2008年 10月の映画・演劇 評論

   P.S.アイラヴユー

あらすじ: ニューヨークに住むホリー(ヒラリー・スワンク)とアイルランド出身のジェリー(ジェラルド・バトラー)は、若くして結婚し、経済的には不満があるが未だに熱烈に愛し合っていた。しかし、ジェリーが突然、脳腫瘍で亡くなってしまい、自堕落になったホリーの30歳の誕生日に送られてきたテープには、死んだ筈のジェリーの肉声で、これから10通の手紙が届くからそれに従ってくれと伝言が入っていた。不思議ではあったがその通りに送られてくる手紙に従ってジェリーと出会ったアイルランドへの旅行などをするホリーの傍にはいつもジェリーの面影が寄り添っていた。ホリーが恋人の死を受け入れる日がくるのか。。。

死んでから、こんなに愛されても寂しいだけ。

 チラシや予告編では、死人からのラブレターで、これは「ゴースト/ニューヨークの幻」並みの映画かと期待するが、実体は...

余りにも、みえみえの仕掛けが多すぎる。
恋人同士の金銭問題もこの程度では、他から見れば、他愛のない、長い痴話げんかにしか過ぎない。
ちょうど30歳の誕生日に合わせて、肉声のテープがくるのも、作り手の感動を与えたいとのこざかしさが分かり、うるさく感じられる。
そこそこの大人なら、手紙の差出人を追及しろよって誰でも思うだろう。

 恋人を失った悲しみに、落ちるのなら、徹底的に落ちてしまいそこから這い上がれば、それなりの感動を観客にもたらしてくれるが、結局友人や母が来てくれて、解決するのも悩み方がたりない設定だ。

 美しいアイルランドの風景も、アメリカにないものとしてだけの表面的ないろどりで、「ワーきれい」と言ってしまえば、後に残らない。
現実には存在しない恋愛を、思い出の中で理想化し、自分に都合のいい甘い悲しさだけを取り出すとこうなるのか。

 しかし、これでは、隣で観ていた女子高生にとっても、キッスの仕方の勉強にしかならなかったようだ。

 最愛の恋人の死を乗り越えたその後の人生と、また母親(キャシー・ベイツ)が父親なしで娘たちを育ててきた現実を追及した方が良かったのか。
いずれにせよ、死んでしまった人を熱烈に愛してもそれは虚しいだけだ。

 最近のハリウッド映画を観て思うのは、中心がニューヨークで、そこからこの映画のようにアイルランドとかイギリスなどの海外ロケを挟む手法です。
各国の映画への補助金が関係しているようです。

 ヒラリー・スワンクなら;「ミリオンダラー・ベイビー

 最近活躍をしているジェラルド・バトラーの;「幸せの1ページ」

   宮廷画家ゴヤは見た

あらすじ: 18世紀の終り頃。スペイン国王カルロス4世の宮廷画家として召し抱えられたフランシスコ・デ・ゴヤ(ステラン・スカルスガルド)は宮廷の絵の他に貧しい民衆の絵も多く描いていた。ゴヤが今画いているのは、裕福な商人の娘で、天使のように無垢な少女イネス(ナタリー・ポートマン)と異教徒や無神論者を捕え異端審問を行うロレンソ神父(ハビエル・バルデム)だった。ある日、イネスがたまたま豚肉を食べなかったところを教会の人に見られ、審問で拷問を受けたイネスは、ユダヤ教徒であると偽りの告白をして牢獄に送られる。そんな娘を救おうとした父親は、ロレンソ神父を夕食に誘い、天井から吊るして「自分は猿だ」という告白書にサインをさせ、イネスを助けるようにさせるが、もうロレンソ神父の力では解放はできなかった。しかし、牢獄でイネスに会ったロレンソ神父は、イネスの美しさの虜になり欲望を果たす。だが、ロレンソ神父もスペインを追われ、イネスの存在もナポレオンが率いるフランス軍の侵攻で不明になる。それから、15年、今は耳が聞こえなくなったゴヤは再びイネスとロレンソに会うことになるが。。。

確かに、画家的な第三者の感覚になる映画だ!

 監督は「アマデウス」のミロス・フォアマンで、出ているのが「ノーカントリー」でアカデミー賞を取ったハビエル・バルデムでは、とりあえず観ておかないといけないと思い映画館に足を運ぶ。

 扱っている題材は、異端審問という宗教に名を借りた恐怖が、いかに罪のない人々の自由を奪ったかである。

 出世欲に目がくらんだ神父は、自分のために宗教を利用し、敵であるフランスさえも迎え入れてしまうこの描き方は、スペインの人たちが観たら、かなり嫌な映画だろう。
それは、映画の中で言われるように「身も心も、売ってしまう」実に悲しくて、辛いことであるからだ。
宮廷画家として雇われているゴヤそのものも、いくら民衆側の苦しみを描いても、所詮は自分を売っているという行為は、ロレンソ神父の立場と同じだ。
 自由・平等・博愛を標榜するフランス革命も実体は、スペインを力で支配しただけで、その後も、スペインには混乱だけが続いていたのは、20世紀になっても自由が無かったスペインを反省する意図があるようだ。

 ミロス・フォアマン監督が皮肉を込めた、ゴヤの描く王妃が、実物と似ていなかったという話は十分に面白い。
また、映像としては、全体的に暗い調子の中ではあるが、ナタリー・ポートマンの熱演が光っている。
若い頃の美しさと、15年後の酷い姿での哀れな感じの差がメーキャプのうまさとともによく出ている。

 しかし、ゴヤが動乱の中にいて、苦しむ民衆の気持ちを描いたことは伝わるが、ロレンソ神父の動きの方にも重さがあるせいか、映画に入っていけない。
ここら辺りが、2006年に製作されていても、日本公開が、この2008年10月と大きく遅れた原因のようだ。

ハビエル・バルデムのおかっぱ髪の殺し屋;「ノーカントリー」

ナタリー・ポートマンがちょっとでている;「マイ・ブルーベリー・ナイツ」

*ついでに、ゴヤの作品は、今年の5月のスペイン・ポルトガルの旅の4日目で、マドリッドにある「プラド美術館」で観ましたが、「子供を食べる」絵や「巨人」の絵は、宮廷の王族を華麗に模写するゴヤの同じ作品とは思えないほどでした。

   最後の初恋

あらすじ: 浮気をした夫との離婚を考えているエイドリアン・ウィリス(ダイアン・レイン)は、急用ができた友人の頼みでノースカロライナの海ぞいにある小さなペンションを5日間だけまかされることになった。季節はずれで客は、外科医のポール・フライナー(リチャード・ギア)だけだった。ポールがそこに泊まったのは、医療ミスの殺人罪で遺族から訴えられていたためだった。ある日嵐がやってきて、エイドリアンとポールは緊迫した時間をすごしつつも、親密な関係になる。愛を感じる二人だが、ポールはアフリカにいる息子の元へ行くため別れなければならなかった。戻ってくることを誓ったポールであったが、アフリカでは。。。

女:大人の恋って、こんなにときめきがないの?
男:平凡な日常生活の設定が、日本人には平凡ではないよね。
女:浮気をした旦那を許さないこと?
男:旦那の浮気は、日常茶飯事ではないし、それが離婚まで進むってのは、妻の側の浮気を正当化するためのいいわけでしょ。
女:でも、女性に慰藉料が十分に入れば、夫の浮気はすぐに、離婚の話になるわよ。
  私が言いたいのは、設定の盛り上がりのなさなの。

男:訳ありの医者で、嵐の夜の二人か。
  そうだね、まるで「映画みたいな話」だね。
女:確かにリチャード・ギアはいい男よ。
  でも、この役で求められているのは、傲慢さをもった外科医で、また息子や妻にも見捨てられる情けない中年おとこでしょ。
  その演技ができていないのよね。残念ながら。

男:細かく観てるね。
  それは、俺の感想として言おうと思ってたことだけどね。
  美男俳優が好きな、君がそう言うのは、本当に残念な演技だったってことだね。
女:腕がよくて、世間を馬鹿にした感じが出てないのよ。
  特に、2回目の遺族との対面のところは、今までの人生を大きく反省する場面でしょ。
  それが、表現できていないのっ。

男:ダイアン・レインとの愛の部分は、生き生きとしていたけど。
女:海辺でじゃれあうってのは、古い古い描き方。
  貴方も、うんざりでしょ?

男:海辺の恋愛物では、まあ、波打ち際での場面は想像できたけど。
女:想定外は、あのペンションというか、コジンマリとしたホテルね。
  あの建て方は、日本では絶対出来ないわね。

男:すごいね。
  砂浜の波が打ち寄せる場所に、あの幅と高さだからね。
  不安定で、嵐には耐えられないね。
女:でしょ。
  あまり、建物に詳しくなくても、これは、頭から適当な話になるってことは、あの建物をみてすぐに感じたわ。

男:二人の恋が、うまく纏まりそうと思わせて、片方の死でおじゃんになるってのも、お涙頂戴の定石だったね。
女:映画をあまり観たことのない若い女性なら泣けるかもわからないけど、今時、このよくある手は、もう駄目ね。
  涙よりも、あくびがでたわ。

男:そうだね、人生を永く生きてきた君には、特に退屈な出来だったんだ。
女:何よ、それは、棘のある言葉ね!
男:イヤッ、そんな意味では...

リチャード・ギアとダイアン・レインのコンビなら、;「運命の女」

リチャード・ギアなら;「Shall we Dance?」


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