2004年 2月号 映画・演劇 評論

ドッグヴィル

あらすじ:アメリカはロッキー山脈の麓にある閉ざされた人口20人ほどの淋しい村ドッグヴィルに街からギャングに追われて謎の女グレース(ニコール・キッドマン)が逃げてきた。山越えは厳しい。何とか村人に匿って貰うためにグレースは肉体労働をした事のない綺麗な手も荒れさせる程に働く。村人も徐々にグレースに心を開くようになるが、グレースが指名手配されていることを知ると、態度が脅迫に変り、今まで以上の作業をさせる。首から鎖と重しを付けられ逃げる事も出来ない。村人たちのエゴと欲望がグレースに向けられる。。。

今まで無かった環境で作られる映画!
 広い体育館のようなところに、白線で囲われただけの通り・家・教会そして野菜畑など。壁やドアもない設定。
こちらの家からは隣の家庭が見える。隣だけではない。村全部が壁や垣根が無いから完全に透けている。しかし、そこには壁や垣根があると思って演技が進む。
   確かに、で出しの部分では、このやり方に戸惑う。また、ナレーションがゴチャゴチャとうるさく飽きる。
そして、手持ちのカメラが定めなくあちらこちらに動き回り、無駄なアップも多くて疲れて眠たくなる。実際かなりの観客は途中で帰った。
しかし、村人たちの弱い者イジメが始まる辺りからは、それなりの起伏があり観させる。元々村人でないグレースを利用して自分の欲望を満たす保守的で閉鎖的な村人。それは、最終的には、グレースが一番嫌いだった自分の姿を写したもの。
変化を期待しても、それは自分が傷つかない方法であれば受け入れるという甘えの感情から脱却できないもどかしさ。基本的には村人はグレースの本性だったのだ。
 最後まで観ないと、この映画の主張が分からないし、それなりの努力は買える。
でも、舞台劇として観ればこの壁やドアのないやり方も理解できるが、同じスタイルの映画としては、2度目は観たくない。
上演時間も177分と長すぎた。前半をもっと簡略化して、カメラワークも落ち着いた撮り方をしてくれると、折角のニコール・キッドマンも活きたのに。 

ラブ・アクチュアリー

あらすじ:新しく英国の首相となったデヴィッド(ヒュー・グラント)は、ぽっちゃリした秘書を好きになり、政治もおろそかになる。最愛の妻を亡くしたダニエル(リーアム・ニーソン)の11歳の息子は学校の人気者の女の子を好きになるがなかなか告白できない。弟に恋人を取られて、外国に傷心旅行するミステリー作家。親友の新妻(キーラ・ナイトレイ)に恋心を抱く画家。職場のチィーフ・デザイナーを2年7ヶ月思い続けるOL。夫の浮気が心配な熟女。さまざな愛の形がクリスマスに向かって進む。。。

入場料が¥1,000−では、映画館も満員だ!
当然、人の数だけ人生があり、男と女がいれば、男女の愛がある訳で、それは、子供から始まり、大人まで。貧乏人でも、金持ちでも、また英国首相でも恋はする。
    ボスを誘う女もいれば、恋に晩熟(おくて)な男もいる。浮気、本気、片想いなどを、程よく纏めている。肩が凝らずに楽しく観られる。
音楽も重要な役割を占めています。ビートルズの「愛こそはすべて」やベイ・シティ・ローラーズ、マライヤ・キャリーの愛の曲やクリスマスの曲も、年取った元ロック歌手の話に連れられてでてきます。
こんな愛のパターンを描くと、実に女性の受けがいいようだ。
観たのが、水曜日のレディス・デイで、いつもの入場料¥1,800−が、この日は、女性に限り¥1,000−と割引になります。
劇場は、日劇で一番大きな映画館でしたが、すごい満員で、開映間近に行ったらかろうじて、前の方が空いている状況でした。98%ぐらいが女性です。
    こんなに込んだ映画館は久し振りです。以前から私は、映画の入場料は、¥1,000−が妥当だと思っています。それが、証明された気持ちです。¥1,000−なら映画も観る人がかなりいます。¥1,800−ではよっぼどいい映画でないと観客は呼べません。¥1,000−万歳!

どうして、レディス・デイがあって「男性の日」は無いの? これって、差別じゃん!

ご参考までに,キーラ・ナイトレイがきれいだった;パイレーツ・オブ・カリビアン 

ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還

あらすじ:邪悪な指輪を「滅びの山」に投げ入れるためにフロド(イライジャ・ウッド)とサムはゴラムを道案内にして困難な旅を続けている。 一方冥王サウロンはアルゴラン(ヴィゴ・モーテンセン)の祖国:ゴンドールの首都を攻撃していた。ゴンドールを助けるために弓の名手やドワーフの戦士、白の魔術師達が向かう。だが、サウロンの軍も強くて手ごわい。指輪の持つ魔力がフロドをだんだんと弱らせる。山はまだ遠い。指輪はどこへいくのか!。。。

女:長かった3部作がとうとう終わったのね!
男:前の1部と2部も、各々が3時間近くの上映時間で、今度も3時間23分の作品だから、3部を全部見るには、何と10時間ぐらいかかる超大作映画になったんだ。
女:今回も充分に長い話が続き、どうやら指輪を投げ入れ、戦いも勝利で済んで、もう終わりと思っていたら、まだそれからの話もあるのでおどろいたわ。
男:でも、大きな象が戦いの場面で使われたり、巨大な蜘蛛ばあさんが出たりして、スリルのある場面展開が続き、面白かった。
女:貴方としては、SFにつき物の夜景で誤魔化すパターンが無かったので、それも好印象になっているんじゃない?
男:今度は、人間の友情。特にフロドとサムの関係がゴラムという弱さを持って生きてきた者との対比でうまく描かれているので、大人が観てもちゃんと耐えられる映画として仕上がったね。
女:そうね。フロドがゴラムの言葉を信じて、サムを疑ったりする気持ちや、指輪の持つ大きな魔力の誘惑に負けるフロドの感情などが、前作の空想的な森の精や、怪獣との戦いから脱して大作としての纏まりを持ってきたわね。
男:ゴラムの過去や幽霊も戦いに参加する話などは、細かな点から観ると、もっと丁寧に作って欲しい所もあったけど、「どうして?」に拘らないで観られたよ。父親と息子の関係もまあまあの追及だったし。
女:私は、弓の使い手のオーランドが白髪でカッコいいし、「パイレーツ・オブ・カリビアン」とはまた違ったクールなところがよかったわ。
男:それに「マトリックス」で大活躍したエージェント・スミスのヒューゴ・ウィービングも第1作から出ていたんだからね。この映画が最初から3部作の構成で撮影をしたやり方など、映画界に様々な影響を与えた、確かに大作であった事は認めるね。
女:でも、色んな地名があったり、分かり難い名称は、説明図が必要ね。
男:そうだね。白のグループと黒のグループのはっきりとした色分けの予備知識は必要かな? また、前作は観ていることを想定して作られているから、ビデオかDVDで1部、2部を観てから3部を観た方がいいね。
女:それより、絶対いい座席の劇場でないと、長時間だから、お尻が痛くなるわね。
男:事前にトイレも済ましておくこともね。
 
ご参考までに;ロード・オブ・ザ・リング(第1作)二つの塔(第2作)、パイレーツ・オブ・カリビアンマトリックス・レボリューションズ

ニューオーリンズ・トライアル

あらすじ:証券会社を首になった男が会社で銃を乱射し、社員11人を殺して自殺した。犠牲者の妻が凶器として使われた銃の大手製造会社を訴えた。銃のメーカーは負けると余りにも大きな影響を持つこの裁判(トライアル)の陪審員対策としてフィッチ(ジーン・ハックマン)を雇い裏工作をする。訴えた側の弁護士ローア(ダスティン・ホフマン)とフィッチの両方に陪審員の評決を買わないかと連絡が入る。事件の陪審員となったニック(ジョン・キューザック)が仕掛けていたのだ。評決はどうなるののか。。。

ストーリーとしては目新しくないが、日本でも採用される陪審員制度として身近な問題だ!
  被害者サイドの弁護士がダスティン・ホフマンで、銃の会社が雇う陪審員コンサルタントがジーン・ハックマンでは結末は、想像がつく。
それより、アメリカ合衆国が採用している、一般の人々が裁判の判決に参加する「陪審員制度」が抱える問題点が、今までの裁判映画よりも興味深い。
いよいよ、 日本でも裁判制度の改革として、アメリカのような「陪審員制度」が採用されるからだ。
この映画でも描かれているように、時間は拘束されるし、判決に参加する責任の重さを考えたら、面倒臭い陪審員には誰もなりたくはないだろう。
  しかし、今の裁判官制度での判決は余りにも政治よりで、また、裁判官の狭い範囲での判断が多く、民衆の意思が反映されていない事は多くの判例が示している。
このような状況を変えるためには、他人任せの姿勢から、自ら行動する市民でなければならない。
陪審員として行動するのは、自分が裁判を受けるかもしれない時に対する「義務」でもある。
だが、いざ陪審員に選ばれてみると、どこまで自分の意見・考えが主張できるか? 声の大きな陪審員の方に傾いてしまう恐れがある。少しばかり専門家的な陪審員が入っているとそちらの意見に引きずられる可能性も強い。
また、自分の恥ずかしい過去が暴露されたり、仕事面や家庭環境での脅かしなども使われると、果たして自分が正しいと思っていても、積極的にそれを主張できるか?
  アメリカの陪審員制度が抱えている様々な問題が、今後の日本でも当然起きてくる。それに対応するのは、自己の信念である。常に問題意識を持って行動する「日本人」が期待されているようだ。

◆《喜劇》極楽町一丁目 −嫁姑地獄篇ー (芸術座)

あらすじ:鎌倉の極楽町に住む石橋典子(浜木綿子)は、夫を交通事故で亡くしたが、ガーデニングなどで活躍をしている。しかし、家には嫁のやる事が気に入らない姑(赤木春恵)がいて、なんだかんだと文句を言われている。一人息子の恋人(田中美里)は気立ての良い娘で、これなら、嫁にもらっても上手くやっていけそうだと思っていたらこれが大間違い。そして、姑にとうとうボケの症状が出始めた。

こなれた仲間たちのやり取りが、笑いを呼び込む!
家庭内の嫁・姑のいざこざは、本人たちが真面目で闘えば闘うほど、他から見ていると、笑いの種になる。
  劇場の観客の殆どを占める女性たちも自分たちが経験している「嫁・姑の確執の原因」が「たわいの無いもの」であることは充分に承知してる。しかし、それは避けられないし、また互いに譲る気もない。
それは、理屈ではなく存在しているからだ。
  何んて、難しいことを考えずに笑える。この公演も既に1ヶ月ほどが過ぎ浜木綿子を中心とした演技者達に余裕が感じられる。息が合っている。
アドリブもかなりあるようだし、加藤茶の本当のセリフのトチリも笑いに持って行ける仲間のリズムがある。
  舞台を積んできた浜木綿子や赤木春恵の間の取り方を今後は若手も勉強して行くだろう。また、女装の池畑慎之助(ピーター)は他の女性たちよりも女ぽかった。
ただ、笑いの流れを変えすぎる、銚子の実家へ帰る場面はなくても良かったかな?

ご参考までにちょと面白くなかった;口八丁手八丁 

解夏(げげ)

あらすじ:東京の下町の小学校の先生:隆之(大沢たかお)は生徒たちに人気があった。しかし、視力が徐々に落ちて行くベーチェット病にかかり、故郷の長崎に帰る。眼の見えている内に、思い出の街並みをしっかりと心に焼き付けておきたかったのだ。恋人の陽子(石田ゆり子)が東京から追ってくるが将来を悲観した隆之は邪険に扱う。眼は段々と見えなくなって行く。。。

長崎の観光映画?
  「解夏」とは、禅僧が各地を巡る托鉢を中断し、雨季の間に一同に介し修行を行い、その間互いに反省や懺悔をし、また夏頃、各地へ向かう時の事だそうだ。
失明から来る恐怖と絶望感。これを家族の愛情、僧侶の話、恋人の支えで乗り越えて、心が穏やかになることを、どうも言いたかったようだけど、観ていると、単なる長崎の観光映画のようだった。
  古いお寺、中華街、造船所などが出てきて長崎の風景はよく分かる。しかし、隆之の失明することによる絶望感は感じられない。
それは、細かい設定が活用されていないからだ。
  一体、恋人の陽子がどうしてモンゴルで研究をしているシーンが必要なのか?
陽子の研究の内容の重要さを説明してくれると、それを捨ててまでしても、隆之の「眼」になりたいと思う愛情の深さが分かるが、ここが不十分で「愛の底が浅い」
眼医者の診察室は、うす汚なくて、こんな病院では治るとは思えない。
また、隆之の相談にのる大学の恩師も、本を片手に受け答えする不真面目な感じで、演出のまずさが出ている。


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