2010年の映画・演劇 評論

 New   バーレスク    

あらすじ: アメリカの田舎町で育ったアリ(クリスティーナ・アギレラ)は、自信のある歌声と踊りで有名になることを夢見てロサンジェルスへやってきたが、現実はそんなに甘い物ではなく、なかなか職につけなかった。そんな時、気休めに入ったラウンジ”バーレスク”の歌とダンス・ショーは、アリをとりこにし舞台出演を希望したが、簡単には舞台には立てず、店のバーテンダー:ジャック(キャム・ギガンデット)の助けでウエイトレスをしながらチャンスを待っていた。外見は華やかに見える”バーレスク”であったが、経営状態は悪く、店のスターであり経営者のテス(シェール)は、巨額の借金返済で苦心し、店の立地に眼をつけた不動産会社から買取の話がくるが、店は、テスの生きがいで手放すのは嫌だった。ある日アルコール中毒の歌手の代役からチャンスを得て舞台に立ったアリの活躍で、少しは営業状態も良くなってきたが、銀行は金を貸してくれない。そして、ついに。。。

作り手の情熱がストレートに、胸にささる!

 あらすじを読んでもお分かりのように、話としては、よくあるスターを夢見る少女のサクセス・ストーリーだけど、それが圧倒される歌と少しセクシーな踊りの連続、さらに洒落た会話でいい作品に仕上がっている。

 ”バーレスク”は、英語ではラウンジということだけど、アルコールを飲んで、歌と女性の踊りを楽しむ、日本的には、キャバレーのイメージか。
そう、そこで、ライザ・ミネリが出ていた往年の映画「キャバレー」とも、歌や踊りなどでかなりの場面がダブルが、「キャバレー」とはまた一線を画した作品となっている。

 チラシでは、ミュージカルと唱っているが、よくあるミュージカルのように、生活の話の途中から急に歌に変わっていくことはなく、歌は歌として舞台の上で扱われているので、ミュージカルが嫌いな人でも楽しめるようになっている。
その歌の間に、アリを取り巻く生活が描かれるが、心とは裏腹の皮肉をいったり、最初は、ベッドとソファーでルーム・シェアをしているのが、最後には、1つのベッドをシェアする落ちや、男性を指す「ロング・ジョン」、一夜限りのゲイ達の話など、英語が分かると、クスクスと笑える箇所も多い。

 主演の一方を占めるシェールといえば、かなり昔(1960年代?)のデビュー時の「ソニー&シェール」の時代から、「バンバン」や「ハーフ・ブリード」の歌で知っているが、もう一方の若い歌手:クリスティーナ・アギレラはまったく知らなかった。
しかし、クリスティーナ・アギレラは歌が上手い! また、ダンスも問題なくこなしている。

 クリスティーナ・アギレラの歌声が、大きなスクリーンから炸裂してくるし、シェールにもちゃんと、出番を与えている。
歌手同士のねたみや、母親を幼くして亡くし、化粧の仕方を知らないアリの境遇、最初は友達から始まった男女の関係の話も含めて、本当に、良くある話を題材にしているが、経営の危機を救うのが新しい「空中権」であったりと意外性も盛り込んだりで、久しぶりに、アメリカが得意とする、ショー・ビジネスを舞台にした、エネルギッシュな作品を堪能した。

歌なら;「ドリームガールズ」

 

 New   プライド    シアター クリエ

あらすじ: オペラ歌手を目指す、境遇の全く異なった二人の若い女性があるコンテストで最終決戦に残った。一人は、今は亡くなったが有名なオペラ歌手を母親に持ち恵まれた音楽環境で育ったお嬢様の麻見史緒(笹本玲奈)と、もう一人は母子家庭で育ちアルバイトで音大に通い、ステージ衣装も1着しか買えない緑川萌(新妻聖子)だ。ともに、音楽の才能はある。しかし、レコード会社の若き副社長:神野隆(鈴木一真)は、自分の将来の妻として、麻見史緒を手に入れるために、策略を用い緑川萌を勝たせる。コンテストに勝った萌はイタリアに留学できるが、まだ渡航の費用が足りないため神野に頼みクラブの歌手として働かせて貰うが、そこには、ライバルの史緒がピアノの上手い池之端蘭丸(佐々木喜英)とすでに働いていた。意地の悪い神野は、嫌がる史緒と萌にデュエット曲を歌わせるが、二人の息はピッタリで史緒と萌は共に互いの才能を認め、蘭丸を加え3人でメジャー・デビューを誓う。しかし、史緒を妻にするため神野は、萌をイタリヤにいかせ、蘭丸をアメリカに追いやり、着々と史緒との結婚を進めるが。。。

ミュージカルで活躍できても、演劇の舞台では、まだまだだ!

 原作となっているのは、一条ゆかりの同名の漫画。それを脚本したのは、大石静。
演出は、寺崎秀臣。音楽は、佐橋俊彦。

 主役となる笹本玲奈と新妻聖子と聞けば、当然、ミュージカルの「ミス・サイゴン」や「レ・ミゼラブル」などでの活躍が浮かぶ。その二人の初共演作品だ。
そこで、脚本としても、世界的な歌手を目指す二人と設定して、互いに、見せ場としての日本の歌だけでなく、佐橋俊彦の作曲による、二人のためのオリジナルやデュエットと曲も、豊富に用意されている。
だけど、そのデュエットの曲が、冴えないできだ。
二人が才能を認め合うシーンと、最後の曲も共に、メロディー・ラインとして、しみじみと歌い上げたいのか、技法を聞かせたいのか、聞いていて訴えてこない。
アメリカのポップ・ミュージカルのような、弾んだ掛け合いの方がこの若い二人には、むいていると思う。

 それ以上に、ストーリーがいけない。

 舞台での演劇として、また、非常に分かりやすい発想方法として、お嬢様と貧しい娘をもってきて、ライバル心と貧富の差の比較は、まあ、許せるが、今時、「金色夜叉」から借りてきたような、「愛」よりもお金の力や、恩になったことに負けるといった干からびた設定や、生まれてくる子供の命と引き換えに、母親としての命をなくすなんて、構成は、いったい、時代は大正時代か、と突込みが入り、これではドンドン舞台が遠ざかる。

 愛といえば、三角関係を超えた、四角関係を描き、本当はドロドロした、愛憎劇があるはずだが、これが、最後には、恋の憎しみを、みんなが超えてしまい、物分りのいい人たちでしたのエンデイングでは、今まで、激しく嫉妬してきた感情はなんだったのか。
締めとして、ありがちな安易さである。

 笹本玲奈と新妻聖子という、折角の素材を活かしたいのに、二人が歌手というだけで、漫画からの、古びた、また充分な推敲がなされていないアイデアを持ってきては、残念な結果になった。

 若き副社長を演じた鈴木一真は、まさに漫画のイメージのままであるが、演技もいい。

でも、ここは、もっと元気な話で、また、笹本玲奈と新妻聖子の活躍を期待したい。

 新妻聖子の可憐さが、印象的だった、2004年の;「ミス・サイゴン」
 活発な笹本玲奈の;
「ミー&マイガール」

 

 New   武士の家計簿      

あらすじ: 江戸時代も終わりの頃の加賀藩。下級武士の猪山家は代々、御算用者(現在の経理係)として、刀の代わりにソロバンをはじき藩の財政を見てきた。江戸勤めをしたことのある信之(中村雅俊)も息子の直之(堺雅人)と共に、日々ソロバンをはじいていた。直之の算術は他の同僚よりも優れていたが、その一本気な性格から、飢饉での上司たちの米の横流しに気が付き、能登に左遷されかかるが、他の上司に認められ出世をする。嫁に迎えた駒(仲間由起恵)との間に嫡男:直吉もでき、お披露目をすることになったが、出世をしても、家計には膨大な借金があり火の車で鯛も出せなかった。そこで、直之は、家計を立て直すために、家族に質素・倹約を強制し、不要な物は売り払い、日々の食材から葬式に至るまで細かく家計簿をつけ、無駄な出費を抑えて、どうにか家計は持ち直した。幼い頃から信之より厳しくソロバンと算術を教えられた直吉も成長し、藩に召しかかえられる。その直吉が幕末の尊皇派との戦いで京都に出征し殺されたようだ。京都で何があったのか。。。

女:チャンバラでない、時代劇は退屈ね!
男:監督は、森田芳光だね。
女:原作は、古本屋でこの武士の「入払帳」を見つけて、磯田道史さんが書いた「武士の家計簿」ね。
男:森田監督は、時代劇で必須の「チャンバラ」を抜きにして、武士でも刀にはからまない武士がいてその家族愛を描きかったようだ。
女:でもねっー。
男:でも?
女:淡々と、経理担当の武士の生活と家族愛を描いたといえば聞こえがいいけど、それは、盛り上がりのない、平凡な映画ですってことになったのよね。
男:そういうことか。
  私は、堺雅人の目配りが、詰まらなくしたのかと思ったけど。
女:メーキャップ担当の人も、監督の演技指導も悪いんじゃないの。
  若い時はともかく、堺雅人と仲間由起恵も、老人になった時の老けが、全然出来ていないわよ。

男:でも、鯛が買えなくて、絵にした話は、胸にジーンと響いていいんじゃないの。
女:そォう。ここは、映画用か物語用の造り話が見え見えね。
男:安ものの鱈一匹でも、いろいろと調理方法を変えて食費を浮かすのも、金沢ならではの話でしょう?
女:そんなの、普通の家庭なら、昔からやっているわよ。
  家でも、旬の物なら安いから、買い込んで調理方法を変えて食卓にだしているでしょう。
  その話を、殿さまの献立にするのは、繰り返しで面白くないシーンだったわ。

男:昼の弁当の芋を食べていて、碁盤にポロリと落とすのは、森田監督ならではだよ。
女:そのくらいのシーンしか記憶に残らないのね。
  息子に厳しい父親、その間に挟まれる母親の描き方なんかは、よくある映画のままだったでしょ。

男:いや、他に、着るあてのない着物をいつまでもタンスに取っておくシーンは、まさに誰かさんと同じだと、納得したけど。
女:そんな、つまらないところは、パスしていいのッ。
  大体よね、質素や倹約なんていってるから、日本の経済が良くならないのよ!
  お金を持っている老人たちは、もうエコポイント対象の製品だけでなく、ドンドン物を買って日本を元気にすべきでしょう。

男:でも、きみのエルメスのスカーフにしたって、近頃は使っていないし・・・
女:それは、あなたが、使う場所に連れてってくれないからでしょ。
  明日は、ホテルで食事でもしましょう

男:きみと二人では・・・
女:何か言った!
男:いや、何も・・・

堺雅人が出ていたのは;「クライマーズ・ハイ」「ジェネラル・ルージュの凱旋」
仲間由起恵は;「Flowers」

森田芳光監督の冴えない;「椿三十郎」

 

 New   ハリー・ポッターと死の秘宝     PART-1  

あらすじ: 幼くして両親を殺され、選ばれた者として7歳でホグワーツ魔法学校に入学したハリー(ダニエル・ラドクリフ)も最終学年の17歳となり、仲間のロン(ルパート・グリント)やハーマイオニー(エマ・ワトソン)と共に学んできた魔法術も充分に身についてきた。しかし、ハリーを殺そうとする闇の世界の支配者:ヴォルデモート卿により、善良なダンブルドア校長も殺され、魔法省もホグワーツ魔法学校もヴォルデモート卿に尽くす死喰い人によって占められてしまった。ハリーを守るために不死鳥の騎士団も屋敷しもべのドビーも必死となるが、次々と殺されてしまう。ヴォルデモート卿の復活を阻止するためには、世界に散らばる分霊箱を壊して行かなければならないが、分霊箱は強固で、ハリー達が覚えた魔術では壊れない。一方、ヴォルデモート卿は、強大な力を持っている、3つの死の秘宝:杖・蘇りの石・透明のマントの内、杖を手に入れ、さらに強くなり、ハリーを襲う。ハリーの命が危ない。。。

大人も少しは楽しめる映画になった?!

 2001年に映画として公開された「ハリー・ポッターと賢者の石」の第1作から始まり、これで、ハリー・ポッター・シリーズも7作目になるらしい。
今回の「死の秘宝」は、PART-1とPART-2の2部構成で、後のPART-2は、来年、2011年7月15日に公開と、何と、既に日にちまで決まっている。

 イギリスの作家:ジョアン・K・ローリングによる原作本は日本でも大評判となり、私は本は読んでいませんが、映画の方は、2001年に公開された「賢者の石」から、第2作目の「秘密の部屋」、そして、3作目の「アズカバンの囚人」までは、観ています。
しかし、それ以降は、ストーリーと作品の出来が、余りにも単純で、つなぎ方が悪く、簡単にいうと映画としては子供だましの退屈さなのでさすがにお付き合いできず、観ていません。

 でも、今回は、ハリー・ポッター・シリーズも最後というので映画館に足を運びました。

 出演者のダニエル・ラドクリフやエマ・ワトソン、ルパート・グリントなどは幼かった第1作から変わらず出ていて、10年を経た今は、出演者は皆な、それなりに歳を取ってきています。
エマ・ワトソンが若い女性として、随分と色気が出てきているのは、当然ながらです。
それと、ダニエル・ラドクリフの胸毛がかなり濃いいのが、観ていて気になりました。

 魔法学校の話やヴォルデモートとの争いなどは、過去の作品を観ておいた方が関係は分かりやすいと思いますが、ハリー・ポッターの全作品を観なくても分かることは分かります。

 ハリーの分身が多く出てきたり、殺された両親の家、魔法省でのふん装、剣を見つける話など見せ場は多くて飽きはきません。
バイクでの逃走なんかは、ファンタジー性を欠いたよくある光景で物足りなさもありますが、景色も本当にきれいな場所を選んでいるので、結構楽しめます。

 最初の作品では、気持ち悪かった印象のある、屋敷しもべのドビーの眼の大きさも、今回は哀愁を秘めた輝きで、この10年間の特殊技術の進歩にも驚かされます。
特に、年齢を意識した設定として、ハーマイオニーを巡るハリーとロンの恋の三角関係もでてくるので、ハリー・ポッターもとうとう子供向けの作品としては終わるのだなとの感傷はあります。
強大な敵:ヴォルデモートとの最後の闘いに向けて、家族の記憶から自分の存在を消す、死を覚悟したハーマイオニーのシーンは良い出来です。

 ハリーという男の子をタイトルにしていますが、その実態は、ハーマイオニーという魔法に優れて、状況分析ができる女の子の存在がどんどん中心になってきています。
これも、男性に苦労させられた女性作家:ジョアン・K・ローリングの主張と捉えると、すごく面白いですね。

ホームページを開設した頃の;「ハリーポッターと秘密の部屋」
第3作目の;
「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」

 

 New   ゴースト もういちど抱きしめたい  

あらすじ: かなりな規模の会社を経営している星野七海(ほしのななみ)(松嶋菜々子)は、自分の誕生日パーティで飲み過ぎて酔っ払い、噴水でふざけていたところを陶芸家志望のキム・ジュノ(ソン・スンホン)に介抱され、運命の出会いをする。恋に臆病になっていた七海だったが、一途なジュノの愛に身を任せるようになる。しかし、七海がジュノの家を訪問しようとしたある日、バイクによるバッグのひったくりにあい、七海は事故死する。死んでも、ジュノに対する想いから霊界にいけない七海は、現世に普通の人間からは見えない幽霊となって留まっていると、自分の事故死の裏側に、友人:上条(鈴木砂羽)の会社の金の横領事件があり、上条が証拠を隠すために、ジュノの殺害を考えていることを知る。何とか、ジュノの身に迫る危険を知らせるために、霊媒師(樹木希林)の力を借りてジュノに警告するが。。。

死にきれない切ない愛情がリメイクでは、まったく伝わらない!

 映画ファンなら、あらすじを読んだだけで、なんとなく、どこかで観た映画と似たような話があったと気付くはず。
そう、可憐なショート・ヘア・カットのデミ・ムーアがロクロを回していて後ろから恋人のパトリック・スウェイジに抱きすくめられる少しばかりエロチックなシーンが記憶に残っている、あの名作「ゴースト/ニューヨークの幻」を、ついに日本でリメイクしちゃいました。

 元の映画「ゴースト/ニューヨークの幻」は、タイトルのつけ方が悪くて、1990年(何ともう20年も前か!)に公開された時は、私は幽霊が出るホラー映画かと思って観たら、これが大違いで、純愛とサスペンスと霊媒師に扮したウーピー・ゴールドバーグの笑いもありの記憶に残る映画でした。
オリジナル映画では、殺されるのは男性であったのをリメイクでは女性と、男女逆にしていますが、ロクロを回すシーンは当然にでるし、ライチャス・ブラザースが歌った「アンチェインド・メロディ」も、平井堅が歌っています。
 ゴーストの存在を分からせる重要な「コイン」の移動は、簡単に味気なく「チョーク」になっていますが、ストーリーの多くは原作のままです。

 でも、日本でのリメイクには残念な点が多い。
まずは、配役のミスだ。
どうして、片言の日本語しか話せない韓国の俳優:ソン・スンホンを持ってくる必要性があったのか。
また、少しばかり年齢がいった松嶋菜々子を主役に据えるために、松嶋菜々子を会社社長にしているが、着ている物や会社での言動で社長の雰囲気がでていない。これは、無理な設定だった。
ここは、世間ずれをしていない、もっと若い女優を配し、恋人を想う気持ちをもっと切なく演じさせて欲しいところだ。

 それに、陶芸をしているのが、かなりの人が住んでいる街中のようだが、そこに薪をどんどん燃やす焼き窯があることだ。
住宅街では、煙や温度など近所との問題があり、いくら映画でも、ちょっとばかり受け入れられない、おかしな話です。窯はいらない。

 最大のミスは、愛情の表現を言葉とキスと抱き合ってベッドに入ることに頼った監督:大谷太郎(日本テレビ)の演出がある。
映画は、言葉に表せない感情を映像として表現できるのに、表面的な面だけで済ませたこの演出では、死んでも死にきれない切ない愛がスクリーンから伝わってこない。
松嶋菜々子の背中をアップしても、愛している女性の喜びは表現できないってことです。

 恋する喜びと死んでしまった切なさの表情に乏しい松嶋菜々子の演技と、ただ肉体が自慢らしいソン・スンホンでは、日本語と韓国語のセリフもかみ合わず、まどろっこしくて恋愛映画になっていない。

 いくら他にいい脚本がないためとはいいながら、こんな内容でリメイクされては、オリジナルの冒涜だと思う。
でも、またオリジナルの良さを認識させる効果はあるが。(そうか! オリジナルのDVDを買わせるためのリメイクだったのか。)

松嶋菜々子の冴えない;「眉山」

 

 New   SP 野望編  

あらすじ: 警視庁でSPと呼ばれる要人警護を担当する部門に配属されている井上薫(岡田准一)は、事件や身に降りかかる危険を予知できる特殊な才能があり、六本木で開催されていた地雷撲滅キャンペーンに出席していた大臣を爆発から救い、テロリストを追い詰めて逮捕した。しかし、SPの任務は犯人逮捕ではなく、要人の身を守ることであるため、チームリーダーの尾形(堤真一)と意見の相違があり、他の同僚達からも浮いていた。一方、キャリア官僚の中で、日本の将来を憂う集団が革命を起こそうとしていて、彼らを与党の幹事長:伊達(香川照之)が裏から支援していた。ある日の早朝、北朝鮮がミサイルを発射したとの連絡を受けた政府要人を首相官邸まで警護することになった井上ら4人だったが、その行く手をテロリストが阻む。そして、チームリーダーの尾形も不穏な行動をとる。。。

テレビ界の映画作りは、余りにもひど過ぎる!

 いやはや、何と言っていいやら。と言うより、この映画を観てしまったことを、無駄な時間を過ごしてしまったと後悔し、また、この評論に載せることを大いにためらう内容だ。

 もとは、フジテレビで放映されたものらしいが、私は、それは観ていません。

 本当に、この映画の製作に携わった人たちは、お金を払ってまで観てくれる人々を想定しているのだろうか?
まず、この映画づくりの基本の考え方から疑問がある。

 巨大な闇となると、腹黒い政治家を設定し、それも、定番のような香川照之を配役し、また彼に決まりきったセリフを言わせる。
どうして、井上が超能力を身につけることができたのか。これがまったく観客には知らせられていない。
トラックの上での格闘で、余りにも動きが早くて、どちらがどちらか分からない下手なカメラ・ワーク。
命を賭けてまで、革命を起こそうとしているらしい一群の、ここまでに至った背景の説明不足。
テロリストたちがかぶっているふざけたお面。こんな大きなお面を被っていては、自分たちの動きが悪くて攻撃できない。
また、狙撃者は、すごい狙撃銃を持っているのに、襲撃の武器にボウガンを使用するという稚拙なアイデア。
ここまで襲撃されるなら、当然に応援を頼むけど、そこまで気が回らないSP。
など、例を挙げだしたら、止まらない。

 映画を作るなら、脚本の段階で当然に煮詰めておかなければいけない事ごとが、まるで撮影しながら、その場その場で作られたようなひどさだ。
監督:波多野貴文は、テレビ局の上司の命令で、時間枠をただ埋めるだけのものをとりあえず作りましたで済むだろうが、これでは、映画館では公開できない。

 この映画だけでなく、テレビ局の人が中心になっている映画が最近多いが、それらは、映画としての公開が終わったあとの、テレビでの放映での時間枠をただ埋めるためのものでしかない。きまった時間内に無料で流すだけのものだ。
まったく、映画館で有料で観せる内容に値しない。

 もっと、映画作りに情熱を持って欲しい!

内容の乏しい;「アマルフィ」

 

 New   クロッシング  

あらすじ: 殺人・麻薬取引・誘拐などの凶悪な犯罪が絶えないニューヨークのブルックリンの警察署に勤める3人の警官がいる。一人は野心もなく退職を目前にし、気晴らしは、馴染みの若い売春婦との逢瀬だけのベテラン:エディ(リチャード・ギア)。二人目は、病弱で出産を控えた妻と2人の子供を持つ、麻薬捜査担当のサル(イーサン・ホーク)。サルは妻の出産を機に現在の狭い家から、何とか広い家を買って引越しを考えているが、頭金が無かった。三人目は、麻薬のギャング組織に潜入し、いつも緊張を強いられ身の危険を感じているタンゴ(ドン・チードル)だ。この三人の人生が、ある日起きた警察官による強盗殺人事件を契機に、交わるようになる。エディは、売春宿で見かけた捜索願いの出ている娘を見つけて。サルは、麻薬捜査で眼にする巨額の札束の誘惑に負けて。そして、タンゴは、いつのまにか親しみを感じ出したギャングのボスの暗殺で。しかし、拳銃が支配する世界での結末は。。。

女:ニューヨークが相変わらず、怖い街の印象だけが残るわね!

男:俺は、暗い画面の連続で、出だしの警察官による車中の殺人強盗から、この映画の登場人物の関係が分からなかった。
女:それにしても、アメリカの警察官のモラルの低さが、私には理解できないわね。
  いくらなんでも、麻薬捜査で手に入れたお金に手を出したりは、日本の警官ならしないでしょう。

男:でも、最近は日本の検察官も証拠を変えたり、警察の捜査もいい加減で非難されているけどね。
女:アメリカ人にとっては常識になっている、アメリカの多くの警官がしている賄賂を受け取ったり、押収した麻薬の横流しなどの認識が前提にあるようね。
  でも、私には現実味がないわ。

男:それに分かり難いのは、アメリカで行われている潜入捜査の方だろね。
  凶悪な組織に潜入している警官が、殺人を侵すこともあることだろうし、そんな時に、潜入捜査官はどんな罪に問われるのだろうかなんて考える。
女:宗教心が強くても、家族のためには、結局お金の誘惑に負けるっていうのも、おかしなもって行き方ね。
  自分の欲望の前には、宗教は何の意味もないってことを、もっと素直に表す方法がないの?

男:そこが、多くの国民がキリスト教徒であるアメリカでの脚本の限度なんだろうね。
  家族愛を絡めないといけないと思っているようだね。
女:それと、ハリウッド映画の世界でもいつもある男女平等も採用しなければならない強迫的な観念ね。
  凶悪な麻薬捜査での上司が女性である必要性があるの?
  上司を女性にしたために、出世に捉われて、現場の状況を理解しないありふれた設定に無理やりした感じがするわ。

男:それにしても、この3人の人生がクロスするのは、ほんの一瞬だったけど、よくこのタイトルにしたもんだ。
女:チラシでも英語のタイトルで”Crossing”となっていたので、原題の映画のタイトルも””Crossing”だと思っていたら、画面には無かったわね。
男:アメリカでのタイトルは”Brooklyn’s Finest”だね。
  Finest が日本語に訳しにくい。「ブルックリンの精鋭」では、ピンとこないし、宣伝文でよく使われる、なんとなく意味が深長な響きのある”交わりある人生”をもってきたんだ。
女:またまた、リチャード・ギアは最近冴えない役ばかりね。
男:リチャード・ギアだけでなく、全体としてハリウッド映画界のお客を呼べる、面白い脚本力の無さが問題なんだろう。
女:昔のリチャード・ギアみたいな、いい男がどこかにいないかしら?
男:眼の前にいるじゃないの。
女:何か、言った!
男:いや、何も...

リチャード・ギアの;「最後の初恋」
イーサン・ホークの;「ニューヨーク、アイ・ラブユー」
潜入捜査なら;
「ディパーテッド]

 


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