2005年 10月号 映画・演劇 評論


2005年





この胸いっぱいの愛を

あらすじ:百貨店の弁当フェア担当の鈴谷比呂志(伊藤英明)は、以前住んでいた門司を訪れるが、路でぶつかった少年(富岡涼)をみて驚く。それは20年前の自分だった。何故だか分からないが、タイムスリップしたようだ。他にも19歳のヤクザ(勝地涼)や影の薄い男(宮藤官九郎)も同じようにタイムスリップしていた。20年前の比呂志の思い出には、ヴァイオリンを教えてくれた憧れの和美お姉さん(ミムラ)がいたが、お姉さんは難病で亡くなってしまったのが心残りだった。昔に戻った比呂志ならお姉さんを救えるか。。。

女:もう涙が止まらない、優しい映画ね!
男:泣かせる映画がいい映画とは言えないけど、この出来栄えはいいね。
女:「黄泉がえり」と同じ監督:塩田明彦で、また「黄泉がえり パート2」かと思ったけど、これはまた別の作品としてうまく完成したわね。
男:100年前とか、戦国時代とか極端な昔に戻るのではなくて、子供時代のかなえられなかった、僅かな「残念」を取り上げたのが、共感を呼ぶね。
   特に男の子としては、隣の優しいお姉さんで、またヴァイオリンを教えてくれるなんて設定はもう無条件にお手上げの状況だね。
女:あなたも、ピアノやヴァイオリンを弾く「お嬢様タイプ」には完全に弱いのよね。
男:それと、もう1つ、「将棋」が俺の幼い思い出と重なるんだ。
   俺の子供時代の娯楽というか遊びは「将棋」だったからね。でも女性でやる人は殆どいなかったけど。

女:ロケをした場所もいい所を選んであるわね。
男:浮き桟橋でのタイムスリップした3人のシーンは特にいいね。
  撮影も変にクローズアップした場面もなく、淡々とした物語を綺麗に撮っている。

女:伊藤英明とミムラも等身大の演技ができていたわね。
男:伊藤英明は「陰陽師」や「海猿」を経て、どうやら自然なものが演技だと分かってきたのかな。自然であることは、実に難しいけれどね。
  つい、つい楽な演技の、オーバーな表現に入ってしまうからね。

女:でも、他にも倍賞千恵子や中村勘三郎を使っていて、贅沢な配役ね。
男:そうだね。予告編で倍賞や勘三郎が出ているので、もっと登場場面が多いのかと思っていたら、ホンの少しだけだったね。
  でも、それなりに重要な役でさすがってところで、しっかり押さえていたよ。

女:音楽も印象的ね。「カヴァレリア・ルスティカーナ」の「間奏曲」は効果があったわ。
男:切ない感情のイメージをうまくつかんでいたね。
女:死を前提にするとみんな欲が無くなって、良い人でいられるのね。
  ところで、あなたの人生でもう一度戻りたい時はあるの?
男:うん、それを考えていたんだよ。
  そう、30歳ごろかな。
女:その頃のあなたは、遊んでばかりいたときじゃないの! しかも、若い女の子ばかりを相手にして!
男:ソッ、そんなことはないよ。シッ、仕事もしていたよ!
女:まったく、いくつになっても懲りない人ね!


ご参考までに伊藤英明が出ていた;海猿

ステルス 

あらすじ:アメリカ海軍でレーダーに捉えられない戦闘飛行機:ステルスを使ってテロ対策編隊を組むベン(ジョシュ・ルーカス)、カーラ(ジェシカ・ビール)、ヘンリー(ジェイミー・フォックス)の所に1機追加配属があった。しかし、この戦闘機:エディにはパイロットはいない。搭載された超高性能コンピューターが操縦者だ。人間たちから学びドンドン性能を上げていくエディに雷が落ち、コンピューターが独自に行動を始め人間の命令に従わなくなる。エディの破壊に向かうベンたちに攻撃してくるエディの能力は優れている。ヘンリーがやられる。次は。。。

スピード感はスゴイ。でもどうしてコンピューターがいつも悪者になるの?
 話の出来は荒いが、最新鋭のVFX技術を使ったスピード感と地上との距離などの特撮はよく出来ている。
無人戦闘機が相手では「トップガン」ほどの緊迫感は無いが、少しはスカッとした気分転換にはなる。

 だけど、どうして近未来のコンピューター・システムは自分で判断して、それも人間と対立するという構図しか描けないのかな。
コンピューターはあくまでも、人間が楽になるための道具であって、過剰に人工知能が悪(人間と敵対する)であると決め付けるのは、アメリカ(ハリウッド)でよくあるパターンになっているが、こういう意識付けは洗脳にもつながるのでやめて欲しい。
 コンピューター・システムの開発を阻害する意図が、隠されていると感じるのは、私の心配性のせいか?
アメリカの「力の理論」で、自国の被害は少なくし、敵には最大の損傷を与えるやり方は、余りにも一方的であり、それと同じような押し付けをコンピューターの未来にも感じた。
アメリカが主張する「正義」だけが、世界の「正義」として通用しないってことだ。 戦闘では常に相手側にも犠牲者があり、反対者としての意見・立場があるってことも言いたい。

  話の荒さに戻そう。
恋の話はまあ許せるが、お決まりの軍上層部と政治家を絡めたりするのはいただけない。
戦闘機が、北朝鮮に落ちるのも許そう。しかし、余りにも、簡単に韓国との国境線までたどり着きすぎだろう。
北朝鮮を馬鹿にした設定もアメリカ的な一環だ。

 観終わって、これなら特に戦闘機でなくて、一般のロボットとしてもいいのではと感じる。
コンピューターがまた復活することになっているが、パート2は期待できない。


ご参考までに早く死んでしまうジェイミー・フォックスが良かった; 「Ray/レイ」

蝉しぐれ 

あらすじ:江戸時代の東北の小藩。普請組の養父のもとで育つ牧文四郎(子供時代:石田卓也、成人:市川染五郎)と隣家のおふく(子供時代:佐津川愛美、成人:木村佳乃)は幼馴染で淡い恋心を互いに抱いていた。しかし、文四郎の父(緒形拳)は藩の世継ぎ争いに巻き込まれて切腹になり、家禄は取り上げられてしまう。だが、友人たち(今田耕司、ふかわりょう)に励まされて剣の修行に励む。一方おふくは江戸に上がりお殿様の側室となり子供を身ごもるがまた世継ぎ争いが起きる。家老からおふくの子供をさらってこいと命じられる文四郎は「わな」と知っていながらおふくの屋敷へ。。。

輝いていたのは、幼いときの二人だけ?
 監督:黒土三男が構想15年もかけて、やっと藤沢周平の原作を映像化したという。
おいおい、15年もかけて、一体何がいいたいのかいって突っ込みが入る出来だ。
雪の山、春の桜、祭、煙る川辺とこれまた日本の観光映画かって くらいに景色とカメラマンに任せた作品には、主張がぼやけてしまった。
切腹した父親を荷車で運ぶ坂道の設定は、脇の木々が作る丸いトンネルが美しく印象的で、よくこの場所を探したものだと感激するが、全体として景色描写に時間をかけすぎだ。

  好きでも言葉に出せない二人の想い。忍ぶ恋の純真さ。封建制度に流されて行く二人のやるせない気持ちが、伝わってこないのだ。
折角、立ち居振る舞いがすっきりした染五郎や日本的な木村佳乃を配役にもって来ていながら、活かしていない。本当に残念。
 剣術に能舞が入ったりでは、監督の意識にはついていけない。
日本の四季の美しさや、古典芸能に対する賞賛をしたいなら、この映画でない世界でやればいい。
 自分の思いの全てを観客に訴えたいという事は分かるが、そのためには、物語が主人公でなければならない。
景色はあくまでも添え物であるべきなのだ。
物語が映像に負けてしまい、愛と人情が弱くなった。


ご参考までに,同じ藤沢周平の原作を映画化した山田洋次監督の;たそがれ清兵衛

ツキコの月 そして、タンゴ  (帝国劇場)

あらすじ:大正時代、アルゼンチンへ移民として渡った両親を亡くした幼い賀集ツキコ(森光子)と弟:眞一郎(東山紀之)は苦労をして、神戸へ戻ってきた。カフェの女給として働くツキコは舞台の脚本家:河合(石田純一)らと親しくなり、東京で女優を目指す。一方、父親が好きだったタンゴ・ダンスの血を引き継ぐ眞一郎はダンサーを目指す。しかし、金の無い眞一郎は危ない仕事に加担する。そして。。。

20歳代を演じるには、少し無理がある。でも最後はやっぱり舞台女優!
 もう、今となっては、何歳かを語ることさえはばかれる森光子の舞台だ。
アルゼンチン・タンゴのリズムと踊りが中心になっているが、森がクルクルと踊るわけではない。
(でも、本物の外人ダンサーがタンゴは見せてくれますので、ご心配なく)
 明るい性格で女優を目指し、弟思いの表現はさすがに森が歩んできた舞台での成果だ。
しかし、タンゴが好きで20歳代の女性を演じるには、かなり実年齢からくる無理がある。
本来なら、舞台でも、主役の森が1回ぐらいは、ダンスを踊ってくれないと、タンゴにかける情熱が観客に伝わってこない。
体型や舞台での立ち振る舞いにどうしても、切れのなさがでる。
これでは、東山もタンゴを充分に踊れない不満が残るだろう。
森が主役であるために、バランスからダンスの先生に山本學の設定になったようだが、口先だけで、実際に踊れない山本よりも、若くて少しは踊れる配役にして欲しかった。
しかし、弟の死からの森の演技はすごい。
広い帝国劇場の舞台が、小柄な森に満たされる。たいしたものである。
ここでは、完全に年齢は存在しない。ただ森の演技があった。
他には野村昭子がヤクザの女親分として登場し、貫禄を見せている。
 今回は姉と弟の兄弟愛が中心になったが、男優や脚本家との愛にもう一つスポットをあてるとまた別な味付けが期待できそうな話でした。

おまけの情報:森光子がこの劇にちなんでCD「月夜のタンゴ」を出しました。作詞:竹内まりあ、作曲:山下達郎です。スゴイ!


ご参考までに「森光子」の;おもろい女

シンデレラマン

あらすじ:時は1929年、アメリカに大恐慌が始まろうとする頃、ボクサーのジム・ブラドッグ(ラッセル・クロウ)は妻(レネー・ゼルウィガー)と3人の子供のために手の傷を隠して試合をするが、見つかりボクサーの資格を剥奪される。時々与えられる港の荷運びで何とか生活しているが、電気も停められる貧しさだった。そんな彼に代役として1回限りの試合が舞い込んで来た。しかし彼は荷運びで鍛えた腕力で試合に勝ちボクサーとして蘇える。ついに世界選手権を争うまでに復活した彼は、貧しい人々の「希望=シンデレラマン」となった。苦しい世界チャンピオン戦のゴングが鳴った。。。

ハッピーエンドもたまにはいい!
 ボクシング物としては6月号で紹介した「ミリオンダラー・ベイビー」がまだ記憶に新しい。
今回もまたボクシングで障害を受けるのかと心配したが、傷の方は大したことがなくて良かった。

 貧しくても、子供を思い、妻を大切にする気持ちが素直に描かれている。
また、彼らの周りを取り囲むマネージャーや仕事仲間の優しさもしっかりと現れている。
貧しいときに初めて分かる世間の態度。
金持ちよりも、同じ貧しさを共有している人の方が、支えてくれる現実。
夫としてまた父親として、果たさなければならない家庭の大黒柱としての責任感がヒシヒシと胸を打つ。
この存在感は、やっばりラッセル・クロウの演技力だ。
また、レネー・ゼルウイガー(いつの間にかカタカナ表示がレニーから変っている)が、本当に普通のおばさんになっているのも好印象だ。
 一度どん底まで落ちた男が必死に世界の頂点を目指す、真にアメリカン・ドリームの演出だけど、時代考証もしっかりしていて、それなりに観られる映画です。


ご参考までにボクシング物の;ミリオンダラー・ベイビー

ご参考までにレニー(レネー?)なら;ブリジット・ジョーンズの日記


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