2006年 10月の映画・演劇 評論

2006年

 カポーティ 

あらすじ:1959年、カンザス州の田舎町で起きた一家4人の凄惨な殺人事件に惹かれた「ティファニーで朝食を」で有名な作家:トルーマン・カポーティ(フィリップ・シーモア・ホフマン)は次の作品にできる予感がし、ニューヨークから現地に飛び保安官や関係者と会って取材活動をする。そのうち2人の若者が殺人犯人として捕まり死刑の判決がでる。カポーティは犯人たちとも密接に面会し、この事件を主題とした作品のタイトルは「冷血」と決まり徐々に出来上がっていくが、完成は犯人たちの死刑の執行後を考えていた。しかし、再審請求などで刑の執行は当初の3年から延期され、カポーティも本が完成できずにノイローゼ気味になる。犯人たちとの交流で芽生えた感情から、死刑が伸びてくれることを願う気持ちと作品の完成を焦る気持ちが交差する。。。

アカデミー賞をとっても中々公開できなかったわけがわかった!  
 今年(2006年)のアカデミー;主演男優賞をこの作品でフィリップ・シーモア・ホフマンは取っているのに、日本での公開はすぐにはされず、やっと9月末になってミニ・シアターで上映だ。
 配給会社の担当者がアカデミー賞受賞作品をうたい文句に大々的に興業できないと心配したわけが、観てわかった。

面白くないのだ。退屈な内容である。
特に前半がいけない。
カポーティの特徴である「話し方」やニューヨークのセレブの社交界での会話などがまったく興味を引かない。
パーティでの洒落た会話とユーモアがアメリカ社会で重要であることは知っているが、日本人である私には馴染み薄く、文化の違いが大きく存在する。

 他にも、事件を担当している保安官の家庭に招かれたり、死刑囚と同じ房で自由に面会できる刑務所制度など、日本ではありえないことがでてきて、アメリカと日本の社会制度の違いが退屈さに拍車をかける。

 いくら、ホフマンが現実のカポーティに似せる演技をしても、身近なアメリカ人には分かるかも知れないが、それだけでは、遠く日本に住む私には、ピンとこない。

 アカデミー賞がアメリカと言う1地域の賞であることを認識した映画だった。

ご参考までに;フィリップ・シーモア・ホフマンが悪役で活躍している「ミッション・インポッシブル・III (m:i:iii)」

 夢芝居一座 ー大笑い! さくら&まこと劇団 奮闘記 (帝国劇場)

あらすじ:孤児院「あすなろ園」で育ったさくら(浜木綿子)とまこと(コロッケ)はまるで姉弟のように仲がよく、共に旅回りの芝居小屋で苦労し、二人の一座を持つまでになった。しかし、さくらと演劇記者(篠田三郎)との結婚話を聞いたまことは一座を飛び出し、テレビの世界で人気者になる。残されたさくらは止む無く一座を解散し、何でも屋で生計をたてていた。そんな時「あすなろ園」の園長(丹阿弥谷津子)が危篤の知らせが入る。久し振りに会ったさくらとまことは再び一緒になって芝居を始めるが、昔のようにはいかない。。。

喜劇と宣伝文にはあるが、大笑いできない!  
 浜木綿子が舞台で追求している「喜劇」に今回は物まねタレントのコロッケを共演者にしての話だ。

 「喜劇」とうたっているが、観客席からは殆ど笑いがない。
浜木綿子が必死に歌い・踊るが、劇中でも指摘されるように、本当にコロッケの「間」のとり方とセリフの流れが悪い。
コロッケは必死に舞台上の浜の演技について行くだけで、客席の反応をみる余裕が無かった。
他人との絡みが苦手のようだ。
彼が一番輝いているのは、一人でやる、ちあきなおみや美川憲一の「物まねショー」の時だけだった。
(さすがに、この舞台は受けていた。)

 浜木綿子も軽いセリフで笑いはとれるが、これでは大笑いまでの出来がない。
演劇記者で出ている篠田三郎については、いつも棒立ちで存在していないようだった。
女形を演じている曾我廼家文童の巧さは目立った。

 大体、喜劇の構成が、貧しさ、失恋とこれも旧態依然としたものでは、あきてしまう。

 前から指摘しているが、 公演劇場として「帝国劇場」は大きすぎて向いていないようだ。
こじんまりとした「喜劇」に舞台装置がついていっていない。
以前の「芸術座」ぐらいの広さで観客の息が感じられるのが、いい。

ご参考までに;前回の喜劇「極楽町一丁目」

 涙そうそう

あらすじ:沖縄本島。だれからも好かれる明るい青年、新垣洋太郎(妻夫木聡)はいつか自分の飲食店を持つことを夢見て、必死になって働いていた。父親は蒸発し、幼い頃に亡くなった母親(小泉今日子)との約束で、今は島にオバァと住んでいる異母の妹:カオル(長澤まさみ)を「どんなことがあっても守る」のも洋太郎の役目だった。カオルが高校に合格し本島で一緒に暮らすことになった。カオルは無邪気に「ニイニイー、ニイニイー(兄さん、兄さん)」と慕ってくれるが、洋太郎はいつの間にか、眩しい女性となったカオルを意識する。ひたむきに働く洋太郎を待ち受ける恋人(麻生久美子)との辛い別れ、ひどい詐欺師との遭遇。疲労が洋太郎の体を蝕んでいく。。。

話の結末を死にしないと観客の涙をもらえないと思っている脚本が悪い!  
 「涙そうそう」とは、沖縄の方言で「「涙がながれて、止まらない」との意味で、音楽はBIGIN(ビギン)が作曲し、森山良子や夏川りみが歌っている。

 東宝の期待の星「長澤まさみ」を次のステップに飛躍させるための売り出し用映画と言っていいが、父母がいない家庭環境、貧しさ、愛情の対象が異母関係、最後は片方の死というお涙頂戴の話では、ガッカリだ。

 貧しさ、別れ、肉親や恋人の死は確かに、涙を流す内容であるが、余りにも当たり前の描き方では、感動も共感も覚えない。
それにしても、娘との別れを金で迫る父親の登場など、良くあるパターンを持ってくるとは、ひどい時代遅れの感覚だ。
誰でもが泣くことが想定される常套的な「涙の素」を多用している設定と、妻夫木と長澤の二人の演技では、涙も流れない。

 過去から繰り返されてきた、お涙頂戴の手法しか浮かばなかった脚本:吉田紀子に乗ってしまった監督:土井裕泰の技量不足がある。
人情の機微に触れる事や、笑いでも裏側に涙は流れる。
もっと話を推敲してから作品にして欲しい。

 これでは、期待の星の「長澤まさみ」の成長が止まる!

  レディ・イン・ザ・ウォーター

あらすじ:フィラデルフィアにあるアパートには、右半身だけを鍛える男、5人姉妹を持つスペイン系の家族、変な民話をする東洋系の母娘など様々な民族が入居していた。そこのアパートの管理人;クリーブランド(ポール・ジアマッティー)は妻子を亡くし、害虫退治や電球の交換など雑用に明け暮れていた。ある夜、アパートの中庭にあるプールから変な水音がして、水の精;ストーリー(ブライス・ダラス・ハワード)が現われた。ストーリーは猛獣から追われていて、逃げるためにはアパートの住人たちの強力が必要だった。でも、住人たちはバラバラで纏まらない。天空からの助けが来るまでに時間がない。猛獣が迫ってくる。。。

子供向けのおとぎ話を、大人に解説されても困る!  
 脚本、監督はM・ナイト・シャマランで、彼は、本当に「予告編」の作り方が上手い。
前作の「サイン」も予告編の何となくミステリアスな部分に惹かれてみてしまったが、今回も水の精の冷めた表情に巧くごまかされて観てしまい、またガッガリだ。

シャマランが自分の子供たちに、寝る前に聞かせる「おとぎ話」 を、大人である私が観てもつまらない訳だ。
突然鳴らされる大きな音や、暗闇など「わけあり」を使って、観客をひっぱり、結局、こんな物かと期待を裏切ってくれるテクニックは、相変わらず、見事なものだ。

「治癒者」や「職人」など特殊な人を探すのも、アパート内だけで完結するから、お金をかけない設定で、製作者サイドから喜ばれる脚本といえる。
けれど、当初に探した人が殆ど間違いで、別の人探しをするという同じパターンを繰り返されては、「また、これかよ!」って画面に向かって叫びたくなるまどろっこしさだ。

 最後に一言、「水の妖精なら、天空に戻らず湖に帰して欲しい!」


ご参考までに;管理人に扮したポール・ジアマッティーが良かった「サイドウエイ」
         ナイト・シャマランがつまらん「ヴィレッジ」「サイン」


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