2004年 9月号 映画・演劇 評論

ヴィレッジ

あらすじ:1897年。アメリカの片田舎にある住民が100人ほどのこの「村(ヴィレッジ)」は、周りを深い森によって囲まれ、他の部落や人々から隔絶した自給自足の生活をしていた。森には他の種族が暮らし、村人と森の民は互いに生活圏を犯さない掟で共存してきた。しかし、眼の不自由なアイヴィー(ブライス・ダラス・ハワード)の恋人ルシアス(ホアキン・フェニックス)が刺されて町まで薬を調達しにいかなければならなくなった。どうしても「禁断の森」を通らなければならない。愛の力は森を通過できるか。。。

変に気を持たせて観客を引っ張る力だけを身につけた監督:シャマラン
 どこかの人里はなれた場所に、憎しみや身分の差のない社会を夢見て作られた正しく「ユートピア」。
アイデアとしては、確かに面白い。だけど、あちらこちらに無理が目立つ。
最終的には、この村が自給自足だったと分かるのだけど、それまでにはかなり時間が必要だ。
それは、みんながこざっぱりした身なりをし、家もきれいだし、夜も煌々とした灯りを点けて森を見張っている。
こんな余裕のある、自給自足の村があるとは! おかしすぎる! 余りにも不自然だ。
すこしばかり自給生活をしたことのある人間なら、ここまでの生活をするには、油の施設も必要で、金がなければ無理だとわかる。
 昔から、「愛は盲目」と言われているが、シャマランはそれを逆に解釈してくれた「おかしさ」。
眼の不自由なアイヴィーが眼の見える人よりも、優れていることの驚きは”座頭市”が持つ「心の眼」が影響した結果か。
 「愛はすべてに打ち勝つ」。恐怖も乗り越えて。でも、この描き方では、納得できない。
やたら気をもたせるシーンばかりで、観終われば、「何だッ、こりゃー!」と言って席を立つ。
愛のユートピアを恐怖で支配する発想と不自然さが目立つシャマランの夢は私の波長とは同期しなかった。

ご参考までに監督:シャマランが今回と同じように滑った作品;サイン

ご参考までにトリニティーさんのコメントが;「ゲストブックに書く」の「9月15日」にあります。

ヴァン・ヘルシング

あらすじ:時代は?(19世紀らしいがあまり関係ない)場所はあの吸血鬼ドラキュラがいるトランシルベニア地方。ここにローマのバチカンから怪物退治を依頼されたヴァン・ヘルシング(ヒュー・ジャックマン)が高速弓矢銃などの最新兵器を携えて乗り込んできた。ドラキュラ伯爵はフランケンシュタインの持っている生命力を利用して吸血鬼を大量に繁殖させようとしていた。ドラキュラと400年も戦ってきたジプシー一族の末裔アナ(ケイト・ベッキンセール)とヴァンはドラキュラの野望を打ち砕くことができるか。。。

モンスターとアクション・ヒーローのオールスター映画だ
 まあ、よくもあちらこちらの怪物と今までのアクションのヒーローをつなぎ合わせてくれたもんだ!
出てくる怪物は、ドラキュラとその美女の花嫁たち。フランケンシュタイン、ジキルとハイド、狼男などなど。
そして、ヴァン・ヘルシングのいでたちは、マカロニ・ウエスタンとマトリックスを感じさせ、007のジェームス・ボンドも顔負けの最新兵器群。
そのアクションの内容は、インディ・ジョーンズのように次から次へと迫ってくるし、必然性が無いようだけど、西部劇並みに駅馬車のシーンも用意されている。
 だけど、いくら有名映画の良い所を取ってきても、所詮この程度の真似の映画は元の映画が発散している、製作の努力と苦労が感じられない。
なんでもありで、製作陣は乗り乗りで作ったようだけど、オリジナルの映画を知っているだけに、みてる方としては、ちょっとばかり笑いが薄れた。
 気軽に観るにしても、元の映画のエネルギーを消化して、その上でもう一つ違った段階にもっていってくれなければ、お客さんはよべないでしょう。残念!

スウィングガールズ

あらすじ:東北地方の田舎の高校。ブラスバンド部の生徒達が食中毒で入院し、急遽落ちこぼれの女子生徒たちが夏の補習授業をサボりたくて音楽をやることになる。サックスやトロンボーンはなかなか音もでない。しかしやっているうちに音楽の楽しさも分かってきた。仲間でする演奏もいい感じだ。そこでジャズバンドをつくり発表会での演奏を目指す。

若さムンムン、それだけでも「イグイ」か、
 近頃は、もう若いひとたちの集団が、1つのことをするだけでも、幸せの気持ちになる。
前作の「ウォーターボーイズ」では男性のシンクロ・スイミングという意外性であてた、矢口史靖監督が今度は女子高生の「ジャズバンド」を取り上げまた意外性と話題性で「柳の下の2匹目のどじょう」を狙う。
 どうやら、この作戦は成功したようだ。おじさんたちにとっては、スイングしていたあの懐かしい、ベニー・グッドマン楽団やカウント・ベーシーなどが活躍していたビッグ・バンドの時代と若さを素直に思い出させてくれる。
 落ちこぼれが、紆余曲折して何とか頑張る話の設定や発表会でのアクシデントと結局うまく収まるくだりは、手を抜いた纏め方で、もう途中で先が読めるが、まあ許せる。
 皆んなが何とか楽器が演奏できるようになるだけで、いいじゃない!(また、笑いの「ギター侍」のパクリですけど。)
 若い内からエリートとか、ダメな者と区別されること自体が変な話だけど、目標に向かっていけば、それなりに体得することも多くて、必ず将来に役に立ちますから。
 とにかく、いつでも挑戦することを忘れないことですね。

ミス・サイゴン(ミュージカル)(帝国劇場)

あらすじ:1975年。ベトナムはサイゴン。アメリカのベトナム侵攻作戦も失敗の色が濃くなりアメリカ兵たちは安キャバレーの酒や女でウサを晴らしていた。そんなキャバレーにベトナムの娘:キム(新妻聖子)が田舎からでてきて勤めだした。店で最初の客のクリス(石井一孝)の優しさに心の安らぎを感じるキム。二人は愛し合うが、ついにベトナムは陥落。クリスはアメリカに戻るがキムは一緒に行けなかった。ベトナムからタイのバンコックに逃げてきたキム。アメリカで別の女性と結婚したクリスはキムと息子の存在を知る。子供を何とかアメリカに行かせたいキムの選択は。。。

女:まさしく、「スタンデング・オベーション」の作品ね!
男:たびたび、上演され、また12年ぶりの再演も評判がいいわけが分かったね。
女:配役も日替わりで、キムの役は、今日の新妻聖子の他にも松たか子や知念里奈、笹本玲奈も代わりばんこにやっているンだって。
  これだけ激しい内容なら一人で毎日2回の公演は疲れるわけね。
男:今日は、本当なら、舞台回しのエンジニアの役は別所哲也だったはずだけど、足を怪我したので、急遽市村正親になったね。
女:お客さんもいつもの芝居なら、信用金庫のご招待のおばさん達で一杯だけど、今日はかなり若い人が多くて、高校生の団体もいるんだもの。
   私が高校生の時には、課外授業で「ミュージカル」は無かったわ。
今の高校生は、若いうちにミュージカルを観られるなんて幸せね。
  でも、話が「悲恋」だったのは、意外だったわね。
男:そうだね。ハッピー・エンドの結末を想像していたけど、東洋的な死を選択するとは、作:アラン・ブーブリルもかなりアジアを研究したね。
  それにしても、キム役の新妻聖子がしっかりと、自分の物にした、歌と演技だったね。

女:田舎から都会に出てきた、出だしの舞台から、初心(うぶ)な娘、そのとおりって感じのもって行きかたは、うまい演技ね。
男:まだ、何も知らない乙女の雰囲気が白いアオザイの衣装と共に充分に出ていたね。
   演劇の世界もまだ1年ぐらいのようだ。それがいい方向に動いているのかな。

女:そして、歌い方も充分に練習を積んだ成果が現れていたわ。
  松たか子もキムを演じているんでしょ。一度、新妻聖子の演技と歌がどう変わるのか、観てみたいわね。
男:うん。そうだね。期待できるね。
女:帝国劇場の広さは、このような大掛かりな舞台には最適ね。
男:実物に近い大きなヘリコプターが現われるとは、すごかったね。
   そして、ベトコンの指導者:ホーチミンの像もまた大きかった。
  一番感激したのは、市村を除いて、みんなの歌と踊りが「若いってこと」だよ。

女:市村も頑張っていたわ。
  近頃は、もう若いってだけで、ウルウルしているでしょう!
  あなたも、歳ね!
男:そっ、そんなことはないよ! 
  貧しく育った母親が子供に託している、自由で豊かな国:アメリカでの夢が本当は違うってことを言いたかったんだ。

女:そぅ。じゃっ、そういうことにしておきましょう。

ご参考までに新妻聖子が出ていた;レ・ミゼラブル

モナリザ・スマイル

あらすじ:第2次世界大戦が終わって少したったアメリカ。東部の名門女子大に、ロサンジェルスからキャサリン(ジュリア・ロバーツ)が現代美術の先生として赴任してきた。しかし生徒たちは授業が始まる前にもう教科書は予習していてキャサリンが教えることもない。頭はいい生徒たちであったが、まだその生き方は「良妻賢母」のパターンであった。古い風習が支配する女子大にキャサリンは自分で考えることを教える。しかし、まだ戦争の傷跡は残っていた。

ジュリア・ロバーツもついに、先生役か
 このところ、2003年末の「フル・フロンタル」などあまりいい映画にでていないジュリアが今度は、大学の先生に挑戦だ。
 そう、正直な話、ジュリアも歳を取ったということだ。でもそれなりの落ち着いた感じは出ている。
だけど、ストーリーはそれほど目新しいものではない。
多くの学園物では定番の、そう、教師に反目する生徒。その子が先生の愛情で改心して、涙の抱擁。
こういう描き方で学校を捉えるのは、チョットばかり残念!(切腹までは行かないけど。お笑いの「ギター侍」のフレーズです。)
 自主性を生徒に教えることをテーマにしたのだから、若さゆえに先生とは違った方向に行く生徒がもっといていい。
これでは、生徒が自分で考える前に、先生の押し付けが感じられる。
先生は、生徒の考え方を伸ばす立場で描いて欲しかった。
アメリカ的に、生徒の前では強いことをいっていながら、自分の生活は弱くて男と遊ぶ先生では、観ていて納得できない。
 ここは、恋愛にも強い女性像が望まれる。
最大の希望は「モナリザ」の曲は、ナット・キング・コールが歌って!

ご参考までに今年の学園物で;卒業の朝

堕天使のパスポート

あらすじ:トルコからの移民のシェナイ(オドレイ・トトゥ)はロンドンの余り大きくないホテルで当局の目を盗んでメイドとして働いていた。彼女の夢は、パスポートを手に入れてアメリカに渡ること。しかしその夢の実現は当分なさそうだった。同じホテルで働く不法入国者のオクウェ(キュイテル・イジョフォー)は、彼女の部屋に同居していたが、互いの生活はシフト時間が違うので、問題はなかった。ある日、ホテルを定宿にしている娼婦に言われてオクウェが部屋を覗くとトイレに心臓が詰まっていた。支配人に報告するが取り合ってもらえない。ホテルは臓器売買の拠点だったのだ。何とかパスポートを手に入れたいシェナイ。アフリカに戻りたいオクウェ。二人の作戦が進む。。。

他民族が暮らすイギリスだから、素直に観られる!
 最初は、トルコからきたシェナイがおかれている状況、トルコ人女性の特別な倫理観もはっきりせず、またアフリカからきたオクウェの過去も不明で戸惑いがあったが、観ている間に充分に説明される。
 祖国を捨ててきた女。祖国に帰れない男。
経済的にも恵まれた環境の「日本」にあっては国を捨てるなんて考えてもみない。また他の国へ行くのも簡単にいける。そうパスポートを入手するのは、何の問題も無くできる。
しかし、国を追われて不法に入国した男にとって、戻るためには、今度は偽りのパスポートが必要となる。
パスポートを入手するためには、性的な関係も我慢しなければならない。金も必要だ。
その設定が、裏社会の臓器売買とも上手くからめて見ごたえのある作品にした。
 政治的な亡命者や、北朝鮮からの脱国者の扱いが充分でない日本では、当分扱うことの出来ない素材だ。
難民を受け入れ、また黒人やアジア人も受け入れてきたイギリスだから、うまくこなせたと思う。
最後のパスポートを手に入れる方法も、爽快感がある綺麗な纏め方であった。
 このような題材の映画を観ると、心から日本で暮らせる幸せを感じる。
好きなことを表現できる自由の大切さ。守っていきましょう!

ご参考までにオドレイ・トトゥが大活躍の;アメリ



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