『北京の秋』
変幻自在な砂漠のライオン−ボリス・ ヴィアン−

 

 ボリス・ヴィアンは何でも屋でした。技師、俳優、ジャズプレイヤー、歌手、画家、小説家、シナ リオライターetc.彼の活躍した40〜50年代に、それらの職業を全てひとつにまとめた形のアーティストは存在しなかったかもしれないけれど、20世紀 のテクノロジーの進歩は、言葉も映像も音楽も自在に操る芸術家や、監督・脚本・主演をこなす役者のような、マルチアーティストの存在を可能にしました。 ヴィアンも、あらゆる表現の可能性を追及したマルチアーティストだったという意味で、極めて20世紀的な作家だと考えられます。しかし、ヴィアンは同時進 行で様々な活動をしたとは言え、彼は確かに小説という表現方法に当時最大限の可能性を託したのでしょうし、その作品は、生前はごく一部の人にしか理解され なくとも、発表後半世紀を経た現在まで若者の関心をとらえ、しかも1作品に限らずヴィアンの多くの小説が版を重ねて出版され続けてきました。ここでは『北 京の秋』の中の3つのキーワードを軸に、ヴィアンの現代性を探り、「砂漠に鉄道を引く」とは 何かを考えてみます。

1.「見るべきもの」

 小説は、アマディスが975番のバスに乗ろうと四苦八苦する場面から始まります。
 満員だったり、番号札を取り損ねたり、バスにかわされたりして結局乗れず、アマディスはバスに乗れそ うな停留所まで戻るのですが、その間にバスに乗る目的よりも「見ておくべきものが沢山あるように思え」て、 そのまま歩き続けてしまうのです。この「見るべきものはたくさんある」という言葉は、小説の 終盤、自殺を考えるアンジェルと神父プチジャンとの間でも交わされます。

「きっと、あなたのいうとおりかもしれない。あな たは大した男ではないし、何も見ていない」とプチジャンがいった。
「砂が見えます」とアンジェルがいった。
「あの鉄道・・・バラスト・・・(略)
「いうことはできます。しかし、それをいうよりもほかの 何かです」とプチジャンがいった。
 ・・・(略)・・・
「考えさせて下さい。見るべきものはたくさんある」アン ジェルがいった。
 ・・・・・
「見ようと思うものはなんでも見えます。それに見るとい うのはいい。しかし、それでは充分ではない」とプチジャンがいった。(p375〜376)
  
 では、「見るべきもの」とは何でしょうか・・?。
 20世紀の幕開けの時、1900年のパリ万博で初公開された映画は、全く新しい視覚文化をもたらし人 々の「見る」意識を変えていったし、見る出版物としてのアニメーションの流行も20世紀の視覚文化の代表的なものといえます。映像やアニメーションという 新しい視覚芸術は、物の形状や、印象、さらには見えないものを見、過去に見たものを見る、という風に、形態的にも時間的にもそれまでの「見たまま」「在り のまま」という概念をくつがえしました。ヴィアンの描写には特にアニメーションや劇画に通じる表現が多く見られます 〈注1)。
 感情のままに色を変えるバスやタクシー、昨夜の顔を残したままの鏡、好き勝手に移動する太陽や方位、 足から根が生えて動けなくなる人間、等々。。。そして、言語を分解再構成し、読者の思い込みや想像を逆手に取って翻弄するかのようなヴィアン特有の「言葉遊び」もたくさんあるようで、それらも、文字を見た時に感じる視覚的効果、言葉を聞いた時に感じ る聴覚的効果など、コミック文化やアニメ映画に通じる面白味をもたらしているように思えます。原書を読んでいないため詳しい論証はできませんが、『北京の 秋』に登場する人物の思わせぶりな名前に関しては、ヴィアンの変名であるヴァーノン・サリバンと、 ヴィアンが好きなJAZZミュージシャン、デューク・エリントンを重ねた、<ヴァーノン・デュークによる歌>なんていうのが出てきたり、アルフレッド・ジャリを思わせるアルフレッド・ジャーベな んて名前が使われています。このような「言葉遊び」に加えて、先にあげたようなアニメ的なドタバタ劇風の表現の斬新さが、映像や音楽に馴染んだ現代の若者 に受け入れられる要因なのでしょう。

 1946年という年は、ヴィアンの執筆活動が猛スピートで動き出した年で、『うたかたの日々』 がガリマール社主宰の文学賞候補となり、最終候補で落選。秋にはこの『北京の秋』が執筆されます。ヴィアンはサ ルトルの主催する『レ・タン・モデルヌ』にも寄稿を始め、『うたかたの日々』 では、一部をまず同誌に掲載したそうです。しかしヴィアンは、「私は実存主義者ではない。事実、実存主義者 であれば実存は本質に先立つ。私にはその本質がないのだ」(アルノー、P244)という発言にもあるように、サルトルの実存主義とは一線を 引き、あらゆる主義、運動から自由であろうとしました。サルトルに対しては、ジャン・ソル・パルトルと いう名で『うたかたの日々』の中でもカリカチュアして描き、パルトルは終いには、パルトル信奉者の恋人から「心臓抜き」という器械で殺されることになりま す。
 ヴィアンは、サルトルの作品『嘔吐』についても、パルトルの著作『嘔吐百科』として登場させていますが、一方で『サルト ルと糞』(アルノー、P243)などというエッセイ(これも誉めているのか嘲笑なのかわからないようなものですが)を『街路』誌に発表し、 その中ではサルトルを擁護している姿勢を一応はとっているようですが、サルトルが次第に強めていく政治的姿勢、「アンガージュマン(社会参加)文学」に対 しては批判的だったのでは・・?と見られています。

「現実参加(アンガージュマン)が、問題になりま す。ジャン・ソル・パルトルの理論に従った現実参加(アンガージュマン)・・・・。植民地の軍隊に参加(アンガージュマン)、あるいは再加入すること。そ れに、個人が召使を月給で参加(アンガージュマン)させること、あるいは、雇い入れること、その三つの間に何か並行的な関係があると、我々は見てるんで す」(『うたかたの日々』P34)

『うたかたの日々』の中でサルトルの論をこんな風に揶揄してみたり、「政治的解決法など何にもならないのだ。また政治的分析がいくら秀れていても結局はやはり何もならない」(『アンダン の騒乱』解説より)というヴィアン自身の発言があったり。。
 ヴィアンはまた、固定的な視点で判断を下すことを嫌いました。「ボリス・ヴィアンは一般に文学論争に対して好感を持っていなかった。彼は<批評>や<分析>(彼の用語によれば)を 生涯呪い続けた」(アルノー、P241)とあります。
 以上のようなヴィアンの姿勢から推測してみれば、『北京の秋』の砂漠というのは、自由に形を変える砂 丘、何もかものみこむ砂、そして、あらゆるものをあまねく照らし出す太陽という象徴からも想像できるように、ヴィアンの求める表現の可能性を示す場である と思われるのです。
『北京の秋』の特徴的な構成として、章のところどころに挟まれる「パッサージュ」という「つなぎ」の部分があります。「パッサージュ」では作者自身が顔を出し、物語の 解説をし、今後の方向づけを語るのですが、その最初の「パッサージュ」にはこんな風に書かれています。

「砂漠は広広としている。故に、人はそこに集まり たがるものである。彼らは、ほかのいろいろなところでやっていたことを、そこでふたたびやりなおそうとする。砂漠でだと、そんなこともまた、目新しく見え るからである。砂漠は、何物をも鮮明に見せる背景となす」(P65〜86)

 「見る」とは、それまでの表現活 動では試みられなかった事物のとらえ方、その表し方のことであり、その「見るべきもの」が「たくさんある」とは、表現の自由さ、可能性の広さを示している のではないかと思うのです。
 ・・砂漠という無限の場所で、何もかも今までになく新鮮に見つめ、それらを自由に表現する・・そのよ うな、想像力による可能性・・そう、ヴィアンのパタフィジックの精神です。「見える」ことへの懐疑、「見るべきもの」は何なのか、そして「見た後」はいか にすべきなのか、「見ること」への考察は奇抜なストーリーの内部で最後までつづいていきます。
 


 
 
2.「すりへっていくもの」 

 ヴィアンの多くの小説に現れる言葉に「すりへっ ていく」「すり切れる」というものがあります (注2)。
 ヴィアンは心臓大動脈弁閉鎖不全症を抱えた病人であったと同時に、彼は技術者でもありました。20世 紀の医学や技術の進歩は人々の生命意識を変化をもたらし、身体活動は機械的運動と考えられるようになりました。身体器官は部品のように損耗し、交換可能な ものは他者の物からでも交換され、交換不可能ならば壊れていく=死に至る、という認識は、すでに私たちの意識の中でも一般化してきた感覚です。しかしヴィ アンは人よりもはるかに敏感な意識をもっていたでしょう。12歳から大動脈弁の損傷を抱え、「40までは生 きられない」と自覚していた事や、少年時代にヴィアンに影響を与えた義眼の友人(少佐)がいた事、それらが、「物体を人間のように、人間を物体のように」描写する文体の特徴や、すりへっていく時間に怯える登場人 物という、いくつかの作品に共通の人物像を生んだと思われます。
「生きている物体という発想は、ボリスが少佐から借用し たものなのです」(アルノー、P52)とありますが、物としての肉体、という発想は少佐の存在に加えて、ヴィアン自身の心疾患が大きく関 わっていたはずです。何故なら、心臓こそ身体のポンプ機能という極めて機械的な器官であり、拍動のたびに開いては閉じる心臓弁はすりきれたら最後(ヴィア ンの生きた時代には)死へ着実に向かうしかなかったからです。
 生命を損耗する機械として認識してしまえば、もはや神の恩恵などは笑い事にしかなりません。『北京の 秋』に登場する神父プチジャンが神に仕える身である事を示す描写は「3」という数字への執拗なこだわりで数珠を回す時だけなんです、、この神父は弾が11発と聞かされて も、年がはたちと聞かされても、「それじゃ多すぎる」と言って「3」に勝手に変えてしまいます。しかも公教要理は意味不明な言葉遊びでしかないし (注 3)、神父にあるまじき(ここでは書けない様な)行いについては「赦免いたしました」と答え、赦免が重荷になるかと聞かれれば「マイクロ・フィルムにコピーさせました。ほんとに小さな分量のロールになってしまいますよ」(P187)と 答えてしまいます。。終いには三位一体を意味しただろう<3>という数字も無意味になったらしく、「四つと しておきましょう」と言って数珠をまわすのは<4回>に変わっているのです。
 一見、意味の無いヴィアンの悪ふざけに思えるようなこれらの描写も、よく読めば、神父が3へのこだわ りを棄てるのは、アンジェルが自分の友人で恋敵でもあるアンヌを転落死させ、その恋人ロッシェルが神父自ら渡した毒薬で自殺をした直後から、とちゃんと意 味を持たせていることがわかります。神父から貰う小瓶という設定は『ロミオとジュリエット』を 意識したものと思われますが、ヴィアンは恋人たちが生き返るための薬としてではなく、<すりきれて>だめになってしまったロッシェルを見殺しにする毒薬と して描いています。「すりきれていくもの」に対する残酷な悪ふざけの文章があればこそ、不条理が際立ち、だからヴィアンの描く恋人たちは悲痛なのです。
 残酷な笑いは、前作『うたかたの日々』にも登場した医 師マンジュマンシュにも向けられます。この教授は前作のヒロイン、クロエを 失って以来、今では医学よりも模型飛行機に没頭しているのですが(注4)、マンジュマンシュ教授は、人間の患者より発熱した椅子の方を気にかけ、口うるさ い人間の患者は殺してしまうのです。『北京の秋』では、医師というものは自分が救った患者の数までは死なせても罰せられないという法があって、マンジュマ ンシュ教授の手帖には救った人間の数と、死なせた人間の数が書かれています。死者の数が上回った時、教授は太陽のそばの黒い帯へ自分から入っていくという 方法で死を選びます。すべてに非人間的で不道徳な描写の連続でありながら、じつは教授の深い悲しみはクロエを救えなかった医学の無能に対する絶望であり、 数字の均衡で生命が計られる現実への痛烈な諷刺と読み取れるのです。

 「患者が死にそうになると、自分より年齢の若い 医者にその患者を押しつけてしまうのです。そんなふうにして、ぐるぐる回しになる」(P290)
「毎日毎日、誰も彼も人を殺している。(中略)宗教は罪 人を世話するために創られたものです。それなのにどうして?」(290)

 神を嘲笑い、生命を弄ぶような黒い笑いをちりばめながら、ヴィアンの本音は<すりきれていくも の>への痛切な思いがあるのだと思われませんか・・? そして<磨耗する肉体>がやがてどうなるかを誰よりもよく知っているヴィアンにとって、笑うこと が、唾を吐くような激しい反旗であると共にヴィアンの哀しいまでの優しさでもあったのだろうと。。

「私にとって、最も大きな問題は、もちろん…、密 接に関係した二つの問題、戦争と自由です。1940年に20歳であったということで、よく分かって頂けるでしょうが、私は戦争がないときに、戦争について 笑わないと、戦争が起こってからは、それについて笑えなくなるのです。だから、戦争が起こる前に戦争を嘲笑の的にしてしまうのがよいのです」(ヴィアン CD、インタビュー「戦争と自由」より)
 


 
  

 
 
3.「ふるいにかける」

『北京の秋』の最初のパッサージュには、「砂漠の 砂をふるいにかけてライオンを捕獲する方法」というものが示されています。

 「砂漠はしばしば取り上げられる。アーサー・エ ディングトンは、そこに住むすべてのライオンを捕獲する方法を示した。それは砂をふるいにかける、というだけのことである」(P86)

 ここに、アーサー・エディングトン、 という名前が出てくるのですが、物理学者のエディントンとすれば、『北京の秋』の砂漠に出て くる不思議な空間、、すなわち、太陽のそばで時空の歪みをつくり、内部へ入ったものを全て無にしてしまう黒い帯とは、一般相対性理論に基づく光の歪み、さ らにはブラックホールのことに相違ないでしょう (注5)。
 科学的裏付けに則った上で更に茶化す破天荒さも、なんともマニアックというか、いかにもヴィアンらし いですが、SFファンタジーを500冊も読んでいたというヴィアンは、この作品にSFの要素も盛り込みつつ、さらに、多数の登場人物の生き残りゲームでも あり、ブラックコメディでもあり、社会諷刺でもあり、純愛小説でもあるという、小説の可能性をすべて試すような作品として創ろうとしたのかも知れません。 (しかもあくまで笑うことを忘れずに、とにかく面白く・・)
「世界を変えるために書く」とサルトルは 公言してはばかりませんでしたが、ヴィアンはそのようにあからさまに訴える姿勢を逆に笑いました。もともとが技術者で、JAZZプレイヤーで、脚本家で、 と、ジャンルを超えて活動してきたヴィアンが、小説においても、どのジャンルにも属さない「例外だけが面白 い」というパタフィジックの精神そのものの作品を生みだしたのは当然とも言えるでしょう。

「例外的な例外こそ唯一興味を惹くものなのです。 ご存じのようにパタフィジックというのはひとつの科学です。だが科学を前進させるものは例外あるのみです」(『アンダンの騒乱』解説P182)

 さて、この物語の大目的は鉄道建設です。
 真っ先に登場した人物アマディスは、 バスに乗って砂漠へ着いてからは「見る」ことなど忘れ、ひたすら砂漠へ鉄道を通すことに没頭してしまいます。本来定まった地形など無い所へ、まっすぐに レールを敷き、現場の全権を握り、砂漠にたった1軒のホテルまでも、中央を分断してあくまで直線に鉄道を通そうとするのです。このアマディスをヴィアンは 容赦なく攻撃します。「一点の疑う余地もなく、アマディス・デュデュはいやらしい男である。あらゆる人をう んざりさせる。そして、単に、不誠実であり、高慢で、無作法で・・彼はホモである」(P193)というように (注6)、アマディス、そし て鉄道とは、ある特定方向へ強制的に人々を向かわせる思想、運動、さらに言えば、ひとつの主義に固執し、自らの影響力を信じて疑わない思想家の象徴ではな いかと思うのです。
 結局、、、鉄道は穴に落ちて崩壊し、現場の権力を握っていたアマディスは鉄道と運命を共にしたもの の、しかし一方で、事故の真下で行なわれていた遺跡の発掘作業には何の被害ももたらしませんでした。ヴィアンはここで「砂漠をふるいにかけた」のです。そして、砂漠をふるいにかけて残ったのは、神を棄てた神父、世捨人、 アンジェル、考古学者たち。。。エディングトンの唱えたという、砂漠の砂をふるいにかけて「ライオンを捕獲する方法」のことを思い出してみて下さい。
 終盤、考古学者に対して「あなたはライオンのような人 ですね」と語るシーンがあります。1の中で述べたように、砂漠を変幻自在な表現方法の場としてヴィアンが意識していたと仮定すれば、あらゆ る発掘の可能性を求めて(とは言っても、この作品の中ではこの考古学者さえ、余りに飄々としていて、探究心に燃えた信念の人などというイメージとはかけ離 れているのですが・・)砂漠の下を奥へ奥へと掘り進む考古学者はヴィアンの分身、あるいは、 ヴィアンの理想とする表現活動を意味すると言えるのかもしれません。
 小説全体を通じて、ことあるごとにほのめかしてきた「見ること」。青年アンジェルと神父は「見る」こ との限界について問答をします。

「とすると、あなたに見えるのはそれだけです か?」(P377)

 ・・神父はアンジェルにこのように問いかけ、「あ なたに、それ以上の想像力がないのだとしたら…」ならば毒を飲んで死んでしまえ、と言うのです。これはおそらくヴィアン自身の自問自答の台 詞でしょう。
 砂漠を去っていくアンジェルにもヴィア ンは自分を重ねたのかもしれません。何故なら、ヴィアンは31歳以降、死までの8年間一切小説を書かず、そのかわりに戯曲やレコード製作、映画のシナリオ 製作へと表現の場を移して行くからです。

「個人的に私はいつも、自分の分類わけの考えの中 に、<他のものと一緒に出来ない>ものというコーナーがあるのです。これは非常に便利な分類で、いろいろなものがたくさんあります。往々にして、この分類 の中には最も面白いものがあるのです。なぜなら、それらこそ、例外的なるもので、骨の髄までパタフィジシャンとして、私が興味を持つのはそれが例外である からです」(ヴィアンCD、インタビュー「日常芸術のすべて」より)
 
 小説という表現方法に懐疑的になり、やがて離れていった点においても、ヴィアンは極めて20世紀的な 作家だったのです。(2002.10.15)
 


 
 

 ***以下は注釈です***

注1
『北京の秋』より
「混みすぎている。バスは車体を緑色に変えて苦しがっていた」(P5)
「タイヤは真蒼になって、そして止った」(P111)
「昨夜、彼は鏡に向かってしかめっ面をしたまま・・昨夜の顔はまだそこに残っていた」(P23)
「太陽は・・・少しも目標が定まらないのだ。東と西がほかの二人と組んで、回れ回れ、のゲームをやってい た」(P43)
「唖然としているアマディスをその場に植えつけた。アマディスの足からは根が生えはじめた」(P146)

注2
「彼女は自分ですりへらしています」(『北京の秋』P157)
「下らないすり切れのためにさんざん時間を無駄にしているんだ」「身体がすり切れてしまうんだよ」(『うた かたの日々』P93、P200)
「われわれはみんな擦り切れてゆくんだ」(『赤い草』P140)など。

注3
「一人、二人、三人、みんなで森へ行きましょう・・・」
「四人、五人、六人、ソーセージを摘みましょう」キュイーブルがあとをつづけた。彼女は公教要理を思い出し ていた。(、P172)このような意味の無い問答の箇所がいくつかある。

注4
「医学などというものは笑いの材料ぐらいにはなるだろうが、模型を作る楽しみにはってもおよびもつかん」 (P62)
「二年前に女の患者を一人死くしてからな、わしは神経衰弱にかかっているのだ。だからずいぶん人を死なせ た。いうなれば、下らなく、だな」(P257)

注5
アーサー・エディントン(Sir Arthur Stanley Edington、1882〜1944) イギリスの天文学者、物理学者。一般相対性理論に多大の関心をもち、1919年の皆既日食時の観測から、太陽近傍における光の屈曲を実証するとともに『空 間、時間、重力』(1920)などの啓蒙書を通じてその普及に努めた。(『プリタニカ大百科事典』より抜粋)。

注6
『北京の秋』にはこのようにアマディスの性的志向を嘲笑する表現が何度も出てきますが、これがヴィアンの同 性愛に対する偏見と決め付けて良いかどうかはここでの明言は避けます。ただ、ヴィアンは人種差別には明確な否定を示していたのは事実です。
 



La Maree へ