2008年 11月の映画・演劇 評論

   私は貝になりたい

あらすじ: 時は、太平洋戦争が始まり、日本各地から男性が戦場に送られていた頃。四国は高知の田舎町で、すこし足の不自由な清水豊松(中居正広)は、妻:房江(仲間由紀恵)とまだ幼い男の子の3人家族で理髪店を営んでいた。戦況が悪くなる中、ついに、豊松にも赤紙(召集令状)がきた。豊松が配属されたのは、本土防衛の中部軍だった。無差別に日本の都市を空襲するアメリカ軍の爆撃機が落とされ、搭乗米兵が豊松の所属する部隊に捕まる。そこで、上官の命令により、二等兵の豊松らが、捕虜を処刑した。そして、敗戦。豊松は、高知に戻り、再び妻と共に理髪店を開いていたが、アメリカの憲兵がやってきて巣鴨の刑務所に送られる。戦犯として裁判を受け、捕虜殺人の罪で絞首刑を宣告される。絶対的な上官の命令を実行しただけにも拘わらず受けた重い判決をどうにか、減じてもらおうと必死に署名を集める房江たち。重罪だった一部の人も減刑されていく。しかし、豊松を待っていたのは。。。

よくできた話であるが、それを超える物がない!

原作は、昭和33年にTBSテレビで放映され、日本中を涙で包み、主演のフランキー堺の名を後世までに残した、橋本忍の脚本。
残念ながら、私はその日のテレビを見ていないが、話題になったことは知っている。

今回の脚本も、橋本忍が担当し、一部手直しをしたとのことだ。

上官の命令は、直ちに天皇陛下の命令であり、それは例え非人道的であっても、絶対に逆らうことが許されていない日本の軍隊組織にあって、命令を実行しただけの下っ端の二等兵がどうして極刑の死の罪になるのか。
真の責任は、軍の上層部にある。
また、裁判といえば、公平であるとの認識から、判決は正しいというが、戦勝国であるアメリカ軍の主導のもとで行われた裁判は、見せ掛けだけで、判決内容は偏ったものであったという考え。

それよりも、何も言えずに、巨大な戦争に巻き込まれ、ただ流され、果ては責任をとらされた悲しい庶民の代弁者としての描き方は、確かに訴えるものがある。

演出面でも、刑務所に面会にきた赤ん坊と豊松との金網越しに指を絡ませるシーンは、泣かせる。
静かに死を迎える人、アメリカ合衆国の大統領に減刑の嘆願書を出す人など、それらを程よく混ぜているのもいい。

 豊松の家族の絆、そして町内の人たちの気持ちはよく分かるが、それを演じる役者が中居正広である必要があるのか。
中居のこの芝居では、苦悩から絶望にいたる経過がまったく感じられない。

 若い頃から足が不自由であったため世間から受けてきた辛さ。
軍隊でも他の人についていけないため受ける差別。
家族の元には戻れないかも知れないという恐れ。

 残念ながら、彼のもっているキーの高い発声と演技力では、この肝心な部分が気楽な若者のままで終わっている。
これでは、いつまでたっても、家族のもとには戻れないし、人間不信をついに「貝になりたい」とまで言わせる点まで到着できていない。
中居には、役者としての発声法、演技の勉強が、歌と同様に必要だ。

 それに、妻も仲間由紀恵である必要も無かった。
この程度の、元気なお母さんなら誰でもできる。

 映像にも問題がある。
南国高知に、足元まで埋まる雪が降り積もるか。
紅葉とせせらぎは、日本観光のありふれた宣伝か。

 全体としての出来は良いのに、監督(福澤克雄)が高知という土地を理解していないために、話を脇においてしまう、つまらない映像と、ミス・キャストが気になった映画だった。

同じような、中部軍隊の話は;「明日への遺言」

   ハッピーフライト

あらすじ: ジャンボ・ジェット機の副操縦士:鈴木和博(田辺誠一)にとって今日のハワイ・ホノルル便は、機長への最終昇格試験を兼ねた飛行であった。厳格で有名な機長:原田(時任三郎)の採点をクリアーしなければならなかった。一方、客室では、チーフ・パーサー山崎麗子(寺島しのぶ)のもとで、国際線に初めて勤務する新人CA(キャビン・アデンダント)斉藤悦子(綾瀬はるか)が、乗客の注文を間違えたりしていた。飛行機を怖がる新婚さん、文句ばかりつける会社員、はしゃぎ回る高校生の団体などを乗せたジャンボ機は、それでも一路ハワイを目指すはずが、突然のアクシデントに見舞われ、日本に戻ることになる。台風が来ている中、果たして無事に着陸できるのか。。。

緊張を適度の笑いでほぐす、面白い!
 監督、脚本は、あの「ウォーターボーイズ」と「スウィングガールズ」で独自の着眼点と笑いを見せた矢口史靖(しのぶ)だ。

この作品でも、また、また矢口ワールドを、見事に披露している。
本当に、よく事前のリサーチがなされていて感心する。
 私も、国際線を利用するたびに、出される料理とCA(私にはスチャーデスの方が言いやすいけど)には注目していたが、この映画では、我々乗客の目には触れない整備士や管制官がここまで安全飛行に尽くしているのかと良くわかる。

二人の操縦士が、食中毒を避けるために同じ物を食べないとか、一人のパイロットが操縦席を離れると、残りのパイロットは、緊急時に備えてすぐに酸素マスクをつけるシーンは納得した。
 表で華やかに働くCAも、微笑の裏には必死の努力と涙ありで、ここらあたりの話は、よくある展開であるが、これに、地上のスタッフもCA以上に苦労している話も程よく添えていて飽きさせない。

 天然ボケの演技(?)の綾瀬はるかの明るさが、緊張感をうまくといてくれる。
笑いのもっていき方もいい。

 飛行機を取り巻く世界は、知ってるつもりだったけど、この映画が与えてくれた感覚は新鮮で、今度、飛行機に乗っても別な気持ちになれる。
乗客の安全と快適な空の旅を守るために、如何に多くの人が絡んでいるのか感謝して乗れる。

 最後には、みんないい人のまとめ方は、チョット気になるけど、きちんとまとまっていた。

矢口監督の;「スウィングガールズ」  (今この作品を振り返ると、上野樹里、貫地谷しほり、本仮屋ユイカ、平岡祐太など活躍している俳優が多く出ているので、監督としての矢口の凄さが分かる。)

   まぼろしの邪馬台国

あらすじ: 昭和31年。NHK博多で歴史の番組を受け持っていた長浜和子(吉永小百合)は、島原鉄道の社長であり、日本の古代史を研究している盲目の宮崎康平(竹中直人)との対談がきっかけで、宮崎が次に計画しているバス・ガイドの指導員として島原に行くことになる。宮崎は、子供2人を抱えながら妻に逃げられ、また会社は厳しい経営状態にあった。そんな中、島原を集中豪雨が襲い、鉄道も寸断される。再建に追われる島原鉄道であったが宮崎が遺跡調査にも手を出すので、ついに宮崎は社長の座を追われることになる。失意の宮崎の眼になって子育てと、魏志倭人伝を読み聞かせる和子との「邪馬台国」探しの旅が始まる。邪馬台国はどこにあるのか。。。

女:夫婦が二人で、一人だった頃の懐かしい話ね!

男:二人で一人とは、よく言ったね。
女:戦後間もないころの日本では、この映画のように、亭主は威張っていたけど、家庭内の実権は奥さんが握っていたのよ。
  大きなことを言っても、妻がいなければ何もできなかった時代がよく分かるわね。

男:奥さんも旦那に従うような振りをして、本当は、自分の夢の実現をしていたんだね。
女:夫婦にとって、一緒に動けることが本当の幸せね。
男:そういう意味では、吉永小百合の演技は淡々としていて成功かな。
女:かなりの大型画面でも、まだ十分に見られる表情ね。
男:顔のしわを探すのが目的ではないけど、そこは私も心配していたけどいまだに美しいね。
女:でも、特異なキャラクターとなるとどうして竹中直人なの。
  常軌をはずすいつものオーバーな演技と小心者とのギャップだけでは、どうもほのぼの感が出ないわね。

男:話が上手くできていないんだよ。
  和子の方は中国から帰ってきた過去など少しは説明があるけど、康平の方は、どうして盲目になったのか、まして会社の社長になっていることから、この辺りの説明がいるよね。
女:邪馬台国がどこにあるのかは、いまだに分かっていないんでしょ。
  ここらも、どうして論争があるのか、教えて欲しいわね。

男:それなら、私の出番だね。
  古代の日本と思われる「倭人」のことが書かれた中国の歴史書の中で、「邪馬台国」という国の存在が記述されているんだけど、そこに書かれている距離と日数、そして方角の通りにいくと、地理上では、はるか太平洋に出てしまうんだ。
  そこで、ある学説では、距離が違っているといい、ある学説は方向が違っていると自分たちの都合のいいように「倭人伝」を解釈して、邪馬台国は近畿地方にあったとか、九州にあったとかいってるのさ。
女:そうなの。そんな大昔のことでもめてるなんて、学者は気楽ね。
  邪馬台国の場所が分かっても、現代の私たちの生活には影響ないでしょ。

男:確かに、影響はないけど、「まぼろし」を求めるロマンがあるね。
女:でも、映画じゃ、あちらこちらによくもまあ、眼の不自由ななか行ったのねって感心するだけで、ロマンは感じられなかったわ。
男:干潟の映像は奇麗だったけど、郊外でおにぎりを食べてる遠足の延長程度の演出だった。
女:脇役の登場の仕方が、まったく訳が分からないのね。
  どうして、綾小路きみまろがうどん屋の叔母さんなの。
  草野仁や黒谷友香のシーンは不要でしょ。

男:友情出演か知らないけど、変なシーンを入れてしまったために、全体の流れがまったく悪くなる見本だね。
  監督:堤幸彦の自信のなさの表れだよ。
女:そうね、でも変なところでは、気を使っているのね。
  花束提供者の、森繁久弥や共同制作の木下工務店の名前に気がついた?

男:映画とまったく関係のない部分の方に眼がいくっていうのは、残念な話だね。
女:実物の宮崎夫婦がモデルっていうけど、創作も多いようね。
  それなら、いっそのこと「邪馬台国」が、島原にあったってことにすると宣伝にもなったんじゃないの。

男:そこまでやると、ロマンがなくなるよ。
女:ロマン、ロマンって、だからあなたはだめなのよ。
  もっと現実を見つめる姿勢が必要よ!

男:今は、映画の話でしょ。
  ここで、私のことをださなくても...
女:何か言った?
  言いたいことがあれば、はっきり言って!

男:いや、別に...

吉永小百合でも、映画は、監督と脚本が中心になると感じさせる、;「母べえ」

   ブーリン家の姉妹

あらすじ: 時は16世紀のイングランド。王ヘンリー8世(エリック・バナ)には、世継ぎとなる男子がいなかった。そこで、地方貴族のブーリン卿は自分の長女アン(ナタリー・ポートマン)を愛人として差し出して権力を手に入れようと画策していた。しかし、狩にきた王が見初めたのは、田舎の貴族と結婚したばかりの妹メアリー(スカーレット・ヨハンセン)だった。王の愛人になるべく意気込んでいたアンは、フランス宮廷の侍女としておいやられる。メアリーは懐妊したが、生まれたのはまたも女子だった。フランスから戻ってきたアンは洗練された会話と振る舞いを身に着け、王の寵愛を受け、ついに正式な王妃の座まで手に入れる。だが、アンが産んだ赤ん坊も女子だった。男子を産むべく努力するが、近親相姦の罪で断頭台に消えようとする姉アンを救おうとする妹メアリーの願いは叶うのか。。。

女性が造ったイギリスの歴史!

 権力者の世継ぎの問題は、日本を含めて世界でも同じだ。
そう、まるで江戸時代の大奥の物語です。
日本の大奥なら将軍の寵愛をうる為の大名や大老などの思惑、そして若き女性の手練手管のあれやこれやが、イングランドでも同じように展開される。

 始まりからの30分ぐらいは、登場人物の紹介が簡単で、どうしてアンがフランスにいき、また戻ってくるのか端折り方が大まかで面白くないが、フランスから戻ってきたアンの王や妹に対するやり方が、非情なまでに高められていて楽しめる。

 女性としての、王へのじらし方や、目的を達するためには、妹さえも陥れるなどまさしく手段を選ばないやり方、これは、最近演技に乗ってきたナタリー・ポートマンの独壇場である。
ほとんどが、お城の中での映画で背景の動きが少ないが十分に観られる。
石の建物での光の当て方や、緑色を基調とした衣装など映像もきれいだ。

 記録が残り、歴史の表に現れているのは、権力者たる王など男性陣ですが、どこの国でも、本当に歴史は夜造られるものです。

 男としての余分な一言;新婚間のない人妻は、王でなくても魅惑的です。

最近大活躍の、ナタリー・ポートマンなら;「宮廷画家ゴヤは見た」

なお、アンが産んだ娘は、その後エリザベス女王となりました;「エリザベス、ゴールデン・エイジ」


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