ルー・リードに関するリンクをまとめまし た。
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Mar.2003作成 Dec.2003更新   (文中のリンクをクリックするとAmazon.co.jpなどのリンク先へとびます)         

 ** エドガー・アラン・ポーについて **

 最初の『Closed On Account Of Rabies』というCDはポーの詩や短編を音楽とむすびつけたものでした(前ページに載せてあります>>)。ビートニク詩人たちを惹きつけ、ロックミュージシャンにも愛され、そして今度はルー・リー ドが『The Raven』(ザ・レイヴン)(大鴉)というポーの最も有名な詩をタイトルにしたア ルバムによってポーの世界を表現しました。なぜ詩人やミュージシャンはポーに魅了されるのでしょう。

 1809年1月19日、ポーはアイルランド系の旅役者の父、そして同じく旅芸人の母のもとに生まれ ました。エドガーが生まれたその年の10月、舞台に出たあと父親は姿を消してしまい、その1年後には母も亡くなります。孤児となったエドガーは、たばこ輸 出業を営むアラン家の養子となり、6歳になったエドガーは養父に連れられて英国へ渡り、そこで教育を受け、米国へ戻りました。
 アラン・ポーは、ゴシック風の恐怖小説を得意とし、世界初の推理小説『モルグ街の殺人』を書いた作家として知られています。でも、何よりもまず言葉の人工的な効果を極めよ うとした、詩人、だったのだと私は感じています。ヴァージニア大学在学中に女性問題があって、養父から送金を得られなくなったポーは、匿名で詩集を出版し ますが生活は成り立たず、お金のために変名を使って軍隊に志願、除隊後にも2冊の詩集を出版しています。ポーが小説を書くのは、懸賞金目当てに短編小説を 書いて応募し、それが認められて文芸雑誌の編集者という職業についてからでした。
 ポーが、詩作や短編にもとめたものは何だったのでしょう。『E・A・ポウを読む』(岩波書店刊 巽孝之著)という本の中に、ポー自身の「審美眼」につい ての言葉が載っています。

 審美眼を真中に置いたのは、心の中でそれの占めてい る位置がちょうどここだからである。それは両端の各能力(純粋知性と倫理意識)と密接な関係をもつ。(中略)知的能力は真理と関わり、審美眼は美について 教え、倫理意識は義務を守る。義務に限っていえば、良心はそれをどう果たすかを教え、理性はそれがいかに方便になりうるかを説くいっぽう、審美眼はその魅 力を示すだけに甘んじる。審美眼が倫理的悪徳を攻め立てることがあるとしても、それはひとえにその悪徳が醜くぎこちないものだから――それがどうにも不釣 合いで場違いで不調和をきたすものだから――つまりは美を損なうものだからである。

 少し難しいですが、ポーはなによりも「美」を作品に求めたということなのだと思います。ポーの「審 美眼」に適うものであれば、倫理や道徳的基準と相反することもありうる、というわけです。「美意識」に対する考え方は、18世紀以降のヨーロッパ世界で大 きく変化を遂げ、それまでの厳しい倫理観、宗教観に左右されない新しい「美学」を芸術家や文学者たちは求め始めたのでした。産業や技術の発達が人間の行動 範囲を拡げ、人々は未知の世界への関心を示し、南極やアルプスなどの自然の険しさ、荒々しさや、船の航海を襲う大嵐や幽霊船を目撃した恐怖なども詩の題材 として書かれるようになっていきます。そしてやがてパリやロンドンに都市生活が生まれ、現代人のようにアパートメントの暮らしで隣室に見知らぬ他人が暮ら し始めるようになると、人間に対する不安や疑心暗鬼、そして恐怖が生まれていきます。
 だから、ポーにとっては、太陽や月、海底や夜の森、死者や亡霊などを詩にすることも、殺人者の恐怖小説を 書くことも、「審美」という範疇の中では決して矛盾しなかったということなのでしょう。




 ** The Raven / Lou Reed (2003年) **

 さて、ルー・リードです。ルー・リードはもう説明の必要はありませんが、NYを代表するロック ミュージシャンであり詩人です。アンディ・ウォーホールのプロデュースによって誕生した伝説のバンド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのヴォーカリス トとして登場して以来、ソロになって発表した数々のアルバムも含め、ほぼ全ての作品の詩をルー・リードが書いてきました。
 1967年のヴェルヴェッツ誕生の頃は、私の年齢では記憶がないけれど、NYパンクやドアーズなどと一緒 に聞き始めた14歳の頃、衝撃的に出会ったのが「ワイルドサイドを歩け」「I'm waiting for my man」。 歌詞カードとか訳詞とか無かったけれど
   I'm waiting for my man, twentysix dollars in my hand ♪ という部分だけは聞き取れて、それで何故だかわかってしまっ て、とってもアブナイ歌を自分は聴いているんだ、と思ったものです。以来、ルー・リードは危険で官能的で、夜のNYの匂いに溢れている憧れの存在になりま した。
 でもルーの詩には本当に美しいものがたくさんあることに気づいたのは、ずっとずっと大人になってからのこ とです。今回の『The Raven』にはルー・リードが72年に出した『Transformer』 (トランスフォーマー)から「Perfect Day」がカヴァーされていますが、 この詩も大変に美しい詩。
    Just a perfect day
    Feed animals in the zoo
    Then later a movie too
    And then home
             というように短い言葉の連なりなのですが、愛する人と共に過ごすなんでもない一 日のすばらしさが、せつないほどに伝わってくる名曲なのです。

 ルー・リードがポーに惹かれた理由は、今回の『The Raven』のライナーにも書かれていますが、「なぜ、人は、禁じられたものに引き込まれるのだろう。なぜ 手に入らないものを愛してしまうのだろう」というルーの言葉に尽きると思います。上で書いたポーの「美学」とまったく同じことですね。だか ら先ほどの「Perfect Day」もじつは、普通(という言葉も曖昧ですが)では許されないような恋人同士の一日なのでは・・?ということが想像されるのですね。

 『The Raven』は、日本語のライナーつきの国内盤と、2枚組みスペシャルエディションの輸入盤とがあって、スペシャルには朗読のみの15作品が加えられてい る、ということです。最初、翻訳なしでポーの世界をアレンジしたものを聴くなんてムリ、と国内盤を買いましたが、余りの素晴らしさに、ちょっと朗読のみの ものも聴きたくなっているところです。
 
 今回のルー・リード作品から伝わってくるポーの世界のイメージを、つらつらと連ねると・・

   告げ口心臓の鼓動の高まり。早すぎた埋葬者が土 の下から囁く声や叫ぶ声。
   ロデリク・アッシャーの奏でるギターの奔放な即興曲 に、燃え上がる炎を告げる鐘の響き。。
   独裁者を高く高く吊るし上げた周囲で飛び跳ね回って快哉を叫ぶ跳び蛙や、海辺の墓地で眠る乙女。
   そして何よりNYの住人であるルー・リードは、世界中のモルグ街で殺人を犯しているのは、
   じつは永遠にオランウータンを罪人に仕立て上げつづけ ている我々自身なのだという「今現在」を描きたかったのでは、
   とそんな気がする。
   けれども決して色あせることの無い「美」とは、、、
   霧の森の中を、愛する人を胸に抱いて歩く至上の喜び。 たとえ彼女がこの世の存在でなくても。。。

 などと少し気取った書き方をしてしまいましたが、これらにはたくさんのポーの詩や短編のイメージが 重ね合わされています。私自身がまだまだ不勉強なので、ポー作品をもっともっと読まないとルーが作品に込めたものは本当には見えてこないかもしれません。 でも、こんなにも素晴らしい音のポー論を創り上げてくださったことが嬉しくて、ずっとずっと大事に聴き続けていきたいアルバムになりました。
 最後に・・ゲストでデヴィッド・ボウイさんが『Hop Frog』(跳び蛙)を 歌っていますが、「ボクを跳び蛙って呼んでくれ、舞踏場にもいるよ、ベッド・ルームにもいるよ、跳び蛙、跳び蛙〜〜〜」って叫んでるだけのほんの短い歌な んです(笑)。だけど『跳び蛙』(創 元推理文庫 ポオ全集 W巻)を読んだ後なら、きっと印象が変わることでしょう、ぜひポー作品と一緒に味わってみて下さいね。 (「アッシャー家の崩壊」や「早すぎた埋葬」などもぜひ。あ、少年少女向けの本じゃなくて完訳であることをお奨めします)
                         (Mar.3,2002)





 ルーの『The Raven』を聴いてからもう半年になろうとしています。過去の総括というよりも、過去から現在までの自分自身の全霊を込めて、ポー作品の得体の知れない 不安感や、人間のどうしようもない背徳(Vicious)への欲望・誘惑、見方ひとつによって変わってしまう世界の不確実性、そんなものを描き出したこの アルバム。ああ、ライブを見たいなあ、と思ってそれがもうすぐ実現します。

 ルー・リードの経歴を語れるほど私は詳しいファンではないので、それは他へお願いすることにして、この半年で教えていただいたこと、感じていることなど 少しだけご紹介しましょう。

 旧BBSで教えていただいたり、自分で書いたりしたことですが・・

 * ルー・リードのシラキュース大学時代の恩師で、尊敬する詩人であるというデルモア・ シュワルツの本が2冊、日本語翻訳されています。その一冊は可愛らしい絵本。なんと私が何も知らずに、大好きな画家バーバラ・クーニーの挿絵と言 葉の美しさに惹かれてだいぶ前に買っていた本でした。

   『わ たしは 生きてる さくらんぼ ちいちゃな女の子のうた』
       (デルモア・シュワルツ文 バーバラ・クーニー絵) >>


 * もう一冊は掲示板で教えていただきました短編小説です。(ポッサムさま、ありがとう)

   『and other stories とっておきのアメリカ小説12篇』   >>
     この中にデルモア・シュワルツの「夢で責任が始まる」という短編が収録されています。

 * 師と仰ぐデルモア・シュワルツについてルー・リードが歌ったものとして
   『The Blue Mask』(ブルーマスク)の1曲目 「My House」があります。

      Delmore, I missed all your funny ways
I missed your jokes and the brilliant things you said
My Daedalus to your Bloom, was such a perfect wit
And to find you in my house makes things perfect

デルモア、あなたのおかしな癖がなつかしい
       あなたの冗談や才気ある言葉が二度と聞けなくて寂しい
       「ディーダラスの私からブルームのあなたへ」は完璧な言い回しだった
       家にあなたがいるとものごとがすべてうまくいく
              (『ルー・ リード詩集』河出書房新社 梅沢葉子 訳)

   翻訳詩集のこのページに載っているルーの解説によれば、「彼(シュワルツ)の額にはおおきな傷痕があった。ニーチェと決闘したのだそうだ。彼が (『ユリシーズ』の)ブルームで、私(ルー)がディーダラスだった」、とあります。アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの長編小説『ユリシー ズ』の主人公ブルームをデルモア・シュワルツになぞらえ、その主人公ブルーム(彼は一人息子を亡くしている)が、文学青年ディーダラスと出会い、 「深夜、ディーダラスと共に淫売窟へおもむいて彼の中に失われた息子を発見する」(新潮世界文学辞典より)として、ディーダラスをルーになぞらえているわ けです。
 ルー・リードが精神療法として、電気ショック療法を受けさせられていた、という事実については詳しくは知らないのですが、「Kill Your Sons」というルーの歌では、その電気ショック療法のことが歌われています。肉体的にではなく、人格的に「殺されかかった息子」と、ユリシーズの中の 「失われた息子」ディーダラスが重ねあわされていく。ルーの音楽が、デルモア・シュワルツからジョイスへとまた新たに繋がって、、、このようないきさつを 考えながら『ユリシーズ』をいつかまた読んでみたいと思っています。
 話を「My House」に戻して・・・この歌ではシュワルツの存在が歌われていますが、この歌の中で、シュワルツはすでに亡くなっているのです。ルーとルーの妻は、 歌の中で霊応盤でシュワルツの霊を呼び出し、部屋じゅうをかけめぐる霊としてシュワルツの存在を感じているのです。・・・まさにエドガー・アラン・ ポーの『The Raven』につながっていく世界。
 「My House」の収められたブルーマスクは82年の作品ですから、それからもう20年の月日が流れているので、霊と自分とのあり方について、この当時と今で はまたルーの考えは変化しているかもしれません。でも、『The Raven』と、それにつづく新作であり、1967年〜2003年の総括作品であるNYC マン ヒストリー・オブ・ルー・リード 1967-2003』には、かつてNYでともに生きた人々、そし てすでにこの世の人ではなくなってしまった存在への愛しい想いを強く感じる事ができる気がします。

 『The Raven』でも重要なテーマとして語られていたポーの作品『跳び蛙』。独裁者である王と権力を握る一部の支配者。王の道化で ある跳び蛙と、踊り子のトリペッタ。屈辱に耐える跳び蛙は、やがて王たちを縛り上げ、焼き殺すための芝居をうつ。。


 今、もうルーは日本に来ているはずです。彼の公演を、もし自分なりに理解する事ができたら、またレポを書いてみたいと思います(書けるかな・・・? 難 しそうだな・・)
                                                    (Sept.17,2003)


 
      ** LOU REED LIVE  Sept.20,2003 @東京厚生年金会館  **

Sweet Jane
Smalltown
Tell It To Your Heart
Men Of Good Fortune
How Do You Think It Feels?
Vanishing Act
Ecstasy
The Day John Kennedy Died
Street Hassle (I & II)
The Bed
Reviens Che'rie (Fernando Saunders)
Venus In Furs
Dirty Blvd.
Sunday Morning
All Tomorrow's Parties
Call On Me
The Raven
Set The Twilight Reeling
* * *
Candy Says (Antony)
Perfect Day
* * *
Walk On The Wild Side


 ルーの公演から、もう3ヶ月も経ってしまいました。このままでは年を越してしまう・・・と思って、とりとめなくても良いから、あの晩のルーのLIVE、 そして今年、ルーの「The Raven」から「NYC MAN」まで、私に与えてくれたものを、覚え書きにしておこうと思いました。

 その前に、"NYC MAN TOUR"のサンフランシスコでのLIVEの模様が、ストリーミングされているので、そちらを楽しんでいただけたら、私の感想などは、もう不必要か と。。。2時間半もあるLIVE、私もあれ以来、5回くらいは通して観ています。見るたびに、単なるROCK LIVEというものを超えた、永遠に記憶に残る素晴らしい公演だと感じます。
 ス トリーミングはこちらです>>(クリックするとすぐにReal Playerが起動してストリーミングが始まります)

 最初にセットリストを挙げてありますが、じつは来日公演のほんの2日前くらいに、偶然USツアーでのセットリストの情報を知りました。LIVEは、何を 演奏してくれるのか、どきどきしながら臨む楽しみもあるけれど、今回のルーだけは、私には予習が必要だと思いました。ルーのアルバムを丹念に時代を追って 聴いて来た熱心なファンではなかったし、ルーの「語り」ともいえるような歌は言葉がとても大事だから。。そして何よりルーが伝えようとすることを逃さず受 け止めたいと思ったから。。それで、セットリストを知ってから、家にある「LOU REED / PASS THRU FIRE」という全詩集をもういちど開いて、詩を読み直してLIVEへ向かったのでした。

 ストリーミングも日本公演もほとんど曲目も曲順も一緒。
 オープニングの「スイート・ジェーン」を弾き始める時に「3コードじゃない、シークレットコードがある」と言って笑いを取る所や、「スモール・タウン」 で、MIDIギターを弾くマイクルを見て「ギターを弾いているのにピアノの音が出てるぞ! 俺は(本物の)ピアノが見たいんだよ!」とからかう所とかも全 部一緒(笑)・・でも3コードジョークは日本での方がウケていたかな? シークレットコードに、「おお〜〜!」とお客さんが感心すると、満足したように頷 いていましたから。。
 ちょっと話飛んで、ルーのオフィシャルサイトに登録するとニューズレターが届くのですが、それが、「今夜は起きていてTVを見ろ」とか「どこそこでの LIVEは見逃すな」とか、なんだか英文が命令調で、それがルーらしくて妙に可笑しいのですけれど、聴衆に語り掛ける時もたまにそんな感じになる・・・ 「when you're growing up in a small town」という歌詞なので、観客に「ここはスモールタウンかぁ!」とルーが叫ぶ。勢いで「イェー!」と叫んでしまう日本のお客さんに「お前ら俺の話を聞 いてるのか! Tokyoはスモールタウンかぁ!?」・・・「Tokyoはスモールタウンかぁあ?!」・・・なんだか怒られているみたい。。やっとお客さ んが「Noooーーー!」と叫ぶと「そうだろ、TokyoはBIG TOWNだろぉ!」と納得。。
 真面目な話、、、。
 ルーの今回のセットリストを追っていくと、どうしてもベスト曲のオンパレードというより、NYのストーリーに思えてくる。「富に恵まれた者がしばしば帝 国を破滅させる、貧しく生まれた者が何ひとつできない間に・・」という曲を聴いていると、今年の春に観たポール・オースターのドキュメンタリーフィルムを 思い出す。ルーは親友でもあるらしく、そのフィルムでもポール・オースターと並んでインタビューに答えていた。ポール・オースターは、父親がNYで何軒も の不動産を所有していたという、かなりの資産家の息子。そのオースターの幼少時の忘れられない記憶で、それが、実業家ではなく小説家を志すきっかけにも なったという話が語られていて、オースターは幼少時に毎週金曜日になると父の後をついて家賃を徴収しに行っていたのだという。そして自分の居住地区を離 れ、賃貸のビルが建っている地区へ入って行った時に嗅いだ街の匂い、、富める者と貧しい者を隔て、決して両者は相容れないのだと子供心に気づかされた生活 の匂い、、。そしてオースターはどちらの側の者でもない作家になることを選んだ。
 ルーの歌は、NYという街の歴史、ルーが演奏を始めた60年代頃からのNYの様々な住人の暮らしが、物語になって聞こえてくるよう。そしてストーリーの 大事な位置で歌われるのが「The Day John Kennedy Died」。。セットリストを知った時からずっと、この歌が心に引っ掛かっていました。JFK暗殺の日の、そのニュースを知った瞬間の自分と街の人々のこ とが、記録映像のようにリアルなモノローグで語られるこの歌。その日の、その瞬間を境に、確実にそれまでのアメリカとその後のアメリカとの様相を一変させ た、いえ、人々が抱いていた自由と平等のアメリカという理想が、まさに理想であったと知らされることになった日だったのかもしれない。そして「The Day」は現在のアメリカと世界へそのまま繋がっている。。。ずっとそんなことを考えていたのです。
 「The Raven」の中から、個人的にとてもとても聞きたかった「Vanishing Act」。。ルーの身体が逆光の中で銀色にふちどられたシルエットになって、歌詞に現れる森のように霧につつまれて見える。心から愛する人を眼前に浮か べ、永遠に適わぬ夢を永遠に願う、かぎりなくシンプルでピュアなLOVE SONG。この曲や、続く「エクスタシー」の描く愛と、、、後半の「毛皮のヴィーナス」や「The Bed」などが描く愛の対比。。。退廃と、混沌の世界。。そしてその混沌を乗り越えようとするのは、まさに芸術の力であると言わんばかりに、ルーとメン バーとが一体になった素晴らしい演奏を示してくれたのでした。「救い」とも言えるようなフェルナンドの優しく美しい歌のひととき。力強いチェロとギターの 共演。それから、ルーの魂のよりどころであるらしいカンフー師匠の「舞い」。
 師匠の登場は、まるで情報の無かった人にとっては、驚きというか、わけがわからない演出だったかもしれません。私だって、春頃、ルーは今、カンフーにハ マっている、といってカンフー雑誌の表紙を飾っている雄々しいルーの写真を見せられた時には「な、何??」と思ったもの。けれども、「The Raven」の朗読の前に静謐な舞を見せてくださる師匠の様子は、確かに霊の使者としての大鴉にふさわしいものでした。ルーは日本でのインタビューで、 「日本のダンサーとのコラボレートも考えたかった」と語っていたのを読みましたが、例えば「能」の舞いとのコラボレートなども素晴らしいものになったので は、と感じます。イェイツの戯曲に、日本の能からインスパイアされた『鷹の井戸』という作品がありますが(でもその舞台がどんなものか観たことが無いのを 残念に思っているのですが)、そんなこともちらっと脳裡に浮かび、師匠の舞をフィーチャーしたルーの朗読はCDとは別の迫力が感じられたのでした。

           ***
 ここからはごく個人的な感想で・・
 ルーの歌は、NYやアメリカの記憶であると共に、聴いている私自身の25年余りの記憶と、創作の足跡をも思い出させるものでした。思い出したのは、いく つかの小説。。80年代の終りだったか、90年代の初めだったかに読んだ今野雄二のいくつかの短篇小説(ルーの『ベ ルリン』の解説なども書いている音楽評論家でもある方です。小説集では『きれいな病気』という主にゲイ社会を描いた作品)。80年代のどこかで読 んだアリーナ・レイエスの小説『肉屋』の、日常の歪みに陥ち込んだかのような欲望の世界や、ニューヨーカーらのドラッグ小説。70年代の終りに授業をサ ボって読んでいた村上龍のごく初期の小説の数々。これらは小説というフィクションの世界の現実だけれども、70年代〜90年代に至る時代の病いと密接に結 びついていた。時代が移り変わって、人々の嗜好が急速に変化し、過去はノスタルジーとして毒気を抜かれてコンパクトに纏め上げられ、そうなった後では読ま れることも少ないかもしれないけれど、だからこそ同時代の歌も、小説も、臭気も毒も醜悪もみすぼらしさも身に刻んだままの状態で、膚で感じられることが大 事なのだと思う。同時代に読んだ小説、同時代に聴いた歌(ルーの歌も含めて)そして同時に少女からおとなになっていった、少なくとも夢見る人形ではなかっ た自分の過去と共に。。舌に強い酒を垂らすように痺れが来て、後で必ずうんざりするような吐き気を残すような、西陽と闇の間でだけ生きていたような日々。
           ***
 
 ルーの長年のアーティストとしての全身全霊を通じて創り上げられたようなステージを観て、ちょっと思った事があります。もしTV放映などで、今回の LIVEが流されることがあるとしたら、オペラ中継のように、歌詞をテロップで流してもらえたら、きっともっともっとルーの歌や全体の流れを、よく理解す ることができるかもしれない、とそんな風に思います。
 アンコールで、それまでずっと坐って美しいファルセットのバックコーラスを聴かせていてくれた、キュートで、はにかみ屋で、しかも素晴らしい声のアント ニーが、立って「Candy Says」を歌い、それをルーが讃えるような眼差しで、ずっと拍手をしていたことや、メンバーひとりひとりと近い位置でアイコンタクトを交わしながら彼ら 自身が、自分たちの創り出す音に感動しながら演奏している様子など、やはり何度ストリーミングを見ても、素晴らしいステージだったと思い出されるのです。
                                    (Dec.23,2003)



Lou Reedほか、このページに関するリンクをまとめました。


Lou Reed. Com
ルー・リードのオフィシャルサイトはこちらです>>
Fernando  Saunders.Com
ルー・リードのバンドのベーシスト、フェルナンド・ソーンダースのオフィシャルサイトはこちらです>>
Antony and the Johnsons.com
「The Raven」で美しいバックコーラスを担当しているアントニーのオフィシャルサイトはこちらです>>


エ ドガー・アラン・ポー「黒猫・モルグ街の殺人事件 他5編」 岩波文庫>>



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