2004年 1月号 映画・演劇 評論

ラブストーリー(韓国映画)

あらすじ: 家を整理していて、女子大生ジヘ(ソン・イェジン)は母親が娘時代に付けていた日記と35年前の手紙の束を見つけた。 手紙は亡き父親が母へ宛てた物だと思っていたが、違っていた。母の許婚であったテスの親友ジュナ(チョ・スウン) からのラブレターだった。母親が田舎に遊びに行った時に偶然ジュナと知り合い、家長が決めた結婚に隠れて二人は愛を育んでいたのだ。そして、恋愛には晩熟のジヘだったが、友人が愛している演劇部の先輩を好きになって行く。母と似たような娘の愛は、奇跡を呼ぶのか。。。

優しさのある恋が切なさをもたらす
  娘と母親の二役をこなす:ソン・イェジンの優しさと悲しさの表情が実にいい。
母親の娘時代における、好きだけど、そこにある古い家族制度との狭間に置かれて悩む姿。しかし恋人との逢瀬(デートではなく)に見せる喜びの姿。
現代の恋においては、友人に対してどこか後ろめたい気持ちで重ねる先輩との接触のいじらしさ。
  そこには、他の人の気持ちを強引に押しつぶしてまで、自分の愛を貫くことのできない、優しい思いやりのある愛がある。
これも愛だと観客も充分に理解できる。多くの人が抱いている完全には成就できない愛の姿。忍ばなければならない愛。
自分の初恋を振り返ってみると、この切なさが胸を締め付けてくる。
  また監督:クァク・ジョヨンの小物の使い方もいい。冒頭の「ふんころがし」の意外性から始まり、ホタル、雨傘、虹、街灯などの扱いがきめ細やかだ。
フォークダンスのシーンは、私達の年代は特に懐かしい。女性と堂々と手を握り合える唯一の機会だったから。
もう少しで相手が代わり、彼女の手が握れると思って踊っていたら、曲が終わって「残念」何て事が甘酸っぱく思い出される。
   韓国軍がヴェトナムに派兵され闘うところは、最近の日本の自衛隊のイラク派兵と重なる。「死」がかなりの 確率で存在する戦争。帰って来ないかもしれない恋人。別れは、さらに涙を誘う。
簡単に体の関係で表現される愛でなく、魂が触れ合う愛の姿をみて、久々に心が潤った。

ご参考までに:初恋なら;藍色夏恋

また:同じクァク・ジェヨン監督の;猟奇的な彼女

シービスケット

あらすじ:1930年代のアメリカ。新しい乗り物:自動車の販売で大金持ちになったハワード(ジェフ・ブリッジス)は自動車事故で息子を亡くし、気晴らしに競走馬も飼っていた。そこへ各地を転々としていた調教師スミス(クリス・クーパー)と大恐慌で家族と引き裂かれた騎手レッド(トビー・マグワイア)が雇われ、血統はいいが、気が荒くて手に負えない馬:シービスケットを育てる。調教の成果で、シービスケットは徐々に才能を伸ばし、小柄な馬と大柄な騎手の活躍はアメリカ中の人気者になる。しかし、レッドは足を骨折し、シービスケットも脚を痛める。苦難の中復活はなるか。。。

アメリカのバックグラウンドが今一つ、つかめない
 孤独に馬を愛する調教師が何故、アメリカ各地を転々としていたのか?
教養のある騎手の家族がどうして、悲しくも別れ別れになったのか?
金持ちが競走馬に興味を抱くようになった理由は何か?
この部分の描き方が断片的に、挿入されるが、味付けがかなり弱いために、話が少しばかり単調になった。
主題としている、心に傷を持った3人が困難に立ち向かい、乗り越えていくのは、別に特別なことではない。私たち一般の人々も日常の生活の中で経験し、また克服している、普通の出来事である。
怪我が治って、見事に復活するだけでは、物足りない。
描いて欲しいのは、一般性を超えて、苦境に陥り逆境に立たされた時どう乗り越えて行くか。その部分を競走馬に託して上手くもっていって欲しかったが、怪我が治って、見事に復活するだけでは、物足りない。
競馬での駆け引きの方が印象に残り、人間たちの生き方が不十分な訴えとなっていた。
  アメリカという国における「馬」に対する思い入れ、東部の人と西部の人の対立、張り合い。不況がもたらした家庭の崩壊の説明がもっとあればよかった。

タイムライン

あらすじ:2003年、フランスの南西部で、中世の修道院跡を発掘していたチームが変った物を見つけた。発掘を支援してくれる企業のところに行ったまま行方不明になっているチームの学者ジョンストンの眼鏡と「助けて!」と書かれたメモが14世紀の遺跡から出てきた。不審に思ったジョンストンの息子たちが支援企業を訪ねるとそこには、「タイム・マシン」があった。ジョンストンは、この「マシン」で1300年代へ行ってしまったとのこと。学者の息子や、発掘のメンバー達も600年前へ「タイムトラベル」をする。そこは、英仏百年戦争をしているフランスだった。戦いにまぎれ、仲間も殺されて行く。彼らは現代に戻れるのか。。。

女:タイムトラベルとしては、特に目新しい物が無いわね!
男:まったくだね。本の上での想像なら、かなり面白く作られているかと思ったけど、過去に戻って、戦争に参加するだけではね!
女:タイムトラベルの原則として、「歴史を変えることに参加してはいけない」っていうことをいつも言うけど、どうしても歴史を変えたがるのよね。
男:全体の流れは変えていないといいたいのかも知れないけど、最新の知識を持った人間が複数で過去に行けば歴史はかなり大きく変化してしまうよね。
そこを観客が上手く納得できるようにして欲しかったね。
女:タイムマシンが壊れても、キットまた現代に戻れるという予想はついたわ。
男:またお決まりの戻ってくる時間の制限の緊迫感も無かったし。
女:小屋でのいざこざや洞窟なんかの極端に狭いところでの場面が目立って、折角大きな画面で観ていても、つまらなかったわね。
男:城のセットに金がかかってしまったのかなぁ。でも、その城もたいした出来ではなかったけど。
女:何度も、過去と現代を行き来した人たちもいて、また過去に取り残された人もいるんなら、もっと話は複雑になってもよかったんじゃない?
男:それから、いつも思うんだけど、どうしてこの種の映画は、戦いを夜に行うのかなぁ? 明かりが充分でない時代では、夜の闇の暗さでは敵と味方がはっきりしなくて同士討ちも起き易いと思うけどね。
女:明るいと誤魔化しが効かないから大掛かりな設定は夜にして、アラを隠すのは、皆が知っていることよ。
男:SFだから、おかしな所もちょとは大目に見たいけかったけどね
女:済んでしまった過去を問題にするからいけないのよ! 私たちは、これからの未来を明るく生きていけばいいの!
男:君はいつも明るいね。
女:それって、誉めてんの?
男:もっ、勿論だよ。。。

ご参考までにタイムトラベルを描いた;タイムマシン 

羅生門(日生劇場)

あらすじ: 時代は明治。沼に棲む河童四姉妹の次女バッグ(浅丘ルリ子)は人間の世界で悩んでいる作家で医者の北畠(仲村トオル)の動向が気になっていた。北畠はもう人妻になった明子(原田美枝子)が忘れられず、慕ってくれる勝美(富田靖子)も邪険に扱っていた。精神的に落ち込んでいる北畠を河童の世界に呼び込み、河童の持つ超能力で過去の平安時代や現代を行き来して、人間の本心を明らかにさせる。しかし、バッグにとって北畠の存在が段々と大きくなってくる。

創作の苦心と、浅丘の新しいものに取り組む熱意は分かるが、話が面白くない。
  芥川龍之介の「羅生門」「河童」「蜘蛛の糸」「地獄変」などの作品を元に、河童がタイム・トラベルさせて盗賊の話や、画家の苦労、人妻の本心などを次々と見せる。
アイデアとしては、目新しいのでどう纏めるかと、期待していたが、退屈な出来となっている。
芥川の作品のクライマックスばかりを、「どうだ。これでもか!」という形で並べたために、休みどころと、盛り上がりのメリハリが無くなっている。
しかも、暗い話がほとんどで、海の波が全部平坦に流れて、表にリズムとなって現れてこない。
 観客を飽きさせない為には、時々は、泡だった波も必要である。
また、浅丘ルリ子と仲村トオルのやりとりの会話が非常に乾いた感じがした。しっくりと噛み合っていない。
特に、仲村トオルは舞台で動きのない設定における体の置き場所をもっと研究することだ。
救いは、正しく身体を張っていた笹野高史の演技だった。
  ファッションに関心のある人は楽しみです。浅丘の衣装デザインは洋装・和装から、色々とオリジナルな物が出てきてこれは、楽しめます。

ご参考までに2003年の浅丘ルリ子の舞台;恐怖時代

半落ち

あらすじ: 群馬県のある警察署に現役の警部:梶(寺尾聰)が妻(原田美枝子)を殺したと自首してきた。取調べに当たった志木(柴田恭兵)に対し3日前に記憶消失(アルツハイマー症)の妻を絞殺したと話す。しかし、妻を殺した後の2日間の行動については固く口を閉ざす。梶の「空白の2日間」をめぐり、警察と検事局の対立、功名心で引き受ける弁護士、同じアルツハイマー症の父親を持つ裁判官(吉岡秀隆)の内情が明からになって行く。。。

人殺しは、人殺しである。全てが中途半端!  結局、皆んないい人では飽きる。
「半落ち」とは、警察用語で容疑者が一部しか自供しない事だそうです。全部自供すると「完落ち」というらしい。
アルツハイマー症で「壊れて行く妻」を殺した背景に、骨髄性白血病の息子に骨髄の提供者(ドナー)が現れなかったため、息子を亡くした悲しみがある。
  何とも、描き方が中途半端である。「空白の2日間」を警察が作り上げたと言う始まりから弱い。
元々警察の敏腕警部が自分を偽っても、自供したのであるから、捏造(ねつぞう)では無い。
これをもとに、地元警察と田舎に左遷させられた正義感のある検事を出して闘わせ、そして最後は、お決まりの裏取引での決着では   話の作りが雑である。
自供が不完全であれば、単純に捜査を丁寧にやればいいだけである。
また、話が胸に響いてこないのが、「ドナーとして提供を受けた人を探してはいけないこと」である。
探し、調べる事は、完全に秘密にしなければいけないという状況が、殺人を犯した後まで必要かと多いに疑問だった。
  テーマの「記憶を無くして人間として壊れて行く人」なら殺していいのか? 私の答えは「ダメ」である。
しかし、この映画は「殺人」を肯定している。看護に疲れた姉や裁判官の父親を引き合いに出して、同情の涙を集めて殺人に妥当性を与えようとしている。これは、納得できない大きな問題である。
この理論が許されるなら、寝たきりの人や意識のない植物人間の存在も危うくなる。
  それは、映画としての作り方、突っ込み方が総花的で弱いから、こう思わせるのである。
梶夫婦が息子にかけた愛情の深さ。白血病のドナーがいなかったために、無念にも命を落とした切なさ。この部分をもっと観客に訴えてこなければいけない。
さらに、梶が妻をどのくらい愛していたのか?愛する故に「殺人」までを犯すやり場の無い疲れ、先の読めない人生を 描いてくれないと、どうしても「人殺し」に同情は出来ない。
  でも、ついでながら、他にも、鶴田真由、西田敏行、井川比佐志、樹木希林、高島礼子、奈良岡朋子とこんなに有名な俳優が出ています。

ご参考までに行き場のない殺人を描いた;イン・ザ・ベッドルーム 



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