2007年 3月の映画・演劇 評論

2007年

 ホリディ

あらすじ:もうすぐ、クリスマスがやってくる頃。イギリスはロンドン近郊の納屋を改造した小さな家に一人で住んでいる新聞記者のアイリス(ケイト・ウィンスレット)には、3年も付き合っている同僚の彼がいたが、なんとクリスマス・プレゼントを渡した日に、彼は他の女性と婚約し涙に暮れていた。一方、アメリカはロサンゼルスでプール付きの事務所を兼ねた豪邸に住む映画の予告編を製作する会社を経営しているアマンダ(キャメロン・ディアス)も若い女性に手をだす恋人と別れて気分が滅入っていた。気分転換にネットで探し出した田舎のアイリスの家とロスの家を2週間の休暇中だけ交換することにした。喧騒から逃れるためにやってきたイギリスの田舎だったが、都会暮らしに馴れたアメンダには、やっぱりものたりない。そんな時、セクシーなアイリスの兄:グラハム(ジュード・ロー)がやってくる。軽い気持ちで付き合う二人だったが段々と真剣になる。また、ロサンゼルスで休暇を楽しむアイリスにも映画音楽作曲家のマイルス(ジャック・ブラック)との交際が始まっていた。傷心を抱いた二人の休暇は癒されるのか。。。

ゆったりと安心した気分で観ていられる
  久し振りに、映画を愛する人が丁寧に作り上げたという作品だ。
監督は、ジャク・ニコルソンが出ていた「恋愛適齢期」を撮ったナンシー・メイヤーだ。

 一夜限りと思っていたカジュアルな気持ちから始まる恋。違った場所での休暇に期待する新しい出会い。
特に目新しい設定ではないけれど、流れが自然で、また映画が好きな人には随所に製作者の思い入れが分かる。

 同じ英語圏といっても、寒くて伝統的なイギリスと、明るくて開放的なアメリカとの自然と文化の対比を、雪景色と普通なら太陽で比較するところを嵐を持ってきたところは憎い。
 そう、身近なところでは、道路だって、イギリスの左側通行とアメリカの右側通行では大きな差だ。
メインとなる女性像の差別化もケイト・ウィンスレットはどことなく男につくすたよりなさをうまく出したし、キャメロン・ディアスは典型的なアメリカのキャリア・ウーマンのイメージで好きなことをバリバリ演じているのも気持ちいい。
細かな点までイギリスとアメリカの違いをよくみせてくれている。

 今までの映画の名作の話も映画音楽に絡んで出てくるが、言われるまでもなく、「炎のランナー」「ジョーズ」「風と共に去りぬ」など音楽と映像が共に眼に浮かぶ。
「卒業」の話のシーンでは主演していたダスティン・ホフマンも店のお客さんとしてチラット出ているので見逃せない。

 二人の恋だけでなく、映画を愛したハリウッドの老人の挿話も色取りを添える。
失恋しても、また輝く明日に向かって旅立とうと元気になる映画だった。


なお、映画でやっていた「home exchange」はネットで検索できますよ。

同じナンシー・メイヤーズ監督の;「恋愛適齢期」

ジュード・ロウの;「ロード・トゥ・パーディション」

ジャック・ブラックなら;「スクール・オブ・ロック」

キャメロン・ディアスの;「チャーリーズ・エンジェル」

 雪まろげ (帝国劇場)

あらすじ:昭和も終わりの頃の青森県は浅虫温泉。ここで働く多くの芸者の中でも賑やかな座持ちで売れっ妓の夢子(森光子)はひょんなことからストリッパーのアンナ(山田まりあ)と地元に駐在するテレビ局員:伴大吾(石田純一)を助ける。夢子は孤児院で育てられ、東京から各地を転々としているうちに相手に合わせた軽い「ウソ」をつく癖が身についていた。伴に好意を抱く夢子は、寂しい自分の過去よりも、中国人を助けたという幼い頃の友人の身の上話をまるで自分の事にように作り上げてはなす。しかし、その中国人(米倉斉加年)が今は政府の要人となって昔の恩人を探しに来日していた。伴の会社への連絡で再会のシーンがテレビで全国放送されることになる。軽い気持ちでついた夢子のウソが、まるで雪の坂を転がる「雪まろげ」のように、ドンドン膨らんでいく。。。

いつまでたっても、サービス精神旺盛な森光子さんに脱帽
  元々は、1980年から芸術座などで上演されたもので、アイドル・タレントだった山田まりあが演劇にでるということで私も記憶している。

 たびたびで、いまさら森光子さんの年齢を引き合いに出すことはないと思うが、で出しの宴会の場では、セリフに切れがなく、もたついていたのでチョットばかり心配であったが、話が進むうちに、森さんの世界に惹き込まれる。
津軽弁で歌う「津軽海峡・雪景色」は、まだまだ舞台を続けられるエネルギーを充分に感じさせる。
一人で電話をするシーンなどの間のとりかたは、相手がいないにもかかわらず、もう最高の演技だ。

 森さん以外の脇を固めた芸者衆との演技のやり取りもしっくりいっている。
そして、競争心のない素朴な青年を演じた石田純一やお金に執着する芸者の中田喜子との絡みも上手くつながっていた。
ニュース・キャスターを演じた森口博子はこの舞台では、目だっている。

 原作の小野田勇の本がいいのか知らないが、夢子の話以外に挿入されている持ち逃げのエピソードなども演出:マキノノゾミは無駄なくもっていっている。

 まったく舞台は魔物というけれど、演じる人の年齢が若くもなり、老人にもなる不思議な空間だ。

2005年の森さんの舞台;「ツキコの月」

 デジャヴ

あらすじ:ニューオリンズでアメリカ海軍の兵隊とその家族が休暇を楽しんでいたフェリーが何者かに爆破され、子供たちを含めて543名もの犠牲者をだした。捜査に当たったダグ・カーリン(デンゼル・ワシントン)は、別の水難死亡者クレア(ポーラ・パット)がこの爆破事件と関連があると推理し、クレアの自宅を捜査する。そこでダグが見た物は以前彼がどこかで見たことのある光景(デジャヴ現象)だった。FBIと共に捜査をすることになった彼が連れていかれた場所には政府が秘密に開発した「タイム・ウインドゥ」と呼ばれる現在から「4日と6時間前」を見ることのできる監視装置があった。「タイム・ウインドゥ」を使いクレアの過去の生活を目の当たりにしたダグは何とかクレアの死を防ぎたいと思う。過去の事実と現在が交差するなか、ダグの捜査が進む。。。

スピードのある展開はいいが、結末が不自然だ
  俳優や監督よりも、「パイレーツ・オブ・カリビアン」などの製作者:ジェリー・ブラッカイマーの方が宣伝に使われている映画だ。
ということは、うがった見方をすれば、ストーリーや俳優は面白くないってことか?

 そう、話が複雑で、監視装置の仕組みなど時空を越えた場面は、いくら説明を聞いても、ダグと同じで分からない!
分からない話に基づいたことを映像にされても、やっぱり観客も理解できないまま席を立つ。

 でもそこは、ハリウッド。クレアの下着姿やシャワー・シーンで男の観客の気を引こうとするが、この程度では私は満足できない!
 他の映画でもよくでてくる、逆走する「カー・チェイス」もやたら車同士がぶつかっていて、これでは、爆破の犠牲者だけでなく、自動車事故の犠牲者もかなり多いだろうと余分な心配もしたくなる。
変なヘルメットを付けて過去と未来が行き来するのは、もっと時間をかけて描かないと、さっぱり分からない複雑さだ。

 後半は意外性のある方向に向かっていてそれなりに面白いかと思っていたが、あの川の中の展開でダグが生きていては、疑問符が頭の周りを飛び回る。
もういくらなんでも不自然だった。

だいたい、タイム・トラベルを組み込むことが、上手くストーリーを完結できない原因か。

その点、うまく話を持っていった;「イルマーレ」

 蒼き狼  地果て海尽きるまで

あらすじ:12世紀末の中央アジアはモンゴルの草原で、族長(保坂尚希)の息子として、一人の赤ん坊が産まれた。彼の名はテムジン(反町隆史)。部族間の争いのなか父親は毒殺され、また、テムジンの父親は他部族の男ではとの疑惑から、自らの部族を失う。だがモンゴルに伝わる英雄「蒼き狼」の生まれ変りとして、困難と立ち向かうテムジンの元には多くの部族が集結してきだした。しかし、ある戦いで妻ボルテ(菊川怜)が略奪される。どうにか奪い返したボルテには子供が宿っていた。生まれた子供(松山ケンイチ)は、テムジンの実の子なのか。モンゴルを制圧しチンギス・ハーンとなったテムジンのアジアから西への遠征が始まるが。。。

モンゴルの壮大さもなく、これでは関ヶ原の戦いだ
  角川春樹が制作費30億円もかけて作った映画だけど、チンギス・ハーン(ジンギスカンともいう)の何を描こうとしているのか、分からない。

せっかく、モンゴルで現地ロケをしていながら、大草原での映像に壮大さが撮られていない。
草原を馬で走るシーンが出てきても、これでは、日本とチョットだけ違うとしか写らない。

 映画の面白さの評価は、導入部がかなりの比重を占めるが、その前半のテムジンの幼年時代がまるで学芸会のようなおそまつなセリフと音響の入れ方で、興味を失わせる。
そう、そのセリフが全編古い「漢字」だらけなのが、これまた一体どこの国を主題にしているのか曖昧にさせる。
日本の時代劇と同じ手法では、モンゴルのチンギス・ハーンも天国から怒っている。

 映画は肝心なところを「セリフ」で説明してはいけないと思うが、重大な父親の毒殺や妻を奪われるシーンが映像として無いのは、桜塚ヤックンではないが「ガッガリだよ!」。

 本当に、この映画では、セリフだけでなく、風の音、馬のいななき、川のせせらぎなど、自然に感じられる映像と音との不調和が目立ち気分がいらだつ。
また、本来ならクライマックスである戦闘シーンも迫力を欠くし、チンギス・ハーンの王位任官式も荘厳さがない。
映像のとりかたの悪さと共に残念な音響の編集だった。

 チラシによると、「出生の秘密にまつわる苦悩や友情、略奪された妻への葛藤、同じ運命を背負った息子への愛憎」をテーマにしたかったようだけど、これらは皆んな、心の内面を描く言葉で、普通でもそれらを映像化するのは、難しい。

これを捉えるためには、脚本の段階から始まり監督と俳優だけでなく、カメラマンや音響マンなどのスタッフにも充分な技量が要求される。
今回の製作陣では、無理なテーマだったようだ。

副題の「地果て海尽きるまで」とあるが、地平線も海も出てこない!

 パフューム − ある人殺しの物語 −

あらすじ:18世紀のパリは下水や動物の悪臭で満ちあふれていた。そのパリの汚い魚市場で働く貧しい女が赤ん坊を産み落とすが、育てる気は無くゴミ捨て場に捨てた。孤児院に預けられて、どうにか一命を取り留めた男の子は、ジャン=バティスト・グルヌイユ(ベン・ウインショー)と名付けられ、なめし革の親方のもとで奉公をしていた。ある日、革を届けに行った調香師(ダスティン・ホフマン)の家で、ジャンは彼が持っている嗅覚の鋭さの才能を認められ、調香師としてパリの人気者となる。しかし、ジャンには究極の望みがあった。それは、「香りを保存すること」。ジャンの周りで、衣服と髪の毛のない若い女性の連続殺人が起きている。「香り」を求めるジャンの行く手には。。。

女:かなり薄気味が悪いけど、よくできた話ね!
男:被害者となる女性サイドから観ると、ずいぶん気持ちは悪いだろうね。
女:そうよ。
  体臭を全部そぎ落とされてしまうのは、悪趣味といったら、もう最高の悪趣味ね。
  ぞっーとしたわ。
男:男性としては、若い女性のうなじや胸のあたりから発散される「エロチシズム」と「香り」が上手く撮らえられていて、映画だけど、劇場のどこからか「匂ってくる感覚」がしている。
女:そうね。
  映画館では、映像はみせることはできるけど、どうしても「香り」は持ち込めないでしょう。
  そこをなんとか、果物や花を使って想像の世界での「匂い」を作り出していたとは思うわ。
男:きみが言ってるのは、いいほうの「香り」だね。
  おれは、この映画で設定されている、ドブ川の臭さや、なめし革のむかつような匂いを知っているので、悪臭も充分に感じたよ。
女:撮影が良かったってことね。
男:そうだね。
  ほかにも、古い街の城壁がきたなく汚れていて、水はけも悪いところなんか、丁寧なつくりだった。
女:話そのものが、よく練られていたんじゃない。
  自分の体臭がないために、愛も得られないのは、人間のどこかにある動物的なフェロモンと関係しているのね。
男:究極の「香り」を武器にして、民衆を支配するあのアイデアは凄かったね。
女:アメリカの予告編では、街中の人が裸になるそのシーンも流されていて、かなり話題を呼んだようよ。
男:日本の予告編では、無かったから驚いた。
女:それから、その後も続く結末ね。
男:それは、まさに観てのお楽しみだね。

女:じゃ、「香り」に誘われて、今日はこれから「うなぎ」でも食べに行きましょう。
男:エッ、すごい内容の映画のあとだよ?
女:いいの、視覚と味覚は違う世界なの!
男:...


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