2004年 5月号 映画・演劇 評論

スイミング・プール

あらすじ:イギリスの女流ミステリー作家サラ(シャーロット・ランプリング)は近頃スランプ。出版会社社長がフランスに持つプール付きの別荘に来て創作に励む。しかし、別荘には社長がフランスの愛人に産ませたジュリー(リュディヴィーヌ・サニエ)がいて、セックスやドラッグなど若さに任せた自由な生活をしていた。本の題材としても興味があるジュリーの暮らし方。サラは若さあふれるジュリーの生き方を覗くが。。。

面白い展開だけど、最後が決まらない!
 折角静かなフランスの別荘で創作活動をしようとしていたら、おてんばなフランス・ギャルのジュリーによって邪魔される。
 だけど、表面では、ジュリーの存在を嫌がっていても、今は失われた青春の回顧と好奇心からどうしても、ジュリーの生活を観察せずにはいられないのが、うまく表現されている。
 男性の観客としては、リュディヴィーヌのトップレスのシーンやプールでの泳ぎなど、眠気を吹き飛ばしてくれるサービスもありで、結構終わりまで、楽しんでいたが、結末が残念!
 プール・サイドでの殺人から、急に話が飛んでしまう。
偽物だった社長の娘は、一体全体、その存在さえも、あやふやにさせる。
これでは、殺人も幻覚かと、見た後味が悪い。
 ジュリーと父親の社長の電話とその後でサラが電話すると繋がらないのは、理解できた。でも、ベッドの十字架も何か訳があったのかと、今では思うが役割が分からない。
 監督:フランソワ・オゾンの説明が必要では、映画の出来としては、イマイチか。

ドーン・オブ・ザ・デッド

あらすじ:アメリカのある小さな町の看護婦アナ(サラ・ポーリー)とルイス夫婦はいつものように静かな朝を迎えまだ寝ていた。そこへとなりに住む少女がやって来て夫のルイスに噛み付く。出血多量で死んでしまう夫。しかし、何と夫は復活し、ゾンビとなってアナを襲う。どうにか逃げるが、町中で騒動が起きていた。殆どの人々がゾンビとなってしまい、警官や妊婦の人など数名で人のいないショッピング・モールに入り救助を待つがゾンビは増えるばかり。少しでも噛まれると、ゾンビ菌は増殖して行く。。。

何という雑な話の展開! くだらない!
 余り観た映画のことを極端な表現で現すことは、避けているつもりであるが、この映画のつくりはヒドイ。
どうして、ゾンビになったのか原因も説明がなく、ある日突然に町全体に広がるのでは、映画制作者としては、手を抜いて作っている。
 ゾンビという仮定の存在の死者復活なのだから、もっと丁寧に、ゾンビの生まれた訳を見せ、どうして頭を砕かれると再生できないという弱点があるのかを、まず理解させなければいけないのを、省略してしまった。
最低の設定は、凶悪なゾンビなのに、どうして、壊れやすいガラスで出来ているショッピング・モールには入ってこられないのか?
 何故が多い作品は、まったく面白くない。
ただ単に、複数のエピソードをつなぎ合わせただけで、強引に進める話では、もう観ていられない。
 暇つぶしにもならない映画だった。

スクール・オブ・ロック

あらすじ:売れないロックバンドのギターリスト、デューイ(ジャック・ブラック)はいつかは大物になると夢見ているが、バンドからは追放され、居候しているアパートも追い出しの危機にあった。そんな時、友人あてにかかってきた名門私立小学校の臨時教師の職を、友人になりすまして得る。彼が受け持ったクラスの生徒は、親や教師の言うことを良く聞くおとなしくて優秀な子供達。そんな子供達にデューイは反抗の精神とロックの魂を教える。反骨ロックはどこまで続く。。。

夢をみることは悪いことではないが、どこかで見たような話!
 自分たちが棲みやすいように、子供を教育する大人たち。また既存の体制を利用して優雅に暮らす金持ちたち。
これらの現状を甘んじて受け入れていては、社会の発展はないし、世間はドンドン保守的になる。
若者の文化が常に、現状社会批判・体制の打破にあるのは、いいことで、また、健全な社会である。
 若者文化では、音楽が若者に与えた力は大きい。1960年代のアメリカや日本でのフォーク・ソング。音楽を介してベトナム反戦、安保条約反対・大学解体・学生集会などの動きが活発になった。ロック・ミュージックはその流れを受け継ぐ。
でも、反体制・反抗の精神も若者が自然と歳をとり、自分が体制側に入ると徐々に失われていくものである。また、自分に才能が無いことにも気が付く。
それを、デューイは納得できなかった。周りの仲間は年齢と共に反抗のエネルギーを失って行く中でも、一人「ロック」を続けることで自分の座標を守りたかったのだ。
この主張はいい。監督:リチャード・リンクレイターもどこかで挫折した自分の夢を託して、描きかったようだ。
だけど、話が前にも同じような、学園での音楽賞狙い(確か、ウーピー・ゴールドバーグがでていた)では、共感はない。私には、少しの笑いで終わった作品であった。

ご参考までに「トリニティー」さんの感想が、「香川の映画・演劇評論」の「ゲストブックを読む」の「5月9日」にあります。;「香川の映画・演劇評論」 

ご参考までにジャック・ブラックが出ていた;愛しのローズ・マリー 

スパニッシュ・アパートメント(フランス映画)

あらすじ:パリの大学生グザヴィエ(ロマン・デュリス)は作家を目指しているが、安定した職も捨てがたく先輩に相談し、スペインに留学してスペイン経済を勉強することにした。恋人(オドレイ・トトゥ)と母親を残しバルセロナのアパートに住む。そこでは、イギリス・ベルギー・ドイツなど様々な国から来た6人の男女の若者たちとの共同生活があった。冷蔵庫の使い方や風呂場の掃除など生活環境が異なる同居人との生活は大変だったが友情も愛も芽生えてくる。人妻との不倫はどうなるのか。。。

さすがにヨーロッパ。いろいろな言葉が飛び交う!
 フランスの映画だけど、留学先のスペインの現地では当然スペイン語が話され、住んでいるアパートでは、英語やフランス語そしてドイツ語などがまるで1つの言葉のように使われる。
 確かにヨーロッパはECでの統合を迎えて、全体として一つになろうとしているようだ。
若者が集まれば、そこには、国境に関係なく「愛」も「友情」も生まれるのは、当然。
でも、やっぱり生まれ育った国の持つ特質を表現しているが、それがちょっとばかり、「一般的」であった。
スペインといえば、「情熱的」。ドイツといえば「規律的」とは見ていても、あまり面白くない。
 遠距離恋愛よりも、近くにいる人妻との不倫の方が、魅惑的であるのも、男の本性としては、当然すぎるくらいで目新しくももない。
 行方の定まらない自分に対して、不安を見せているが、将来なんて分からないから面白のであり、私にしてみれば、若いときから自分の進む道が分かっている若者なんて気持ちが悪い存在だ。
 全体の感想としては、もっと突っ込んだ「青春の苦しみ」が欲しかった。

ご参考までにオドレイ・トトゥが出ていた;アメリ

初蕾(芸術座)

あらすじ:お民(京野ことみ)は料理屋で働く茶屋女。藩の重役の息子半之助と「好きなうちは会う、飽きたら後腐れなくなく別れる」と割り切った考え方で付き合っていた。しかし、半之助は同僚から「愛はもっと純粋だ」となじなれ果し合いをし、同僚を傷つける。闘いの責任を感じた半之助は、江戸へ遁走する。残されたお民のお腹には半之助の子供がいた。お民の産んだ赤ん坊は半之助の両親(宇津井健、池内淳子)に捨て子として育てられるが、お民は乳母として奉公できる。何時までこの関係が続くか。。。

新人の京野ことみを助ける、ベテランたち
  原作が山本周五郎では、芯からの悪人は登場しない。
 本は読んでいないが、どこかで、見たような階段から落ちるシーンので出しで驚く。テレビで「宮沢りえ」が演じていたのだ。
テレビの方は、あまり面白くないので、途中で見るのをやめたため、だれの脚本かまた演出もだれか記憶していない。
舞台の方は、橋田壽賀子の脚本をコンビの石井ふく子が演出。
 山本周五郎の得意とする「人情」「思いやり」は立派に出ている。
テレビでは「白線流し」や「ショム2」のOLを演じていて、私も注目している京野ことみが時代劇の舞台に挑戦である。
橋田の特徴の長いセリフもこなし、主役をどうやら無難にやっている。
 はすっぱな下町の茶屋娘と、武家で厳格に躾けられる演技の差を石井演出は当然狙っている。
まあ、このあたりの動きも合格点である。セリフも一本調子でなく、本人も練習しているのが分かる。
新しい東宝の舞台女優として、成長が期待できそう。

パッション

あらすじ:今から、2000年ぐらい前、エルサレムではイエス(ジム・カヴィーゼル)が救世主(メシア)として現れていた。しかし、古い宗教派はユダの密告で、イエスを冒涜者として捕らえ、ローマ帝国の支配者に渡す。過酷な鞭打ちの刑を受けるイエス。しかし、それだけでは納得しない民衆の力は、イエスをゴルゴダの丘で処刑にする。流れる血は、誰の罪を背負うのか!。。。

実に重い! 暫く会話ができない!
英語のPASSION(パッション)は、「情熱」の意味かと思っていたら「キリストの受難」の意味もある。
 しかし、すごい内容をメル・ギブソン(監督・製作・脚本)は映像化してしまった。
登場人物は、2000年前に使われていたというアラム語やラテン語を話し、英語の字幕が付いていて、その上に日本語の字幕が付く。
 話は、キリスト教徒以外でも知っている、イエス・キリストが、ユダの裏切りで捉えられ、イバラの冠をかぶらされ重い十字架を背負い、ゴルゴダの丘で磔(はりつけ)になるが、また復活するまでを描いている。
 全体を占める暗さを基調とした撮影とスローモーションの多用。そして、心の奥の何かに響く荘厳な音楽。
これらが、これでもかこれでもか、と容赦なく続く鞭打ちの場面でみせるイエスの血と張り裂ける肉体を通して、私に訴える。
キリストの身体から流れ出る多くの血は、我々が犯した数々の罪を彼が代わりに償っているのだ。
物欲・肉欲・保身・出世などで我々が犯す様々な罪。いけないとは分かっていながら止められない人達。
キリストの血は、我々に、反省を促す。
 そして、キリストは言う。「汝の敵を愛せ」と。
しかし、多くのキリスト教徒が占める国「アメリカ」は、今イラクで戦い「血」を流している。
メル・ギブソンは、2000年経っても、血を流すことの辛さを知っていながら、戦うことを反省しない人間。進化しない人類を冷静に批判している。
 今だから、観て良かった。

でも、デートで観る映画では、ないかも(会話が弾みません。)


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