで、上映時間:127分も長すぎる。

 松田龍平の演技が下手で、これが監督:豊田利晃の指導なら、豊田監督の技量も含めて、話にならない。

 具体的には、まず、奨励会を去る時の哀しさが出ていない。
誰が考えても、小学生時代から、プロの棋士を目指し、多くの脱落者を目の当たりにし、ついに26歳になった自分にも将棋界での敗者が現実として訪れているのに、この松田龍平の表情と、それを許す家庭環境を描いては、これまでの努力が報われない哀しさと脱力感がもたらす物がまったく描かれていない。

 そして、次は、編入試験での合格のシーンも、周りの人たちの喜びだけがあって、松田龍平の演技では、ここまで持ってきてくれた支援者に対する感謝の気持ちと、またプロ棋士になれて、これからは好きなことが好きなだけできるという喜びがまったく表現できていないことだ。

 将棋だけでなく、相手のある競技の世界では、必ず相手を打ち負かす強い気持ちが無ければ、上位には上がれないのは、当然の理論で、負けたのは、相手をおもいやったせいでは、綺麗すぎて、説得力がない。
勝負に対する基本的なところから、脚本を練り直す必要がある。

 監督:豊田利晃の演出では、将棋界のプロになるにはこんなに厳しい手順があるのですよということを描いているだけで、これでは、瀬川の人生を借りなくてもいいわけで、瀬川の登場は脇役になっている。

 元奨励会に属していて、将棋を本当に知っているという豊田監督の割には、重要な持ち時間を考慮していない、ただ指すだけの映し方や、友情出演か知らないが、無駄に妻夫木聡や染谷将太なんかの有名俳優がチョットだけでてくるという編集もやめて欲しい。
特に、上白石萌音の扱いは、恋人か、喫茶店のウエイトレスか描き方が中途半端過ぎる。
観ている方としては、有名俳優が出てくれば、これは、後に、なにか続く意図があるのかと期待するからだ。

 藤井聡太という棋士の登場のおかげで、本来なら映画化できないような出来の悪い脚本では、観ていても退屈以外の何物ではなかった。

 この映画では、本物のプロ棋士、久保、谷口女流、屋敷、神吉、豊川なども出ています。 

 松田龍平の; 「舟を編む」 (2013年)

 将棋の映画なら; 「3月のライオン」 (2017年) 、 「聖(さとし)の青春」 (2016年)

 累(かさね)

あらすじ:今は亡くなった有名な舞台女優:淵 透世(ふち すけよ、檀れい)の娘:累(かさね、芳根京子)は、小学生の頃、友人にカッターナイフで大きく顔を切られ、成長してもその顔の醜さから劣等感の世界に生きていた。一方、美貌には恵まれてはいるものの、持病と演技力の無さから今一、華が咲かない丹沢ニナ(土屋太鳳)は、将来に対して焦りを憶える年齢になっていた。ニナのマネージャー:羽生田(はぶた、浅野忠信)は、淵 透世を知っており、累が母親から貰った口紅をつけて、キスをすると、互いの顔が入れ替わるという秘密も知っていた。累とニナを引き合わせた羽生田は、早速、新しい舞台「かもめ」のオーディションで、口紅を使い、ニナの顔をした累を行かせると、元々隠れた才能があった累のおかげで、ニナは役を得ることができた。時々、本物のニナが稽古にいっても、演出の烏合(うごう、横山裕)は、下手なニナには満足できなかった。そして、ニナの持病が起きている間に舞台に立った累が演じる偽のニナの名声があがり、ついに。。。


土屋太鳳の転機になる、出来の良い映画だ! 

 監督は、テレビでは有名らしい佐藤祐市で、脚本は黒岩勉。原作は、松浦だるまの漫画があるらしい。
みんな、らしい、らしいという程度の後から仕入れた情報で、特に、製作サイドの話には、興味もなく、ただ、映画のチラシとしては、珍しい、口裂け女の芳根京子と可愛い顔の土屋太鳳が真っ赤な口紅を付けて頬を寄せているという特異な構図に魅かれ、また、テレビの「チア ダン」で明るい、元気な役をしている土屋太鳳が出ているなら、広瀬すずとの対比もあり、これは、一応観ておくかという程度の乗りだった。

 しかし、映画を観た後では、その軽い気持ちは、完全に覆す必要があった。
まず、松浦だるまの漫画からの映画化という点だが、この下書きには、登場人物の名前ニナは、舞台劇で有名なチェーホフの「かもめ」のニーナが、そして、累(かさね)や淵(ふち)は、顔の醜い女の怨念の怪談として名高い「累ヶ淵(かさねがふち)」から来ていると分かる。
また、「かさね」は、唇を「かさねる」ことでもあり、「サロメ」で死んだヨカナーンの生首とキスするという結末に繋がる。
こんな怪談じみた、キスで顔が乗っ取られるという気持ちの悪い内容の漫画に人気があるとは、今のコミックの世界とは一線を画している私に、たかが漫画と侮れない奥が深いなにかがあると感じさせる出来の良さだ。

 今までテレビを主に活躍してきた、脚本の黒岩勉と監督の佐藤祐市は、コミックの世界を利用して、映画独自の展開をし、明るさだけが取り柄の土屋太鳳という若手の俳優をこれからも使える女優として見事に引き上げた。

 彼女が演じる、映画前半の演技の下手な性悪女から、芳根京子と二人で二役を演じる、といっても、土屋太鳳が中心になっているが、嫉妬や時には思いやりを持った複雑な心境の変化の表現と、最後の仕上げとなる舞台劇「サロメ」での間の取り方や得意とする踊りに至るまで、土屋太鳳のこれからの女優としての道を大きく拓く映画になっている。

 この出来の良さは、単に演者:土屋太鳳だけによるものでなく、監督:佐藤裕市と脚本:黒岩勉、そして、女性同士のキスを綺麗にした編集:田口拓也の功績も褒めたい。

 舞台の演出家を演じるどこから見ても下手な横山裕をどうして配したのかや、累が母から貰った口紅は、そんなに使うとすぐに無くなるよとか、5ヶ月も寝ているニナの体や下(しも)の世話をどうやっていたのとか、突っ込みたい点もあるが、そこは、漫画の世界と割り切って、見ごたえのある映画だった。

 芳根京子が出ていた; 「64-ロクヨン」 (2016年)
 浅野忠信が出ていた; 「沈黙 -サイレンスー」 (2017年)

 検察側の罪人

あらすじ:新任の検事たちを教える程の優れた東京地検刑事部の検事:最上毅(木村拓哉)のもとに、かっての教え子で、任官4年目の沖野啓一郎(二宮和也)検事が配属されてきた。今度二人が担当することになったのは、蒲田での老夫婦殺人事件だったが、その容疑者としてあがったのは松倉重生(酒向芳 さこう よし)で、彼は、23年前に、当時最上が世話になっていた学生寮のアイドル的な存在の女子中学生が河川敷で無残に殺された事件の有力な容疑者でもあった。取調べで、松倉は、今は時効となった河川敷の少女殺人事件を得意げに自供するが、今度の蒲田の殺人事件は認めなかった。蒲田殺人事件では、松倉の他に有力な容疑者:弓岡(大倉幸二)が現われるが、どうしても、松倉を殺人者として裁きたい最上は、松倉を蒲田事件の犯人として告訴した。最上のやり方に疑問を抱いた沖野は、共に行動してきた事務官の橘沙穂(吉高由里子)の不祥事もあり検察を辞め、弁護士:小田島(八嶋智人)と共に松倉の無罪を証明するが。。。


女:最初から小説として作られただけの演技をしているだけね! 

男:監督は、「関ケ原」などの原田眞人で、原作は、雫井脩介とある。
女:観ていて、何をいいたいのか、分からなかったわ。
男:冤罪はこうして起きるのか、真実は最後には守られるのか、主張がはっきりしていないし、他の話も入れ過ぎで、結果として、あやふやな描き方だったと言うことだね。
女:特に犯罪者を追及する立場にある優れた検事がどうして、殺人を犯してまでもして法の裁きを受けさせたいという切迫感が伝わってこないわ。
男:それは、小説的に盛り上げをするためによく使われる、仕事はできても、自分の家庭は問題を抱えているとか
女:今は政治家になった大学時代の親友が結局、政治の世界を浄化できず挫折して自殺するなんて、まったく余分な話が入ってきて、面倒にしているのよね。
男:その友人の葬式での参列者のおかしな態度や、時々出てくる変な踊りの集団も映像として何だったんだろうね。
女:それ以上に入れられていて分からないのが、第二次世界大戦での日本軍がインドを目指して多くの兵士が亡くなったインパール作戦が絡められることよ。
男:家庭や友人の政治家、おじいさんの時代の旧軍隊での上層部の無責任さ、それらが、当然、今の最上の生き方に重要な意味合いを持っていると言いたいようだけど、だから、それらがどう映画として結びつくかという関連付が薄い扱い方で終わっている。
  実に、下手な脚本だね。
女:自ら殺人まで犯した最上検事なら、最後に無罪になった松倉を他人に頼んで高齢者の車で引かせるなんて解決策は、詰まらないわ。
  ここも、自分の手でばれない方法を生み出して松倉を殺すべきよ。

男:チラシでは、ブローカーとなっていて、最上の手足として働いている、訳の分からない存在の松重豊や、松倉の国選弁護人の事務所が、閑散とした工場の一角とか、いかにも虚構の小説ですよという世界観に強引に、生々しい検事の冤罪作成という話を結合させようとして、失敗したということか。
女:そのチラシだけど、「骨太な物語」とか、チョコっとしか出ていない芦名星やあの山崎紘菜が「演技派俳優陣」ですって。
  これって、あなたが関係している不動産業界のチラシなら「誇大広告」として公正取引委員会から取り締まりの対象になるわよね。

男:本当に映画のチラシを作成する人は、何でもありだね。
  最後に唐突に少しだけ登場する山崎努がいるけど、彼は何にも演技らしい演技はしていないのに、思わせぶりなチラシにしているよ。
女:ジャニーズ事務所としては、木村拓哉と二宮和也を出したのだから、何とか興行的にも成功が欲しいってところね。
男:取調べでの二宮と酒向芳とのやり取りは、上手いね。
  二宮も成長したものだ。
女:私としては、作品の出来よりも、あの若さ溢れていた木村拓哉が子供だった二宮和也を部下として扱えるまでの年齢になったことの方が、ショックというか感慨が深いわね。
男:他人の成長を見ているってことは、きみもそれなりに、歳をとったってことだよ。
女:いいえっ、わたしは、いつまでも歳をとりませんっ。
男:そ、そうだったね。
  いつまでも、きみは、わかい・・・
女:聞こえないわよっ。もっとはっきり言ってっ。

この映画では、懐かしい「Cry Me A River (クライ  ミー ア リバー)」や「Perfidia (パーフエデア)」が使われていますよ。

 原田眞人監督の; 「関ケ原」 (2017年)、 「駆込み女と駆出し男」 (2015年)、 「クライマーズ・ハイ」 (2008年)
 木村拓哉の; 「HERO」 (2015年)、 
 二宮和也の; 「硫黄島からの手紙」 (2006年)
 吉高由里子の; 「真夏の方程式」 (2013年)

 カメラを止めるな!

あらすじ:山奥の廃墟で、ゾンビの映画を自主製作している監督:日暮隆之(濱津隆之)は、何度やっても主演の女優:松本逢花(秋山ゆずき)の表情に恐怖感が出ていないので、苛つき、休憩をとった。その間、逢花は、男優の神谷和明(長屋和彰)やメイク担当の日暮晴美(しゅはまはるみ)らに慰められるが、外から戻って来た脇役の様子がおかしい。なんと、その撮影現場は、旧日本軍が人体実験をしていた建物で、日暮達の行動が、本物のゾンビを生き返らせてしまい、キャストやスタッフは徐々にゾンビに感染していくのだった。そんなことを知らない日暮監督は、恐怖感が出てきた逢花と神谷を中心にカメラを止めないワン・カットでの撮影を指示するが、自分もゾンビに。。。


斬新なアイディアと緻密に練られた脚本に盛大な拍手だ! 

 もともとは、失礼ながら、名もない新人監督と聞いたことのない俳優たちによって作られたため、今年の6月には、2館だけの上映だったのが、「面白い」と評判を呼び、ついに大手シネコンも上映を決め、徐々に全国で公開されるようになったので、私にも観る機会が訪れた映画だ。

 しかし、先週、この映画が公開された劇場に行き、観ようとしたら、もう、その日は全ての回がすでに満席で観ることができなかったというほどの評判で、今週どうにか観れた。

 その名もなき監督の名は、上田慎一郎で、彼が、どこかの演劇小屋で観た芝居にインスピレーションを得て、脚本を書き、編集もしている。
そのアイディアは、盗作だと争いがあるようだけど、それは、また別の話として進める。

 最初の約30分を観終えると、もう、エンド・ロールが出てきて、なんだ、これは、変な間延びがあったり、また、適当なシーンを強引にくっ付けていていて、出来の悪い作品だという感想だ。
これでは、世間の評判と私の感性とは、まったく一致しないなあと思っていたら、どっこい、この映画にはまだ先があったのだ。

 最初の30分は、実は、テレビで生放送された部分で、どうしてこの放送に至ったかというメイキングの話が、映画の後半に描かれていて、私が感じた変な間延びのシーンや、適当に落ちているナタを拾う訳などが、見事に納得できるようになっていたのには、嵌められた。
嵌められても、この計算された布石とその回収方法の巧みさは、本当に練りに練られた脚本と褒めるよりほかにない。

 また、元アイドルぽい女優や理屈ぽい男優、酒癖の悪い人、お腹を壊しやすい人と俳優たちを簡潔に特徴づけるだけでなく、不満が鬱積している監督の本音、撮影方法にこだわるカメラ助手を出したりと、スタッフ役を含めて、良く演者、個人、個人の特徴と個性的な性格の紹介も上手い。

 特に急遽、メイクをやることになった監督の妻の護身術「ポン」は、観るたびに笑える。

 1本で2度おいしい、この構成には、すっかりやられた。
人気漫画やシリーズ物の映画化でお茶を濁し、全然オリジナリティがなかった映画界で、久し振りに、いい脚本に出会えた。

 終わりには、メイキングのまた本当のメイキングもありますので、これも面白い。

 ミッション・インポッシブル ~フォールアウト~

あらすじ:イーサン・ハント(トム・クルーズ)が率いるチームに盗まれた3つのプルトニウムの奪回指令がくるが、CIA長官(アンジェラ・バセット)は、イーサンの動きを監視するために腕利きのエージェント:ウォーカー(ヘンリー・カヴィル)も同行させる。このプルトニウムの裏取引に絡む謎の女:ホワイト・ウィドウ(ヴァネッサ・カービー)の信頼を得るために、折角捕まえたソロモン・レーン(ショーン・ハリス)の脱走を手助けするが、恋人のスパイ:イルサ(レベッカ・ファーガソン)には誤解されてしまう。この裏取引を牛耳っているのは、ジョン・ラークであることは分かったが、彼の存在は、全く不明だった。脱走したソロモン・レーンは、ついに核爆発を起こす計画を実行する。残された時間は、もうない。どうする、イーサン。。。


筋は実に複雑。ただ、アクションだけが記憶に残る映画だ! 

 元は、テレビの作品から映画化された「ミッション・インポッシブル」シリーズも、この「フォールアウト」でもう、6作目となり、主演のトム・クルーズも56歳になったとか。
タイトルの「フォールアウト FALLOUT」とは、なかなかいい日本語訳が見つからないが放射性物質の「落下」とかこの映画のように、空から人やヘリコプターも落ちてくると考えればいいかも。

監督と脚本は、前作の「ローグ・ネイション」も監督したクリストファー・マッカリーの続投で、そのせいか、この「フォールアウト」も前作の後を引き継いでいて、恋人や元の奥さんなどとトム・クルーズとの関係は、前作を観ていないと分からない。

 いや、今までの「ミッション・インポッシブル」シリーズを観ていても、本作品の話の展開においては、ついて行けないほどの複雑さだ。
 CIAから来たエージェント、イギリスの女スパイでイーサンの恋人、いつの間にか強引にプルトニウムの取引に絡む女とその兄。黒幕のジョン・ラークという存在。
 これらが、みんな、みんな、その正体は謎また謎に包まれたという描き方で、こいつは味方かと思っていたら、裏切って敵になり、殺しにきた敵かと思っていたら実は味方だったと、二転三転のどんでん返しがあり、監督やトム・クルーズとしては、もう話の方はどうでもいいから、とにかく、トム・クルーズが体を張って活躍する映画にしました。
トム・クルーズのファンならアクションだけは面白くしていますので、夏の暑さ凌ぎに、是非観に来てねっていう出来上がりだ。

 そのアクションだが、もう古典で、お馴染みの自動車とバイクの追いかけっこは、パリの川沿いの市街で行われていて、CGのないこの撮影は他のカー・チェイスを見慣れていても迫力十分の出来栄えだ。

 そして、走る、走る、トム・クルーズは、ビル内では普通の会社で社員が仕事中のオフイスも他人の迷惑を構わず窓を壊して走るし、屋根の上でも走るし、この映画の撮影中にビルからビルへ飛んで、壁にぶつかり、実際、トム・クルーズが大けがをしたシーンもある。
また、地上だけでなく、空に関しては、空気も薄い、富士山の2倍以上の高さの飛行機から飛び降りる(FALLOUT)という危険なシーンも用意されているし、(どうして、こんな高い空から飛び降りる必要があるかは、分かりませんが)、これまた、トム・クルーズが自らヘリコプターの操縦免許を取得し、2台のヘリコプターでの、本当に危険な追跡シーンも見せ場として用意されている。

 恒例の肉弾戦としては、トイレでは、これまでかというほど、しつこいくらいに、便器や壁、鏡など、様々なものを、もう闘いは終わったかと思ったら、まだ終わらず、徹底して壊すし、また、どう見ても、不自然な高い岩場の崖に舞台を移し、どこか他の映画でも観たような流れの、ワイヤー・ロープが切れそうになるなどボスとの究極の対決が用意されているし、最後には、お決まりのもうプルトニウムの起爆まで時間がないとゆう、だけど、当然、爆破は未然にふさがれる、全然ハラハラ、ドキドキしない「時間がない」という設定もある。

 ここまで多くの危機に陥ってもいつも間一髪で「なんとかできるトム・クルーズ」となると、スリル感は薄れるが、テレビからお馴染みの「不可能な指示」を与えたら自動的に消滅する録音テープから始まり、一応基本は抑えていますので、これが、現代のミッション・インポッシブルだといってしまえば、そうなんだろう。

 前作; 「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」 (2015年)
 トム・クルーズが出ている; 「ジャック・リーチャー」 (2016年)、 「オブリビオン」 (2013年)
 
 フランスのパリをもっと知りたいなら; 
「駆け足で回ったヨーロッパ」 フランス編

 コード・ブルー ~ドクターヘリ緊急救命~  (劇場版)

あらすじ:翔陽(しょうよう)大学附属北部病院の救命救急センターのフライト・スタッフに成田空港で乱気流にあった飛行機が緊急着陸し、多くのけが人が出ているとの一報が入る。早速、ドクター・ヘリで成田空港に向かった白石恵(新垣結衣)達は、既にけが人の腕に病状を示したトリアージを見つけた。そこには、丁度、アメリカから日本に帰って来たばかりの藍沢耕作(山下智久)が居合わせて、治療を開始していたのだ。その負傷者の中に末期のガンに冒された富澤未知(山谷花純)がいて、死期に怯え自暴自棄になった彼女は、婚約者の見舞いも拒絶していたが、救命救急センターの藤川一男(浅利陽介)と冴島はるか(比嘉愛未)の働きで、富澤未知は亡くなる前に結婚式を挙げることができた。そんな時、今度は、霧の東京湾でカー・フェリーが「海ほたる」に激突し、多数のけが人が出る。早速、ヘリで「海ほたる」に向かう藍沢や白石たちの前に、腹がパイプで貫通され車に閉じ込められて、まったく動けず救助をまつ男性がいた。藍沢はその優れた外科技術で男性の腹部を切り裂いてどうにかその男性を助ける。さらに、船の奥へと救助に向かった藍沢だったが、白石を助けようとして感電し、その衝撃で船底に落ち重傷を負い、搬送先の翔陽大学附属北部病院でも意識は戻らなかった。亡くなった子供の臓器提供に悩む親、アルコール中毒の母親(かたせ梨乃)を抱えた雪村双葉(馬場ふみか)の苦労も。。。


女:お腹が一杯になるほどの話を詰め込んだわね! 

男:フジ・テレビで放映されて好評らしい「コード・ブルー」の映画化だね。
女:監督は、このテレビ版も演出したことのある西浦正記の初映画作品で、脚本は安達奈緒子とあるわよ。
  だいたい、テレビの連続ドラマなんてあまり興味がない、あたなが、どうして、映画版を観る気になったのよ。

男:最近、NHKで放映されている産院を扱った「透明なゆりかご」での新しく生まれる「生命」と途中で消されてしまう「命」の取り上げ方が凄く巧いので、感激している。
  そこで、救急医を題材にしている映画ならどう「命」について違った話が進むのかという興味からだね。
女:わたしは、優れた外科医に扮して、格好いい山P(山下智久)が出ているというので、観たけど、この映画では山Pの活躍といったら、腹に突き刺さったパイプを腹を切り裂いて助けるというだけで、これは、かなり無理な設定の出番で、物足りなかったわ。
男:テレビ版を全然見ていないけど、この救命救急センターで働く医者や看護師はみんな、まるで劇のように暗い過去を持って働いているようだね。
女:まあ、テレビ・ドラマはそんなもんだと思うけど、それでも、普通の家庭環境とは大きく外れて、飲んだくれの母親が、頭に包丁が突き刺さったまま娘の勤める病院に来るのは、驚きね。
男:たまたま、脳には影響がない所に包丁が突き刺さったっていたというけど、こんなに元気な患者として演出をするのは、笑いをとるにしては、未熟だね。
女:そして、ガンで死期の迫った女性の花嫁姿ね。
  いつものよくあるお涙頂戴の話から脱していない展開ね。

男:亡くなった息子の臓器提供で悩む両親の話にしても、よくある上辺だけの扱いだ。
女:よくあるパターン化された映像は、パイプが突き刺さった男性の息子が金髪で、不良ぽくしていて、父親に捨てられても、本当は気持ちの優しい、恨みを持たない、「いい人」でしたでしょう。
男:金髪イコール不良という定番のイメージを覆す安易な設定は、下で取り上げた 「空飛ぶタイヤ」 と同様に、今まで多くの映画で使われてきたやり方で、脚本家として、勉強と深みが足りないね。
女:事故現場で、てきぱきと動く消防隊員などの演出は、テレビで手慣れているようで、上手いやり方だったわ。
男:緊迫した救急現場でありながら、私語が多いのは、こういった話ではよくあるけど、もっと別なシーンを挟んでもいいね。
女:あらすじでは全然出てこないけど、戸田恵梨香もちゃんとした演技はしていたわ。
男:この映画を観ていると、主役は誰なのか、的が絞られていないね。
女:医者だけでなく、看護師も含めて、テレビなら、4,5話を詰め込んでみましたので、是非映画館に足を運んでくださいってことね。
  ヘリコプターを使ってまでして、早く命を助けるという緊迫感がないのは、テレビで既に取り上げたからかしら。

男:他に話が無いからといって、病院の中庭で結婚パーティをやりますは、いくら何でも、設定としては、無理やり感が強いね。
女:脚本として、暗い病院を明るくしようとして、安易に書いちゃう、拙い例ね。
男:救命病院では、医者も看護師も24時間体制で厳しい環境にあることは、描けていて、男性よりも女性が活躍しているってことは、よくわかったよ。
  わたしも、比嘉愛未のような美人で優しい女性に看病されるなら、入院してもいいなぁ。
女:比嘉愛未は美人だけど、優しいとは、役の上だけで、本当は分からないでしょう。
  また、ウエディング・ドレス姿の比嘉愛未の肩のほくろは隠して欲しかったと残念がっていたじゃないの。
  それに、この暑い中、熱中症にもかからず、ゴルフをしているあなたは、完全に元気で、入院もしないから誰からも看護されることはないわよ。

男:元気だと、美人看護婦にも会えないなんて、悔しいー。
女:健康な自分を残念がるって、もう、理解不能ね。
男:毎月払っている健康保険料のためにも、病気になるか。
女:もう、かってにしなさいっ。

いい人が多い; 「空飛ぶタイヤ」 (2018年)
新垣結衣が出ていた; 「麒麟の翼」 (2012年)
戸田恵梨香が出ていた、 「予告犯」 (2015年)、 「駈込み女と駆出し男」 (2015年)

 ジュラシック・ワールド ~炎の王国~

あらすじ:古代ジュラ紀に生きていた恐竜たちの遺伝子を手に入れそれらを操作して、恐竜や古代生物を再生し、孤島のイスラ・ヌブラル島に観光用テーマ・パーク「ジュラシック・ワールド」を作ったが、その島では、再生した恐竜たちが暴走し、コントロール不能となったため島は閉鎖されていた。それから、3年後、島にある火山が噴火を起こしだした。このままでは、島の恐竜など古代生物は全滅してしまう。そこで、かって、「ジュラシック・ワールド」の運営責任者で、今は恐竜保護団体を主催するクレア・ディアリング(ブライス・ダラス・ハワード)は、ロックウッド財団の運営者:イーライ・ミルズ(レイフ・スポール)の支援を得て、以前、恋人で恐竜監視員だったオーウェン・グレイディ(クリス・プラット)らとともに、主だった恐竜たちを救出に向かう。島では噴火が活発だったが、かなりの古代生物を保護し、アメリカに連れ帰った。その中には、オーウェンがてなずけたヴェロキラプトルのブルーもいた。しかし、ジュラ紀の動物を保護すると言っていたイーライ・ミルズの真の企みは、恐竜たちを世界の富豪たちにペットとして高額で売り飛ばし、また、恐竜の遺伝子を操作して殺人兵器に変えることだった。これに気が付いたクレアとオーウェンだったが、イーライに捕まり檻に閉じ込められる。果たして、人類とジュラ紀の動物は共存できるのか。。。


(俳句風に) 夏映画 大人の思惑 おおすべり! 

 これまた、下で評論した「スター・ウォーズ・シリーズ」と同様なシリーズ物で、第1作目は「ジュラシック・パーク 」というタイトルで1993年に公開された。
 その「ジュラシック・パーク 」は、スティーヴン・スピルバーグ 監督がマイケル・クライトンの原作を、当時としては驚愕のCGで恐竜たちの動きを再現して、コップの水面が揺れる等恐怖感の出し方は上手い作品だった。

 この好評を受け、「ジュラシック・ワールド」 (1997年)、「ジュラシック・パーク Ⅲ」 (2001年)、そして、かなりあいて「ジュラシック・ワールド」 (2015年)と続編が作られ、今度の「ジュラシック・ワールド /炎の王国」は、このシリーズの5作目となる。
監督は、スペインのJ・A・バヨナ、脚本は、コリン・トレボロウとデクレ・コノリー。

 話の展開は、「あらすじ」にあるように、2015年製作のテーマ・パーク「ジュラシック・ワールド」閉鎖の後を受け持っていて、島の元の運営責任者:ブライス・ダラス・ハワードや、恐竜監視員だったクリス・プラットも同じ出演で、恐竜の「ブルー」も同様だ。

 映画を観なくても分かるように、大量に降り注ぐ火山の隕石は主人公たちには絶対に当たらず、恐竜に襲われても、何となく助かり、助かったかと思ったら今度は海に落ち、これも何となく助かり、でもまた救助船は出て行こうとしていて、間一髪トラックをジャンプさせて、またまた助かるという、一難去ってはまた一難の連続で、これが、まるでジェット・コースター的に繋がるが、ただ平地を走るジェット・コースター感覚で緊迫感もなく、手ぬるいシークエンスの連続だ。
よくこうまで、都合よく危機が訪れ、また助かるとは、ずぼらな脚本には呆れるばかり。

 救出した恐竜たちを世界の富豪たちのオークションにかけるとは、すごいアイディアだけど、これって、子供には不可解だろう。また、恐竜を殺人兵器に改造するなんて、実に怖い話で、大人でも夏の暑さ凌ぎにもならない。

 孫娘が実はクローン人間だったなんて話も、この際不要な付け加えだ。ここは、単純に、可愛い女の子が怪獣から必死に逃げましたとさ、でいい。エレベーター等を使っての逃げ方が、悪い方にばかり行くのは、大人としては、まったく納得がいかないけど。

最後に、恐竜たちが閉じ込められていた屋敷から逃げ出し市街地に行くけど、現代の人類と人を食べる恐竜たちとはいくら何でも、共存はできない。余りにも、甘い締めくくり方だ。

 前の映画「ロスト・ワールド」でも指摘したが、空を飛べるジュラ紀の生物もいるが、これらは、救助されなくても、地球の空を飛んでいると思われるが、彼らは一体どこに行ったのでしょうか。

 テーマ・パークの「ユニバーサル・スタジオ」のアトラクションを増やすためだけの映画だった。

 前作: 「ジュラシック・ワールド」 (2015年)

 ハン・ソロ /スター・ウォーズ・ストーリー

あらすじ:銀河系宇宙を帝国軍が支配していた頃の惑星コレリア。いつか優れた宇宙船を手に入れて、銀河で一番のパイロットになることを夢見ていたハン・ソロ(オールデン・エアエンライク)だったが、借金とりから逃げるためコレリアを脱出する際に、恋人キーラ(エミリア・クラーク)と離れ離れになる。それから3年、ハン・ソロは帝国軍で宇宙船の操縦を学んだが、空軍から陸軍に配置換えをさせられて不満足な日々を送っていた。そこに、金だけを信じているならず者ドバイアス・ベケット(ウッディ・ハレルソン)たちが現われ、絶大なパワーを持つ燃料コアクシアムを輸送列車から盗めば、大金が手に入るとの話があり、ハン・ソロと仲良くなったチューバッカ(ヨーナス・スオタモ)も一味に加わる。しかし、大きな犠牲を払ったがコアクシアムは奪うことができなかった。コアクシアム略奪を命じた巨大犯罪組織のリーダー:ドライデン・ヴォス(ポール・ベタニー)に別のコアクシアム略奪作戦を説明に行くと、そこには、コレリアで離れたキーラが、ドライデン・ヴォスの片腕として働いていた。新しく惑星ケセルにあるコアクシアムを求めて、ハン・ソロ、チューバッカ、トバイアス・ベケット、そして、目付役として同行するキーラは、賭博師:ランド・カルリジアン(ドナルド・グローバー)から、高性能の宇宙船:ミレニアム・ファルコン号を借りて飛行する。惑星ケセルでの戦闘も厳しい。。。


出来の悪い筋書きで、目新しさもないスター・ウォーズでは、意味がない! 

 タイトルとなっている「ハン・ソロ」は、「スター・ウォーズ」シリーズでは、ハリソン・フォードが演じていて評判がよかったので、本体の「スター・ウォーズ」は、終わったため、それなら、なんとか、「スター・ウォーズ」の人気がまだある内に、興業的に無難に儲けようとウォルト・ディズニー社が作り上げた物だ。
 これを、英語では「スピン・オフ」といい、日本語に訳すと「便乗商法」となり、このやり方は新規のアイディアが無い今日の映画界では、よく採用される。

 監督は、「インフェルノ」や「ダ・ヴィンチ・コード」のロン・ハワードで、脚本は、ローレンス・カスダン親子。

 「スター・ウォーズ」で宇宙船:ファルコン号を操縦していた、ハン・ソロの若き頃を描いている訳だけど、話が入り組んでいて、実に分かり難い。
一度映画を観た人でも、私の「あらすじ」を読んで、そういう話だったのかと分からなかった部分があっただろう。

 宇宙という広大なスペースを題材にしていながら、描いている内容のちっぽけさと、新しさのないことにがっかりする。
まず、冒頭のハン・ソロと恋人が乗った物と追跡者の追っかけっこは、単に、路上の自動車を空中に浮かしただけだし、狭い空間を、機体を横にして飛ぶのも、よくあるカー・チェイスで使われているパターンだし、数少ない戦闘のシーンも「スゴイ」とかいう内容はまったくない。
「ハン・ソロ」という名前の由来にしても「ハン」という名の少年はいつも一人で行動するから一人を表わす「SOLO ソロ」が追加されたでは、そんなものかの世界だし、宇宙空間には、どういう訳か、地球上では海にいる、強大なタコがいて、宇宙船を襲うとは、子供でも、そんなこじつけはあり得ないと嘆くでしょう。

 3年前に別れた恋人に再会すると、彼女は、いつの間にか、悪の組織に入っていましたでは、説明が不足過ぎる。これは、また、次のスピン・オフ映画として「哀しいさだめを背負った娘:キーラの物語 ~スター・ウォーズ~」とする積りか。
人間を食べていたようなチューバッカが簡単に、ハン・ソロの相棒になるのも、大人の観客を馬鹿にした不自然な設定だし、ハン・ソロ達の敵となっていた筈の仮面を被った強盗団も、最後は「いいひと」でしたでは、一体、何を言いたいのか、分からない。
アンドロイドにも女性版があるというのは、クスッとした笑いとしては受け止められるが、全体的には、これでは、ドバイアス・ベケットを中心とした、二転、三転の物語「何も信じてはいけない」をタイトルにした方がいい。

 また、全体として画面の暗さは、編集と撮影の拙さを示している。
当初は、CGや合成画面を多用するので、周りを誤魔化すためかと思っていたが、今の映画のテクニックなら、ここまで、逆光や表情を暗くした撮影はいらない。

 でも、135分という持て余す長い時間は、冷房が効いていて、お客の少ない映画館ならではの効果があり、この連日続く酷暑を避けるには、実によかった。
また、途中で、ひと眠りもできるし。

 「スター・ウォーズ」前作、 「最後のジェダイ」 (2017年) 、「ローグ・ワン」 (2016年)
 ロン・ハワード監督の; 「インフェルノ」 (2016年) 、 「ダ・ヴインチ・コード」 (2006年)
 ウッディ・ハレルソンが出ていた; 「スリー・ビルボード」 (2018年)

 バトル・オブ・ザ・セクシーズ

あらすじ:時は、まだ男女間の差別が大きくあった1970年代初めのアメリカのテニス界。女子テニスの世界チャンピオンのビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン)は、所属する全米テニス協会が設けた男子の優勝賞金が女子の8倍という差に厳しく抗議し、女子の賞金も同額にしろと抗議するが、頭の固い偏見に満ちた男性たちで構成される協会側は聞き入れない。そこで、仲間の選手やスポンサー探しにたけたグラディス・ヘルドマン(サラ・シルヴァーマン)らと共に新しく「女子テニス協会」を立ち上げ、各地で女子だけの独自の試合を行っていた。そんな、ビリー・ジーンのもとに、かっての世界チャンピオンで、賭け事の大好きな55歳のボビー・リッグス(スティーブ・カレル)から売名行為的な試合の申し入れがくるが、ビリー・ジーンは取り合わなかった。すると、ボビーは、ビリー・ジーンのライバルのマーガレット・コート(ジャシカ・マクナミー)と対戦し、試合は、ボビーの楽勝だった。女性はいくら頑張っても男性に劣ると豪語するボビーの挑戦を受けることにしたビリー・ジーンだったが、夫婦の生活には、美容師:マリリン・バーネット(アンドレア・ライズボロー)の影が忍び寄っていた。ビリー・ジーンは、ボビーに勝てるのか。。。


女:またまた、スポーツの楽しさも性の葛藤も勉強していない監督の退屈な作品ね! 

男:脚本は、サイモン・ボーファイで、監督は、ジョナサン・デイトンとヴァレリー・ファリス夫婦で、二人の主な作品には、「リトル・ミス・サンシャイン」があるね。
女:これまた、テニスの女王だったビリー・ジーン・キングの実際の話をもとにしているけど、よくある程度のまとめ方ね。
男:予告編を見る限りでは、テニスでの男女対決かと思ったけど、本当は、ビリー・ジーンのレスビアンも扱っているとは、意外だった。
女:タイトルの「バトル・オブ・ザ・セクシーズ (Battle Of The Sexes)」には、男女間の争いの他に、レスビアンとかゲイの意味合いも含めているのに、予告編でも映画の公式サイトでも、これを取り上げていないのは、まだまだ日本でのLGBTに対する扱いは低いってことね。
男:今も時々テニスをする私だけど、ビリー・ジーン・キングが活躍していた頃の彼女の私生活はあまり知らない。
  でも、女子テニス・プレイヤーでは、最近でも、マルチナ・ナブラチロワが告白したように、レスビアンは多いようだ。
女:コメディ・タッチを狙って、相手役のボビーを演じているスティーヴ・カレルには軽薄な行動と会話をさせているけど、ギャンブルで貰ったロールスロイスにしても、受けないわね。
男:ボビーは、資産家の奥さんに頭が上がらないことになっているけど、結局その奥さんも理解のある「善人(いいひと)」でした、では平凡な展開だ。
女:「いいひと」は、ビリー・ジーン・キングの旦那もそうね。
  ビリー・ジーンがテニスと家庭を両立させるのは、当然ながら許せるけど、レスビアンと分かっても、毅然とした態度をとらないのは、もう、自我のない腑抜けの旦那としか写らないわ。

男:あれも許す、これも許すの描き方では、映画人としての主張のなさで、その先まで追及するまでの勉強をしていなということを露呈している。
女:笑いをとりたいという思いがある遠征先のホテルのエレベーター内で、ビリー・ジーンのレスの相手のアンドレア・ライズボローが顔を知らないビリー・ジーンの旦那と会話を交わして、その後ドタバタするという設定は、もうありふれた手法で先が読めて、全然笑えないわ。
男:設定の未熟さは、ビリー・ジーンが、ボビーに勝ってロッカーで一人涙するというこれまたよくある映像で、さらに、このロッカー・ルームにいつの間にか、試合会場に置いてきたと思われれるラケット・バッグがあるという、ちぐはぐさも感じる。
女:脚本と演出が悪い上に、撮影も下手ね。
  特に、よく出演者の顔を極端にアップしているけど、演者の優れた表情の変化がある訳でなく、ここまで、しつこくアップで撮る意味がないでしょう。

男:テニスにしろ、サッカーにしろスポーツをする人の楽しみは、勝てば、最高だけど、負けても自分の納得のいった試合運びができれば、いいんだよ。
   そのあたりも描いてほしい。
女:それは、あなたがいつまでも上手くならないゴルフについての言い訳なの?
男:ゴルフはテニスと違って人間との対決ではなく、自然との対決だけど、まあ描いたイメージのとおりにボールを打てた時は、気持ちがいい。
女:だけど、お金をかけている割には、全然上達しないのは、どうゆう訳?
男:それは、年齢と、そう、今使っているクラブがわたしに合っていないからだね。
  ここらで、新しくクラブを買い替えてもいいかな?
女:上手くならないのは、クラブのせいではないでしょう!
  練習しなさいっ。

男:やっぱり、だめか。

 1970年代のテニスの試合運びを観ていると、シングルスでは、よくネット際に詰めて闘っていたことを、思い出した。
今の、テニス選手は簡単にネット際に詰めないな。

エマ・ストーンを有名にした; 「ラ・ラ・ランド」 (2017年)
アンドレア・ライズボローも出ていた; 「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」 (2015年)、 「オブリビオン」 (2013年)

 空飛ぶタイヤ

あらすじ:赤松徳郎(長瀬智也)が経営する中規模の赤松運送のトラックが走行中に前輪のタイヤが突然外れ、歩いていた主婦に当たり彼女は亡くなる。警察の高橋刑事(寺脇康文)は、運送会社の整備不良が原因と見て捜査をするが、製造したホープ自動車の原因調査に疑問を感じた赤松は独自の調査を始める。週刊誌の記者:榎本(小池栄子)の助けを受けて、巨大企業であるホープ自動車製造のトラックでは同様な事故が各地で起きていることが分かるが、ホープ自動車では常務の狩野(岸部一徳)がリコールすると莫大な費用がかかることを恐れて、運送会社の整備不良にして原因を隠していた。しかし、正義心の強いホープ自動車の社員:沢田(ディーン・フジオカ)たちは、製造の欠陥を公表しようとするが狩野の力は絶大だ。荷主が減って資金繰りも危うくなる赤松運送、真実はどこに。。。


既定の構図を当てはめた、上辺だけの映画では、観ていられない! 

 原作には、池井戸潤の本があり、これを、林民夫が脚本し、本木克英が監督をしている。

 なお、タイトルの「空飛ぶタイヤ」だけで、これは、飛行機用のタイヤの映画とは、思わないようにしてください。

 実に、目新しさがない展開に呆れ果てる。

 まず、整備不良で疑われる金髪の整備士が、本当は真面目に整備を行い責任はないという話。
よく、映画などで使われる、人はその外観だけで判断してはいけないという、典型的な設定。

 ホープ自動車の責任を追及していた週刊誌も記事を載せる直前で、大きな広告主であるホープ自動車関連からの圧力で記事を没にされる。
これも、今まで多くの本や映画、テレビ・ドラマで、マスコミの実体を知らない人に、さもありなんと思わせる、使い古された手法だ。

 また、巨大企業では必ず悪役上司がいて、平凡な社員が出世と正義の板挟みになった時の、結局、信念を捨てて出世に走るジレンマの表面だけの扱い方。

 廃業の危機になっても社長を信じてついてくる、健気な社員たちの涙を誘う薄っぺらい言葉の数々。

 間一髪の経営危機を別の金融機関が救ってくれるという、明らかに漫画的な発想からの転借。

 苦労は報われ、正義は勝つのですという世間によくある話を、捻りもなく、新しい案もなく、よくある程度に纏められては、製作者たちの意気込みがまったく感じられない。

 これが、原作者である池井戸潤の本のとおりなら、池井戸潤にも責任はある。

 また、撮影も下手で、同じ場所を繰り返し使用するのは、経費を惜しみ過ぎだ。

 俳優としては、長瀬智也が中小企業の社長役を務められるまでに成長した演技は、観られる。
でも、長瀬智也の妻としての深田恭子は、全然、活用されていない。これでは、特に深田恭子でなくてもいい役割だ。

 また、訳ありの悪役に岸部一徳を配しているが、これもよくある設定で、先が読める。

 実際にあった三菱自動車のリコール隠しも背景にあるようだけど、それを取り上げるなら、本からだけでなく、もっと運送会社の実態を調べ、大企業である自動車会社の組織と各部門の業務内容を勉強し、さらに金融界やマスコミも研究して、定型的な観念を突き破るだけの展開でないと、折角、多くの俳優を揃えても、みんな活躍できていない結果になった。

 長瀬智也の; 「TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ」 (2016年)

 レディ・バード

あらすじ:時は2002年のアメリカはカリフォルニア州の名も知れない田舎町:サクラメント。スカートの長さも制限されている厳格なカトリック系の高校3年生になった17歳のクリスティン・マクファーソン(シアーシャ・ローナン)は、自然しかない退屈な田舎の生活に飽きていて、自分で名前を「レディ・バード(てんとう虫)」と名乗り、失業した父親(トレイシー・レッツ )に代わって家計を支えている看護師の母親:マリオン(ローリー・メトカーフ)が勧める地元の大学ではなく大都会:ニューヨークの大学に行きたがり、母親とは仲たがいの状態だった。高校の演劇サークルで知り合ったダニー(ルーカス・ヘッジズ )とは良い仲になったが、彼はゲイで恋は実らず、結局童貞だというカイル(ティモシー・シャラメ )に処女を捧げたが、カイルは、多くの女性とも関係があった。誰も信じられなくなったレディ・バードを優しく慰めてくれるのは、喧嘩をしても友達のジュリー(ビーニー・フェルドスタイン )だけだった。応募していたニューヨークの大学に補欠入学ができ、母が許してくれなかった自動車運転免許も取って一人で故郷のサクラメントをドライブするとそこにはいままで気が付かなかった多くの美しい景色と両親の愛情があった。ニューヨークに着いたレディ・バードは、もうレディ・バードとは名乗らず、元の名前:クリスティンになっていた。。。


若い女性と母親なら共感が持てるか?! 

 脚本と監督は、女優でもあるグレタ・ガーウィグで、彼女の青春時代の、やや自伝的な内容とのことだ。

 華やかさがないと思い込む田舎の高校での生活。
 心配してくれる母親の面倒見の良さが、拘束されていると感じる反抗期。
 まだ経験のない性への関心と不安。
 親友との断絶と回復。
 故郷を離れて知る両親の愛と懐かしさ。

 これらを描かれても、今まで多くの本を読み、数多くの映画を観て、また過去に豊富な人生経験があると、よくある映画の一本にしか過ぎないと感じる。

 男である私としての目新しさは、女性のオナニーの話や処女喪失で、女性上位やブラジャーを外さずにやるのかという演出の下手さの方に関心が向く。
カトリック高校ならではの、中絶での問答は面白いが。

 よく使われる「等身大」の女子高生を化粧をしないで演じましたといっても、この展開では実に退屈であった。

 でも、女子高生の日常の生活と意識は、アメリカも日本も、もうまったく差がないと認識できた映画だ。

シアーシャ・ローナンが出ていた; 「ブルックリン」 (2016年) 、 「グランド・ブダペスト・ホテル」 (2014年)
ルーカス・ヘッジズが出ていたような; 「スリー・ビルボード」 (2018年)
、 「とらわれて夏」 (2014年)

 万引き家族

あらすじ:東京の下町のマンション群に囲まれた一角にあるボロくて狭い平家には、この家の持ち主である柴田初枝(樹木希林)の僅かな年金をあてにして、治(リリー・フランキー)と妻:信代(安藤サクラ)、息子の祥太(城桧吏 じょう かいり)、そして、転がり込んできた信代の妹 :亜紀(松岡茉優)の4人が暮らしていた。日雇いの治とパートの信代の収入もあるが生活は苦しく、不足分は、万引きをして凌いでいたが、家庭にはいつも笑いと暖かさが絶えなかった。そんなある日、治と祥太がいつものように万引きをしての帰り道、通りがかったマンションのベランダでお腹をすかして震えている女の子(佐々木みゆ)を見つけ、不憫に思った治はその子を家に連れて帰る。流石に信代もこれでは誘拐になると心配して両親のもとに戻そうとするが、痩せた女の子の体中に付いている痣といつもマンションの外にまで聞こえる大声で夫婦喧嘩をしている両親では、もうその女の子を戻すことはできず、ゆりと名乗らせて、一緒に暮らすことになった。新しく5人家族となった柴田家は、貧しいながら、また万引きをしながら、ひっそりと花火大会を楽しんだり、時には家族揃って海水浴に行くこともあった。しかし、初枝が病死し、年金が貰えなくなることを恐れて遺体をひっそりと埋めた頃からこの家族が抱える「真の姿」が明らかになり、ついに、万引きの実行犯として、祥太がつかまる。。。


女:是枝監督ならではの、不思議な家族観が表現されたわね! 

男:「海街diary」や「そして父になる」などを手掛けた是枝裕和監督が、脚本を書き編集までをしているという熱の入れ方だ。
女:今年(2018年)のフランスのカンヌ国際映画祭に持って行って最高の「パルム・ドール賞」を獲ったということで、先行公開もあるという話題作ね。
男:この「万引き家族」では、是枝監督が取り上げた「万引き」という犯罪行為を、観客が最初から許せるかどうかで、先の評価に繋がるな。
女:確かに、「万引き」は世間としては許される行為ではないけど、これも家族を結びつけるための手段として選ばれていると、柔らかめに捉えると高い評価もできるということね。
男:是枝監督が言いたいことは、「万引き」という話題を呼ぶ特殊な状況を持ってきて、本当は幼児虐待が抱える現在の子供と両親の関係、さらに、その子が成長しても虐待による衝撃として心に残っている厭な感情をどう処理するかの葛藤だ。
女:幼児虐待は、丁度、今日も5歳の女の子: 船戸結愛ちゃんに十分な食事を与えず殺し、「もう おなじことはしません ゆるして」という反省のひらがな文を書かせていた両親が逮捕された事件が報道されていたけど、本当に、むごいことなのよね。
男:その残酷な死にまで繋がる幼児虐待は、一度ならず、度々起きていて、その度に世間では話題を呼ぶが、結局幼児の死を防げない現実が、是枝監督を強く動かしたようだ。
女:幼児虐待を繰り返す実の親の元に戻すことが本当に、その子にとって仕合せなのかという設定は、日本の法律や行政機関にも関わる問題提起ね。
男:子供は親を選べないから、単に法律論だけで結論をだすのではなく、子供に寄り添い親身になって考えてくれる組織が求められる。
女:それにしても、リリー・フランキーだけでなく出ている俳優達の演技は素晴らしいわね
男:まったく、リリー・フランキーという男は掴み所がない役者だ。
  良い意味で型にはまっていない。
女:過去の映画でも、普通の父親役や暴力的な男なんかを観ているけど、特に無理してその役になるための演技をしているとはみえなくても、チャンと存在感を出しているから、本当に不思議な人ね。
男:おばあちゃんを演じた樹木希林も入れ歯を外してまでの凝りようで、これまた役に専念している。
女:あなたが好きな松岡茉優もこの作品では彼女の才能を示せる本来の使われ方をしていたわよ。
男:まったく、是枝監督は子役の使い方が上手いね。
   バスの中での城桧吏くんの目線の持って行き方は、凄い。
女:いろいろな俳優達の優れた演技が作品の出来を押し上げているけど、この作品を全体として高評価にさせたのは、安藤サクラで締められるわね。
男:家族の生活の中心として多くのことを受け入れられる母親役を見事に演じている。
  訳ありの過去を秘め、罪も負い、暖かい愛情も醸し出す、素晴らしい演技だ。
女:特に、最後の取調室での長いセリフと涙を流す表情は、圧巻の名演よね。
男:日本人でも分かり難い家族関係をよく外国人が理解して、「パルム・ドール賞」を与えたということは、日本の情緒の訳が上手かったことと、多くの俳優の演技も優れていたという証だ。
女:それらを引き出すことのできた監督:是枝さんがやっぱり只者ではないってことなのよね。
男:肉体美とは到底言えないリリー・フランキーを裸にしても、問題なくみせられる演出と撮り方は、凝っている。
女:夏のソーメンの味わい方、揚げたてのコロッケの美味しさは、日本人だけでなく外国人に対してもいい日本の宣伝になったんじゃないの。
  そうだ、今夜の食事は、コロッケにしましょう。

男:うん、コロッケもいいけど、たまには、カツも食べたいなぁ。
女:贅沢は言わないの。
  万引きしないでチャンと買ってきてね。

男:わたしが、買いにいくの?
女:当然でしょう。
  何か、不満でもあるのっ。

男:いや、なにもありません・・・

是枝監督なら; 「海街diary」 (2015年)、  「そして父になる」 (2013年)、 
           出来の悪かった、 「三度目の殺人」 (2017年)
リリー・フランキーの; 「SCOOP!」 (2016年)
松岡茉優が活用されていない; 「ちはやふる」 (2018年)

 ゲティ家の身代金

あらすじ:第二次世界大戦後、アラブの石油採掘の権利を手に入れて世界一の大富豪と言われていたジャン・ポール・ゲティ ( クリストファー・プラマー)の孫で17歳のジョン・ポール・ゲティ3世( チャーリー・プラマー)が、1973年、イタリアのローマで誘拐され、犯人グループから母親:アビゲイル・ハリス ( ミシェル・ウィリアムズ)の元に、身代金として、1,700万ドル(当時約50億円)という巨額な金額を支払えと電話があった。しかし、アビゲイルは、もうゲティ2世とも離婚をしていて、そんな大金を支払うことは不可能だった。止む無く、アビゲイルは、義父のゲティに支払を頼むが、犯人の要求を飲むと、他の孫も誘拐される恐れもあるため、ゲティは1円も払わないと公言し、アビゲイルに元CIAで交渉人だったフレッチャー・チェイス( マーク・ウォールバーグ)を付け、事態の進展を待った。事件を知ったイタリアのマフィアが元の犯行グループからゲティ3世を引き取り、交渉が続くが、金額が折り合わない。ついに、ゲティ3世の耳が切り取られて、新聞社に送られてくるが。。。


緊迫感はないが、金持ちの考え方は、分かった! 

 監督は、もう80歳を超えたリドリー・スコットで、最近関わった主な作品としては、「ブレードランナー 2045」や「エイリアン コヴェナント」などがあり、未だに精力的に活躍している。

 この映画「ゲティ家の身代金」で扱っているゲティ家の孫の誘拐事件は本当にあった話で、また、犯人たちから要求された身代金を払わないと公言したのも事実で、孫の耳が新聞社に送られてきた話など、多くのエピソードは本当にあったものだ。
 私も、海外では凄い誘拐事件が起きるものだと、ぼんやりながら記憶していた。

 誘拐事件となると、犯人と警察との駆け引きで、緊迫感があるのかと期待したが、それがない。
最初は誘拐された孫の狂言だと疑われたことが、緊迫感がない一因でもあるが、この映画では、人質解放・犯人逮捕よりも、世界一の金持ちの生き方の説明の方に重心がある。

 金持ちはある日突然、金持ちになれる訳ではなく、金持ちと言われるまでには、1円を儲けるために毎日世界経済や政治の動静を探り、細かく判断を下し、危ない橋も多く渡ってきており、基本的にケチであるから金持ちに成れたということだ。
原則としてお金を貯めるには、収入より支出を少なくすればいいわけで、そのためには自分で洗濯をしたり、自宅から電話をする訪問者には、公衆電話にして金をとるという逸話は笑える。

 身代金を払う決断をしても、税の対策をしたり、本人への貸付の形をとるなど、物事に流されずに、金の利用を考える冷静な姿勢が、彼を世界一の大富豪にまでさせたのだと感心した。
また、人は裏切るが芸術品は裏切らないと言って、美術品の収集に精を出すのは、多くの金持ちに共通した心理のようで、これも納得する。

 そういった苦労をしてきた頑固な老人の役には、クリストファー・プラマーはぴったりで、上手く演じている。
彼も、88歳という高齢でまた、この役は、ケヴィン・スペイシーが演じていて撮影が終わっていたが、ケヴィン・スペイシーのセクシャル・ハラスメント事件が報じられ、急遽、9日間でケヴィン・スペイシーの出演していたシーンを全部クリストファー・プラマーで撮りなおしたとのことだが、彼の演技は、素晴らしい出来栄えだ。

 しかし、全体の評価となると、あまり高くなくなる。
それは、ゲティ3世がイタリアの村に逃げる最後のシーンだ。
ここは、追っ手も多く来ているし、警察も来ているのに、雑な逃げ方で母親と再会できるが、ゲティ3世を匿わない村人の対応がかなり不自然で、詰めが甘い。

 また、昔の誘拐事件とは言え、また、扱いがイタリアの警察と言っても、彼らの事件の対応がのんびりし過ぎだ。

 死んでしまえば、金なんてまったく意味のないのにどうして、人々は金に執着するのか。
これは、考えさせられることでした。

 リドリー・スコット監督の; 「オデッセイ」 (2016年)、「悪の法則」 (2013年)
 ミシェル・ウィリアムズの; 「フランス組曲」 (2016年)
 クリストファー・プラマーの; 「ドラゴン・タトゥーの女」 (2012年)

 アイ、トーニア

あらすじ:アメリカの女子フィギュア・スケート界で、初めてトリプル・アクセルに成功し、1992年と1994年の冬期オリンピックにアメリカ代表として出場したトーニャ・ハーディング(マーゴット・ロビー)だったが、ライバルのナンシー・ケリガンの足を襲わせた罪で、永久にスケート界から追放となった。しかし、栄光の座から落とされたトーニャは、事件後のインタビューで、彼女はあの事件には無関係だったと訴える。離婚をし貧乏ながらトーニャを一流のスケート選手にするために、時には暴力を振るう母親(アリソン・ジャネイ)のこと。また、よく暴力を振るう男:ジェフ(セバスチャン・スタン)を好きになり彼と結婚したこと。そして、ナンシー・ケリガンを襲わせたのは、そのジェフの計画で自分は知らなかったと話す。一方、ジェフもインタビューで答えるが、彼はナンシーを脅かすまでは計画したが、ナンシーの足を傷付けるまでは考えていなかった。それは、仲間のショーン(ポール・ウォルター・ハウザー)が、勝手にやったことだという。そして、ジェフはFBIとの司法取引で、トーニャも関係したことにしたというが、ショーンの話はまた違う。。。


迫力のあるスケート・シーンとインタビュー構成は面白い! 

 この映画で取り上げた題材「ナンシー・ケリガン襲撃事件」は、女子フィギュア・スケート界でも有名な実話だ。私も、オリンピックに出たいために、ライバル選手の足を痛めつけるとは、アメリカでは凄い女子選手がいるものだと感じたことを思い出した。

 監督は、クレイグ・ギレスピーとあるが、彼の他の作品は観ていない。脚本と製作は、スティーヴン・ロジャース。
なお、冬期オリンピックは4年ごとに開催されるが、1992年のフランスのアルベールビルと次の1994年のノルウェーのリレハンメルとの間が2年しかないのは、この間で、今まで夏のオリンピックと同年に開催されていた冬期オリンピックの開催期間が変更になり、夏のオリンピックの2年後となったためです。

 登場人物を実に個性溢れる設定にしたのが、この映画の見せ所の1つ。
まず、トーニャの母親役のアリソン・ジャネイの鬼の親に徹した役作りを褒めたい。
金のかかるフィギュア・スケートだけど、離婚しても、何とかして娘を成功させたいと必死に働き、成功のためには娘を殴るし、コーチには遠慮なく毒舌をはくは、観ていても気持ちがいいほどの出来栄え。
彼女には常に、細いタバコを吸わせているのは、脚本として見事だ。

 そして、トーニャのボーイ・フレンドから、夫にまでなるジェフ役のセバスチャン・スタンもしっかりした演技をしている。

 それらを超えて凄いのは、主演のマーゴット・ロビーだ。
彼女の作品としては、レオナルド・ディカプリオと出ていた、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」があるが、特に注目はしていない存在だった。
 しかし、このトーニャでのマーゴット・ロビーの役どころは見ごたえがある。
美人といえば、美人の顔を、どちらかというと悪役的な高慢ちきで、ふてぶてしい性格を持った表情に変えたのは上手い。
体型もスケート選手標準にまでしたようで、その努力は報われている。

 撮影テクニックもまた優れている。
テレビでは、かなり離れた位置からでしかスケート選手を見られないが、この映画では滑っている選手を本当に身近な距離でとらえていて、この撮影方法が、見事にスピード感と迫力をもたらしていていい。
ジャンプやスピンは特撮もあるだろうが、フィギュア・スケートの魅力を十二分に引き出している。

 自分が野原で獲ったウサギをつぎはぎした毛皮を着るなど、ところ、どころに笑いを入れ、貧乏な白人階級の夢が叶えられても、世間は悪役を求めていて、一度貼られたレッテルは、簡単には剥がれないという現実や、子供は結局親の影響から逃げられないということも踏まえて観ると、また面白い内容の映画だった。

 マーゴット・ロビーが出ていた; 「ウルフ・オブ・ウォールストリート」 (2014年)

 ラプラスの魔女

あらすじ:田舎の温泉地のある谷で映画プロデューサーの水城義郎が硫化水素中毒で死んでいた。普通なら屋外では硫化水素は致死量には達しないため事故死かと思われるが、水城と歳の差がある若い妻(佐藤江梨子)の財産目当て殺人の疑いもあるため、東京から中岡刑事(玉木宏)が捜査に加わり、殺人の可能性を地球科学研究者の青江教授(櫻井翔)に検討してもらう。青江の判断では、地理的にも気象的にも、現場の状況では殺人は不可能だった。しかし、また、別の温泉地で無名の俳優の硫化水素中毒死があり、青江が調査に行くと、前にも見かけた羽原円華(広瀬すず)が現れ屋外でも、気象や地形を利用した殺人は可能だという。円華は、父親(リリー・フランキー)による脳手術で未来を予知できる才能を得ていたのだ。そして、この殺人事件の裏には天才肌の映画監督:甘粕才生(豊川悦司)と、円華と同じ能力を持つ彼の息子:謙人(福士蒼汰)が絡んでいた。。。


一体どこに主眼を置いているのか分からない、出来の悪い作品だ! 
  原作は、東野圭吾の「ラプラスの魔女」があり、これを、八津弘幸が脚本を書き、三池崇史(みいけ たかし)が監督している。

 タイトルになっている「ラプラスの魔女」とは、フランスの数学・物理学者:ピエール=シモン・ラプラスが唱えた「データの解析能力に優れた人間なら、未来が予測できる」という「ラプラスの悪魔」と呼ばれる説から来ているとのことだ。 

 予告編では、殺人ミステリーにどこか笑いもあるし、特に広瀬すずが出ているのなら、これは一応観ておこうと思い映画館に向かう。なお、監督が三池崇史とは、全然知らなかった。

 そこで、観た感想だが、まったく酷い出来の映画としか言いようがない。

 最初は、櫻井翔が演じる、余りその道の専門家でないのん気な教授と特殊な才能を持った広瀬すずとのコンビで殺人事件を解決していくのかと思わせたが、物語が進行していくと、天才肌の映画監督:豊川悦司がいつのまにか主役となり、無能な人間は殺してもいいのだと声高々に叫ぶのには、ついて行けない展開だ。

 ここに至るまでには、竜巻で母を失った広瀬すずの気象に関する強い思い入れの過去があり、同じ才能を持つ福士蒼汰との恋愛らしい感情もちょっとばかり描かれるが、これは中途半端で終わる。
恋愛物か家族愛か、それとも謎解きか。
多くの要素を入れたために、みんな焦点がぼやけて、退屈な結果となった。

 また、広瀬すずを警護しているような高嶋政伸や、リリー・フランキーの秘書らしい女性も何となく、そうだろうなという程度の訳の分からない無駄な扱いで、これでは余りにも演出が悪い。

 最高に酷いのは、最後の見せ場である古い屋敷における気象現象の「ダウン・バースト」の実況シーンが1つも描かれておらず、自動車を適当に動かしただけで、あとは、「ダウン・バースト」が起きた後のシーンとなるのでは、観客としてまったく納得できない。
ここは、大きな竜巻や自動車がどのようにして屋敷にぶつかって行ったのかを、映像として見せなければ、「金を返せ!」と怒鳴りたくなる。

 この物語の要である嵐の騒乱の場面を省略する神経は、監督として三池崇史の技量を多いに疑う。

 体が不自由であっても、意識がはっきりしていた福士蒼汰が、いつの間のかデスプレイで筆談ができたり、ボケて行方不明の豊川悦司が本当ははっきりしていたとか、非情な豊川に殴られた佐藤江梨子が最後まで殺されずにいたことなど、基本として筋の構成が無茶苦茶に甘く、都合よすぎで、適当過ぎた。

 どうでもいい櫻井翔を除いても、広瀬すずや福士蒼汰、玉木宏など、いい配役を得ながらそれらを十分に活かせなかった脚本:八津弘幸と監督:三池崇史の責任は重い。

暴力が好きな三池崇史監督の;「藁の楯」 (2013年)、 「悪の教典」 (2012年)
櫻井翔の; 「神様のカルテ」 (2011年)
広瀬すずの;「ちはやふる ~結び~」 (2018年)、 「三度目の殺人」 (2017年)
福士蒼汰の;「ちょっと今から仕事やめてくる」 (2017年)

 1789 ~バスティーユの恋人たち~ ミュージカル (帝国劇場)

あらすじ:時は、フランス革命が起きようとしていた頃。パリ近郊の貧困にあえぐ、ある農村に住む、十分な教育も受けていない青年:ロナン(加藤和樹)は、重税に反対して貴族のぺイロール(岡幸二郎)に父親を殺された恨みから、パリに出て、革命を志すロベスピエール(三浦涼介)たちと親しくなる。 一方、宮廷で王子の教育係をしているオランプ(夢咲ねね)は、王妃:マリー・アントワネット(凰稀かなめ)の信頼を得て、王妃の愛人フェルゼン伯(広瀬友祐)との密会をパレロワイヤルに設定する。たまたま、その場に居合わせたロナンは、秘密警察によって革命派として捕えられ、バスティーユ牢獄に送られる。責任を感じたオランプは、どうにかロナンを助け出し、二人の仲は親しさを増すが、1789年、騒乱のフランス革命が、二人を襲う。。。


久し振りにプロ:小池修一郎の演出のすごさを観た! 
 このミュージカル「1789 ~バスティーユの恋人たち~」のオリジナルには、フランスの版があり、それを日本ではまず、宝塚で上演し、2016年には、帝国劇場でも舞台化されている。
いずれも、潤色・演出は、小池修一郎とある。

 あの宝塚で以前上演されていて、また動乱の「フランス革命」を扱っており、それならどことなくあの有名なミュージカル「レ・ミゼラブル」に近いまがい物で甘い内容の恋愛物かというような感じがしたので、2016年の帝国劇場での舞台は、観る機会があったが、遠慮して観ていない。 

 今日、この舞台を観た後では、2016年にどうして「1789 ~バスティーユの恋人たち~」を観なかったのかと、大いに後悔している。
間違った先入観を持っていたことを深く反省している。

 オリジナルはフランスで作られたので、脚本は当然フランス人のダヴ・アチアとフランソワ・シャウケであり、作曲はロッド・ヤノワ やウィリアム・ルソーなど他にも多くの人名が並んでいる。
これを、日本での音楽監督:太田 健が上手く処理し、踊りの振り付けは、桜木涼介、KAORIalive、Twiggzともある。

 フランス版を知らないので、宝塚で名を成している小池修一郎がどこまでオリジナルを潤色し、演出を変えているのか知らないが、オリジナルがフランス版ということを知らないで、初めてこの舞台を観た人は、凄い日本製のミュージカルが完成したと言えるほど充実した内容を持った出来栄えになっている。

 まず、筋書きの面白さ。
貧しい身分であってもくじけない青年:ロナンの生活を横の糸として、縦の糸に持ってきた、豪華・絢爛な王妃:マリー・アントワネットとの対比が、貧乏な衣装と白く眩しく輝くドレスと共に分かり易く、また、出演者の間のとり方も舞台の展開も実に滑らかでいい。

 ミュージカルと謳う以上、その基本である音楽と歌詞の重要性は言うまでもないが、曲はロックありバラードあり、またコミック調もありで、これら様々な分野の新しい曲たちが上手く舞台構成と溶け合っているから不思議だ。
 これは、多くの作曲者による曲を採用したフランス版の成果だ。 

 だが、この曲のメロディーに日本語がきちんと乗っているのも、日本版製作者の苦労のあとが見られる。

 そして、ミュージカルなら欠かせないダンス。
実に切れがいい。
多くのシーンで、かなりの人数が踊るが、これらが舞台の隅々まで使って、ダイナミックに所狭しと体を動かし、決まっている。

 舞台のセットは、大きな壁状の物が背後にあり、これの上部が吊り下げられたりして、時には牢獄になりまた、宮廷にもなるという大胆なアイディアもいい。

 これまたそして、主演を射止めたロナン役の加藤和樹。
この役に適役だ。歌い方といい、演じ方といい申し分がない。この広い帝国劇場でも、大きく見える。

 笑いを交えて舞台回しを演じた坂元健児やロナンの妹役のソニンなども印象に残るが、マリー・アントワネットを演じた宝塚出身の凰稀(おうき)かなめの王妃振りもいい。

 日本のミュージカル界でも確実に若手が育っているのは、頼もしい。

 いい出来上がりの舞台を観ると、悲しくなくても感動の涙がでてくる。
才能あふれる小池修一郎には、もっともっと、宝塚だけでなく、日本演劇界で活躍をして欲しい。

 いい、舞台でした。

 なお、ロナンやオランプ、マリー・アントワネットはダブル・キャストです。
 ・ロナン:加藤和樹 /小池徹平
 ・オランプ:夢咲ねね/神田沙也加
 ・マリー・アントワネット:凰稀かなめ/龍真咲

加藤和樹が出ていた; 「レディ・ベス」 (2017年)
ミュージカルなら、 「屋根の上のヴァイオリン弾き」 2017年、
             「レ・ミゼラブル」 (2017年) 

フランスのヴェルサイユ宮殿をもっと知りたいなら、 「駆け足で回ったヨーロッパ」 第7日目 があります。

 ダンガル ~きっと、強くなる~  (インド映画)

あらすじ:レスリングを愛しインドで国内チャンピオンになったこともあるマハヴィル(アーミル・カーン)だったが生活のために引退し、国際大会でインド初の金メダルをとる夢を、生まれてくる息子たちに託していたが、子供たちはみんな女の子ばかりで彼の夢は遠ざかる。そんな折り、長女:ギータと次女:バビータが近所の男の子たちをボコボコにしたことから、彼女たちが持っている闘争心なら、レスリングに向いていると閃き、鬼の特訓を二人に課し、鍛えた。インドの女性の地位が低い中、二人の娘は、時には父親に反発することもあったが、レスリングの才能を発揮して、インド代表にまで選ばれる。しかし、国際大会では。。。


新しい女性解放がインドでも始まっている! 
 タイトルの「ダンガル」は、レスリングとか、闘う人という意味があるようだ。

 インドで映画の製作本数はアメリカのハリウッドよりも多い割には、日本では余り公開されることはなく、話題にもならないが、チラシによるとインド国内でも評判がよく、しかも、中国でも興行成績がいいらしい。
 また、予告編では、女性解放が全然進んでいないインドで、女の子が、特にレスリングという格闘技のジャンルで成功を収めるとのことで、非常に興味が湧き観に行く。

 女の子がサリーの姿では、走り難いと言えば、父親は男子並みのズボンを履かせたり、練習がきつくて髪の毛が砂だらけになると言えば、坊主刈りにしたりと、かなり笑いを誘う場面もあり、ここらは面白い。

 まだまだ父親の権威が強く(?)、父親には反対ができない家長制があるインドではさもありなんという場面が、随所に、皮肉に描かれているのは、昔の日本を見ている気分だ。

 だが、話の展開としては、よくあるスポーツ根性物で、父親の言いつけに従って猛練習を重ねた娘たちが必死になって成長し、無事メダルを獲得しました、めでたし、めでたしで終わるのは、かなり物足りない。

 父親にしてみれば、娘たちにここまで信頼されれば、涙腺が弱くなるが、これを単なる家族愛としてだけ捉えるのではなく、インドではまだまだ進んでいない「女性も男性も平等である」という意識の啓蒙としてこの映画をみたい。

 自由平等と民主主義が浸透できていないインドで、女性であっても、その意思を通すことができることを示した映画とみれば、この内容でもまた別の角度から話題となる。

 この映画で父親役を演じたアーミル・カーンの痩せたり、腹が出るまでに太った肉体改造にも注目だ。

 インド映画の特徴の突然訳もなく踊りの場面が入ることもなく、音楽の使い方も上手い。
歌詞にもかなりの意味が込められていて、これならエンド・ロールで流れる歌詞も日本語に訳して欲しかった。

インド映画なら、 「バルフィ! ~人生に唄えば~」 (2014年)
インドを扱った映画は、 「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」 (2013年)

インドの旅行記もあります: 「スリランカとインド 9日間の旅行記」 

 

 ウィンストン・チャーチル ~ヒトラーから世界を救った男~

あらすじ:時は、1940年。ナチス・ドイツによる第二次世界大戦が勃発し、あっという間に、フランスは攻略され、イギリス本土にもドイツ軍が押し寄せてこようとする頃、イギリス議会ではドイツと和平を結ぼうとする首相:チェンバレン(ロナルド・ピックアップ)と抗戦を主張するウィンストン・チャーチル(ゲイリー・オールドマン)が対立していたが、国民の人気が高いチャーチルが新しく首相となった。戦局は日ごとに英仏連合国側に不利となり、チャーチルはアメリカに参戦を促すが、アメリカは乗り気ではなかった。そして、ついに、連合国軍の34万人の将兵がフランスのダンケルクでドイツ軍に包囲され全滅の恐れが。。。


国家の指導者を見ていると、ヒトラーもチャーチルも、みんな同じとは! 

 2018年のアカデミー賞で、チャーチルを演じたゲイリー・オールドマンが「主演男優賞」をとり、この痩せたゲイリー・オールドマンの顔を実物のチャーチルにまで太らせるという特殊メイクを担当した日本人の辻一弘が「メイクアップ&ヘアスタイリング賞」をとったという作品だ。

 監督は、「つぐない」などのジョー・ライトで、脚本はアンソニー・マクカーテン。

 映画としては、世界的に高名なイギリスの政治家であるチャーチルが首相になり、ドイツ軍との戦いで、ダンケルクから多くの将兵が撤退できるまでの、彼の戦争における指揮のとり方や、イギリス議会での政治家達の意見の相違、また彼の口述をタイプする秘書などを交えての27日間を扱っている。

 ここまで有名なチャーチルとしては、その特徴である、毎食で欠かせない酒、いつも咥えている葉巻は当然出てくるし、彼が広めたとされる勝利=Victory を意味する「Vサイン」の逸話も披露されている。

 確かに、チャーチルに扮したゲイリー・オールドマンのチャーチルに似せた話し方や所作での熱演はあるが、話の出来としては、面白くない。

 国王:ジョージ6世(ベン・メンデルソーン)と反目していても、すぐに仲直りをしたり、政敵との関係も甘い扱いだ。

 息抜き的にチャーチルの話をタイプする女性(リリー・ジェームズ)を出しているが、一介のタイピストがここまで国家機密に関係できるか、大いに疑問のある設定も良くない。

 ダンケルクに追い詰められた英軍と仏軍の34万の兵を救う為には、カレーの兵4千人の犠牲は仕方ないと言い切るチャーチルに、どこか独裁者の危険性を感じる。
 また、背広の両襟を持って声高に演説するチャーチルには、大きく拳を掲げてドイツ民族の優位性を説くヒトラーの映像と重なる部分が多い。

 映画の出来としては、納得がいかない退屈な自叙伝だった。

ジョー・ライト監督の; 「つぐない」 (2008年)、「アンナ・カレーニナ」 (2013年)
ゲイリー・オールドマンが出ていた; 「裏切りのサーカス」 (2012年)

 ペンタゴン・ペーパーズ ~最高機密文書~

あらすじ:時は、1971年。ニクソン大統領のアメリカでは、ヴェトナム戦争がいつまでも終わらず犠牲者が多く出ていた。政府の現地調査団は、1967年に当時の国防長官であるマクナマラにアメリカの戦局は不利だと報告していたが、マクナマラは、その報告書を公表せず、アメリカはこの戦いでは有利であると発表し、現在に至っていた。しかし、ニューヨーク・タイムズ紙は、当時のマクナマラ国防長官の下で作成された最高機密文書のコピーを入手し、スクープとして政府を糾弾する記事を出した。その頃、まだ地方紙であったワシントン・ポスト紙では、社主であった夫が急死し、主婦のキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)が急遽、夫の跡を継いだが財政難から、株式の新規公開も控えて大忙しだった。ニューヨーク・タイムズ紙に負けていられない気持ちが強いワシントン・ポスト紙の編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は、別のルートから最高機密文書を入手し、裁判を覚悟で政府の欺瞞を暴く記事を載せた。しかし、政府も機密漏洩罪で訴える。。。


女:報道は政府のためにあるのではないのね! 

男:監督は、スティーヴン・スピルバーグで、脚本は、「スポットライト 世紀のスクープ」で司祭の性的虐待を扱ったジョシュ・シンガーが、リズ・ハンナと共同で書いている。
女:主演がメリル・ストリープとトム・ハンクスで、監督がスティーヴン・スピルバーグとくれば、一応観ておくことは必要ね。
  タイトルの「ペンタゴン」は、アメリカンの国防総省のビルが5角形をしていることから来ているのね。

男:予告編でも、ヴェトナム戦争でアメリカ政府が隠していた機密文書を新聞社が入手して暴くということは分かっていたけど、さすがのスティーヴン・スピルバーグ演出だね。
女:メリル・ストリープとトム・ハンクスという多忙な二人の俳優のスケジュールがたまたま空いていた、2017年の11週間という短い期間で映画をとりあげたとのことよ。
男:そこまでしても、スピルバーグ監督が、トランプ政権下において言っておきたかったことが良くわかる出来映えだ。
女:新聞だけでなくメディアに求められているのは、政府の広報機関になることではなく、国民に真実を伝える役割があるってことね。
男:確かに、インターネットが発展した現在では、新聞の果たす役割は以前よりは小さくなったけど、日本でもこの3月に朝日新聞が報じた財務省が森友学園とのやり取りでの公文書を「改ざん」したという事実は、まだまだ新聞の持つ優れた力を示してくれた。
女:日本の新聞社もまだまだ捨てた物ではないってことね。
男:最近のアメリカの報道機関も力が弱くなってきていて、報道機関が国民の方を向かずに、政府のために存在しているという危機感がスピルバーグ監督にこの作品を、どうしても作らせたかったんだろね。
女:その思いは十分に観客に伝わったわよ。
男:この映画の最後には、この事件の後に起こる「ウォーターゲート事件」で、さらにワシントン・ポスト紙がスクープをすることが短く言われている。
女:当時のアメリカの新聞界の事情は知らないけど、もともとワシントン・ポスト紙は、全国紙ではなかったようね。
男:政府が隠してきた真実を国民に示すことによって、信頼を得て、その販売量を増やして行ったんだね。
女:そのワシントン・ポスト社を影から支えたのが、なんと今までビジネスには何の関りもなかった女性社主:キャサリン・グラハムでしたってこともスピルバーグの主張よ。
男:この1970年代にしても、まだまだ女性が社会に進出することは少なくて、まして政治の問題は男たちの独占場で、そこにクサビを打ち込んだことは、その後の女性解放運動でも大きく影響を与えたようだ。
女:その役をメリル・ストリープが本当にうまく演じているのよ。
  会社の経営なんてまったく知らないお嬢様育ちの主婦が、急に新聞社の社長にならされて、徐々に金融や法律のエキスパートとも渡り合う変化を細かく演じているわ。

男:当初の会社の経営を知らずに過ごした時から荒波に飲み込まれるでの声の調子の変化、パーティなどでの身のこなしの変わり方も、さすがにメリル・ストリープだし、これが、あの時代を表わす衣装とよくマッチしていて、いいね。
女:メリル・ストリープに対抗して、トム・ハンクスも新聞人としての信念溢れるタイプを上手に演じてたわよ。
男:権力に妥協することなく、生きて行くことは難しいことだけど、みんなが権力におもねるようなことになっては独裁者の出現を招き、民主主義は消滅するからね。
女:そうね、そういう意味では、あなたが、この「映画・演劇 評論」を十数年以上に渡って公開していることも凄い信念ね。
男:「おかしいとか、変だと感じたことは、発表して他の人の判断をまつ」。
   これは、わたしの人生での基本だから仕方ないよ。
女:それが、少しでも、収入に結びつくと、良いんだけど・・・
男:何かいった?
女:いいえ、何も言っていませんよ。

スティーヴン・スピルバーグ監督で、トム・ハンクスが出ている; 「ブリッジ・オブ・スパイ」 (2016年)
新聞記者を描いた; 「スポットライト 世紀のスクープ」 (2016年)
トム・ハンクスの; 「インフェルノ」 (2016年) 、 「ハドソン川の奇跡」 (2016年)
メリル・ストリープの; 「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙 」 (2012年)

 ボス・ベイビー (アニメーション、日本語吹替え版)

あらすじ:パパ(声:石田明)とママ(声:乙葉)の愛を一身に受け、毎晩パパが歌うビートルズの「ブラック・バード」を子守唄として育ってきた7歳のティム(声:芳根京子)だったが、強力なライバル:赤ちゃん(声:ムロツヨシ)が現われた。きちんと黒いネクタイを締め、スーツ姿をしたおかしな男の赤ちゃんだったが、見た目には可愛いく、その赤ちゃんに、今までティムが独占してきた両親の愛情を奪われティムは寂しくなる。しかし、ある晩、ティムは、その赤ちゃんが、大人並みに喋れて、実は、世界中の赤ん坊の誕生を取り仕切っている「ベイビー社」から送り込まれた管理職の「ボス・ベイビー」で、彼には秘密のミッション「子犬たちに奪われた赤ちゃんの人気を取り戻す」があることを知った。その計画を両親に話そうとするが、「ボス・ベイビー」のこのミッションが上手く終われば、彼はいなくなるという話を信じ、可愛い子犬を売り出そうとする「わんわん社」に二人で潜り込み、子犬の販売計画を潰そうとする。しかし、巨大なわんわん社も。。。


アイディアは面白いが、大人向けではなかった! 

 監督は、ライオンなどが動物園から逃げるアニメの「マダカスカル」などのトム・マクグラスだ。

 映画好きの私だけど、流石に子供向けのアニメまで、映画館で観る気はしないけど、可愛い顔をして、ネクタイを締めスーツ姿で決めているその予告編は、子供を対象としたアニメではないと期待して観る。

 しかし、この展開では苦笑いもできない。
その原因は、どうも、日本語に吹き替えた配給会社の「訳の拙さ」にあるようだ。

 話としては、赤ん坊が生まれる際に、「家族になる赤ちゃん」と「将来は、管理をする赤ちゃん」のどちらかに振り分けられるという、その出だしから、大人社会での階層を取り入れているし、赤ちゃんでもゴルフの練習をしたり、出世競争があったり、ビートルズの歌を子守唄にしているというマニアックな内容は、子供には理解できないものだ。

 だけど、この日本語の吹替えでは、観客の対象を子供にしていて、大人が求めている言葉の「皮肉」や現実生活とのアンバランスが産み出す笑いも強調されていない。

 言い換えれば、題材として可愛い赤ちゃんを取り上げているが、テーマの本質にあるのは、世界的規模で進む少子化に対抗する問題であり、また家族愛であり、さらに、青年にしてみれば、弟や妹が生まれた時に今まで受けていた両親の愛情が無くなる抵抗心の記憶を思い出させることでもある。

 それらを、ひねくれた赤ちゃんの姿を借りて表現しているからこそ、アメリカでの興行収入も良かったと思えるが、日本での、この吹替え内容では、大人にとっては、ただ可愛いだけで終り、一緒に観ている子供たちからも、話の内容での笑いは一つもないという、出来の悪さだった。

 例えば、ラスベガスで開かれるエルビス・プレスリーのそっくりさん大会は、大人の私には、大いに受けるが、周りの子供たちには、まったく反応がない。 

 基本的に、翻訳を子供向けから、大人用に変えて上映すれば、それなりに楽しめると思えるが、これでは、大人も子供も笑えないアニメになっている。

 でも、アニメの技術の進歩は凄い! 可愛い赤ん坊の表情と大人びた表情がチャンとでている。

 アニメなら、; 「アナと雪の女王」 (2014年)

 ちはやふる 【結び】

あらすじ:東京の外れにある瑞沢高校で1年生だけの「競技かるた部」を結成し、部員5名というなかどうにか全国大会までに進み「かるたクイーン」の若宮詩暢(松岡茉優)に挑戦した綾瀬千早(広瀬すず)だったが、負けてしまった。あれから2年後、千早は部長の真島太一(野村周平)や大江奏(上白石萌音)たちと共に、高校生活最後の全国大会での優勝を目指し、日夜厳しい訓練を重ね、どうにか全国大会への出場権を得た。しかし、太一は、大学受験勉強を優先し「かるた部」を辞めてしまった。一方、千早や太一と幼なじみで、今は福井の高校に通う綿谷新(新田真剣佑)は、千早たちとの全国大会での勝負を目指し、かるた部を率い全国大会に駒を進めてきた。全国大会の舞台となった近江神宮では。。。


3部作目まで引っ張るには、どうしても無理があったか! 

 前作には、2016年製作の2部作「ちはやふる ~上の句~」と同じく「ちはやふる ~下の句~」があり、小泉徳宏が、末次由紀原作のコミック「ちはやふる」から案を得て、脚本と監督をしている。
出演の広瀬すず、野村周平、新田真剣佑、上白石萌音、國村隼や松岡茉優などは、今作品でも同じ設定であるが、新しくかるた名人として賀来賢人なども主な役どころででている。

 前作の「ちはやふる ~上の句~」と同「~下の句~」は、共に観ている。

 いわゆる青春物と言われる映画は、その扱う内容が、定型的で、そう、額に汗をかき、甘酸っぱい初恋と当たり前すぎているので、見る気にはなれないし、また映画界を堕落させている原作がコミックというのは、これまた画像が用意されていてオリジナリティを尊重する私としては、あまり乗り気にはなれない。

 が、是枝裕和監督の「海街diary」の四女役で広瀬すずが魅せた力は、今後の彼女がどう女優として成長していくのか楽しみであったので、その後も、広瀬すずが出る映画は一応フォローしている。

 基本的に、「ちはやふる」は、2部目の「~下の句~」で終わる予定であったが、あまりにも評判が良くて、観客が入るもので、欲に目がくらんだ製作陣が急遽、追加としてこの3作目の「~結び~」まで引き延ばしたものだ。

 私も、第1作目では、マイナーな「競技かるた」という分野を扱い、野球など他のスポーツ並みに体力と瞬発力を必要とし、腕のスピードも速い「かるたとり」を見事に表現した低いカメラ・アングルやスロー・モーションを取り入れた斬新なアイデアは、高く評価した。

 しかし、マイナーである「競技かるた」がややメジャーになったのに、1作目や2作目と同様な「ロー・アングル」や「スロー・モーション」手法を、またまた3作目でも再現されては、小泉徳宏監督の「ネタ切れ」が露呈されている。

 ストーリーの展開としては、「かるたとり名人」を登場させて、いくらか変化をもたらせる努力はみられるが、これも上辺だけの、ニヒルな青年で終わっている。

 一度退部した太一が、戻ってくるのはもう読めているし、根性で勝ち上がるのも、常套の展開だった。
残念ながら、小泉徳宏監督には、もうここまでで、次の段階に観客を引っ張ってくる力はなかった。

 更に輪をかけて残念なのは、松岡茉優の使い方だ。
こんなに、個性的な魅力がある松岡茉優を僅かな笑いをとるだけにしないで、多くの場面で活躍させれば、この第3作目も、もっと盛り上がったと感じる。

 新しくこの映画に参加した優希美青や佐野優斗そして、賀来賢人などは、これからの活躍が期待できそうだ。

 それにしても、映画の中でも言われているが、1000年も前に選ばれた和歌が、未だに日本人の心に響いてくるとは、日本文化も凄い!

 ★ご参考に、百人一首より、
 小野小町: 「花(はな)の色(いろ)は 移(うつ)りにけりな いたづらに わが身世(みよ)にふる ながめせしまに」
 平兼盛: 「しのぶれど 色(いろ)に出(い)でにけり わが恋(こひ)は ものや思(おも)ふと 人(ひと)の問(と)ふまで」

前作; 「ちはやふる -下の句-」 (2016年)
     「ちはやふる -上の句-」 (2016年)

広瀬すずの; 「海街 diary」 (2015年)
         「三度目の殺人」 (2017年)、 「チア・ダン」 (2017年)
上白石萌音の; 「舞妓はレディ 」 (2014年)
松岡茉優が出ていた; 「悪の教典」 (2012年)

 15時17分、パリ行き

あらすじ:アメリカは、サンクラメントのキリスト教の学校で育ったスペンサー・ストーン、アレク・スカラトスそしてアンソニー・サドラーの3人は成人しても仲が良く、空軍に入ったスペンサーの発案で休暇をとり、ヨーロッパを共に旅することにした。イタリア、ドイツ、オランダと陽気に各地で過ごし、アムステルダムから、15時17分発のパリ行の特別急行列車に乗った。しかし、その車内では、銃を持ったイスラム過激派の男が乗客に向けて襲撃を始める。その時、彼らが取った行動は。。。


実話は、上手な演出がないと、実にダラダラとして退屈だった! 

 監督は、御年87歳となる、あのクリント・イーストウッドということで、かなりの出来を期待して、映画館に足を運ぶ。
元になっているのは、本当に、列車内で銃をもったテロ・リストをとり抑え、フランス大統領から勲章を受けたスペンサーら3人の活躍がある。

 しかし、盛り上がらない展開になっている。
当然のことに、クライマックスは、列車内でテロ・リストとどうやって闘っていくのかであるが、一人しかいないテロ・リストは、勇敢な行動をとったスペンサーらによって、数10分で、すぐに取り抑えられるのである。

 これを、映画的に膨らませる方法として、クリント・イーストウッド監督は、スペンサーら3人が少年時代には戦争ゲームが好きだったとか、シングル・マザーで育った家庭環境、軍人に憧れる青年などの過去を、ヨーロッパ旅行の合間に挟んで広げている。

 でも、これらが実につまらない話で終わっている。
どんな人でも、子供時代は無邪気なものだし、大きくなって初めて経験する異国のローマやアムステルダムの夜は、若者として楽しいのは、もう当たり前の話で、今更ながら、この程度の描き方では、観光会社でも採用されない。

 アメリカの普通の若者が、勇敢にも銃を持ったテロ・リストに列車内で立ち向かい、多くの人命を救いましたというだけの、短かなニュースのヘッド・ラインだけですむ演出だった。
全然、話としては面白くもなく、退屈な時間を過ごした。

 監督として評判がよくても、歳をとって、世間の感覚から離れてしまった、晩年の黒澤明のようにならないことをクリント・イーストウッドには期待したいが・・・

 映画を観た後で、この評論を書く参考にオフィシャル・サイトを見て分かったが、このスペンサーら3人の若者は、事件の本人が演じたとのことだ。
 どうりで、スペンサーの演技はまあまあだけど、アレクやアンソニーは、実に固い演技だと感じた訳が分かった。

 クリント・イーストウッド監督の; 「ハドソン川の奇跡」 (2016年) 、 「アメリカン・スナイパー」 (2015年)

 ヨーロッパの感激は; 「駆け足で回ったヨーロッパ」 もありますよ。

 シェイプ・オブ・ウォーター

あらすじ:時は、1960年代初めの、アメリカとソ連が激しく対立している頃。耳は聞こえるが声帯を無くして話すことのできないイライザ(サリー・ホーキンス)は、アメリカ政府の秘密研究所で清掃人として働いていた。その研究所にアマゾンの奥地で「神」として崇めらていた「半魚人」(ダグ・ジョーンズ)が捉えられて来た。”彼”は主に水中で暮らすが、陸地でも生きられるので、宇宙に生物を送る計画があったアメリカ政府の観察の対象となっていたが、かなり凶暴なため研究所で力を持つストリックランド(マイケル・シャノン)は、彼の解剖を考えていた。しかし、”彼”と心が通じ合っていたイライザは、隣に住む画家のジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)や、同僚のゼルダ(オクタヴィア・スペンサー)の助けを借りて、どうにか彼を救出し、自宅に匿うことができた。優れた感情を持つ彼とゼルダは愛を交わすが、ストリックランドの追っ手が迫り、彼を河に逃がそうとするが。。。


女:SEXを加えただけの、本当は子供向けの、他愛のない出来ね! 

男:監督・脚本は、ギレルモ・デル・トロとのことで、今年のアカデミー賞関係でも、好評の映画だけど。
女:半魚人の男を愛する女なんて設定は、ディズニー・アニメが得意とする「美女と野獣」のように余りにも、子供向けの漫画の世界よ。
男:その子供向けの映画に、毎日、風呂場で自慰行為をしたり、夫婦のSEXの場面を加えてみましたということか。
女:半魚人との水中での行為なんて、もう一体何をどう考えているのか、これはポルノ映画といってもいいくらいだわ。
男:水中という布石で、画面が綺麗になるという効果はあるけどね。
女:まず主人公に身障者を持ってくるという設定がもう、昔からよくある、安易で観客のお涙頂戴を狙った、努力していない思いつきでしょう。
  それを綺麗だとか、ファンタジーとして捉えるだけならいいけど、大人が評価するような筋らしい筋はないのよ。

男:そういわれてみれば、禿げ頭に髪の毛を生やすことがことができたり、自分が受けた拳銃の傷もすぐに治せるといった万能の力を持っている半魚人が、衰弱するということは、かなりおかしいね。
女:さらに、声のでないイライザが歌ったり、踊るのでは、もう夢の世界であっても、ドンドン受け入れ難くなっていくのよ。
男:ギレルモ・デル・トロ監督の今までの映画に対する入れ込み方と遊び心が強すぎたのかな。
女:不都合でも許される漫画の世界だけ描くと子供向けで終わるでしょう。
  それでは、よくないので、ここは、高齢者の観客の関心を引くために、1960年代の白黒のテレビ・ドラマや映画も入れています。

男:また当時の冷戦でのロシアのスパイも登場させてみましたので、懐かしがってくださいってことだね。
女:キャデラックや緑のパイなど、ところどころに笑いを入れたりしていて、面白さもあるんだけど、あざとさが先にでていて、深い意味も無く、主張も感じられない映画で終わるのね。
男:評判になるのは仕方ないけど、権威のある賞を獲るには、不十分な出来栄えということか。
  でも、半魚人が持っている「禿頭に毛が生える力」はぜひ欲しいね。
女:それなら、私は「しわとりの力」ね。
男:それに「膝の痛みを無くす力」もだね。
女:・・・もう映画とは関係なくなってきたわね・・・



 ビガイルド ~欲望のめざめ~

あらすじ:時は、南北戦争が始まって3年余りが過ぎた頃の、アメリカは南部軍を支援するバージニア州にある寄宿制のマーサ・ファーンズワース女子学園。多くの生徒は戦争勃発で自宅に帰ったが、園長のマーサ(ニコール・キッドマン)と教師のエドウィナ(キルスティン・ダンスト)のもと、自宅に帰れない5人の女生徒が厳格な教育を受けていた。そんなある日、森でキノコを採っていて、足に傷をおった北軍の脱走兵:マクバニー(コリン・ファレル)を見つけた生徒のエイミー(ウーナ・ローレンス)は、彼を学校に連れ戻り、マーサを中心に傷の手当てをし、傷が回復するまで彼を匿うことになった。敵軍だが男子禁制の学園では、マクバニーの存在は、大人のマーサやエドウィナだけでなく、年頃のアリシア(エル・ファニング)たちの生活にも、変化を与えるようになり、マクバニーもここでの生活を望むようになったが、一人の男を巡って女性たちの嫉妬と欲望が対立し、学園は乱れる。そして、彼女たちは、ついに。。。


少しだけ不気味な女の園は、最後には退屈だ! 

監督と脚本は、ソフィア・コッポラで、彼女は製作陣にも名を連ねている。
前作としては、1971年にクリント・イーストウッドが出ていた、「白い肌の異常な夜」があるようだ。
そういわれてみれば、ぼんやりと、「白い肌の異常な夜」という煽情的なタイトルの映画は、テレビかもしれないが、見たような気がするが、もうストーリーは忘れた。

 原題の「ビガイルド The Beguiled」とは、「騙される」とか「魅了される」とか「(時を)紛らわせる」などの意味がある。この映画の場合、脱走兵に重きを置くか、女性たちに重きを置くか、どちらを主な対象にするかで意味が変わる、英語としてはかなり内容の濃い単語でもある。

 久し振りに、ニコール・キッドマンが出ている映画ということで、観に行ったが、かなり残念な出来栄えだ。

 焦点の当たっている登場人物は、負傷した兵士のコリン・ファレルと彼を取り巻く、園長のマーサと教師のエドウィナ、そして5人の女生徒というこじんまりした範囲であるが、設定としては、これで十分だった。

 また、撮影の場所も、南部の白人の豪邸が寄宿舎になったという雰囲気を出しているし、森の風景もきれいに撮れている。
女性たちが身にまとう清潔感のある衣装も時代を反映していて違和感がない。

 だけど、画面が常に暗いのは、良くない。
これでは、折角の、ニコール・キッドマンの美しい表情も目立たないし、ローソクの灯では、他の女性たちの若さも輝かない。

 最高に拙いのは、脱走兵の意識の変化の説明が不足したことだ。
教師のエドウィナを口説いていたのに、若いアリシアのベッドに潜り込むのでは、アレッとなる。

 また、片足を切られても歩けるなら、もっと生徒たちを監視できたのではと、疑問が残るような展開では、感心しない。

 女の園に紛れ込んだ、ハンサムな男を取り合う女たちの揺れ動く気持ちを描くには、まだまだ未熟だった。

ソフィア・コッポラとキルステン・ダンストの; 「マリー・アントワネット」 (2006年)
ニコール・キッドマンの; 「グレース・オブ・モナコ」 (2014年)

 スリー・ビルボード

あらすじ:アメリカは中央部に位置するミズーリ州の田舎町:エビングに住む勝気な主婦:ミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)は、7ヵ月前ほどに、娘が何者かにレイプされ焼け殺されたのに捜査が進んでいない警察に業を煮やし、道路沿いにある大きな屋外看板を3枚借りて、地元の警察署長:ウィロビー(ウディ・ハレルソン)宛に、「どうして犯人の逮捕ができないのか」を問う文章を張り出した。この看板の反響は大きく地元のテレビ局も取材に来るほどだったが、歯医者や別れた元の亭主を始めとして町の人たちはガンに冒されても必死に働くウィロビー署長に好意的で、ミルドレッドは、嫌われて行く。人種差別が激しく暴力を振るう警官:ジェイソン・ディクソン(サム・ロックウェル)は、看板を出させた広告会社のレッド・ウェルビー(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)を脅すが法的には問題はなかった。しかし、死期の近いことを知っていたウィロビー署長が自殺し、看板が放火されたりして、町は荒れて行った。そんな時、ミルドレッドの娘をレイプし焼き殺したという容疑者が浮かぶが。。。


女:オリジナリティがある映画ね! 

男:国際映画祭などで賞をとりアカデミー賞にもノミネートされている映画だね。
女:監督と脚本は、マーティン・マクドナーとあるけど、彼の他の作品は知らないわ。
男:ビルボードは、この映画では、屋外広告板のことだ。
  それにしても、被害者の母親が、警察という権力に対して、怒りをぶちまける方法として屋外看板を使うとは、面白い発想だ。
女:次に何が起こるか、先の予測が出来ないという展開も、緊迫感を上手く出したわね。
  ミルドレッドに看板を取り下げるように説得にきた神父を、何もしないことは、同罪だと責めるのは、おばさんとして鋭い主張だったわ。

男:今までの映画なら、レイプした殺人犯を追及するのがよくあるパターンだけど、それよりも、おばさんを中心に町における警察署長や差別感を持っている警官、広告会社の話などに焦点をあてたのが評判を呼んでいるようだ。
女:でも、人種差別の強い警官って、最近どこかで、観た映画になかった?
男:1月に観た「デトロイト」のことだね。
  この、「スリー・ビルボード」でも、「デトロイト」と同じような、人種差別感が強く、暴力的な白人の警官が出てくるとは、このような警官像はもうアメリカでの典型なのかな。
女:警官はよくあるパターンかも知れないけど、”おばさん”を演じたフランシス・マクドーマンドの世間や警察に対する怒りの表情と演技は、確かに賞ものね。
男:それに、自分が娘に自動車を貸してやらなかったのが、殺された原因だという自責の念にかられるという複雑な状況も上手く出したね。
女:でも、話として、あちらこちらで物足りない点が多いのよ。
男:例えば?
女:看板の放火犯を追及していないとか、ミルドレッドが小人とレストランで食事をしている時に若い娘と現れた元の旦那の席に、ワイン瓶を持って行くシーンね。
男:ここは?
女:ミルドレッドの取るべき行動としては、ついに堪忍袋の緒が切れ、元々暴力を振るっていた亭主に対して、一発頭にワイン瓶を叩きつけるのが、この場に相応しい対応ね。
男:警察署に火炎瓶を投げつけたミルドレッドなら、ワイン瓶で亭主の頭を殴って欲しかったか。
女:一番物足りないのは、悪役だった暴力的な警官が、最後には”いいひと”になってしまうことよ。
男:そうだね。
  一応、亡くなった警察署長の手紙や自分が怪我をさせた広告会社の者がジュースをくれる親切心にほだされて、犯人探しに熱心になるという変身だけど、これでは、前半の設定と統一していなくて、観ていても気分がシックリこない。
女:シックリしないのは、終わり方もね。
  アイダホにいる容疑者と思われる人を、ミルドレッドとジェイソンが仲良く追っていくというところで終わっていて、後がどうなるのかは、観客に任せるというのは、おかしな終わり方だったわ。

男:私としては、容疑者は、一度ミルドレッドが勤めているお土産屋に現れているので、これはもう真犯人で、ミルドレッドとジェイソンは彼を殺すと見ているよ。
女:新しくきた警察署長がDNAが違っているとかいうのは、嘘をついているいうことね。
男:赴任当時は正義感がある雰囲気だったのに、これでは、警察署長として一貫した性格付けがなくなり疑問符が付く。
女:おばさんが、警察追及で屋外看板を使うとは、いいアイデアだけに、次回作では、もっと徹底した掘り下げを期待したいわ。
男:期待を持たれるというのは、まだ先があるってことで羨ましいね。
女:何を弱気なことを言っているのよ。
  先が余りないあなたには、あなたとしての生き様があるから、十分でしょ!

男:それでは、励ましになっていないけど、まあ、いいか。
女:そうよ、今を精一杯生きて頂戴!

サム・ロックウェルが出ていた; 「カーボーイ&エイリアン」 (2011年) 



 この下に、  「デトロイト」 、「キングスマン」  の評論があったのですが、いつのまにか無くなっていました。












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