J a c k t h e R i p p e r


Jan.2002 作成     

今回は、2002年1月19日から公開の映画「フロム・ ヘル」にちなんで、英国ヴィクトリア朝後期の1888年に起きた「切り裂きジャック」の事件に関するエッセイです。

 20 世紀FOX社の「フロム・ヘル」紹介のサイトはこちらです>>




 英国というのは本当にわからない国。
 というか、英国紳士というのは本当にわからない人々。

「ジキル博士とハイド氏」(1886年)は、人間 の心の奥に潜む、善と悪の二面性を描き出した小説として心理学的に評価されることが多いけれども、これはやはり産業革命以降の英国の都市、そして英国紳士 の二面性を、スコットランド生まれのスティーヴンソンが象徴化した作品のように思える。

 英国のわからなさ、の代表的なものに、ブラック コメディがあるけれど、その伝統はもう200年も前にさかのぼるらしく、ロンドンの公園などで演じられていた大衆演劇ではバケツ一杯の豚の内臓をぶちまけ るスプラッター演劇に人々が大笑いし、犯罪者の公開処刑があると聞けば着飾って出かけ、特等席をめぐって金が飛び交い、処刑の後の死体解剖を行列を作って 見学する。
 そして、20世紀。英国の国営放送BBCでは、「モン ティ・パイソンズ・フライング・サーカス」なるわけわからなくもめちゃくちゃに危ないコメディが放映され、女王陛下も王室も、シェイクスピアもオスカーワ イルドも笑いの種にする。70年代に「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を歌ったPUNKバンド、セックス・ピストルズは社会の風紀を乱し、若者を扇動する ならず者たちと敵視され、バンドのメンバーは命を狙われ何度も危害を加えられ、ロンドンの街も歩けなかった。でも、その直前の69年から74年にモン ティ・パイソンは堂々と国営放送で流されてパイソンズはなんともなかった。なんでよ???
 こんなところにも延々と続いてきたブラックコメディの 伝統とか、そして、パイソンズのメンバーの6人のうち5人までがオックスフォード、ケンブリッジ出身者という根強い階級意識だとかが、きっと関係している に違いない。 
 そのパイソンズのコメディの中にも、英国人の殺人好き が垣間見られるコメディがある。
 「モンティ・パイソン大全」(須田泰成著 洋泉社  1999年)からの抜粋です。

 1972年放送、「裁判所スケッチ 大量殺人鬼はいい奴だ」
 
 裁判所の一室。二十人近くの人を一度に殺した犯人が、 被告人席で神妙な顔をして、法の裁きを受けようとしている。
・・・・・・
「判決の前に何か言っておきたいことはあるかね?」
 厳粛な顔で立ち上がった被告は、よく通る声でこう言っ た。
「どーも、スイマセン!」
「それだけかよー!」と、全員がズッコケているのを尻目 に被告はさらに言った。
「もう二度としません。本当に悪かったと心から反省して おります」
 裁判官に向かって「お忙しいのに私のような者にお時間 を割いてくださってありがとうございます」
・・・・・
 検事に対しては「腕がいいですね。私の完敗でしたよ」 とおだてあげる。
 周囲にまで気を配る被告のワンマントークショーが続く うち、法廷内に異変が起きてきた。「この大量殺人鬼って、けっこういい奴じゃん!」と同情する雰囲気になってきたのだ。陪審員は、「大量殺人なので面白 かった」と意見を一致させ、裁判官も「君だけが悪いわけじゃなくて社会にも責任があるんだし」などと言う始末。
・・・・
 結局・・・懲役6ヶ月、執行猶予付きの判決が下ったの だ。そして法廷内は「彼は陽気でいい奴だ!(He's a jolly good fellow)」というイギリス人なら誰でも知っている歌の大合唱に包まれるのだった。

 こんなことを書いている私を不謹慎だと責めないで。どうやらこれが英国知識人の伝統的な嗜好らしいのである。
 どうしてこのギャグが国営放送で許されて、かたや PUNKは放送禁止で命まで狙われるんだろう・・・。ま、PUNKの話題は置くとして。
 そんなことを念頭に置いて、「ジキル博士とハイド氏」 発刊の2年後、1888年に起きたジャック・ザ・リッパーの事件と、英国人のわからなさと、それにまつわる本の紹介をしてみたいと思います。






1.ジャックの事件とは・・・?

 英文化史、英文学、というと、どうしてもしばし ば登場させてしまって申し訳ないのですが、都立大の高山宏教授の著書「世紀末異貌」(三省堂発行  1990年)の(lll)部、第1章に「切り裂きテキスト−殺人鬼切り裂きジャックの世紀末−」があります。とても短い章ですが、犯人ジャックは 誰だったのかという謎、何故この事件が起こり、事件が起こった1888年のロンドンがどんな街だったのか、ロンドンっ子らはこの事件をどう見たか、そもそ も英国人の気質とか、考え方とかは・・・?
 すべての疑問と手がかりがこの短い章には書かれている のですが、氏の語る視覚文化史、美学史、社会史などを掘り下げていかないと、レズリー・スティーヴンや、ド・クインシーや、ブラウニングや、はたまたフ リーメイスンやらフロイトやらをぽんぽんと出されてもさっぱり理解できないので(私を含め、です)、この本、また、この章をお読みになって果てしない探求 の旅に出られた上で、脳みその容量が荒俣宏さんみたいに大きくなって再び高山ワールドへ戻ってきていただきたいと思います。
 でも、つながりを考える上では、高山先生の本は無くて はならないんですけどね。余談ですが、松岡正剛さんの「千夜千冊」の中で高 山宏氏の「綺想の饗宴」が紹介されていましたので、関心のある方はそちらへ飛んでみて下さい。松岡さんが、高山ワールドをどう紹介するのかちょっ と興味があったのですが、いやいや(笑)、何が凄いって、高山氏は凄いとしか言い様がないので、要約して説明するのはどだい不可能ですよね。松岡さんによ る高山賛歌(これは駄洒落だったのでしょうか。。。松岡先生・・)も、う〜ん、私が書いていてもますます意味無しになってきてしまうので、読んでいただく しかありません。

 話、それました。
「世紀末異貌」によれば、この連続猟奇殺人事件は次のよ うな事件でした。「それはよく言われるように霧の夜に起こったのではなかった。1888年8月31日から11月9日にかけて、よく晴れた四夜にわたって、大胆にも人気(ひとけ)の多いイースト・エ ンド地区で都合5人の街娼が惨殺された。(中略)切り裂き方(リッピング)は徐々に凄惨の度を増し、唯一室内の犯行であった第5番目の切り裂きはもはや屠 殺と言うべく常軌を逸していた。この露出狂の凶行者はあちこちに手紙をよこした。・・・(略)」(p181)
 
 これだけでも、120年近く昔の事件がいかに衝撃的な ものだったか、と想像できます。
 ただ、私は犯罪自体にマニアックな興味があるわけで も、この事件の犯人ジャックに何かしらの共感を持つ者でもありませんので、犯行の手口や被害者の身の上をことさら細かく知りたいとは思いません。あくまで 資料として手近で参考になるのが、次の文庫本だと思います。

 「恐怖の都・ロンドン」(ス ティーブ・ジョーンズ著 友成純一訳 ちくま文庫)
 ここには、被害者になった5人の女性のこと、警察の捜 査の進展状況、犯人から送りつけられてきた手紙、そして最終的に迷宮入りとなってしまったこの事件の、想像される容疑者たち、について書かれています。
 この中で、当時の犯罪学をかいま見る上で、面白い記述 があったので、そこだけ拾ってみます。

 警察は、アニー・チャプマン(筆者注:2番目の被害者)の目を写真に撮った。当時は、死に直面した人間の瞳孔には、目 にした最後の光景が焼き付いていると、一般に信じられていたからである。とすると、この写真にはジャックその人の姿が映っているはずだ。藁をも掴む心境と でも言おうか。この方面からの調査が全く役に立たなかったのは、言うまでもない。(p160より)

 今でこそ血液鑑定、DNA鑑定、など化学的な事 実を知るための方法がありますが、当時はこのような「エセ科学」というか、いえ、当時はそれが科学的事実と信じられていた方法でしか捜査できなかったとこ ろなどを見つめてみると、それがまた、ジャックのまさに同時代の推理小説シャーロック・ホームズの犯罪学などと結びついてくることでしょう。




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2.当時のロンドン社会

 在米の英文学者、リチャード・D・オールティッ クの著書「ヴィクトリア朝の緋色の研究」(村田靖子訳 国書刊行会発行 1988年)にはこう書かれています。

 非常に多くのヴィクトリア朝の知識人、いいかえれば、まじめ、清廉、高尚な理想の精髄ともいえる者たちが、こと殺人熱 に関しては、商人、職人、肉体労働者など大衆と同列にいたということはちょっと意外だ。(p166)

 冒頭で少し書きましたが、公開処刑や、公開解剖 などに、多くの作家や知識人が大変な関心を持ち、まるで楽しみを待つかのように事件のことを、夜の社交界で語り合っていたというのは、英国紳士の二面性を あからさまに見せられているようで、私には大変不思議に思えました。そして、現代、というか70年代のコメディ、モンティ・パイソンのことを書きました が、それもこのようなヴィクトリア朝の雰囲気をもちろん背景にして、それを現代の知識人(オックスフォード・ケンブリッジ出の彼ら)が笑いのネタにする、 という、まさしく英国を特徴付ける不思議な伝統であると言えるのではないでしょうか?

 女王の統治がはじまって最初の30年間、公開処刑そのものはあらゆる民衆の娯楽の中でもいちばん大勢の群衆を集めた。 スコットランドその他の地方でも、処刑に集まる群集は荒っぽかったが、最悪なのはなんといってもロンドンだった。下層の人間たちがほとんどだったが、並み 以上の悪名を馳せた殺人犯の処刑には中流・上流階級の者もかなり集まった。若い紳士諸君が、悪徳悪漢の死を見て健全な教訓を学ぶように、学校も休みになっ た。絞首台がよく見渡せる部屋は法外な値で貸され、処刑前夜は一晩中どんちゃん騒ぎのパーティー会場となり、浮かれ騒いだ客たちがオペラグラスをのぞいて 処刑の一部始終を満喫し、踏み台がはずれたあとは、陽気な朝食会の場となった。(p159

 そして、世間に知れ渡った凶悪な犯罪者が処刑さ れたのちには、(もちろん医学的な研究を意図したものではありましたが)解剖がおこなわれ、一般の人々はそれを見学することが出来ました。

 当局は、縛り首になった殺人犯の死体を医者が解剖する前に見せて欲しいという一般の人びとからの要望に応えた。(中 略)
 また、バークの死体はまさにうってつけのエディンバラ 大学の解剖学教室に1日だけ陳列され、約3万人の見物客の目にふれた。翌朝、同じ数の群集が集まったが、大学当局はこんなことは1日だけでたくさんだとし た。

 この「ヴィクトリア朝の緋色の研究」は英国の文 化史や文学史を学ぼうとする人くらいしか、おそらく読むことはないと思いますが、犯罪史と社会学と文学史をむすんで明らかにするという点では、とても貴重 な本だと思います。興味本位で犯罪をとらえるのではもちろん無く、今まで文学という中では見逃されてきた英国の社会生活の一面、特に大衆に即した文化がど のようなものであったかを教えてくれます。ごく限られた上流階級の人びとが暮らしていたウエスト・エンド地区とはうらはらに、都市化の裏で職も無く安酒に 溺れ、女たちは娼婦としてしか糧を得る術は無く、劣悪な環境の中にあったイースト・エンド地区。そんな二面性の社会で起きた犯罪が、ジャーナリズムにとり あげられ、センセーショナルな記事であったもののそれがために、人びとはこぞって読もうと求め、結果的には大衆の識字率の上昇や、社会への関心を高めるこ とにつながったのです。
 ジャックの事件についてはほとんど触れられていません が、一部を引用します。

 1880年代後半のロンドンのイースト・エンドは、1820年代のエディンバラの、うす汚いアパート群と同列に並ぶ。 (略)ヴィクトリア朝も後期の大衆は、巧みに逃げおおせた沈黙の殺人狂の謎に怖気立ちつつも熱中し、その中で、この事件が暗示したより大きな社会的意味に 気づいたのだ、と。(略)

 それまでにも、ジャーナリストや都会の伝道師た ちはロンドンの貧民や浮浪者の生活について書き、こうして書かれるものは年々増えていた。それでも「切り裂きジャック」事件の報道は、(略)社会のどん底 にいた人びとは、いずれその苦境から開放されることになるが、--- 力を増しつつあった労働党の政治もそれに一役買っている ---- 殺人事件があのようにさかんに書きまくられて、すでに長いこと存在していた状況を劇的に見せてくれたというめぐりあわせも、改善の一助になったとはいえま いか。(p49〜50)

・・最後に、ではジャックとは誰・・?  につい ては、次の章で。


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3.ジャックとは・・・誰?

 上で書いた公開処刑制度について補足を。
 公衆の面前で罪人を絞首刑に処するという公開処刑は、 1868年の死刑改正法によって廃止されました。ですから、ジャックの事件が起こった1888年にはもう公開制ではなくなっています。けれども絞首刑その ものは非公開で1955年まで続いたそうです。ある意味で、大衆の好奇心の捌け口となっていたとも言える公開処刑が非公開になったこの時代、大衆の犯罪へ の好奇心は減っていくことも無く(それは現代にもつづいていることですが)、そんな好奇心を空想の世界で満たすべく登場したのが探偵小説という分野でし た。英国での初めての探偵小説は、1868年のウィルキー・コリ ンズによる『月長石』だそうです。見て下さい、公開処刑が廃止されたのと同じ年でしょう? それからあの有名な探偵シャーロック・ホーム ズが初めて雑誌に登場するのが、1887年、ジャックの事件の前年でした。現実はまるで小説の世界と追いかけっこをするように実際に起きたり、小説よりも さらに恐ろしいことが起きてしまったりする現象は今も、百年前も変わらないように思えます。

 さて、そんな時代の中で起きた「切り裂きジャッ ク」の事件ですが、結局犯人は永遠の霧の彼方へ消えてしまい、さまざまな憶測だけが語られていきました。先に紹介した『恐怖の都・ロンドン』によれば、人 びとが考えたジャック像は、まず鋭利な刃物を使っていることから、医者か食肉業者ではないか、また、性的変質者にちがいない、いや、簡単に女性に近寄れた のは犯人が女装をしていたからだ、堕胎手術に失敗したことを隠すために助産婦が起こしたのだ、等々と推察され、中でも有力とされた9人の容疑者が挙げられ ています。関心のある方はお読みいただくとして・・

 あの澁澤龍彦氏も、当然ジャック の事件には関心を持たれていたようで、『妖人奇人館』(河出文庫)の 中に「切り裂きジャックの正体」というエッセイを書いています。ここで澁澤さんは「これが切り裂きジャックの正体である!」と書ききっていらっしゃるので すが・・・

 1888年12月31日、つまり、切り裂きジャックの最後の犯罪から7週間目に、テームズ河から1人の溺死者が引き上 げられた。モンタギュー・ジョン・ドルーイットと呼ばれる31歳の青年弁護士で、オックスフォード大学出の秀才・・(中略)・・
 それがいつの頃から、恐ろしいサディストの徴候をあら わしはじめたのだろうか。・・(中略)・・まさか法学院に殺人鬼が住んでいようとは、警察も思い及ばなかったにちがいない。(p83〜84)

 この人物は事件当時も容疑者として考えられてい たのですが、1965年にアメリカの作家トム・カレンが書いたことで澁澤さんは真犯人!と考えられたのでしょう。このエッセイが書かれた正 確な時期はわからないのですが、1966年から1970年の頃のエッセイ集だそうです。・・・ところが・・・1970年に、切り裂きジャック事件の謎を見 事に「解いた」といわれる新しい説が登場してしまったのです。これを発表したのはスティーヴン・ナイトという人で、このナイト説が今回映画 化された「フロム・ヘル」の下敷きになっているようです。ですからここでそのナイト説を詳しく披露するのはやめておきますね。もちろんナイト説を知ったと ころでますます関心は高まるまでと私は思っているのですが、映画の前知識として知ってみたい方は、前出の高山宏氏の『世紀末異貌』の「切り 裂きテキスト」の章をお読みいただければナイト説の概要も載っています。(以下、ナイト説のねたバレになりますから読みたくない方はここまでで・・・)
 
 「ジャック」は何とヴィクトリア女王の孫に当たるクラレンス公であるという説が1970年に出た時には、本当に世界中 が度肝を抜かれたものだ。(p182)

 と高山氏も書かれているように、このナイト説 は、英国王室、しかもヴィクトリア女王自身も関与し、さらには英国国教会とカソリックの宗教戦争にもなりかねない政治的大犯罪と秘密結社による隠ぺい工作 であった、というのが新説なのです。まさに映画の題材としては最適の筋立てだったわけです。この英国そして世界中を驚かせたというベストセラーが、まあタ イムリーなことに2001年11月に邦訳されたばかりだそうなので、ここに紹介しておきます。『切り裂きジャック最終結論』 (スティーブン・ナイト著 太田竜 監訳 成甲書房)。私もまだ読んではいませんし、映画もまだ見ていませんので、ナイト説を忠実に映画 化したのかどうかはわかりませんが、このような時代背景のもと、このように複雑な王室をも巻き込んだ政治的犯罪だったというのは、なかなか関心をそそるも のだと思いませんか?


4.ヴィクトリア朝英国紳士もやっぱり謎・・

 冒頭で、英国紳士ってホントわからない、、、と 書いた私ですが、ジャックの事件を考えてみても英国貴族、あるいは上流階級社会の裏側にはいろいろ闇の部分も当然あったのだなあ、と感じます。
 このエッセイを書いている最中に、ミステリー好きの友 が、何やら文庫本を持っていたので「ちょっと見せて!」と奪い取ったのが『文豪ディケンズと倒錯の館』 (ウィリアム・J・パーマー著 宮脇孝雄訳 新潮文庫)でした。著者はアメリカの英米文学の教授だそうですから、文豪ディケンズがいた頃 のロンドンの隠れた社会に関しては専門家のようです。ちらっと最初だけ読んでみましたが、ディケンズが新進作家のウィルキー・コリンズ(先に挙げた『月長 石』の著者)と連れ立って公開処刑を見物するために前夜から集まって晩餐をし、処刑場の近くの家に金を払って場所を借り、興奮に駆られて集まってくる大衆 を見下ろしながら夜明けの処刑を待っている、なんてシーンが冒頭にあるのは、まさにまさにといった感じで興味をそそられました。
 ヴィクトリア朝の研究はまだまだこれからも続いていく ことでしょうから、今回の映画や、この『文豪ディケンズと倒錯の館』みたいな、あらたなヴィクトリア社会像を題材にした作品は今後ますます増えていくので しょうね。
 なお、この本の原題は『The  Detective and Mr.Dickens』(探偵とディケンズ氏)で、いったいどこに「倒錯」が?(笑)って思ったのですが、まさにそ こが英国の隠された一面だったりして・・・。


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