2017年の映画・演劇 評論

 スター・ウォーズ ~最後のジェダイ~

あらすじ:銀河系を支配しようとするファースト・オーダーに抵抗するレイア将軍(キャリー・フィッシャー)だったが味方は少なくなり、最後の頼みはジェダイが持つというフォース(理力)を感じてきたレイ(デイジー・リドリー)を今は世捨て人となり孤島に引きこもった伝説のジェダイであるルーク・スカイウォーカー(マーク・ハミル)の元に送ってフォースの力を学ばせファースト・オーダーへ反撃をすることだった。しかし、ルーク・スカイウォーカーからジェダイの訓練を受けていたカイロ・レン(アダム・ドライバー)は今はダーク・サイドに堕ちファースト・オーダーの指揮者となり、抵抗勢力を壊滅させようとする。窮地に追い込まれる抵抗軍は。。。


まったくワクワク感が無くなり、無駄に引っ張ているだけのスター・ウォーズだ! 

 監督と脚本は、ライアン・ジョンソンとのことだ。タイム・トラベルの殺し屋を描いた「Looper ルーパー」を監督したようだが、この作品は観ていない。
 スター・ウォーズのシリーズは、ジョージ・ルーカスが監督をして有名にし、その後ウォルト・ディズニー社があとをつぎ、この「最後のジェダイ」で通算8作目ともなる。
ウォルト・ディズニー社は、次の9作目の製作も考えている。

 もう前作の「フォースの覚醒」で今まで持ってきた「スター・ウォーズ魂」とも言うべき広大な宇宙での戦い、人間が持つ欲望や支配したいという「暗黒面 (ダークサイド)」の誘惑などがどこにいったのかまったく分からなくなったスター・ウォーだけど、まあ、一応年末ということで、観る。

 観て面白い内容の映画はあらすじも感想も楽に書けるが、この「最後のジェダイ」のように作りが雑で、辻褄の合わない幼稚な展開をするとあらすじとして纏めようとしても、あの挿話の結末はどうなっていたのか、この挿話はどうなっていたのかと思い出すのが面倒で中々纏まらない。

 大体、登場人物の相関図が必要となっているのでは描き方として下手である。
私も、自分の前作の「フォースの覚醒」の評論を読んで、どうにか水を飛ばして出てくるフィンの役柄ややジェダイでありながらダークサイドに堕ちていくカイロ・レンと師匠のルーク・スカイウォーカーとの確執などがどうにか繋がったが、映画を観る際に、事前に多くの予備知識が必要な映画って興行上も拙い脚本だ。

 その拙い脚本だが、敵をやっつけるのにどうしてこんなに自爆の繰り返しを持ってきたのかも疑問。
これでは、現在世界中で流行っている無謀なイスラム教徒のテロ行為と同じで勧められない設定だ。

 それにフォースって何でもできるの?
レイとカイロ・レンの時空を超えての心の交換、遠隔地から自分の化身を送って壮絶に戦うルークに至っては、もうフォースは何でも可能で、これならどんな境地に陥っても最後はめでたし、めでたしが分かっている映画ではワクワクはしない。
それにしてもラストのレイのハンド・パワーでトンネルを塞ぐ岩石を浮遊させるシーンって余りにも観客を馬鹿にしている。
いつから、「スター・ウォーズ」はこんな子供向けの単純な設定になったのか。

 他の突っ込みとしては、レイア将軍もいつの間にか超能力を身に着けていたようで、宇宙に吹き飛ばされていても戻ってくるし、死んだと思った中国人の娘もいつの間にか救助されているし、カジノで遊んでいる暗証番号を知っている人物を探すシーンの不要さと言い、多くのダメなシーンばかりが記憶に残る。

 ライトセーバーでのチャンバラも宇宙での戦闘シーンも目新しさがなく、続編を作るたびに質が低下し、同じことをダラダラと繰り返し、無駄な時間を稼いでいるだけのスター・ウォーズだった。

前作: 「スター・ウォーズ ~フォースの覚醒~」 (2015年)
     「スター・ウォーズ;エピソード 3;シスの復習」 (2005年)
     「スター・ウォーズ;エピソード 2;クローンの攻撃」 (2002年)

 屋根の上のヴァイオリン弾き ~ミュージカル~ (日生劇場)

あらすじ:1900年初頭の帝政ロシアの時代。アナテフカという田舎の村で細々と牛乳屋をやっている働き者で信心深いユダヤ人のテヴィエ(市村正親)には、頭の上がらない妻:ゴールデ(鳳 蘭)と年頃の長女:ツァイテル(実咲凜音)をはじめとして5人の娘がいた。まるで屋根の上でヴァイオリンを弾くようにいつも危ない生活をしているテヴィエの信条はユダヤ教に基づく「しきたり」を守り危険とバランスをとることだった。しかし、長女のツァイテルは今までの「しきたり」の親が決めた金持ちで男やもめの肉屋のラザール(今井清隆)の後妻になることを嫌がり、幼なじみのしがない仕立て屋のモーテル(入野自由)と恋愛結婚をする。また次女のホーテル(神田沙也加)は、革命を起こそうとして捕まった学生パーチック(広瀬友祐)を追って、いくら親が反対してもシベリアに行く。「しきたり」を重んじてきたテヴィエだったが、男を強く愛する娘たちの健気な気持ちには勝てなかった。そんなテヴィエだが、さすがに三女のチャヴァ(唯月ふうか)が民族も宗教も異なるロシア人のフョートカ(神田恭兵)と結婚すると言ってきた時には、もうチャヴァを許すことはできなかった。そんな時にロシア政府からユダヤ人は3日以内に国外に追放するとの通達がくる。ユダヤの民に約束の地はないのか。。。


感動を人に話したくなるミュージカルに仕上がっている! 

 この「屋根の上のヴァイオリン弾き」のもとは、1964年に公演され評判がよかったアメリカのミュージカルで、1971年にはトポル主演で映画化され、これは私は観ている。

 日本の舞台では1967年に森繁久彌が帝国劇場で演じ、ついに今回で50周年を迎えたということだ。
この50年の間に私も森繁のテヴィエから始まり、途中の上條恒彦、西田敏行そしてこの市村正親に至るまで度々「屋根の上のヴァイオリン弾き」を観てきたが、本当にこのミュージカルは何度観ても感動する。

 それは、取り上げられているテーマが人類が50年前と同じように抱えているせいだ。

 親の子供に対する愛。伝統やしきたりに捉われず新しいものに向かっていく子供たち。これらは人類普遍のものだから50年たっても存続していい。

 しかし、50年も過ぎれば無くなると思えた民族間の対立と宗教の争いは未だに解決されず、いや、丁度アメリカのトランプ大統領が多数の宗教の聖地とされるエルサレムをユダヤ人の国であるイスラエルの首都と認めたことによって、ユダヤ人とパレスチナ人だけでなく、ユダヤ教・キリスト教そしてイスラム教をも巻き込んだ民族間の対立と宗教の紛争を再燃させているのが現状だ。

 この「屋根の上のヴァイオリン弾き」に描かれるように、ユダヤ教徒でもロシア人でも個人的な付き合いなら争うこともないにの、どうして政治的な思惑が絡むと争いになるのか。
宗教の違いや民族間による過去の争いがもたらした悲劇をどうして人類は避けようとしないのか。
いつも犠牲者になるのは、弱い何も悪いことをしていない無辜の民である。

 とそれはさておき(これは、劇中でテヴィエが神に対応して言う、「だが一方」の真似ですが)舞台に戻ると、市村正親のテヴィエが実にいい。
前回の彼による「屋根の上のヴァイオリン弾き」を観たのが、2013年だけど、その時よりもズーット演技と間の取り方に円熟味が出ていて素晴らしい。

 森繁久彌でのテヴィエでもそうだったが、歳をとらないと出来ない役がある。
市村正親も68歳という年齢が可能とさせた演技の幅がこの舞台では十分に発揮できた。

 勿論、舞台全体を引き締めることは、市村一人だけでは出来ない訳で、母親役を演じた鳳蘭との駆け引きも、もうこれ以上の仲は考えられないというほどの手慣れたものが感じられるし、ちょっとばかり憎まれ役の肉屋のラサールを演じている今井清隆や次女役で舞台映えのしている神田沙也加たちも手を抜かず、だけど、緊張感から解放された、役にのめりこんだ落ち着きがある。

 当然、ミュージカルと唱っている以上、音楽も良くなければいけないけど、哀愁を帯びたジェリー・ボックによる曲々が泣かせる。
何度もこの「屋根の上のヴァイオリン弾き」を観ている私としては、終りに待っているユダヤの民を襲う悲劇を知っているだけに、前半の笑いが中心の舞台からでも、どことなく涙を浮かべる。
そして、楽しい筈の結婚式での「サンライズ・サンセット」、「チャヴァのダンス・シークエンス」などは特に泣ける名曲だ。
踊りの振り付けは、50年間変わっていないので、今は、ロシアの特徴を取り入れたそれなりの出来ではあるが。

 また、舞台全体の構成は以前から変わっていないけど、日生劇場の音響設備が良くなったのか、また、歌詞やセリフを分かりやすくしたのか、音がよく客席に伝わる。

 不満といえば、今回の司祭役の青山達三は、どうしても森繁の頃に司祭役をやっていた益田喜頓の強烈な印象には及ばず、また長女役の実咲凜音もまだ宝塚を退団したばかりでややおとなしい演技だけど、この舞台の出来栄えは申し分がない。

 感動をもたらすいい舞台だった。

前回の; 「屋根の上のヴァイオリン弾き」 (2013年)
市村正親の舞台; 「ミス・サイゴン」 (2012年)

ロシアをもっと知りたければ; 「ロシア旅行記」 もありますよ。

 女神の見えざる手

あらすじ:アメリカの政治家を動かすための活動(ロビー活動)をしている大手の会社に勤め、手段を選ばないやり方で成功を重ね、政治家やマスコミにおいても有名なエリザベス・スローン(ジェシカ・チャステイン)だったが、今度の銃の規制に賛成する勢力を抑えてくれという会社からの命令には納得できず、銃規制に賛成をするシュミット(マーク・ストロング)が率いる弱小のロビー活動会社に、数名の部下たちと移籍し、銃規制に賛成の議員や女性活動家をまとめて、銃規制に乗り出す。しかし、豊富な資金を有する銃所持擁護の団体や以前勤務していたロビー会社は、規制に賛成する議員を脅したり、またスローンの個人的なスキャンダルを暴いて対抗する。そして、ついにスローンは、上院議会の聴聞会に召喚されるが。。。


女:観終わると気分爽快になる映画ね! 

男:一転、二転そして三転・・・とにかく、場面転換が上手いね。
女:監督は、インドを舞台にした「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」のジョン・マッデンで、脚本はジョナサン・ペレラよ。
男:アメリカの議会では、政治家に交渉力を持っている「ロビイスト」がいて各圧力団体に代わって活躍をしていることは知っていたけど、本当の行動はどうなっているのか分からなかった。
  この映画のロビイストは、勝つためには、資料の分析は勿論のこともう盗聴から性癖調べまでなんでもやるんだね。
女:まあ、映画ですから、かなりの誇張はしているでしょうが、まるでスパイ映画のようでスリルもあって見ごたえは十分ね。
男:でも、この日本語のタイトル「女神の見えざる手」ってまったく意味不明だね。
女:「女神」は勝利で、「見えざる手」ならどうなるか予測不可能てことでしょう。
  原題はどうなっているの。

男:「ミス・スローン Miss Sloane」だから、この原題もかなり抽象的だ。
女:配給会社が苦労して付けた邦題だけど、もっと簡単に「ロビイスト、スローンの決断」とかした方が分かりやすいわね。
男:映画を観る時に、タイトルから入るってことは、よくあるからもう一つ工夫も欲しいね。
女:この映画は主役のジェシカ・チャスティンあっての映画って感じがするわ。
男:そうだね。
  気の強さ、手段を選ばない性格は正に彼女に打ってつけの役だった。
女:ジェシカ・チャスティンは、「ゼロ・ダーク・サーティ」でも個性的な演技を要求されていたけどこの「女神の見えざる手」の演技は評価できるわね。
男:真っ赤な口紅。高級ブランドの服。高いハイヒール。
  敵にスキを見せない、味方にも本性を表わさないという最初から最後まで徹底した脚本も多いに貢献しているね。
女:同性から見ても、欠点のない、また傲慢さが溢れていて、全然可愛くないこの性格なら憎いけど、ここまでやられると気分がすっきりして許せちゃう。
男:敵のやることの先を読み、切り札は後に出す。
  勝負事の基本だけど、連続していて緊張感が持続する。
女:これで、勝負がついたと思っていたら、また次の逆転と、本当に観ていて飽きないわよ
男:また、アメリカ映画で安易に取り上げる家庭や家族愛が無いのも、上手い構成だ。
女:銃規制を題材にするのは、映画の制作会社としてはリスクがあったんじゃないの。
男:アメリカでは、今年の10月にラスベガスで58人もの犠牲者があった事件だけでなく、教会や学校などで銃の乱射があり大量の殺人事件が良く起きている。
 その度に銃規制が世論として大きく取り上げられるが、アメリカ憲法の解釈とこの映画のように強力な銃の所持を擁護する団体が存在していて銃規制は全然先に進まない。
 その現実を踏まえて、この映画ではお金になびく議員を標的にしたのは、まあ、製作会社としては現実的な表現かな。
女:でも、これだけ被害を出しているんだから、アメリカの銃の問題は日本だけでなく世界の国々が銃の所持を野放しに認めているアメリカに対してもっと、もっと干渉して、規制に動かせるべきよ。
男:アメリカ社会でも銃規制の必要性は認識されている。
  だけど、この映画でも指摘があるように、銃規制に反対の世論が大きくあっても代議員制という名の民主主義だと、議会の議員の保身とかお金の誘惑の方が強いと銃規制はできないということだ。
女:それは、日本の議会制でも同じことね。
  多くの国民が反対していても、議会で多数を占める党の考えが国の方針になるんですものね。

男:この映画のヒロインのように自分の信念を貫けるように生きたいね。
女:そのためには、ある程度の財産の保障がないとダメよ。
  もっと、もっと稼いでちょうだい。

男:えっ、もうこれ以上は無理だよ。
女:そんなことは無いわよ。
  あなたは、自分の能力に気が付いていないだけ。

男:でも、褒められても、これ以上は・・・

ジョン・マッデン監督の; 「マリーゴールド・ホテル 幸せの第二章」 (2016年)、 「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」 (2013年)
ジェシカ・チャスティンの; 「ゼロ・ダーク・サーティ」 (2013年)

 ギフテッド gifted

あらすじ:フロリダでボートの修理をして細々と生計を立てている独身のフランク(クリス・エヴァンス)は、自殺した姉の娘:メアリー(マッケンナ・グレイス)を育て、片目の猫:フレッドも飼い、隣に住む良き相談相手のロバータ(オクタヴィア・スペンサー)も交え、貧しいながらも平穏に暮らしていた。メアリーはまだ7歳であったが、母親の血を受け継いだのか数学においては、天賦の才能を持っていて大学生でも解けないような複雑な方程式も簡単に解き、1年生として入った小学校ではもっと高等な教育を受けられる学校へ転校を勧められる。しかし、自殺した姉が母親:エブリン(リンゼイ・ダンカン)から受けていた英才教育の弊害を身をもって感じていたフランクはどうしてもメアリーには普通の子供の生活を送らせたかった。だが、エブリンは、金にまかせて有能な弁護士を雇い、裁判でメアリーの養育権をフランクから奪う。フランクからも愛猫フレッドからも離されたメアリーは。。。


よくある展開が、うまくまとめられている! 

 映画界では、無邪気な子供と動物を使って涙や感動を誘う手法は、古くから繰り返し使われていて、最も安易な方法として「禁じ手」ともされているが、それでもよくまとめた監督:マーク・ウエブと脚本のトム・フリンは褒められる。

 タイトルの「ギフテッド Gifted」は、「授かりもの」で、この映画で言い換えるとメアリーにとっては持って生まれた「天賦の才能」であり、フランクにしてみれば偶然育てることになった子供のメアリーが「天からの贈り物」でもある。

 いくら何でも、7歳の子供がルートの計算はもとより、数学を勉強している大学の生徒も解けないような高等な方程式を解くまでの勉強をどうしてできたのか、それを追及しては面白くなくなるが、メアリーの周りを取り巻く大人たちが妥協なく上手く描かれている。

 今は、しがないボートの修理をしているフランクが、元は有名大学で「哲学」を教えていたとか、フランク達を育てた家庭は裕福でフランクの母親は律儀な性格だとか、現在から始めて、登場人物の過去の履歴の紹介が徐々に説明されるのも観客のどうしてこうなったのかを知りたいと思う気持ちに寄り添って丁寧になされるので見ている側も落ち着いてスクリーンに入っていける。

 また、この展開ではフランクとメアリーの別れは多分訪れると予感させ、それは悲しいことだけど、ところどころに笑いを盛り込んでいるのが憎い。
メアリーの小学校へ初登校日の朝食が「特別記念料理 (スペシャル)」と言っていながら、いつものコーンフレークで、スペシャルは、コーンフレークの箱の商品の宣伝文句とか、フランクがメアリーの先生とできたりとか、それらがメアリーの子供らしからぬ、小賢しいセリフと絡み合って、随所で笑える。

 独身生活を送っているフランクにしても、毎週金曜日には息抜きをしていたり、才能を持っている子供には才能を伸ばす環境が必要だと頑なに信じている祖母にしろ、人物の設定が突飛でないのはいい。

 大体、天から授かった子供に「普通の生活」をさせることがいいのか、特殊な才能に恵まれているなら親としてその才能を伸ばしてやるのがいいのか、それには明確な答えなどある訳がないから、それには面と向かわずに、これも正体不明の「愛」で誤魔化すのも妥当な選択だ。

 ともすれば、最後にはみんな聞き分けのいい「善い人」に変えてしまう展開の多い中、憎まれ役のおばあちゃんに徹したリンゼイ・ダンカンの立ち位置とその演技が輝る。

 でも、子供が主役となっている映画である以上、時には無邪気に、時には別れを嫌がって泣き叫ぶメアリーを、監督の意図のまま、また、それ以上に演じたマッケンナ・グレイスという子役の存在は非常に大きい。

 マッケンナ・グレイスに出会うまで、監督のマーク・ウエブは、オーディションを重ねたようだけど、その苦労は見事に報われている。

 メアリーを一時的に里親に預けるアメリカ流の法廷の取引は分かり難いが、産院の出産シーンを持ってくる技法には、感嘆する。

 無理なく映画の流れに身を任せることができた。

 IT /イット “それ”が見えたら、終わり。

あらすじ:アメリカの田舎町:デリーに住む、おとなしい少年ビル(ジェイデン・リーバハー)の弟:ジョージーは雨の日に排水溝の近くで目撃されたのを最後に行方不明となった。その後もビルは、両親には無駄だと言われながらも弟は生きていると信じて、仲間のリッチー、エディ、スタンなどと弟の捜索を続けていた。そんな時、いじめにあっていた転校生の太ったベンを助けると、ベンは図書館で町の歴史を調べていて奇妙なピエロ(ビル・スカルスガルド)に襲われたと話す。同じクラスの女の子:ベバリー(ソフィア・リリス)や黒人の少年:マイクもベンと同じようにピエロを見たという。ビルを中心とした7人の仲間は「負け犬クラブ」を作り、ピエロ探しをし、ついにピエロは、デリーの町の排水溝に潜み27年ごとに子供たちを襲っていたことが分かった。ピエロが隠れている家を発見した7人は、ピエロ退治に行くが。。。


女:子供の時の恐怖心が楽しいピエロに抽象化されるとは凄いわね! 

女:映画の話の前に、あなたの「映画・演劇 評論」の10月号の更新が少なかったけど、何か理由はあったの。
男:10月もトム・クルーズが出ていた「バリー・シール」なども観ていたけど、余りにも内容が酷くて評論する気にもなれないうちに、ロシアへ旅行することになり、その旅行記の作成準備にも時間をとられていたんだ。
女:ロシアとはまたマニアックな国へ旅してきたものね。そして、「ロシア旅行記」も現在作成中とは、本当にまめな人ね。
  感心しちゃうわ。

男:他にも、国家資格のマンション管理士・管理業務主任者試験を11月末に控えて多くの受験生からの質問に答えているから、本当に暇がない。
女:まあ、あなたの宣伝はそのくらいにして、「IT」の話にもどりましょうか。

男:そうだね。
  原作は、ホラー作家としては超有名なスティーヴン・キングで、彼の作品で映画化された物も、「キャリー」、「スタンド・バイ・ミー」、「ショーシャンクの空に」、「グリーンマイル」など多い。
女:そのスティーヴン・キング原作のこの「IT」は、今回の映画化の前に、テレビ化されていて、観たという人もかなりいるわね。
男:映画での監督は、アンディ・ムスキエティで、脚本は、チェイス・パーマー、ゲイリー・ドーベルマン、キャリー・フクナガの3人が担当している。
女:恐怖のピエロの名は、ペニーワイズというのね。
男:ホラー映画としての演出方法は定番のやり方だ。
女:そうね。
  気味の悪い音楽。暗闇、一人きり。背後から襲う。突然。そして悲鳴と、これらは昔からホラー映画ではよく使われている手法ね。

男:その昔ながらのやり方に対しては、この監督:アンディ・ムスキエティも自覚していて、「IT」にホラー映画の代表作の「エルム街の悪夢」も登場させている。
女:ホラーの部分がなければ、少年たちの夏休みの冒険を描いていて内容としては「スタンド・バイ・ミー」に似た話の展開ね。
  この「IT」では、一人の女の子も仲間にして淡い恋心も追加しているけど。

男:映画の最後の古い館での話は、まさに子供たちの「夏休み・お化け屋敷」体験というワクワク感だね。
  怖いと分かっていても「怖いもの見たさ」の気持ちを次の画面に結び付けている。
女:暗闇や一人で寝ることとか、絵本で見たような奇妙な顔をしたお化けなど子供の頃持っていた恐怖心を一つひとつ思い出させるわ。
男:その恐怖心の総まとめが、本来は笑いと楽しさの象徴であるサーカスのピエロにしたとは、これが、スティーヴン・キングの上手さだね。
女:通常の考え方を逆手にとるやり方は、印象に残る訳ね。
男:恐怖心は各々の気持ちの中に潜んでいるから、他の人には見えない。
  また、子供としても父親との関係などどうしても他の人には言えない部分もある。
  それらをうまく映像化できている。
女:気分が滅入る閉じ込められた下水道など汚くていかにもクサイにおいも連想させる嫌な場所を選んでいるのもホラー作品としての常道ね。
男:最後のまとめ方として、恐怖の総元締めのピエロに一人、一人では勝てないけど、全員が力を合わせれば、子供でも恐怖心に打ち勝つことができますっていうのはいいね。
女:原作は知らないけど、スティーヴン・キングなら仲間意識を大切にするでしょうね。
男:映画としては、かなりグロテスクな部分もあるけど、この出来ならホラーというよりは、真面目な出来になっている。
  仲間や友人は、大人になっても必要な存在だからね。
女:歳をとると恐怖心よりも人間関係が優先するってことね。
男:そうだね。
  いや、いまでも私には怖いものがあるよ。
女:それは、なによ。
男:饅頭だね。
女:馬鹿なことは、落語の世界だけにしてっ!
男:バレたか。

*追伸:でもレイプした父親を殺したり、ユダヤ教の割礼なんかは、余分な話でした。
     この映画の続編:第2章もできるそうです。

 レディ・ベス  ~ミュージカル~(帝国劇場)

あらすじ:時は16世紀のイングランド。国王:ヘンリー8世の跡を継いだのは女王:メアリー(吉沢梨絵)だった。メアリーには、腹違いの妹:エリザベス=ベス(平野綾)がおり、民衆の中には厳しいメアリーの統治からベスが女王になることを期待する声もあったので、メアリーはなんとかしてベスを亡き者にしようとしていた。そんな姉の企みを知らないベスはイングランドの片田舎で、優れた家庭教師のロジャー・アスカム(山口祐一郎)の教えを受けひっそりと暮らしており、またベスが困った時には枕元に現れてくれる、今は亡き母親:アン・ブーリン(和音美桜 かずね みおう)の励ましもあった。そんなベスだったがひょんなことから自由に生きている魅力的な吟遊詩人のロビン・ブレイク(加藤和樹)と出会い、二人はすぐに恋に落ちる。国内で騒乱が起きそうになったことを感じたメアリーは、スペインからフェリペ王子(平方元基)を迎え彼と結婚し体制をたてなおそうとするが、ベスが生きていては不安の種が尽きない。そこでメアリーがとった手段は。。。


見どころは豪華な衣装だけとは、全く残念なミュージカルだ! 

  脚本と歌詞は、ミヒャエル・クンツェで音楽・編曲はシルヴェスター・リーヴァイ。そして、演出・訳詞・修辞は小池修一郎とある。
この3人が絡んだ舞台では、日本でもたびたび上演されているミュージカルの「エリザベート」や「モールアルト!」がある。
そして、今回観た「レディ・ベス」は、前回は2014年に公演され今年 2017年も前回とほぼ同じ配役での公演だとのことだ。
1ヵ月以上の興行につき、多くの配役はダブル・キャストで、レディ・ベスには、他に花總まり。ロビン・ブレイクは、山崎育三郎。メアリーには、未来優希。フェリペは、古川雄大も交代で出る。

 舞台の構成は、中央に傾斜が付いた大きな時計または地球儀をイメージした回り舞台があり、これが回るたびに宮廷や街になり、そしてバックには巨大な輪があり、輪の色が赤くなれば血を連想させる処刑とか穏やかな時には青色などに変化する。
広く、奥行きのある大きな帝国劇場の舞台を使っている。

 出だしから話が複雑で中世のイングランドの歴史に疎い日本人には実に分かり難い。
この時代のイングランドを治めていたヘンリー8世は好色で離婚問題から宗教上の対立を招きローマ教皇と争っていたとか、国内では国王に反対する者はドンドン処刑し、後にエリザベス女王(レディ・ベス)となるベスの母親のアン・ブーリンも、ヘンリー8世により悲しい死に方をしたということなどはこの物語の前提として知っておく知識だとは、面倒。
しかし、舞台で演じられ、語られる範囲では、どうして同じ国王を父とする異母姉のメアリーがベスを殺そうとするまで憎むのかよく分からない。

 しかも、ベスを殺そうとまでしていたメアリーが死に際にいたって、ベスに許しを請うとは、この流れから、「それはないだろう」と残念に思う。
これでは脚本の段階における登場人物の性格付において統一性がまったく欠けていると言わざるをえない。
物語を通じて、メアリーとベスを悪人対善人として扱っていながら、最後には、本当はメアリーも良い人でしたでは、観客を愚弄する結末だ。
脚本を書いたミヒャエル・クンツェは、実に、平凡な発想しかできない脚本家だ。

 ミヒャエル・クンツェの平凡さを現している場面は、他にもある。
王女ベスが吟遊詩人のロビンと王女の身分を隠して街を散策するのは、そう、あのオードリー・ヘプバーンが出ている有名な映画「ローマの休日」の模倣であり、ベスが恋をとるか身分をとるかの選択の結末ももう言うまでもないことだし、ベスの住んでいる館にロビンが忍び込みベランダと中庭で二人が語らうシーンは、すぐに「ロミオとジュリエット」などで使われていたよくあるシーンだと分かる。

 英国を強くしたエリザベス女王にもその裏側には、悲しい恋の思い出がありましたを描くには、余りにもお粗末な出来栄えだ。

 絢爛豪華な宝石をちりばめた衣装の他には盛り上げるシーンもないために、シルヴェスター・リーヴァイの曲もメリハリがなく、単調で、いくら前回の版から新しい曲を追加したといっても、無駄な時間となった。

 製作の東宝としては、ミヒャエル・クンツェとシルヴェスター・リーヴァイにかなりの金を出してこの「レディ・ベス」の完成を依頼したと思われるが、この出来では酷すぎる。
ここは、日本用に大幅に手直しを要求すべきだ。
新鮮と感じた舞台中央に据え付けられた回る時計台(地球儀)がいつも中央を占めるので、かえって変化のある舞台作りを阻害しているようだ。

 そんな、感動に全く至らない出来の悪い「レディ・ベス」だが、アン・ブーリンを演じた和音美桜の歌い方は上手い。
また、山口祐一郎も相変わらず立派な声量でその存在感を示すとは、大した演技力だ。

 感動を呼ぶ作品とは言えない出来だった。

 ミヒャエル・クンツェ、シルヴェスター・リーヴァイ、小池修一郎の; 「エリザベート」  や 「モールアルト!」
 平方元基が出ていた; 「王家の紋章」 (2016年)
 和音美桜が出ている; 「レ・ミゼラブル」 (2015年)

 土佐堀川  (シアタークリエ)

あらすじ:時は、江戸時代の終り頃。京都の豪商:三井家で産まれ、幼い頃から結婚相手として決められている大阪は土佐堀川の近くにある大店の両替商:加島屋の長男:広岡信五郎(赤井英和)のもとに17歳で嫁いだ浅子(高畑淳子)は、男勝りの性格と実家で知らず知らずに身に着けた商売人の気質から、綺麗な振袖をきて男たちしかいない米相場の場所でもせわしく動き回り、有名になっていた。夫の信五郎は商売には熱心でなく、店は舅の正饒(まさあつ、小松政夫)と次男:正秋(田山涼成)が切り盛りしていた。徳川幕府が倒れ、明治新政府がだした新しい貨幣制度で取付騒ぎが起き、加島屋も倒産の危機に陥るが、どうにか正饒の決断で倒産だけは免れた。しかし、加島屋の財政は逼迫していた。そこで、これからの時代には石炭が必要になると感じた浅子は、単身懐にピストルを忍ばせて荒くれ男(芋洗坂係長)たちが待つ筑豊に向かい、炭坑の事故も乗り越えて炭鉱経営で加島屋を安定させた。舅が亡くなった後は、夫の信五郎も仕事に精を出すようになり、新しく設立した銀行の経営も軌道にのり、生命保険会社の合併も果たした。浅子が昔から懸案としてきた女子も教育を受けるべきだという信念は、成瀬仁蔵(葛山信吾)の献身的な運動で、どうにか実を結び日本初の女子大学校を設立できた。次々と新しいことに挑戦する浅子だった。。。


久し振りに高畑淳子を介して日本の芝居を堪能した! 

 この女主人公:広岡浅子は実在の実業家で、彼女をモデルにした本では、古川智映子の「小説 土佐堀川 女性実業家・広岡浅子の生涯」があり、この本は、NHK・TVの朝の連続番組「あさが来た」でも原案になっているから、あらすじを読んだ人は、大体筋は分かるでしょう。
でも、私は、本も読んでいませんし、NHK・TVも観ていません。
脚本は小池倫代、舞台での演出は田村孝裕がしている。
また、舞台化は、以前、東京宝塚劇場で八千草薫が演じているようだけど、これも、観ていない。

 あらすじにない他の展開としては、三井家から浅子についてきた女中の小藤(南野陽子)が信五郎の子供を産むなども絡む。

 実によくできた構成に仕上がっている。
17歳から晩年に至るまでの、広岡浅子の正しく「女傑」いや目先のきいた「女性実業家」としての波乱万丈の生き様が、関西弁が持つ独特の笑いと共に、高畑淳子の優れた演技によって、感動をもたらした。

 最近の舞台では、外国物のミュージカルや翻訳物が中心になっているが、久し振りに森光子や浜木綿子などが座長格で活躍していた頃の日本の演劇を彷彿とさせる評価の高い出来栄えだ。
高畑淳子には、当然ながら主役として物語を引っ張て行く役割と他の出演者に対する思いやりもヒシヒシと感じられるいい役を貰っている。

17歳の時の綺麗な振袖を着て、大股でよく歩く出だしから、洋服を着た高齢を迎える年齢まで、役に応じた雰囲気は十分にでている。
高畑本人が言うように、確かに、この年齢で(失礼ながら!)17歳を演じるのは大変だろうが、膝で滑る振袖が破けないかと心配するほど元気さは観ていても伝わってきた。

 高畑をサポートする田山涼成も自分の役どころをよく理解しているし、南野陽子も無理なく演じている。

 また、舞台運びに心地良いリズム感があって、飽きさせない演出をした田村孝裕も称賛したい。
特に、亡くなった小松政夫が昇天したり、新しく植えた木が成長したりとプロジェクション(スライド)を多用したのは、いいアイディアだ。
後半の市川房枝等の略歴紹介も分かりやすい。

 時々セリフを忘れる小松政夫や、どうして信五郎役を赤井英和にしたのかの疑問もあるが、それらを補ってもいい芝居になっていた。

 前のシアタークリエ; 「きみはいい人、チャーリー・ブラウン」 

 ドリーム

あらすじ:時は、1960年代初頭。まだ、まだ黒人差別が色濃くあり、また働く女性への評価が低かった頃のアメリカは南部のバージニア州にあるアメリカ航空宇宙局(NASA)の研究所では、多くの白人に交じって黒人女性も働いていた。その中には数学の天才:キャサリン・G・ジョンソン(タラジ・P・ヘンソン)や黒人であるためいつまでも管理職にされない計算係のドロシー・ヴォーン(オクタヴィア・スペンサー)、そして技術者を目指すメアリー・ジャクソン(ジャネール・モネイ)もいた。ソビエト連邦との宇宙開発競争で大きく遅れをとったアメリカは、アル・ハリソン部長(ケヴィン・コスナー)が率いる部署で、まさに寝食を惜しんでジョン・グレン飛行士が乗る地球周回飛行ロケットに必要な軌道計算を行っていた。が、新しく導入したばかりのコンピューターで計算した値に違いが出ている。しかし、ロケットの発射時刻は迫る。そこで、キャサリンが行った計算は。。。


女:真実を誇張した典型的な作りね! 

男:映画の最後に紹介される実存した3人の黒人女性たちを中心にした、1960年代における黒人差別とまだ働く女性に対する評価が低かった頃の、一つの隠れた話だね。
女:確かに原作もあるようだけど、監督と脚本は、セオドア・メルフィとあるわ。
男:セオドア・メルフィの監督作品としては、「ヴィンセントが教えてくれたこと」は観ている。
女:映画のタイトルがカタカナの「ドリーム」とあるから、原題でも「Dream 夢」かと思って観たけどこのタイトル「ドリーム」ではちょっとばかり内容としては適切ではないんじゃない。
男:そうだね。このタイトルでは、かなり違和感がある。
  そこで、調べると配給会社ではもともとの邦題は「私たちのアポロ計画」と予定していたが、「アポロ計画」は月面着陸を目指すもので、この映画ではまだ有人宇宙飛行を目指した「マーキュリー計画」でアポロ計画とは全然違うとの指摘が多くあって「ドリーム」に変更したようだ。
女:それでも、「ドリーム 夢」では、この内容の映画ではピンとこないわね。
男:うん、それなら原題からいくと英語では「Hidden Figures」とあるから、これを日本語に訳すと「隠された数字(数式)」また「表に現れない人たち」の二重の意味となるかな。
女:それなら、この映画の内容がよく分かるわ。
  ロケットの軌道計算では今までとは違った面倒な数式が必要とされ、また、当時のアメリカで最高の国家計画だった宇宙開発において、実は差別されていた黒人女性たちが隠れて貢献していたということですものね。

男:映画配給会社の余りにも安易な邦題のつけ方の酷さは、今に始まったことではないので、それは置いといて、映画の話に戻ろうか。
女:この映画での基本は、凄い黒人差別が1960年代にあったということね。
男:そうだね。
  黒人や有色人種には、トイレは白人と別の場所が指定され、バスでも座席が別で、公共の図書館でも貸し出しに規制があったという事実だね。
女:高校や大学に、黒人は入学できないという決まりもあったのね。
  それらの人種差別が、キング牧師を中心とした公民権運動により無くなり、女性の地位も「ウーマン・リブ運動」で向上してきたのよね。

男:でも、それから60年近くを経た現在の2017年8月てもアメリカでは、白人至上主義の団体:クー・クラックス・クラウン(KKK)が、依然として黒人排斥運動をしているように、まだまだ、アメリカでは人種差別は残っている。
女:この映画のセオドア・メルフィ監督は人種差別に対しては、それらを事実として描いているだけで、特に厳しく反対運動に繋がる表現はないわよね。
男:でも、白人男性ばかりの部署でただ一人の黒人女性のキャサリンが、時々黒人専用と決められた別の建物にあるトイレに戻るシーンは、いくらなんでも作り上げているね。
女:あなたがいつも指摘している、能力のない監督が無理に盛り上げようとする”雨降り”のシーンもその1つね。
男:事実に基づいているなら、現実的であるべきで、かなり遠くにある建物まで、雨にも関わらず傘もささずに行くという設定には、監督としての見せ場としての発想の安易さを感じる。
女:いくら研究所でも傘は置いてあるでしょうからね。
男:ケヴィン・コスナーが黒人専用と書いてあるトイレの表示板を壊すぐらいは、映画としての盛り上げ方として許すけどね、もっと必然性を持たせて欲しい。
女:コンピューターについても一言あるんでしょ。
男:そう、元コンピュターのシステムズ・エンジニアとしては、NASAがIBMの大型電子計算機を導入したという挿話は、当時を思い出させてくれ、懐かしくて興味があった。
  本当に、1960年代の電子計算機は大きくて広い場所と大量の電気を必要としていたんだ。
  プログラムは1つ1つ80欄のカードを読ませていたね。
  そして、大型電子計算機で使用される科学技術計算用のプログラム言語の「フォートラン FORTRAN」だけど、この言語は難しくて、また新しいので簡単に教科書も手に入れられなく、この映画のように、短期間で憶えることが出来るなんてことはない代物だった。
女:それは、あなたの能力の方に問題があったからじゃないの。
男:それも、置いといて。
  この映画で気に入ったシーンは、技術者になりたいメアリーが黒人として初めて高校に入学希望を出したときに、反対する裁判官を説得する場面だね。
女:前例を破れば、歴史に名を残すことが出来るということね。
男:科学的な事柄やスポーツの記録では、今までなかったことを実現すれば、すぐに褒められるけど、人間が作った規則を変更するとなると、なかなか出来ない。
  平凡な規則を守るより、改革を行った初めての人として、後世に名を残す。
  これは、上手い説得方法だね。
女:この映画が全体として物足りないのは、結局いつものアメリカ映画でよく使われている「善い人」ばかりになったことね。
男:ケヴィン・コスナーが演じている研究所の上司やそこで働く白人女性だけでなく、家族でも物分かりのいい娘たち、理解のある夫、そして、恋人では、事実に基づくとは思えないってことかい。
女:そうよ。
   現実の会社勤めでは日々ストレスが溜まるし、日常生活も苦労の連続で、私の周りには、こんな優しくて理解のある人はいないわよ。

男:でも、きみには、僕がいるじゃないの!
女:あなたの存在が、一番ストレスの種なのっ。
男:えっ、それをいっちゃあ、もうお終いだよ。
女:そういうことねっ。
男:・・・

黒人を描いた; 「ムーン・ライト」 (2017年)、 「それでも夜は明ける」 (2014年)
真実に基づいて作り話が目立った; 「少女ファニーと運命の旅」 (2017年)  
セオドア・メルフィ監督の; 「ヴィンセントが教えてくれたこと」 (2015年)  
      

 スイス・アーミー・マン

あらすじ:とある無人島に遭難し、一人しかいない世界に悲観したハンク(ポール・ダノ)が首を吊って死のうとした時に、波打ち際に男性の死体(ダニエル・ラドクリフ)が流れ着いた。その死体からは、猛烈にオナラが出ており、この死体が出すガスを利用してジェット・スキーの代わりにしたハンクは、無人島からの脱出に成功し、別の島まで辿り着くことができた。なんとなく死体が役に立ちそうだと感じたハンクは、死体を伴って人家を目指すが、深い森でさ迷いついにゴミ捨て場となっている谷底に落ち込み出られなくなる。しかし、死体は役に立った。口からは飲み水が出るし、火も起こせる。また、木を切ることもでき、まるで死体は、万能ナイフ(スイス・アーミー・ナイフ)のようで、ハンクは死体をメニーと名付け、父親のことやバスで出会った人妻のサラに片思いをしていることをはなし、二人は親密な時を過ごしながら、ついに、人家を見つけたが。。。


笑えると話かと思ったら、全く下品で酷い内容の映画だった! 

 タイトルの「スイス・アーミー・マン」は、スイスの軍隊(アーミー)が発祥とされる缶切りやドライバーなど多機能を持っている十徳ナイフ(アーミー・ナイフ)から来ていて日本語に訳すと「多機能人間」とでもなるか。

 監督と脚本は、ダニエルズとなっていて、ダニエル・クワンとダニエル・シャイナートだ。
「ハリー・ポッター」シリーズで有名になったダニエル・ラドクリフが、死体を演じてるとは。

 予告編を観て、またとチラシを読むと「青春・サバイバル・アドベンチャー」となっているので、これは、馬鹿げたお笑いの映画かと期待して、映画館に足を運んだが、実は、正しく看板に偽りありに該当する例だった。

 何が、青春のサバイバルか!
 映画の本当の内容は、あってはならない死体を弄んだもので、冒頭のオナラから始まり、ウンチや下半身、そしてゴミなどが満載のまったく下品で汚く、さらに精神異常で人妻のストーカーとは、観客を馬鹿にしている。

 映画の冒頭での死体のオナラを利用したジェット・スキーの話は、大いに笑えるが、これが笑いのすべてで、それ以降のサバイバルでの飲み水や仮装バスに至っては退屈で退屈で、すぐに欠伸がでる出来だ。

 こんな内容の映画が、案外海外で受けているとは、実に残念。
日本では、興行的に難しいと判断した配給元は正しい。

 ポール・ダノが出ていた; 「それでも夜は明ける」 (2014年)
 ダニエル・ラドクリフの; 「ハリー・ポッターと死の秘宝」 (2011年)

 三度目の殺人

あらすじ:同じ事務所にいる摂津弁護士(吉田鋼太郎)が持て余している殺人事件の容疑者:三隅(役所広司)の弁護を新しく引き受けることになった重盛(福山雅治)にとっては、殺人の前科があり自供をしている三隅の刑をいくら軽くできるかだけが法廷戦術の中心だった。しかし、三隅は接見のたびに殺人の動機は金銭強盗が目的だったとか、被害者の妻(斉藤由貴)に保険金目当てで頼まれたとか、その供述内容が変わり、証拠集めをする重盛も翻弄される。そのため重盛は、三隅が30年前に犯した一度目の殺人事件のあった留萌も訪れるが、当時の捜査担当者も犯行動機がはっきりしなかったという。三隅は自分本位の単なる嘘つきなのか、それとも、不幸な他の人のために罪を犯したのか。三隅と被害者の娘:咲江(広瀬すず)との関係も明らかになるが。。。


問題提起の気持ちは買うが、中途半端な展開は不可解だ! 

 監督は、「そして父になる」で福山雅治を使い「海街diary」で広瀬すずを有名にした是枝裕和で、彼が脚本も書いている。

 是枝監督として言いたいことは、「人が人を裁くことができるのか!」のことのようで、現在の司法制度における裁判官、検察官、弁護士たち、みんなが真実追及から目を反らし、早く決着をつけることだけに汲々としていると糾弾したいようだ。

 しかし、真実を知っている神が存在していない世界で、「人が人を裁かない」ならいつまでも犯罪は解決できないまま放置されるし、被害者を取り巻く家族や関係者の気持ちも整理がつかず、不安定な状態が持続されるということを是枝監督は勉強すべきだった。
裁判制度、司法制度は個人による「仇討ち」では、社会が円滑に流れていかないことに気付いた人類がどうにか産み出したやり方で、不備はあるだろうが、現在多くの国家で採用されているという認識は、前提として持つことだ。

 そこで、話を映画に戻すと、容疑者:三隅だけでなく、被害者の娘:咲江にしても、多くの挿話において、どれが真実で、誰が嘘をついているのか、それらが未整理のまま提示されて、未解決のままで終わっているという、出来の悪さがある。

 是枝監督としては、日本の司法制度において、真実追及が疎かになっているというなら、観客に対してはそれを判断できる真実を示さないと、この監督は何を言いたいのか、全く分からなくなる。
この演出では、本当に食品工場の社長を殺したのは、三隅か咲江か不明だ。
これを明らかにして、真実を語らない、あやふやな依頼人を担当することになった弁護士という職業が抱える心の葛藤が表現されるべきだった。
犯人探しを、観客に委ねるという手法もあるが、この「三度目の殺人」においては、不適切で使ってはいけない。

 それにしても、北海道で暮らしている三隅の娘が事件後隠れる話や、今はもう辞めている重盛の父の橋爪功が東京にでてきてスパゲッティをつくる話は要らない。
要らない話があるかわりに、肝心の事件の鍵となっている十字架が象徴するものは何だったのか、この答えはない。

 この映画では、接見室でのやり取りを中心に、非常に顔のアップが多い。
その撮影方法は成功したか?
役所広司に関しては、すごく効果がでている。
表情の変化とセリフが、拡大化された画面でも上手く纏まっている。
しかし、福山雅治や他の俳優に対しては、ここまでアップしても効果は薄い。

こんなに日本人でも分かり難い内容ばかりの映画では、ベネチアに出品しても賞をとれない訳だ。

 それにしても、是枝監督の本心は、「そして父になる」や今回の「三度目の殺人」で出てくる、仕事中心で家族から離れている父親失格の男を描きたいのか?

是枝監督と福山雅治の; 「そして父になる」 (2013年)
福山雅治の; 「SCOOP!」 (2016年)
役所広司の;「関ケ原」 (2017年)、 「渇き」 (2014年)
広瀬すずの; 「海街diary」 (2015年)、 「チア・ダン」 (2017年)

 エル ELLE  (フランス映画)

あらすじ:幼い頃に、宗教上の理由から多くの人を殺した父親を取り調べる際に受けた警察に対する不信感とその猟奇的な殺人犯の娘としての変な好奇心だけしか示さない世間の眼に晒されながら育ったミシェル(イザベル・ユペール)だったが、苦労して今はゲーム会社の女社長になっていた。が、新作に対する社員のアイディアも物足りず、また家族間でも、別れた売れない作家の元夫(シャルル・ベルリング)は、若い恋人をつくってはしゃぎ、頼りない息子(ジョナ・ブロケ)は現代的な彼女の尻に敷かれているし、金をせびる高齢な母は、その歳にもかかわらず若い男との結婚を考えているようで、そんな生活にウンザリしながら一人で瀟洒な邸に暮らしていた。そんなある日、飼っている猫を家に入れようとした時に覆面をした正体が分からない暴漢に襲われレイプされる。しかし、ミシェルは、この事件を元の夫や彼女の会社で親しくしている同僚夫婦(アンヌ・コンシニ/クリスチャン・ベルケル)には話したが、警察に届け出はしなかった。この事件後も、ミシェルの生活を覗いているようなメールが来たり、留守中に自宅に忍び込んだ形跡が残されていた。一体、レイプ犯は誰なのか。会社で不満を持っている男性社員の行動も怪しい。ハンサムで魅力的な隣家の夫(ロラン・ラフィット)の存在も気になるが。。。


女:屈折した性行動は、最後には死に結びつくのね! 

男:監督は、オランダ出身のポール・ヴァーホーヴェンで、フランス語の原作もあるようだ。
  タイトルの「Elle」は フランス語で「彼女」という意味だね。
女:ポール・ヴァーホーヴェン監督の作品では、大きく足を組み替えるシーンでシャロン・ストーンを一躍有名にしたあの「氷の微笑」もあるわね。
男:「氷の微笑」の製作は1992年だったから、その監督ももう、80歳に近いのに、このエロティックさとは、男として感心するね。
女:「エル」のチラシでは、誰だか分からないレイプ犯をあぶり出すミステリー映画のように書いているけど、実体はエルが持っている奔放な性癖が中心なのよね。
男:フランスでは、大統領に愛人がいても世間は気にしないというように、他人の恋愛には干渉しないという伝統があるようだけど、ミシェルの性をここまで多岐に渡って描くとは、大したもんだよ。
女:日本では、芸能人や代議士が不倫すると、テレビや週刊誌で取り上げられて大騒動になるのとすごい違いがあるのね。
男:でも「エル」が扱っている不倫とかエロティシズムは、出演候補となったアメリカの女優でも抵抗感があって応じる人がいなくて、どうにかフランスを舞台にして、主演はイザベル・ユペールに落ち着いたようだ。
女:それにしても、イザベル・ユペールのこの正に体をはった演技は、高い評価がなされる出来よね。
男:大胆な肌の露出度も多いけど、暴漢に犯されても平然として壊れた食器を片付ける時の表情と態度は、これから起きるミステリーの始めとしては圧倒的な演技で、えっ、何でそんなに冷静でいられるのって見事に映画の中に引き込まれた。
女:歳をとっても、観客の心理を知っているヴァーホーヴェン監督の上手い演出にやられちゃったわけね。
男:ミシェルのセックスを中心にして、元夫や会社の部下、同僚の旦那、息子の恋人、母親の若い愛人、隣家の旦那と話題が広がるが、これらが各々簡潔な特徴を持っていてこのあたりのまとめ方もすっきりしている。
女:その中でも、息子もその恋人も白人なのに、肌の黒い赤ん坊が産まれても息子は自分の子だと熱心に言うのは、このミステリー仕立ての構成で息抜きとして成功していたわよ。
男:最近の意気地のない男性は、日本だけの傾向かと思っていたけど、フランスでも同じだった。
女:また、お嫁さんと姑との関係も世界共通のようね。
  これは、少し反省点よ。

男:最後での、信心深い隣家の奥さんは、今度のレイプ事件の全てを知っていたという終わり方は、してやられた、と感心させられる持っていき方だ。
女:演じている女優さんは、ヴィルジニー・エフィラでチョットだけしかでていないけど、印象に残るわね。
男:それにしても、様々なセックスのパターンをよくもミシェル一人に集約させたものだね。
女:女性としては、ここまで描かれると、もうあり得ないけど、大勢の人がいる食卓の下で好きな人と足を絡み合わせるようなことはしたわね。
男:えっ、それは聞き捨てならないね。
女:それは、もう、昔、昔の話であなたが得意とする、時効よ。
男:恋愛に時効は、適用があるのかなぁ。
   まあ、いいか。

最近観ているフランス映画なら、 「少女ファニーと運命の旅」 (2017年) もあります。

 関ケ原 

あらすじ:子供の頃から豊臣秀吉(滝藤賢一)に可愛がられ、その秀吉亡き後も幼い秀頼を立てて豊臣家のために尽くす石田三成(岡田准一)であったが、豊臣五大老において秀吉の遺訓を守っていた前田利家(西岡徳馬)も亡くなり、徳川家康(役所広司)が豊臣家に代わって日本を支配しようとしていた。老練な家康は、福島正則や加藤清正らを取り込み反豊臣勢力を築きあげ、ついに、徳川家康の東軍と石田三成が指揮する西の豊臣軍は、慶長5年(1600年)9月15日、関ケ原で東西に別れ壮絶な戦いが始まった。この戦いの裏側には、三成が愛した伊賀の女忍者:初芽(有村架純)たちの隠された活躍もあったが。。。


実に分かり難い大作だ! 

 原作(原案?)は、司馬遼太郎の「関ケ原」があり、それを以前から映画化したがっていた原田眞人が脚本を書き、監督した。

 原田眞人としては、三成の家臣となった島左近を中心とする話や、最後まで東西のどちらの軍に組するか迷っていた小早川秀秋で纏めるかも検討したとのことで、これらを知ると、少しは、この複雑な仕上がりとなった作品の理解の助けになるかもしれない。

 私が書いた「あらすじ」は、映画以外の情報によってここまでどうにか書けたもので、単に映画を観ただけでは、秀吉亡き後の家康の役職も、三成の立場も何がなんだか分からずに終わる。

 その訳は、どうして秀吉が信頼していた福島正則や加藤清正らの武将がここまでしても反三成の気持ちになり徳川方に参加をするのかがごちゃごちゃしていて分からないこと。
また、家康の策略によって各地の武将が東軍にどこまで取り込まれているのか、また家康の家臣など取り巻きなどと余りにも登場人物が多く、また、これら人の、特に武将を演じる人たちのセリフが古臭くて長く、また早口で、長く日本人をやってきている私にしてもよく聞き取れないという、映画界ではやってはいけないことを、監督:原田眞人が冒してしまったせいだ。

 重要と思われる、細川ガラシャの事件も余りにもセリフが早すぎて何があったのか分からない拙さや、島津の侍が話す鹿児島弁にいたっては、字幕をつけてくれないと意味が聞き取れないという酷い出来だ。
こんな、多くの観客が肝心のセリフを理解できないという、映画作りの基本を無視した作品を公開してはいけない。

 この映画で一番のクライマックスとなる戦場:関ケ原においてその纏め方の酷さも最高となっている。
司馬遼太郎が描いた「関ケ原」では、一応、東軍側・西軍側として戦に出たものの、かなりの殿様は、現場での戦局の様子を見てから、最終的に有利な方に加勢することになっているようだけど、この原田眞人監督の采配では、誰がどこの殿様で、誰が、どう、三成と繋がっているのか、それとも家康に懐柔されているのか、これまた、声高に叫ばれていてまったく分からない。
前もって登場人物を印象付け、演じている俳優が誰なのかが上手く結びつけられていない弱さがある。

 どこの誰だか分からない侍が、戦で大声をあげて叫び回るのでは、3,000人も使ったというエキストラも無駄な使われ方をしている。
そう、多くのエキストラが持ち場が分からず、漫然と槍を揃えて突き出すのでは、エキストラが活用されておらず、彼らも犬死にだ。

 大体、脚本として、冒頭の現代から戦国時代へ戻る手法や、三成の愛人として伊賀の女忍者の存在は、この映画では不要だ。

 可愛いだけの有村架純には、忍者としての闘いでの切れがなく、明らかに無理な起用で、ミス・キャストと言える。
ミス・キャストとなると主役の岡田准一にも言える。
彼の体系では、まったく、鎧・兜が似合わないことが最初に衣装合わせをした時から分かったと思えるが、どうしてそれを変更するまでの人が製作陣にいなかったのか、大いに疑問のある配役だ。
製作に芸能界で大手のジャニーズ事務所が絡むと、良識のある映画界の人が黙ってしまうのは、本当に残念だ。

 映画製作としては、女性を活躍させようと北政所や淀殿を出すのは、まあ有かと思うが、他の壇蜜や中越典子の登場や忍者間の内紛は、この映画をさらに分かり難くしている。
これらは、カットできる話だった。

 でも、この映画の見どころとしては、島左近を演じた平岳大(ひら たけひろ)の存在感ある演技が上げられる。
父親:平幹二朗に似ている顔立ちと共に、彼の演技力ならこれからも活躍が期待できる。

 それと、東本願寺や彦根城などで行われた撮影は綺麗で、これも良い。

 金をかけて作りあげた映画とは、分かるが、筋の整理と、またセリフも考慮が必要な映画だった。

 それにしても、役所広司が演じる徳川家康がこんなに太っていて、腹が出ていたとは、見たくもなかった。

原田眞人監督作品は、 「駆込み女と駆出し男」 (2015年)、 「クライマーズ・ハイ」 (2008年)
役所広司は、 「蜩ノ記」 (2014年)、 「渇き」 (2014年)、 「終の信託」 (2012年)
岡田准一は、 「追憶」 (2017年)、 「海賊とよばれた男」 (2016年)
有村架純は、 「アイアムアヒーロー」 (2016年)、 「ビリギャル」 (2015年)

 

 少女ファニーと運命の旅 (フランス映画)

あらすじ:時は、第二次世界大戦下。ナチス・ドイツに占領されたフランスでは、ドイツと同じようにユダヤ人狩りが厳しく行われていたが、ユダヤ人の子供たちをかくまう組織の一つで、マダム・フォーマン(セシル・ドゥ・フランス)の家に、13歳の少女:ファニー(レオニー・スーショー)も両親の手を離れ二人の妹たちと隠れて生活していた。しかし、心無い密告者によってその家の存在がばれてしまい、まだユダヤ人に対する迫害がすくないイタリア方面に逃げようとするが、イタリアも戦争に負け、引率していた青年もドイツ軍に捕まった。辛うじて残された組織によって中立国のスイスへ逃げようとするが、警察に捕まる。もう頼れる大人がいない中、ファニーは妹も含めて8人の子供たちを率い、警察とドイツ軍の追っ手から、必死にスイスを目指すが。。。


もう一つの突っ込みが足りない! 

 監督と脚本は、フランス女性のローラ・ドワイヨンで、原作はユダヤ人のファニー・ベン=アミが書いたフランスからスイスへの逃避行の自伝があり、そのエピソードを元に映画化した。

 この8月の映画界は、お子様向けのアニメや他愛のない青春物語ばかりで、映画好きの私にとっては、まったく映画館に足を運ばせる作品がない。

 今回観た「少女ファニーと運命の旅」にしても、チラシでは、”実話から生まれた感動の物語”となっていて、大体、チラシで唱っている”実話に基づく”は、たいてい、この話は本当に面白くありませんが、こんな人生もありますので、参考に我慢して観てください、という意味だし、”感動の物語”とは、あくまでも映画界で宣伝用語として使用する”これは、あくまでも一個人の気持ち”ですから、まあ、あてにしないで良いですよ、と意味だ。

 それは分かっているが、戦後70年以上も過ぎた今、多くの人々の記憶から忘れられようとしている、第二次世界大戦下でナチス・ドイツ軍が行った残忍・非道なユダヤ人迫害の記録を、フランスでは、どう扱っているのかが気になり観た。

 この映画の元になった本でのフランスからスイスへの細かな逃避行がどうなっているのかは、知らないが、多くの身に迫る危険な出来事が、危機一髪で何となく回避される描き方になっているのは残念な演出だ。
例えば、最初では、列車に乗り込むところ、貨物列車で発見されるところ、後の方では納屋でドイツ軍が見に来るところ、スイス領土を目前にして子供が倒れるところなどだ。
監督としては、主なエピソードを描きそれらを漫然と繋ぐことだけに気が行ったようで、各々の危機がどうして起き、どんなアイディアまたは偶然でその危機が回避されたのかをもっと、もっと丁寧に描かないと観客としては、こんな程度の物かと、かなり物足りない気持ちになる。

 フランスからスイスへ逃れた自伝を元にしている以上、映画を観る前から子供たちは、どんな苦労をしても最後には無事にスイスへ逃れられるのは分かっていることだから、ここは各々の迫りくる危機のシーンをもっと膨らませ、苦労に苦労を重ねてどうやら逃げれることができましたとすべきだった。

 また、引き裂かれた両親との思い出が回想できるカメラは、手放すべきではなかったし、ドイツからヴァイオリンを持って逃れてきた娘にはもっと活躍させる場を用意することができたら良かった。

 それにしても、子供としてはあり得ない行動をとらせていることも気になった。
例えば、捕まった時に、警官に殺せと言って銃口を自分の頭に突き付けたり、キリスト教徒だと偽る男の子にユダヤ人としての誇りを持って死ねなんてシーンだ。
こんな行動は、政治とか人種差別を理解できるようになった大人が考えた余分な話だ。

 確かに子供を主人公にする映画作りは大変だが、それを取り上げた以上、子供目線にプラスした大人が観て感動する映画としての流れが必要だ。

 Beautiful ~The Carole King Musical~  帝国劇場

あらすじ:時は、1960年代のアメリカ。ニューヨークに住む音楽が好きな高校生:キャロル・キング(平原綾香)は、堅実な教師になれという母親(剣 幸 つるぎ・みゆき)の反対を押し切って、自分の曲をプロデューサーのドニー・カーシュナー(武田真治)の事務所へ売り込みに行き採用される。歌詞を担当するのは、キャロルが憧れている同じ高校にいるジェリー・ゴフィン(伊礼彼方 いれい・かなた)だ。キャロルとジェリーが作った曲は、シュレルズやザ・ドリフターズ、そして、リトル・エヴァなどが歌い次々とヒットを飛ばし、作曲・作詞家として自信を得た二人は結婚し、子育ても大変な中、良き友人でもあるバリー・マン(中川晃教 なかがわ・あきのり)とシンシア・ワイル(ソニン)のコンビと共にビルボード誌の上位を競い合っていた。しかし、常にヒット曲を書き続けなければならないという焦りから、精神的に追い詰められたジェリーは浮気に走るようになった。何とか、二人の仲を元に戻そうとするキャロルだったが、もう、遅かった。28歳になったキャロルはシンガー・ソングライターとして、新しく、西海岸で音楽活動を開始し発表したアルバム「つづれおり (Tapestry タペストリー)」は、世界的なヒットとなり、ミュージシャン憧れのカーネギー・ホールでコンサートを開くことができる。。。


女:ヒット・パレードで心が弾むわね! 

男:私も青春時代には、よくレコードを聴いていたあのキャロル・キングの半生がミュージカルになったんだね。
女:今回のキャロルは、平原綾香が演じたけど、他に水樹奈々もダブル・キャストになっているのよ。
男:君は知っていた?
  冒頭のニール・セダカが歌う「オゥ、キャロル」は、ニールがデートをしたことのあるこのキャロル・キングに贈った曲だよ。
女:知ってるわよ。
  それは、キャロル・キングにまつわる有名な話で、キャロルもニールに「オゥ、ニール」のタイトルでアンサー・ソングを贈り返しているわよ。

男:タイトルになっている「Beautiful」は、キャロル・キングの曲の1つだね。
  それにしても、本当に、青春時代を思い出させる懐かしいアメリカン・ポップスが一杯出てきたね。
女:でも、私の若い頃は、歌っているグループや歌手名は知っていても、作詞家や作曲家までは興味がなくて、このミュージカルで初めて、シュレルズの「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」やザ・ドリフターズが歌った「サム・カインド・オブ・ワンダフル」がキャロル・キングの作曲と知ったわよ。
男:そうだね。日本でも無茶苦茶に流行った「ロコ・モーション」は歌ったリトル・エヴァは知っていても、作曲がキャロル・キングとは知らなかった。
女:そのリトル・エヴァは、元はキャロルの赤ん坊の子守りだったという話は、笑えたわね。
男:余り舞台経験がない平原綾香が、この広い帝国劇場という名門の舞台でミュージカルに挑戦するということで、大丈夫かと心配の方が先に立ったけどこれはまったく杞憂だったよ。
女:平原綾香も随分と練習をしてきたようで、セリフも落ち着いているし、舞台での立ち位置もしっかりしていたわ。
男:舞台の展開として、話が中心でなくて、多くの曲がでてくるのが、演出として成功している。
  でも、欲を言えば、黒人のグループには、日本版でも黒人に演じて欲しいな。
女:それは、白人でない日本人が金髪の人種を演じているというスタートからの問題ね。
男:まあ、それは、我慢するか。
女:平原綾香の演技としては、キラキラした女優でなく、そこらにいるおばさんみたいな地味な感じがする実物のキャロル・キングの感じが良く出ているわよ。
男:この「Beautiful」で平原綾香が歌う数々の曲によって彼女が本物の歌手であることも見事に分かった。
  彼女が独特の解釈で歌いヒットした曲「ジュピター Jupiter」でも、声量の素晴らしさは感じていたけど、この舞台でも、キャロル・キングを自分のものにしている。
女:彼女が最後の方で歌う「ナチュラル・ウーマン」には、本当に感動して、思わず涙が出たわ。
男:余り物事に感動しなくなった私だけど、この舞台に対しては、スタンディング・オベーションだね。
女:歌って本当に素晴らしいものね。
  歌が持つ魅力を今日ほど感じたことは無いわよ。

男:かなり高齢になっているきみをここまで興奮させるとは、本当に歌が持っている力って凄いね。
女:エッ、今、高齢とか言った
男:いっ、いや、年齢のことは、言ってません。
女:それなら、いいけど。
男:危なかったなぁ

中川晃教が出ていた; 「きみはいい人、チャーリー・ブラウン」 (2017年)
伊礼彼方が出ていた; 「王家の紋章」 (2016年)

 パイレーツ・オブ・カリビアン ~最後の海賊~

あらすじ:呪われた幽霊船の船長となっている父:ウィル・ターナー(オーランド・ブルーム)の呪いを解こうと彼の息子:ヘンリー(ブレントン・スウェイツ)は、いろいろと海の伝説を調べている内に出会った女性天文学者のカリーナ・スミス(カヤ・スコデラーリ)の助けを得て、父の呪いを解くことができるのは秘宝「ポセイドンの槍」だと突き止めた。しかし、「ポセイドンの槍」のありかは分からず、探査の航海にでるためには、海賊:ジャック・スパロウ(ジョニー・デップ)船長の力が必要だった。が、ジャックに恨みをもつ海賊処刑人:サラザール(ハビエル・バルデム)が彼を殺そうと迫っている。果たして、「ポセイドンの槍」はどこにあるのか。。。


遊園地のアトラクションももう出尽くした! 

 2003年の「呪われた海賊たち」から始まったこの「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズも、今回の5作目「最後の海賊」で14年目を迎えたとのことだ。
「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズでは主演のジョニー・デップだけでなく、共演のオーランド・ブルームやキーラ・ナイトレイなどが有名になって行った。

 しかし、毎作品とも、金はかけているが、思い付きで進んでいるようで余り大した筋もなく、以前は、永遠に生きることの苦しさなどそれなりの主張があったが、今は本当に夏休みの「お子様」を対象にした内容となった映画である。
いや、金庫を家ごと盗んだり、ギロチンで処刑されるドタバタや、船と船の戦いで大砲の間を飛ぶ程度の話では、現在のお子様は、まったく見向きもしないか。

 なら、どうして観たのかというと、それは、私が気になっているスペインの個性的な俳優のハビエル・バルデムが悪人として出ているとのことでそれなら何かあるかも知れないとの微かな期待であった。

 だけど、大人の私が観て楽しめたかというと、それは無い。
以前から続いている幽霊船の呪いの話にしても、船長を置き換えただけで別に新しくもなく、ハビエル・バルデムにかけられた呪いもどうしてこうなったのか、よくわからない内に終わる。
最後の映画「十戒」並みの海が割れるシーンは、CGとしての最高の見せ場だけど、そのハラハラ・ドキドキ感は伝わってこない平凡な出来だった。

 おふざけ満開のジョニー・デップの演技はいただけないし、期待したハビエル・バルデムも白塗りでひび割れた顔面では悪人として実に物足りない。

 英語圏の人なら笑えるらしい「時間学者=Horologist」と「売春婦=Whore」のやりとりも日本人には、訳が分からず、処刑で落ちてくるカリーナ・スミスを受け止めているヘンリー・ターナーとのお尻についての会話といい、製作者は世界をマーケットにしてるのか、それとも英語圏だけを対象に作っているのか意図が不明だ。

 マーケットから話が飛ぶ(かなり強引に?)が、映画には、元ビートルズのポール・マーケットニー、いやマッカートニーもどこかにチョコと出ている。
私のお気に入りだったキーラ・ナイトレイは、これまた最後にちょこっとだけ出てくるがこの程度の出演なら、まったく不要だった。

 「最後の海賊」と言いながら、まだ、続編が予定されているとは、観客がゼロになるまでディズニーはやる気のようだ。
まあ、英語でのタイトルは「Dead Men Tell No Tales (死人に口なし)」で日本でのタイトル「最後の海賊」とはまったく別だけど。

 カヤ・スコデラリオやブレントン・スウェイツなど若手の俳優を加えて何とか高齢になったジョニー・デップの出演シーンを少なくしてこのシリーズを続けたいようだけど、もっと新しいアトラクションのアイデアとしっかりした脚本で訴えるものがないと、興業的には難しいシリーズだ。

前作: 「パイレーツ・オブ・カリビアン ~命の泉~」 (2011年)、 「パイレーツ・オブ・カリビアン ~ワールド・エンド~」 (2007年)、 「パイレーツ・オブ・カリビアン ~デッドマンズ・チェスト」 (2006年)、 「パイレーツ・オブ・カリビアン ~呪われた海賊たち~」 (2003年)
ジョニー・デップの; 「ツーリスト」 (2010年)
ハビエル・バルデムの; 「悪の法則」 (2013年)、 「007 スカイフォール」 (2012年)、「ノーカントリー」 (2007年) 

 ジョン・ウィック:チャプター2

あらすじ:妻を殺したロシアのマフィアを壊滅させ復讐を終えたジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)は、殺し屋稼業から足を洗っていたが、彼を殺し屋として雇っていたイタリアのマフィア:サンティーノ・ダントニオ(リッカルド・スカマルチョ)から頼まれた最後の仕事、サンティーノの姉:ジアーナの殺人依頼は、断れなかった。ローマに飛んだジョンは、ジアーナの警護陣と激しい銃撃戦を演じどうにか、ジアーナを殺すが、約束を破ったサンティーノは、ジョンの首に700万ドルの賞金を懸けて世界中の殺し屋に連絡を送った。街中のいたるところに潜む殺し屋がジョンを襲うが。。。


何が言いたくてこんな酷い映画をつくるのやら! 

 一応、キアヌ・リーブスが出ていて、2年前に前編があったとのチラシに乗せられ、観に行くが、実に筋らしい筋もなく、ただ大量の人殺しをするだけの酷い内容の映画だった。
この内容で、監督を紹介する気にもなれないが、前作も監督したチャド・スタエルスキとのことだ。

 ジョンが相手と対決し多くの敵を殺す場所として、ローマのコンサートが開かれている地下遺跡とか、ニューヨークの美術館や地下鉄構内が選ばれているが、一般の人も多くいる中から、的確に敵を見つけ出し、頭を射抜くとはもう神業で、こんなのあり得なくて、馬鹿じゃないのと逆説的に感激(!)する。

 いくら相手から攻撃を受けても相手の弾は見事に逸れるし、たまにジョンに当たっても、最新技術で作られた薄いスーツが身を守る。
 もう、開いた口が塞がらないほど、空々しくてこれまた、ウンザリする。

 こんな、相手の弾がまったく本人を避けて当たらない戦闘シーンなら、「ランボー」のシルベスター・スタローンを彷彿させるし、「ランボー」と同様に、見事に馬鹿馬鹿しい。

 監督が凝ったと思われる殺人の懸賞金を扱う部署の電話交換手達を古い時代に設定し、手で繋ぐというアナログ的にしてるのも、どうしてこのシーンになるのか、扱っている現代とマッチせず、立派に違和感を増長させてくれた。

 また、だらだらと続く、美術館での多くのガラスを使った殺人シーンは、これまた監督が凝りに凝った色使いも幻想的(?)で、どこに誰がいるのかまったく分からず効果が出ていない素晴らしさがある。。

 お決まりのカーチェイスもあるし、柔道など格闘技もあるしで、このくだらなく退屈な内容で、最初から次の3部作も作る計画とは、大したものだと、大いにあきれる出来でした。

キアヌ・リーブスなら; 「イルマーレ」 (2006年)

 レ・ミゼラブル ~ミュージカル~ (帝国劇場)

あらすじ:1815年のフランスはツーロンの刑務所。一片のパンを盗み5年の刑を受けたジャン・バルジャン(ヤン・ジュンモ)は、脱獄を企てて合計19年間投獄されていたが、どうにか看守のジャベール(吉原光夫)から仮出獄証を貰い街にでることができた。しかし、前科者に対する世間の眼は冷たくバルジャンは食べることも難しかった。そんな世間を憎んでいる彼を教会は暖かく迎え一夜の宿も与えた。が、こともあろうに、バルジャンは、その教会にあった銀の食器を盗み、警察に捕まった。だが、心の優しい司教は、それらの食器は、バルジャンに与えたものだといって彼を赦した。それから、7年後、司教の寛大さに目覚め、改心したバルジャンは、マドレーヌと名を変え、必死に働き、今は立派な工場を経営し、市長になっていた。その市に刑務所の看守だったジャベールが警視となって赴任してきた。ジャベールはどこかジャン・バルジャンに似たところのあるマドレーヌを疑っていたが、他の容疑で捕まった別の男がジャン・バルジャンと名乗り、裁判を受けることになった。これを聞いたバルジャンは、法廷に出向き、自分が本当のバルジャンであると名乗り出てるが、バルジャンには以前彼の工場で働いていたファンテーヌ(二宮愛)の死に際に彼女と交わした彼女の一人娘:コゼットを育てる約束があり、それから、バルジャンとコゼットの逃亡生活が始まった。10年後のパリ。市民革命を目指す学生たちの一人:マリウス(内藤大希)はバルジャンと共に街で施しをする美しく成長したコゼット(清水彩花)と出会い二人は互いに魅かれ合う仲となるが、ここにもバルジャンを執拗に追うジャベールの姿があった。革命を決起した学生たちが政府軍によって次々と倒され、マリウスも深い傷を負うが。。。


女:まさに進化する壮大なミュージカルね! 

男:もう、何度も上演されているミュージカル「レ・ミゼラブル」だね。
女:1985年にロンドンで幕を開け、日本でも1987年(昭和62年)に今の帝国劇場で初演されたとのことで、今年2017年は、日本初演から丁度「30周年記念公演!」と唱っているわよ。
男:ここまで有名な「レ・ミゼラブル」は、もう言うまでもないけど、一応、作品の背景を説明すると、原作はフランスの文豪:ヴィクトル・ユゴーの「ああ、無常 (Les Misérables レ・ミゼラブル)」を、アラン・ブーブリルとクロード=ミシェル・シェーンベルクが脚本を書き、作曲は、同じくクロード=ミシェル・シェーンベルクで、日本語の訳詞は、岩谷時子だ。
女:その当初の演出が2013年から冒頭のシーンやバリケードの回転が無くなったとか、下水道が映像になったとかに変わったことで話題をよんで、また映画版の「レ・ミゼラブル」も公開されたわね。
男:この30年間の日本で上演された「レ・ミゼラブル」での出演者たちをみると凄い数となるようだ。
女:ジャン・バルジャンやジャベールだけでなく他の役もダブル・キャストからトリプル・キャストになっているから、この役を演じることの大変さとロング・ラン公演の大変さも分かるわね。
男:そうだよ。
  ジャン・バルジャンは今回観たヤン・ジュンモの他に、福井晶一と今回はジャベールをやった吉原光夫もいるし、ジャベール役も吉原光夫、川口竜也、岸裕二だし、ファンテーヌは、二宮愛の他に知念里奈や和音美桜だ。
女:コゼット役も清水彩花の他に生田絵梨花、小南満佑子で、エポニーヌは、今回観た松原凛子の他に昆夏美と唯月ふうかでしょう。
  そして、マダム・テナルディエは、づっと演じてきた森公美子の他に鈴木ほのか と谷口ゆうな よ。

男:もう他の役で出ている人たちをあげるとキリがないのでやめるけど、こうやって出演者を見ると、新人が多いのに気が付くね。
女:このミュージカル「レ・ミゼラブル」の特徴は、スターを集めて作るのではなく、スターを作るミュージカルだから、このように新人もオーディションで選ばれれば舞台に上がれるわけね。
男:以前は、ジャベールをやった人が今度は、ジャン・バルジャンを演じるなど役の間の移動も目につくね。
女:今回ジャン・バルジャンを演じた、ヤン・ジュンモは、2015年の舞台でも観ているわね。
男:ヤン・ジュンモは韓国出身だけど、冒頭から凄い声量で観客を取り込む技量は、もう十分に日本のミュージカルにも違和感がなく溶け込んでいる。
女:ジャベールを演じた吉原光夫には、もう少し凄味があるといいわね。
男:コゼット役の清水彩花の澄んだ声は、私好みだ。
女:長い間、マダム・テナルディエを演じている森公美子とその夫役のKENTAROには、もっとふざけた感じも欲しいわね。
男:この二人は、暗い話が続く中で、笑いのパートを占めているだけに、あまり真剣に演じてはいけないな。
女:この「レ・ミゼラブル」がここまで、日本で受ける訳はどこにあるのかしら?
男:基本的には、ファンテーヌやエボニーヌ、そしてジャン・バルジャンなど多くの人が亡くなるように悲劇であることと、また、貧しい人が必死に生きようとする姿が日本人の感性に、特に日本の演劇界を支えている女性に訴えるじゃないかな。
女:そうね。華やかでハッピーに終わる内容よりは、どこかに生きていく辛さやエボニーヌのように耐える恋は、胸を打つわね。
  男性としては、どうなの。

男:この演出では、論理的にみると、ジャン・バルジャンがコゼットを養育するお金がどこから来ているのかとか、貧民に施しをするなんて、ひっそりと暮らしていないじゃないかなど、突っ込める箇所はあるけど、舞台としてみると、分かりやすいセリフ回しと悲しみを誘うメロディは、評価できる。
  また、舞台構成としては、これだけ大がかりなバリケードでの戦闘シーンや地下水道でのやり取りなど、これはいつ見ても興奮をよぶし迫力もある。
 舞台左右にある建物のセットを使うなど、広い帝国劇場ならではの演出方法も活かされている。
  いい舞台劇だ。
女:ミュージカルとしては、上演当初に音符に載せる言葉選びに苦労した岩谷時子の功績が大きいのね。
男:「レ・ミゼラブル」では、殆どのセリフが曲になっているから、日本公演では岩谷時子が今日の成功をもたらしたと言っても良いだろうね。
女:進化を続けるミュージカル「レ・ミゼラブル」は、これからも、多くの出演者を得て、さらに公演を伸ばすといいわね。
男:進化は、音響機器でもあるようだよ。
  今回は、二階席で観たけど、音の通りがはっきりとしていて一階席よりも鮮明だし、響きも良かった。
女:あら、あなたが二階席を選んだのは、森公美子が大きく出している胸を上から覗き込みしたかったせいではないかったの?
男:えっ、そんなことはないよっ。
  観る場所によって、どのように、舞台効果が変わるのかを知りたかっただけだよ。
女:まあ、今回は、そうゆうことにしておきましょう。
男:本当に、舞台効果だけだってば・・・

前回(2015年)の 「レ・ミゼラブル」

映画版の:「レ・ミゼラブル」 (2012年)

 光をくれた人

あらすじ:時は、1918年。第一次世界大戦の凄惨な戦場から復員してきたトム・シェアボーン(マイケル・ファスベンダー)は厭世的な気持ちから、オーストラリアのインド洋と南極海がぶつかる孤島ヤヌス島の誰もなり手がいない灯台守になり、彼に一目ぼれをした町の娘イザベル (アリシア・ヴィキャンデル)と結婚をし、3ヵ月に一度の割合で食料などを運ぶ船しかこない島での二人きりの生活を楽しんでいた。しかし、二度も続けて流産をしたイザベルが悲しみに深く落ち込んでいたある日、島に小型のボートが流れ着き、その中には、泣き叫ぶ女の赤ん坊と既に死んでいる男がいた。トムはすぐに本部へモールス信号で状況報告をしようとするが、イザベルの一晩だけ待ってくれと言う頼みに負ける。一晩献身的に赤ん坊の面倒を見たイザベルからその可愛い赤ん坊を取り上げることはトムには出来ないことだった。本部へは、イザベルが子供を無事産んだと知らせ、死んだ男は、見つからないように埋めボートは沖に流した。流れ着いた女の子をルーシーと名付け、三人揃って洗礼式に町に戻ると、トムは夫と産まれたばかりの女の赤ん坊が海で行方不明になっていて憔悴しているハナ・ポッツ(レイチェル・ワイズ)に出会う。話の状況からルーシーはハナの子供だと確信したトムだったが、自分の子として育てているイザベルの嬉しそうな顔を見ると、真実を告げることができず、島へ戻った。そして、4年後、灯台建設40周年の式典でまた町に戻った時、イザベルもハナに会い真実を知るが。。。


子供にとって大切なのは、育ての母か、産みの母か? 

 監督・脚本は、デレク・シアンフランスで、原作は、M・L・ステッドマンの「海を照らす光 The Light Between Oceans」があるようだ。

 チラシでは、ラブ・ストーリーと唱っているが、中心になるのは、男女の愛もあるが、それ以上に触れているのは、育ての母の愛情と、産みの母の愛情だ。

 携帯電話やNETなど無線技術が発展した今日では多くの情報が簡単に手に入るので、海上で行方不明の遭難者がいればその身元もすぐわかるし、絶海の孤島での生活といっても少しは、情報手段があるため近隣の町や村とも関係があり、住んでいる人々の情報も入る。
しかし、このように進んだ情報技術は、本当に数年前にはなかったという時代に起きた物語であるという認識は必要だ。

 タイトルにある「光 Light」は、夫婦にとっては、互いの存在であり、母親にとっては「赤ん坊」で、その光が暮らしにおいて欠かせないものだということだ。

 産みの母か育ての母かを取り上げた映画となると、私には朧げな記憶だけど、戦後の日本で三益愛子が出ていて評判が良かった「母物」で似たような内容の話があったことを思い出した。

 この映画「光をくれた人」では、前半のトムとイザベルがくっ付くまでは、どうでもいいほど退屈だ。
面白くなるのは、中頃からの、他人の子をいかに合法的に自分たちの子供とし、世間に認めさせるかだ。

 他人の子を自分の子とする設定としては、無理がない。
流産も1回だけでなく、2回も続いたということで、夫としては、妻の落胆を回復できる方法として、誰にも言わなければバレないやり方として選択できる。
ここが、孤島であることが、伏線になっている訳でもあるが。

 しかし、愛する夫と赤ん坊を失い嘆き苦しんでいるハナの状況を見れば、同じように、愛する人を戦争で失った律儀なトムは、夫としてもそこまでは嘘をつけない気持ちの描写も上手い。

 大人たちの感情によって、今まで育ててくれた母親と子供が切り離されることは、確かに涙を誘う。
だけど、長い目でみれば、子供は、産みの母の元に戻る方が健全な解決方法だと思う。

 この「光をくれた人」では、もう一つの主題としてキリスト教の「赦し」も取り上げられているが、これは、分かり難い話だった。

 また、最後に成長し、自分も母となったルーシー・グレースが、トムを訪ねる場面は不要だけど、全体の出来としては、良い作品だ。

産みの親か、育ての親かなら; 「そして父になる」 (2013年)
また; 「八日目の蝉」 (2011年)、
     「チェンジリング」 (2008年)
マイケル・ファスベンダーの; 「それでも夜は明ける」 (2013年)、 「悪の法則」 (2013年)、

 22年目の告白 ~私が殺人犯です~

あらすじ:時は、1995年。阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件があった年に、5件の連続絞殺事件も起きていた。その犯人の殺害方法は、必ず目撃者を残しその人の眼の前で絞殺し目撃者からメディアを通じて犯行の様子を語らせるという大胆で残酷なやり方だった。捜査を担当した牧村航刑事(伊藤英明)は、犯人を追い詰め肩に傷を負わせるが逃げられてしまう。そして、それらの殺人事件が未解決のまま時効となった22年後、曾根崎雅人(藤原竜也)が、1995年に起きた5件の殺人犯だと名乗り出て犯行の手記本を書いたりテレビに出演し、警察の無力ぶりを揶揄していた。1995年に起きた一連の事件を追っていて今はテレビのニュース番組のキャスターをしている仙堂俊雄(仲村トオル)は、曾根崎と牧村刑事、また新しく真犯人だと名乗り出た男を番組に出演させるが。。。


二転、三転とする真犯人探しはよくできているが!?

 監督は、入江悠で、元になっているのは、小説かと思っていたら、韓国での映画があることを、映画を観た後で知った。

 殺人罪についての日本での(公訴)時効制度は、15年とか、25年とか改正があり、現在は、時効の適用がないので、遡って適用があるのかなどの面倒な部分での話は置いといて、この映画では、時効が成立したことが前提で観る。

 チラシに大きく顔がアップされているように、眼光鋭い藤原竜也が殺人犯として中心になっている映画だけど、これに、刑事役の伊藤英明も絡み、さらに、予告編では地味な扱いのキャスター役の仲村トオルも重大な役割を負っている展開だ。

 どんでん返しが続く最後の犯人探しに繋がる布石もミステリアスに出来上がっていて、一応楽しめる。

 藤原竜也は蜷川幸雄演出の舞台で鍛えられた演技とセリフ回しで、大胆不敵でどこか、おやっと思わせるこの犯人像としては上手い役者だ。

 ライバルとなる刑事を演じた伊藤英明も「海猿」のような退屈な役からそれなりに成長して問題なく役をこなしている。

 しかし、もう一人の中心人物である仲村トオルの演技が物足りなさすぎる。
これは、過去のトラウマがここまで連続殺人を起こさせるのかという未熟な演出での問題もあるが。
謎の苦悩の種を負っている人物としては、充分に演じられていない。

 話としては、良く出来ていると評価できるが、この監督:入江悠は効果音の使い方が不自然で素人のやり方だ。
例を挙げると、自動車のエンジン音の大きさがある。
今時分、日本の自動車は、こんなに大きなエンジン音はしない。
他にも、気持ちの悪い効果音が随所に入れられていて、音量の適正化も含めて、今後の作品で改良して欲しい点だ。

 目撃者となった娘やヤクザの説明の物足りなさ、また最後のキャスターの仙堂の別荘での急な展開ももっと時間をかけて説明ができれば、更に良い仕上がりになったと思われるが、好評価はできる。

 伊藤英明の; 「3月のライオン」 (2017年)、「悪の教典」 (2012年)
 ここでは、少ししか出ていない夏帆の; 「海街diary」 (2015年)

 

 家族はつらいよ2

あらすじ:横浜郊外の住宅街にある平田家は、今は引退して悠々自適の生活をしている頑固な73歳の周造(橋爪功)と穏やかな妻:富子(吉行和子)夫婦と、仕事が中心の長男:幸之助(西村雅彦)とその嫁で専業主婦の史枝(夏川結衣)、そして幸之助夫婦の野球好きの二人の息子の計6人が暮らしている三世帯住宅だった。周造夫婦の家族には、他に税理士をしているしっかり者の長女:成子(中嶋朋子)とその夫:泰蔵(林家正蔵)、そして、ピアノの調理師をしている気の優しい次男:庄太(妻夫木聡)とその妻で看護師をしている典子(蒼井優)もいる。周造は自動車の運転も好きでよくドライブをしているが、最近、車にへこみや擦り傷が目立つようになったので、大きな事故につながることを心配した長男の嫁:史枝は幸之助から周造にもう運転免許証を返上するように言ってもらうが、頑固な周造は、全然耳を貸さなかった。そんな周造は富子が北欧にオーロラ観光に行っていることを幸いに、行きつけの飲み屋の女将(風吹ジュン)を食事に誘い車でレストランへ向かう途中、道路工事で誘導員をしている高校時代のサッカー仲間の丸田吟平(小林稔侍)に40年振りに出会う。そこで、周造は、高校時代の同級生を集め、丸田吟平を交えた飲み会を開き酔い潰れた吟平を家に泊めたが、翌朝、心臓が悪かった吟平は亡くなっていた。死因調査に警察も来たが、吟平は病死と判断された。そして、警察は吟平の家族に連絡をとったが、彼には断絶状態の家族しかおらず、葬儀は市が代わりに行うことになったが。。。


女:本当に他人事ではない高齢者の深刻な話をよくつないだわね!

男:監督は、山田洋次で、前作、2016年の「家族はつらいよ」も観たね。
女:橋爪功や西村雅彦、夏川結衣など平田家の出演者とその設定は前作のままで、この配役は山田監督が小津安二郎監督を偲んで作った「東京家族」からの引継ぎね。
  小林稔侍が周造の友人だけど、ちょっと前作とは違う役柄ね。

男:この映画の配給会社の松竹にしてみれば、会社の稼ぎ頭であった「フーテンの寅シリーズ」の渥美清が亡くなったあと、固定客が狙えるシリーズ物を再び山田監督で作れれば最高な訳で、この企画は一応成功したと言えそうだ。
女:うーん、でも、観客は入っているけど、見渡すと、殆どがはっきりと高齢者ばかりよ。

男:それは、きみも私も含めてだけどね。
女:出だしのタイトル・バックが印象的だったけど、これも、前作と同じ横尾忠則の作品なのよね。
  出演者の写真と、コンピューターで使われるドット文字が面白い仕上がりになってたわよ。

男:前作では熟年離婚を取り上げたけど、この「家族はつらいよ2」では、高齢者が抱えるいろんな問題が入っている。
女:そうよね。
  最近よくニュースでも取り上げられている高齢者による高速道路の逆走行や、ブレーキとアクセルの踏み間違えによる自動車事故。
  そして、豊かでない一人暮らしをしている高齢者の生活や孤独死と真剣に考えると、少し笑えて、かなり辛い内容よ。

男:70歳過ぎの人が運転免許証を更新する際には、別途教習所で講習を受けないといけないとか、自宅で死人がでると救急隊から警察の管轄に移り鑑識がくるとか、ここらは、良く調べているね。
女:そんな、細かなことまで分かるのは、あなたが運転免許の更新でその70歳以上の高齢者に該当し、またお友達が自宅で病死し、警察が来たという実経験を持っているからでしょう

男:山田監督の狙いとしては、もしもフーテンの寅が家庭を持っていて、おじいちゃんになっていたら、こんなセリフを言うのだろうって発想があちらこちらにある。
女:思っていることを言えない家族は寂しいってことね。
男:橋爪功がいう「見上げたもんだよ」とか「それをいっちゃお終いだ」なんかを聞いていると、フーテンの寅がいっていた「見上げたもんだよ、屋根屋のふんどし」とかの口上もつい思い出させる。
女:そういう意味では、全体のセリフでも先が読めるという安心感はあるわね。
男:体力的に弱っているらしい吉行和子を海外旅行に行かせて出番を少なくさせたり、同居している子供達には家族のトラブルを見せないように野球の練習に行かせたりなんかして、脚本としては、さすがに山田監督という気配りが満載の出来だね。
女:画面構成であなたが前作で指摘していた出演者の切れ方は、今回は問題なかったようね。
男:でも、ピントの甘さが各所にあるね。
  黒澤明監督がこだわった、前後にいつもピントを合わせてくれると、大画面で観ている人は、楽なんだけど。
女:演技としては、中嶋朋子が二階で死人をみつけ、ドアから後ずさりでその驚きと恐怖を現しているのは実に上手かったわよ。
男:中嶋朋子だけでなく、橋爪功にしても多くの出演者が同じ山田組として何度も共演していると、そこには山田監督の意図が自然な形で伝わって、よい演技が生まれるようだ。
女:今度の「家族はつらいよ2」でも、悲劇を喜劇に変えることがメーン・テーマとしているけど、死人の扱い方には同調できないわ。
男:担架に乗った死体を階段から落としたり、火葬場で銀杏が死人の鼻に入るのでは、心の底から笑えない。
  もっと、死者を尊敬する演出が望まれる。
女:その葬儀場でどうして、笑福亭鶴瓶が1カットだけ出るのか、ここは違和感があったわ。
  笑福亭鶴瓶は目立つから、だれでもいいこんな役では、まったく無駄な友情出演ね。

男:「家族はつらい」といっても、山田監督が描く、その家族は、妻は海外旅行をでき、夫は新しい自動車に買い替えができ、家族が集まれば高いウナギの出前をとることができるように、世間からみれば、かなり経済的にも豊かな家族だね。
  私には、幸せの中にある余裕のドタバタ喜劇より、もっとお金のない孤独な老人の生活に飛び込んだ内容が欲しい。
  山田監督には、今までの延長線上にある映画よりも、もっと違った切り口での作品が欲しいね。
女:あなたは、自分を含めて現在の映画を観に来てる人たちが分かっていないようね。
  平日に映画館まで足を運ぶことができるのは、あなたのように海外旅行をしたり、ゴルフをしたりすることができる、恵まれた老人よ。
  笑いの無い、ただ貧しくて、孤独な老人生活を描く映画だと、気が滅入るだけでもう次の作品は観ないでしょう。

男:確かに、そんな暗い映画の続編は、観たくないね。
女:「フーテンの寅」にしても、クスクス笑いでもいいから、安心して観られる映画が山田作品でしょう。
  あなたも肩の力を抜いて気楽に映画を観ればいいのよ。

  それにしても、天空に降り注ぐオーロラか。幻想的で綺麗でしょうね。
  私もまだオーロラは見ていないわ。
  今年は、私もオーロラを見に行ってきます!

男:また、お金のかかる話になったな・・・
女:何か言った!
男:いや、なにも・・・

前作: 「家族はつらいよ」 (2016年)、
     「東京家族」 (2013年)
 

 ちょっと今から仕事やめてくる 

あらすじ:中堅の印刷会社の営業として働く青山隆(工藤阿須加)は、厳しいノルマを達成できずに、いつも鬼の上司:山上守(吉田鋼太郎)から酷い叱責を受け残業時間も多く、精神的にも疲れ果てていて、ついホームに入って来た電車に飛び込みそうになったが、偶然居合わせた小学生時代の同級生のヤマモト(福士蒼汰)と名乗る男に助けられた。それを機にヤマモトと遊ぶようになった隆は、いつも明るいヤマモトの影響を受けて、仕事でも新しい契約を獲れるようになった。しかし、隆にはヤマモトが同級生という記憶がなく、調べるとヤマモトは3年前に自殺をしていた。ヤマモトを問い詰めると、彼も勘違いをしていて、本名は山本純だという。どこか現実離れした山本だったが、隆が仕事で大きなミスをして屋上から飛び降り自殺を考えた時にまた山本は現れて、仕事を辞めることと死ぬことのどちらが簡単か質問された隆は仕事を辞めた。それ以来、山本は隆の前から消えてしまった。一体、ヤマモトは何者だったのか。。。


心に沁みる良い出来だ!

 原作は、北川恵海で、この本はかなり売れているようだ。
脚本は、多和田久美と監督も務める成島出(なるしま いずる)。成島監督の作品としては、「不思議な岬の物語」や「八日目の蝉」がある。

 あまり、監督が誰かなどには頓着せず、「ちょっと今から仕事やめてくる」とは、変わったタイトルだと思い、また予告編で、吉田鋼太郎が演じる上司が工藤阿須加をいじめているのを観て、社員に厳しい、いわゆる世間でいうところのブラック企業をどう扱っているのか興味があったので映画館に足を運ぶ。

 私は、日本経済が右肩上がりの高度成長期に学校をでたので特に困らず就職ができ、入った会社でも仕事がまだ黎明期のコンピューター関係であったため、特別な先輩もなく、かなり自分の思う形で仕事ができていたので、プログラムの納期との関係での残業とか、プログラムにミスはないだろうかなどの軽いプレッシャーはあったものの、厳しく叱責するような上司がいる職場ではなかった。
 しかし、就職氷河期と言われた時代に就職を希望した、この映画の隆のような状況にある若者にとっては、とにかく就職できれば、仕事内容に関係なく一安心で、入ってみると自分が考えていた仕事の内容とミス・マッチの会社を選んだ若者は多いようだ。

 現実にあの大手企業の電通においても、過酷な残業が続き、また、「鬼十則」と呼ばれていた社訓も存在していて、デートもできず、学生時代に抱いていた一流企業の姿との差に絶望し、追い詰められた女子社員が自殺するという事件がある。

 しかし、世間では、ノルマが厳しくて残業時間などが多い会社を全て纏めて「ブラック企業」としているが、この判定の安易さは、私は納得していない。

 だいたい、会社というものは、利益を上げるために存在している。
そのために、営業職には「ノルマ」を課し、朝礼で社訓を唱和し、成績をあげるように社員にハッバをかけることは、日常行われていることで、これだけでブラック企業と呼ばれるのは筋が違う話だ。
気楽に会社勤めをしてきた私(?)にしても、給料をもらっている以上、仕事がつらいのは当たり前で、必要なら残業も厭わず、給料分は会社のために貢献をするのは、当然だと思っている。
だけど、自分と会社の関係は「持ちつ持たれつ」であり、その会社が厭ならやめればいいだけの気概を持って働いてきた。
会社に100%依存した人生はありえない。

 それはともかく、話を映画に戻そう。 
 この映画の隆を見ていると自分の生活リズムに合わないのに、月給を貰うだけのために無理やり会社勤めをしていてる設定だ。
仕事の成果が上がらず、鬼の上司に言われて不本意な残業をし、日々電車に乗って会社に通っていますでは、確かにストレスは溜まる。
そこに、救いの神としてヤマモトを登場させたのは上手い。
多くの場合、悩み事があれば、相談相手として親や先輩などに話を聞いてもらえるが、電通で自殺した女性のように、誰にも悩みを打ち明けることができず、最終的な解決方法として「自殺」を選んでしまうのが最近の若者の生き方のようだ。

 このような、内にこもって悩んでいる若者の気持ちに入っていくには、強引と思えてもヤマモトのように、ズカズカと相手方から入って行くより解決の道はないようだ。
この作品が観客に受ける要因として、その相手の強引さを挙げることができる。
強引な友人は、付き合うと面倒ではあるが、一方困った時にはよき理解者で救い主となる。
このヤマモトにいつも派手なアロハシャツと屈託のない関西弁をしゃべらせて、悩みとは無縁という描き方が、監督:成島出の緻密な優れた手法により共感を呼ぶ。

 ヤマモトが幽霊かと思わせるのは、原作によるようだけど、この正体が不明なヤマモトの設定は興味を最後まで引っ張ていて、これも巧い手法だ。

 撮影も空と対比して人物を真上から撮るなどして工夫があり、さらに好感度を上げた。
そして、極端なくらいに狭い営業部のオフイスも隣で働いている社員間の緊張感がでていていい。

 まだ若手の福士蒼汰や工藤阿須加にとって、この映画で成島出という監督に出会い彼の演出を経たことで、これからの演技に幅が拡がるだろう。

 それにしても、先輩役をやっている黒木華のこの演技振りは、素晴らしい。
隆に対してどこか告白できない秘密を抱えている、もどかしい状況を表情と態度で見事に観客に示してくれた。

 また、鬼上司役の吉田鋼太郎も、ゴミ箱を蹴飛ばしたり、ロッカーを殴るなどと、ここまで職場を緊張させる演技をオヴァーにやってくれると、現実にはありえないと感じる前に気持ちがよくなるから不思議だ。
 今まで鬼上司には、ただ頭を下げてばかりいた隆が、会社を辞めるとなると、自分の思いのたけをぶちまけるのは、よく言ったと拍手ものだ。
これらは、映画で監督が脚本まで関わると、出来が良くなる例だ。

 人生は別に会社勤めがすべてではなく、また給料が多くてもそれだけで「幸せ」ではない。
長い人生です。あなたを取り巻く家族や友人も大切にしましょうというこの映画の主張は、会社勤めでない観客にも素直に受け入れられる。

 ただ、終りのヤマモトの過去をほとんど小池栄子の話で済ましたり、どうしてバヌアツの先生でないと解決ができなかったのかという点は、疑問詞として残るが、それらを差し引いても、十分に心に響いて感動できるいい作品に仕上がっている。

成島出監督の; 「ふしぎな岬の物語」 (2014年) 、「八日目の蝉」 (2011年)
黒木華が目だたなかった: 「海賊と呼ばれた男」 (2016年) 、目立っていた 「小さいおうち」 (2014年)

 メッセージ  

あらすじ:大学で言語学を教えているルイーズ(エイミー・アダムス)は、離婚後、一人娘と仲良く暮らしていたが、その最愛の娘も病気で亡くした。そんな時、突然、モンタナに見たこともない半球型をした大きな物体が現れた。軍の調査では、その物体は宇宙から来たようで、同じ物体が、アメリカの他にもイギリス、中国、日本の北海道など世界各地に全部で12個来ていた。その物体は、特に地球人を攻撃する気配はなく、18時間ごと、112分だけ内部に入ることができ、入ると巨大な7本足のタコのような生物がいて、ガラス越しにおかしな音と墨絵のような丸い文字のようなものを示していた。その文字の解読にアメリカ政府から呼び出されたルイーズは、理論物理学者イアン(ジェレミー・レナー)と共に、徐々に丸絵文字を解読し、宇宙から来た彼らは、時間を操作でき、地球に来たのは将来進歩をした地球人が、彼らを助けてくれるので「ある武器」を人類に渡しにきたことが分かった。しかし、中国軍は、「武器」は人類を滅ぼすものだと解釈して、宇宙船に総攻撃をかける準備に入り、アメリカ軍も。。。


時の流れが無茶苦茶な映画で分からず、話がつまらない!

 今年のアカデミー賞に絡んでいたとのことで、一応観る。
監督は、ドゥニ・ヴィルヌーヴで、彼の作品ではSFの「複製された男」は観ている。
脚本は、エリック・ハイセラーで短編からヒントを得たようだ。

 最初は、最愛の娘を失った言語学者が、宇宙人と交信するために、苦労するのだと時間の流れも正常で話の流れを追っていけるが、宇宙人と接触しだすともう時間の前後がまったく出鱈目となる。

 まあ、多くの映画を観ている私にして見れば、映画の構成として、時間が過去に行ったり、未来に行ったり、また現実に戻るのも慣れてはいるが、この映画「メッセージ」での時空を超えた演出の下手さは、評価できない。

 確かに今までのSF映画でよく見られる宇宙船とは形が異なった、半球状でまた、窓やエンジンも持たない飛行体をよく作り上げたとは感心するが、宇宙から来た生命体が、過去から火星人の想像として描かれているタコに似た物では、新鮮味がなく進歩がない。
宇宙船が独創的であるだけに、宇宙人ももっとタコから離れた生物にしてくれると良かった。でも、タコが出す墨からヒントを得た円形の文字のアイディアはいい。

 地球と異なりUFOの機内では、重力が横になるってことは、説明を受けても納得できないし、この程度の映像で見せられても、面白くない。

 物語の中心は、人類は争いをしないで、もっと仲良くしましょうってことだけど、ルイーズが明確に未来を予知できるという特殊能力を持っているという設定なら、なにも、中国軍が未知の物体を攻撃すると心配することも不要なわけで、ここで、中国をトラブルの元として出しても、明らかに、ハリウッドとしては、中国を映画のマーケットにしているという興行上の配慮しか感じられず、結局中国もいい奴でしたで終わるとは、緊迫感もない。

 人類が物凄い時間をかけて互いの意思を伝えあう手段として生み出した言葉や文字などを、もっと、もっと使いましょうという映画からのメッセージは受け取ったが、時空の処理を誤った出来では、良い評価はできず退屈だった。
 
 アカデミー賞関係の映画でありながら、5月下旬というアカデミーの話題性も薄れる時期に日本で公開されたということだが、この出来映えなら、観客は入らないと予想した配給会社の読みは当たった。

 エイミー・アダムスの; 「ビッグ・アイズ」 (2015年)、 「サンシャイン・クリーニング 」 (2009年) 、 「人生の特等席」 (2012年)
 ジェレミー・レナーの; 「エヴァの告白」 (2014年)、 「ハート・ロッカー」 (2008年)

 追憶  

あらすじ:富山のある街で軽食喫茶を営む仁科涼子(安藤サクラ)は、身寄りのない3人の男の子、四方篤(成人後:岡田准一)、田所啓太(成人後:小栗旬)そして川端悟(成人後:柄本佑)を預り育てていた。店を贔屓にしてくれる山形光男(吉岡秀隆)と共に5人は家族のような生活をしていたが、涼子を追ってきたヤクザが涼子と同棲を始めてから穏やかな生活は一変し、ヤクザを嫌がる涼子の為に篤達は彼を刺す。しかし、罪は涼子が被り、涼子の言いつけに従いその事件以降3人はバラバラに逃走し、互いに連絡もすることなく成長していた。あの事件から25年後、刑事となった篤は、富山のラーメン屋で今は東京で小さなガラス屋をやっていて金に困っている川端悟と偶然に再開するが、篤は刑事であることを隠して二人は分かれた。数日後、悟は何者かに殺される。悟の金策の糸を辿っていくと、そこには好調に土木会社を営む25年前の田所啓太が浮かび上がった。子供を流産した篤の妻(長澤まさみ)や出産を控えた啓太の妻(木村文乃)も絡めて。。。


女:美しい景色がかえってストーリーを平凡にしたのね!

男:監督は、降旗康男(ふるはた やすお)で、撮影は、木村大作だ。
  この二人のコンビでの作品は、高倉健を中心に多いね。
女:もう、降旗監督が82歳、木村カメラマンは、77歳になるのね。
男:脚本は、青島武と瀧本智行のがあるらしいが、現場ではかなり変更もあったようだ。
女:確かにビルの屋上から山頂に雪を抱く立山連峰や日本海に沈む夕陽など景色は綺麗に撮ってあるわね。
男:そう、大きな窓ガラスのある介護施設が眺めのいい海の傍に立っているなんて、本当にありえないロケ地をよく選んでいる。
女:それなのね。
  最初から涼子がやっている見晴らしのいい岬の上にある軽食喫茶が、人里から離れているのにもかかわらず、そこそこはやっているという、景色と物語がかなり現実離れした設定になっていて、ミステリーとしては、適当な感じがし始めるのよ。

男:行政的な立場からは、母親が面倒を見ないからといっても、普通のおばさんが簡単に3人の男の子の面倒をみれるようになるのかという疑問点はあるなぁ。
女:それから小学生か中学生か知らないけど、保護者を失った3人のまだ幼い子供達が、いつの間にかみんな善意溢れる家庭に拾われて、しっかりした身元が必要な刑事になったり、また好調な土建業者になれるとは、甘すぎる構成でついて行けないわ。
男:ついつい監督が偉大だと、その映画製作に携わる人達も「イエス・マン」ばかりが周囲を取り囲んで矛盾点や不都合な事を指摘できなくなる悪い例だ。
女:今回は、カメラマンも偉大だから、物語の前にいいロケ地、いい風景を優先してしまったのね
男:降旗監督のこだわりで、俳優は全員、女優さんたちもノー・メイクで出ているけど、これは失敗だった。
  特に、喫茶店を営んでいた安藤サクラが、25年後に身体が不自由で介護施設にいるシーンでは、病気の衰えもなく老けのメークもしていないのでは、大きな画面で表情を見せる映画館ではありえない初歩的なミスだ。
女:このメークなしだと、25年たっても安藤サクラの肌は歳をとらず若いのよね。
男:篤の妻:長澤まさみの存在もどうしてこんなにイライラしているのか説明が足りず未消化だし、啓太の妻:木村文乃の最後にきて素性が分かるでは、布石的なものが足りなすぎるできだ。
女:容疑者ってことになっている田所啓太は、この展開では、最初から疑えないわよ。
男:だいたい、ミステリーとしては、最後の犯人がわかるのが簡単すぎる。
女:犯人がわかるのと同時に、私は、岡田准一君の背の低さが分かったのよ。
男:そう、他の映画では、岡田准一の身長は普通かと感じていたけど、この「追憶」を観ていると、やけに低く写っているね。
  でも、男の俳優の価値は背が高ければいいってものではないでしょう。
  要は、演技力があるかないかじゃないの?
女:別に私は岡田君の演技力をうんぬんしている訳でなく、共演の小栗旬や柄本佑と比べると、見劣りがするってことを言ってるだけよ。
男:それは、結局・・・
女:えっ、そういえば・・・

岡田准一が出ている; 「海賊とよばれた男」(2016年) 、「永遠の0」(2014年)、 「蜩ノ記」(2014年)
吉岡秀隆と柄本佑が出ている; 「64(ロクヨン)」 (2016年)
長澤まさみが出ている; 「アイアムアヒーロー」(2016年)、 「海街diary」(2015年)
木村大作が監督した; 
「剱岳 点の記」(2009年)

 3月のライオン  ~後編~

あらすじ:18歳でプロ5段の将棋棋士:桐山零(神木隆之介)は、下町に住む川本家の三姉妹:(倉科カナ、清原果耶、新津ちせ)と親しくなり、気分的にも落ち着き、トーナメント戦でも順調に勝ち進んでいた。そんな、川本家に他に女をつくり子供たちを捨てた父親(伊勢谷友介)が現れ、住む場所が無くなったので、また一緒に住みたいという。零は、お節介とは分かっていたが、身勝手な父親がまた戻ってくるのは反対で、三姉妹を代表して父親と闘う。また、棋士としての零を育ててくれた幸田家では、長女の香子(有村架純)が不倫関係を続ける後藤正宗(伊藤英明)とうまくいかず、荒れていた。零は、名人:宗谷冬司(加瀬亮)への挑戦権を得られるのか。。。


コミックが原作とは思えない、実に深刻な家庭劇が描かれる!

 3月に観た「3月のライオン ~前編~」に続く後編だ。
最初から、前後の2部で構成されているので、前編を観た関係で、後編も観る。
監督:大友啓史の描き方のうまさは、「前編」でも述べたが、「後編」でもそれは、当然ながら引継がれている。

 原作が漫画ということで、内容も軽いのかと思っていたら、前編は香子の不倫関係があったし、さらに後編では、子供たちを置き去りにして、愛人に走った憎い存在の父親の出現。
しかし、どこか捨てられない肉親の気持ちに揺れる子供たち。
それら、家庭内の内情にまで踏み込む、実の家族を失った零の昂ぶる感情とこれまた、深刻な内容だ。

 ここの演技において、神木隆之介は、素直に表現ができている。
悩める若者と将棋に打ち込む勝負師の切り分けが出来ている。
この映画「3月のライオン」に出演できたことは、彼にとって、これから自慢できる出来栄えだ。

 すこしばかり余分な挿話とも思える川本家の次女の学校でのいじめだけど、このいじめを乗り越えなければ、次女の成長もなかったとの、監督の思いも分かる。

 確かに、サラリーマンの家庭なら、家にいる父親は、のんびりとしているけど、プロの将棋士なら、一日中、365日、家でも将棋の研究をすることもできるわけで、また1つ、1つの勝敗が収入に結びつき、生活を左右するとなると、この重圧に耐えなければいけない家庭も緊張を強いられ、何かのきっかけで崩壊する危険性を秘めていることはよくわかる。

 監督:大友啓史は、どこまで将棋を知っているのか分からないけど、将棋の1手、1手が持つ重要さを丁寧に、駒音と指先で緊張感を伴って描いた。
現実に、棋士であれば、和服を着て臨む対局の気分は相当なもののようだ。この和服にも焦点をあてたのは、立派。
また、最後の対局場にした山形の立石寺での撮影もきれいで印象に残るし、佃島付近のロケも活かされている。

 出演者としては、加瀬亮も名人が醸し出す威圧感を十二分に出しているし、伊藤英明や豊川悦司もいい大人の演技をしていて、神木を盛り立てている。
有村架純は、もうチョット複雑な感情の演技が欲しいけど、これは、今後に期待しよう。

 前後編とも通して観て、満足のいく映画でした。

 「3月のライオン ~前編~」 

 きみはいい人、チャーリー・ブラウン ―ミュージカル―  ~シアター・クリエ~

あらすじ:いいやつで特に取り柄のない小学生::チャーリー・ブラウン(村井良大)とちゃっかり屋の妹サリー(田野優花)。そのチャーリーを取り巻く、口うるさいルーシー(高垣彩陽、たかがき あやひ)。哲学的なライナス(古田一紀)。ベートーベンが大好きなシュローダー(東山光明)。そして、チャーリーが飼っている犬のスヌーピー(中川晃教、なかがわ あきのり)達は、学校に行き、野球をし、いつも、しあわせ(ハピネス)について話し合う気の置けない仲間だ。。。


アメリカでは、4コマ漫画でもミュージカルにしてしまうんだ!

 チャールズ・M・シュルツの漫画を、1967年にクラーク・ゲスナーが脚本・音楽・詞で舞台にし、今回の日本版では、小林 香が訳詞と演出をしている。初演から丁度、50周年という。過去には、1977年に、あの坂本九でも演じられていたようだ。

 あらすじらしいものは特にはない。それは、元になっているのが、アメリカのチャールズ・M・シュルツ作の4コマ漫画のため、すぐに話が終わり、また次の話に移るから、1つ1つは短すぎて書き切れない。舞台での登場人物は6人、いや5人と1匹の犬がすべて。
他に声の出演として、大和悠河がでているらしいが、気が付かない。

 シュルツや舞台での考えの基本は「しあわせ (ハピネス)」はどこにあるかとでもいうことか。
私も、シュルツのこの漫画「ピーナッツ」は見たことがあるが、記憶に残るのは、犬のスヌーピーだけで、他の子供たちは特に記憶にない。
漫画のほのぼのとしたタッチを、ミュージカルで表現したかったようだけど、ルーシー役の高垣彩陽やサリーを演じている田野優花(AKB48)ら女性陣の元気さはあるが、のんびりとした感じやゆったり感はない仕上がりだ。

 舞台構成としては、後ろにある窓枠状の物が、うまくズーム・アップや戻っていくのは面白い。

 大体、子供たちや犬が、大人に「しあわせ」を、なんとなく分からせるなんて試みは、日本語の漫画でも表現が難しいのに、英語を訳してそれに曲をつけて、ミュージカルとして舞台化することに、かなりの無理がある。
漫画を舞台化すること、特にこの異文化の日本で、に意義が感じられない。  

 ジャッキー  ~ファーストレディ 最後の使命~

あらすじ:1963年11月22日、アメリカ第35代大統領ジョン・F・ケネディ(ピーター・サースガード)がテキサスのダラスをオープン・カーでパレード中に何者かに狙撃され亡くなる。大統領のそばに座っていた妻:ジャクリーン:愛称ジャッキー(ナタリー・ポートマン)も頭を撃たれたケネディの返り血を浴びて興奮が収まらない状態だった。しかし、国家としては、すぐに副大統領のジョンソンを大統領にすえる。これでは、ケネディの大統領としての業績が薄れてしまうことを恐れたジャッキーは、3日後に控えた夫の葬儀を感動的にまた盛大に執り行い、国民の脳裏に刻もうとするが、警備体制が整わない。。。


こんなこともあったのだろうなって程度の出来だ!

 題材になっているのは、本当にダラスで車のパレード中に暗殺されたケネディ大統領夫人のジャクリーンが夫の葬儀をなんとか、多くの人の記憶に留めさせることに気を注いだかという話。

 監督は、チリのパブロ・ララインでこれが英語での初作品とのこと。

 あらすじでは省いたが、映画の展開としては、ジャクリーンにやや好意的なジャーナリストがケネディの葬儀後にジャクリーンと面談して、タバコをふかしているジャクリーンの話を聞き、過去に遡るというやり方だ。
このとっかかりの、時の経過の部分が分かり難い。

 多くの実写フィルムで、ケネディ大統領の頭が銃弾で吹き飛ばされて、そばにいたジャクリーンの衣服も血にまみれていることは知っているし、大統領専用機内で行われたジョンソン副大統領の宣誓式でもその服を着ていたことは、有名だ。

 だけど、現実としては、顔に付いた血を長い間洗い流さないという誇張は、納得がいかない演出だ。
また、顔に付いた血の位置が、襲われた車と家に戻ったシーンではいつの間にか変わっているのは、ラフすぎる。

 亡くなったケネディの墓地をどこにするか、とか、葬儀のパレードに車に乗って付き添うのか、それとも歩いて行くのか、とかが、二転三転するが、これは、無駄な時間だった。

 脚本としては、ケネディをよく調べているようで、ミュージカルの「キャメロット」が好きだったとか、ケネディと同じように暗殺されたリンカーンの奥さんも、すぐにホワイト・ハウスから引っ越しを余儀なくされて困ったとか、でもこんな話には、そうですかって程度で、興味が湧かない。

 そして、意味がまったく感じられないのが、時々入る司教との長い会話だ。
閣僚の意見に反対するほどの毅然とした元ファースト・レディなら、もう宗教家に頼らず自分に自信を持って突っ走る脚本がいい。

 ジャクリーンを取り上げるなら、こんな葬儀ではなく、ケネディの暗殺後、ギリシャの大富豪オナシスと再婚に至った経過の方が面白いと思う。
この映画では、ジャクリーンの秘書役をやった、グレタ・ガーウッグが印象に残る。

 ナタリー・ポートマンなら; 「ブラック・スワン」 (2011年)

 ムーンライト

あらすじ:マイアミの貧民街で麻薬におぼれ売春をして稼いでいる母親(ナオミ・ハリス)と二人で暮らす10歳のシャロン(アレックス・ヒバート)は体も小さく内気な性格の男の子で、小学校では”リトル”と呼ばれいつもいじめられていた。そんないじめにあっていたシャロンを助けてくれたのは、麻薬の売人のフアン(マハーシャラ・アリ)だった。それからフアンはシャロンの父親代わりとなり、シャロンの面倒を見てくれるようになる。高校に入っても、おとなしくゲイっぽいシャロン(アシュトン・サンダー)にはいじめが続くがケヴィン(ジャハール・ジェローム)だけが心を許せる友達だった。そんな二人は、ある夜の浜辺で男同士で深い仲となるが、いじめる学校のボスに怪我を負わせてシャロンは少年院へ送られる。少年院を出たシャロン(トレヴァンテ・ローズ)は、今までの内気さを変え、また体を鍛えアトランタで麻薬の売人として生活していた。そこへ今まで連絡のなかったケヴィン(アンドレ・ホランド)から突然電話があり、久し振りに二人は再会する。。。


女:黒い肌も月の光のもとでは、青く輝くのね!

男:今年(2017年)のアカデミー 作品賞を獲った映画だね。
  脚本と監督は、バリージェンキンズで、彼の長編作品としては、この「ムーンライト」がまだ2作目とは、将来が期待されるね。
女:物語は、シャロンの幼年期、高校生時代それから大人の時代の3部構成ね。
男:でもシャロンを演じている3人は顔や体型までもまったく似ていない3人が選ばれている。
女:映画を観た後でよくチラシを見るとその3人の顔が合成されて一人の顔になっている訳ね。
男:この「ムーンライト」が既に公開されていたアメリカからの評判では、性的な差別の「LGBT(レズビアン=Lesbian、ゲイ=Gay、両性愛=Bisexual、性同一性障害=Transgender)」を扱っていることは知っていたけど、実際に観ると「ゲイ」の初恋の切なさを感じる。
女:それと、学校での「いじめ」も中心になっているわよ。
男:気が優しくて行動もおとなしいホモっぽい男の子だと、日本の学校でもいじめの対象にはなっても、同級生から面と向かって「ホモ」とは言われないと思うけど、アメリカだと細身のジーパンを履いているだけで言われるんだ。
女:そういった偏見や差別に対しては、子供は大人の真似をするのが早いのよ。
男:この「ムーンライト」が取り上げているアメリカでの「ゲイ」の実態が日本人である私にはどうも分からず、観ていても共感を呼ばない。
女:正しくあなたがいつも言うようにアカデミー賞はアメリカという限定された文化と環境で選ばれる「片田舎の賞」と言うことね。
男:先日観た「ラ・ラ・ランド」の普通の出来といい、この「ムーンライト」の出来にしても、アカデミー賞に関係しているアメリカ人の感性と私の感性の程度が違う。
  アカデミー賞を獲ったという評価が無ければ、こんな黒人の同性愛者の純情な青年もいるんだというだけで終わる内容だ。
女:あなたは、映画界が興行であることを忘れているわよ。
  ハリウッドにしてみれば、実際の映画の出来の良さよりも話題作りも収入に結びつくから、少しでも変わった評価をしてくれればそれでいいんじゃないの。

 
 でも、フアンを演じたマハーシャラ・アリの特徴のあるセリフ回しや、母親役のナオミ・ハリスの演技、また暗い海に向かって愛を確かめ合うシャロンとケヴィンの映像などはいい評価ができるわ

男:確かに、アメリカ社会では、黒人の多くは未だに貧しさの中に身を置いていることは分かるし、男同士でもこんな純愛感情があるんだという描き方はオリジナリティがあって興味深い。
女:あなたにしても、初恋の人はまだ忘れていないでしょう。
男:エッ、何をいうの。
  もうすっかり忘れて、今はきみだけを思っているよ。
女:嘘ばかり。
  時々、高校生時代のアルバムをこっそりと見ているのを知っているわよ。

男:いや、それは、初恋の彼女を見ているのではなくて、昔の同級生がその後どうしているかと・・・
女:言い訳するのが下手ね。
男:・・・

アカデミー賞関係で; 「ラ・ラ・ランド」 (2017年)
1960年代のゲイを描いた; 「ブロークバック・マウンテン」 (2005年)

 3月のライオン ~前編~

あらすじ:小学生の時に交通事故で両親と妹を亡くし、一人きりになった桐山零(神木隆之介)は、少し将棋を知っていたので父親の友人でプロの将棋士:幸田柾近(豊川悦司)の家に引き取られ、将来プロを目指す幸田家の娘:香子(きょうこ、有村架純)やその弟と連日将棋を指していた。最初は、香子たちには全然勝てなかった零だったが、幸田家で生きていく道としては将棋に強くなる以外はなかった。その必死の努力が実を結び、零は中学生で奨励会から四段にあがりプロの将棋士として将来を期待されるようになった。しかし、零に勝てなくなった香子のプロ棋士になる夢は父親:柾近によって完全に潰され、それがもとで、幸田家では父娘の争いが絶えず、居た堪れなくなった零は、東京の月島に一人で住むことにした。将棋一途で高校でも友人もいない零だったが近所に住む川本家の3姉妹(倉科かな、清原果耶、新津ちせ)とは食事に呼ばれる程の付き合いになった。そんな川本家と一緒に出かけた正月の初詣で、零は妻子のある後藤正宗(伊藤英明)九段と腕を絡ませている香子と出会う。怒った零は、香子に獅子王戦のトーナメントで後藤に勝ったら、後藤と別れる約束をさせる。しかし、獅子王戦の前に新人王戦が待っていた。また、将棋界では圧倒的な存在で多くのタイトルを持つ宗谷冬司(加瀬亮)が君臨している。幼い頃からのライバルであった二海堂晴信(染谷将太)の応援を受けるが。。。


将棋指しの緊迫感が良く出ている!

 嘆かわしいが、良い脚本を自前では作れなくなった映画界ではもう常識と化した、定例の漫画本から映画にした物だ。
原作は女性の羽海野(うみの)チカで、監督は、元NHKにいた大友啓史で、脚本は、岩下悠子・渡部亮平・大友啓史。最初から、前後2部構成で計画され、今回はその前編だ。

 タイトルの「3月のライオン」とは、英語の「March comes in like a lion」のサブ・タイトルにあるように、イギリスの気候に関する言い回しで「3月は、ライオンのように荒々しい気候で始まり、子羊のように穏やかな気候で終わる」から来ているとのことだ。

 チラシによると、前編では「あらすじ」にあるように、零が将棋界の上位とぶつかり合うことになるまでで終わっているが、後編では、川本家のトラブルもあるらしい。

 私は、オリジナルで既に画像を表している漫画を単に動くだけに置き換えて映画化するという日本映画界の発想の安易さは好きではないが、もうこの傾向は、多くの映画製作者の間では、反省の気持ちもなく受け入れられていて、完全に定着してしまったようだ。
創作が持つ興奮とそれから先の展開への期待感が薄れていくのは本当に残念な、やり方だ。

 それは、ともかく、この「3月のライオン」で描かれている人間関係の複雑さは、子供向けの話ではないのには驚いた。
父親の押し付けで夢を摘まれた子供たち、将棋で強くなれないと生きていけない他人の家で育てられる孤独な子供。義理の関係とはいえ、姉と弟の入り組んだ感情、それらが将棋の勝負の厳しさと共に上手く出ている。

 私が将棋好きなのは、去年(2016年)公開された将棋を扱った「聖(さとし)の青春」でも述べたが、監督:大友啓史の手にかかると将棋の持つ一手、一手の重さとその棋士の心の奥にある情感が巧みに表現されていて飽きさせない。
数十手先まで読んでも相手という意外性がある不安感。
自信を持って指した手が実は敗着だったという寂しさ。
盤面の一部分だけに捉われて失った大局観。
これら、多くの将棋指しが抱いている気持ちが素直に描かれた。
また、映画で使われている棋譜は、先崎 学(せんざき まなぶ)九段の監修によるものだが、これも将棋好きの私がチラット見ても駒の配置も納得のいく盤面になっている。

 いい印象を与えているのは、神木隆之介をとりまく、佐々木蔵之介や伊藤英明、豊川悦司、そして特殊メイクで太らされた染谷将太らのキャラクター設定の妙と優れた演技によるものだけど、彼らから内側にある心情を緊迫感のある表情として引き出すことのできた監督:大友啓史の力量は凄い。

 話が、現在と過去とを度々行き来するが幼年期を演じている子供たちも成人した雰囲気を持っていて分かりやすい。

 清純で単純な役柄が多かった有村架純だけど、今回は義理の弟の誘惑シーンでは、やや複雑な演技もできている。

 ロケ地は東京の月島あたりらしいが、川向こうのコンクリートで囲まれて人情が感じられない超高層のマンションと対照的なお人よしの人々が暮らす下町の雰囲気がまだ残る家並みや橋のシーンも効果的だ。

 後編の公開が待たれる作品だった。

将棋の緊迫感がまったく出ていない; 「聖の青春」 (2016年)
声優としての神木隆之介の; 「君の名は。」 (2016年)
染谷将太の; 「海賊とよばれた男」 (2016年)、 「寄生獣」 (2015年)
有村架純の; 「アイアムアヒーロー」 (2016年)、 「ビリギャル」 (2015年)

 チア☆ダン ~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~

あらすじ:福井の高校に、幼い頃に母を亡くし、今は父親と二人暮らしだけどいつも笑顔を絶やさない友永ひかり(広瀬すず)が入学してきた。数ある高校の部活からひかりが選んだのは、チアダンス部だった。入部の動機は亡くなった母が所属し、また中学校からの友人でサッカーをしている山下孝介(真剣佑)を応援したいという軽い気持ちからだった。しかし、部を指導する早乙女薫(天海祐希)先生の野望は、チアダンス部を福井県一番にすることに止まらず、本場アメリカで開催される大会での優勝だった。前髪禁止、恋愛禁止、ネイルの禁止など早乙女先生の厳しい規律に反発した2年生以上は全員が退部し、残ったのは、ひかりや玉置彩乃(中条あやみ)など頼りない1年生だけとなった。猛練習を重ねて臨んだ福井県の大会では4チーム中の最下位。この結果に部員の気持ちはバラバラになり退部者も出、学内では廃部まで検討される状況となった。しかし目標に向かって何かを成し遂げることの意義を感じたひかりや彩乃たちの結束で再びチアダンス部は猛練習に挑み、日本代表からアメリカの大会に出場し、ついに。。。


青春は輝く「おでこ」にあったのだ!

 テーマになっている福井の高校のチアダンス部がアメリカの大会で優勝したというのは実話で、それに刺激されて「永遠の0(ゼロ)」の林 民夫が脚本を書き、河合勇人(かわい はやと)が監督をしている。

 実話は、2009年に全米チアダンス選手権で初優勝した福井商業高校のチアダンス部「JETS」で、その後、今年(2017年)の3月でも全米チアダンス選手権に優勝して、なんと5連覇の偉業を成し遂げている。

 「海街dairy」以来、広瀬すずに注目している私としては、「怒り」のようなまだまだ出演することが無駄な映画ではなく、今の広瀬すずでなければ演じることのできない光り輝く青春を期待して、映画館に足を運ぶ。

 期待は裏切られなかった。
正しく18歳の広瀬すずの屈託のない、笑顔と明るさに満ち溢れた仕上がりになっていて気持ちがいい。

 話の展開は、よくある青春時代でのスポーツ物の根性と挫折、仲間との分裂と団結。最後には栄光。また、ちょっぴりながら「恋心」も入っている。
演出も、かなり漫画的な省略と大げささを取り入れているが、これは気楽に観られる。

 先生役に天海祐希を配したのも活きている。背の高いその体型は、一本調子の熱血先生として、指導者として他の女子高生たちから1つ高い位置にあることを上手く印象付ける。
苦労したと思えるのは、太っているのにこのチアダンス部に印象付けとして、またお笑い役として入れられた富田望生(とみた みう)だ。
ラインダンスで大きく足を上まであげさせられたり必死に最後までダンスの練習をさせられて、かなり痩せたかも? 

 笑いといえば、東宝がシンデレラ・ガールとして大きく売り出そうとしている山崎紘菜も孤独な性格で笑い顔が作れないといういい役どころを得ているが、今回もどうもパットしない演技に終わっている。役をこなしていない。
山崎紘菜をもっともっと羽ばたくようにするには、東宝が熱意をもって個人指導して、演技の基礎から学ばせる必要がある。

 「スウィングガールズ」で上野樹里や貫地谷しほり、本仮屋ユイカ(もとかりや)などがブレイクしたように、この「チア☆ダン」を踏み台にして、手足の長い中条あやみ、また福原遥(ふくはら はるか)など若い女優の今後の活躍が期待できる映画だ。

 確かに、若者に限らず、限界は自分が考える程下にはなく、もっと、もっとやればできるものなのだ。

 そして、努力を重ねて得たトップの座は、そこに立った者でなければ見れない景色で、何もしない凡人では絶対に味わうことができない喜びと崇高さがそこにはある。

 映画での「チア☆ダン」のダンスでは全米NO.1の座を得られるとはまだまだ思えないが、楽しめる映画だった。

 広瀬すずの; 「ちはやふる」 (2016年)、 「海街diary」 (2015年)
          でなければよかった 「怒り」 (2016年)
 天海祐希の; 「恋妻家 宮本」 (2017年)

 ラ・ラ・ランド

あらすじ:多くの若者が成功の夢を抱いて集まるラ・ラ・ランド、L.A.(ロサンゼルス)。女優を目指すミア(エマ・ストーン)もその一人だったが、何度受けてもオーディションは全敗だった。そんなミアが、また、オーディションに落ちたクリスマスの夜、気分転換に入ったナイト・クラブでは、ジャズ・ピアニストを目指しながらも、クリスマスの曲を弾かされている、前に高速道路の渋滞で口論をしたセバスチャン:セブ(ライアン・ゴズリング)がオーナー(J.K.シモンズ)に怒られて首になる事態に遭遇した。その後、ミアは、またパーティ会場で不機嫌にロックの曲を弾いているセブに出会い、お互いを意識した二人の仲は進んでいった。セブの夢は、いつか自分の店を持ち、今は人気が衰えているジャズを好きなだけ演奏することだったが、開業資金を稼ぐために参加したロック・バンドが成功しツアーやアルバムの製作で、知らず知らずにミアとの間に溝が生まれていた。度重なる不採用で自信を無くしたミアだったが、パリを舞台にした映画に出演することができて、有名女優になれたが、もう二人の仲は。。。


女:訴えるものが無いわね!

男:チラシでは、今年のアカデミー賞の大本命とあるけど...
女:残念ながら、アカデミー賞の発表会場では、一度は、この「ラ・ラ・ランド」が作品賞として表彰されたけど、裏方の封筒を間違えるミスがあり、本当の作品賞は、「ムーンライト」だったというドタバタ騒ぎがあったのね。
男:でも、主演のエマ・ストーンは、主演女優賞を獲ったし、監督のディミアン・チャゼルもこの作品で監督賞を獲った作品だ。
女:監督とオリジナル脚本のディミアン・チャゼルは、2年前に評判が良かった「セッション」も監督しているわ。
男:ディミアン・チャゼルとしては、前作の「セッション」でも取り上げているように、滅びていくジャズに何とか光をあてたいという気持ちが強くてこの映画でもジャズをメインに持ってきている。
女:でも、基本的に踊って歌うミュージカルで、ジャズの曲では世間受けはしないわよ。
男:そう、そこで、この「ラ・ラ・ランド」の曲や振り付けは、パットしない印象となったね。
  曲としては、「a-ha」が原曲の「Take On Me」しか印象に残っていないとは、残念だ、
女:両手を大きく広げて踊ったり、タップ・ダンスでは、もう完全に、オールド・ファッションの真似だけで、目新しさが無いわね。
男:話の流れも、夢を抱いて努力し、挫折するが、最後には、夢は叶いましたでは、これも良くある展開だね。
女:愛し合ってたミアとセブだけど、何故だか、最後では、別々の生活をして、これは「シェルブールの雨傘」の結末でしょ。
男:きみも、「シェルブールの雨傘」を感じていたんだね。
  でも、3ヵ月ぐらいパリに行っている間に仲が冷えているとは、無理な展開で驚きだ。
女:過去の映画といえば、ジェームス・ディーンを偲んで「理由なき反抗」も出るし、それに関係したグリフィス天文台のプラネタリウムのシーンは、良かったわね。
男:空中を飛ぶとは、いいアイディアだ。
女:撮影としては、ロサンゼルスの市街を見下ろす丘や海岸など夕暮れだか朝日が出る前だかは分からないけど、光の使い方が上手くて綺麗に撮っているわよ。
男:でも、この出来で、ゴールデン・グローブ賞を獲ったり、アカデミー賞にノミネートされるのか、私には、多くの部分で共感ができない映画だね。
女:大体、アカデミー賞は、あなたがいつも言うように、アメリカという片田舎に住んでいる老人たちが中心になって選ぶ賞だから、懐かしさがあれば評判は良いという傾向はあるわね。
  2012年の「アーティスト」の時もそうだったわ。

男:どうしても、生まれ育ってきた習慣や文化による国民性の違いから、アメリカ人と日本人である私とでは感性がかなり異なるんだね。
  私としては、この内容ならマーティン・スコセッシ監督の「沈黙」の方が賞に値するね。
女:俳優としては、細身のライアン・ゴズリングがいつも決めたスーツを着こなしていて、ひげも似合っていて憧れちゃうわ。
男:ひげをはやした男なら、スクリーンだけの存在のライアン・ゴズリングではなく、生身の私が身近にいるんじゃないの!
女:どうして、老人のあなたが、ライアン・ゴズリングに対抗して出てくるのよ。
男:それは、「理由なき反抗」のせいさ。
女:もう、分からないッ!

ディミアン・チャゼル監督の; 「セッション」 (2015年)
アカデミー賞が詰まらない;「アーティスト」 (2012年)
エマ・ストーンの; 「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 」 (2015年)、 「アメイジング・スパイダーマン」 (2012年)
マーティン・スコセッシ監督の; 「沈黙」 (2017年)
舞台版だけど;「シェルブールの雨傘」 (2014年)

 サバイバルファミリー

あらすじ:東京の普通のマンション団地に住んでいる鈴木家は、どこか頼りない父:義之(小日向文世)、少しピントのずれた母:光恵(深津絵里)、いつも無口で音楽を聴いている息子:賢司(泉澤祐希)、そして、スマホがすべての高校生の娘:結衣(葵わかな)の4人構成で、普通な程度に纏まりのない家庭だった。そんなある日、家族が目覚めると家中の目覚まし時計や冷蔵庫、炊飯器など全ての電気製品が動かなくなっていた。そして、水道もガスも止まっていた。同じような状況は、鈴木家だけでなく、近所でも、また首都圏でも同様で、電車や自動車も動かず正確な情報がないまま蓄えていた飲み水や食べ物がなくなって来た時に、関西なら電気が使えるという噂を信じて、鈴木家は、関西から実家のある鹿児島へ向かう決心をする。調達できた自転車をこぎ、野宿を重ね、金よりも食料が大切と実感をしながら、どうにか大阪にまで辿り着いたが、大阪でも電気は使えず、通天閣の付近でも誰もいなかった。さらに鹿児島を目指して西に向かったが、橋のない川をイカダで渡ろうとして、ついに父親が川に流され行方不明になる。3人となった鈴木家はどうなるのか。。。


笑えない、でたらめばかりでは、アクビがでるだけだ!

 原作と脚本そして、監督は、チラシでもあるように、最近はパットしないが、昔は優れたアイディアで評判を得た「ウオーターボーイズ」や「スウィングガールズ」を監督した矢口史靖(やぐち しのぶ)だ。

 今回、矢口監督が選んだテーマは、もしも、この世界から電気が無くなって、乾電池から始まり、全ての電気製品は動かず、電車や自動車も止まり、さらにガスや水道も供給が停止となり、会社の仕事もしなくていいとなった時に、都市生活を送って来た人たちは、どうやって生き延びて(サバイバル)いくのかだ。

 冷蔵庫、電話、またエアコンなど多くの電気製品に取り巻かれ、都市ガスや公共水道らの働きに大きく依存している都会生活を送っている私にとっても、これから起きるかも知れない大地震時でのサバイバル術として参考にもしたいと思い映画館に足を運ぶ。

 大体、もしも現代の都市の生活から電気がなくなったらどうなるのかという仮定は、論理的な発想を超えているので、ある程度の矛盾した設定は我慢ができるし、また許せもする。
しかし、この描き方では、単にお馬鹿な家族が田舎の生活、しかも今はどこにもありえない「五右衛門風呂」を沸かしていた時代に戻りますでは、笑いもとれない。

 羽田空港に行けば、お約束の通りで、飛行機は飛んでいないが、それに対する人々の騒動もないという、のどかさ。大型DIY店にいけば、飲めるバッテリー補充液はあるし、他の品物も略奪されていないという異常性の無さ。
豚を殺されても怒らない、よくできた養豚場の主人。

 この緊急時でも電気のない生活をエンジョイしている家族と出会う高速道路上での説教じみたおかしな話。
地図が無いなら大きな道を行くのが当たり前なのに、いつの間にか狭すぎる田舎の脇道に入っているという強引な筋の運び方。
川に流された父親がどうしてか、蒸気機関車よりも先にいるという時空を超えたおとぎ話。

 このような多くの荒い筋書きも、笑いをとるための布石なら、「そうか」でやり過ごすこともできようが、この描き方では、今は無くなってしまった田舎暮らしにノスタルジーを感じている監督:矢口史靖のその場、その場での思い付きが行き当たりばったりでつなげられているだけで、観ている方としては、実に退屈さが倍増してくる。

 父親の「カツラ」と娘の「つけまつげ」だけでは、ユーモアも感じられず、無理さが目立ち過ぎた。
また、家族関係も反抗的だった息子や娘もサバイバル旅行を通じて団結しましたとさ。めでたし、めでたし、では、これまたよくあるパターンでまったく取り柄のない作りだ。

 前作の「WOOD JOB!~神去なあなあ日常~」にしても、矢口監督としては、もう自分一人だけのアイディアに頼らず、他の人にも相談をして話を進める時期にあるようだ。
今作の不備をバネに次回作には、もっと推敲した出来を期待したい。

 矢口史靖監督の; 「WOOD JOB!~神去なあなあ日常~」 (2014年)、 「ロボジー」 (2012年) 、「ハッピーフライト」 (2008年)
 深津絵里の; 「永い言い訳」 (2016年) 、 「寄生獣」 (2015年)

 ビッグ・フィッシュ ~ミュージカル~  日生劇場

あらすじ:今はダムの底に沈んでしまった小さな田舎町出身で、様々な人生を送って来たエドワード・ブルーム(川平慈英、かびら じえい)は、もうすぐ結婚する息子:ウィル(浦井健治)と大きな魚を釣り上げた思い出の川辺にいた。幼いの頃のウィルは、父が体験したという森に棲む占い師の魔女(JKim)の話や、3mを超える巨人(深水元基)と共に町を出てサーカスに入った話。そこでエドワードの妻となるサンドラ(霧矢大夢 きりや ひろむ)に出会い、ライバルを退けて結婚した話などに胸を弾ませて聞いていたが、成長するにつけ、戦争で将軍を吹き矢から助けた話などを聞くと徐々に父の話にはかなり大げさな作り話が入っていることに気が付き、父親を好きになれず、家から離れて行ったのだ。結婚式を終えると、また、ウィルは、両親とは別に暮らしていたが、母から父が病に倒れているとの知らせを聞いて病院に駆けつけても、相変わらずエドワードは、昔の経験を大げさに話す。父親が亡くなったことも想定して、不動産を調べると、今まで一度も父の話に出てこないジェニー・ヒル(鈴木蘭々)とエドワードの共有名義の書類が出てきた。この話をどうして、エドワードは隠していたのか。。。


この主役では無理がある!

 まったく、「ビッグ・フィッシュ」という作品に対して予備知識もないまま観たが、話が展開している内に、どこかでこんな内容のアニメか何かがあったような気がしてきた。
そこで、チラシを見るとティム・バートン監督の映画があり、これを元にブロードウェイでジョン・オーガストがミュージカルにして、今度は日本版にしたとのことだ。
映画版の「ビッグ・フィッシュ」は予告編を見ただけで、うたい文句が「ファンタジー」で、それは、大人にとっては、「退屈」を意味するから、本編までは当然に観ていないけど、薄っすらと記憶に残っていたようだ。

 日本での演出は、白井 晃。翻訳は目黒 条、訳詞は高橋亜子とある。

 基本的な話の流れは、父親に反抗して生きてきた息子だけど、父親の死に面して、初めて父親の知らない部分を知って大いに感動する(?)という展開だ。
よくある話です。

 普通なら、父親は自分が経験してきた過去を思春期を過ぎた息子には話さないし、また成長した息子は、父親からそんな話を聞きたくもない。
でも、そんな息子も年を取り家庭を持ち、自分の息子が大きくなれば、あの時自分の経験談を息子にしておけば、息子の人生の役に立ったと後悔をする。

 そこに目を付けた点は、評価するが、主役が川平慈英では、まったく舞台が盛り上がらない。
話としては、中年の川平慈英が、度々、高校生の役を演じることになる訳だが、これがどうみても大いに無理があった。
川平慈英の動きに若さが感じられない。それは、高校生仲間を演じる藤井 隆にも言えることだが。

 ここは、川平慈英でなく、もっと若い男にエドワードを演じさせ、後年のエドワードは老けさせる演出の方がよかった。

 それに、川平慈英では、セリフから歌への持っていき方も上手くないし、この歌い方では感動を呼ぶには程遠い。
その点、息子を演じた浦井健治は、落ち着いていて、うまくやっている。

 また、川平慈英は身長が低いせいか、他の共演者に交じると、舞台上でまったく映えない。

 英語のミュージカルとなると、いつも面倒なのが翻訳であり、歌詞の訳だが、これも、観客に訴えてこない。
アメリカ人が持っているファンタジー感をそのまま日本語に訳しても伝わらないことを最初から理解していないとダメだ。
子供向けの魔女を出したり、竹馬に乗った巨人では、もともとから、大人の観客用にはなっていない無理があるが。

 「ビッグ・フィッシュ」は「ビッグ・マウス(ほら吹き)」とも掛けた意味だから、このあたりのニュアンスが全体を覆う日本語訳が必要だ。
そこで、最後の立ち退きがからむ土地関係でのアメリカ文化の直訳的な展開は、まったく風習が異なっている日本人の観客には伝わってこない。
日本で上演するなら、ある程度日本の土地と習慣に合わせて場面を換えないといけないが、翻訳の目黒 条には、まだまだ無理な仕事だったようだ。

 この「ビッグ・フィッシュ」は、2月8日という上演開始日から2日目に観たので、残念ながら各所で演者間にどことなくぎこちさがあった。
でも、いつも竹馬をつけて3mの巨人を演じている深水元基の苦労や、サーカス団の団長を演じているROLLYの演技は評価できる。

 また、この日は、日生劇場のGS階(中2階)のA列57番席で観たが、ここでは、何度も舞台左奥から鋭いライトが直接あてられてまったく、眩しくて困った。
もっと客席に対して配慮も必要だ。

浦井健治の; 「王家の紋章」 (2016年)
霧矢大夢の; 「マイ・フェア・レディ」 (2013年)

演出家としてはまだまだの白井 晃の; 「GOLD ~カミーユとロダン」 (2011年)

 恋妻家 宮本

あらすじ:学生時代にファミリー・レストランで合コンした時に知り合い、付き合っているうちに子供ができてそのまま結婚し、今は中学校の教師をしている宮本陽平(阿部寛)と専業主婦の美代子(天海祐希)夫婦だったが、息子も結婚して、家を出たために、突然の二人暮らしに互いに戸惑っていた。そんな時、陽平は美代子が本棚に隠していた離婚届を見つけた。元々優柔不断な性格の陽平は、面と向かって美代子の本心を聞くこともできず、通っている料理教室で五十嵐真珠(菅野美穂)に相談すると、美代子が浮気をしていて、離婚を考えていると言われる。中学校では、浮気をして交通事故を起こした母親とそれを許さない祖母(冨士純子)との間で困っている男子生徒の問題も起こっている。さあ、どうする陽平。。。


女:ほのぼの感は、十分に出ているわね!

男:原作は、重松清の「ファミレス」があり、それをテレビ出身の遊川(ゆかわ)和彦が、脚本を書き、初めて監督したとのことだ。
女:遊川和彦は、テレビでは松島菜々子が出て高視聴率をマークした「家政婦のミタ」の脚本も書いたのよ。
男:「家政婦のミタ」は、松島菜々子が演じるクールな家政婦が面白くて、私も観ていた。
女:「恋妻家」とは、「愛妻家」とは違うってことなのね。
男:この映画のチラシによると、妻に対する思いを口にできない夫のことのようだね。
女:冒頭から出てくる吉田拓郎の「今日までそして明日から」の曲がかなりのウエイトを占めた作りね。
男:この曲をエンディングで出演者のみんなが歌っているのは、この映画が醸し出すほのぼの感の締めくくりとしてうまい構成だ。
女:ファミリー・レストランで食事をするのは基本的に、様々なファミリーで、そのファミリーには当然に、これまた、いろいろな楽しかった思い出があるわよね。
男:私の年齢では、子供の頃には、デニーズはまだなかったけど、若い家族の子供にしてみれば、両親と揃って食事をしたファミリー・レストランは食べ物の味以外にも、思い出が詰まった場所だろうね。
女:宮本陽平の設定は、自己主張は弱いけど、優しさが取り柄となっていて、阿部寛はうまく演じていたわ。

男:背の高い阿部寛が、どことなく頼りない役をやるのは、目立っていて面白いね。
  菅野美穂と阿部寛の料理教室でのやりとりは、身長の凸凹感が出ていてクスクスと笑えた。
女:先生としては、ダメだとませた女生徒に言われるのは、まあ、中学校ではありえないでしょうが、このあたりの子供の使い方が遊川脚本の妙ってところかしら。

男:遊川はテレビの「家政婦のミタ」でも、子役の使い方が実に上手かった。
女:陽平が嫁の浮気を許さない厳格な性格の冨士純子と口論する「正しさ」と「優しさ」が、この監督が一番言いたかったことね。

男:いつも「優しさ」だけを行っていると、適当なことになるけど、確かに、「正しい」ことを互いに言い合うと、ぶつかり合うことにはなるね。
女:遊川監督の他の遊び心はどう観るの?
男:駅の停電で、美代子がいつの間にか、蝋燭を用意しているのは、流石について行けないけど、電気がつくと真剣に夫婦仲を話していた二人の周りに、他の人たちがいるという設定は、面白かった。
女:これからの遊川監督には、人情と笑いを盛り込んだ作品を期待したいわね。
男:そう、軽い気持ちで浮気を許す設定も欲しいね。
女:そんなことを私は言っていないわよッ!
男:そっ、そうだね。
  浮気は、ダメだよね。
女:どうして、そこで、声が小さくなるのっ
男:・・・

阿部寛の; 「不思議な岬の物語」 (2014年)、 「つやのよる」 (2013年)
天海祐希の; 「アマルフィ」 (2009年)
菅野美穂の; 「奇跡のリンゴ」 (2013年)
 

 沈黙 ~サイレンス~

あらすじ:時は江戸幕府が、キリスト教徒への弾圧を強めていた17世紀。ポルトガルにあるイエズス会のもとに日本で宣教していたクリストヴァン・フェレイラ神父(リーアム・ニーソン)が棄教したという噂が流れてきた。その真実を確かめるために、フェレイラ神父の教え子でもあるセバスチャン・ロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)とフランシス・ガルペ神父(アダム・ドライヴァー)は、マカオに漂流していた隠れキリシタンのキチジロー(窪塚洋介)の手引きで九州に密入国をする。その日本では、正式の司祭がいない中、貧しい農民や漁民が死ねば天国に行けるという希望を持って、幕府の奉行:井上筑後守(イッセー尾形)が行う拷問や処刑に耐えて密かにキリスト教を信じていた。身を潜めながら布教活動を続けていたロドリゴだったが、キチジローの密告でついに幕府に捕まる。神父であるロドリゴが転べば(棄教)その影響で多くの信者も転ぶと考えた井上は、見せしめに次々と信者たちに拷問を加えるが、ロドリゴは必死に耐える。どうしてこの苦境に神は全然救いの手を差し伸べず「黙ったまま」なのか。神の答えが得られないロドリゴは、ついに。。。


深刻な内容をよく映像化したが、一般には受けないか?

 原作は、遠藤周作が1966年に発表した「沈黙」で、この本に大いに感動したマーティン・スコセッシ監督が長い間映画化を考えていて、どうにか完成したという大作。

 原作「沈黙」は私も学生時代に読んでいて、その頃の遠藤周作のイメージは、狐狸庵と称していたように、どことなく力の抜けた、ユーモアのある作家としてとらえていたが、そのイメージとはかなり差のある、キリスト教の神父の棄教という深刻な題材で、黙り続ける神の存在に不信感を増長させる神父の内面の葛藤の暗さに驚いたのを憶えている。
その後、遠藤周作がキリスト教徒であることが分かって、この題材を選んだわけを理解したが。

 映画化においても、もう原作の詳細は忘れたが、ほぼ原作の通りのようだ。マーティン・スコセッシ監督の思い入れが強く上映時間も159分と長い。

 実際のロケは、予算上台湾で行われたようだが、日本家屋のセットや和服においても時代考証が良くて、日本人の私が見ても、江戸時代の設定で違和感がない出来栄えだ。

 前半のロドリゴ神父達が日本に密入国し、苦労しながら隠れキリシタン達と密かに宗教活動をする経緯や匿った村人の塚本晋也達が海中で処刑されるシーンは、押し寄せる波や回りの風景が美しく、撮影が綺麗なだけに残酷さが胸を打つ。

 しかし、後半のロドリゴが役人に捕らえられてからの行動が、かなり退屈な纏め方となっている。

 余り宗教心がない私にしてみれば、多くの犠牲者がでることを防げる「踏み絵」をどうしてそんなに躊躇うのか。
神を信じる心は、例え、キリストを踏んでも心の底に持っていれば、それも信仰だと言えるのではないか。
転ぶと見せかけるだけで、他の信者を助けられるなら、私なら早くその結論に達する。
多くの犠牲者を巻き込む罪の方が、大きい。

 でも、心から神を信じている神父にしてみれば、神を捨てるということは、死よりもできないことなのだ。
神に殉じて死ねば、聖人だけど自殺を禁じられているキリスト教において、自分の意思で信仰を捨てることは、いくら説得されてもやってはいけないことなのだ。

 マーティン・スコセッシ監督のこの作りでは、この神父としての気持ちと、助けることができない心の葛藤が映像化し切れていない弱さがある。
特に、度々懺悔(告解)をするキチジローがどうして許せないのかの説明も、信者でない人に対しては欲しい場面だ。
また、奉行:井上とロドリゴの対話で出てくる4人の側室や、子供を産めない女性の例え話は、ピンとこない。

 流石に、ロドリゴが死んだ時の棺桶内に小さなキリスト像を潜ませる場面は、カットできないが、後半の多くの場面は、もっとカットしても良かった。

 当時の江戸幕府にしてみれば、キリスト教徒は、支配ができない以上、どうしても許すことができなかったわけだが、1つの信仰に固執し、他の宗教を排除するという宣教活動は、現在の世界でも紛争の基になっているように良くない行動だ。

 信教の自由は、他の宗教の存在も認めることであることを、世界の人々は認識して欲しい。

 それにしても、この映画「沈黙 ~サイレンス~」では、塚本晋也とイッセー尾形が良い役を演じている。
この映画出演を機に、次の海外進出のチャンスがくるかも?

 マーティン・スコセッシ監督の; 「ウルフ・オブ・ウォールストリート」 (2014年)、 「ヒューゴの不思議な発明」 (2012年)、 「ディパーテッド」 (2006年)
 アンドリュー・ガーフィールドの; 「ソーシャル・ネットワーク」 (2011年)

 お気に召すまま ~シアター・クリエ~

あらすじ:1960年代のアメリカ。金持ちのフレデリック(小野武彦)は、兄を追放してその地位を奪ったが、娘:シーリス(マイコ)の強い要望で、兄の娘:ロザリンド(柚希礼音:ゆずき れおん)は手元に置き共に育てていた。オーランドー(ジュリアン)は、親の財産を全て相続した兄との仲が悪かったが、格闘技に自信があったのでフレデリック主催のレスリング大会に出場し、そこで、ロザリンドとオーランドーは運命の出会いをし、恋に落ちる。しかし、突然、フレデリックから、家から出て行くように命じられたロザリンドは、父親に反抗するシーリスの兄として男装し、また警護用にお調子者のタッチストーン(芋洗坂係長)を従えて、3人は追放された父(小野武彦 二役)が潜んでいる、ヘイトアシュベリーに向かう。一方、兄から命を狙われる身になったオーランドーもいつの間にか、ヘイトアシュベリーにたどり着つき、男装したロザリンドに会うが、余りにも様子が異なるロザリンドには気が付かなかった。ヘイトアシュベリーでは、多くの人々が質素ではあるが、自由にまた平和に暮らしていたが、男装した自分に気が付かないことに業を煮やしたロザリンドは、ついに他の恋人たちの結婚式を利用してオーランドーに。。。


面倒なセリフが多いが、楽しめる!

 筋の原作は、あの偉大とされているウィリアム・シェイクスピアの「お気に召すまま (As You Like It)」だ。
それを、マイケル・メイヤーが日本に来て演出し、音楽は、トム・キャット。
面倒くさい英語の台本を訳したのは、小田島雄志。

 大体私は、シェイクスピアの舞台は好きではない。
それは、シェイクスピアの舞台のセリフには、すぐに無駄な例え話が多く出てきて、また、肝心の言葉にたどり着くまえに、余分な修辞が多くて役者がそれらを十分に理解せず、ただセリフを述べていることが多いからだ。

 これは、結局、シェイクスピアが言いたい程の英語の解読能力が、日本語に訳する人にはないせいではあるが。

 その翻訳においては、小田島雄志は優れている。
彼は、シェイクスピアが言いたいと思える内容を、ユーモアのセンスを交えて日本語にしている。
特に英語での韻を踏んだ長いセリフを、見事に日本語で同じように韻を踏ませるようにしたのは、脱帽だ。

 演出のマイケル・メイヤーが、古典のシェイクスピアの「お気に召すまま」を借りて置き換えたのは、1960年代後半にあった「ヒッピー」の文化、そう、権力闘争から逃れた人々が、頭に花を飾り、サイケデリックな服装と歌を歌い、穏やかに共同生活を送っていた、ドラッグもあった(?)あの頃だ。

 そこで、採用されている音楽もジェファーソン・エアプレインの「あなただけを (Somebody To Love)」とか、スコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」とかで、ヘイトアシュベリーの住民たちはフラワー・チルドレンと呼ばれていた裾の広がったパンタロンのズボンを履き、花模様のゆったりとした服を着ている。

 幕間にも、クリームの「White Room」 とか、トログッスの「Wild Thing」が流れていて、私には懐かしい時代だ。

 舞台装置は非常に簡単。
大きな4、5本の円柱があるだけで、最初はそれは、大きな屋敷の柱だけど、裏返せば、サイケデリックな模様が描かれていて、ヘイトアシュベリーの森となる。

 主人公になっている柚希礼音は、その芸名が表すように、元宝塚の男役で、この物語のように男装して行動する役にはあっている。
セリフは、宝塚の男優の気障すぎる口調が目立つこともあるが、軽妙に演じている。
オリジナルとなっているシェイクスピアの作品が持っている女性が男性に化けたらどうなるかという面白さを少しは出している。
元宝塚の人は、観客にもファンが多くてすぐに、客席と一体化するから演じていても楽なようだ。

 もう一人の主役のジュリアンは、アメリカのミュージカルの世界で活動しているとのことだけど、良い体をしている。
 冒頭のレスリングの試合で裸になる場面で肉体を鍛えているのがよくわかった。髪が長く引き締まった体型は、どことなくキリスト的だった。
アメリカにいると忘れがちな日本語のセリフも問題なく言えている。

 シアター・クリエとしては、珍しく、子供たち:15人も含めて総勢30人近くが出演している。登場人物が多い。
それなら、小野武彦にフレデリックとその兄の二役をやらせないで、ここは別々の配役でやった方が分かりやすかった。

 元は面倒くさいシェイクスピア劇だけど、この訳なら嫌いではない出来だった。
今後の課題としては、訳の分からない羊たちの扱いを変更したりして、もっと日本向けに笑いをとる方向にすればいい。
でも、軽い仕上がりで、これはそれなりに楽しめた。

 トム・キャットの; 「ネクスト・トゥ・ノーマル」 (2013年)

 本能寺ホテル

あらすじ:勤めていた会社が急に倒産して特にやることが無くなった倉本繭子(綾瀬はるか)は、付き合っていた吉岡恭一(平山浩行)のプロポーズを受けて、彼の故郷の京都へ来た。京都を見学している内に変な雰囲気のする「本能寺ホテル」に宿泊することになり、部屋に向かったエレベータ―の扉が開くとそこは、天正10年(1582年)の本能寺で天下統一を目前にした織田信長(堤真一)達が宿を構えていた。おかしな恰好と怪しげな言動をする繭子は危うく信長に捕らえられるところだったが、無事、現代に戻ることができた。どうして、信長の時代にタイムスリップしたのか訳が分からなかったが、再び信長の前にタイムスリップした繭子は、早く天下を統一して平和な時代にしたいという信長の高邁な志に魅かれて行く。しかし、歴史では、明日の夜、明智光秀(高嶋政宏)が信長を襲うことになっている。それを信長に知らせるが、信長は死を恐れていなかった。今までは、自己主張ができなかった繭子だったが。。。


女:薄っぺらな脚本で、言いたいことが全然伝わってこないわね!

男:監督は、フジテレビで、「HERO」や「古畑任三郎」を手掛けている、鈴木雅之で、綾瀬はるかや堤真一というこの「本能寺ホテル」と同じような俳優がでている、「プリンセス・トヨトミ」も鈴木雅之の監督だった。
女:テレビではかなりの才能を発揮した鈴木雅之監督も、映画作りではパットしないわね。
男:大体、正月の映画界は、お子様向けばかりで、見たい映画がなく、1月14日から公開のこの「本能寺ホテル」は、かなり期待していたけど、外れた。
女:いつも、あなたの年末から年初は、「目指せ! マンション管理士・管理業務主任者」 のサイトの試験問題の解説で忙しくて、映画を観る暇もないのにね。
男:そうなんだよ。
  そんな多忙の折、時間を割いて観に行ったのにだよ。
女:タイム・トラベルする時代が信長の頃って、これは以前映画化もされた「信長協奏曲(のぶながコンツェルト)」でもあった話で、ひねりがないのよね。

男:セットやロケは金もかけているけど、肝心のストーリーの出来が悪い。
女:主演の綾瀬はるかに何を言わせたいのか、もっと絞り込んだ内容がないとダメね。
男:やりたいことが分からないOL、目的のない若い娘では、もうよくある、普通の設定で、それが信長という強烈な個性と出会って、変わりましたといっても、この程度の描き方では、まったく訴えてこない。
女:マッサージ師の八嶋智人を登場させたりして一部では、笑いもとるような描きかたもされているけど、こちらも演出が下手でクスクスとも笑えないわ。

男:折角、お金をかけて映画を作るなら、事前に、脚本の段階で、人生の迷い子の倉本繭子という人物の設定をもっともっと掘り下げて欲しいね。
女:それと、タイム・トラベルで、歴史が変わらないなら、現代で履いていたサンダルや観光パンフレットを過去に置いてきては、ダメでしょう。
男:冒頭に出てくる「愚者は、経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」って文言が、正しく、この監督に当てはまるよ。
女:でも、それは、あなたにも、そのまま当てはまるわよ。
男:何かいった?
女:いいえ、何も言っていません。
  
あなたは、あなたの道を行けばいいのよっ!

男:??

鈴木雅之監督、綾瀬はるかや堤真一が出ている; 「プリンセス・トヨトミ」 (2011年)
綾瀬はるかなら; 「海街diary」 (2015年)
最近また、活躍している堤真一の; 「海賊と呼ばれた男」 (2016年)


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