ラジコン略歴
ラジコン略歴
私のラジコン歴は、中断した期間も含めて10数年でしょうか、電動機から入門し、エンジン機へ転向し、最近は電動機も再開を再開しました。また、その種類もスケール、スタント、ファンフライとグライダーとヘリ以外なんでもやります。今までに飛行させたエンジン機、電動機には、ナンバーがふってあり、その数は、約30数機になります。

・日野第1時代
十数年前、多摩川は日野橋の下流で、ユニオンの電動機にてラジコンを開始、毎日、会社に行く前の早朝5時から7時まで飛ばしてました。飛行技術は、先生もなく、作っては落とし、作っては落しの、連続で覚えました。とはいっても、ユニオンの電動機ですから、その場でセロテープで直せました。そうやって、電動機を10数機ほど経験しました。
たまたま、仲間のエンジン機を飛ばす機会があり、「これは、いいと思い」すぐにエンジン機に転向しました。そして、このクラブで、本格的にスタントをやられた方から、スタントの技術を基礎からみっちり教わりました。

・山梨時代
転勤で、山梨にいきました。
2年ほど、ブランクおいて、ラジコンを再開しましが、飛行場が狭く、また川のそばにあり、川に落ちる可能性が高く、以前より夢中になれませんでした。

・日野第2時代
また、転勤で、中国に3年ほどいました。そして、6年ぶりに日野に戻ってきました。現在は、多摩川の多摩大橋の下流のクラブ(タマラジコンクラブ)で、飛ばしています。
ある日の飛行場
新作機の離陸だよーん。
寝室の壁に飾ってあるお気に入りの2機
タマラジコンクラブの飛行場です。110mX40mの広さがあります。不思議なもので、これだけ広いのに、飛行場外への着陸もよく見られます。もし、この飛行場の土地の購入すると、2-3億円はするでしょう、とても個人で、飛行場は持てるものではありません。 
【マウスを画像の上に移動すると、真冬の様子が見られます。】


会長の75ccガソリンエンジン、1/3アルチメイトです。二人で押さえています。
23ccガソリンエンジンのフォッカーDR−1です。
管理人です。「燃料入れて、さあ、出撃だ!!」
左のアルチメイトの豪快なスモーク飛行です。しかし、このあと悲劇が!?