2007年11月の映画・演劇 評論

2007年

 タロットカード殺人事件

あらすじ:場所はイギリス。一流の新聞記者ストロンベルが亡くなり、「三途の川」から死後の世界へ向かう舟の中で、事件現場にタロットカードを残す連続売春婦殺人事件の犯人に関する情報を入手する。このスクープを何とか生きた世界の人間に伝へようと選んだのが、アメリカから夏の間ロンドンに留学している少し頭の弱い大学新聞の記者サンドラ(スカーレット・ヨハンソン)だった。ストロンベルが使う連絡場所は、三流マジッシャン、スプレンディーニ(ウディ・アレン)の「消える箱」であったため、サンドラとスプレンディーニの二人は親子の振りをして、容疑者の貴族ピーター・ライモン(ヒュー・ジャックマン)に近づき、身元を調べる。しかし、ピーターに疑わしい様子はない。スマートなピーターの魅力に負けサンドラは恋に落ちる。だが、また新しいタロットカード殺人事件が起きる。真犯人は誰か。。。

セリフの嵐とウエットが、気持ちを楽にさせる!
 ウディ・アレンが監督をし、主演もしている。ウディももう70歳とか!
しかし、彼の作品の特徴であるセリフの多さは相変わらず健在だ。この映画も殆ど全編がトークで占められている。

 生粋のニューヨークっ子のウディとサンドラが、いまだに貴族社会があるイギリスという伝統と文化が違う国で、左側通行や、アメリカ語と英語の違いで苦労するのも面白い。

 冒頭のシーンの死後の世界へ渡る「三途の川」という発想は仏教の東洋人の考え方かと思っていたら、何とキリスト教が中心のヨーロッパ人でも分かるようだ。
死神の船頭にワイロをつかませて、何とか現世へ戻ろうとする話は、日本の「落語」と同じクスグリだ。

 どもる癖があると言いながら、ムチャクチャに多弁な余り奇術が上手くない世話好きのおやじさん。
本当の英国人なら、こう簡単には貴族には近づけないだろうが、そこは、恐れを知らない、好奇心溢れるアメリカのヤンキー娘。
この二人を探偵コンビにするとは、一見、ありふれた設定ではあるが、さすがにウディの手にかかると無駄が無く流れていく。

 「溺れない」落ちは分かっていても、「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」などの聴きなれた音楽とともに、気持ちよく観られる映画だった。
万事めでたし、めでたしを避け、「左側通行」が原因で死んでしまうのも、ウディらしい選択だ。

 

 モーツァルト! (ミュージカル)(帝国劇場)

あらすじ:ウィーンの音楽界で、ヴォルフガング・モーツァルトは神童と呼ばれ5歳にして作曲と演奏で大活躍をしていた。しかし、成長するに従いヴォルフガング(井上芳雄)を庇護するコロレド大司教(山口祐一郎)の下では、自分の才能を充分に発揮できない苛立ちから、ヴォルフガングは、最愛の父(市村正親)や姉(高橋由美子)と別れてパリへ行く。だが、行く先々でコロレド大司教に邪魔をされ、生活は貧しかった。そんな時出合ったコンスタンツェ(hiro)と愛を育むが、音楽が中心のヴォルフガングの我侭さは、コンスタンツェとの暮らしも壊していく。それでも、作曲したオペラ「フィガロの結婚」「魔笛」と好評を博し、ついに「レクエム」で才能に終わりが来る。。。

再・再演の必要性があるのか?
 02年に初演され、05年に再演された脚本:ミヒャエル・クンツェ、音楽:シルヴェスタ・リーヴァイのコンビ。このコンビのミュージカル作品には「エリザベート」がある。
日本の演出・訳詞は小池修一郎。主役のモーツァルトはダブル・キャストで、05年の時は、中川晃教で観ている。 山口祐一郎や市村正親などは、前回と同じキャストである。

 05年の公演でも感じたが、主題が不明だ。
才能に恵まれた青年が抱える苦悩の愛や家族との別離の寂しさなどを描きかったようではあるが、この構成では感情に沁みてこない。
赤い服を着た小さいアマデウスの存在は、才能の化身として、興味深いもって行き方ではあるが、この旋律と舞台装置では、青年 モーツァルトが対面している若さの悩みが出ていない。
また、衣裳も青年 モーツァルトは、現代の流行の破れたジーンズ姿で登場し、他の演者はモーツァルトが生きていた当時の服装では、まとまりがよくない。
このあたりから、演出のほつれが出ている。

 父親や家族を愛していても、男が持つ反抗と独立心。そして、異性に対する恋心。
人類として当然の感情が、音楽に乗っていかない。
最高の見せ場であるはずの、恋人のコンスタンツェとのデュエットも盛り上がりに欠ける。

 演出としても、青年の苦悩=舞台を暗くする の手法では、あたりまえ過ぎないか。暗い舞台は、観客の眼を特に疲れさせるだけだ。
それにミュージカルの基本である「歌詞」をもっと推敲してほしいものだ。

おまけ:恋人のコンスタンツェのhiroは、沖縄出身のグループ元SPEEDで歌っていたあのhiroです。随分と大人の女性になっています。
もうひとつ、おまけ:小さいアマデウスを演じている子役(名前を探したが分からない!女の子?)が、セリフは一つもないけど、必死に羽ペンを動かすしぐさが可愛い。

参考までに,同じ脚本:ミヒャエル・クンツェ、音楽:シルヴェスタ・リーヴァイのミュージカル;「マリー・アントワネット」

 

 ボーン・アルティメイタム

あらすじ:ジェイソン・ボーン(マット・デイモン)は、記憶をなくしてから、自分の過去を探し求めて世界中をさ迷い、朧気ながら自分は元CIAの暗殺者ではないかと思い出していた。一方、ボーンを使って数々の暗殺計画を実行してきたCIAにとって、彼の存在は邪魔で、次々と抹殺者を送り込んできた。しかし、強健な殺人マシーンとして訓練されたボーンの肉体はついにCIA本部に迫り、秘密の計画が明らかになる。過去を取り戻したボーンに安息は訪れるのか。。。

画面展開の速さと、話の流れの早さの二重で眼と頭が疲れる
 これも、最近の続編の流れにあり、03年正月に公開された「ボーン・アイデンティティー」と続作「ボーン・スプレマシー」のさらに3作目の映画だ。
まったく、映画界、特にハリウッドの製作は、どうしてこうも、続編ばかりで安定した興業に頼るのかな。
何て思いながらも、製作者の安定志向に乗ってしまった自分です。

 「アルティメイタム」とは、「最後通告」の意味で、ボーンがついに自分の過去に到着し、これが最後なら、チョトは観てもいいかなって思って観ました。

  舞台は、前作でもそんなに世界中を飛び回らなくても良いじゃないとの思っていたが、今回もモスクワ、パリ、ロンドン、マドリッド、モロッコはタンジールと余分な観光を兼ねたロケだ。
結局最後は、アメリカはニュー・ヨークに戻ってくるのだから、ハリウッドの世界戦略でのおまけとして、各国の名所案内が付いているって訳か。

  これら各地でバイクでのアクションや格闘技をやるのだけど、これだけ詰め込むには、フイルムの早送りが必要となった。
場面は、ドンドン変わって行く。話もビョンビョンと進む。今どこの都市にいるのやらボンヤリとする。
そのうちに、ボーンとアクションを演じるスタントマンが明らかに別の存在になって来るという不思議な感覚になった。
物凄いカー・アクションでひっくり返っても、ビルの窓を突き破っても、また敵と死闘を演じてもその後で不死身で出てくるボーンは、アクション・シーンでの人物とは違う存在だ。

 そして、詰め込みが多過ぎた。そのために、話が一部粗雑になってしまう。
当初のロンドンでの話は、名物になっている(?)市街に配置された多くのモニター装置での監視などは、案外丁寧に作っていて、興味を引くが、最後の方のボーンがCIAビルへ侵入するのは簡単すぎないか。

 「ボーン・スプレマシー」では、恋愛関係も出てきたが、今回は、殆ど愛のないのも寂しい。
「007シリーズのジェームス・ボンド」のように、孤独な男には愛を交わす美女があると際立つけど。(ジェイソン・ボーンは、語感的にも明らかに、OO7のジェームス・ボンドを狙っています。)

 主演のマット・デイモンは今年は随分と活躍している;「グッド・シェパード」
  そして、1作目の「ボーン・アイデンティティー」

 

 ALWAYS  続・三丁目の夕日

あらすじ:昭和34年の東京は、ある下町の三丁目。新しい東京のシンボルとして東京タワーも完成し、またオリンピックの開催も決まり何も無かった戦後から経済復興がすごいスピードで始まっていた頃。鈴木オート(父:堤真一、母:薬師丸ひろ子、息子:小清水一揮、従業員:堀北真希)では事業に失敗した親戚の娘美加を暫く預かることになった。いままで贅沢に育てられ、銭湯に行ったこともないお嬢様育ちの美加と鈴木家の人や、作家志望の茶川(吉岡秀隆)と一緒に暮らしている淳之介(須賀健太)とは最初はぎこちない付き合いだったが、それもすぐになくなり、子供達は一緒にセミを取ったり捨て犬と遊んでいる。いつまでたっても「芥川賞」をとれず、恋人ヒロミ(小雪)との仲も気まずくなっていく茶川がついに発奮して「芥川賞」を再び目指した。日本橋の上に高速道路が架けられ、夕日が見られる場所も狭くなっていく。。。

女:昭和30年代の再現に凝りすぎで、物語がおろそかね!
男:05年末に公開されて評判が良かった映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の続編だね。
女:原作は、コミック雑誌の「ビッグコミック・オリジナル」に今も載っている西岸良平さんの「三丁目の夕日」でしょう。
男:そうだね。
   この原作は、前の「映画・演劇 評論」でも言ったんだけど、良い人ばかり出てくるので、飽きてしまって今はもう読まない。
女:結局、登場人物が善人ばかりでは、1回はいいけど「続き」を作ることは、無理ってこと?
男:そうだね。単に善人だけの問題だけでなく、多くの人も分かっていると思うけど、「パート2」や「続」で元々を凌ぐ出来だったのは、殆どないよ。
   これだけ、映画を観ている私でも、続編で良かったと思っているのは、「インディ・ジョーンズ」と「スター・ウォーズ」ぐらいだからね。
女: それに、この「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は、完全に前作を観ている人でないと、ヒロミのみえない指輪の話や、淳之介と茶川の関係は分からないでしょ。
  こんな、作り方は映画としては、問題がありすぎよ。
  そりゃ、少しだけ前作と絡むなら良いけど、物語の中心となっている肝心な部分を、お金をとる映画館での映画として作るなら、前作の説明も入れるべきでしょ。
男:それで、説明も兼ねて、日本テレビで公開の前日にオリジナルを放映したんだね。
女:あなたが原作を読まなくなったと言うように、話の展開が本当に単純ね!
男:私はそんなに言っていないよ。
  「芥川賞」には落選し、淳之介が結局は茶川と暮らし、ヒロミも新幹線から戻ってくるなんて、最初から分かっていたとは、口が裂けても言えないね。
女:言っているじゃないの。
  みんな予想していたとおりの平凡さってことね。
男:オリジナリティの無い映画は、つまらないよ。
  冒頭のゴジラが暴れるシーンは、「フーテンの寅」の夢のシーンのパクリだし。
女:そして、日本橋の上で、薬師丸と初恋の上川が出逢うのは、「君の名は」からの再現ね。
  そう、だいたい、再現にばかり力が入り過ぎよ。
  路面電車が走る当時の街並みはいいとしても、羽田空港まで再現する必要性があったの?
男:監督:山崎貢を始めとして、情感の再現よりも、風景やこだま号など現実の再現にエネルギーを注ぎこんだんだね。
  昭和30年代を生きてきた我々は、銭湯での牛乳を飲む場面や自転車の三角乗りなんかだけでも、この年代は充分に思い出すことは出来るからね。
女:風呂上りに飲むコーヒー牛乳って最高のご馳走だったわ。
   風景の再現よりも、観客をかなり意識しすぎよね。
男:うん? どこが?
女:テーマが昭和30年代でしょ。
  そこで、観客はその頃を懐かしがる50歳から60歳代を狙っているのよ。
  この年代を泣かせ、うけるための、子供を使う、子犬を使う、戦友の幽霊を出す、踊り子とインテリ作家との身分差を持ってくるなんて、もう見え見えの小細工が満載ね。

男:でも、かなりの観客はそれに乗っていたよ。
女:わかっていないのね。人を泣かせることは、笑わすことより簡単なのよ!
  作品の評価を上げるのは、小物を使って泣かせることじゃないのよ。
  いい?

男:それは、いつも私が言っていることで...
女:いいえ、これは、わたしのオリジナルの言葉よ!
男:そんな、バカな...

日本橋の上の高速道路:これの存在は、歴史的な景観を本当に損ねています。オリンピックでの整備のため急いで高速道路を作る必要性があったのは分かりますが、早急に高速道路は地下に潜らせて、日本橋の上の空間を取り戻すべきです。今の土木技術なら可能です。どう、思いますか?

参考に、前作;「ALWAYS 三丁目の夕日」 
     堤真一が面白かった;「舞子はーーん」

 


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