2016年の映画・演劇 評論

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 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

あらすじ:銀河系の星々を支配しようと企む帝国軍は、科学者ゲイレン・アーソ(マッツ・ミケルセン)を拉致し、惑星を丸ごと破壊する究極兵器:デス・スターの開発をさせていた。辛うじて帝国軍からの追跡を逃れたゲイレン・アーソの娘:ジン(フェリシティ・ジョーンズ)はその後無法者の世界で育ったが、帝国軍がジェダを破壊するのを見て、反乱軍に加わり、将校のキャシアン・アンドー(ディエゴ・ルナ)や帝国軍に恨みを持つ盲目の僧侶:チアルート・イムウェ(ドニー・イェン)ら少数ながら精鋭の部隊:ローグ・ワンと共にデス・スターの設計図がある惑星:スカリフに乗り込み、設計図を奪おうとするが、帝国軍には、フォースの力を持つダース・ベイダーがいる。果たしてジンたちは、設計図を手に入れることができるのか。。。


宇宙戦争は進化したが、ストーリーが退屈だ!

 ジョージ・ルーカスが生み出して、その後もシリーズとして世界中で大ヒットした映画「スター・ウォーズ」も、ジョージ・ルーカスの手からディズニー社へと移って、今回の「ローグ・ワン」となった訳だ。
新しい監督は、ギャレス・エドワーズで、彼の監督作品としては2014年製作の「GODZILLA ゴジラ」がある。

 「ローグ・ワン」のスター・ウォーズ・シリーズでの位置づけは、1977年に「エピソード4」と言いながら最初に公開された「新たなる希望」に繋がるスピンオフ作品ということだ。
タイトルの「ローグ Rogue」とは、ならず者という意味。

 もうスター・ウォーズは、2015年に公開された「エピソード7:フォースの覚醒」で終わったと思っていたら、どっこい、商売上手なディズニー社は、まだまだこの「スター・ウォーズ」の名前を冠した映画を今後も作る積りだ。
上映時間は、134分とこれまた、下の「海賊とよばれた男」のように長い。
ヒロインのフェリシティ・ジョーンズは、トム・ハンクス主演の「インフェルノ」でも出ているが、撮影は、こちらの方が先だったのか、こちらの「ローグ・ワン」での表情と演技がかなり若く感じられる。

 と前置きが長くなったが、物語は、「エピソード4:新たなる希望」でレイア姫が持っていた帝国軍の究極兵器:デス・スターの弱点が分かる設計図を反乱軍が入手するまでの苦労を過去のスター・ウォーズと同じような手法で描いている。

 ロボットは、K-2SOという元は帝国軍の情報処理用だったが、今は反乱軍に再プログラミングされて強力な味方となったものが、R2-D2のように出てくる。
この後のスター・ウォーズでは欠かせないキーワードとなる「フォース」は、盲目の僧侶役がこれでもかというように度々唱える。
帝国軍のダース・ベイダーは、他と同じお馴染みの黒のマスクとマントで登場する。
最後には、レイア姫(そっくりさん?)も出てくる。
宇宙で交戦する敵・味方の戦闘機のデザインも他のスター・ウォーズと多くは同じだし、交易所も同じようなスタイルで目新しさはない。

 それにしても、話の作り方が、雑で、そう子供向けで、理論が先に立つとそれはないだろうということが多すぎる。
例えば、反乱軍から寝返ったパイロットは反乱軍にいた時の記憶が無くなっているはずなのに、いつの間にかの都合のいい記憶の戻り方。
ジンを育てたらしい過激な反乱者:ソウ・ゲレラの訳の分からない描き方。
まるで座頭市のような活躍を見せる盲目の僧侶がどうして「フォース」に拘ったのか。
パワーの弱い小さな宇宙船が大きな宇宙船にぶつかって、どうして影響を与えることができるのか。

 確かに、VRXやCGの進歩で以前より宇宙戦は迫力があるが、いまだに暗い場面が多過ぎるのも残念。

 時々、ロボットのK-2SOがつぶやく、危険度の確率%や飛行船が壊れても、(空気がいらない)、自分は生きていられるというジョーク等は面白いけど、この内容では「スター・ウォーズ」が好きだというファン以外には、楽しめない出来だった。

 余談:映画にしろ、テレビにしろ、この「ローグ・ワン」のように主人公は、男性から女性にする傾向が多くなってきている。
もう、マッチョな主人公では平凡すぎて台本が書けないってことか。

 ギャレス・エドワーズ監督の; 「GODZILLA ゴジラ」 (2014年)
 フェリシティ・ジョーンズの; 「インフェルノ」 (2016年)
 スター・ウォーズの前作; 「エピソード7:フォースの覚醒」 (2015年
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 海賊とよばれた男

あらすじ:時は大正時代、北九州の門司で小さな漁船を相手に油を売っている国岡商店を営む国岡鐡造(岡田准一)はこれからの日本のエネルギーは石炭から石油に変わると読み、強引に石油業界に進出し同業者からは「海賊」と呼ばれるほどだった。男気のある鐡造の周りには、彼を「店主」と慕う長谷部(染谷将太)や東雲(しののめ、吉岡秀隆)らが集まり、国岡商店も徐々に大きくなり勢力を伸ばしてきた。自分の信念で仕事を進める鐡造のやり方は、太平洋戦争が始まっても、石油配給統制会社の社長:鳥川(國村準)とは意見が合わず喧嘩をし、戦後のGHQの統制下では、ひどい苦境を迎えたがラジオの修理でなんとか乗り切り、一人の従業員も解雇せず、日本人としての誇りを持ち世界の石油業界を牛耳る大手メジャーとも小さいながら競争をし、自前でタンカーの「日承丸」も建造する程に成長した。しかし、石油メジャーの国岡商店に対する石油輸入封鎖網は厳しさを増してくる。そこで鐡造は多くの危険が待つイランへ日承丸を出航させるが。。。


よくできているが、盛り上がらない!

 原作は、ベスト・セラーとなった百田尚樹の同名の作品があり、これを、「ALWAYS  三丁目の夕日」やこれまた百田尚樹の本を映画化した「永遠の0(ぜろ)」を監督した山崎貴が脚本を書き監督をしている。
 主演の岡田准一も 「永遠の0」に出ている。

 原作の元になっている国岡鐡造は、実存する石油販売会社「出光興産」の創業者:出光佐三がモデルであることはよく知られている。

 映画では、国岡鐡造の石油取引の苦労話が彼の20代から亡くなる90歳までの流れとして、時代を行き来して進められる。
この間の岡田准一の歳の取り方の演技と、老け方のメーキャップは上手い。
そのせいで、時代が行き来しても、観ていても混乱が無くスムーズに対応できる。

 だけど、話の展開が表面的で盛り上がりがない。
例えば、鐡造の妻役を綾瀬はるかが演じているけど、鐡造が仕事で留守の間、夫の仕事をカバーする立場として従業員の面倒をどう見ていたのか。
どうして子供を産めなかったために身を引いたのか。
このあたりの愛情関係の描写が随分と不足している。
鐡造が兄の反対を押し切っても妻を強く愛していたことになっているので、それなら、再婚はしていないかと思っていたら、最後には孫まで出てくるのは唐突感がある。

 また話が分かり難い場面が多い。
それは、石油配給統制会社がありながら、どうしてそこに加盟していないのか。
とか、戦後の軍隊が使い残した地下タンクの油をどうして危険を冒してまで運び出さなければならないのか。
もっと詳細な説明がないと観客には、困難さ・苦労さが伝わってこない。

 原作の方はかなり長編で様々な挿話があるようで、それらを多く取り入れてしまったために、145分という長い映画でありながら、多くが表面だけの扱いで終わってしまった。
また、監督:山崎貴は俳優にたばこを吸わせるのが好きなようで、まあ、昔の大人の男たちは多くの場面でたばこを吸っていたが、それを禁煙が叫ばれる現在においても多くの場面でやらせる必要性は実に薄い。

 それにしても、監督:山崎貴のお遊びとしての音楽感覚は全く評価できない。
国岡商店の従業員達が歌うシーンは、監督:山崎貴として最大のミス・ポイントとなった。
ミュージカルを目指しているわけか?

 いつもの監督:山崎貴なら、会社が大きくなっても社長をいまだに店主とよぶ出光興産の家族主義、民族主義の暖かさをもっとリサーチしていたと思えるが、原作の長さに独自の見解が反映されないまま、締め切り日の上映時期に追われてしまった感がする。
残念だ。

監督:山崎貴と岡田准一の; 「永遠の0」 (2014年)
監督:山崎貴の; 「寄生獣」 (2015年) 、 「ALWAYS  続・三丁目の夕日」 (2008年)
岡田准一の; 「蜩ノ記」 (2014年)


 ジャック・リーチャー NEVER GO BACK

あらすじ:アメリカ陸軍の優秀な憲兵で正義感の強いジャック・リーチャー(トム・クルーズ)は団体生活が合わず除隊し、今は孤独にアメリカ全土をヒッチハイクしていた。そんなジャックが、とある街で警官の不正を暴き、それが縁で憲兵隊のスーザン・ターナー少佐(コビー・スマルダーズ)とワシントンで会うが、ターナー少佐は突然スパイ容疑で逮捕される。本能的にターナー少佐は無実であることを感じたジャックは彼女を脱獄させ、二人で軍隊の裏側に隠された陰謀を突き止めることになるが、軍の上層部も手段を選ばず二人を抹殺しようとする。ジャックの隠し子?のサマンサ(ダニカ・ヤロシュ )の命も危ない。。。


女:暇つぶしにもならない平凡な内容ね!

男:このジャック・リーチャー・シリーズには原作があるようで、映画化もされ前作は「アウトロー」という題名で2012年、今回と同じトム・クルーズがジャック・リーチャーを演じているようだ。
女:格闘技や銃の扱いに優れ、また正義感に燃えていて、孤独を好み、全米をヒッチハイクしているという設定からして、もう古いタイプのアクション物として胡散臭いのよね。
男:お金の出どころも不明でまた住所不定という、全く生活感がないヒーロー物なら、もう今まで多くの映画が作られている。
女:それらの映画の特徴の格闘シーンというまでには成長していないお粗末な暴力シーンやカー・チェイスが同じようなパターンで撮られているわ。
男:そして、クライマックス・シーンをどこかの街の祭や行事の混雑に合わせて持ってくるのもよくある、いやよくあり過ぎる話だね。
女:この映画での祭りは、ニューオリンズのハロウイン・パレードを選んだということね。
男:追走劇での、部屋から部屋へ、屋根から屋根へ。最後には、高いところから落ちますでは、まったく、今までの他の映画と同じ描き方で、一つもひねりがない。
女:それに、重要な話を、タクシーの運転手が聞いている状況でするなんてありえないし、また、憲兵の若い女性兵士が省内で歩きながら携帯電話でジャックと秘密の内容を大声で話しているなんて、これまた常識からもあり得ないという雑な設定よ。
男:でも、孤独なヒーロー物によくある、男女のベッド・シーンが無いのは不思議だった。
女:それは、ジャックと一緒に動くターナー少佐の設定が、女性は男性の添え物ではないってことのようだけど、おかしなことに、ジャックの前でブラジャーだけでいたり、バス・ローブ姿でウロチョロしていて、ジャックをかなり挑発しているのにね。
男:その誘惑に、どうしてジャックは乗らなかったのかな。
女:脚本が練られていなくて中途半端なまま撮影に入っただけじゃないの。
男:男女の愛の話がない代わりに、隠し子を絡めてきたのは、孤独なアウトローのイメージを大きく損なう展開だ。
女:住所不定、職業不明で、いつも一夜限りの愛の関係しか持たないのに、よくジャックの素性が分かったものよね。
男:他のヒーロー、アクション物でよくあるパターンから少しは目新しいものも取り入れてみようとする意気込みは感じられるけど、娘のサマンサが襲われた時の避け方をターナーから教わるシーンをみて、これはきっと最後に使われると予想したら、その通りだった。
女:観客が最後にならなくても、先が読める出来では、みんな、安易にまた適当に作られた映画だったということね。
男:マンネリから脱出することは、すごく難しいけど、そこは、多くのアイディアををぶつけ合って解決して欲しいね。
女:それは、あなたのこの「映画・演劇 評論」でも特に言えることじゃないの。
男:そうだね。
  最近は、若い人と接する機会が少なくなっていて、どうも、良いアイディアが浮かばない。
女:でも、あなたの言う若い人とは、若い女の子だけを指しているのが気になるのよね。
男:えっ、そんなことはないよ!
  若い人には、男女の別はないよ。
女:そんなに、ムキになるのが、そもそもよ。
男:・・・

 トム・クルーズの; 「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」 (2015年)、 「オブリビオン  (2013年)

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 聖(さとし)の青春

あらすじ:子供の頃から腎臓の難病を罹っている村山聖(さとし、松山ケンイチ)は、病床で覚えた将棋にこり今では七段のプロ棋士となり、東の羽生(はぶ、東出昌大:ひがしで まさひろ)西の村山と称されるほどになっていた。しかし、大阪を訪れた羽生と対戦し負けてしまう。負けず嫌いな聖は、体調は依然として良くなかったが、打倒羽生を目指し、師匠:森信雄(リリー・フランキー)の援助を得、上京し一人アパート暮らしを始める。東京でも余り容貌や服装に拘らない聖だったが、好きな酒やマージャンを通じて徐々に仲間もできる。そんな中、羽生は棋聖、竜王、名人、王将など7冠を制し将棋界に君臨していた。聖も他の棋士たちとの激戦を勝ち抜いて、どうにか、羽生との対局ができるまでになったが、体内にはもう手のつけられないガンが。。。


青春も将棋も読みができていない、詰めが甘い作品だ!

 原作は、将棋雑誌に関わっていた大崎善生(おおさき よしお)が書いた実在の村山 聖を描いた本があり、それを向井康介が脚本し、監督は、私は観ていないが「宇宙兄弟」の森 義隆だ。

 私の趣味に将棋があり、毎週日曜日午前中にNHK Eテレで放映される「将棋フォーカス」での「将棋講座」やそのあとに放映される「NHK杯テレビ将棋トーナメント」は欠かさず見ている。
その「将棋フォーカス」の特集で、この映画「聖の青春」に出ている松山ケンイチがゲストに出ていて、実際にNHK杯戦の決勝戦で羽生善治と対局し、時間に追われてミスをし残念ながら負けた村山聖の姿を見たり、29歳で亡くなった彼の将棋にかけた短い人生や、ライバルであった本物の羽生善治のコメントなどから村山聖も生きていれば、天才:羽生の良きライバルであったと思われ、それなら村山聖とはどんな人間だったのかと将棋ファンとして一応観ておこうということで、映画館に足を運ぶ。

 なお、余談ながら現在のNHK杯選手権者も同じ村山姓の村山慈明(むらやま やすあき)で、村山聖は終盤での読みが素晴らしくて「終盤は村山に聞け」と言われたほどで、これに因んで、現在の村山慈明の方は「序盤は村山に聞け」とも言われている。

 と前置きが長くなったが、映画の出来としては、実に退屈で、度々欠伸が出る上映時間も124分と無駄に長い。

 29歳で亡くなった将棋指し:村山聖の人生のうち、主に最後の4、5年を中心に、真実に基づき、といってもあくまでも原作者の大崎善生が感じ取捨選択した結果に拠るわけだけど、描いている。
 まず、基本として分からないのは、腎臓のネフローゼという難病でありながら、大酒を飲んだり、夜遅くまでマージャンをしたり、またどうして食事に気を配らないのかという自己管理のできていない点があげられる。
この描き方では、まるで余命少ない自殺志願者が生きている時間のほんの一部を将棋に掛けましたで終わっている。
これでは、真剣に生きている人々に対して失礼な話だし、職業として人生を掛けている将棋士達に対しても、軽すぎる扱い方だ。
確かに、原作はそうかも知れないが、映画とするなら、原作のこのような無駄な部分は脚本段階で推敲して削ぎ落とし、病魔に侵されながら、残りの人生を一途に将棋にかけた情熱で通すべきだった。

 無駄なシーンとしては、冒頭での、聖がゴミ置き場で倒れていたシーンから始まって、病気と将棋の関係が真剣に描かれていない。
道端に倒れる程体の調子が悪いのなら、将棋会館に抱え込まれてもこの後将棋が指せないはずで、実に不自然さを感じる。

 他にも、羽生との対局中に見る部屋の外の雪のシーンでの猫がいるという意味の不明さや、水道の蛇口からポタポタと流れる水滴の音など見ていても布石が下手で意味が分からず、イライラするシーンが多すぎる。

 タイトルとなっているはずの「聖の青春」は、一体どこにあるのかこれまた、探しきれない。
青春が異性との付き合いを主に指すなら、古本屋で漫画を売っている女子店員へのちょっとだけの想いだけとは情けない描き方だ。
いや、聖の青春は、ライバル:羽生との将棋に勝つことがすべてでしたというなら、プロの将棋界において、プロ見習いの奨励会から正式のプロになる四段に昇ることの難しさ、また名人位などタイトル戦において他の棋士を退けて挑戦者になるまでいかに、精神的にも肉体的にも、努力と精進が必要とされるかが取り上げられていないとダメだ。
話の読みが傍観者であっては、詰まらない。

 この監督:森 義隆の演出では、将棋の指し手よりも、関西と東京にある将棋会館の内部ツアーの方が重要視されている。
観客が観たいのは、プロの棋士が相手を負かすために行っている将棋盤上での頭脳の格闘技がもたらす緊迫感だ。
考え抜かれた一手がもたらす感心、またたまにはプロでもおかす凡ミスのホット感。
これらが、スクリーン上で演技として出ていないといけないが、残念ながら肝心の部分は指し手の解説で、サラット流されてしまった。

 それにしても役者の使い方も下手だ。
母親役の竹下景子の出番と言えば、病気に侵されても夜遅くまで将棋の手を考えている聖の姿を思って泣き崩れるシーンだけでは、活用されていない。
将棋士仲間の柄本時生のセリフの軽さはまったくいただけない。

 松山ケンイチが体重を増やして聖を演じた苦労や、羽生の癖をとことん追求した東出昌大の熱演は分かるが、この監督:森 義隆では、映画人として「王手」にまでは、到底及ばない作品だった。

 松山ケンイチの; 「怒り」 (2016年)
 東出昌大の; 「寄生獣」 (2015年)

 湯を沸かすほどの熱い愛

あらすじ:関東のある街の銭湯「幸(さち)の湯」は、1年程前から焚き場を担当していた気弱な亭主の一浩(オダギリジョー)が蒸発してしまい、休業状態であった。あとに残された気丈で明るい双葉(宮沢りえ)は、パートをしながら高校生の娘:安澄(あずみ;杉咲 花)を育てていた。そんな双葉であったが最近体の調子が悪いので医者に診てもらうと無理を重ねていたようでガンがすでに全身に侵攻し、良くても2カ月しか生きられないと告げられる。双葉は残された人生で、蒸発した夫を探し出し銭湯の再開や気弱な娘を独り立ちさせることを決意する。すると、依頼した探偵(駿河太郎)が近くの町に住んでいる一浩を突き止めてきた。一浩が蒸発したのは、昔の浮気相手と暮らすためだったのだ。しかし、今ではその浮気相手に逃げられて彼女の連れ子の鮎子(伊東 蒼)と共に住んでいた。双葉は一浩の今までの行為を許し、鮎子も家族に加わり、「幸の湯」の煙突からは再び煙が上がるようになった。一方、高校でいじめにあっていた安澄もどうにか自分の力でいじめを撥ね退けることができた。だが、双葉にはあと1つ、生きている内にどうしてもやらなければならない大きな事がまっていた。。。


ベタなお涙頂戴から見事な作品に仕上げた監督:中野量太に脱帽だ!

 私がよく観ている映画館でも、予告編も流されていない程度の映画「湯を沸かすほどの熱い愛」だが、封切り後の評判として、どうも単なるお涙頂戴以上の内容のような気がして、少ない上映館のなか探しだして観る。

 脚本と監督は、中野量太で、今までは短編映画などを撮っていて、この作品が本格的なデビューとのことだ。年齢は43歳?

 予告編は見てないが、一応、チラシは持っていて、それのうたい文句の「余命2カ月、何ができる?」ってことで、もうよくあるパターンの”余命いくばくかの母親は病気のなか必死に生き、その子供たちもけなげに母親を支えました”というあたりきの内容だと思っていた。

 確かにこの映画での設定は、もう完全に昔からあるお涙頂戴のままだ。
限られた時間を元気に生きようとする病気の母親。
母の死を前にして、涙をこらえて健気に振る舞う子供たち。
母親に捨てられた子供。
産みの親と育ての親の葛藤。
身障者の登場。
欲のない生活。
映画において、子供と犬や猫などのペットを使って涙を誘う手法は、人類の基本的な感情に訴えるために、この業界においては、安易で簡単なため、禁じ手となっている。

 まったく、何のひねりもない常套的な設定を満載しているが、これが、観ている人には、見事に訴えてくる。

 映画の冒頭から右隣のおじさんは鼻水をすすっているし、左のお姉さんに至っては、ハンカチがかなり濡れている状況だ。映画館の中はもう、涙、涙が終わりまで続く。

 上手い仕上がりの映画だ。
安澄が手話ができるわけ、タカアシガニが定期的に送られてくるわけの布石が、最後に見事に決まる。涙にミステリアスな話を交えるとは、よく練られた凄い出来上がりの脚本だ。

 男の監督:中野量太 でありながら、実に繊細な女の子や女性の感情が表現されている。

 安澄が母親から贈られた勝負下着を制服を取り戻すのに使ったり、連れ子の鮎子が母親に会おうとしても会えず、前に住んでいたアパートで双葉たちに迎いいれられた安心感からオシッコを漏らすなんてシーンは、もう普通の男の感性を超えすぎた素晴らしい思い付きと記憶に残る優れた演出だ。
他にも、双葉が突然食事処の女性店員を殴るシーンの「どうして?」という持っていき方、病床にある双葉のベッドに入っている鮎子のさりげない甘え方。
エジプトに行く金はないけど、小さな木彫りのピラミッドや人間ピラミッドなら作れるというのは正に「愛情」がなければできない。
多くの場面が、明確な形で残像として再現できるほどの出来栄えだ。

 これらの高評価は、当然主役を務めた宮沢りえの熱演によるものだ。
捨てた母親に会えず、置物を投げつけるシーン、「死にたくない」と叫ぶやつれた顔と演技はうまい。
彼女も「紙の月」以来、演技力が向上しているが、この「湯を沸かすほどの熱い愛」は、これから彼女の代表作として挙げられる出来栄えとなっている。
また、力のはいらない夫役を巧みにこなしたオダギリジョーの演技は勿論のこと、禁じ手である子役の伊東 蒼 のセリフのうまさ、また、今後の活躍が大いに期待できる、高校生を演じた杉咲 花 の起用など、映画は、一人の熱演だけでなく多くの共演者を含めた総合作品だと再認識させられる。

 お涙頂戴での卑怯な手法を多用しているが、おじさんもおばさんも、また若い人も納得できる満足度が十分で、本年度観た映画の中でもトップに数えることのできる完成度も高い作品だった。

 なお、ただ一つの難点は、最後の双葉を火葬する「煙」です。
これは、銭湯では許されないし、その火葬の熱で沸いた風呂には、第三者は気持ちが悪くて入れない。
DVD版では、変更して欲しいシーンだ。
(煙突から赤い煙がでるシーンは、黒澤明監督作品の「天国と地獄」を思い出させます。)

 この映画には、11月11日に亡くなった歌手の「りりィ」も双葉を捨てた母として出ています。

宮沢りえの; 「紙の月」 (2014年)
オダギリジョーの; 「舟を編む」 (2013年)

 

 インフェルノ

あらすじ:ハーバード大学で宗教関係を専門にしてるロバート・ラングドン教授(トム・ハンクス)は、誰かに頭を強打されてイタリアのフィレンツェの病院で目を覚ますが、ここ数日間の記憶を失い、時々、世界がまるで地獄になったような恐ろしい幻覚を見るような状態だった。その彼を警官に扮した殺し屋のヴァエンサ(アナ・ウラル)が襲うが、担当の医者:シエナ・ブルックス(フェリシティ・ジョーンズ)の協力でどうにか逃げることができた。彼が持っていた小型プロジェクターに映し出されたボッティチェリの「地獄の見取り図」がヒントになり、彼が狙われるのは、自殺した世界的な大富豪でありまた生物学者で、増加を続ける人類を細菌によって半減させる計画をもったバートランド・ゾブリスト(ベン・フォスター)が開発した伝染病菌の隠し場所を世界保健機構(WHO)に発見させないようにするためだと分かる。ゾブリストが残したダンテの「神曲地獄篇」になぞらえた手がかりを解いていけば、細菌の隠し場所に辿り着けるのか。。。


女:これでは、謎解きよりも、観光映画として名所の地下室や屋根裏を撮影出来ましたというだけね!

男:このトム・ハンクスが演じるロバート・ラングドン教授物は、前作に「ダ・ヴインチ・コード」と「天使と悪魔」があり、原作は全部ダン・ブラウンで、監督も今回と同じ、ロン・ハワードだ。
女:原作は読んでいないけど、元々の本の展開としては、宗教や芸術品に関するうんちくを謎に絡めて解いていくんじゃないの。
男:多分そうだと思うけど、最初の映画「ダ・ヴインチ・コード」でも次の「天使と悪魔」にしても、一見難解な感じの謎の提示があっても、それらがすぐに解決されるというまったく観客を魅惑させないという実にお粗末な内容に作り上げている。
女:脚本が悪いのよ。
  誰が脚本を書いているの。

男:デヴィット・コープだね。
  彼は、「天使と悪魔」の共同脚本家だ。
女:それで、「天使と悪魔」が謎解きの面白さを奪っていたように、今回もまた観客を置き去りにして、話を進めた訳ね。
男:テーマとなっているダンテの神曲なんて、一般的な題材でないし、「新曲」なら聞くかもしれないけど「神曲」では馴染みもない。
:大体訳の分からない人物が登場し過ぎよ
  冒頭の、女殺し屋やWHOに所属しながらも金儲けをしようなんて不埒な考えの男って、設定が強引よね。

男:その上、変な危機管理会社の存在とは、まったくナンセンスな話だね。
女:その危機管理会社だけど、偽装工作も上手くやれるほどの人員とハイテクニックな情報網ももっているようだけど、最後に社長が一人でノコノコトと現場に乗り込んでくのも、危機管理ができていない間抜けた組織ね。
男:ただ映画の上映時間を伸ばすために、都合のいい話を作り上げている感じが見え見えだ。
女:話が詰まらないので、イタリアのフィレンツェやヴェニスの観光地を背景としていれて見ました。
  観光映画として楽しんでくださいってことになったのね。

男:でも、これらの観光地の表側はもう皆様、既にご承知でしょうから、ここは特に観光客が入れない地下室や屋根裏もご紹介しますってことだけど、そんな場所は興味がわかない。
女:ダンテのデス・マスクを盗むのは少し面白かったけど、トルコの地下での音楽会でのドタバタ劇はもうよくある描き方で結末も読めた下手な演出ね。
男:よくある「あと何時間しか残されていない」という限られた時間の設定も不自然だ。
女:よくある演出で終わっていて、緊迫感がまったく出ていないお粗末さだったわ。
  謎が勝手に解けていくように、楽団や観光客、細菌を広めようとするソブリストの愛人なんか、みんな結末に向かって、都合よくダラダラと集まるとは酷い話。


  それに、「うんちく」ならあなたの旅行記だけで、十分よ。
男:何か言った・・・?
女:いいえ、何も言っていませんッ!

前作の; 「ダ・ヴィンチ・コード」 (2006年) 、 「天使と悪魔」 (2009年)
トム・ハンクスの; 「ハドソン川の奇跡」 (2016年)
イタリアをもっと知りたいなら: 「駆け足で回ったヨーロッパ -イタリア編-」 もあります。
(現在、リンクが不調ですが。)

 一人二役 ~殺したいほどジュテーム~ シアタークリエ

映画画像 あらすじ:1960年代、パリ郊外にある豪邸。天涯孤独だが、莫大な遺産を相続したフランソワーズ(大地真央)は、リシャール(益岡 徹)という魅力的な男と結婚した。しかしほどなくして、リシャールが財産目当てのとんでもない男であることが判明!フランソワーズは夫の酒と賭博と暴力の日々にすっかり疲れ果て、離婚を考え始めていた。そんなある日、家政婦のルイーズ(森 公美子)の恋人が、リシャールの代わりに投獄された弟ミシェル(益岡 徹・二役)だとわかる。しかも、ミシェルは兄リシャールと瓜二つ!フランソワーズは夫の留守中に、弁護士サルトーニ(山崎 一)の目の前で弟ミシェルに兄リシャールを演じさせ、離婚の手続きを済ませてしまおうと企む。ところが、ミシェルはリシャールと正反対の性格で臆病者でヘマばかり。さらに、離婚調停の最中に何とリシャールが予定を早めて帰ってきてしまう!果たしてフランソワーズが仕組んだ逆転劇は成功するのか?そして、警察署長(おかやまはじめ)が目にした、驚きの結末とは。。。


セリフが滑らかでない。これでは笑えない!

 原作は、フランスのロベール・トマの「DOUBLE JEU」でこれを、福島三郎が台本を書き、演出をしている。
構成は、2幕で、舞台上のセットは、フランス風のソファーが中央におかれた広い応接間の1つだけで話がすすむ。

 いつも、あらすじは、私が観た内容を独自の文章に纏めて記載しているが、今回は、事情があってチラシにあるままを転載している。
というのは、この舞台「一人二役 ~殺したいほどジューテーム~」は、全部のあらすじを私なりに詳細に書いてしまうと、興味が半減?、いや全減してしまうからだ。
また、2幕目以降を含めた全体の感想・評論も述べると、これから観る人にとってまったく面白くないので、1幕が終わり、20分の休憩に入った時点の感想・評論に止める。

 チラシでは、「コメディの女王;大地真央、森公美子がお届けする2016年最高の笑撃作!」ということで、どのくらい笑えるかという期待で足を運ぶと、セリフがいかにもフランス語をそのまま日本語に翻訳しましたという退屈さで、滑らかさを欠いた説明調でこれでは、まったく日本人としては笑えない。
私がこのような出来に対してよく使う「セリフが乾いている」状況にある。

 笑撃作?と笑いをうたい文句にするなら、森公美子がやっている突拍子もない奇声を発するような低レベルの笑いではなく、大地真央と森公美子の会話において、もっと軽妙な内容を持ったセンスが求められる。
時々、観客席から、クスクスとした笑い声がないとだめだ。この出来では、観客は説明の会話を真剣に聞かせられていて、笑う余裕が持てない。

 これから、重要な一人二役を演じることになるような益岡徹もまだこなれた役になっていない。

 以上が、1幕目が下りた時点での、私の評論だが、この後の2幕目では、意外な展開があり、それを述べると、作品の興味を削ぐことになるので、ここまでで止める。
これから、「一人二役 ~殺したいほどジューテーム~」を観る人の為に、これ以降については、触れない方がいいと判断した。

 今回はこれ以上の評論をしないが、全体としては、面白い出来で私としては、テレビならまた大地真央のシリーズ物として続編を期待する内容だった。

 大地真央の舞台なら; 「マイ・フェア・レディ」 (2009年)
 シアタークリエの; 「夫が多すぎて」 (2014年)

 

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 ミス・サイゴン  ~ミュージカル~ 帝国劇場

映画画像 あらすじ:ヴェトナムがまだ南北に分かれていて激しい戦争をしていた1970年の中頃、アメリカの軍事支援を受けていた南ヴェトナムの首都:サイゴン(現在のホー・チ・ミン市)にある米兵相手の売春宿に戦争で家族を失った現地の少女:キム(笹本玲奈)がやって来た。その宿の経営者のエンジニア(駒田一)は、早速キムに米兵のクリス(上野哲也)の相手をさせる。初めての経験をするキムにとって優しく扱ってくれるクリスの態度は嬉しかった。また、クリスもキムの純粋な気持ちに魅かれ二人は恋に落ちる。しかし、戦況は南ヴェトナムと米国にとって不利な状況となり、クリスや米兵は南ヴェトナムから撤退するが、クリスの子を宿したキムは現地に取り残され、なんとかエンジニアと共にタイのバンコクに逃れた。アメリカ本土に戻ったクリスは、何も知らないエレン(知念里奈)と結婚するが、別れたキムの身の上は案じていた。アメリカでは、ヴェトナム戦争で米兵と現地の女性との間で生まれた子供たちを救う運動が高まり、キムとクリスの息子:タムの存在が、クリスに伝わる。しかし、クリスは結婚をしている。キムがとった選択肢は。。。


人気のあるミュージカルだけど、あくの強い市村正親でないと盛り上がらない?!

 今更ながら、ミュージカル「ミス・サイゴン」は、「レ・ミゼラブル」を手掛けたクロード=ミシェル・シェーンベルクとアラン・ブーブリルの作品で、1989年にロンドンで初演され評判が良く、その後世界中で公演され、日本でも1992年に帝国劇場で初演があり、それ以来、何度も繰り返し公演がされているという人気の高いミュージカルだ。
 私も、2004年、2008年の帝国劇場、そして、2012年の新しいヴァージョンを青山劇場で観ている。
今回の2016年版で、4回目となるわけだ。

 舞台回し役のエンジニアを演じているのは、以前からダブル・キャストやトリブル・キャストで、今回も、私が観た駒田一の他に、市村正親と新しくダイアモンド・ユカイも加わっている。

 また、キム役も、今回の笹本玲奈の他に昆夏美、キム・スハ、クリス役には、今回の上野哲也の他に小野田龍之介、またクリスの友人のジョン役には、今回の上原理生とパク・ソンファン、クリスのアメリカでの妻;エレン役には、以前はキム役もやっていた今回の知念里奈と三森千愛、ヴェトナム軍のトゥイ役には、今回の藤岡正明と神田恭平、サイゴンでの娼婦役のジジには、今回の池谷裕子と中野加奈子という共演者群だ。

 このミュージカル「ミス・サイゴン」の最大の見せ場は、サイゴン陥落時にアメリカ大使館から米兵が脱出する際に使われる巨大なヘリコプターで、これは正しく広い舞台をもつ帝国劇場でないと実現できないシーンで今回も見事に盛り上げてくれる。
その脱出の混乱を表している大使館での門扉を前後左右に素早く動かすシーンとヘリコプターが登場してそれへの飛び乗りは大変危険を伴う演技のようで、無事にこなしたのは、何度も公演を重ねた成果と評価できる。

 もう一つの見せ場である北ヴェトナムの指導者であるホー・チ・ミンの強大な胸像の前での群舞も今回も決まっていて美しい。

 しかし、この「ミス・サイゴン」はそれ以外の印象が実に薄い。
例えば、見せ場のヘリコプターが出てくる場面だけど、これは、実際には2幕目でのバンコクでの回想シーンで出てくるが、話としては1幕目で出ていると記憶していた。
また、キムが殺したトゥイの亡霊が出るシーンに至っては、もうすっかり忘れていた。

 殆どのセリフが歌となっているので、出演者はしっかりと歌詞を伝えなくてはいけない訳だが、残念ながらキム役の笹本玲奈の歌い方は、叫びになっていて、聞きづらいのがよくない。
この主役のキムの歌い方の拙さは、過去も指摘しているので、これは、演出上での問題でもある。
訳詞やメロディーも特に感銘を受けるものもなく、もう一度全体を見直して変更して欲しい部分だ。

 2012年版から、以前の演出からリアリティ追及とのことで変更があった訳だけど、それなら、ついでに「マイ・フェア・レディ」のようにいっそのこと、日本版の「ミス・サイゴン」にしたらどうだろうか。
冒頭の売春宿での露骨すぎる下着姿でのダンスや日本人には馴染みの薄い「神」に関する訳詞、アメリカではよくある悪夢にうなされるクリスなど、変えるともっと日本的な情緒のある演出が期待出来そうだけど。

 シーンと歌の組み合わせで記憶に残るのは、キャデラックが出てくる「アメリカン・ドリーム」だけでは、もったいない。
ここまで、多くの観客動員数を有する内容だけに、ここらで手直しも検討の時期だと感じた。

 また、今回エンジニア役を演じた駒田一だけど、この演じ方と歌い方では、舞台回しとしての流れを上手くやっていない。
1992年の初演から出演している市村正親のように、こなれた演技を期待している訳ではないが、駒田も初めての役ではないので、もっと、役割を理解して全体の流れを掴んで演じて欲しい。

 その市村正親だが、2年前には胃がんでこの「ミス・サイゴン」を降板し、もう24年間やって来たエンジニア役は、今回のツアー公演で最後とのことだ。
私としては、少しばかりあくの強い市村の演技には、納得していないが、駒田にはもっと前に出てくる演技も期待したい。

 主役の交代を機に、これからの台本の手直しも必要と強く感じた今回の「ミス・サイゴン」だった。

 2004年の; 「ミス・サイゴン」
 2008年の; 「ミス・サイゴン」
 2012年の; 「ミス・サイゴン」
 日本的になった; 「マイ・フェア・レディ」 (2016年)

 ヴェトナムのサイゴン(現:ホー・チ・ミン市)の旅行記なら; 「ヴェトナムとアンコール・ワット 7日間の旅行記」 もあります。

 永い言い訳  

映画画像 あらすじ:今はどうにか売れてきて、テレビのクイズ番組などにも出ている作家:津村啓こと衣笠幸夫(本木雅弘)は、本名が有名なプロ野球選手と同じ名前なので苦労してきた。幸夫の髪は、美容院を経営している妻:夏子(深津絵里)が幸夫が売れない頃からカットしていた。二人の間には子供はおらず、幸夫は、担当編集者の福永智尋(黒木華)と深い仲になっていて、最近では夏子との間もかなり冷めていた。夏子が親友とスキー旅行に行ったのを機会に、智尋と体を合わせている幸夫の元にスキー・バスの転落事故で夏子達が亡くなったとの知らせが入り、すぐに夏子の遺体を引き取るが、幸夫は泣けなかった。遺族に対する事故説明会で夏子と共に亡くなった大宮ゆき(堀内敬子)の夫で、感情をすぐに表す長距離トラックの運転手の陽一(竹原ピストル)を知り、彼のまだ幼い二人の子供の面倒をみることになる。母親を亡くした子供達や陽一と接していると、幸夫にはない愛情が彼らにはあった。しかし、年末の激務に疲れた陽一は。。。


深刻な話を取り上げるたびに、退屈さが増幅される!

 「ディア・ドクター」や「夢売るふたり」の西川美和が原作、脚本を書き監督をしている。
映画を観終わってもタイトルとなっている「永い言い訳」の意味が分からない。

 取り上げているテーマが実に深刻だ。
売れない頃のまさに「髪結いの亭主」だった幸夫を支えた妻:夏子への裏切りの行為。
愛がないまま惰性で見せかけの家庭生活をおくっている夫婦。
夫婦でありながら、子供をつくらないのか、またできないのかの世間一般感情からの遊離。
母親を亡くした子供たちの揺れ動く気持ち。
子供を育てる喜びと面倒くささ。
生活が苦しい状況での進学問題。
ざっくばらんな陽一の性格に対する幸夫の嫉妬。
作家としてもっと認められたいが、書けない実態。

 「妻が死んでも、一滴の涙を流せない男の、ラブストリー」と訳の分からないチラシが示すように、内容が悪い。

 監督:西川美和として、どこに焦点をあてて、観客と共に感動を盛り上げたいのか、まったく分からない。

 上で挙げたような深刻なテーマが提示されるたびに、観ていて、感情が画面からドンドンと後退する。
欠伸までもでるような、退屈なものになる。

 それは、テーマ全部の取り上げ方が平凡で、また上辺だけの描き方で終わっているからだ。
そう、余りにも作りごととバレバレの表現が多くて、不自然な流れがスクリーンから、私の意識を遠ざける。

 例えば、陽一の子供たちに幸夫がこんなに簡単に受け入れられること。
幸夫が作家として突き当たってイライラしているのが、どうして花見の場でなければならないのか。
幸夫と女の子が自転車で坂道を登るシーン。
感情に流される陽一といつもクールな幸夫との安易な比較での描き方。
事故を起こしたトラックに被害がないこと。

 科学の説明をするお姉さんに「どもり」を演じさせる必要性のなさ。
特に、子供だから許されるとしてやらせている大人のセリフ「夫婦でも子供がいないわけ」の余りにも無神経な質問。

 子供を育てることは、面倒だけど、それによって得るものの大きさを幸夫にもっと、もっと追及させて欲しい作品だった。
でも、子役二人、藤田健心君と白鳥玉季ちゃんはよくやっています。

 西川美和監督の、退屈な; 「夢売るふたり」 (2012年)
 本木雅弘なら; 「おくりびと」 (2008年)
 ここではチラットしかでていない深津絵里の; 「寄生獣」 (2015年)

 君の名は。  アニメーション

映画画像 あらすじ:1000年周期の彗星が地球の近くを通り、連日流星群が見られる頃、飛騨地方の田舎町の由緒ある神社で育った高校生の宮水三葉(みやみず みつは、声:上白石萌音)は、巫女としての古いしきたりしかない退屈な生活に飽きていて、強烈に東京での生活に憧れていた。そんなある日、三葉は、東京に住んでいる高校生:立花瀧(たちばな たき、声:神木隆之介)になって東京での生活をしている夢を見た。一方、瀧も同じ時間に、田舎で暮らす三葉になっている夢を見ていた。なんと、二人は、夢ではなく、現実に場所が変わり、体と生活が入れ替わっていたのだ。時々起こる夢のような入れ替わり現象は、元に戻ると記憶もはっきりしなかったが、互いにノートやスマホに日常起きた事柄のメモを残し、入れ替わっても対応できるようになった。が、ある日を境にして、入れ替わり現象は起きなくなった。そこで、三葉のことが気になった瀧は、三葉に会おうと決心し、夢でみたおぼろげな風景を頼りに、どうにか、三葉が住んでいる町にたどり着いた。しかし、その町はもう。。。


綺麗な切なさ感が全編をつつむ、よくできた作品だ!

 原作と脚本、そして、監督は、新海誠(しんかい まこと)だ。
私は、あまりアニメーションは観ないし、43歳になる新海誠という人物についても特に興味もないし、当然、彼の過去の作品では「秒速5センチメートル」などが有名だとチラシにあっても、そうですかという程度の関心しかない。
が、この「君の名は。」は、封切りしたのが8月26日だけど、この浮き沈みの激しい映画界で、1ヵ月以上、しかもこの10月にしてもまだ公開中で、さらに興行成績でも連続してトップにあるという。
これらの実績を見ると、この映画は、もう単に夏休みのお子様向けのアニメではない状況で、大人たちも繰り返し観ているということだ。
それなら一度観てみようかと思い、映画館に足を運ぶ。

 まず、この映画の予告編は観ていて、予告編からの印象では「君の名は」というタイトルと、互いに橋の上ですれ違うようなので、これは戦後の菊田一夫の名作「君の名は」をすぐに連想した。
ついでながら、菊田一夫作の「君の名は」は、数寄屋橋(すきやばし)の上で再会を約束した真知子と春樹が運命の悪戯から度々すれ違うラジオ・ドラマで、これは評判が良く、映画にもなった。この映画の中で岸恵子が演じる主人公の真知子が巻いたストールの恰好は当時「真知子巻き」として、大流行したのを、かなりぼんやりながら思い出す。それを、今度はアニメでリメイクしたのかと思っていた。
また、男女の体が入れ替わる話は、大林宣彦監督の「転校生」を始めとしてよくあるので、退屈な少女向けのラブ・コメディかというような軽い気持ちであった。

 しかし、映画を観ていて、これらの先入観とはまったく違ったストーリー展開に感心する。
確かに、菊田一夫の「君の名は」のように、アニメでは数寄屋橋の代わりにあちらこちらの歩道橋がよく出てくるが、これは、高層ビルを始めとする東京の景色の美さの一部でしかない。
 また、男女の入れ替わりで、すぐに関心がいく、オッパイと下半身の扱いだけど、こちらもアニメならではの軽妙な取り上げで終わっていてこれも上手い。

 新海誠はその映像の丁寧さ、美しさで評判らしいが、この「君の名は」でもその魅力は十二分に発揮されている。

 雨だれ、山々の赤く染まる紅葉、多次元から当てられる光。
特に新海誠がこの映画で強調したい「たそがれ」時の日本の景色の美しさ。
それは、大自然に囲まれた田舎だけでなく、東京のようなコンクリートのビルに囲まれた大都会でも経験できるという主張は、観ていて十分に伝わって来た。
また、日本家屋での障子の滑り方、電車のドアの開閉などのシーンに見られるように、アニメでなければ描けないアングルがあるのも良いアイディアだ。
このシーンは後世にも残るだろう。

 大都会に憧れ、田舎から都会に出てきた人なら、誰でも持っている田舎の田んぼや山々などの自然、そして、祭や各種の行事に対する懐かしさ。
郷愁はあっても、もう田舎には戻れない切ない気持ち。
それらが、巫女の踊りや組紐のような古い日本的な題材を取り上げたことで、いつの間にか眼を潤ませている。

 アニメというとあの宮崎駿監督作品との比較になるが、新海誠もその流れを踏み、女子高生:三葉のミニスカートも風や動作に合わせてほどよくそよぐ。
この丁寧な作り方は素晴らしい。

 アニメでは、声優の存在が、その作品の評価に大きく関わるが、瀧役の神木隆之介の貢献度は高い。
男役であっても、三葉と入れ替わった違いを見事に表現している。

 また、映画において欠かせないのは音楽だが、RADWIMPS(ラッドウィンプス)という読み方も知らなかった4人組のバンド(現在、一人は、病気で不参加中とか)が担当しているが、彼らのボーカル曲も、場面にうまく融合した出来上がりになっている。

 一時は、隕石で町が壊滅したかと思って、悲しい気持ちになったが、無事に再会できた三葉と瀧とのエンディングでほっとする。

 この内容と出来なら、特に女子高生だけでなく、おじさんや全世代が観ても感銘するアニメだ。
興行成績が示すように、評判を裏切らないアニメだった。

 SCOOP!

映画画像 あらすじ:以前は、報道関係のカメラマンとしても評判を得ていた都城静(みやこのじょう しずか;福山雅治)だったが、今は固定的な収入もなく写真週刊誌に芸能人などのスキャンダルな写真を撮って売り込み暮らしていた。静と古い付き合いのある副編集長の横川定子(吉田羊)は、そんな彼の身を案じ、固定的な収入を得させるために新しく入ってきた記者志望の行川野火(なめかわ のび、二階堂ふみ)の面倒を見させる。ペアとなった野火は当初下品で粗野な静には馴染めずにいたが、国会議員とその愛人のホテルでの密会写真を上手く撮ったり、アイドルが深夜に隠れて行っている乱痴気パーティに潜入するやり方など、静と共に取材をしているうちに、最初は馬鹿にしていた静の優れた才能に魅かれていく。そして、野火が潜入取材をしている内に身元が割れレイプされそうになった時、助け出してくれた静に対して恋心も抱くようになった。静と野火のコンビがスクープした記事は週刊誌の売り上げを次々と伸ばした。副編集長の定子は、二人に4人の女性を強姦し殺した犯人の実写真を撮るように命じ、どうにか静と野火は、殺人犯の顔写真を撮ることに成功したが、静の親友:チャラ源(リリー・フランキー)が。。。


女:下品さが満載だけど、涙を誘うわね!

男:脚本と監督は、大根仁(おおね ひとし)だね。
  元になっているのは、原田眞人が作った映画「盗写1/250秒」だそうだ。
女:あのいい男の代名詞的な福山雅治が、冴えない格好をした中年のパパラッチをやっているのよ。
  冒頭の車の中のシーンで出てきた髭をはやした男の人が、福山とは驚きね。
  まったく福山には見えなかったわ。

男:髭といってもきれいに整えられていない、中途半端な無精ひげだし、これまた手入れの悪いパーマの髪では、見慣れていない人には、これでは誰だか分からないね。
女:また、話すセリフが、「下半身」に関する言葉が多くて、今までテレビの「ガリレオ」などのイメージにあるインテリで気取った福山とはまったく違うのよね。
男:私は、ラジオ番組で福山のトークを聞いたこともあるので、「しも」に関する部分も驚かないけど。
  このセリフの多くは、普通の男なら本音として言いたいことでもあるね。
女:基本的に男の人はスケベな心を持っているのは分かるけど、福山雅治ならもっとデリカシーを持った表現にしてほしいわ。
男:元になっている原田眞人監督の映画は知らないけど、この大根仁監督は、福山雅治を使って自分なりの主張をいれ上手く描いていると思うよ。
女:それは、あなたがいつも言っている脚本を監督自ら書いているという利点にある訳ね。
男:撮影をしていれば、脚本の段階では気が付かなかったことが多く出てくる。
  そんな時に、監督としての手直しが作品に反映出来やすいからね。
女:この映画では、写真家としての夢もあったわよ。
男:福山がカメラマンを目指したのは、報道カメラマンであったロバート・キャバが戦場で撃たれた兵士を撮った作品を見たからだということだね。
女:この「崩れ落ちる兵士」でロバート・キャバは一躍有名になったのね。
男:この写真の構図や古い「ライカ」のカメラでとった意識的なピンぼけ写真が、あとでうまく活かされている。
女:福山雅治としては、あなたの話では、彼が持っている素のスケベさを、最大限に引き出した演技ってことになるわね。
男:演技をする上で、意識していない素や日常のそのままを演じることは、最高に難しいけど、この映画での福山雅治はそれを上手く演じている。
女:でも、その素と対照的に非日常的な演技をしているリリー・フランキーの演技も十分に印象に残るわよ
男:リリー・フランキーって男は、この映画のように本当に正体がわからないね。
  俳優ってことになっているようだけど、「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」のような自伝小説も書いているし、絵も描くし、でもみんなどうでもいいような印象を持っている。
 全部、チカラを抜いているけど、最後にはいい評価が与えられるから本当に不思議な男だ。
 この「SCOOP!」でも、最後のシーンでは長い時間だけど見事に観させる演技だった。
女:女優としては、二階堂ふみと吉田羊が出ているけど、二人とも良かったわ。
男:二階堂ふみの描き方としては、当初は現代的な女の子で、でも福山と接している内に徐々に福山の良さがわかる女性に変わって行くというのは、よくあるパターンだけど、彼女としては、無理なく演じられている。
 最近大活躍の吉田羊も福山雅治という相手を得て、これまた気楽な感じでいい演技ができているね。
女:結局、福山雅治の本音のスケベな演技が、大根仁監督によって他の共演者にもいい影響を与えたってことになる訳ね。
男:そう、多くの福山雅治の女性フアンには、まったく評判が悪い「ひげ」だけど、この「SCOOP!」では、「ひげ」は絶対に欠かせないパーツだね。
女:そこまで「ひげ」に拘るのは、あなたも「ひげ」をはやしているからでしょう。
男:わたしの「ひげ」は、福山雅治のような中途半端な無精ひげとは違って、ちゃんと手入れがされている「立派なひげ」だよ。
女:でも、”あの”福山雅治でも「ひげ」は、女性には、不人気なのにどうして、あたなが「ひげ」を剃らないのか、分からないわ。
男:それは、どういう意味だい?
女:鏡を見ればわかるっでしょうっ!
男:えっ?

 福山雅治とリリー・フランキーが出ていた; 「そして父になる」 (2013年)
 福山雅治の; 「真夏の方程式」 (2013年)

 吉田羊の; 「ビリギャル」 (2015年)、 「HERO」 (2015年)

月号画像

 ハドソン川の奇跡

映画画像 あらすじ:2009年、寒さの厳しい1月15日。国内線を主に扱うニューヨークのラガーディア空港を乗客:150人、乗員:5人の総勢155名を乗せてシアトルに向かって飛び立った旅客機があった。機長は空軍上がりでこの道40年のペテラン:チェズレイ・サレンバーガー(トム・ハンクス)、通称:サリーで、副操縦士は、ジェフ・スカイルズ(アーロン・エッカート)だ。しかし、飛行機は離陸直後、マンハッタンの上空で鳥の集団とぶつかり、不運にも左右のエンジンが壊れ止まってしまう。事故の報告を受けた管制室は、近くにある小さな飛行場に緊急着陸を指示するが、そこまで飛行するにしても、余りにも高度が低いため、ニューヨークの街にも被害が及ぶ危険性があった。そこで、サリー機長は咄嗟の判断で真下にあるハドソン川に機を誘導し巧みに着水を行い、機体は分解もせず、乗客及び乗員は、寒さに震えながらも近くにいたフェリーなどにより全員無事に救助された。この事件は「ハドソン川の奇跡」と報じられ、サリー機長は一躍時の英雄として有名になった。しかし、国家運輸安全委員会では、危険性が高い冬の川への着水よりも、管制官の指示に従い、近くにあった飛行場への着陸の方がより安全策ではなかったかを追及していた。コンピューターを使用したシュミレーションでは、近くの飛行場への緊急着陸も安全で可能だった。果たしてサリー機長の判断は適切だったのか。。。


英雄は英雄礼賛で終わった方が良かった!

 監督は、あのクリント・イーストウッドで、この「ハドソン川の奇跡」は、本当にあった航空機事故で、薄く氷の張ったハドソン川に旅客機が辛うじて浮いていて、多くの乗客が救助されている場面はテレビ・ニュースや写真で見たことがある。

 その真実であるが、日本にいる私は、単に、この機長は優れた判断力と操縦ができる「英雄」だと思っていたが、クリント・イーストウッドが取り上げると、「英雄」であっても一度は「容疑者」でもあった点に焦点があてられる。

 でも、この描き方では、面白くない。
それは、国家運輸安全委員会の存在が余りにもサリー機長に対して悪者として扱われているからだ。
英雄的な行為をしたサリー機長に対して、いくら冷静に物事を処理することが求められている国家運輸安全委員会であっても、ここまで、乗客を危険にさらした罪を咎めるのは、不自然さが先に立つ。

 再現される事故の映像も、別の角度から撮った物にして欲しいところだ。
同じ状況をなぞられても、それは、もう観た、知っているよ、となる。

 咄嗟の判断を求められた時に、マニュアルのとおりに行動をしていないから奇跡は起きて、155人の尊い生命が救われたという「英雄」的な行為をもっと讃える方向で描いてくれれば、観ていても感動が持てるが、サリー機長と国家運輸安全委員会との対立が中心では、感情に訴えてこない。

 ここは、素直に、サリー機長の操縦の素晴らしさ、遭難した飛行機が運が良くてすぐに沈没しなかったこと。
また、事故が起きたハドソン川の近くには、多くのフェリー船や救助の人々がいたことなど、本当に「奇跡」的な状況が重なっていたから全員が助かったという事実に向かって描いてくれると、良かった。

 クリント・イーストウッドの; 「アメリカン・スナイパー」 (2015年)、 「人生の特等席」 (2012年)
 トム・ハンクスの; 「ブリッジ・オブ・スパイ」 (2016年)、 「キャプテン・フィリップス」 (2013年)

 怒り

映画画像 あらすじ:東京は八王子で夫婦が惨殺され、現場の壁には「怒」の血文字が残されていた。警察は容疑者として浮かんだ派遣会社のパート:山神一也を全国に指名手配し必死になってその行方を追っていたが、1年がたってもまだ彼の足取りは掴めず整形手術をして顔を変えている可能性もあった。そんな頃、千葉のある漁港の組合で働く槙洋平(渡辺謙)は、家出して風俗で働いていた一人娘:愛子(宮崎あおい)をどうにか連れ戻したが、いつの間にか愛子はあまり身元がはっきりしないアルバイトの田代哲也(松山ケンイチ)を好きになっていた。東京では、ゲイの趣味を持つサラリーマンの藤田優馬(妻夫木聡)は、新宿で過去のことを隠している無職の大西直人(綾野剛)を知り、同棲を始める。直人は死期が近い優馬の母ともすぐに打ち解けたが、今までの生活は依然として明らかにしなかった。一方、沖縄の離島では、いつも男性関係で問題を起こす母と夜逃げのような形で引っ越してきた高校生の小宮山泉(広瀬すず)は、近くの無人島にいるバックパッカーの田中信吾(森山未來)と知り合う。田中は明るさはあるが、名を偽っているようで何かを隠している。身元が怪しい田代哲也、大西直人そして田中信吾。新しく似顔絵付きで指名手配された八王子の事件のニュースが3人を次の動きへ。。。


怒りのレベルが弱すぎる!

 監督と脚本は、「フラガール」や「悪人」の李 相日(り そうじつ)。原作は、「悪人」の吉田修一。
音楽は、坂本龍一。

 話の構成としては、千葉、東京そして沖縄と3人の身元がはっきりしない男と彼らを取り巻く人たちの状況が交差して描かれている。
沖縄の離島に整形手術をして隠れていた話は、千葉の市川で英国人女性:リンゼイ・アン・ホーカーさんを殺害して逃げた市橋達也の事件を思い出させる。
また、借金取りから逃げ、各地を転々とする男の話も、以前どこかで観たような気がする。
ゲイの仲間で公表するとか、しないとかは、余り興味のない世界だ。
場所の異なる3人が入り混じる話ではあるが、展開としてよく整理されていて、観ていても今は誰の話か混乱することもない編集は上手い。

 何かから逃げている3人の男の内の誰かが、八王子の殺人事件の犯人であることは容易に推察されるが、最後まで真の殺人者は誰かを明らかにせず、ミステリー仕立ての緊迫感を持たせて惹きつける技法も大したものだ。
映画の中で使われる八王子殺人事件の指名手配の顔写真は、松山ケンイチでもあり、どこか綾野剛でもあり、また、見ようによっては森山未來でもあるのは、作成者の苦労の跡が分かる出来栄えだ。

 沖縄の海がきれいに撮影されているだけでなく、室内での影や、レイプされた広瀬すずの腕や足の傷など、細かさにおいても手を抜かない演出もいい。
異常さを演じさせると森山未來は確かにうまい。

 だけど、私の評価は低い。
それは、1つには、ゲイである妻夫木と綾野の二人の行為と裸をここまで見せる必要がないということだ。
ゲイがやっている行為は分かっているし、行為の後寝ている男二人の全裸を巨大なスクリーンで見せられては、気分が滅入るだけだ。

 2つ目は、どうして今、旬で、明るさとオーラを持った広瀬すずに米兵にレイプされるシーンをさせるのかという疑問のある演技指導だ。
確かに、広瀬すずはレイプされた少女の悲しさと怒りを演じてはいるが、このような役に出してはいけない。
今にして思えば、事務所や監督の「芸の肥やしになる」とか「将来大女優になるための試金石」などの甘言に乗せられてのこの出演だろうが、この役は、今の広瀬すずなら固く断るべきものだった。
折角、「海街 diary」で得た大女優への雰囲気とイメージを失う大きな失敗作だ。
今の、広瀬すずにやらせてはいけない役だった。

 また、監督:李 相日は、俳優たちによく「大声で泣き叫ぶ」ということをやらせているが、これは安易で下手な発想だ。
観客の感情に訴えるには、眼や耳ではなく、もう一つ先の脳の奥深くに入り込む演出が必要であると考えて欲しい。
大声で泣き叫んでもそれは、騒音で終わる。

 そして、最大のミスは、3人を取り巻く人たちの「怒り」度が低くて、どうしてこの程度の内容で、ハサミで殺したり、恋人を警察に通報したことを後悔したり、ゲイがばれるのを恐れて関係する品物を処分したりするのかが描ききれていないことだ。
愛する人を信じきれなかった自分を責めているなら、それは、「自責の念」であって、「怒り」までは達していない。
自分を許せないなら、沖縄の「愛する女性を守れずレイプしていない男を殺す」というケースは、明らかに他の千葉と東京のケースとは、違っている。

 3人の関係のない男たちを出した意図として、共通した「怒り」度が描かれていないのは終わり方としては、実に消化が悪かった。

 李相日監督と妻夫木聡の; 「悪人」 (2010年)
 広瀬すずの; 「ちはやふる」 (2016年)、 「海街 diary」 (2015年)
 綾野剛の; 「64(ロクヨン)」 (2016年)
 渡辺謙の; 「ゴジラ」 (2014年)

 ニュースの真相

映画画像 あらすじ:2004年のアメリカ。再選を目指すジョージ・W・ブッシュ大統領が選挙戦を闘っていた。そんな時、CBSテレビのニュース番組のプロデューサー:メアリー・メイプス(ケイト・ブランシェット)のもとに、ブッシュには軍歴の詐称があるという情報が流れてきた。証拠の書類を持っている人物に会い、また当時の軍の関係者にも裏付けをとったメアリーは、ブッシュの軍歴詐称は真実であると確信し、ダン・ラザー(ロバート・レッドフォード)がアンカーマンをしている、CBSテレビの報道番組「60分」でこのスクープを流した。ブッシュの軍歴詐称は大きな反響をよんだが、証拠となっている文章は、当時のタイプライターで作成されたものではなく、新しいパソコン・ソフトによってプリントされているという指摘がブログであり、調べて行くと証拠の書類は偽造の可能性が強くなった。窮地に立たされたメアリーに対する調査委員会の判断は。。。


女:しわの増えたロバート・レッドフォードの表情だけが残ったわね!

男:これまた、真実に基づいたというブッシュ大統領の軍歴詐称事件で、当時報道に携わっていたテレビ局のプロデューサーだったメアリー・メイプスの「Truth 真実」を、ジェームズ・ヴァンダービルトが脚本を書き、監督もしている。 
女:ジャーナリストとして真実を追求する姿勢を描いているのは、今年では、「スポットライト 世紀のスクープ」があったわね。
男:「スポットライト」では、主人公は新聞記者だったけど、テレビの報道担当者も、独自に真実を追及する使命感を持っている姿を描いている。
女:でも取り上げ方が下手なのね。
  これでは、事件として小さな「軍歴詐称」を大げさにしたという感じでしかないのよ。

男:アメリカという国での大統領に求められている身の潔白さが観ていても伝わってこないってことだね。
女:軍人であったブッシュがもしかしたら死ぬかもしれないという危険なヴェトナムへの派遣を嫌って、コネを使って、なんとかヴェトナム行きを逃れたという点が中心でしょう。
  それを、証拠書類が偽造かどうかをメインにして欲しくないわ。

男:ブッシュを追及するその主張は、映画の最後の方でメアリーに言わせているけど、これでは単なる言い訳のようで、この流れは、脚本のミスだな。
女:また、もう一つの映画の主張として、時の体制に対して独自の主張を持つべき存在であるべきCBSテレビが政府寄りの会社:バイアコムになり、報道の自由がなくなる危機感も言わせているけど、ここのシーンでのセリフが早口すぎて分かり難いのも、下手な演出ね。
男:大手メディア会社のバイアコムや、報道の精神を疎かにしている現在のテレビ局を批判するなら、もっと、もっと居直った姿勢での演出と脚本がないと、観ていても共感できない。
女:映画として作っても、このような大手メディア批判をしている内容で最初から配給されないという恐れをもつなら、もう作らない方が良かったのよ。
  良い内容に仕上がっているなら、クチコミやネットで評判となって、あちらこちらの映画館で上映される機会もあるでしょうけど、このマスコミ批判が中途半端な出来では、駄目ね。

男:ジャーナリスト精神として「質問だけはしろ」とか言っているけど、情報の裏のとり方が本人に面会することもなく、ただ電話で確認したでは、思い込みが強くて失敗した例に終わったね。
女:まだまだ、男性中心のテレビ界で、家庭もないがしろにして必死に働くメアリーの姿は素晴らしいけど、詰めが甘かったのは、残念ね。
男:それにしても、テレビ・キャスター役のロバート・レッドフォードが歳をとって、やつれた顔でスクリーンに映された時には、驚いた。
女:意識的にメイクアップで老けさせたかと思っていたけど、彼ももう80歳になったのね。
  いつまでも「華麗なるギャツビー」を演じていた頃の輝ける男性ではないっていうことね。

男:それは、「華麗なるギャツビー」のロバート・レッドフォードを知っているきみにも同じことが言えるんだけど。
女:何をいっているの。
  私はまだまだ、顔にしわも無いし、首筋も変に痩せていませんよっ!

男;そう、思っているのは、きみだけで・・・
女:何か言った!
男:いや、なにも・・・

ジャーナリスト精神を描いた; 「スポットライト 世紀のスクープ」 (2016年)
ケイト・ブランシェットの ; 「ミケランジェロ・プロジェクト」 (2015年)、 「エリザベス:ゴールデンエイジ」 (2008年)
ロバート・レッドフォードの; 「大いなる陰謀」 (2008年)

月号画像

 後妻業の女

映画画像 あらすじ:中高年者を対象にした結婚相談所を営む柏木亨(豊川悦司)とその会員を装う武内小夜子(大竹しのぶ)は金儲けのために裏で連絡を取り合う仲だった。二人は結婚相談所に来た高齢者で財産があり、病気もちの男性を選んで小夜子と結婚させ、2、3年後には、相手を事故や病死に見せかけて殺し彼の遺産を相続して稼いでいた。今度、小夜子の9番目の相手となった中瀬耕造(津川雅彦)も病死として殺し、耕造が作成した公正遺言書を耕造の娘たちに見せたが、次女の朋美(尾野真千子)は、財産を奪われることに納得できなかった。そこで、朋美は、友人の弁護士の紹介で探偵:本多(永瀬正敏)を雇って小夜子と柏木の身辺の調査をさせると、そこには、驚くべき事実が隠されており。。。


観終わっても、後味の悪い、実にスッキリしない映画だ!

 原作は、黒川博行の「後妻業」を、鶴橋康夫が脚本を書き、監督もしている。
高齢の男性を狙った妻の遺産相続を扱っていて、この映画に似たような結婚事件は現実に、どこかで起きていたような気がする。

 映画でも取り上げられているように、最近の高齢者は、小金(いや大金?)を貯めているようで、この映画の内容が大いに気になるようで、映画館の観客としては、ほとんどが高齢者だった。

 予告編を見た限りでは、これは結婚詐欺を扱ったものとして大いに笑える内容だと思って足を運んだがまったく笑えない出来だ。

 映画の出だしは、婚活パーティーでツイストを踊ったり、カラオケを楽しんだり、番号の分からない金庫を開けたりと気楽に見ていたが、小夜子が結婚をした男性が亡くなるのは、実は、殺人であったとなるとこれはもう笑えない。

 度重なる殺人となると、いくら金に眼がくらんでいる探偵や次女であっても、金を貰ってお終いにはできない。

 映画の主題を金に踊らされる人たちを笑いとして描くのか、また金の為なら殺人も闇にほっておくのか、どちらかに徹すればそれなりの出来になったかと思うが、これでは、笑いでも、クールでもなく、また父親を殺されたにも関わらず、残された娘に父親が結婚できて僅かな時間であっても、幸せに生きたと言わせるとは、善人と悪人の扱い方が中途半端であって面白くない。

 映画のテーマとして、悪を徹底的に賛美するのか、また悪は悪として糾弾するのか、まだまだ未消化のままで終わっている。

 また、人物の描き方が不十分だ。
例えば、結婚相談所の豊川。
彼の役は、後の方で、元はヤクザ関係者だったとのくだりがあるが、前半の彼にはそんな雰囲気がでていない演出は下手すぎる。
元ヤクザで、度重なる殺人も犯してきているなら、探偵が相談所に押しかけてきても、こんなにビビらないのが普通だろう。

 おかしな配役は、大竹しのぶの息子(風間俊介)だ。
とってつけたとは、正しく彼の設定で、急に大竹の息子として登場し、母親や世間に反抗心旺盛でいながら、豊川の探偵殺しの命令は素直に聞くし、先の読める母親殺しで、大竹をトランクに詰めるでは、観ている方としては、笑えず、本当に時間が無駄だった。

 通天閣いや、東京スカイツリーの「さおし」の笑福亭鶴瓶とのだまし合い、居酒屋での大竹と尾野とのつっかみあいの喧嘩のシーンなど、コミックを意識した部分が多くあるなら、この映画のテーマとしては、殺人を無くして、結婚詐欺的な脚本で押し通せばこんな中途半端な出来に終わらなかった。

 大竹しのぶが力演しているだけに残念だ。

 それにしても、豊川悦司の顔のシミが大いに気になった。

 大竹しのぶの; 「海街diary」 (2015年)
 豊川悦司の; 「必死剣 鳥刺し」 (2010年)
 永瀬正敏の; 「64 ロクヨン」 (2016年)

 王家の紋章   ミュージカル(帝国劇場)

映画画像 あらすじ:アメリカの富豪の娘で美しい金髪を持つキャロル・リード(新妻聖子)は考古学が大好き。一家が発掘をしているエジプトで、ある王家の未盗掘の墓が見つかりその中にある余り大きくない棺に触れると気を失った。気が付いたキャロルは、3,000年前の古代エジプトにいた。発見された棺は、若くして亡くなったメンフィス王(浦井健治)のもので、棺を守っていた姉のアイシス(濱田みぐみ)の呪いにより、古代エジプトに呼び寄せられたのだ。白い肌と金髪のキャロルは、不審者としてたびたび殺されそうになるが、古代エジプトの歴史を知っていたので、メンフィス王を暗殺から救い、ついに「予言者」として宮廷で生活し、メンフィスとも愛し合うようになった。しかし、エジプトの統一を目指す姉のアイシスは、二人の仲を引き裂こうと必死だった。また、隣国:ヒッタイトのイズミル(平方元基)もキャロルに魅かれてエジプトに攻め入ろうとしていた。キャロルとメンフィスの運命は。。。


確かに、日本の演劇界を支えているのは、女性だけど!

 原作は、細川智栄子あんど芙~みん で少女漫画に連載とのこと。
それを、 2008年に宝塚歌劇団を退職した荻田浩一 (おぎた こういち)が脚本、作詞、演出をした。
作曲と編曲は、同じくミュージカルとして日本でも有名な「エリザーベート」や「モーツアルト!」を作曲したあの、シルヴェスター・リーヴァイだ。

 キャロルとイズミルは、ダブル・キャストで、キャロルは今回観た新妻聖子の他に宮澤佐江、イズミルも今回観た平方元基の他に宮野真守の版もある。

 出来は、まさしく少女漫画の内容だ。
現代からタイム・トラベルして、ルックスのいい古代のエジプト王と最初は嫌われているが、徐々に愛し合う金髪で白い肌をした富豪の娘の設定とは、ありふれているが、日本の女性には夢を与えるのだろう。
多分、オリジナルの漫画では、この主人公:キャロルの瞳は大きくて碧くてキラキラと輝いているのだろう。

 しかし、この台本では 大人の男性の私は時空を超えた壮大な物語と呼ぶには大いに不満だ。
タイム・トラベルはいいとしても、キャロルが持っている歴史や近代の知識が幼すぎる。
上辺だけの、エジプトと争うヒッタイトの関係。
牢獄で泥水を真水に変える方法とか、この程度なら、いくら古代のエジプト人たちでも、既に得ていると思える内容だ。

 また、キャロルとメンフィスの愛の作られ方に、演出を盛り上げる方法としてヒッタイトのイズミルが絡むが、これでは、キャロルは一度イズミルの方になびいていて、最後に持ってきたキャロルとメンフィスとの愛のクライマックスに違和感が生じている。

 それにしても、姉のアイシスと弟のメンフィスとの近親婚の話は、現代の女性には理解度を超えている設定ではないかな。

 また、メンフィスに焼き殺されたヒッタイトのミタムン(愛加あゆ)が亡霊としてたびたび出てくるが、これはかなりカットできる。

 シルヴェスター・リーヴァイ作曲の音楽だけど、デュエット曲も多く、ロックやポップもありで、まあ無難な出来だ。

 セットとしては、坂道や宮殿内での中空間をイメージさせたい部分は、効果が出ていない。
衣装としては、古代エジプトの壁画からとってきたのはいい。
宮廷での女性たちがいつも示している壁画と同じ手の位置のポーズは、気に入った。

 踊りも古代エジプトの雰囲気は出ている。

 若手に交じって、久し振りに山口祐一郎の歌声を聞いたけど、高音は場を引き締めていて、さすがだった。

 まだまだ、発展が必要なミュージカル「王家の紋章」だが、もう最初から女性たちに人気があり、2016年8月の全公演は完売で、2017年4月に、早々に再演が決定している。
日本の演劇界を支えているのは、女性だけど、興業としては、今の台本の内容からさらに進んで、感動を与えるように努力をして欲しい。

 新妻聖子の舞台;「GOLD カミーユとロダン」 (2011年)、 「プライド」 (2010年)

 トランボ   ~ハリウッドに最も嫌われた男~

映画画像 あらすじ:時は、第二次世界大戦が終わった1950年代のアメリカは映画の都:ハリウッド。米ソの冷戦が厳しくなる中、共産主義者を取り締まるマッカーシー旋風が吹き荒れ、ハリウッドでも「赤狩り」が行われ、有名な脚本家のダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)達、共産主義者にも追及の手が伸びてきた。どうして信条の自由が保障されているのに共産主義者だけが追及されるのか疑問を抱いたトランボはアメリカ議会で証言を拒み投獄される。釈放されたものの、映画のコラムニスト:ヘッダ・ホッパー(ヘレン・ミレン)を先頭とする「赤狩り」勢力は、トランボ達、10人をブラック・リストに載せて映画界からの追放をはかっていた。そこで、収入を絶たれたトランボは、友人の名前を借りて、オードリー・ヘプバーンが主演する「ローマの休日」の脚本を書くと、「ローマの休日」は、1953年のアカデミー最優秀原案賞を受賞した。知らせを聞いてトランボはひっそりと妻:クレオ(ダイアン・レイン)や子供たちと受賞を祝い、その後も、なんとか、家族を養うために、いろいろな偽名を使ってB級の作品でも構わず脚本を提供した。そんな折、また、ロバート・リッチ名で書いた「黒い牡牛」が1956年のアカデミー最優秀原案賞を受賞した。ハリウッドではトランボの才能が徐々に、その名誉を回復していき、ついに、「スパルタカス」で。。。


苦労したことは分かるが、感動からは遠い。それだけの内容に終わっている!

 監督はジェイ・ローチ。
この映画は、戦後、当時有名であった脚本家のダルトン・トランボが共産党員追放運動、通称「赤狩り」に追われて、「ローマの休日」の脚本を友人名で発表したとか、偽名で「黒い牡牛」を書いたとかの事実を交えた、自伝映画だ。
今から思えば、思想、表現の自由が許されていたアメリカにおいて、どうして共産主義者であるというだけで、思想を追及されたり、職を奪われたりするのか理解に苦しむが、アメリカという国では国家主義者が大声で叫ぶと、時々、他の国からみると、理性を失っておかしな全体主義に走ることがある。
今の、次期大統領候補者トランプ氏の過激な発言が人気があるのも、またこの傾向を示しているが。

 戦後のこの「赤狩り」によって、独裁者ヒトラーを批判した映画を作っている、あのチャップリンもアメリカへの再入国ができずに、スイスで暮らしていたのも有名である。

 この映画のチラシによると、「赤狩り」でトランボは収入がないという厳しい生活環境においても、不屈の精神でこれに立ち向かったってことになっているが、この展開では、時間が無ければ風呂場ででも、とにかく書くことが好きな男が、良い脚本を一杯書きましたとさってことに終わっている。
収入が無くては、食べてはいけず、そこで、父親は必死に家族の為に働くのは特筆するような事柄でなく、当然であり、この部分を強調されても、共感はもたされない。
ハリウッド製作では、どうしても家庭を出さなければならず、そこで、よくある仕事一途でワンマンな父親が急に母親に諭されて、子供たちの成長も見守る優しい良き父親に変わるとか、まったく平凡な作りである。

 苦境に陥った同じ共産党員間の横のつながりも描いているが、思想闘争としては、あまり強い印象を与えることもない。
大体、トランボは強力な共産主義者ではなかったようだけど。

 金がないといっても、そこそこの金は稼げるでは、貧乏生活も描かれていない。

 エンド・タイトルででているような、多くの写真からヒントを得て、自伝の上辺だけをなぞっているだけだ。
トランボの精神的な苦労の内面がでていない。
オードリー・ヘプバーンの「ローマの休日」は確かに世界的にみてもよくできた作品だったが、アカデミー賞を得たもう一つの「黒い牡牛」が、世界ではまったく評判にならなかったように、この映画「トランボ」もハリウッドという内部だけで受ける映画だった。

 この映画ではジョン・ウェインやカーク・ダグラス、また監督:オットー・プレミンジャーのそっくりさんも出てきます。 
ジョン・ウェインのそっくりさんは、顔は似ていませんが、態度からそれと分かります。
カーク・ダグラスのそっくりさんは、その上半身の筋肉とルックスから、すぐにカーク・ダグラスと分かります。

 トランボを追及するヘレン・ミレンは、存在感があります。

 ブライアン・クランストンが出ていた; アメリカ版 「ゴジラ」 (2014年)
 ダイアン・レインの; 「最後の初恋」 (2008年)
 ヘレン・ミレンの; 「ヒッチコック」 (2013年)

追記:トランボで調べていたら、1971年に彼が1939年に発表した自分の原作を脚本・監督している「ジョニーは戦場に行った」という反戦映画があることが分かった。
この映画は、砲弾で腕や足、顎を損傷した兵士が、意識を持って生きていてるが、それを伝えることができなかった。しかし、献身的な優しい看護婦のおかげで意識を伝える術を得るが、軍医たちは闇に葬るという内容で、日本でも公開された当時、私は観たことを思い出した。
 当時の私の感想としては、気持ちが悪いだけの記憶しかなかったが、先日、機会があってまた観たら、この「ジョニーは戦場に行った」は、反戦映画として優れている内容だった。
戦争の悲惨さや、軍指導部の思いあがった意識を痛烈に非難している。
 トランボがハリウッドで「赤狩り」にあったのは、共産主義者追放を口実にした戦争が好きな人たちの別の思惑があったようだ。

 マイ・フェア・レディ  -東京芸術劇場 プレイハウス-

映画画像 あらすじ:ロンドンの下町で育ち粗野な言葉で通行人に安い花を売っているイライザ(真飛 聖、まとぶ せい)の夢は上流階級の奥様を相手にした花屋を持つことだった。街で見かけた言語学者のヒギンズ(寺脇康文)が、上品な言葉使いを教えているとのことで、ヒギンズ邸に行くと、ヒギンズはイライザの教育には乗り気ではなかった。しかし、居合わせたピッカリング大佐(田山涼成)と半年でイライザの言葉を下品な下町言葉から上品な言葉使いに改めさせ上流階級に貴婦人:フェア・レディとしてデビューさせる賭けをする。言語教育では自信のあるヒギンズだったがイライザの長年浸み込んだ粗野な言葉使いを改めさせるのは大変なことであったが、連日夜遅くまで発音や躾の教育が続いた。数ケ月が過ぎ、試しに上流階級が集まるアスコット競馬場に連れて行くと、競馬に興奮したイライザは、元の下町言葉を使ってしまい、再び猛特訓が始まった。それから6週間後、ある国の大使主催の舞踏会にデビューしたイライザは、完璧なレディになっていた。これで、賭けに勝ったヒギンズはイライザと別れることになるが。。。


笑いが多くなり、日本版のミュージカル「マイ・フェア・レディ」の誕生だ!

 今更、説明するまでもない「マイ・フェア・レディ」だけど、一応初めて私のこの「香川の映画・演劇評論」のサイトに来た人用に説明します。

 ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の元になっているのは、ジョージ・バーナード・ショーの「ピグマリオン」があり、これを1956年に、作詞・脚本:アラン・ジェイ・ラーナー、作曲:フレデリック・ロウ、主演:ジュリー・アンドリュース(サウンド・オブ・ミュージックでも有名です)でブロードウェイで舞台化して大評判となり、1963年には、日本でも、イライザ役に江利チエミ、ヒギンズ役に高島忠夫で初上演され、こちらも好評で、その後は、イライザは、雪村いづみ、栗原小巻など、そして、大地真央は20年近くイライザを演じていた。
大地真央の後、2013年から演出も翻訳も新しくして、 G2 がイライザに霧矢大夢(きりやひろむ)と真飛聖をダブルキャストとして上演している。

 映画版の製作は、1964年で、オードリー・ヘプバーン がイライザで、ヒギンズは、レックス・ハリソンが演じ、これも評判はいい。

 私も、以前の大地真央版や、2013年に新しくG2が演出した版を、日生劇場で霧矢大夢が演じるイライザ役で観ている。
今回は、3年の間を置いて真飛聖が演じるイライザを観たわけだ。ヒギンズの寺脇康文やピッカリングの田山涼成、イライザの父親役の松尾貴史は、2013年と同じ。
ヒギンズの母親役の高橋恵子は、今回から参加だ。

 1960年代の初演から続いてきた「マイ・フェア・レディ」の英語をただ日本語に置き換えただけの、直訳的な台本から変わって、2013年からG2が新しく演出と翻訳、訳詞をしたことにより、元になっている音楽のメロディは変わっていないが、日本版の「マイ・フェア・レディ」はその初演から50年を経て大きく進化した。
具体的には、舞台上で歌われる「スペインの雨 The Rain In Spain」のように、英語の表現では、RAIN、SPAIN、PLAINのように韻を踏むことによって、発音の違いと面白さがあるが、これを日本語に訳したら、「スペインでは雨は主に広野に降る」と、まったく意味をなさなかったのが、G2の努力で今までの翻訳から大きく変わり、「ひなげし」と「しなげし」に置き換えて、江戸弁ではあるが、やっと日本人が「ひ」と「し」の方言の違いとして意味の分かる内容になっている。

 また、「踊り明かしたい、 I Could Have Dance All Night」を「じっとしていられない」にしたように、他の歌詞も変わっている。

 基本的に、イライザのセリフを江戸弁のベランメー口調にしたことにより、日本人の私たちにとって彼女の産まれや生活感が身近になった点は、G2が優れた才能を持っていることを示している。

 舞台上でのセットは、ヒギンズ邸では室内の後方に大きく2階へ続く螺旋階段があったり、アスコット競馬場にしても、ヒギンズの母親の室内にしても、以前と大きな変化は見られない。
また、衣装も、いつもポスターに現れている、アスコット競馬場での大きな帽子に大胆なリボンをあしらった優雅な白いドレスや、舞踏会で纏う宝石とイヴニングドレスは、この「マイ・フェア・レディ」では売り物で、これは変えるわけにはいかないし、またこれを変えたら、「マイ・フェア・レディ」でないことは、G2も分かっている。

 出だしから、真飛聖のきびきびした動きが特徴的である。
ハスッパだけど、身持ちは固い娘の感じが上手く出ている。

 それにしても驚いたのは、ヒギンズの寺脇とピッカリングの田山との掛け合いの場面だ。
二人の息が合っているというか、もうどこかに互いのアドリブも交えているようで、実に笑える。
また、二人の古い踊り方も笑いを誘う。

 イライザの父親役の松尾貴史も2013年では、歌い方や動きにどこかおぼつかない箇所もあったが、今回の舞台では、見事に溶け込んでいる。

 高橋恵子の舞台は初めて観たが、さすがにその美しさは、際立っている。品のある上流階級のお母さま役も難なくこなせている。

 女心に疎いヒギンズを演じている寺脇康文ももうこの役に適役で、彼にとっても「ヒギンズ」は誇れる役だ。

 2013年に観た霧矢大夢でも感じたが、真飛聖にもまだ「貴婦人」としてのオーラが無いが、これは、徐々に身について行くことだろう。

 演出のG2は、2013年版からさらに磨き上げた日本版の「マイ・フェア・レディ」を創り上げている。
笑いも多くて、堪能した舞台だった。

2013年の; 「マイ・フェア・レディ」
大地真央の: 「マイ・フェア・レディ」 (2009年)

池袋にある東京芸術劇場 プレイハウス は初めて行ったが、席も観やすく配置されていていい。

 シン・ゴジラ

映画画像 あらすじ:ある日、東京湾で巨大な水蒸気が上がり、アクアラインでも被害が出る。政府では急遽、原因を探った。最初は小規模な海底火山の水蒸気爆発と見ていたが、内閣官房副長官:矢口蘭堂(やぐち らんどう。長谷川博己)が考える巨大生物が原因だった。その巨大生物は多摩川河口から都内に上陸し、住宅など多くの建造物を破壊する。政府では、品川付近の住民を避難させて自衛隊に攻撃させる作戦を考えたが、全住民の避難ができず攻撃を中止した。すると、その巨大生物は、被災地を微量の放射能で汚染してまた東京湾へ戻り行方不明となった。政府では被害の甚大さと今後の対応から矢口を中心に対策本部を設置し、調査をすると巨大生物は海底に放置された放射性廃棄物を体内に取り込んで成長する人類よりも進んだ生物で、アメリカ政府では、以前からその存在に気付いており、米国大統領特使としてカヨコ・アン・パタースン(石原さとみ)も対策本部に加わった。カヨコの話では、数年前からこの巨大生物は、生物学者:牧悟郎が調べていて、彼は「呉爾羅(ゴジラ)」と名付けていたとのことだった。調査が進む中、ゴジラは、今度は相模湾から鎌倉に上陸した。そのゴジラは以前より巨大化し、体長は120m近くもあり、破壊を続けながら、東京に向かっていた。政府は、多摩川を挟んで攻撃用ヘリコプターや戦車を配置しゴジラを撃退しようとするが、ゴジラの皮膚は固く攻撃は多大の損害をだして失敗した。また、ゴジラの出す火炎性の放射線により、東京の街が破壊され、首相をはじめとする政府の高官たちもその犠牲となった。新しくゴジラ対策の中心となった内閣総理大臣補佐官の赤坂秀樹(竹野内豊)は矢口の考える血液凝固剤を使用して何とかゴジラを退治したいが、国連の安全保障理事会は、災害が世界に拡がることを懸念し、ゴジラ退治に核ミサイルを使う決議をした。核が使用されては、東京の復興はない。迫る時間の中、ゴジラは。。。


女:会議のシーンばかりで、肝心のゴジラの破壊シーンが少ないわね!

男:東宝が誇る世界的に有名になった「ゴジラ」シリーズで、これが29作目だそうだ。
  総監督は、アニメの「新世紀エヴァンゲリオン」を作っている庵野秀明(あんの ひであき)だ。彼が、脚本を書き、編集もした。
  監督と特技監督は、樋口真嗣(ひぐち しんじ)で、ゴジラは着ぐるみではなくフルにCG化されている。
女:登場人物が実に多いわね。
  防衛大臣役の余貴美子、首相役の大杉漣、平泉成、他にも國村準、古田新太、柄本明、高良健吾など、300人近い俳優が出ているけど、もうエンド・ロールでは、役や有名度には関係なく、みんなまとめて「アイウエオ順」で流れるだけよ。

男:ゴジラが最初現れた時は、子供をイメージしたようで、赤ん坊ぽく可愛く見えてこれは、笑った。
女:でも、2回目に現れたゴジラは、脱皮みたいなことをしてかなり昔、白黒映画で見たゴジラの牙がありゴツゴツした皮膚感になっているのね。
男:ゴジラの肌が血のように赤く光っているという解釈は迫力を増している。
女:ゴジラの登場する原因を放射能に絡めているのは、昔の設定を引き継いだってことよね。
男:ゴジラの歩き方は、狂言師の野村萬斎のしぐさが基本になっているとのことだよ。
女:だけど、この描き方では、政府の会議のシーンばかりが目立っていて、ゴジラの凶暴な破壊力が弱すぎない?
男:そうだね。
  現実に災害やこのような攻撃的な生物がでてきたら、政府としては、内閣だけでなく、関係する防衛省や環境庁また東京都など地方自治体とも緊密な連携をしなければならないのは分かるけど、それを毎回、多くの登場人物に早口のセリフを言わせる手法の繰り返しでは飽きたね。
女:この映画「ゴジラ」が興業収入であてにしているのは、日本だけでなく海外もでしょう。
  それなら、日本の災害対策での政府のまどろこしい会議での決定方法や字幕に付いている役職名は、なお不要よ。

男:確かに、現実に不慮の災害が発生してその対応策を検討するなら、この映画のような会議、会議の連続だろうが、主役はゴジラなんだから、もっとゴジラに出番を与えるべきだったね。
女:でも、そのゴジラにいまひとつ怖さがないわよ。
  CGや航空写真で品川や東京駅近辺の街並みのリアル感はあるんだけど、ゴジラの大きさも伝わってこないし、戦闘機やビルディングを破壊しても、ただ壊れましたって感じしかないのね。
  ゴジラが踏みつぶし、またその大きな尻尾を振って、いろんな物を壊すという気持ちの良さ、そう、爽快感が無いわね。

男:話の展開にアメリカも絡めているのは、今の日本では、原子力発電所の爆発にみるように、独自には災害の対応ができないってことをいいたいのかな。
女:アメリカでの公開を予定するなら、ここは、石原さとみでなくて、アメリカの女優を抜擢した方がよかったんじゃないの。
男:いいや、ここは、石原さとみを世界にデビューさせるためにもこれでいいんじゃないか。
女:あなたは、石原さとみの唇は、あまり気に入っていなかったでしょう?
男:えっ、そんなことはないよ。
  大型画面で観るとそれなりに、そそられ・・・
女:あなたはいつもそんな気持ちで、女優を観ているのね!
男:いやっ、そ、そんなことは。。。

まだ、死んでいないゴジラということは、東宝はこの興業での反応を見て、続編を作るつもりだな。

 前の; 「ゴジラ」 (2014年)
長谷川博己が出ている; 「地獄でなぜ悪い」 (2013年)
竹野内豊が出ている; 「太平洋の奇跡」 (2011年)

月号画像

 帰ってきたヒトラー  ~ドイツ映画~

映画画像 あらすじ:時は2014年のドイツ。大手テレビ局と契約していたレポーターのファビアン・ザヴァツキ(ファビアン・ブッシュ)は、不況で解雇される。暇つぶしに、彼が以前に撮った映像を見ていると軍服を着た実にヒトラーによく似た男が写っているのに気付く。そのヒトラーに似た男(オリヴァー・マスッチ)に会うと彼は容貌だけでなく、言動までもヒトラーそのものだった。妙に説得力のある彼の話方に興味を抱いたファビアンは、ヒトラーになりきっている彼を伴ってドイツ各地を巡り、彼を市民や政党の人たちと対談させ、その様子をYouTubeに流すと、ネット上で大評判となった。そして、彼が出演したテレビの生放送は、完成度の高い物まね芸人の出現として視聴率をあげ、ヒトラー芸人が語る貧困の解消、移民問題やゲルマン(ドイツ)民族の優位性等の発言は、徐々に国民大衆の共感を呼び、支持を得るようになっていった。実は物まね芸人と思われていた彼は、70年前の世界から現在にタイムスリップして来た、本物のヒトラーだったのだ。ヒトラーは、再びドイツを牛耳るのか。。。


歴史から学ばない愚かな私たちを見事に皮肉っている!

 原作は、ドイツで2012年に発表されたティムール・ヴェルメシュの小説があり、これをデヴィッド・ヴェンドが脚本、監督している。
ヨーロッパにおける第2次世界大戦での最大の首謀者であり、多くのユダヤ人を虐殺したドイツ帝国の総統:ヒトラーについてこのような、やや崇拝や肯定的な内容の小説はドイツでも問題となったようで、映画化にあたってもタブーに切り込む映画としてかなり苦労したようだ。

 基本的な背景として、ヒトラーは、最初は独裁者ではなく、ドイツの国民大衆が彼の政治思想を支持し、選挙で彼を独裁者にするまで存在させたという強い反省がある。

 どうして、ヒトラーがその権力を増大することができたのか。
現在のドイツを取り巻く環境は、ヒトラー:ナチスが勢力を伸ばしてきた1930年代と重なるものがある。

 貧困や少子化、増大する移民に対して、言葉だけで具体的な解決策を示さない政治家への不満。
また、毎日退屈な料理番組やくだらないお笑い番組しか放送しないテレビ局などに飽きている人々の気持ちの中には、世の中を変えてくれる強力な指導者の登場を望む心理が潜む。

 このような多くの大衆が閉塞感を抱いている状況で、またヒトラーのような言動をする人物が現れたら、簡単に人々は彼を支持する。
この映画では、現実にヒトラー芸人をドイツの各地に連れていって、ヒトラーのように過激な思想を話させ、その結果、ヒトラーと交流した人達には、彼を支持する市民が多いことを映している。

 中でも、ドイツのネオナチ組織では、彼らのやり方の生ぬるさがヒトラー芸人に指摘されて、党員が困惑しているシーンは見ものだった。

 その国の経済が行き詰まり、国民に不満が出ると必ず、統治者は国民の眼をそらすために、悪いのは、他の国のせいであるとか、他の民族が原因とか、他の宗教が間違っているとかの理由をつけて、国民をだまそうとする。
これは、自分の地位を守るために時の統治者がとる典型的な行動だけど、その結果、戦争を招き、気が付けば国民は実に悲惨な犠牲を払うことになる。
過激な言葉に扇動させられてはいけないことは歴史が教えている。

 しかし、現実には、アメリカで次期大統領候補になっているトランプ氏のメキシコとの国境に壁をつくるという移民排斥や、国家という概念を無くして地域が一体化した経済圏を目指すTPP加盟の反対、また、EUから離脱したイギリスなどをみると、まだまだ、政治家は民衆を扇動するために、この国家という概念を自己の出世のために利用していて、民衆も乗せられている。

 国家意識、民族意識、宗教が原因で起きた過去の悲惨な戦争から学んだ私たちが、地球規模で生きるために戦争を回避してきた努力が、また無に戻ろうとしている。

 ヒトラー崇拝を薄くする配慮で、犬を殺すなどのつまらない場面を入れているのは物足りないが、ヒトラーの後継者を出さないために、私たちも、国境の無い世界、民族差別の無い地球を実現していかなければならないとしみじみ感じた映画だった。

 それにしても、ドイツのテレビ界もどのチャンネルを回しても料理番組や低俗なお笑い番組ばかりで、日本のテレビ界と同様に視聴者から飽きられているとは、この傾向では、世界は先に1つになっているようだ。

 TOO YOUNG TO DIE!  若くして死ぬ

映画画像 あらすじ:17歳のまだキスもしたことのない高校生;大助(神木隆之介)は同級生のひろ美(森川葵)が好きだけど告白できずにいた。修学旅行を機になんとか気持ちを伝えようと、バスの中でも席を変わってもらい、ひろ美の隣に移ったが、そのバスが大助のせいで崖下に転落し、気が付くとそこは凄惨な地獄の入口だった。釜茹や舌を抜かれるなどの残酷な刑が待っていたが、地獄の専属ロック・バンド:地獄図(ヘルズ)のリーダーの赤鬼:キラーK(長瀬智也)によると、新人はすぐに地獄に送られるわけではなく、閻魔大王(古田新太)の審査で、また人間界にインコやイルカ、犬などの畜生として戻されたり、ロック・コンテストに勝てば、天国にさえ行くことができるとのことだ。そこで、キラーKにバンドに参加することを勧められるが、不器用な大助には、到底コンテストに勝つ自信はなかった。時々、現世に畜生として帰されて、初恋の相手:ひろ美は事故でも生きていることが分かる。また、キラーKの悲しい過去も分かる。果たして、大助は、天国に行けるのか。。。


宮藤官九郎の持てる知恵を絞っているが、面白いシーンが少ない!

 監督と脚本は、TVの「あまちゃん」や、映画では「謝罪の王様」、「中学生円山」なども手掛けている、宮藤官九郎だ。
宮藤官九郎の笑いの作品は私の中でも評価が高く、現実のバス転落事故が起きて劇場公開が伸び、予告編の変な地獄はあまり納得していなかったが、観に行く。

 全体を貫くのは、ロックのリズムであり、まるでロック・ミュージカルのように、様々な曲が流れる。
音楽が好きなな私としては、強力なヴォリューム感があるこのテイストは特に嫌いではない。

 仏教観を中心とした地獄は、焦熱、極寒、阿鼻、叫喚地獄などを基本にし、輪廻転生も取り入れていておなじみの赤鬼、青鬼や緑鬼も出る。私も知らなかった牛頭(ゴズ)や馬頭(メズ)も出ている。 

 話としては、まだ女性とキッスの経験もしていない男子高校生が、バス事故で地獄に落とされ、地獄にはきていないような初恋の相手を探すために、時間差のある地獄と現世とを、畜生として数回行き来し、天国にも行ってみたら、天国は地獄よりも退屈な場所だったという落ちだ。
このメインの話に、キラーK(長瀬智也)の悲しい恋と、ロック・コンテストが絡められている。

 話の展開が早く、大助がインコやイルカ、犬、カマキリなどになって現世に戻る話は面白い。
ここでも、基本的に「オス」になっているのが、宮藤官九郎の特徴だろう。

 ロック・バンドということで、ギターリストで、Charやローリー寺西、マーティ・フリードマンまた、野村義男や中村獅童も出ているが、みんなメーキャップが凄くて、見慣れた人でないと、誰がだれか見過ごす。

 この中で、じゅんこちゃんを演じている皆川猿時(みながわ さるとき)のはじけ方は、良い演じ方だ。

 しかし、時々挿入される長瀬と彼の恋人(尾野真千子)の交際のシーンは、地獄という虚構の世界とは別の”素”に戻りすぎで、そのたびに現実に戻され、流れとして気持ちが中断される。

 地獄は、古来からの「地獄草紙」などの見本があり、それを元に鬼や閻魔大王を描いている。
そこで、最後の場面となる想像上の天国をどのように描くは、宮藤官九郎のオリジナルとして最高の知恵の絞りどころだったが、近代のテクノロジーを網羅した様々な希望を叶えるボタンがある「ゆりかご」に寝ているでは、かなり残念な想定だった。

 ここは、おどろ、おどろした伝説的な日本の仏教での地獄図を使っているなら、お釈迦様が登場する、微笑みに満ちた世界観での描き方もあったと思える。

 ナンセンスかつグロテスクならば、究極の「地獄のコード」の他にも、もっと、もっと笑える場面が欲しかった。

 宮藤官九郎の; 「謝罪の王様」 (2013年)、 「中学生円山」 (2013年) 

 ブルックリン

映画画像 あらすじ:時は1950年代。アイルランドの特に産業もない田舎町の食料品店で働いている内気なエイリシュ(シアーシャ・ローナン)には病気がちの母と地元の会社で経理事務をしている姉:ローズ(フィオナ・グラスコット)がいた。頭の良いエイリシュの将来を案じた姉の強い勧めもあり、エイリシュは、母や姉と別れる辛さを抱きながらアメリカへ移民することを決心した。アメリカでは、同郷出身の神父の紹介で、ニューヨークの移民が多く住んでいるブルックリン地区の女子寮に入ることができ、昼は百貨店の売り子として働き、夜は簿記を勉強していたが、慣れない異国の生活は、ホームシックを募らせる。その孤独で寂しいエイリシュにもダンス・パーティで知り合ったイタリア系のボーイ・フレンド:トニー(エモリー・コーエン)ができ、海水浴デートなど大都会の生活を楽しむ余裕も出てきた。そんな折、故郷から母の面倒を看ていた姉の急死が伝えられ、結婚を焦るトニーとの結婚届を出して、エイリシュはアイルランドに戻った。久し振りに訪れた故郷は懐かしく、姉の葬儀の後始末や友人の結婚式への出席、また同居を望む母の気持ちなどで、ニューヨークへ帰る日がいつのまにか伸び伸びとなり、結婚したことを隠しているうちに、幼なじみの町の有力者の息子のジム(ドーナル・グリーソン)との仲が進む。しかし、その生活はいつまでも。。。


女:田舎から大都会に出てきて生活をしている人には、共感を覚える映画ね!

男:監督は、ジョン・クローリーで、脚本は、「17歳の肖像」のニック・ホーンビィだね。
女:舞台は、アイルランドの片田舎とアメリカのニューヨークになっているけど、日本でも、田舎から東京のような大都会に引っ越して生活をしてる人なら、この映画の感情は分かるわよ。
男:時代の背景が1950年代ということで、映画全体が、戦後の日本が持っていたのと同じ雰囲気を出していて、懐かしさが一杯だ。
女:私も田舎から出てきた時には、この映画でのスパゲッティではないけど、ピザの食べ方が分からず、戸惑った経験をありありと思い出したわ。
男:本当に、田舎では仕事もなく、若者が活躍できる場がないから、将来を考えたら、どうしても都会に移ることになる。
女:変化のない田舎の生活と毎日がお祭りのような大都会の生活が基本としてあるわね。
  比較する対象となる生活の違いを知らないとそれなりに、田舎の生活もおくれるけど、この映画のエイリシュのように一度大都会の生活を覚えた人間は、もう田舎には戻れないということね。

男:確かに、幼い頃から過ごしてきた田舎は、懐かしさはあるよ。
  でも、隣近所の人間関係が密だから煩わしさも感じる。

女:この「ブルックリン」では、その田舎と都会の人間関係を「二重結婚」という愛情問題に上手く置き換えて描いたわね。
男:主人公を演じたシアーシャ・ローナンは、「グランド・プダペスト・ホテル」でも目立っていたけど、内気でホームシックになっている状況から、ボーイ・フレンドができて喜びで溢れる表情の変化の出し方もきれいに演じた。
女:その美しさを支えているのが、衣装の色ね。
  アイルランドを象徴するのが、コートやセーターの緑色でこれが、彼女の演技を際立たせていたわ。

男:アイルランドとニューヨークの最大の対比は海水浴でのシーンだね。
女:多くの人が集まっているコニー・アイランドの海岸と、まったく人がいないアイルランドの海辺。
  そして、水着の着替えの扱い方は、この映画でもっとも印象に残るわ。

男:ブルックリンの教会で今はホームレスになっている男がアイルランドの古い言葉で歌う場面でのシアーシャ・ローナンが故郷を想い涙するシーンは、言葉は分からなくても、見ている側に十分にその切なさの意味がくみ取れた。
女:いつもマイペースで食卓を取り仕切る寮母や、トニーの歳の離れたおしゃまな弟の設定もよかったわよ。
男:冒頭での意地の悪い女店主が、最後にまた重要な役を演じるという布石は、脚本としてできがいい。
女:あなたとしては、きれいなシアーシャ・ローナンの水着姿も見られて、これだけでも満足なんでしょね。
男:水着姿といっても、あんな古いワンピースの水着では、別になんてことないよ。
   それに、映画は女優の露出度で評価が決まるものではありませんから。
女:あら、いつもは、女優の色っぽさで決めているのに、今日は、かなりまともな話で纏めるのね。
男:良い映画と評価されるには、主演女優だけでなく、脇役の活躍も必要だからね。
女:でも、女優さんの肌の露出度もでしょう?
男:それは、ヤッパリ・・・

シアーシャ・ローナンが出ている; 「グランド・ブダペスト・ホテル」 (2014年)、 「つぐない」 (2008年)
ニック・ホーンビィ脚本の; 「17歳の肖像」 (2010年)

月号画像

 マネーモンスター

映画画像 あらすじ:アメリカで高視聴率を挙げている財テク番組の生放送中に司会者:リー・ゲイツ(ジョージ・クルーニー)が、アイビス社株の下落で大損をしたカイル・バドウェル(ジャック・オコンネル)に拳銃を突き付けられ番組は乗っ取られる。ショー的な気分で適当に番組を製作しているリーやデレクターのパティ・フェン(ジュリア・ロバーツ)にしてみれば、数日前に買っておけば、ぼろ儲けすると放送をしたことさえ忘れていた。しかし、カイルが怒るように確かにアイビス社の株価下落は異常であった。乗っ取り犯に爆弾付きのジャケットを着せられた司会者のリーを救うため、デレクターのパティはアイビス社のCEO:ウオルト(ドミノク・ウエスト)の行方を探すが彼の行き先がつかめない。緊迫したスタジオには、警察から狙撃手も忍び込む。そして、。。。


テレビ局の都合のいいように、世の中はできているのだ!

 監督は、女優業もやっているジョディ・フォスターで、彼女の監督作品としては、4作目になるようだけど、今までの作品は、”一つも”観ていない。

 観ていて最初に感じるのは、実に脚本の出来が粗いことだ。
まず株式などの投資においては、損得は自己責任であるという前提があるのに、大損をしたので、その責任をたかがテレビの司会者に取らせようとするような発想が、なっていない。

 このように自己責任を他人に転嫁するような愚かな人物なら、日常の生活においても、株式投資をするために小まめにお金を貯めないだろうし、また、大幅に譲って考えると、日々の行動も、このような描き方でなく、もっと異常な男でないと納得できない。

 そして、ジュリア・ロバーツが演じるデレクターの機転が利きすぎる点も不自然さを、増幅させる。
アイビス社に起きている不正の実態が、徐々に彼女の手によって明らかにされていくのだけど、韓国人プログラマーによるコンピューターの計算式(アルゴリズム)での取引の方法や、ハッカーとの連絡まで上手く、テレビの限られた実況時間内に追及できるとは、もう、この手腕は、天才としか言えない。

 アイビス社のCEOが、アメリカとは遥か離れた南アフリカで行っていたストの責任者と交渉している映像まで瞬時に入手して、流せるとは、アメリカのテレビ局はすごい情報網を持っていると、驚嘆する。

 ジョージ・クルーニーに着せている爆弾が偽物であると分かった途端に、アメリカ的な終わり方としては、もう犯人の最後も予想ができるし、テレビ局から外に出るのも、映画としての時間稼ぎの手法と読めている。
これなら、テレビ局内でのポイント計算などだらだらとした場面は、大幅にカットできる。

 何を言いたいのかまったく観ていても分からない、時間が無駄に流れるだけの映画だった。


 でも、確かに、アイビス社の広報担当役をやっているモデル出身のカトリーナ・バルフは美人です。

 ジョージ・クルーニーが出ていた; 「ミケランジェロ・プロジェクト」 (2015年)
 ジュリア・ロバーツが出ていた; 「食べて、祈って、恋をして」 (2010年)


 神様メール  (フランス・ベルギー・ルクセンブルグ作品)

映画画像 あらすじ:地球上に生物や街をつくり、ずーっと人間や世界を支配してきた我儘で意地の悪い酒好きの神(ブノワ・ポールヴールド)は、今はベルギーのブリュッセルのとあるアパートに、女神ではあるが夫に逆らえない野球好きの妻(ヨランド・モロー)と余り超能力を持っていない10歳になる娘:エア(ピリ・グロワーヌ)の三人で暮らしていた。エアにはJC(Jesus Christ = イエス・キリスト)という兄がいたが、JCは、以前に家を出て人間界に入り救世主と崇められていたようだ。エアの父親である神は、パソコンを使って、ジャムのついたパンが地面に落ちるときは、必ずジャムの付いている方から落ちるとか、風呂に入った途端に電話がかかってくるとかいたずらの法則を定めたり、気まぐれに災害や事故を起こして楽しんでいた。時々暴力をふるう父親に怒りと反発を抱いたエアは、ついに、父親のパソコンから、携帯電話で全人類にその人の余命を一斉送信して、家出をした。エアは余命を知った人類で混沌とした人間界で、6人の使徒(弟子)を集めることにした。しかし、エアを許さない神が後を追ってくる。。。


キリスト教を知れば、もっと楽しい、いや、怒るかも!?

 監督と脚本は、ベルギーに住んでいる、ジャコ・ヴァン・ドルマルだけど、私はこの人の作品「トト・ザ・ヒーロー」や「八日目」などは観ていない。

 原題は、フランス語なら「LE TOUT NOUVEAU TESTAMENT」で英語なら「THE BRAND NEW TESTAMENT」で日本語訳なら「新しい、新約聖書」ってことになる。

 この原題から分かるように、キリスト教の「旧約聖書」と並んで聖典であるキリストの生涯を記した「新約聖書」を、6人の使徒を加えて書き足そうとするものだ。

 キリスト教徒でない私は、神様をこのようにダメな汚い中年のオヤジに描いても、あちらこちらのシーンで、ずいぶんと笑えるが、真摯なキリスト教徒が観れば、神を冒涜するものだ。「上映禁止にしろ」とも言い出しかねない内容だ。

 話の展開は、携帯を持たないので余命を知らずにいるのん気なホームレスの助けを借りながら、エアが接触をする余命を知った6人の人間の物語となる。 

 余命を知った人間たちは残りの時間をどう生きるか?
当然、自分のしたいことをするってことで、それは、性に対して真剣に向かうことであり、余命が5年となった金持ちの有閑マダム(懐かしい響きです)は、動物園にいたゴリラを恋人(?)にしてベッドを共にするし、まだ幼い少年でも余命が54日なら両親も許し、女装して暮らすことを選ぶ。

 また、女性が好きな男は、それをさらに追及する。そこで、全裸の女性が多く登場し、ここが、このキュートな女の子を主人公にしている「神様メール」という内容ながら映画が「PG12指定(12歳未満は保護者同伴が望ましい)」となっている理由らしい。

 まだ子供であるエアは、神の子であっても特別な奇跡を起こせるほどの能力を持っていないが、各人が固有に持っている音楽が分かるというこのあたりの謙虚な設定が案外気に入った。
使徒たちの流す涙をエアが集めるのは、結局何故だか回答がなくて、不満だけど。

 下界に降りてきた神が列に並ばずボコボコに殴られたり、身元不明で強制労働を課せられてウズベキスタンに送られるなど、神が自分で作ったルールによって罰せられるのは、実に面白く笑える。(ウズベキスタンの人は嫌だろうが。)

 何をやっても余命のある男が、高いところからたびたび飛び降りるのも上手い入れ方だ。

 死に場所として海の傍を選ぶのも、海辺で育った私も納得する。

 ジャコ・ヴァン・ドルマル監督が言いたいのは、どうして神は男性でなければいけないのかってことのようだ。
家庭の中でも暴力をふるい、妻や子供を押し付け、紛争も好きな男性が、その延長線として「神」にまでどうしてなっているのか、大いに疑問があるということだろう。
男性では崇められる存在では、ないということだ。

 この世界を支配するのが、女神だったら、パソコンの操作で晴れた空には、花が咲き誇るようにもできるのだ。

 ゴリラを愛する役が「シェルブールの雨傘」などで活躍したカトリーヌ・ドヌーブで相変わらず綺麗だけど、ゴリラとベッドを共にするのは話として行き過ぎですが、全体として、過去に12人いる使徒をあと6人増やして18名として野球をやらせたいなど「新約聖書」を皮肉りパロディ版として面白い作品でした。

 エンド・ロールが刺繍で構成されているけど、これって本物?

 

 64 (ロクヨン)  ー後編ー 

映画画像 あらすじ:昭和64年(1989年)の正月、群馬県で雨宮芳男(永瀬正敏)の7歳の娘が誘拐された。県警は総力をあげて犯人を追跡したが、身代金の2,000万円は奪われ少女は殺され犯人には逃げられたままだった。その未解決の少女誘拐殺人事件は昭和64年にちなんで警察内では「ロクヨン」と呼ばれていた。そして、平成14年(2002年)の今、目崎正人(尾形直人)の娘が誘拐される。犯人の要求などから今回の誘拐は、昭和64年の未解決事件を知っている者の犯行と推察できた。昭和64年には事件を捜査していた三上義信(佐藤浩市)は、警察の広報担当として、事件の被害者名を隠そうとする警察上層部と公表を迫る記者クラブとの間で信頼関係を築くために腐心していた。今回の誘拐犯の指示に従う被害者の父親である目崎がとった行動は昭和64年の誘拐犯でなければ知らないものであったが、物的証拠は掴めなかった。そこで三上が考えたのが。。。


スリリングな展開ではあるが、詰め方が今一つ甘い!

 前編は、5月に公開され、この「映画・演劇評論」でも取り上げているので、原作:横山秀夫や監督:瀬々敬久などは参考にして欲しい。
その、「64 ロクヨン」の後編だ。上映時間は、119分と約2時間。なお、前編もまだ公開中だ。

 前編ではあまり活躍していなかったが、誘拐犯人の声の録音ができなかった元警官の吉岡秀隆と被害者の父親役の永瀬正敏とまた尾形直人が後編では大きく活躍している。

 佐藤浩市が本当に力演しているのはよくわかる映画に仕上がっている。
しかし、前編でも指摘したが、県警内部の抗争や、今回新しく扱われている新聞記者間での東京から応援で来た記者と地元記者との差別感などは、この演出ならまったく不要で意味がないのに挿入されている感が強い。
それ以上に、かなりの時間をさいている警察の記者会見に至っては、こんなに何度も繰り返し取り上げるまでのことはなく、もっと短く纏めるべきだった。

 誘拐された娘を取り戻そうとして必死になって車を走らせる目崎と後を追う警察の場面は、よくできている。
緊迫した状況が観ていても十分に伝わってきた。

 だけど、この監督:瀬々敬久が考えているクライマックス・シーンはどこか、ずれているようだ。
前編での記者を前にした佐藤浩市の信じてほしいというだらだらとした内容がなく長いだけの演説しかり、後編では、ロクヨンの犯人と思われる尾形直人を追っていきながら、佐藤浩市が話続ける河原の場面だ。
この河原で話す内容と背景のシーンが観ていても、すごく不自然に感じられる。
ロケ場所として、またこの内容が適切とは言い難い。

 さらに、河原のシーンで言えば、尾形直人の娘が近くにいるのだけど、この子はその後チャンと警察が保護したというシーンも入れておかないと、あの子はどうなったのだろうかと不安感が残る。

 そして、結末での話の展開が実に粗い。
例えば、携帯電話で指示しているのは吉岡秀隆とばれているのに、どうして警察は彼をすぐに逮捕しなかったのか。
その前に、携帯電話の発信場所が特定できていながら、吉岡秀隆を探さないのは、どういうことだ。

 自己保身を図っていた警務部の上司:滝藤賢一はどうなったのか、佐藤浩市の同僚の仲村トオルのこの映画での位置はなんだったのか、佐藤浩市の行方不明になっている娘は、何を考えて入れたのか。
これらを始めとして多くの布石が未消化のままだ。

 後編を観て思うのは、作品を前編・後編と単に長くしたいために、訳ありと思わせる登場人物を多く配しすぎていて、そのフォローができていないことだ。
この出来なら、記者クラブと警察広報との対立や、警察内部の対立、行方不明の佐藤浩市の娘のくだりなどは省略して、犯人追跡だけに再編集した、2時間程度の1本の映画にした方がよい。

 犯人探しの話としては面白いだけに、かなり残念な結末だった。

前作; 「64(ロクヨン) 前編」 (2016年)

 

 天使にラブ・ソングを  ~シスター・アクト~  (帝国劇場) 

映画画像 あらすじ:場所は、アメリカのフィラデルフィア。黒人のクラブ歌手:デロリス(蘭寿とむ)は、暴力団のボス:カーティス(石川禅)が密告者を射殺する現場を見たために身の危険を感じ、警察署に駈込む。そこにいた学生時代の友人だったエディ警部(石井一孝)の計らいで、裁判の日まで目立たない女子修道院に身を隠すことになった。修道院の質素で色気のない生活はデロリスにとって退屈過ぎるものだったが、物凄く下手な聖歌隊を指導することで時間つぶしができた。だが、保守的な修道院長(鳳蘭)は、デロリスによって修道院の規律が乱れることを恐れていて、早くデロリスが修道院から出ていくことを願っていた。しかし、寄付金も少ない修道院は売却の話もあったが、デロリスが指揮する聖歌隊が評判となり、礼拝者も寄付も増えて維持ができるようになった。そして、法王が訪れることになり、テレビのニュースでも取り上げられるが、これを見たデロリスを探しているカーティス達が、修道院にデロリスを殺しにやってくる。今や仲間となったデロリスを守る修道院女たちが。。。


女:元になった映画から離れた、楽しくて、懐かしさのあるミュージカルになったわね!

男:原案は、1992年にこの舞台版もプロデュースしている、ウーピー・ゴールドバーグが主演したコメディ映画「天使にラブ・ソングを ~シスター・アクト~」がある。
女:舞台版も2006年に作られて、ロンドンやブロードウエイでも好評だったのね。
男:そこで、日本でも2014年に帝国劇場で、山田和也の演出、デロリス役には、森公美子と瀬奈じゅんのダブル・キャストで上演され、森公美子は評判が良かった。
女:前回の「天使にラブ・ソングを」は、瀬奈じゅんが出ている方を観たわね。
男:今回も森公美子版ではないのが、少しばかり残念だけど、元宝塚の蘭寿とむものびのびと演じていて気持ちがいい。
女:修道院長の鳳蘭や内気なシスター役を演じている宮澤エマなどは、前回と同じね。
男:2014年の帝国劇場での上演では、映画版の余韻が強く残っていたけど、2年たった今では、昔のミュージカルでの音楽や振り付けを楽しめる構成になっている。
女:背景となっているのが、ジョン・トラボルタが大活躍した1980年代のディスコでは、もうあなたの印象では懐かしさの方が勝ってしまったのね。
男:私も、ディスコで映画「サタディー・ナイト・フィーバー」で、白いパンタロンとスーツをきて、右手を突き上げる決めポーズは、よく真似をしてたよ。
女:足が短いあなたでは、まったく、決まらないポーズだったでしょうね。
男:それは、おいといて。
  主役の蘭寿とむだけど、黒人でハスッパな感じはよく出ていた。
女:話の展開としては、単純でドタバタ喜劇を目指しているわけだけど、楽しい、肩の凝らない仕上がりね。
男:再演となると、出演者も自分の「間」が掴めているから、観ている方も安心していられる。
女:全体をまとめているのは、院長役の鳳蘭ね。
  彼女の存在は大きいわよ。

男:ミュージカル女優を目指している宮澤エマにとっても、このような舞台環境は、よい影響をもらえているようだね。
  彼女も落ち着いて観られるよ。
女:音楽の歌詞も分かりやすさを感じたわ。
男:このような演出だと、もう楽しければその目的は達しているってことだね。
  私も、この昔のディスコ気分に乗ってまた、踊りにいくか。
女:2,3曲で膝にきて、明日が大変よ。
男:何かいった?
女:いいえ、何も言ってませんっ。

前回の; 「天使にラブ・ソングを」 (2014年)

月号画像

 アイ アム ア ヒーロー 

映画画像 あらすじ:若い頃は、賞もとり有望な漫画家として期待されていた鈴木英雄(大泉洋)だったが、その後の作品はまったくダメで、35歳の今では、クレー射撃を趣味とし、有名な漫画家のアシスタントとして冴えない日々を送り、同棲している彼女からは追い出しを受ける始末だった。そんな時、突然、謎のウイルス菌が産まれ、そのウイルスに侵された者は、凶暴になり正常な人間を咬み、咬まれた人間はまた次の人間を咬んで感染は瞬く間に日本中に拡大していった。感染者は、頭を破壊されない限り死ぬことのない、ゾンビと化していた。英雄の近辺でも、同居していた彼女だけでなく、職場の漫画家や同僚も感染していたが、高い場所ならゾンビも襲ってこないという情報を得て、英雄は富士山を目指して逃げる。途中、ゾンビ菌に侵された赤ん坊に咬まれて、半ゾンビになっている女子高生:早狩比呂美(有村架純)と道連れとなり、比呂美に好感を抱いた英雄は比呂美の為にはヒーローとなる決心をするが、二人がたどり着いた富士山麓にあるアウトレットモールでは、正常な人間とゾンビとの壮絶な闘いが待っていた。アウトレットモールに避難している元看護師の藪(長澤まさみ)は、半ゾンビの比呂美に対して同情的だったが、リーダー:伊浦(吉沢悠)たちは、比呂美を排除したがっていた。そして、食料が尽きてきて。。。


意味不明は、漫画なら許せるが、このグロテスクの極みの映像は、暇つぶしでも勧めない!

 もう、独自の映画用脚本を書けないと諦め安易な発想をとる日本の映画界ではだいぶ前から定番になっている、花沢健吾による同名の漫画を野木亜紀子が脚本し、佐藤信介が監督をして、映画にした。

 そこまで期待のできない漫画から映画にした内容と分かっていながら、どうしてわざわざ映画館にまで足を運ぶのかというと、女優陣には、私の好みの長澤まさみと有村架純が出ていて、コメディ俳優としてはバットしないけどまあ、大泉洋が出ているなら、これは笑いもあるのかという淡い、淡い希望を抱いていたからだ。

 どうしてゾンビ菌がはびこったの?
元々が漫画に、そんなことを厳しく追及するほどの、野暮さはありません。

 どうして、高いところならゾンビに襲われないと分かったのですか?
漫画ですから、理屈を言ってはいけません。

 ゾンビとの闘いのアウトレットモールで流される音楽やライトのつき方の意味が不自然で分からないのですが?
佐藤信介監督の個人的な趣味ですから、どうしてそこまで分かろうとするのでしょうか。

 歯が抜けた同居の彼女に咬まれた英雄とか、腕時計を一杯巻いていて、ゾンビに咬まれても大丈夫なんて、もう最高に笑えますね。
また、半ゾンビ化した有村架純が食べる缶詰に好き嫌いがあるのも、笑いのツボですよ。

 重症の架純ちゃんは、ただ眠っているだけで演技をしていないよ。
いいのです。その分、長澤まさみがおんぶして苦労していますから、二人で一人分の活躍をしていますよ。

 ゾンビ退治にロッカーから度々出て闘う妄想をする英雄は、可愛いですね。
ここが、英雄の本当の姿でしょうね。

 ゾンビの頭を鉈で叩き割るなんて尋常でない役を長澤まさみがよく引き受けたものですね。
女優として成長するために必要なんだと、監督か事務所に言いくるめられたのです。
まだまだ、長澤まさみには、役を選べるほどの力はありませんから。

 ヒーロー(英雄)の描き方として、人間の恰好をした多くのゾンビの頭をこれでもかとぶっ飛ばし、血をここまで大量に流すセンスには、ついていけない。
最近の漫画雑誌では、簡単に人を殺す、こんな残酷なシーンが通常に描かれているのなら、規制とか統制が嫌いな私でも、読者に対する悪影響を考えると漫画の表現の規制を問題にしたくなる内容だった。

 それなりの主張があった; 「寄生獣」 (2015年
 大泉洋の; 「駆込み女と駆出し男 」 2015年
 長澤まさみの; 「海街diary 」 (2015年)
 有村架純の; 「 ビリギャル」 (2015年)

 不死身のゾンビという存在は、マイケル・ジャクソンの「スリラー」以来、もう立派に市民権(?)を得たようです。

 64 (ロクヨン)  -前編- 

映画画像 あらすじ:昭和64年(1989年)1月5日、天皇の体調が思わしくない頃、群馬県で漬物製造を営む雨宮(永瀬正敏)家の7歳の娘が、何者かに誘拐され、犯人は2000万円の身代金を奪い逃亡し、その後少女は死体となって発見された。群馬県警は総力を挙げて犯人捜しをしたが、結局犯人は見つからず、時は流れ、今は名ばかりの専従捜査となっていた。当時の捜査本部では、昭和天皇が1月7日に崩御され元号が「平成」に変わったことをうけこの少女誘拐殺人事件を「64 ロクヨン」と呼んでいた。そして、その事件に時効が迫る平成14年、当時は、担当の刑事として犯人を追っていた三上義信(佐藤浩市)だったが、今は刑事としては左遷ともいえる県警の警務部広報室に配属され、新聞記者やマスコミ関係で組織される「記者クラブ」との窓口になっていた。ロクヨンの時効をまじかに控え、警察のトップである警察庁長官が群馬に視察に来ることとなり、三上は、長官と遺族の雨宮との面談の交渉を命じられたが、事件を解決できない警察に対して雨宮の態度は冷たかった。また、記者クラブでは、東洋新聞の秋川(瑛太)を中心に、交通事故を起こした加害者の女性の氏名を公表しない警察に対して不信感を抱き、長官がきても取材をしない方向に向かっていた。そんな三上に事件当時雨宮家にかかってきた犯人からの電話が現場にいた録音担当者のミスから録音されていなかった事実が今まで警察内でも隠されていたことが明らかになる。警察内部で対立する現場担当の刑事部と事務担当の警務部。何とか記者クラブと信頼関係を築きたい三上。そこに、ロクヨンによく似た事件が。。。


眠くはならないが、無駄に長い!

 原作は、「半落ち」や「クライマーズ・ハイ」などの横山秀夫の同名の本があり、これを、久松真一と瀬々敬久(ぜぜ たかひさ)が脚本し、瀬々敬久が監督した。
前編は5月7日に上映され、後編は、6月11日から上映予定の、まず前編だ。

 原作は何度も書き直しをした長編のようで、映画化にあたっても、最初から前後に分けて製作したとのこと。前編の上映時間の長さは、121分。後編の上映時間は、まだ不明。

 まず、観た印象としては、登場する俳優が多くて、贅沢だということ。
あらすじでは、主演で広報官役の佐藤浩市や新聞記者の瑛太と誘拐された少女の父親の永瀬正敏しか名をあげていないが、刑事の部長は奥田瑛二、刑事部と対立している警務部長には滝藤賢一と個性的な俳優を配し、若手としては、佐藤浩市と同じ広報室に、綾野剛と榮倉奈々。また、佐藤浩市の妻に夏川結衣、録音ミスから警察を辞めた吉岡秀隆などもでている。

 前編では、昭和天皇が崩御されたために、わずか7日間で終わった昭和64年という時代背景と、少女誘拐殺人事件の概要、そして、14年後の事件の担当者たちの動向が描かれる。
佐藤浩市の家では、醜い顔を悲観して整形手術をしたいと言い出した1人娘がなんとなく家出をしているようで(ここが、はっきりしないのだけど)、警察内部では、刑事部と警務部の対立。また、録音ミスをして、犯人の声を公開できなかった事実を隠蔽し自責の念に堪えられなくなった担当者たちが、引きこもりになったり、再就職で苦労している状況もでる。
しかし、私たち警察組織を知らない部外者の観客にとって、刑事部と警務部の区別も分からず、現場のたたきあげと上級の国家試験をパスして県警にやってきている腰掛幹部の対決もよくあることで興味がない。
また、いい歳をした大人が、14年間も引きこもれるという恵まれた家庭の設定にも共感が生まれない。

 監督:瀬々敬久や、原作者で元々新聞記者をやっていた横山秀夫が、前編で最大の見せ場としているのは、警察広報と地元記者クラブの対立のようだが、これが盛り上がらない。

 大体、警察広報と記者クラブの対立の原因が、交通事故を起こした女性が地元有力者でもある公安委員の娘であったので、警察側が実名を公表しなかったこととなっているが、これって、匿名にするほどのことではないと思えるのが残念だ。
交通事故なら目撃者もいるだろうし、記者も現場に行って取材をすれば、事実は分かるだろうに。
新聞記者であった横山秀夫が、記者の時代に現場に行かないで、机に座ったままで、いつも警察から流されるままの内容で充分な確認をせず、第2次世界大戦での 「大本営発表」と同じ記事を書いていたことを、今は後悔しているなら、話は別だけど。

 その記者クラブの存在だが、一応警察と激しく対立していても、佐藤浩市の交通事故の被害者の長い身の上話にほろりとしてしまい、結局これまたよくある「善い人たち」の描き方では、ひねりがない。

 一般人にない取材活動を許される特典を持っている「記者クラブ」に求められるのは、常に公権力に対する批判の精神であって、熱弁とは別の世界だということが、出ていない。
そんな仲良しクラブになっている「記者クラブ」なら、解体しろと、上杉隆氏 に言われるわけだけど。

 家族関係や警察内部の抗争を省いて、次の誘拐事件の進展に短く繋げ、前編・後編を一本にしてもいいのかな、と後編が公開される前に思える映画の出来だった。

 新聞記者を描いた; 「スポットライト」 (2016年)
 横山秀夫原作の; 「クライマーズ・ハイ」 (2008年)
             「半落ち」 (2004年)

 瀬々敬久監督の; 「感染列島」 (2009年)

 ちはやふる  【下の句】 

映画画像 あらすじ:幼い頃からカルタ道場で競技カルタ取りをやってきた綾瀬千早(広瀬すず)は、東京の西の方にある瑞沢高校に入り、同じカルタ道場にいた真島太一(野村周平)と共に「競技カルタ部」をつくり、やっと団体戦にでられる5人のメンバーを集めて、強豪校を破りどうにか東京の代表となった。千早がカルタ取りに拘るのは、幼い頃から、千早、太一と一緒に競技カルタ取りを楽しんでいたが、今は福井に引っ越し、昔はカルタ取りの名人といわれた病気の祖父の面倒を看ている綿谷新(真剣佑)と全国大会で再会できることを夢見ているからだった。しかし、新の祖父が亡くなり、千早と太一が福井へ行くと新は、祖父の死と共にもうカルタ取りへの情熱が無くなっていた。がっかりした千早だったが、同じ高校生ながら最強のカルタ・クイーンと呼ばれる新の幼なじみの若宮詩暢(松岡茉優)の存在を知り、個人戦での詩暢打倒に燃える。左利きの詩暢に対抗するため瑞沢高校のカルタ取り部のメンバーとは別行動をとる千早。瑞沢高校カルタ取り部はどうなるのか。。。


女:続編は、前編をどうしても越えられないってことね!

男:いやはや、残念な出来だったね。
女:この「ちはやふる -下の句-」の前編の「上の句」は、あなたが3月に好評価をしているわね。
男:そうだね。
  原作は、末次由紀の人気漫画があり、小泉徳宏が監督し、「上の句」では、広瀬すずたちが高校に「競技カルタ取り部」をつくり、チーム・ワークでどうにか、東京代表になるまでで、今回の「下の句」は、それから全国大会にでるという展開だ。
女:広瀬すずや野村周平、真剣佑、上白石萌音、國村隼など「上の句」とまったく同じ俳優で撮影され、最初から2部構成で上映される計画ね。
男:「上の句」からの関係で出ていないのは、カルタ取りクイーン役の松岡茉優ぐらいだね。
女:どうして、こんなに平凡でつまらない仕上がりになったの。
男:主には「上の句」ではあまり出ていなかった新を強引に引っ張り出して、映像にすべきところを省いて彼にいろいろと語らせて終わらしているせいだね。
  また、話の展開も、個人も大切だけど、チーム・ワークも支えとして必要ですってところが、明確に描かれていない。
女:高校時代の青春には個人同士の付き合い、そう淡い恋愛感情もあって、また仲間との付き合いもあるわね。
  そのどちらを大切にするのか、同時に狙いすぎて、結局まとまりが悪くなったってことなのね。

男:前編がいいと、当然に私たち観る方としては、出来上がりを前作以上の期待で映画館に足を運ぶから、この程度の出来となると、評価がものすごく辛口になってしまう。
女:この仕上がりでは、大体、この監督:小泉徳宏の映画作りでの基本技術のなさと安易な脚本が感じられるのよ。
男:厳しいね。
  例えば。
女:高校での吹奏楽部とカルタ取り部の関係ね。
  急に吹奏楽部の音がしたり、応援の演奏をしたりしてくれるけど、ここは、シーンとして笑いをとるのか、それとも迷惑なのかはっきりさせないとダメね。
  また、音楽は映画として後から入れる背景的な音もあるのに、その場の実況音か分かり難いのも下手な演出法よ。

男:笑いと言えば、原宿で有名なタオルや松岡茉優がきているダサいTシャツのシーンもここは、もっと突っ込みをいれないと笑えない。
女:それに、またまた才能のない監督が映像にアクセントを与えようとしてよく使う「雨」のシーンの無意味さね。
  どうして、広瀬すずがずぶ濡れになるまでして、野村周平に抱き着く必要性があるの。
  雨のない夜でもいいわけでしょう。

男:競技であるカルタ取りで勝ち上がるには、今まで以上の技術を練習で体得して行かないといけないわけだけど、その部分の取り上げ方が弱いのも、評価を下げたね。
女:団体戦に臨んで、広瀬すずが体調不良で欠場しても、いつの間にか勝っていたでは、手抜きね。
  ここは、残りの4人がどんなテクニックを使って相手を負かしたのか、映像で説明しないといけない重要な場面よ。
  スローやCGを多用してこうやって勝ちましたと絵がないといけないわね。

男:ライバル校からもらった対戦者のデータももっと活用するシーンが欲しかった。
女:すがすがしい青春の汗は無くて、まとわりつく夏の暑さの汗だけがあったってことね。
  でも、この「ちはやふる」は、「下の句」の興業上の評判を待たずに、さらに続編を作ることが決まったようよ。
  この出来なら、あなたはもう、ご贔屓の広瀬すずが出ていても、続編は観ないでしょうね。

男:いや、今回は大した作品になっていなかったけど、健康的な広瀬すずの他に可愛い松岡茉優も出るなら、それは、それで...
女:なんだ、かんだと言いながら、結局、あなたは、若い娘が出ていれば、観てしまうのねッ。
男:えっ、そんな、そういうわけでは、ないけど...
女:はっきり、聞こえないわよっ

前作; 「ちはやふる -上の句-」 (2016年)
広瀬すずの; 「海街 diary」 (2015年)
上白石萌音の; 「舞妓はレディ 」 (2014年)
松岡茉優が出ていた; 「悪の教典」 (2012年)

月号画像

 レヴェナント  蘇えりし者

映画画像 あらすじ:まだ、アメリカが西部開拓時代と言われる1800年代前半。白人とネイティブ・アメリカンは獣の革の狩猟を巡って各地で闘っていた。しかし、ヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)は、原住民のポーニー族の女性と結婚し、二人の間には息子:ホーク(フォレスト・グッドラック)が生まれたが、ポーニー族の村は白人の軍隊に襲われて、最愛の妻は殺されてしまった。そこでグラスは、今は、残されたホークと共に毛皮ハンターを率いる部隊の道案内人として未開の土地にいた。何か月かに及ぶ狩猟で部隊は充分な毛皮を集め、冬が近くなったので基地へ戻ろとするが、途中でグラスは大熊に襲われ体中を咬まれてしまい、瀕死の状態になる。足手纏いになったグラスだったが、チーム・リーダーのアンドリュー・ヘンリー(ドーナル・グリーソン)は、これまで部隊のために貢献してくれたグラスの最後を見届けるために、息子のホークと金が目当てのジョン・フィッツジェラルド(トム・ハーディ)そして、ホークの友人で若いジム・ブリッジャー(ウィル・ポールター)を残す。元々、グラスと仲が悪いフィッツジェラルドは、なかなか死なないグラスを殺そうとし、邪魔をするホークを殺して、ブリッジャーと共にグラスを雪林に置き去りにして基地へ戻る。最愛の息子を殺されたグラスは足も不自由な体であったが、幸い寒さを防ぐ毛皮と身に着けたサヴァイヴァル術で体を回復させ、フィッツジェラルドの跡を追う。また、白人と対立するネイティブ・アメリカンの動きも絡んで。。。


美しく、過酷な冬の大自然のなかで、脅威的な生命力で不自然に生き延びていく体とは、無理がありすぎる!

 監督は、昨年(2015年)にも「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」でアカデミー作品賞や監督賞を受賞したアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥだ。
音楽担当として、日本の坂本龍一の名前があがっているが、エンド・ロールを見ると、どこまで坂本龍一が音楽として関係したかは定かではない。

 そして、この「レヴェナント 蘇えりし者」は、レオナルド・ディカプリオの寒さに耐えた演技が買われて今年(2016年)のアカデミー主演男優賞をとり、同時に監督賞と撮影賞もとっている。
上映時間は、156分となんと2時間30分を超える長さだ。

 原題の「レヴェナント REVENANT」とは、「幽霊」の意味だ。この幽霊は、白人に殺されたグラスのネイティブ・アメリカンの妻のことで、うっすらと、画面でもたびたび出てくる。

 予告編からの印象では、大きな灰色熊(グリズリー)に襲われてズタズタにされたディカプリオが、それでも最愛の息子を殺されて、復讐に燃えるってことになっているが、映画を見終わると、復讐劇というよりも、冬場の過酷な大自然の中で一人で生き延びるには何が必要なのかを描いた、実は「サヴァイヴァル」映画だったのだと分かる。

 この「生き延びる」って観点から観ると、全身傷だらけで、針で縫い合わされ、足も動けない状況でも、どうにか冷たい雪面を這いずり、高い崖の上に来れば、次のシーンでは、もうきれいな川の水を飲んでいることも許されるのだ。
あの正に息も絶え絶えの、満身創痍の体で、どうやって高い崖から川岸までたどり着いたのかの不自然さは、気にさせません。
雪の上にグラスの体のひきづった跡がはっきりと残っていても、あまり追跡に慣れていないネイティブ・アメリカンは、当然見つけることができません。

 冷たい川の激流に浸かってドンドン流されても、偶然体のどこかに必死に身に着けていた火打ち石がありますから、これを使えば、川岸で簡単に火を起こすなんてことは、もうお茶の子さいさいということです。
また、身を隠す樹木がない川べりで火を起こし、目立つ行為をしていても、追ってくるネイティブ・アメリカンは探し方が下手ですから、見つかる心配はまったくいりません。

 例え足が不自由でも、どうにかして川の中に小石で囲いを作れば、魚は何匹でも入ってきますから、どんなに動きが早い魚でも簡単に手で捕まえることができます。
また、食料として、動物の骨があればその髄も食べられますよ。

 崖から馬と共に落ちた時には、寒さを防ぐために、馬の内臓を全部外に出して、馬の体内に裸で入れば、暖かくて充分に眠れます。

 バッファローを狙うハイエナなら、近くにいても、絶対見つからず、襲われることはありません。

 傷が酷くなったら、どこからか薬草に詳しい親切なネイティブ・アメリカンが来て、吹雪の中でも懸命の看護をしてくれますから、心配はいりません。
また、そのネイティブ・アメリカンが近くで白人たちに縛り首にされても、自分は決して彼らには見つかりませんから安心してください。

 逃げているフィッツジェラルドを追跡するには、大人数はいりません。隊長と二人きりでも大丈夫です。
ですが、隊長はフィッツジェラルドに頭の皮を剥がれて殺されます。
でも、グラスには、策があるので、フィッツジェラルドなんて悪党はやっつけることができます。

 白人に恨みを持っているネイティブ・アメリカンであっても、闇の中ではっきり顔も見えない部族の娘を助けたグラスには危害を加えませんから、グラスは、今日も元気です。

 まったく、不自然さばかりが目立ち、話の流れがうまく出来ていないこの映画でアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥが言いたかったのはなんだ。
親子の愛? 神の存在? みんな中途半端で伝わってこない。
つまらない2時間半にも及ぶ長さは、寒いのは映像だけでなく、話の展開で、退屈さだけが増す無駄な時間だった。

  寒さが厳しい冬場のロケで苦労したディカプリオには、私なら、個人的な努力賞はあげても、アカデミー賞までは、あげないという、またまた、アカデミー賞は、アメリカという、片田舎の賞に過ぎないということを証明した映画でした。

アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の退屈な;「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」 (2015年)

 スポットライト 世紀のスクープ

映画画像 あらすじ:2001年。アメリカは東海岸にあるボストンの地方新聞の「ボストン・グローブ」は、大手のタイムズ社に買収されて、新しく編集局長としてユダヤ人のマーティ・バロン(リーヴ・シュレイバー)がやってきた。新聞社では早速部長会議が開かれ、ネタとして神父の児童への性的虐待事件が取り上げられ、特集記事を扱うウォルター・ロビンソン(マイケル・キートン)をリーダーとする「スポット・ライト」のチームに取材が任された。そこで、メンバーのマイク(マーク・ラファロ)、サーシャ(レイチェル・マクアダムス)そしてマット(ブラインアン・ダーシー・ジェームズ)は取材活動を始め、口の重い被害者や関係者たちから話を聞くと、そこにはカトリック教会の多くの神父が児童に対して性的な虐待を行い、秘密裏に和解をしている事実があった。カトリック教会が組織として隠蔽工作をし、裁判記録さえも公表させないように圧力をかけていたのだ。住民の半分以上がカトリック信者であるボストンで浮かび上がったスキャンダルの真相に迫るのは辛い活動であったが、新聞記者としての矜持が彼らの支えとなり、ついに特集記事が新聞に載りカトリック教会も事件を認めることになる。。。


以前はあった新聞記者の正義魂を久しぶりに見た!

 監督は、トム・マッカーシーで、事実に基づいた話を脚本に仕上げたのは、トム・マッカーシーとジョシュ・シンガーだ。
この「スポットライト」は、今年(2016年)のアカデミー作品賞と脚本賞をとった。

 あまり宗教感がない私や日本人にとって、組織としてのローマ・カトリックの存在の偉大さや、その神父の神聖さについては分かり難い部分があるが、それでもキリスト誕生から始まるカトリック教という歴史が持つ尊厳と、世界中にいるその信者の多さは知っている。
 そんな侵すことが躊躇われる巨大な存在であるカトリックの領域で、神の代わりでもある神父が抵抗のできない児童に対して性的な虐待をしていても、それがまぎれもない事実であっても新聞記事にするには、普通なら無謀と思われる背景がある。
映画の中でも先祖からカトリック教を信じて生活してきた記者が、まさか、あの優しい神父が、そんな汚らしい行為をするなんて信じたくないと思う気持ちを述べているのは、信心深ければ当然の気持ちである。
しかし、神父からの性的被害に会わなかった児童は幸せだが、性的虐待を受けた子供にとっては、その記憶は成長しても忌まわしくトラウマとして残り精神を蝕む。
それ故に、その神父の行為は、社会において適正に罰せられなければならない。

 映画の展開としては、地道に取材活動を続けて行く記者の活動が続くが、編集がうまくて、緊張感が途切れない。
ボストンという狭い地域で、今更、もう嫌な記憶に関わり合いたくないと思う被害者やその家族。
以前から神父の性的虐待を知り、細々と追及をしている団体の存在。
教会側の弁護士にしても、弁護をしているのは職業上であり、本音では納得はしていない。
取材活動を通じて、多くのことが明らかになっていく。
カトリック教会側からどこかで、暴力的な嫌がらせがいつかありそうだと思わせるやりかたが、スリルを生んでいる。

 スーツを着た神父や、複数の弁護士が登場して人物の設定には少しばかり分かり難い点があるが、巨大なタブーにひるまず果敢に挑んでいった新聞記者の根性はよく出ている。

 神父のスキャンダルを記事として新聞に載せた時の反響について、新聞記者としてどう責任をとるのかという質問に対して、真実を公表しないときの責任を誰がとるのかと逆に問いただすのは、まさにジャーナリストとしての鑑だ。

 今の新聞記者にもこの心根を強く持って欲しいものだ。
政府の発表する内容を吟味することもなく、そのまま記事にし、強大な企業の不正を追及できない今の新聞のあり方は実に嘆かわしい限りだ。

 この作品にアカデミー作品賞を与えたアメリカの評論家たちにもまだまだ気概が残っているということで安心した。

 なお、この映画の撮影をしたのは、日本人のマサノブ・タカヤナギ氏です。

 ルーム  Room

映画画像 あらすじ:暗証番号で出入りする頑丈な扉と防音設備がなされた窓のない8畳ほどの狭い一部屋に、24歳の母親:ジョイ(ブリー・ラーソン)と5歳になったばかりの息子のジャック(ジェイコブ・トレンブレイ)は暮らしていた。その部屋には、ベッドやバス・タブ、またトイレや映りの悪いテレビなどと一応料理ができる程度のものはあったが、外の状況を知るのは、ぶ厚いガラスでできた小さな天窓から射す明かりだけであった。この小さな部屋の中で生まれ育ったジャックは、今まで一歩も部屋の外にでたことがなく、外の世界をまったく知らなかったが、母親のジョイは、ジャックに言葉を教え、遊びを通じて筋力も付させていた。その部屋には、時々、食料や生活用品を持って男が訪れ、彼は母親とベッドを共にし、その間ジャックは狭い洋服ダンスに入って寝ていた。この汚い部屋にジョイが誘拐され閉じ込められたのは、7年前の彼女がまだ17歳の高校生だった時で、帰宅途中男にペットの犬のことで声をかけられ、それ以来誘拐犯にこの部屋に幽閉させられ、性の相手をし、5年前に一人でジャックを産んだのだ。ジョイも、誘拐された当初には、誘拐犯の頭を便器のふたで殴ったり、扉を開ける暗証番号の入手方法はないかなどを試み、必死に閉じ込められた部屋からの脱出を試みたが、ことごとく失敗し、今は逃亡をあきらめ、可愛い息子ジャックとの生活だけが彼女の残された希望だった。しかし、誘拐犯がリストラで収入を失い、部屋の電気が切られた時に、ジョイは、身の危険を感じ、せめてジャックだけでもこの部屋から逃がす決心をした。そこで、ジャックが風邪で死んだことにし、カーペットに包んで、誘拐犯に捨てるよう頼んだ。すっかり動揺した誘拐犯はカーペットに包まれたジャックを車に載せるが、母親から脱出方法を聞き、練習をしていたジャックは、車から逃げ出し傍の通行人に助けを求めることができた。そして、警察が動き、誘拐犯は逮捕され、ジョイとジャックは無事救出された。しかし、ジョイが幽閉させられていた7年間は、ジョイにとっても、ジョイの両親にとっても長くて辛い7年で両親は離婚しているし、マスコミは単なる好奇心だけで、二人の周りで騒いでいた。変化の激しい社会に対応できないジョイをジャックは助けられるのか。。。


様々な出来事の1つ1つが、深く、深く頭の中に浸み込んで行く!

 監督は、アイルランド出身のレニー・アブラハムソンで前作としては、コメディの「FRANK-フランク」があるようだけど、私は観ていない。
原作と脚本は、エマ・ドナヒュー。

 この映画の17歳で誘拐されて、部屋に閉じ込められていた女の子の話となると、現実の話として、日本でも、2014年3月に埼玉県朝霞市に住んでいた女子中学1年生が行方不明となり、2年後の今年(2016年)3月に監禁生活から無事逃げ出すことができた事件につながる。
 誘拐したのは、当時千葉大生の寺内樺風(かぶ)容疑者だった。寺内容疑者は、彼女を千葉大近くのアパートに監禁し、中学生の女の子に、もう誰も助けに来ないと暗示をかけ、少女に絶望感を与えていたようだ。でも、女子中学生は、絶望感の中にも、両親との再会の希望を捨てず、握りしめた電話代で自宅に電話し、どうにか脱出に成功した。

 日本で実際に起きた女子中学生誘拐・監禁事件で、彼女も当初は、誘拐犯から逃げようとしたが、逃げられないと分かりそれからは諦めの気持ちになったようだが、この映画でも、そのあたりの状況の説明もしっかりとされている。

 まだまだ未熟な若い女の子にとっても、当然部屋からの脱出方法として、誘拐犯を倒したり、扉の暗証番号を盗み取るなどの方法は試みたというのは自然である。
しかし、用意周到に女性を監禁しようとしている誘拐犯にも、その点は抜かりはなかったことも、不自然さがなく作られているのが、まず、好評価につながる。

 脱出できないことが分かって絶望感に陥った時に、新しい生命を得て、母親として、残された人生のすべてを何も知らない子供に託して生きていく決心をしたのも分かる。
絵本や映りの悪いテレビを通じて、母親としてできる最大の範囲で、「リアルの世界」とそうでない世界を子供に教えていくシーンは感動する。

 この映画の出来の良さは、幽閉されていた部屋からの脱出に成功した後も追跡している点だ。
監禁されていた7年間、ジョイは誘拐犯の性の道具となっていたと世間は見ているが、ジョイにとっては、生きていくために他の選択肢はなかったわけで、それを追及されても若いジョイは回答に困るのも当然だ。
普通の生活をおくれなかった責任は誘拐されたジョイにはないのに、マスコミは理解していない。
このあたりの描写を、脚本のエマ・ドナヒューがうまく処理している。

 ジャックの話を聞く女性警察官と事務的に処理をしようとする男性警察官の会話。
誘拐犯の子供であるジャックをどこなく受け入れられないジョイの父親。
子供の頃過ごした家を何年かして訪ねた時に感じるその狭さ。
多くの場面が印象に残る。

 女性らしい脚本の良さとしては、他にもジャックが伸ばしている髪の毛を、精神を病んだ母親ジョイの回復を祈って病院に送る展開も、うまく布石を置いている。
また、子供にとって、狭くて汚ない部屋であっても、24時間、365日、母親と常に一緒に過ごせた時間が最高に幸せの日々だったという終わりは、つい涙腺を刺激する。

 子供はあらゆることに適応できるのに、どうして大人は新しいことに挑戦しないのか、反省もさせられる、良い映画でした。
監督があまりハリウッドの色に染まっていないのも、この映画の特徴かな。

 ほぼ全編をスッピンで母親役を演じたブリー・ラーソンは、この「ルーム」で、今年(2016年)のアカデミー主演女優賞をとったけど、この映画なら、子役のジェイコブ・トレンブレイ君にも賞をあげたい。

 マリーゴールド・ホテル  幸せへの第二章

映画画像 あらすじ:インドはジャイプールに、ネットでは豪華なホテルとうたっているが、まだ改装中で小さくてボロい「マリーゴールド・ホテル」があった。そこは、どこか気が休めるのでイギリスから来て長期滞在している、過去に訳ありを抱える高齢者の五人がいた。五人とは、未亡人になったばかりでインドでの再スタートを考えているイヴリン(ジュディ・デンチ)。イヴリンとの仲が進まない頼りない観光ガイドのダグラス(ビル・ナイ)。滞在客からホテルの共同経営者になったしっかり者のミュリエル(マギー・スミス)。また、女好きなノーマン(ロナルド・ピックアップ)と現地で活躍しているマッジ(セリア・イムリー)だ。「マリーゴールド・ホテル」の経営が順調になったので、若きホテルのオーナー:ソニー(デヴ・パテル)は、別のホテルも買収する計画を立て、アメリカの投資会社に融資を依頼した。そこで投資会社は秘密の査定人を現地に送り込む。そんなタイミングで、「マリーゴールド・ホテル」に来たガイ・チェンバース(リチャード・ギア)と名乗る男をソニーは、投資会社からの査定人と信じて接待するが、ガイの本性は不明だった。多忙になったソニーは婚約者:スナイナ(テーナ・デサイー)との間に溝ができる。混沌としたインドで、果たして、みんな纏まるのか。。。


女:ゴチャ、ゴチャしたまま終わるのね!

男:前作「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」が好評だったので、二匹目のどじょうを狙った作品だね。
女:監督も「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」のジョン・マッデンで、出演者のジュディ・デンチやビル・ナイなどにしても、またホテルのオーナー:デヴ・パテルも、ほとんどの人が前と同じ顔ぶれね。
男:あまり前作と同じではいくらなんでも話としては変化のつけようがないので、新しくホテルの査定人として、リチャード・ギアを付け加えてみましたってことだ。
女:話の展開としては、一部の変更はあるけど、前作の続きとして始まっているわね。
男:前作を観ている人には、ジュディ・デンチとビル・ナイの先に進まない関係や、インド人の宗教観や結婚式の豪華さ。そして欧米とは余りにも異なっている生活環境が分かるけど、今回新しく観た人には、説明が必要ではないかな。
女:私は、前作の「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」を観ているけど、それでも、場所が本拠地のジャイプールからムンバイに飛んだり、一体だれとだれがどういう付合い方をしているのか、よくわからなかったわよ。
男:それに、新しくホテルを査定する人にリチャード・ギアを加えたり、もう一人おかしな態度を取る宿泊人の女性もいたり、ソニーの恋人とホテル争奪で現地:インド人の男性も出てきたりと実に登場人物が多いね。
女:まだ、まだ出てくるのよ。
  他にも、一応話の中心になりそうな感じで、現地のタクシーの運転手だとか、別れた妻とその娘がインドに来たりと、この登場人物の多さが問題ね。
  そんなみんなの状況が、バラバラと交互に画面に流れて出てくるから、話がつながらないのよ。

男:本当に下手な編集だ。
  画面を観ていて、これはあの人のそれから後の話とか、あの人の前の話はどうなっていたのかと、頭の中で整理が必要とは、もう監督として失格だ。
女:画面の構成としては、インド映画も意識し過ぎね。
  インド映画では必ずどこかで入っている「インドダンス」や「結婚式」も入れているけど、この映画ではメインとして入れない方がよかったわ。

男:前作の評判が良かったのは、高齢者でもまだまだこれから、恋に仕事にと張り切ってやっていけるという、ほのぼのとしたシニア万歳の描き方のせいで、それで終わるハズだった。
  もともと、続編まで作ることを考えていなくて、急遽、評判がいいなら、おまけで作ってみましょう。
  だけど、題材がもうありませんから、新規に有名俳優を加えて話題を作りました。
  また、上映時間稼ぎに、インド映画の特徴の踊りやジャイプール付近の観光地も入れてみましたってところでは、いい作品にはなれないってことだね。
女:前作を凌ぐ続編は、非常に少ないって見本ね。
男:ここは、高齢者でもまだまだ仕事ができるエネルギーを持っているってことで、80歳近くの役をしているジュディ・デンチの仕事を中心に纏めた方がよかった。
女:でも、いつまでも高齢者が会社で活躍していては、若い人は能力を発揮できずにいて困るわよ。
  適当な年齢で仕事からはリタイヤーして、あとは地元社会ででも貢献するのが、一番妥当じゃないの。
男:いいや、それだけでは、エネルギーを持て余すよ。
女:エネルギーが十分なんて、変なところで、見栄を張らないで。
  
天井の蛍光灯をLEDに交換するだけでも、もうヒーヒーと言っているくせにっ

男:何か言った?
女:いいえ、何も言っていませんよっ。

前作:「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」 (2012年)

インドのジャイプールの観光なら; 「スリランカとインド   9日間の旅行記」 もあります。
 中国の「万里の長城」のような景色は、アンベール城です。

月号画像

 ちはやふる  【上の句】 

映画画像 あらすじ:東京は府中の方にある瑞沢高校に入学した綾瀬千早(あやせちはや:広瀬すず)の夢は、小学生のころからやってきた小倉百人一首の競技カルタ取りで、全国一となることだった。そこで、「競技カルタ部」を創部する運動を始めた。高校では人気のないカルタ取りではあったが、千早と小学生時代から同じカルタ道場にいた頭のいい真島太一(野村周平)、競技カルタでは少し強い実績を持つ西田優征(矢本悠馬)、そして、競技カルタにはまったくの初心者で呉服屋の娘の大江奏(上白石萌音)と塾通いの駒野勉(森永悠希)をどうにか集め、団体戦に最低必要な5人で「瑞沢高校 競技カルタ部」は全国大会優勝を目指してスタートした。千早が全国大会への出場に拘るのは、千早と太一、そして今は福井に引っ越した幼馴染の綿谷新(真剣佑)の3人は、小学校時代同じカルタ道場に通っていた大の仲良しで、地方予選を勝ち上れば、全国カルタ大会で新に再会できるからだった。千早たち5人は、カルタ道場の会長:原田秀雄(國村隼)の厳しい指導のもと、徐々に腕を上げ、東京の地区予選会では、どうにか強敵:北央高校を破って念願の全国大会への出場権を得たが、福井に引っ越した新には介護の問題が起きていた。果たして、千早、太一、新の3人は全国大会で会えるのか、3人を巡る恋心の行方は。。。


何かに打ち込める青春時代は、実にすがすがしい!

 原作は、末次由紀のコミック版があり、これを「FLOWERS フラワーズ」の小泉徳宏が脚本も書き監督をしている。
出演者が、是枝裕和監督の「海街 diary」で印象に残った広瀬すずとこれまた、周防正行監督の「舞妓はレディ 」で可愛かった上白石萌音とくるとおじさん(?)も一応観ておかなければならない。

 タイトルになっている「ちはやふる」は、小倉百人一首にある在原業平の「ちはやぶ(ふ)る 神代も聞かず 竜田川  からくれなゐに 水くくるとは」から来ていて、主人公の千早が持ち札とする歌だ。

 この和歌は、落語でも取り上げられていて、その落語によると、歌の意味は、田舎から出てきて大関にまでになった相撲取りの「竜田川(たつたがわ)」が吉原の花魁の「千早(ちはや)太夫」に一目惚れをしたが振られる。そこで、妹花魁の「神代(かみよ)」に言い寄るが、これまた振られる。気を落とした竜田川は田舎に帰って豆腐屋を営んでいると、そこに空腹でみすぼらしい姿になった千早がきて、「おから」をめぐんでくれというが、怒った竜田川は千早を突き飛ばして水のある井戸に落としてしまう、という解釈だ。
本当に、在原業平がこの歌で言いたいことは、何だったのでしょうか。

 それは、それとして作品としては、監督:小泉徳宏は上手くまとめている。
原作のコミック版は全く知らないが、題材として「競技カルタ」を取り上げるとは、目の付け所が斬新でいい。

 私の家にも昔は、百人一首のカルタがあり、子供の頃には、歌の内容はわからず「坊主めくり」をして遊んでいたのを思い出した。
そんな記憶とともに、もう、1000年以上も前の百人一首ではあるが、多くの日本人がそのうちの2、3の歌はうろ覚えながら聞けば知っていると思う。
小倉百人一首は多くが偲ぶ「恋の歌」で、この「ちはやふる」のように、表面は風景などを描写しながらも、その言葉の裏に秘められた情熱のほとばしりを感じる。
今の時代と離れた間接的な表現が、この映画でも千早を恋している太一で示されている。

 そして、これまた青春というと、通常なら、汗が飛び散るスポーツが取り上げられがちだが、そうはならず、一見青春から、はるか遠い世界にある、超マイナーな「競技カルタ」に打ち込む高校生とは、原作者:末次由紀の優れたアイデアには脱帽する。
人気のない「競技カルタ」の実体を知らないから、観客はどんな競技か知りたさで自然と映画の中に取り込まれていく。

 映画の冒頭のカラフルな構成から、気持ちが高まる。
コミックが原作だと、前後のつながりが唐突で、意味が不明となりがちだけど、この演出では全体の流れに違和感がない。
カルタ取りに全力を使い果たし、試合が終わると、その場で疲れて寝てしまうとは、笑える。
多分におじさんの観客を意識したと思える広瀬すずや上白石萌音が纏う華やかな振袖姿になる設定にも無理がない。

 「競技」であるからには、そこには闘いがあり、相手との駆け引きもうまく出ているし、カルタが宙を舞うシーンなどもじょうずに描かれている。

 高校生の時代に特に夢中になるものがなかった私からみると、まったくうらやましい高校生が、健康的な広瀬すずという素材を得て楽しく描かれている作品だった。

広瀬すずの; 「海街 diary」 (2015年)
上白石萌音の; 「舞妓はレディ 」 (2014年)
小泉徳宏監督の; 「FLOWERS フラワーズ」 (2010年) 

 家族はつらいよ 

映画画像 あらすじ:東京近郊の住宅街にある一戸建ての家に住む平田周造(橋爪功)は、今は会社を定年退職し、ゴルフと酒が楽しみの生活をしている。その平田家には3世代が住んでおり、黙って周造に付き添い、小説を書き出した妻:富子(吉行和子)、仕事中心で忙しく働いている長男の幸之助(西村雅彦)と彼の妻で専業主婦でストレスを抱える史枝(夏川結衣)、そして幸之助夫婦の野球好きの2人の息子である。また、周造の次男で、ピアノの調律をしている庄太(妻夫木聡)も一緒に暮らしているが、庄太は近々看護師をしている間宮典子(蒼井優)との結婚を考えている。周造夫婦の家族としては、しっかり者で税理士をやっている長女:成子(中嶋朋子)もいるが、成子は頼りない金井泰蔵(林家正蔵)と結婚して、別の所に住んでいた。そんなある日、周造は、いつものようにゴルフをして、軽く行きつけの店で飲んで帰ったがその日は、忘れていたが妻:富子の誕生日だった。着替えのため靴下などを脱ぎ捨てる周造に対して富子が誕生日のプレゼントとして望んだのは、なんと用意された離婚届への周造のハンコだった。最初は冗談かと思っていた富子の離婚の気持ちが本物であることが分かり、家族は急遽集まって会議を開くが、子供たちの意見に激高した周造が倒れてしまう。居合わせた看護師である典子の適切な応急処置で、一命は取り留めた周造であったが。。。


小さな笑いはあるが、山田監督作品としては、大いに物足りない喜劇だ!

 監督は山田洋次。脚本は、山田洋次と平松恵美子。音楽は、久石譲。冒頭のタイトルと終わりは、横尾忠則が受け持つという豪華な布陣。
また、主演者の橋爪功、吉行和子、西村雅彦、夏川結衣、中嶋朋子、林家正蔵、妻夫木聡そして蒼井優という俳優たちは、山田洋次監督の「東京家族」と同じ。
他にも、山田作品では常連の笹野高史や落語家みたいな医者として、笑福亭鶴瓶もちらっと出ている。

 題名の「家族はつらいよ」から、これは、山田洋次監督で渥美清が出ていたフーテンの寅の「男はつらいよ」シリーズと、「東京家族」でもとになった小津安二郎監督の「東京物語」に再び捧げた作品だとわかる。
実際、この映画では、「男はつらいよ」の主題歌が歌われているし、原節子と笠智衆が話している「東京物語」の1シーンも出てくる。

 山田監督が考える「つらい」というのは、家族であるためには、祖父、祖母、父、母、子供、兄弟、孫、また義理の嫁などが上手く暮らしていくためには、互いに遠慮をしていて、本音の「それを言っちゃあ、おしまいよ」を我慢していることのようだ。

 チラシでは喜劇を目指している作品だけど、笑いの取り方が「こけたり」を連発したり「唾を飛ばしたり」と古典的でありこれでは、腹を抱えて笑えない。
笑いの取り方が、普通で「せこい」のだ。

 また、妻:富子が離婚を切り出す理由が、周造が脱ぎ捨てる裏返しの靴下や愛していると言ってくれない不満では、実に他愛のない話で、これでは経済的に恵まれた豊かな家族にしかあり得ない設定で、余裕のある家族の暇つぶし的な話題の1つとして「離婚」があるだけだ。
そう、「離婚」が切羽詰まった状況にないために、共感がもてない。

 山田監督の映像としては、落ち葉が上から降ってきたりなどで、相変わらずの細かさは見られるが、家族会議のシーンでは他の人物は出ているが西村雅彦が画面の端で切れていたり、座っている人と立っている人がいる場面では、立っている人物の頭から上がとらえられていないなど、画面構成がまずいのに気が付く。

 基本的に、今時分、3世代同居の家があるのか? 離婚を言い出すなら、この結末は、離婚で終わって欲しいなど、かなり設定で、不満がある映画でした。

 それにしても、冒頭の中嶋朋子の瘦せかたと、今回もいい役をもらった、ふっくらとした夏川結衣の対比が見ものです。

山田監督作品なら; 「小さいおうち」 (2014年) 、「東京家族」 (2013年) 

 ヘイトフル・エイト  

映画画像 あらすじ:南北戦争が終わったばかりの冬のアメリカ。ロッキー山脈に近いワイオミングで、1台の駅馬車が迫る雪嵐を前にレッドロックの町を目指して全速で走っていた。その駅馬車は、賞金稼ぎのジョン・ルース(カート・ラッセル)が、1万ドルの賞金がかかった悪党の女ボスのデイジー・ドメルグ(ジェニファー・ジェイソン・リー)を捕まえ、レッドロックで彼女を縛り首にするために貸切ったものだった。その駅馬車の前に、これも今は情け容赦のない賞金稼ぎとして知られている、元は北軍に参加し、白人兵をなぶり殺しにしてきた黒人のマーキス・ウォーレン(サミュエル・L・ジャクソン)と、新しくレッドロックの保安官に任命されるという、南軍で略奪ばかりしていた父を持つクリス・マニックス(ウォルトン・ゴギンズ)の二人が雪で乗ってきた馬を失って現れたため、ジョン・ルースはいやいやながら、彼らを同乗させる。4人を乗せた駅馬車がレッドロックへの中継地のマニーの雑貨店に着いた頃には、雪嵐は激しさを増し、当分、店からは出られない状況だった。そのマニーの店では、おかしなことに、店主のマニー夫婦と従業員は、出かけてしまい、メキシコ人のボブ(デミアン・ビチル)が店をまかされていた。また、店には、公式の絞首刑執行人だという身なりのいい英国系のオズワルド・モブレー(ティム・ロス)とカウボーイで母親とクリスマスを過ごすというがそうは見えないジョー・ゲージ(マイケル・マドセン)、そして多くの黒人を虐殺した南軍の元将軍のサンディ・スミザーズ(ブルース・ダーン)の3人の客が、雪嵐で足止めをくっていた。ジョン・ルースは、店にいる誰かが、彼が捕らえたデイジー・ドメルグを逃がすために店に来た仲間だと疑うが、ジョン・ルースは、コーヒーに入れられた毒で血を吐いて殺される。一体誰が、本当のことを話しているのか。吹雪が酷くなる室内で真実が。。。


女:容赦のない映像をどう評価するか、分かれるわね!

男:監督は、「キル・ビル」や「イングロリアス・バスターズ」、「ジャンゴ 繋がれざる者」などのクエンティン・タランティーノで、彼の8作目の作品とのことだよ。
女:音楽は、イタリヤの作曲家のエンリオ・モリコーネで、モリコーネは、この映画の作曲で、今年(2016年)のアカデミー作曲賞をとったわよ。
男:エンリオ・モリコーネといれば、もう90歳に近い筈だ。
  懐かしいね。昔、はやったマカロニ・ウエスタンの「荒野の用心棒」の作曲も彼がしている。
  今回、タランティーノ監督が西部劇調のこの「ヘイトフル・エイト」で音楽をエンリオ・モリコーネに頼んだのは、そのあたりの思い入れがあるのかな。
女:タイトルの「ヘイトフル・エイト」は、英語のタイトルのままのようだけど、日本語のタイトルを付けるとすると「雪に閉ざされた8人の悪党ども」ってところかしら。
男:洋画の配給会社も最近は手を抜いていて、原語をそのままカタカナ表示のタイトルにするのは、かなり安易過ぎるね。
  もっと、タイトルにこだわって欲しいものだよ。
女:こだわったのは、タランティーノ監督の撮影方法のようね。
  このデジタル時代に敢て、昔のパナビジョンの70mmフィルムで撮影をして、アメリカでは、映写方法を変えた映画館もあったとか。

男:また、上映時間が、なんと168分と長いので、アメリカでは、途中で休憩があったようだ。
女:タランティーノ監督の作品では、いつも暴力シーンが売り物で、頭や腕が切られて空中を飛んだり、また大量の血がドバーと流れたりというやり方だけど、今回も、銃で撃たれた頭が粉々になったり、手錠で繋がった腕を切り取っていつまでもくっ付けていたりと、タランティーノ監督作品の王道をいっているわ。
男:チラシでは、密室のミステリーで、悪党たちがウソばかり言っていて、何が真実か分からないってことになっているけど、話の展開よりも、どうしても、暴力シーンの方が話題になるね。 
  頭が粉々になるなど残酷なシーンは、多くの監督ならその雰囲気を演出で誤魔かして、直接、バラバラになっていく頭は見せないことが多いけど、タランティーノは、まったく遠慮しないで、観客に見せる。
  そこで、そこまでリアルに映像化して見せる必要があるか、どうかだね。
女:残虐なシーンであっても流れとして、必然性が強ければ、見ていても受け入れられる場合もあるけど、この映画での頭が粉々になる表現は、行き過ぎよ。
男:毒殺されたルースの吐いた血が、いつまでもドメルグの顔にこびりついているのは、どう。
女:ドメルグの顔の血は、その前の駅馬車内で殴られた時についている鼻血のシーンから、かなりユーモアのセンスがあって、これは、許される演出ね。
男:ユーモアと捉えるか、意味が分からないと感じるか、評価が分かれるシーンも多い。
女:奴隷解放を訴える北軍に参加した黒人のウォーレンが、その後アメリカの大統領になったリンカーンとペン・パルで、リンカーンからの手紙を貰っているのは本当に笑わせる話よ。
男:吹雪で壊れている入口を、毎回誰かが出入りするたびに、釘で打ちつけるのは、面白かった。
女:でも、ウォーレンの話の中で出てくる、捕虜にした裸の白人兵との雪の場面は、特に映像にしなくても良かったシーンね。
男:西部劇でまさか現代音楽の「サイレント・ナイト」が劇中で弾かれるとは、これは、意外だったけど。
女:そのあとで、ドメルグがギターを弾き歌うとは、この方が、もっと意味が分からなかったわ。
男:タランティーノがこの作品に黒人、白人、メキシコ人を登場させ人種の違いを見せているのは、成功だね。
女:南北戦争での「人類は平等」という高邁な理想を掲げても、未だにアメリカはそれを実現できていないということね。
男:いくら大義名分をつけても、結局争いは、虚しい終わり方をするだけだ。
  タランティーノが残虐さを強調する裏には、人を殺すということは、これほどむごい事実が潜んでいるということを言いたいのかな。
女:そこまで、読み取るほど、タランティーノは考えていないと思うわよ。
  ただ、自分勝手にやりたいことをやっているだけよ。
  また、弱い男ほど、暴力に憧れているから、その気持ちを隠したいので、ここまでの暴力と残虐な表現を選ばせるのね。

男:どうして、きみは、そんなに男心がよく読めるんだい。
女:あなたと長く暮らして、自然と身についたのね。

男:そうか、一緒に棲んでいると、良いことがあるんだ。
女:男の気持ちがわかる事が、良いこととは、思わないけど、
  呑気なひとね。

男:何か、言った。
女:いいえ、何も言っていません。 

クエンティン・タランティーノ監督の: 「イングロリアス・バスターズ」 (2009年) 
サミュエル・L・ジャクソン: 「キングスマン」 (2015年)

月号画像

 ディーパンの闘い  -フランス映画ー

映画画像 あらすじ:スリランカの内戦で妻子を失い戦闘に厭きた兵士:ディーパン(アントニーターサン・ジェスターサン)は、フランスへ難民として渡るためにまだ子供を生んだことのない女性を偽の妻:ヤリニ(カレアスワリ・スリニバサン)にし、両親を殺された子供:イラヤル(カラウタヤニ・ヴィナシタンビ)を娘にした仮装家族を作り上げ、3人はどうにか難民審査をくぐりぬけ、フランスはパリ郊外にある団地の住み込み管理人としての職も得た。その団地の一角は、麻薬密売人たちが牛耳る危険な場所ではあったが、徐々にフランス語も憶えて、当初は、バラバラな3人であったが、一緒に暮らしている内に家族的な愛情も生まれてきた。しかし、麻薬密売人たちの抗争が激しくなり団地内で銃撃戦も起きる。身の危険を感じたヤリニは、止めるディーパンを振り切って、一人でイギリスへ行こうとするが、ディーパンにパスポートを隠され、イギリスにはいけなくなった。ディーパンは、必死に麻薬密売人たちの抗争をおさめようとするが、銃撃戦はついにヤリニも巻き込む。ディーパンが押えてきた戦士の気持ちが再び目覚める。。。


柔な難民の家族と侮っていると、痛い目にあうぞー!

 監督は、フランス人のジャック・オディアールで、出ている俳優は、スリランカ出身とのこと。

 スリランカは、私も2014年に観光旅行で訪れたことがあり、つい最近まで続いていた内戦の激しさは知っており、また、難民については、連日のニュースで、シリアの内戦で多くの難民がドイツやフランスに逃れて大きな社会問題となっているのは、ご承知のとおりだ。
そんな背景を抱いて、映画館に足を運んだ。

 子持ちの家族連れにすると難民申請をする上でパスしやすいため、上辺は家族を構成しているが、元々は赤の他人同志であるために、子供を生んだこともない女には、甘えてくる子供の気持ちが分かるはずも無く、また男には殺された妻子の面影が依然として脳裏にあり、いったん家に帰れば、3人がすぐにバラバラになる関係の描写がうまい。

 しかし、生活を共にしていれば、当然そこには、徐々に男には父親的な愛情が生まれ、また女にも、男女としての気持ちが生まれるのは、よくある展開ではあるが、そこにスリランカからの難民である状況を入れたのが効き薬になっている。
言いたいこと、やりたいことが一杯あっても、地元のフランス人に対しては、卑屈に接しなければ、いつ、フランスから追い出されるか分からない不安定感を常に抱いている描き方も分かる。

 このまま、何事もなく、難民が、フランスで偽装家族を続けて行くうちに、真の愛情の溢れる穏やかな家族になりましたとさ、という展開になるのかと思っていたら、どっこい、ここから急に話が変わるとは予想を裏切る。

 偽装から始まった女性を真剣に愛するようになったディーパンが、ビルの中に捕らわれているその女性を救出するために、襲ってくる多くのチンピラたちを、バンバンと殺して行くとは!
この展開は、まさしく、ナンダっー、これはっ! という驚きになる。

 この団地をアジトにしている麻薬密売人たちの組織の説明不足も大いにあるが、ディーパンのこの思いがけないアクションは、昔見た日本の東映映画で良くあった時代劇で、悪人に捕らわれたお姫様を助けに行く若殿様を思い出させる、かなり筋の荒いやり方だった。

  虐げられた人が難民という設定は新しいが、最後には、我慢できずに怒りを爆発させるのでは、驚きというより、これは、ないだろうという、終わりの雑さの方が気になる映画になった。
フランスは難民申請には厳しいが、銃撃戦があっても、警察も介入しない、無法国家となる扱いでは、かなり手を抜いた結末だった。

スリランカをもっと知りたいなら; 「スリランカとインドの旅行記」 があります。 

 キャロル

映画画像 あらすじ:第2次世界大戦も終わった、1950年代初頭のアメリカ。クリスマス商戦で賑わうニューヨークにある大手デパートのおもちゃ売り場でバイトをしているカメラマン志望のテレーズ・ベリベット(ルーニー・マーラ)の前に、豪華な毛皮を纏いきれいな金髪をなびかせる、夫と離婚を考えているキャロル・エアード(ケイト・ブランシェット)が6歳の娘:リンディのクリスマス・プレゼントを探しに現れる。テレーズが勧めたミニチュア鉄道模型を買ったキャロルだったが、手袋をショーケースの上に忘れていたので、テレーズがその手袋を郵送し、キャロルからお礼に昼食に誘われた。それを機にテレーズは物事をドンドン自分で決めていくキャロルの性格と美しさの虜になった。その頃のテレーズには浅い付き合いをしていたボーイ・フレンドがいたが、キャロルとの仲の方が親密さを増していく。しかし、キャロルと別居中の夫:ハージ(カイル・チャンドラー)は、娘の養育権を争点にして、キャロルに復縁を迫る。娘との愛情をとったキャロルにテレーズは。。。


実に凝った作品だが、女性同士の愛情となると、すんなりと感情が伝わってこない!

男:監督は、トッド・ヘインズで彼の作品としては、「エデンより彼方に」があるようだけど、私は観ていない。
  また、原作は、「太陽がいっぱい」のパトリシア・ハイスミスとのこと。しかし、この本が発表された1952年にはパトリシアは別名を使って、自分が書いたことは隠していたという。「女性同士の愛」について本を出すことは禁じられていた時代背景がある。

 女性がまだまだ自分の思いのままに生きることはままならず、増してやいくら好きだといっても、同性を好きになることは世間的に許されない時代の物語だ。

 映画の仕上がりとしては、実に多くのものがきれいに出来上がっている。
まず、細部にまでこだわっているセットが挙げられる。
1950年代を再現している街角、テレーズが働く百貨店の内部、当時扱われていたクリスマスのおもちゃ。また、さりげなく置かれた数々の旧式自動車。
これらの小物、大物を見るだけでも楽しい。

 そして、使われている音楽の豊富さと、画面にあった選曲の良さ。

 また、ケイト・ブランシェットが着ている金持ちらしい赤い衣裳等の出来の良さ。ルーニー・マーラが可愛く見える髪型。
自動車のほこりを残した撮影の仕方。雨の水滴ごしに映る表情の撮りかたの上手さ。

 当然、主役であるケイト・ブランシェットはもう言いようのない妖しげな雰囲気が充分に出ている。
また、ルーニー・マーラの時々「ローマの休日」のオードリー・ヘプバーンに重なる無垢を感じさせる演技も素晴らしい。

 と、例を並べてみても非の打ち所がない映画だけど、私の心には訴えてこない。
それは、禁断の恋を超える流れにもって行けていないからだ。

 同性を好きになり、離婚を決意しながらも、最後には娘と面会する権利を望んだりしていては、若い娘の肌に触れたいだけの金持ちの奥さんの一時の気まぐれとしか写らない弱さがまだ残っている。

 確かに好きになるのに理由はないけど、そこに子供や他の関係者がいて、それでも許されない愛を貫くなら、自分の払う犠牲も当然に大きくなるという覚悟をもっと、もっと持つような展開が欲しい。
2016年という現代に1950年を再現しても、ここは妥協をしない同性愛を全うする生き様が相応しかった。


 余談ながら、当時から高級カメラは、日本のCANONです。

 それにしても、キャロルもテレーズもタバコの吸い過ぎな映画です。

 ルーニー・マーラが注目された、「ドラゴン・タトゥーの女」 (2012年)

 オデツセイ -3D版ー

映画画像 あらすじ:火星で、地質調査をしていたアメリカのNASAから送られた6人の探査チームは、強烈な砂嵐に襲われ、行方不明になってしまったマーク・ワトニー(マット・デイモン)は死んだものと思い、5人で地球への帰還の途についた。しかし、ワトニーは傷を負ってはいたが、生きていた。酸素も水もない火星に一人残されたワトニーを待っていたのは、次の火星探査チームが来る4年先まで如何に命をつなぐかであった。幸い、植物に詳しかった彼は、残っていたジャガイモの栽培に成功し食料の問題は解決した。また、どうにか、地球との交信もできるようになり、NASAも早期に火星への救助ロケットを送る手配を整えていた。しかし、火星の基地で爆発事故があり、頼みのジャガイモも全滅してしまう。NASAも急遽迎えの宇宙船を打ち上げようとするが、失敗する。もう、誰もワトニーの命を救えないのか。。。


女:一難去ってまた一難だけど、無駄に長くしているだけね!

男:監督は、リドリー・スコットで、彼のヒット作は「エイリアン」がある。
女:宇宙を絡めたSF物語をリドリー・スコットはよく監督しているけど、前作の「プロメテウス」もそうだっだけど、観客を無視して、自分に都合よく作ってしまうのね。
男:本当に、どうしてこんなにタイミングよく成功し、また、タイミングが悪く、危機が迫ってくるのか、細かく観ていると、飽きてしまうラフな出来だった。
女:まず、最初に火星に一人残されて食料がないという設定だけど、自分のウンチでジャガイモを栽培できるわけね。
  やせていても、火星には土があり、ロケットの燃料から、酸素と水素から水が作れるのは、一応科学的ではあるわね。

男:でも、それが、基地の爆発事故にあい全部消滅して、また最初に戻る。
女:地球との交信ができない筈が、
男:どこかにあった探査機を使って、NASAと無事コンタクトできる。
女:救助船が、NASAの人々の徹夜の必死の作業で早めに完成して助けられる筈が、
男:無理に造ったために、打ち上げは失敗する。
女:それなら、地球に向かっている、仲間たちの宇宙船を火星に戻して、助けようとするのが、
男:火星にある脱出用の小型ロケットは、重量がありすぎるか。
女:まったく、1つの危機が時間的に都合よく起き、それをうまく解決できて、ちっと中休みを入れてディスコ音楽でも聴いていたら、また次の危機が多分ここらで起きるということが、もう予測の範囲でドンドン繰り返されて行くわね。
男:私は、最初に、ワトニーを助けに行くのなら、どうして地球に帰還しようとしている宇宙船を無理をしても途中で戻らせないのかなって思っていた。
女:そうなのよね。
  あなたもそう思っていたんだ。
  地球と火星との時間を考えたら、地球に帰る途中の宇宙船をなんとかして、救助に向かわせるのが第一番目に浮かぶ方法よね。

男:それが、最後に採用された方法とは。
  だれでもが最初に考え付くことを、最後にもってくるとは、いくら作り物としても、おかしいね。
女:作り物で感じたんだけど、今回は、3D版で観たのよね。
  すると、火星の広い赤い土地や峡谷でさ迷うワトニーや探査車が、まさにミニチュアのセットそのものでがっかりしたわ。

男:他の場所での立体感は、うまく出ていたけど、広大な場所の立体処理が下手だったね。
女:それにしても、脱出用のロケットの頭をビニールで覆って、高速で飛び出すなんてのは、観客をバカにしていない?
  素人でも、弱いビニールはすぐに破けると分かるわよ。

男:この映画は、チラシにあるような一人の男が火星という過酷な場所で生き残るという深刻なテーマで作られていないってことだね。
女:そうよね。
  ウンチでジャガイモを栽培したり、一人でいることをいいことにして汚い言葉を使ったりするのは、もう、監督:リドリー・スコットが、マット・ディモンを使って勝手のし放題ってことね。
  かなり、コメディ的な意図で作ったのね。

男:それは、映画の中で使っている、昔のディスコ音楽が「ホット・スタッフ(熱いもの)」や「恋のサヴァイバル」だから、これらの選曲からもリドリー・スコットの個人としての趣味色が強い映画だね。
女:そんな、監督でも、政策として、どうしても中国をからめる必要があったのね。
男:日本人としては、どうして、衛星をたくさん打ち上げているロシアのサポートでなくて、中国の宇宙技術の援助が入るのか、筋の展開が面白くないけど、もうハリウッドとしては中国マーケットを無視することは、できないってことだね。
女:本当に、最近の多くのハリウッドの映画では中国をどこかに入れて、マーケットとして取り込みを図っているわね。
男:映画で使われている音楽から私も赤坂や六本木のディスコで踊っていた頃を思い出したよ。
  よし、これから、私の自慢のオーディオ装置で、ドナ・サマーの「Hot Stuff」やグロリア・ゲイナーの「I Will Survive」でも聴こう。
女:ステレオを鳴らすのはいいけど、踊るのだけは止めてねッ。
  また、アパートの下の人から注意されるわよ。

男:折角、昔のディスコで踊っていた気分が出てきたのに。
  ガッカリ・・・

リドリー・スコット監督の;「悪の法則」 (2013年)、 「プロメテウス」 (2012年)
マット・ディモンの、「ミケランジェロ・プロジェクト」 (2014年)

月号画像

 フランス組曲

映画画像 あらすじ:第2次世界大戦下の1940年。フランスは、ドイツ軍によって占領され、パリからかなり離れた田舎町:ビシューだったが、ここにもパリから逃れてきたユダヤ人たちが身を潜めていた。ビシューを占拠したドイツ軍の命令により、地主で大きな屋敷を構えるアンジェリエ家には、ドイツのブルーノ・フォン・ファルク中尉(マティアス・スーナールツ)が滞在することになった。アンジェリエ家には、古くからの地主として家を取り仕切るアンジェリエ夫人(クリスティン・スコット・ト-マス)と今は戦場にいっているアンジェリエ家の息子と結婚して間もない若き嫁:リュシル(ミシェル・ウィリアムズ)が暮らしていた。まだ世間知らずのリュシルは、時々厳格な義母のやり方に不満を持っていたが、戦地にいる夫の帰りを待っていた。怖いと思っていたファルク中尉は、軍人でありながら、ピアノも弾く作曲家で、知性もあり、ピアノが好きなリュシルに対して優しい態度で接してくれる。ドイツ軍の占領に反抗する地元民との争いもあるが、段々と世間が分かってきたリュシルとファルク中尉との距離は急速に縮まる。しかし、戦争は二人の仲を引き裂き、リュシルの元には、ファルク中尉が作曲した「フランス組曲」と思い出が残る。。。


戦争が二人を近づけ、戦争が二人の愛を引き裂いた、切ない恋物語!

 チラシによると、原作は、ロシアからフランスに逃げてきたユダヤ人:イレーヌ・ネミロフスキーだが、彼女が1942年にアウシュヴィッツで殺戮された後、逃亡を続けて生き延びた娘が母の形見として大切に保管していたトランクを60年後に開けて見つけた小説とのことだ。

 製作は、イギリス・フランス・ベルギーで、監督は、ソウル・ディブ。
フランス人とドイツ人のセリフだけど、主人公たちの会話の多くは英語で、フランスの現地人間ではフランス語が話され、ドイツ軍の間では、ドイツ語が飛び交うという設定。 

 タイトルの甘そうな感じのする「フランス組曲」とチラシにあるユダヤ人の原作では、よくある敵兵と占領された女性との生ぬるい”禁断の恋物語”かと思って軽い気持ちで観たらこれが大はずれ。
実に感情のこもった、完成度の高い作品だった。

 女性の主人公であるリュシルの人物像が背景説明も含めて丁寧に描かれている。
まだ、厳しい身分制度が残っているフランスの田舎町での、地主と小作人との上下関係に疑問を持つリュシル。
義母との間にわだかまりを抱きながらも、戦地にいる夫を待つことしかできない、ほかに何も出来ない自分への苛立ち。
夫以外の優しくたくましい男性の出現で揺れる女ごころ。しかし、相手はフランスの敵であるドイツの将校という許されない男。

 たまたま、この映画では時代を戦争にしているが、女性の生き方としては、日本を含め、女性の力が弱く家族制度や身分制度があった時代にはよくある話ではある。

 まだ充分に世間を知らないうちに親がすすめる結婚をした女性が、夫以外の男性の出現で初めての恋を知り、フランスとドイツの国の違いを知り、家族を守る義母の本当のこころを知る過程が、上手に、違和感がなく描かれている。
 リュシルにしても、いくらなんでも敵であるドイツの将校を簡単に愛する訳ではなく、信頼して帰りを待っている夫には実は愛人がいることを知ったのも、恋に走らせた一因とか、見せしめに何の罪も無い町長を銃殺するドイツ軍の本性をみて、ファルク中尉に対する恋心が揺れ動くことなど、リュシルの葛藤が、ミシェル・ウィリアムズの演技によって美しく、また悲しくも胸を打つ出来栄えとなっている。

 生気のない田舎暮らしから、恋を知って徐々に美しくなるミシェル・ウィリアムズの演技は、本当に素晴らしい。
戦争中という設定で衣裳も限られた中で、質素な中にもミシェル・ウィリアムズの美しさを引き出した衣裳担当の努力も買いたい。

 恋愛映画である以上、相手となったドイツ軍将校を演じたマティアス・スーナールツもいかにもドイツの名門家の出で、インテリジェンスを感じさせるという演技がいい。
また、義母を演じたクリスティン・スコット・ト-マスも意地悪な役と息子思いが上手く出ていた。

 終わりのドイツ軍が大勢居る中で、リュシルがファルク中尉にパリへの旅行の許可を貰いにいくシーンや、逃亡農民が車でうまく脱出できるシーンには物足りなさを感じるが、いつか会えると言っても、絶対に成就しない恋として、よくできた映画だった。

 ブリッジ・オブ・スパイ

映画画像 あらすじ:第2次世界大戦後の1950年代後半、アメリカとソ連は東西冷戦時代に入り、互いにスパイ合戦をしていた。そんな時、FBIは国内でソ連のスパイ:ルドルフ・アベル(マーク・ライランス)を逮捕し、彼から情報を得ようとしたが、アベルは口が固く裁判となった。誰もソ連のスパイの弁護人を引き受けなかったため、保険関係を専門にしていたジェームズ・ドノヴァン(トム・ハンクス)だったが国選弁護人となった。陪審員や判事までアメリカ中を敵に回し、家族にも危害が及ぶ中、スパイであっても法の下では平等であるとの固い精神で向かうドノヴァンの必死の弁護で、アベルはどうにか電気椅子に送られるのだけは免れ、刑務所で余生を送ることになった。一方、ソ連の領土内の軍事施設を高度から偵察撮影していたアメリカのU-2偵察機が、ソ連軍に撃墜され、パイロットのゲイリー・パワーズ(オースティン・ストウェル)が、捕虜になってしまった。そこで、アベルとパワーズというお互いの捕虜の交換を画策したアメリカ政府は、表立って動けないため、ドノヴァンをドイツのベルリンに送ってソ連との交渉役にした。利害が一致したソ連も捕虜の交換に応じることになったが、ベルリンでは、罪の無いアメリカの学生:フレデリック・プライヤーが東ドイツに逮捕されていた。どうにか東西ドイツを別けるグリーニカー(グリーニッケ)橋の上で捕虜同士の交換がなされるが。。。


女:久し振りに、程よい緊張感のあるいい映画を観たわね!

男:監督は、スティーヴン・スピルバーグで、脚本は、ジョエル・コーエンとイーサン・コーエン兄弟が書き、主演は、トム・ハンクスという陣容だ。
女:話の背景にある冷戦時代の米ソの捕虜の交換は、実話よね。
  私も新聞で読んだ記憶があるわ。

男:その実話に刺激を受けて、コーエン兄弟が創作したってことだ。
女:東西の関係が緊迫して、ベルリンの壁が造られているのに、その付近を無用心にウロチョロしていて捕まったアメリカ人の学生の話が創作の部分ってことかしら。
男:でも、ここが、コーエン兄弟が脚本でも力を入れた箇所だろうね。
  捕虜の交換に尽力するドノヴァンが政治力で動く外交官でなく、正義派の市民弁護士であるためには、どうしても、この学生の釈放も入れておかないと、訴える力が弱くなるから、ここはこだわりの設定だ。
女:だけど、東ドイツとソ連とのやや対立している関係は、いまひとつ描ききれていなかったわよ。
男:確かに東ドイツ側の交渉人の立場は明確ではなかったけど、それらをカバーする仕上がりになっている。
女:ソ連のスパイ役のアベルを演じたマーク・ライランスとトム・ハンクスとの会話が実に淡々としているけど、おもしさもあって、さすが、コーエン兄弟ってところね。
男:映画の冒頭で、トム・ハンクスがいう「顧客(ガイ)」と「依頼人(クライアント)」との違いや、ソ連のスパイがいう「不屈の男」などが実に後半で活きている。
女:布石がうまいってことね。
男:映画の出来栄えは、単に主演だけが突出していてもいい評価にはならない。
  いい助演俳優がいるから、主演もきまった演技ができる見本だね。
女:マーク・ライランスのスパイであることに誇りを持っているこの演技指導は、監督:スティーヴン・スピルバーグの面目躍如ってことね。
男:スパイになったということは、身元がばれて相手側に捕まれば、もう自国の保護は受けられないことを前提にしているから、死刑になることを最初から覚悟していて、逮捕されても、裁判になっても、また獄中でもジタバタしないという見極めの役どころを上手く演じさせた。
女:東西冷戦の最中で利害が絡み合う捕虜の交換を市民弁護士がどう対応していくか、緊張の連続かと思っていたけど、ドノヴァンに風邪を引かせたりして適当に間(ま)を作っているのも上手いわね。
男:捕まったアメリカの学生は、この話の流れとして無事釈放されるのは分かっているけど、最後の交換された捕虜同士の自国での今後の扱われ方も、きれいに決まっている。
女:いくら、白状しなかったといっても誰も信じてはくれないわよね。
  国家としてみれば、捕まったスパイなんて、もう迷惑な存在でしかないのね。
男:解放されたソ連のスパイは、同胞に抱擁されずに、車の後部座席に乗せられる。
  また、アメリカのパイロットは、自殺の方法まで指示されていたのに、死んでいない。
  この映画のクライマックスだった。
女:互いに、仲間内では、どうして死を選ばないで戻ってきたのか、冷たくされる。
  スピルバーグが言いたい個人としての信念を貫くことと国家が持つ傲慢さの対決がこの場面よね。

男:スピルバーグは、「ジュラシック・パーク」や「インディ・ジョーンズ」など娯楽性のある映画と「シンドラーのリスト」や「リンカーン」のように政治色の強い映画も作れる珍しい存在の監督だ。
女:例え、映画の観客や批評家に受けなくても、自分の言いたいことを作れる、もう充分に経済的に余裕のある立場にあるってことね。
男:自分が今まで生きてきた証として、これだけは世間の人に伝えておきたいという気持ちは、だれにでもあるよ。
女:でも、貴方のこの「映画・演劇 評論」のサイトの更新を10年以上にわたって続けていたり、まったくお金にもならないのに 「目指せ! マンション管理士・管理業務主任者」 のサイトで膨大な時間をかけて試験問題の解説をしているのを見ていると、男の人の時間の使い方が私には納得いかないのよね。
男:世の中お金が全てではないってことさ。
女:何を気取ったことをいっているのっ。
   そんなことをいえる程の身分ではないでしょ!

男:そっ、それは、そうだけど・・・

スピルバーグ監督作品は、 「戦火の馬」 (2012年)
トム・ハンクスは、 「キャプテン・フィリップス」 (2013年) 


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